グレン・ルーとベッキーを交えた宇宙旅行は、更に一週間続いた。 惑星プラトゥム周辺の宙域は宇宙連邦政府の派遣した軍艦が三隻航行していたが、大した問題ではなかった。 ジェニファーは惑星プラトゥムに不時着した開拓植民船の搭乗員から依頼を受けたが、本当の輸送も行っていた。 なので、太陽系統一政府の発行した渡航証明書も本物の身分証明も持っていたので、審査は楽に突破出来た。 ありとあらゆる星系で重大犯罪を犯している星間犯罪者であるグレン・ルーだけは、そうもいかなかったのだが。 宇宙連邦政府軍の審査官に積み荷を調査される間に、グレン・ルーはその超能力を使って惑星に降下した。 彼のテレポート能力は、度重なる脳改造のおかげで、通常のテレポートよりも遥かに膨大な距離を移動可能だ。 そして、宇宙船は隠す必要はない。アウルム・マーテルの力を得た人造機械生命体、ベッキーが宇宙船だからだ。 ベッキーは見た目は幼女だが、アウルム・マーテルのエネルギーを解放すれば体組織を数千倍に増殖出来る。 金属細胞の質量自体を変化させ、自在に変形させることで、ベッキーは戦艦級の宇宙船にすら巨大化出来る。 当然、外見や性能はグレンの任意で変えられるので、変形するたびに外見を変えれば足も付きづらいのである。 太陽系から運んだ物資を開拓植民船スペレッセ号に積み込むため、ジェニファーは惑星プラトゥムに降下した。 コルリス帝国軍のオペレーターの指示に従い、ダンディライオン号は帝国領土内の広大な平原に船首を向けた。 メインの宇宙港は帝国軍と宇宙連邦政府軍が使用しているので、民間船はそれ以外の場所に下りるしかない。 臨時宇宙港となった平原に全長千八百メートルの船体が降下すると、重力場が変化して地面の石が浮かんだ。 自重で船体が埋まり込んでしまわないために重力レベルを中和すると、船体の周囲の石や草の動きも安定した。 機動歩兵のボディに意識を戻したセバスチャンと共にジェニファーが船を下りると、帝国軍兵士が待っていた。 ウサギに似た長い耳とイヌに似た長い尾を持つ大柄で筋肉質な兵士だが、髪がブルーなので女性だと解った。 これについては事前に知り得ていたので特に驚くこともなく、ジェニファーは女性兵士の言う通りに作業を始めた。 セバスチャンの他に予備の機動歩兵を二機使って大量の積み荷を降ろし、帝国軍の大型輸送車に積み込んだ。 審査後にスペレッセ号に積み込む、と言ってから、女性兵士は大型輸送車を操って都市部へと向かっていった。 「さて」 ジェニファーは振り返り、セバスチャンとAIのない二機の機動歩兵を仰ぎ見た。 「私達の本当の仕事は、これからよ」 〈承知しております、マスター〉 セバスチャンが礼をすると、他の二機も礼をした。ジェニファーはポニーテールを解き、涼やかな風に流した。 「その前に、ちょっとシャワー浴びてくるわ。セバスチャンはその子達を片付けておいて」 〈了解しました、マスター〉 セバスチャンは再度礼をしてから、二機の機動歩兵を伴って格納庫に戻ったので、ジェニファーも船内に戻った。 情報端末を使ってブリッジの機能の大半を落としてあることを確認し、セキュリティも確認してから、自室に入った。 体の至る所に装備した武器を外し、全身を覆うパイロットスーツを脱ぎ、髪を解くと、少しだけ気分が楽になった。 アンダーウェアを脱いでから姿見に己の裸身を映したジェニファーは、しばらく眺めていたが、奥歯を噛み締めた。 多少は手を入れてあるが、女としての機能は損なっていない。乳房も臀部も太股も子宮も本物だ、偽物ではない。 なのに、そのどれもマサヨシを惹き付けない。彼の心を捉えているサチコという女は、そんなに優れた女なのか。 だが、ジェニファーが調べた限りではそうとは思えない。魅力に溢れるどころか、女らしさは欠片もなかっただろう。 優秀な成績で大学を卒業し、次元管理局では研究に没頭し、彼と恋をした、寸分も隙のない潔癖で清潔な女だ。 どんな匂いの女なのか、容易に想像出来る。化粧の匂いはなく、消毒薬とボディソープぐらいしか香らないだろう。 何の面白味もない、硬いだけの女。色気を持たない女。なのに、マサヨシの心を奪い、死して尚も縛り付けている。 考えれば考えるほど生臭い嫉妬に駆られるので、ジェニファーは温度を上げたシャワーを浴び、気を晴らした。 格好悪い。情けない。馬鹿げている。そうは思うものの、久々の恋は忘れかけていた女の本能を揺さぶってくる。 彼の心を全て奪えたら、どれほど幸せだろうか。 激痛の最中、グレンは意識を取り戻した。 神経の切れた指先を動かして腹部をまさぐるが、胴体が切断されている。心臓も破られ、鼓動は沈黙している。 出血は止まっているが、頸椎にヒビが入っているので、首を動かすと飛び上がりそうなほどの激痛が駆け巡った。 しかし、四肢が折れている上に下半身がないので上手く動けない。グレンは血混じりの唾を吐き、深く息を吸った。 ぼやけた視界に入る空は冴えた青で、肺に満ちる空気も有機的な匂いが入り混じり、なかなかの上物だった。 このままぼんやりしているのも悪くないが、そろそろ再生させなければ。グレンは意識を強め、折れた骨を繋いだ。 体内に充ち満ちた無数のナノマシンに思念で命令を送り、最初に腕の骨を再生させてから上半身を起こした。 無惨に叩き折られた背骨を浮かせてから、前方にだらしなく転がっている下半身の腰骨に押し当て、再生させる。 破れた皮膚が広がって破損部分を包み、筋肉組織がうねりながら伸びて接続していき、血管の切断面も繋がる。 しばらくすると神経組織も復活して、感覚が戻ってきた。グレンは折れた足を元に戻して、苦々しげに舌打ちする。 「あーあ。まーた負けちまいやがった」 左手の骨の位置を直して繋げながらグレンがぼやくと、背後に巨体のロボットが着地し、幼い声を発した。 「仕方ありませんよー、御主人様ー。ギルディーンさんはー、御主人様よりー、ずうっと強いんですからー」 それは、ベッキーだった。身長一メートル弱のメイド姿の少女から、全長五メートル以上の巨体に変化していた。 両腕には近接戦闘に適した武器をいくつも備え、背面部には宇宙でも航行可能なスラスターが装備されている。 名残らしい名残は、両側頭部に付いたピンク色のドリルだけだ。グレンは鋼鉄の少女を見上げて、唇を曲げた。 「んで、フォルテ皇女は?」 「とっくに引き上げちゃいましたー。フォルテ皇女の乗っていた皇族専用飛行艇の現在位置はー、ここから南西に百二十キロのー、帝国軍基地ですー」 ベッキーは身を屈め、グレンに顔を近寄せた。グレンはずたずたに切られたコートを探り、タバコを取り出した。 「だったら深追いするだけ無駄だな。報酬、先払いにしといて良かったぜ」 グレンは己の血が入ってしまった肺に紫煙を入れて、思い切り咳き込んだが、気を紛らわすために吸い込んだ。 銀河系最強と名高い戦闘サイボーグ、ギルディーン・ヴァーグナーに殺されたのは、これが初めてではなかった。 その二つ名は不死鳥。いかに苛烈な戦況も乗り越え、生き抜き、その背に炎の翼を広げて宇宙を駆けるからだ。 太陽系の土星圏コロニー出身の人間で軍人だったが宇宙海賊との交戦中に体を失い、フルサイボーグと化した。 指揮官としての実力は疑わしいものがあったが、戦士としての実力は高く、サイボーグ化してからは顕著になった。 ギルディーンは今時珍しく、レーザーブレードは使わずに特殊合金製の分厚く巨大な剣を振り回して戦っている。 場合によっては熱線銃も使うこともあるが、射撃が下手なので最終的にはバスタードソードで敵を殲滅するのだ。 要するに馬鹿力で押し切ってしまうタイプだが、巨体の割に瞬発力もあり反射速度も速いので侮れない戦士だ。 グレンは血臭の混じった紫煙を吐き出しつつ、周囲を見渡した。一面に帝国軍兵士の死体が散らばっている。 そして、ベッキーの分厚い手や足に返り血が大量に付いている。恐らく、グレンが倒された後に戦ったのだろう。 グレンがコルリス帝国第一皇女フォルテを暗殺するべく戦いを仕掛けたのは、フォルテが国内を移動した時だ。 護衛艇と皇族専用飛行艇が帝都の基地から飛び立ったので、戦闘機に変形したベッキーに搭乗して追跡した。 だが、未来の皇帝たるフォルテは愚かではない。ある程度の距離を保って、グレンを辺境へと連れ出したのだ。 その辺りはグレンも予想通りだったので、フォルテとその近衛兵の指示に従って着陸したが、その瞬間を狙った。 着陸直後は、どんな輩でも隙が出来る。グレンはフォルテの首を刎ねるべく、皇族専用飛行艇に奇襲を掛けた。 戸惑う兵士達を薙ぎ倒し、撃ち殺し、切り捨てたグレンは、側近に囲まれたフォルテを殺すべく刃を振り上げた。 だが、それは分厚い剣に阻まれてしまった。フォルテの傍に控えていた装甲兵は、ギルディーンだったのである。 ギルディーンはグレンの刃を跳ね上げたかと思うと胴体を切り付け、深手を負わせてから連絡艇から投げ捨てた。 その後は、至って解りやすい展開だ。ギルディーンの剣に滅多打ちにされ、出血多量で意識を失ったのである。 しかし、グレンは死ななかった。というより、不死身なのだ。生来の特異体質と合わせ、改造を繰り返したためだ。 驚異的な再生能力と併合させて、体内に注入してある数億のナノマシンを操って破損した組織を再生するのだ。 ベッキーに意識を移しておけば、脳が粉砕されても再生出来るが、それは面倒なのでいつも頭部は守っている。 「余裕じゃねぇか、クソ野郎」 不意に、頭上から聞き慣れた低い声が聞こえた。グレンは途端に歓喜し、治ったばかりの足で立ち上がった。 「ギルちゃん!」 「だぁからいい加減に死ねっつってんだろうが!」 マントの下から出したスラスターから炎の翼を噴出している銀色の重剣士が、日差しを背負って浮かんでいた。 彼はスラスターを切ってグレンの前に飛び降りると、右手に携えていた剣をグレンの腹部に勢い良く突き立てた。 「死体の確認に来てみりゃ、いつもこうだ! この前脳漿ぶちまけてやったじゃねぇかよ、なのになんでまだピンピンしてんだよてめぇは! あー腹立つう!」 剣士、ギルディーンが苛立ちをぶちまけながら剣を捻るので、グレンは再生したばかりの腸が千切れて呻いた。 「あう…それちょっとヤベェ…腸が超痛い…」 「てめぇが死んでくれねぇと、タダ働きみてぇで嫌なんだよ」 グレンの腹部からバスタードソードを引き抜いたギルディーンは、分厚い装甲に覆われた肩に剣を担いだ。 「えぇー、それっていいことじゃん。どっちにとってもさぁ」 グレンはナノマシンを操作し、神経を黙らせて全身を駆け巡る痛みの感覚を消し、ギルディーンに笑いかけた。 「良くねぇよ」 ギルディーンは、不機嫌極まりない口調で吐き捨てた。彼の外見は、サイボーグと言うよりも騎士に似ている。 ヘルムに似た外装の付いた頭部には赤い頭飾りを靡かせ、背には防刃防弾防光線加工の深紅のマントが翻る。 光学兵器すら弾く積層装甲に覆われた体は銀色に輝き、屈強な腕は宇宙船の外装すら破壊出来る力を秘める。 赤いマントの下に隠されているスラスターも宇宙仕様だが、専ら直進するばかりなので性能は生かされていない。 口調こそ若々しいが実年齢はそうでもなく、リリアンヌ号の操舵士であるレオンハルト・ヴァーグナーは曾孫である。 「んで、そっちはどうなの?」 グレンは腹部の傷を塞ぎながら尋ねると、ギルディーンは顔を背けた。 「今し方殺した敵に、ほいほい情報を漏らしてたら傭兵なんてやってらんねぇよ」 「だったら、俺の方から先に話しちゃおっかなー、今回の背景」 にたにたしながらギルディーンに擦り寄るグレンに、ベッキーは首を傾げた。 「でもー、御主人様ー。依頼主からはー、情報は死んでも漏らすなーって契約じゃありませんでしたかー?」 「いいのいいの、一度死んだんだから」 グレンはギルディーンの太い腕に手を添え、にんまりと笑む。 「それにぃ、なんだかんだ言って俺の情報が欲しいんだろぉ?」 「いらねぇよ。俺にも色々と筋があるからな」 「あぁん、そんな連れないこと言っちゃやだぁーん」 「気色悪ぃんだよ!」 ギルディーンが嫌悪感丸出しに叫ぶが、グレンは怯まない。 「でもでも、俺の情報の方が確実だぞぉ。間に誰も挟んでないし、愛しのギルちゃんには嘘吐きたくねぇしぃ」 「いつもいつも回りくどい罠張って俺を填めてやがんのはどこの誰だ」 「あれはあれ、これはこれ」 ギルディーンの背中にぴたりと寄り添ったグレンは、血と泥に汚れた頬を少女のように赤らめた。 「首落とすぞ」 すると、ギルディーンの分厚い剣がグレンの首筋に当てられ、刃が食い込んできた。グレンは、渋々後退る。 「解った解った、離れるさ。この状態で首落とされたら、さすがにまずいんでね」 「てめぇの情報ってのは何だ」 ギルディーンは剣を下げ、グレンに問うた。グレンは、薄皮の切れた首筋を押さえながら返す。 「センティーレ星系の政治経済絡みの割と金になりそうな情報と、太陽系周辺のきな臭い情報とどっちがいい?」 「面白そうなのは後者だな」 「じゃ、ギルちゃんにだけ特別に話してやろう」 グレンは三つ編みを揺らしてギルディーンの前に躍り出ると、満面の笑みを浮かべた。 「惑星級宇宙戦艦テラニア号は存在しない」 「なんだそりゃ」 「そうなんだから仕方ねぇじゃーん。俺だって色々と調べてみたんだぜ、政府の公文書とか画像とか動画とか個人のテキストとか。そういうデータ上じゃあるってことになってんだけど、実際にテラニア号が浮かんでいるはずの宙域には何もねぇんだよ」 「テラニアって、あれだろ? 第二の地球を創造する、ってコンセプトで百年単位の計画で建造されていた奴だろ? 造られているのは知っているが、宙域に浮かんでねぇのは建造途中だからなんじゃねぇのか?」 「宇宙戦艦っつっても惑星規模だぜ? どう考えたって、普通の造船業者じゃ造れねぇに決まってんだろうが。だから、宇宙空間に浮かばせて組み立てているはずで、船体に用いる馬鹿でかい部品も造られているはずなんだが、どこをどう探っても出てこないんだよ。テラニア号の部品の材料を調達している惑星も、建造に携わっている軍人も民間人も、何一つ見当たらないんだよ。資料通りの規模だったら、どこかから必ず情報が漏れてくるはずだし、何より目撃されるはずだ。なのに、それすらない。ってーことはだな」 「統一政府はテラニア号の建造を名目に資金を横流ししている、ってことか?」 「まぁな。そういうこと自体は珍しくもなんともないんだが、問題はその資金の使い道なんだよ」 グレンはコートの内ポケットから少々ヒビの入ったゴーグルを取り出し、掛けた。 「我ら星間犯罪者御用達、救護戦艦リリアンヌ号に流れてんだよ」 「リリアンヌ号だと?」 「そう。ギルちゃんのお気に入りのトカゲ女がいる、あの馬鹿でかい船。色んな金融機関の口座を経由させて、資金洗浄は徹底的にしてるみたいだがな。だが、肝心の使い道まではまだ探り出せてねぇんだ。こいつぁもしかしたら、とんでもねぇことになってるかもしれねぇな」 「だが、あの船にだけは手ぇ出したくねぇんだがな…」 ギルディーンが言葉を濁すと、グレンは笑いを噛み殺した。 「俺達みたいなのを受け入れて治療してくれる救護戦艦なんだぜ、そんな船が真っ当なわけがねぇじゃん。全くう、ギルちゃんってば純情なんだからぁ」 「うるせぇな、娘思いと言え!」 苛立ちで照れを覆い隠したギルディーンは、力任せに言い返した。 「さぁーて、忙しくなりそうだぜぃ。情報だけでわっくわくしちゃう!」 グレンは己の血溜まりを蹴り上げて身軽に跳躍し、ベッキーの肩装甲の上に乗った。 「んじゃなギルちゃん、愛してるぜぇー!」 「ではー、また宇宙のどこかでー」 ベッキーは手を振っていたが、ギルディーンに背を向け、背面部のイオンスラスターから強烈な熱気を排出した。 ギルディーンは二人の姿を見送っていたが、程なくして消え失せた。ベッキーの機体ごと、テレポートしたようだ。 出来れば、もう二度と会いたくない連中だ。だが、グレンが殺されてくれるのはギルディーンぐらいしかいないのだ。 戦うたびに、グレンを殺せているわけではない。グレンが手加減しているからこそ、殺せているようなものなのだ。 それだけ、あの男に気に入られている証拠だが、気色悪い。グレンもギルディーンも、実年齢は百を超えている。 だから、尚更生理的嫌悪感が湧いた。そもそもギルディーンには同性愛の気はないので、好かれても困るだけだ。 これ以上、グレンと同じ空間にいたくない。一刻も早くこの星を離れるに限る、とギルディーンは自機を呼び出した。 腐れ縁というものは、どの世界にも存在する。 08 8/1 |