非武装田園地帯




第二十九話 鋼太郎、恋をする



 本当は、屋上に出てから言うつもりだった。
 だが、一生懸命な百合子の姿を見ているうちに気持ちが込み上げてきた。だから、口に出してしまった。
百合子はきょとんと目を丸くしていたが、急によろけてしまった。戸惑ったから、バランスを崩したのだろう。
鋼太郎はその背を支えて膝の裏と肩に手を回し、持ち上げた。すると、予想以上の重量が腕に襲い掛かった。

「重てぇっ!」

「そんなにはっきり言わないでよお! そりゃ、総重量は百二十二キロだってスペック表に書いてあったけどさあ!」

 ちょっと傷付いたのか、百合子は鋼太郎を軽く殴ってくる。鋼太郎は足腰に力を入れ、踏ん張って持ち上げた。

「見た目は軽そうなんだけどなー…」

 鋼太郎は肩で扉を押し、開けた。屋上には一面に雪が積もっていたが、晴れているので少し溶けていた。
百合子はいきなり抱き上げられたので、照れている。顔を逸らして唇を曲げているが、決して不快そうではない。
鋼太郎も今になって恥ずかしくなってきたが、やってしまったものは仕方ない。肘と肩の関節が、ぎしっと軋む。
これで自分がフルサイボーグでなかったら、両肩を脱臼していたに違いない。それぐらい、百合子は重たい。
見た目はまるきりの人間でも、その中身は金属の固まりだ。重くないわけがないよな、と鋼太郎は実感した。
 雪を踏み分けて進み、比較的雪の少ないフェンスの傍で百合子を下ろした。百合子は、途端につんのめった。
その拍子に姿勢が崩れ、がしゃっ、と肩から突っ込んだ。体をずらしてフェンスにもたれてから、彼を見上げる。

「鋼ちゃん、さっきのって、どういう意味?」

「聞いての通りだ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」

 鋼太郎は百合子の頭上に左腕を置いてフェンスに寄り掛かり、百合子の視界を阻むような格好をした。

「でも、でもさぁ…」

 百合子は視線を彷徨わせていたが、鋼太郎に戻す。

「なんで?」

「なんでってそりゃ、好きだから好きに決まってんだろうが」

「でも、私、鋼ちゃんに何もしてないよ」

 百合子は、目線を落とす。ピンクのサンダルを履いた裸足のつま先が、真新しい雪に触れている。

「オレだって、ゆっこに何もしちゃいねぇよ」

 鋼太郎は空いている右手で、百合子の顔を上げさせる。百合子は、情けなく眉を下げている。

「鋼ちゃんは、色んなことしてくれたもん。だから、好きだけど、私は別に」

「生き返ってくれたじゃねぇか。一緒にいてくれたじゃねぇか。だからだ」

「それは鋼ちゃんの方だよお。だから」

「同じじゃ悪ぃかよ」

「悪いとか、そういうんじゃなくて」

 百合子が口籠もると、鋼太郎は百合子の髪を撫で付けた。

「言い忘れてた。ショートも悪くなかったぜ」

「本当?」

「でも、やっぱり長ぇ方が好きだ。その方が、なんかお前らしいからさ」

 手の中にある頭を引き寄せ、胸に当てさせる。あの、柔らかくて温かな呼吸は、二度と感じることはない。
肌の温度も一定で、頬の色も変わらなくて、涙も出ないが、笑顔の明るさは変わらない。百合子は百合子だ。
 学ランの布地に顔を埋めた百合子は、上手く使えない手で鋼太郎に縋った。布が硬いのだと、知覚する。
人工人皮に施された機能の一つである触覚は思っていたよりも鋭敏だったが、生身の頃ほど強くはなかった。
けれど、解るだけで充分だ。鋼太郎は本当にここにいるのだ、と実感出来る。百合子は、自然と笑みが零れた。

「あのさ、お前って触覚があるんだよな?」

 鋼太郎は百合子の肩を押し、距離を空けさせた。百合子は少し不満げだったが、頷いた。

「うん、あるよ」

「ちょっといいか」

「わぁっ!」

 鋼太郎の手に首筋をまさぐられた百合子は、仰け反った。がしゃん、とフェンスが激しく揺れる。

「ダメだよお、外ってのは! 病院で屋上なんて、ちょっとアブノーマル過ぎだよお鋼ちゃん!」

「何考えてんだよ。違ぇよ、インターフェース開こうと思っただけだよ。別に脱がしゃしねぇよ」

「…本当に?」

 百合子の疑り深い眼差しに、鋼太郎は呆れながらも頷いた。

「信じろって。だから、首んとこを開かせろ。ケーブルはこっちから伸ばしてやる。補助AIの操作はオレがやるから、お前は何もするんじゃねぇぞ。エラー起こしちまうと、リセットしなきゃならねぇからな」

「あ、うん」

 百合子はフェンスから背を外し、首の後ろの髪を分けた。華奢な首筋の後ろに、四角形の溝が付いている。
YURIKO SHIROGANE。そう表記してあるカバーの下部を押してロックを外してから開けると、ジャックが現れた。
鋼太郎は左腕の袖を捲り上げて外装を開き、内臓されている外部接続用ケーブルを伸ばし、百合子に刺した。

「ぃやん」

 まだ感じ慣れていない電気的な刺激が補助AIを通じて脳を駆け巡ったため、百合子はむず痒さで喘いだ。

「変な声出すんじゃねぇよ」

 鋼太郎は文句を言いつつ、百合子の補助AIのコンピューターに接続し、感知センサーの送信先を変更させた。
だが、細かな操作をするたびに逐一百合子が声を出す。終いには、眉根をひそめて口元を押さえてしまった。
しかし、フルサイボーグは喉を使って喋っているわけではないので、口を押さえても声は押さえられなかった。
胸の下で、あう、などという生々しい喘ぎ声を出されてしまうと、その気はなかったのにその気になりそうだ。
そんなにいいのかなぁ、と思い悩みながら、鋼太郎はセンサーの変更の操作を終えたので百合子を見下ろした。

「終わったぞ」

「なんか、おかしいよお。鋼ちゃん、何したの?」

 百合子は困惑しながら、上目に鋼太郎を見上げてきた。鋼太郎が最後の操作をすると、視点が切り替わった。
すぐ上に、鏡の中でしか見たことのない自分がいる。百合子もまた、鏡の中でしか見たことのない自分を見た。

「えっ、あれぇ? 私がそっちにいるよお、どうなってるの、ねえ鋼ちゃん!」

 驚いて飛び退こうとした鋼太郎の姿をした百合子の袖を掴み、百合子の姿をした鋼太郎は押し止めた。

「ゆっこ、オレの声でそんなふうに喋るんじゃねぇ! つうか離れるな、ケーブルが外れちまうだろうが!」

「鋼ちゃんこそ、私の声でそんな言葉遣いしないでよお!」

 状況を理解した鋼太郎の姿の百合子は、百合子の姿の鋼太郎に寄った。少女の顔で、鋼太郎はむっとした。

「仕方ねぇだろ。音声回路はそのままなんだから。一度、やってみたかったんだよ」

「何を?」

 身長二メートル越えのいかついフルサイボーグが、可愛らしく首を曲げる。鋼太郎は、その仕草に苦笑いする。

「ゆっこの視点ってやつがどんなに低いのか、気になってたんだよ。つうか、本当にちっちぇえな、お前って。身長が二十センチ伸びてもこれだから、前はもっと低かったんだろうな」

「鋼ちゃんは、こんなに高いんだねぇ。うあー、なんかすっごい不思議ぃ」

 へー、と鋼太郎の姿をした百合子は感心している。百合子の姿をした鋼太郎は、大きく迫り出た胸を掴んだ。

「やっぱ、でけぇな」

「うわぁ、何すんのさ鋼ちゃん! この痴漢!」

 鋼太郎の姿をした百合子が、ぎょっとした。だが、百合子の姿をした鋼太郎は平然としていて、両手で胸を揉む。

「いいじゃねぇかちょっとぐらい。お前の手で触ってんだから、どうってことねぇだろ。しかし重てぇな、これ。一体、何カップぐらいあるんだ?」

「Dの七十もあるんだよお! 自分でもちょっと立派すぎるって思うぐらい立派なんだよ! こんなにでっかいなんて思ってもなかったんだよ! 嫌ぁ、鋼ちゃん、そんなに触らないでぇ! まだ心の準備が出来てないー!」

 頭を抱えてぶんぶん振り回す鋼太郎の姿をした百合子に、百合子の姿をした鋼太郎は顔を歪めた。

「だから、オレの声でそれはやめろっての。マジで気色悪ぃから」

「じゃ、じゃあ、早く元に戻してよお。こっ、このままじゃ、鋼ちゃん、服だって脱ぎそうだあ」

 身を縮めてふるふると震える鋼太郎の姿をした百合子に、百合子の姿をした鋼太郎は渋々頷いた。

「安心しろ、そこまではしねぇよ。でも、戻すのはちょっと待ってくれよな」

 屈め、と手招きされ、鋼太郎の姿をした百合子は言われるがままに上半身を曲げた。マスクの顎を、掴まれる。
そのまま、強い力で引っ張られた。目の前に目を閉じた自分の顔が広がったかと思うと、軽くマスクを押された。
血色の良い薄い唇が、押し当てられている。鋼太郎は百合子の体にある触覚を通じ、自分の体を感じていた。
冷たく、ただ硬いだけだ。手に触れているマスクも手応えがなく、本当に機械だ。唇を離し、鋼太郎は呟いた。

「冷てぇな」

「でも、私は好きだよ。だって」

 気恥ずかしげに言おうとした百合子を、鋼太郎は押し止めた。

「その続きは、元に戻ってからにしてくれねぇか」

「えー」

「オレの声で言われたって、嬉しくもなんともねぇんだよ。むしろ萎える」

「まぁ、そうかもしんないね。じゃ、元に戻して」

「動いたり、変なところを操作するなよ。絶対だからな」

 最後の部分を強調してから、鋼太郎は先程変更した感知センサーの設定を一つ一つ元に戻していった。
今度は百合子も、声を抑えていた。鋼太郎が何度となく、オレの声でだけは喘ぐな、と言っていたからでもある。
操作を終えた鋼太郎は、視点が百合子を見下ろすものに戻ったことを確かめ、百合子にもちゃんと確かめさせた。
彼女の体の、視覚、聴覚、触覚などの感覚が全て百合子の支配下にあることを確認してから、ケーブルを抜いた。
百合子の首の後ろのインターフェースカバーを閉じてやってから、左腕の外装を閉じ、捲っていた袖も戻した。

「で、ゆっこ。オレがどう好きなんだよ?」

「ちょっと、恥ずかしくなってきた」

 元の状態に戻った百合子は、片手で顔を覆った。鋼太郎はその手首を取り、顔から外させる。

「んで?」

「んと、ね」

 百合子は照れくさくてたまらなかったが、鋼太郎を見上げた。頬が、勝手に緩んでしまう。

「前の鋼ちゃんも好きだけどね、今の鋼ちゃんはもっと好きなんだ。でっかいし、力が強いし、特撮ヒーローみたいな感じで格好良いし。あ、でも、テレビのヒーローよりも鋼ちゃんの方が格好良いって思うよ。だって、テレビのヒーローは私を助けてくれないけど、鋼ちゃんは私を助けてくれるもん。体は冷たいかもしれないけど、その分、他の部分がすっごく温かいし。ぶきっちょだけどそれが結構可愛いし、乱暴なところもあるけど男の子らしくて素敵だし、ノーコンだけど野球大好きなのはいいと思うし、もっともっとあるけど、言い切れないや。上手く、まとまらない」

「オレも、お前がお前だから好きなんだ。やかましくてちっちゃくて弱っちいけど、大事なんだよ」

 鋼太郎もまた言いたいことをまとめられなかったが、言えるだけ言った。

「それから、チョコはちゃんと喰ったからな。手紙も読んだ。お前が何をどう言おうと、オレはお前が好きだ。友達のままでいろって言われたって、無理なんだよ。それぐらい、好きなんだ。お前もそうじゃねぇのか、ゆっこ」

「うん。そうだね」

 百合子は、頷いた。

「友達同士だったら、キスしたくならないもんね」

 百合子はあの手紙の内容を思い出し、情けない気持ちになった。何をどうやっても、気持ちに嘘は吐けない。
あの手紙を書いた時は、痛みの苦しみと死に向かう絶望感に苛まれていて、悪い方向へばかり考えてしまった。
キスをされたことで、鋼太郎に好かれているかもしれないと思っても、そうじゃないかもしれないとも思った。
あれはただの哀れみであって好意ではない、と。だから、これからもずっと友達のままでいるべきだ、と。
 だが、鋼太郎の存在はただの幼馴染みでも友達でもない。とっくの昔に、百合子の中では男になっていた。
だからこそ、こんなにも好きになってしまう。ただの友達でしかなかったら、チョコレートを贈ったりはしない。
なぜ、素直に好意を受け止められなかったのだろう。変な方向に考えてしまって、頭を悩ませてばかりいた。
好きなら好きで、それでいいはずなのに。増して、それが好かれているのであれば真っ向から受けるべきだ。
素直になってしまおう。鋼太郎から好きだと言われたのだから、もう意地を張る必要などなくなったのだ。
涙が出たような気がして目元を拭ったが、何も出ていなかった。百合子はそれが残念だったが、顔を上げた。

「ね、お返しはあるの?」

「忘れたわけじゃねぇけど、何がいいのかちっとも解らなくてさ。だから、決めるのに時間が掛かっちまったんだ」

 鋼太郎は学ランのポケットから、紙袋を取り出した。

「言っておくが、お前のチョコよりもちょっと値が張るだけで安いことには変わりねぇからな! 期待するなよ!」

「うん。鋼ちゃんのお小遣いなんて、タカが知れてるもん」

 百合子は鋼太郎の手から紙袋を取ると、シールを剥がして開け、その中身を取り出した。

「あ、結構可愛いかも」

 百合子が常用しているヘアバンドと近い、シンプルな薄いピンクのヘアバンドとハートの付いたヘアピンが二本。
ラッピングも何もされていないのは、きっと急いだからだ。女の子達で溢れた店から、逃げ出す様が想像出来る。
どちらにも値札のシールが付いたままになっているところも、鋼太郎の不慣れさが現れていて微笑ましかった。
百合子はそれを見つめていたが、顔を上げた。バランスを崩しながらも背伸びをし、鋼太郎の首に抱き付いた。

「あーもう、好きー、大好きぃー!」

「うおっ」

 いきなり全身に掛かった百二十二キロの重量に耐えきれず、鋼太郎はよろけてしまった。

「大事にするねー、ちゃんと使うねー!」

「あ、ああ。んで、その、ついでにだな」

 鋼太郎は倒れないように姿勢を整えてから、百合子と向き合った。

「遅れた分の利子っつーか、なんつーかだが。かっ、彼氏にでもなんでもなってやらぁ!」

「ついでに旦那になっちまえー!」

 百合子が叫ぶと、鋼太郎は照れ隠しに声を上げた。

「そのつもりだぁっ!」

 好きぃー、と百合子は顔を緩ませながら鋼太郎にしがみ付く。鋼太郎は、寄り掛かってくる百合子の体を支える。
百合子の大きな胸が鋼太郎の胸に押し当てられて、むにゅりと潰れている。感触が解らないのが、非常に惜しい。
動物のように甘えてくる百合子を押し戻し、顎を上げさせると、彼女は目を閉じた。硬い指先で、頬を撫でる。
どちらも生身なのは脳だけであっても、鋼太郎も、百合子も、普通の人間だ。だから、彼に、彼女に、恋をした。
 百合子がかかとを上げると、鋼太郎は背を曲げた。金属製のマスクに、人工人皮製の艶やかな唇が重なる。
鋼太郎が解るのは、百合子がそこにいるということと、その表皮に施されている疑似体温の生温い温度だけだ。
百合子が解るのは、補助AIによって電気信号に変換された刺激を脳の中で再現した、錯覚のようなものだけだ。
だが、悲しくはない。長い間平行線を辿っていた心を通じ合わせ、思いを確かめ合い、感じ合っているのだから。
 この上なく、幸せだ。





 


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