非武装田園地帯




第四話 発足、サイボーグ同好会




 八回表、ワンアウト、スリーベース。
 兄の見ている野球中継を横から見ていたが、透は左腕に目線を落とした。剥き出しの、機械そのものの腕だ。
中学生女子の体格に似合わない太さの手首が曲がり、軽く軋む。蛍光灯の光で、銀色の外装が眩しく輝いた。
腕の内側から出し、長く伸ばしている充電ケーブルは、透の背後にあるコンセントに差し込まれていた。
 ケーブルの根元の上には、携帯電話の液晶画面程度の大きさしかないモニターがあり、現状を表示している。
充電率、八十パーセント。各関節部、全て異常なし。補助AI、正常稼働中。故障はないということである。
透は、そのモニターにカバーを被せた。充電が終わればアラームで知らせてくれるので、見ていなくても良い。
 八畳ほどのリビングの壁際には大型のホロビジョンテレビがあり、東京ドームの試合の映像を流し続けていた。
ホロビジョンテレビと向かい合う位置のソファーに座っている兄、亘は試合を見ていたが、透に目を向けた。

「透。学校、ちゃんと行けてるみたいだな」

「うん」

 透はメガネの下から目を上げ、兄を見上げる。

「お兄ちゃんこそ、大丈夫?」

「なんとかな」

「また、野球部?」

「まぁな。今更他のに鞍替えする気もないし、野球が一番性に合ってるから」

 そう言って、兄は再びホロビジョンテレビに向いた。透は捲り上げていた左腕の袖を、肘まで戻した。

「学校に、サイボーグの子がいるって話はしたよね?」

「ああ、聞いた」

「その、ね、二年生の黒鉄君。黒鉄君も、野球、好きなんだって」

 気恥ずかしいのか、口調は辿々しかったが弾んでいた。亘は妹の頼りない笑顔を見下ろし、内心で安堵した。
父親の行動は、間違っていなかった。思い切って環境を変えたことで、沈み込んでいた透に覇気が戻ってきた。
 透が交通事故で左腕を失ったのは、不運としか言いようがない。中学一年生の始め、通学途中に訪れた災いだ。
歩道を歩いていた透の傍を、猛スピードでバイクが通り抜けたその時に、左腕がライダーに接触してしまった。
勢いを失わないバイクに押され、ライダーと透は吹っ飛ばされた。ライダーは歩道へ、そして、透は車道へ。
いきなり車道に降ってきた透を、避けきれなかった乗用車の後輪が左肩から先を全て潰し、ただの肉塊と化した。
失血死は免れたものの、左腕の神経や骨はダメになっていて切断せざるを得ず、サイボーグ化手術を行った。
 当初、透は機械の腕を付けることを拒絶した。だが、父親と亘や医師達の説得で、透は手術を承諾した。
そして、サイボーグ化手術は無事成功し、透は以前とほとんど変わらずに自在に動く新しい左腕を付けた。
だが、透はそちらの腕をあまり使おうとはしない。左腕が、大きなコンプレックスとなってしまったからだ。
 病院から退院しても外へは出ようとせず、教師が家に来ても学校に行こうとはせず、自分の内に閉じ籠もった。
日に日に生気が失せていく透を見ていられなくなった父親は、東京を離れ、縁もゆかりもない土地に越した。
 それが、鮎野町だ。何も知らない場所で暮らしを始めるのは、透だけでなく父親や亘にとっても厳しかった。
だが、引っ越しの忙しさや目新しいものに囲まれるうち、次第に透は生気を取り戻し、また笑うようになった。
 鮎野町の中学校にも、ちゃんと行けている。最初は心配したが、友人も出来たようで、亘はほっとしていた。
環境を変えることは、賭けでもあった。現状に付いていけなくなり、以前にも増して閉じ籠もる可能性もあった。
 しかし、透は立ち直った。透自身も、あのままではいけないと思っていたからこそ立ち直れたのだろう。
部品が小さめな顔には不釣り合いな、レンズが大きいメガネが上がった。透は兄を見つめ、首をかしげる。

「何?」

「いや、別に」

 亘は、透から目を外した。透は足を曲げ、膝を抱える。

「お父さん、遅いね」

「どこまで行っちまったんだか」

 亘が舌打ちすると、透は少し可笑しげにした。

「仕方ないよ。この辺りの景色は綺麗だから、遠くまで行っちゃいたくなるもん」

「まぁ、綺麗だとは思うよ、オレも」

 亘はソファーの上で胡座を掻くとベランダの窓に向き、半分に欠けた月が浮かぶ夜空を見上げた。

「その分、めっちゃめちゃ不便だけどな」

「私は、これぐらいの方が好き。あっちはなんでもあるけど、ごちゃごちゃしすぎてて、ちょっと息苦しかった」

 透は兄に倣い、夜空を見上げた。藍色の重たい闇の中で、無数の星々が瞬いている。

「だから、こっちの方が、ずうっと楽」

 半月の前を、ゆっくりと横切る光があった。人工衛星よりもやや大きいので、恐らくスペースコロニーだろう。
透は膝に頬を当て、目を細めた。生まれ育った都会よりも、地方の片田舎の方が自分の性に合っている。
建物がせせこましく詰め込まれていないので風が通り抜けるし、何よりも空が広く、景色がどこまでも見える。
 青い空と残雪の残る山脈、鮮やかな日差し、山々に茂る木々の色合い。目に映るものが、どれも優しかった。
中学校も、まだまだ不安は残っているが、鋼太郎と百合子と正弘と友人になれたことで不安は大分軽減した。
元々、友達は少ない方だった。それが、交通事故で左腕を失ったことを切っ掛けにますます少なくなった。
彼らは近付いてきてくれるのだが、気の弱さからその好意を受け止められずに逃げてしまい、距離が空いた。
 鮎野町にやってきてからは、それではいけない、と思い直して勇気を出そうと思ったが上手く行かなかった。
同じクラスの生徒達は、透が転校生であることと一つ年上であることで躊躇し、あまり近付いてこなかった。
透も近付こうとはしたのだが、一歩が出せなかった。話し掛けることも出来ない日々が、続いていた。
 そこに現れたのが百合子だ。見るからに元気が良いのに、やけに小さな体格が目に付き、気になっていた。
明るい笑顔と弾けた声に、惹かれてしまった。上級生だけど、彼女となら仲良くなれるかも、と思った。
 百合子の持ち掛けてきたサイボーグ同好会の話は、魅力的だ。もっと仲を深めて、本当の友達になりたい。
だが、躊躇を感じていた。自分なんかが彼らの近くにいて良いのか、と迷いが生じ、答えられなかった。
今日の昼休みに百合子から話をされた時、すぐにでも返事をしたかったが、迷いのせいで言葉に詰まった。
 結局、答えられないうちに昼休みは終わり、学年が違うので会うに会えないまま放課後が訪れ、下校した。
明日こそ、百合子にちゃんと返事をしよう。透は静かに決意を固めながら、膝を抱えている手に力を込めた。
 重たい左腕は、電気を喰らっていた。


 左腕の充電を終えた透は、自室に戻っていた。
 畳敷きの六畳間は引っ越しの荷物がまだ残っていて、部屋の隅では段ボール箱がいくつも積み重なっている。
いい加減に片付けないと、とは思うがなかなか手を付ける気にならない。透は、スケッチブックを広げた。
画材の散らばるテーブルに置き、ペン立てに差してある色鉛筆を抜くと、描きかけのスケッチに色を足していく。
大雑把に線を引いただけの景色に、幾重にも重ねて色を載せていく。単調な作業だが、これが楽しいのだ。
 良い景色を描くのが好きだが、色を載せる作業が一番好きだ。これをやるために、描いているようなものだ。
淡いグラデーションを付けながら空を作っていたが、透はその手を止めて、気恥ずかしさで顔をしかめた。

「…見せるんじゃなかったかも」

 今更ながら、他人に自分の絵を見せてしまったことを後悔した。技術も才能もない、ただの趣味のものだ。
それを、話に詰まってしまったからといって、正弘に簡単に見せてしまうとは。それも、初対面の時に。
 なんて恥ずかしいんだろうか。見たいと言われたから見せたが、やはり、不完全な作品は情けなくて仕方ない。
もう少しちゃんと仕上げた絵ならまだ恥ずかしくないが、正弘に見せたのはラフであり、下書きの下書きだ。
 言うならば、素の自分のようなものだ。透は色鉛筆を置くと、気恥ずかしさを紛らわそうと、頬を押さえた。
赤面しているらしく、頬はほんのりと熱を帯びている。それを感じると、尚のこと気恥ずかしさは強くなる。
 他人から見れば大したことではないのだろうが、透にとっては大事だ。う、と力なく唸って肩を落とした。
こんなことを恥ずかしがっているようでは、ダメなのに。少しは強くならなければ、と思うがどうにも出来ない。
仕上げ途中の絵から顔を上げた透は、メガネをずらして目元を擦った。情けなくて情けなくて、泣けそうだ。

「せめて、もうちょっと、どうにかならないかなぁ」

 はぁ、とため息を零していると、布団の枕元に置いておいた携帯電話が震えて着信メロディーが鳴り響いた。
こんな時間に誰だろう、と透は身を乗り出して携帯電話を見下ろし、サブウィンドウを見てぎょっとした。

「あ、わぁ!」

 まさか、メールアドレスを教えたその日にメールを送ってくるとは。予想していなかった事態に、透は動転した。
電子音のメロディーに合わせてバイブレーションを続けている携帯電話を、そっと取り上げ、フリップを開く。
 白金百合子。下校してすぐに、アドレス帳に入力した名前だ。透は妙に慌ててしまい、あう、と声を上擦らせる。

「ど、ど」

 どうしよう、と言おうとしたが、詰まってしまった。だが、考えてみたらこれは電話でなくてメールなのだ。
電話ではないのだから、そんなに困らなくても良かったのではないか。そう思ったら、また情けなくなった。
透は、とりあえず深呼吸した。慎重な手付きでボタンを操作してメールを開くと、可愛らしい文面が現れた。

  透君、こんばんはv (^ー^) 
  せっかく教えてもらったので、メールしちゃいました! (^▽^)
  明日も、色んなことを話そうね! 

「…どうしよう」

 先程言えなかった言葉を呟き、透はぺたっと布団の上に座り込んだ。彼女に、どんな返事を返せばいいのだ。
百合子からのメールが嬉しいのは確かなのだが、嬉しすぎたのか動揺してしまい、思考がまとまってくれない。
 ブルーの携帯電話を凝視したまま、透は固まっていた。文面を考えようとしても、さっぱり出てこなかった。
当たり障りのない返事をするべきか、口では言いづらいことを書こうか、百合子に合わせて顔文字を使おうか。

「ええと」

 独り言を漏らしながら、透は百合子のメールを読み返した。ただの挨拶で、それ以上でもそれ以下でもない。
ならば、こちらもそのようなメールを返すべきだ。透は気を落ち着けてから、あまり長くないメールを打った。

  こんばんは。メール、ありがとうございます。
  こちらこそ、明日もよろしく。

 それを送信してから、あまりの余所余所しさに透は少し後悔した。もう少し砕けた文章にすれば良かった、と。
携帯電話を持ったまま俯いていると、手の中で震えた。驚いて落としそうになったが、なんとか持ち直した。
また、百合子からのメールだった。打つのが早いなぁ、と思いながらメールを開いて二通目の文章を読んだ。

  そういえば聞いてなかったけど、透君のこと、君付けで呼んで良かったのかな? (?○?)
  名前が男の子みたいだったから、思わずそう呼んじゃったけど f(^_^;)

 それは、昔からよくあることだ。外見もどちらかと言えば少年っぽいので、ちょくちょく男だと間違われてしまう。
気にしてはいないので、あまり嫌だとは思わなかった。それどころか、愛称で呼んでもらったことが嬉しかった。
これは、素直に伝えるべきだ。透は独りでに起きてくる照れを気にしないようにしながら、返信のメールを打った。

  気にしないで下さい。私は、嬉しいくらいなので。

 えい、と送信し、透は顔を伏せた。顔を合わせているわけではないのに、メールなのに、どうしても照れてしまう。
相手は女子なのだから、別に意識する必要はないのに。生来の気の弱さも、ここまで来ると厄介でしかない。
また、すぐに返信があった。今度は一分も経っていない。凄いなぁ、と感心しながら百合子のメールを開く。

  じゃ、私のことはゆっこって呼んで! (*^_^*) その方が好きだからvvv

 透は口元を綻ばせながら、更に返信した。

  了解しました。

 百合子からのメールは、途絶えた。透はそれが残念だったが、安堵してもいた。次第に緊張が解けていく。
しかし、呼べるのだろうか。今まで付き合いの深い友人などいなかったから、あだ名で呼び合ったことなどない。
 口の中で、どうしよう、と漏らしてから透は背を丸めた。だが、百合子にああ言った手前、そう呼ばなければ。
明日への期待と共に、不安がじわじわと広がる。だが、開き直るしかない。透は、ぼすっと布団に倒れ込んだ。

「頑張ろう」

 せっかく出来た友達だ。仲良くしたい。そのためには、いつまでも引っ込んでばかりいてはいけないのだ。
厚手の掛け布団に顔を埋めていた透は、体を傾げて横に倒れた。背中を丸めて、そっと両腕を抱き締める。
慣れないことばかりで、気を張っていることが多い。ずっと続くと楽ではないが、沈んでいるよりかは良い。
 左腕を失ったばかりの頃は、暗闇の底にいた。新しく付けられた機械の腕が恐ろしくて、泣いてばかりいた。
あの頃は、何も感じることが出来なかった。心が感覚を失っていて、現実を受け止めることを拒絶していた。
思い出すだけで、嫌になる。もう、あんなことにはなりたくない。だから、必死に這い上がっていかなければ。
 透は唇を噛み締めていたが、表情を固め、体を起こした。少しずれたメガネを元に戻してから、机に戻った。
スケッチブックに描いた景色は、三分の二ほど色が付いている。もう少し粘れば、仕上げることが出来るだろう。
 これが終わったら、次は宿題だ。念のため、予習と復習もしておかなければ。透は、色鉛筆を手に取ろうとした。
無意識に伸ばした左手を、引っ込めた。白い綿の手袋に包んだ機械の手を握り締めて下げ、膝の上に載せた。
 改めて右手を伸ばし、群青色の色鉛筆を抜き取った。画用紙の上に滑らせて色を加え、空の色に厚みを与える。
雪解けが始まったばかりでまだまだ白が残っている山に陰影を加え、針葉樹林の黒っぽい緑には光を施した。
 画用紙の上に、透だけの世界を形作っていった。





 


06 10/13