その、翌日。 給食を食べられない鋼太郎と正弘は、いつものように、時間潰しのキャッチボールを終えて校舎裏に向かった。 校舎の影によって、薄暗く湿気ている。まばらに植えられた木の間から見える田んぼは、もう雪が解けている。 泥の間に溜まっている雪解け水が、明るい日差しできらきらと輝き、吹き付ける風は以前よりも温かかった。 グローブに拳を叩き付け、鋼太郎は校舎の壁により掛かった。正弘はスラックスのポケットに、手を入れている。 しばらく、お互いがお互いを窺っていた。先に言葉を発したのは、鋼太郎だった。鋼太郎は、グローブを下ろす。 「で、ゆっこのアレ、そのままでいいんすか?」 「何が?」 「だから、名前っすよ、名前。どうせならこう、もうちょっといい感じのが良くないっすか?」 「例えば?」 「…なんだろう」 鋼太郎はすぐには思い付かず、言葉に詰まった。正弘は少し首をかしげ、鋼太郎を見やる。 「オレも、他に良いのがあるんじゃないのかとか思ったが、これといって思い付かないんだよな」 「結局、サイ同で本決まりってことっすか?」 「みたいだな」 正弘は、校舎裏に近付く足音に気付いた。ローファーの硬い靴底が、砂利と土を踏み締める音がやってくる。 それは、二人分あった。二人は言葉を交わしているようだが、聞こえてくる声の片方だけがやたらと大きい。 もう一方の声は消え入りそうなほど弱々しく、吹けば飛んでしまいそうだ。百合子と透に、間違いない。 ひび割れたコンクリート壁の影から、百合子が顔を覗かせた。逆光で広い額が照り、長い髪が流れ落ちる。 「鋼ちゃん、ムラマサ先輩!」 「こんにちは」 百合子の陰に隠れながら、透がおずおずと顔を出した。といっても、百合子の方が小さいので既に見えている。 「おう」 鋼太郎が素っ気なく返すと、百合子は透の手を取って引っ張りながら、二人の元に小走りに駆け寄ってきた。 透は、百合子に掴まれた左手を振り解くタイミングを失ったのか、足を止めても左手を掴まれたままだった。 大きなメガネの下で、視線が彷徨う。口元に手を添える頼りない仕草に、鋼太郎は視線を止めていた。 肩を縮めているので、セーラーの襟も縮こまっている。透は、今にも逃げ出してしまいそうな様子だった。 百合子に視線を戻すと、百合子もなぜか表情を固めていた。珍しく緊張しているのか眉根を寄せていた。 透が挙動不審なのはいつものことだが、百合子まで黙るのは不可解だ。鋼太郎は、正弘と顔を見合わせた。 百合子は透の手を放してから、丈の長いプリーツスカートをぎゅっと掴んだ。緊張のためか、頬が少し赤い。 鋼太郎と正弘と透の視線が、自然と百合子に向く。百合子は目線を落としていたが、そっと顔を上げた。 「えー、とぉ」 「要は、昨日の話の続きだろ」 サイ同の、鋼太郎が付け加えると、百合子はむっとした。 「いきなり略さないでよ。なんか、それだとカッコ悪いじゃんか」 「別にいいじゃねぇの。長いと面倒だし」 鋼太郎が言い返すと、百合子はかかとを上げて鋼太郎との距離を狭める。 「面倒じゃないもん!」 「それ以上続けても、水掛け論だからその辺りにしておいたらどうだ。昼休みはそんなに長くないんだ」 正弘に言われ、鋼太郎は素直に身を引いた。 「あ、そうっすね」 「え、えっと、どこから、話をしましょうか」 透がか細く言葉を発すると、百合子は吊り上げていた眉を戻した。 「採決から始めようか」 「今更、反対意見が出るとも思えないけどな。オレは、賛成だ」 正弘が少し笑うと、透は何度も頷いた。そのせいで、メガネが少しずれた。 「はい、そう、思います。あ、えと、私も賛成です」 「オレも、一応賛成だ。けど、別に名前はいらねぇと思うけどさ」 鋼太郎の余計な一言に、百合子はまたむっとしたが気を取り直した。 「無論、私は発起人なんだから賛成だ。じゃ、賛成四に反対ゼロで可決ね!」 「あ、あのぅ」 小さく、透が挙手した。百合子は振り返り、透を見上げた。 「なあに、透君?」 「こういう、シチュエーションで、良くあるパターンって言うか、お約束って言うか、えと、あの」 透は半歩ずり下がりながら、続けた。 「チームを組んだりすると、リーダーを誰にするかで、よく、揉めますよね?」 「まぁ、お約束だな」 正弘が頷くと、透は目線を足元に落とした。声は、更に細くなる。 「だから、その、いっそのこと、そういうのは、決めない方が、すんなり、事が進むんじゃないかと、思うんです」 「一理あるな」 うん、正しい、と鋼太郎も頷いた。百合子だけはなんだか不満そうだったが、納得した。 「それもそうだよね。私達は地球を救うサイボーグ戦隊でもなんでもないんだから、リーダーはいらないよね」 「あ、でも、そうなったら、年功序列で、ムラマサ先輩が…」 と、透はそっと正弘を示した。正弘はきょとんとしたが、すぐに笑い出した。 「だったら、鋼の方が適任じゃないか? いかにもロボットアニメの主人公な名前をしてるじゃないか」 「あ、そうですね、そんな感じ、します」 透がくすっと笑うと、百合子は高々と手を挙げた。 「じゃあ私はヒロインだー! 基本的に役立たずだけどたまに役立つ系の!」 「よおし、それなら巨大ロボでも何でも操縦してやろうじゃねぇか。んで、敵はなんだ、宇宙人か?」 鋼太郎が釣られると、百合子は人差し指を立てて横に振る。 「宇宙人なんて、このご時世にありがちでつまんないじゃんか。どうせなら、もっと凄いのと戦おうよ!」 「そうですね。異星人の存在は確認されてるし、交流もあるし。ちょっと、リアリティがありすぎて」 フィクションっぽくないです、と透は小さいながらも声を弾ませた。正弘は、太い腕を組む。 「じゃあ、地底人か?」 「先輩、それ、二十世紀のセンスっす」 鋼太郎が半笑いになると、正弘は少し照れくさそうに自嘲した。 「仕方ないだろう、思い付いたんだから」 「え、ええと、モンスター、とか?」 透の提案に、百合子は頬に手を添えて首を捻る。 「それはそれで面白いかもねー、うん」 「やっぱり、ストレートに宇宙人でいいだろうが。宇宙空間で巨大ロボを駆る正義のヒーロー、王道だな」 そしてその役目はオレだ、と鋼太郎は胸を張る。百合子は、ぱんと両手を叩き合わせた。 「そうだ、隕石! 地球に落下する隕石とか、彗星の破片とか、スペースデブリとかを地味ーに破壊するの!」 「でも、絵は、派手ですね。爆発、しますから」 透は、楽しげにする。百合子は鋼太郎を示した。 「さあ、鋼ちゃん! 宇宙へ行け! 鋼ちゃんの両肩には七十億の人類の命が掛かっているぞっ!」 「無駄にスケールがでかくなったな」 どうするんだ、鋼、と正弘が鋼太郎に向いた。鋼太郎は目を輝かせている百合子に、ふと我に返った。 「ていうか、ゆっこ。オレら、何の話をしてんだ?」 「そりゃ、サイボーグ同好会のこれからについてに決まってるじゃんかー」 けたけたと百合子が笑う。正弘は、上擦り気味の声を押さえている。 「途中で思い切りずれたけどな」 「あ、それと、その隕石とかスペースデブリに未知の宇宙生命体が取り付いていたら、話はもっと膨らみますよ」 「透君、いいねぇそれ! さあ鋼ちゃん、進め、戦えー! 宇宙の戦士、アイアンコータロー!」 透の言葉を受け、百合子は威勢良く叫ぶ。鋼太郎は、手を横に振る。 「なんだよ、そのオレの名前を直訳しただけの通称は。マジ格好悪すぎだっての。つーか、もうやめようやこの話。収拾が付かなくなりそうだ」 「で、その宇宙生命体にも善悪があって、善の方が鋼の味方をする展開になったら、また面白そうだな」 正弘が続けると、鋼太郎は驚き混じりに声を上げた。 「ムラマサ先輩までするんすか、この話!」 「んで、その宇宙生命体が宇宙一の美少女っていうのはお約束だから、もうちょっと捻ろうかー」 はい、鋼ちゃんの番、と百合子は鋼太郎に話を振った。鋼太郎はいきなりのことに戸惑いながらも、考えた。 「急にそんなん言われても…。美少女以外、っつったら、なんか、こー、変な小動物とかか?」 「それで、その小動物はおかしな語尾を付けて喋るんですよね」 と、透が繋げる。百合子は細い腰に手を当て、真っ平らな胸を張って鋼太郎を指差す。 「でもってその小動物は、鋼ちゃんと連携関係にあるにも関わらず、仲が悪いのだー!」 「戦闘中に口喧嘩を始めたりな」 「あー、ありがちっすねー」 鋼太郎は話の流れを断ち切ることを諦め、正弘に返した。なんだかんだで、この話題が楽しくなってしまった。 巨大ロボの仕組みがどうの、敵の宇宙生命体の姿がどうの、二号ロボとの合体がどうの、と延々と話していた。 ありがちだ、と言っていたわりには敵は宇宙人に決まっている。やはり、思い付くのは、その程度なのだ。 下らない話題ほど、盛り上がってしまうものだ。四人は昼休み中、ロボットアニメのような話を続けていた。 鋼太郎は、これでいいのかと思う瞬間もあったが、これでいいのだろうと思い直して釣られて笑っていた。 百合子は、お父さんの言った通りだった、怖くなんてなかった、と思い、これからの日々が楽しみになった。 透は、ちゃんと自分の意見が言えたことに満足していたが、この次はもう少し頑張ろう、と決意を改めた。 正弘は、抑えようと思っても高揚してしまう気分に戸惑いながらも、抗わずにこの下らない話を楽しんでいた。 サイボーグ同好会には、目的も理由もない。あるものは、四人のサイボーグ達が抱えたささやかな願いだけだ。 機械の体と引き替えに失った、日常を取り戻すために。そして、機械の体と共に得たものを、確実にするために。 願うことは、ただそれだけだ。 06 10/14 |