辛うじて、着陸と言える状況だった。 ギルディーンは船外活動用の装備を装着した姿で小惑星の地表に降り、破損した機体を眺めて肩を落とした。 愛機のスペースファイターは岩盤に腹部を擦り付けて失速した挙げ句、左翼が岩に衝突し、激しく歪んでしまった。 着陸の直前になんとか逆噴射を掛けたので、エンジンや各武装は大して破損していなかったが、外装がひどい。 動かないこともないが、スキャニングを掛けたところフレームにも破損が見受けられたので、飛ばすのは危険だ。 『メリンダ、無事か?』 ギルディーンが通信を用いて愛機のナビゲートコンピューターに声を掛けると、すぐに返事が返ってきた。 〈第一声がそれとは嬉しいね。ギルがくれたドレスのおかげで、あたしの柔肌には傷一つないよ。あたしの機能には問題はないけど、船の方はちょいとダメだねぇ。エンジンは生きてるけど、スラスターがいくつか潰れちまってるね。それと、センサー類も壊れちまってるよ。しかし、あたしがワープアウトをしくじるなんてねぇ…。通常空間の座標設定も間違っていなかったし、加速のタイミングも軌道計算も完璧だったはずなのに、妙なこともあるもんだねぇ〉 『不時着の原因を追及するのは後回しだ。今はとにかく、この場を打開することを考えねぇとな』 〈ジョニーとかいう若造と連絡が付きゃ、なんとかなるんじゃないのかい?〉 『違いねぇ』 メリンダの言葉に、ギルディーンは頷く。幸いなのは、ジョニー・ヤブキからの通信の発信源が近いことだった。 彼は可変型機動歩兵のインテゲル号を所有しているので、救援を頼める。船は直せなくとも、脱出出来ればいい。 すると、足に震動が伝わってきた。ギルディーンが振り返ると、岩盤が重々しく開き、中から機動歩兵が現れた。 ジョニー・ヤブキのインテゲル号ではない。少々古い型だが、無駄のないカスタマイズが施されている機体だった。 機動歩兵は地面を蹴って跳ね上がると、背部のスラスターから青い炎を噴き出して、ギルディーンに接近してきた。 ギルディーンは背中のバスタードソードに右手を伸ばそうとしたが、止めた。ここは、敵意を見せるべきではない。 ギルディーンの数メートル前に着陸した機動歩兵は、戦闘態勢に入り、ギルディーンを注意深く眺め回していた。 ギルディーンが戦闘態勢ではないことを悟ったらしく、機動歩兵は腰を落として、ギルディーンの前に膝を付いた。 一連の動作には一切無駄がなく、機動歩兵に慣れている。手練れだな、と思いながら、ギルディーンは近付いた。 どんな乗り手が出てくるのか内心で期待を抱きながら、ギルディーンは後頭部で両手を組み、丸腰であると示した。 『この人が鳥のおじちゃんなの?』 だが、機動歩兵から聞こえてきたのは舌っ足らずな子供の声だった。 『…あ?』 予想外の声に拍子抜けし、ギルディーンは内心で目を丸めた。 『フシチョーってどんな鳥さんなのか知らなかったけど、真っ赤なトサカがあるんだね!』 どう見積もっても、五歳程度の幼女の声だ。まさかそれが乗り手じゃねぇよな、とギルディーンは少々困惑した。 『それはただの二つ名だ、彼自身は鳥でもなんでもない、ヤブキと同じサイボーグなんだ』 すると、もう一つの声が幼い声をたしなめた。理性的な男の声だった。 『えー、そんなのつまんなーい。ハル、鳥さんと遊べると思ったのにぃ』 『宇宙空間には鳥なんていないぞ』 『むー』 半笑いの男の声に続き、幼女が不機嫌な声を漏らした。思わず、ギルディーンは笑ってしまった。 『悪いな、お嬢ちゃん。生憎、俺は鳥じゃねぇんだ』 『すまない、ギルディーン・ヴァーグナー。この中に娘がいるんでね』 ギルディーンの様子に気付き、男の声色が変わった。抑揚は変わらなかったが、今度は警戒心が混じっていた。 『最初に聞こう。なんで俺の名を知っている? そして、なぜ攻撃してこない?』 ギルディーンは後頭部から手を外し、両手を上向けた。機動歩兵は親指を立て、自身を示した。 『ジョニー・ヤブキは俺の家族でね。今回の事情は把握している。俺の相棒と手合わせしに来たんだろう?』 『そういうことなら納得出来るぜ。事が終わればすぐに引き上げるつもりでいたんだが、状況が変わっちまった』 ギルディーンが破損したスペースファイターを示すと、機動歩兵は肩を竦めるような動作をした。 『俺達に出来ることがあれば手を尽くそう、ギルディーン』 『まず最初に、お前達の居住区に連れて行ってくれねぇか。このままじゃ、どうにも身動きが取れねぇ』 『解った』 機動歩兵はギルディーンへと手を伸ばそうとしたが、ギルディーンはそれを制し、自機へと駆け寄った。 『すまん、ちょっとだけ待ってくれよ! 本当にちょっとでいいからな!』 背を向けた瞬間、ギルディーンは腕の中に仕込んだ熱線銃の銃口を出したが、機動歩兵は撃ってこなかった。 だが、あちらも警戒心は緩めていないらしく、機動歩兵の右腕の外装が開いており、速射砲の銃身が伸びていた。 悪くない心意気だ。そう思いながら、ギルディーンは船腹の破損箇所からコンピューターブロックへと侵入した。 非常用電源が作動したため、内部は明るかった。落下の衝撃で故障したものがあるらしく、電子音が響いている。 だが、問題はメインだ。ギルディーンは空中に漂っているケーブルを払いながら、メインコンピューターに到達した。 船の本体よりも分厚い装甲に覆われた円筒に近付き、内部の状態を確認したが、特に異常は見当たらなかった。 パスワードを入力すると、表面に細く隙間が開き、宇宙の温度よりも生温い冷気を吐き出しながら開いていった。 銀色の円筒の中に隠されていたのは、もう一つの円筒だった。全長一メートル、直径三十センチほどのポッドだ。 ギルディーンはその円筒を引き抜いて、コンピューターと接続しているケーブルを外すと、脇に抱えて船外に出た。 『悪いな、待ってもらって。ちょいと世話になるぜ』 ギルディーンは平謝りしつつ、機動歩兵の手の上に乗った。機動歩兵は立ち上がり、身を反転させて発進した。 『ところで、それは何なんだ?』 機動歩兵の乗り手から問われ、ギルディーンは笑った。 『俺の恋女房だ』 機動歩兵の手中に収まっているギルディーン・ヴァーグナーは、親しげな態度を見せているがそれは口だけだ。 実際、彼はこちらに背を向けた瞬間に右腕の外装を開いて熱線銃を出し、今も尚銃口を引っ込めていなかった。 こちらに子供がいると知った上で銃口を出しているのなら気は緩められず、グレン・ルーとの関連も忘れられない。 同業者だが、だからこそ警戒する必要がある。マサヨシはヘルメット越しに、不死鳥と呼ばれる男を見下ろした。 不死鳥は、愛おしげに金属製の円筒を抱いていた。 本日二度目の蒸かしイモが出来上がった頃に、招かれざる客は訪れた。 ヤブキがアウトゥムヌスと共に作った蒸かしイモを皿に盛っていると、玄関のドアが開き、一家の主が戻ってきた。 マサヨシの控えめな帰宅の挨拶と同時にハルの明るい挨拶がリビングに届き、最後に威勢の良い挨拶があった。 蒸かしイモの皿を持ったままヤブキが玄関を覗くと、そこには銀色の円筒を抱えているギルディーンが立っていた。 ヤブキに気付くと、騎士は片手を上げた。ヤブキは皿を新妻に渡してから、廊下に出てギルディーンを出迎えた。 「どうも、お久し振りっす」 ヤブキが一礼すると、ギルディーンは笑った。 「よう。元気してたか、ジョニー?」 ギルディーンは蒸かしイモの皿を両手に持っているアウトゥムヌスを指し、ヤブキに尋ねた。 「そういやぁ、最初に会った時から気になってたんだが、この娘はお前の何なんだ?」 「妻」 アウトゥムヌスは蒸かしイモの皿を右手に載せると、左手を上げて結婚指輪を見せた。 「てぇわけっす。ギル兄貴と会った時は、丁度籍入れた直後だったんすよ」 照れ笑いをしたヤブキに、ギルディーンはその背をばんばんと力強く叩いた。 「そいつぁめでてぇなぁおい! 可愛い嫁さんじゃねぇかよ!」 「いらっしゃいませぇ、ギルディーンさん。大したお持て成しは出来ませんけどぉ、どうぞごゆっくりぃ」 リビングから現れたミイムは、作り笑顔を浮かべてギルディーンを出迎えた。 「おう、お気遣いなく。あんた、クニクルス族か。どこかで見たことあるツラなんだが、どこだったかなぁ…」 ギルディーンはミイムの顔をまじまじと見つめていたが、ああ、と頷いた。 「そうそう、クーデターで殺された皇太子と瓜二つなんだ」 「うみゅ?」 彼の発した単語に、ミイムは笑みを凍り付かせた。ギルディーンは身を屈め、ミイムを眺め回す。 「いやな、俺はついこの前まで仕事で惑星プラトゥムにいたんだよ。そこで俺はフォルテ皇女…いや、今はフォルテ一世皇帝陛下と呼ぶべきか。その皇帝陛下から直々に身辺警護を頼まれて、二週間ぐらい近衛兵の真似事をしていたんだが、その時に見せてもらったんだよ。自らの命と名誉を捨てる覚悟で、先代皇帝を手に掛けて独裁体制を崩壊させ、コルリス帝国に真の平和をもたらしたが、志半ばで暗殺された悲劇の第一皇太子、レギーナ・ウーヌム・ウィル・コルリス皇太子殿下の映像を。見れば見るほど、あのお姫様みたいな皇太子とそっくりだ」 「フォルテって…ミイムの妹さんと同じ名前じゃないっすか」 ヤブキが思い出しながら呟くと、ミイムはにっこりと微笑んだ。 「同じ名前なだけですぅ。皇帝陛下とお誕生日が近かったから、そのお名前を頂いたんですぅ」 「てぇことは、あんたは他人の空似なのか?」 ちょっと残念そうなギルディーンに、ミイムは白い尾をぱたぱたと振りながら極上の笑顔を浮かべた。 「ボクみたいな労働者階級が皇太子殿下に似ているなんて、とってもとおっても嬉しいですぅ。皇太子殿下がご存命だった頃にも言われたことはありますぅ。でもぉ、ボクと皇太子殿下じゃ比較するのもおこがましいですぅ。だってぇ、皇太子殿下は帝国中の誰よりもお美しいお方でぇ、尻尾の毛並みも艶やかでぇ、澄んだ瞳は黄金のように眩くてぇ、肌は透き通るほど白くてぇ、声は鈴の音よりも繊細でぇ、長い髪はふわふわだけどさらさらでぇ、もちろん二つのお耳もとおっても愛らしくてぇー。ふみゃあん、皇太子殿下のお姿を思い出すだけでキュンキュンきちゃいますぅ」 頬を染めて悩ましげに身を捩っているミイムに、マサヨシは複雑な思いに駆られた。自画自賛にも程がある。 似ているのは当然だ。ミイムはレギーナ本人なのであって、コルリス帝国で国葬されたのは側近のルルススだ。 確かに、これ以上ミイムの正体を疑われないためにも演技は必要だが、ここまで褒める必要はなかったと思う。 だが、盛大な自画自賛は効果はあったらしく、ギルディーンはミイムを問い詰めることもなく、引き下がってくれた。 「まあ、美人ってのは大体似通った顔してるからなぁ」 ギルディーンが納得していると、ヤブキがにやけた。 「でも、その皇太子殿下も運が悪いっすねー。ミイムみたいなバイオレンス女装ウサギと似ちゃうなんて」 「ばっきゃろうですぅ!」 すかさずミイムは飛び上がり、ヤブキの腹部にサイコキネシスを纏った蹴りを叩き込んだ。 「皇太子殿下に無礼にも程がありやがるぜオンドリャアですぅ! 他国の皇族だからって無下にしやがるんじゃねぇぞコンチキですぅ! でもってボクの攻撃は、バイオレンスだけどドメスティックな行為だってこの前説明しただろうがアホンダラですぅ!」 「怒るポイントを統一してほしいっすね」 ヤブキは身を起こすと、ミイムに蹴られた腹部をさすった。 「んで、ギル兄貴。それは何なんすか?」 ヤブキがギルディーンの抱えている円筒を指すと、ギルディーンは円筒形のポッドを床に置いた。 「ああ、これか。俺の女房だ」 「スペースファイターのナビゲートコンピューターのメインユニットってことっすか?」 「そうとも言えるが、女房は女房なんだよ」 ギルディーンはマサヨシに向くと、その傍らに浮かぶサチコのスパイマシンに目を止めた。 「二度も悪いが、そこのスパイマシンを貸してくれねぇか? さっき、船から持ってくるのを忘れちまったんだ」 「どうする、サチコ」 マサヨシがサチコに声を掛けると、サチコはギルディーンへと近付いた。 〈貸すぐらいだったら構わないわよ。その中の方も、外の状況が掴めるマシンがあった方がいいでしょうしね〉 「だったら、リビングから持ってくるさ。今し方、調整していたスパイマシンがあるんでな」 マサヨシはリビングから家を出る前に組み上げた整備済みのスパイマシンを持ってくると、騎士に渡した。 「恩に着るぜ」 ギルディーンはそのスパイマシンを受け取ると、細いケーブルを出して円筒に付いているジャックに差し込んだ。 「起きてるか、メリンダ」 〈もちろんさ。それで、ここはどこなんだい、ギル?〉 サチコのスパイマシンが浮かんで、サチコではない女性の声が流れ出した。色気のあるハスキーボイスだった。 〈ああ、そこのサイボーグの兄ちゃんがジョニー・ヤブキだね。あんたの話はうちの人から聞いてるよ〉 「どうも、初めましてっす」 ヤブキは頭を下げてから、円筒を見下ろた。 「メリンダ姉さんはサチコ姉さんと同型のナビゲートコンピューターなんでしょうけど、随分と小型っすね」 〈そいつぁ簡単な話さ。あたしは元々人間だったのさ〉 メリンダの言葉に、ハルはきょとんと目を丸めた。 「メリンダおばちゃん、そんなちっちゃい中に入ってるの? 私でも入れないよ、そんな筒の中なんて」 「こら」 マサヨシがハルをたしなめると、メリンダは快活に笑った。 〈おばちゃんかい、良い響きじゃないか。あたしは昔、ギルと組んで戦っていたのさ。その頃はまだ軍人でね、歩兵部隊のポイントマンだったのさ。だけど、ちょいと撃たれどころが悪くてね、体を失っちまったんだよ。だから、脳髄だけ摘出してもらって、生体コンピューターに改造してもらったってわけさ。ギルもサイボーグ化したから、一緒に退役して傭兵に転職して、それからはずっとこんな感じなのさ〉 「世の中は広いですぅ」 感心しているミイムに、メリンダはスパイマシンのレンズを向けた。 〈本当ならあたしもギルと一緒に戦いたかったんだけど、まあ、色々あってね。それに、コンピューターになるってのも悪くないもんさ。脳神経の大半を電子回路に変えてAIと直結してるもんだから、生身の頃には理解出来なかった小難しい理屈がすぐに解るし、何より宿六を見張っていられるからね〉 「中身、見るか? 培養液ん中にメリンダの脳みそがぷかぷか浮いてんだけど」 と、ギルディーンが妻の入ったポッドを叩いたので、マサヨシは苦笑いした。 「遠慮しておきます」 「じゃ、メリンダさんも一緒にお茶にするですぅ」 ミイムはキッチンに入り、一人でリビングで待っていたアウトゥムヌスは蒸かしイモの皿をテーブルに置いた。 「良案」 ハルはメリンダの入ったポッドが物珍しいのか、近寄った。メリンダはスパイマシンを操り、ハルを見下ろした。 〈なんだい、お嬢ちゃん?〉 「おばちゃん、その中狭くない? 寒くない? 怖くない?」 〈生体コンピューターになってから、何十年も過ぎちまったからね。もう慣れっこさ。そりゃ、体がないってのは不便だし、たまぁにだけど風呂上がりの一杯が懐かしくなるけど、我慢出来ないこともない。それに、あたしはギルと一緒に生きていられればそれで満足なのさ。見ての通り、うちの宿六はサイボーグになっても人の十倍は血の気が多いからね。ちょっとでも目ぇ離すと、どこで何と戦っているか解ったもんじゃない。だから、ギルの船と一体になって、ギルの行く場所に付いていくのが一番なのさ〉 「ふーん」 ハルはメリンダから顔を上げ、サチコのスパイマシンを見上げた。 「お姉ちゃんと一緒だね!」 〈そうね〉 サチコは優しい声色を出し、ハルに近付いた。 〈さあ、リビングに行きましょ。ヤブキ君とアウトゥムヌスちゃんが作ってくれた蒸かしイモが冷めちゃうわ〉 「おイモー、おイモー」 ハルはにこにこしながら、リビングに走っていった。サチコはマサヨシも促そうと、マサヨシにレンズを向けた。 二人の視線が交わったのはほんの一瞬だけだったが、その瞬間、マサヨシはサチコに確かに笑顔を向けていた。 目元は細められ、口元は上向けられている。頬の緩め方は柔らかく、真っ直ぐな眼差しには感情が籠もっていた。 今まで、サチコが向けられたことのない表情だった。サチコは機械的に保存処理したが、感情はぐらりと揺れた。 サチコの人格プログラムの中でも特に容量の大きい感情を構成するシステムに、新たなファイルが構成された。 主に対する単純な好意よりも複雑で、重みすら感じる。敢えて確定させずにいた彼への思いが、確定してしまう。 好意を超えた感情、恋だった。 08 9/6 |