攻撃の手は緩むことはなかった。 麗しき女神を守るためにも、逃げ切らなくてはならない。トニルトスは倉庫街から脱し、別のブロックを目指した。 トニルトスが倉庫の影から脱した瞬間に、二人を追尾してきたロボットの銃撃が始まり、壁や扉に弾痕が出来る。 接近してきた数機はアフターバーナーと蹴りで壊すも、今度は前方から回り込まれてしまったので、急上昇した。 トニルトスの姿が失せたために味方同士で相打ちになり、十数機が壊れた。だが、次から次へと新手が現れる。 先程、キャロライナが持っているサイユニットを破壊したが効果はなく、敵は情報端末を追ってきているようだ。 だが、情報端末だけはどうしても破壊させてくれなかったので、トニルトスは戦い続けながら女神と逃亡していた。 倉庫街を抜けると、次に現れたのは造船業者が密集したブロックだった。至る所で、宇宙船が建造されている。 倉庫街に比べて遮蔽物も多く、こちらも有利だがあちらも有利だ。トニルトスは床に足を擦り、減速して停止した。 ブロックを区切る隔壁を作動させるボタンを蹴り付けて破壊すると、アラートが鳴り響いて分厚い壁が落ちてきた。 一メートル程の厚さがある壁の下で、数機のロボットが潰されて吹き飛んだ。これで、少しは時間が稼げるだろう。 「なんだお前は! どうして隔壁を降ろすんだ!」 異常事態に気付いた造船業者の作業員が顔を出し、作業所からトニルトスに叫んだ。 「やかましい! 黙らんか愚民共め!」 トニルトスは叫び返してから、大股に歩き出した。 「私は女神を守護するという神聖なる任務の最中なのだ、貴様らのような下劣な存在を近付けてなるものか!」 「あの、色々とごめんなさい。急いでいるんです」 トニルトスの右手から顔を出したキャロライナは、心苦しげに謝った。その姿に、作業員達が覗き込んできた。 作業着を着込んだ男達は顔を見合わせ、小声で言葉を交わしていたが、作業員の一人が身を乗り出してきた。 「あんた、アイドルのキャロライナ…だよな?」 「我が女神がどうかしたというのか」 トニルトスはキャロライナの乗った右手を下げ、作業員を威嚇した。彼は身動いだが、続けた。 「あんた、テレビ観てないのか? 誘拐されて行方不明になってて、通報者には報奨金が出るって…」 「それは違います、私は!」 キャロライナは動揺し、トニルトスの手の中で立ち上がった。 「ってことは、その機動歩兵のパイロットが誘拐犯なんだな! 待ってろ、今助けてやる!」 作業員が端末を操作すると、大型クレーンが持ち上がった。極太のワイヤーの先端で、巨大な鉄塊が唸った。 トニルトスはキャロライナを下げて軸をずらし、その一撃を避けた。だが、揺り返した先端が背後へと迫ってきた。 これを壊すのは容易いが、破片がキャロライナに及んだら。トニルトスはシールドを展開し、それを受け止めた。 予想以上の衝撃に足元の床が抉れ、シールドに電流が走る。シールドを消したトニルトスは、足元を蹴り付けた。 普段は宇宙船の部品を持ち上げているクレーンのタワー部分に飛び降りると、強靱なワイヤーが大きくしなった。 だが、今度は数人の作業員が熱線銃を撃ってきた。トニルトスは半身を下げて、左半身の外装に銃撃を浴びた。 先程のロボットに比べると威力が強かったらしく、青い装甲が僅かに変色し、塗装が焼け焦げて薄い煙が昇った。 「お願いです、撃たないで下さい! この人は、私を誘拐したわけじゃないんです!」 キャロライナが必死に叫ぶも、作業員達は哀れんだ目を向けてきた。 「解っている、そいつに脅かされているんだろう。もう大丈夫だ、だから安心してくれ」 「可哀想になあ」 「余程怖い目に遭ったんだろう」 作業員達の言葉に、キャロライナは首を横に振りながら後退った。 「違います…私は…」 「女神。あなたの申し上げていたことと、奴らの認識は異なるようですが」 トニルトスがキャロライナに声を掛けると、キャロライナはうずくまってしまった。 「ああ、そんな…」 大型クレーンの左下に置かれた小さな箱、作業員の詰め所から、ホロビジョンモニターの音声が流れていた。 仰々しい効果音と共に映し出されたステージで歌うキャロライナの映像には、派手なテロップが付けられていた。 キャロライナ・サンダー、誘拐。犯人は不明。所属プロダクションに身代金を要求。視聴者から犯人の情報を求む。 トニルトスは手の中のキャロライナを見下ろしたが、キャロライナは、違う、違う、と繰り返しながら頭を抱えた。 キャロライナの話によれば、彼女はアイドルを辞めることをプロダクションの社長とマネージャーに伝えただけだ。 同時に、チャールズ・ヴァーグナーなる人物と結婚する旨も。だが、番組ではそんなことは一切報道されていない。 代わりに、キャロライナが誘拐されていて、恐ろしげな犯人像が語られ、マネージャーがインタビューに答えている。 あの子は良い子だったのに、なんてひどいことを、無事でいてくれ、皆、君のことが好きだ、とマネージャーは言う。 「どうして?」 キャロライナは肩を震わせ、両腕を掻き抱いた。 「なぜ、こんなことになっているの?」 「真相を確かめている暇はございません。今は、あなたの願いを聞き届けるだけです」 トニルトスはぐるりと首を動かし、銃口を向けている作業員を見下ろした。 「そのためにも、貴様らは邪魔だ!」 右手にキャロライナ、左手にはミドルコンテナ。だから、使えるのは足だけだが、足技も得意中の得意だった。 トニルトスは足元の大型クレーンを蹴り、鉄骨を折り曲げた。再度蹴ってワイヤーを弛ませ、それをまた蹴った。 ぐにゃりと曲がったワイヤーとアームは低く唸りながら作業現場に向かい、作業員達は悲鳴を上げて逃げ出した。 直径一メートルはあろうかというワイヤーが衝突した足場は呆気なく崩壊し、アームの先端が壁にめり込んだ。 重力が弱いために作業現場から飛び降りた作業員達は床に軟着陸し、死人は出なかったが、逃げ惑い始めた。 作業員が撒き散らす悲鳴を鼻で笑ったトニルトスは、次のブロックに移動するべく、背面部のスラスターを開いた。 前方で建設されていた中型宇宙船が、ぐらりと揺らいだ。未塗装の外装が破られ、みしみしとフレームが歪む。 紙屑のように握り潰された外装が捨てられ、宇宙船の影から何者かが立ち上がった。それは、機動歩兵だった。 待ち伏せされていたのか、とも思うが、先程までは反応はなかった。とすると、テレポートでも使ったに違いない。 「貴様、何者だ」 トニルトスは足元にミドルコンテナを置き、身構えた。手足が長く、鋭い爪を持つ、格闘向きの機動歩兵だった。 外装は滑らかな黒に塗り潰され、唯一他の色があるのは顔だけだ。真紅の目が上がり、二人を視界に入れた。 「キャロライナ、私だよ。君を迎えに来たんだ」 機動歩兵が発した男の声に、キャロライナはびくりとした。 「アレックスさん…」 「誰だ、それは」 「私のマネージャーです」 困惑しているキャロライナがトニルトスに返すと、アレックスなる男の乗った機動歩兵が手を伸ばしてきた。 「さあ、一緒に帰ろう。皆、君のことを心配している」 「嫌です!」 渾身の力で叫んだキャロライナは、黒い機動歩兵を睨んだ。 「私はチャールズさんと結婚するんです! だから、アイドルはもう辞めたんです!」 「あの男は犯罪者なんだぞ! あんな男と連れ添ったところで、君の未来には何もない!」 「それを決めるのはアレックスさんじゃありません、私です!」 「いいや、それは違う! 君は、ステージの上で輝いていてこそ幸せなんだ!」 熱弁するアレックスは徐々にトニルトスへと近付いてきたが、トニルトスは後退して機動歩兵と距離を開けた。 「ええい、近寄るな!」 「お前こそ、うちの商品から手を離せ!」 アレックスの絶叫と同時に、黒い機動歩兵の手が振り上げられた。トニルトスは長剣を抜き、それを受け止めた。 鋭利な長い爪と白刃が噛み合い、ぎちぎちと擦れ合う。トニルトスは僅かに腰を下げ、その瞬間に長剣を翻した。 鮮やかに振り抜かれた刃が機動歩兵の右手首を切断し、オイルと部品が宙に飛び散り、機動歩兵は仰け反った。 その隙を見逃すのは戦士ではない。トニルトスは一気に踏み込んで懐に入ると、機動歩兵の首を跳ね飛ばした。 次に、右肩、左肩と切り落とし、最後には両足を踏み砕いた。そして、オイルの絡む切っ先をコクピットに据えた。 「愚か者が。気高きカエルレウミオンである私に敵うとでも思っていたのか」 「お願いです、殺さないで下さい」 キャロライナが右手に縋ってきたので、トニルトスは返した。 「案ぜぬよう、女神。下劣な炭素生物など、我が剣の錆にする価値もございません」 黒い機動歩兵のコクピットのハッチが開き、スーツ姿の男が出てきた。銀色の瞳と白い肌を持つ若い男だった。 アレックスという名の男は苦々しげに口元を曲げてトニルトスを見上げていたが、その右手に乗る少女を睨んだ。 「キャロライナ」 「ごめんなさい、アレックスさん」 瞳を潤ませながら謝ったキャロライナに、アレックスは頬を歪めた。 「強情な女だな。だが、駄々をこねるのもそこまでだ。これ以上抵抗したら、次は殺すぞ」 「え…」 キャロライナが絶句すると、アレックスは慣れた手つきで熱線銃を抜いた。 「お前が広告塔になってくれたおかげで、うちの組織は大分荒稼ぎすることが出来た。だが、もう充分だ」 「何を言っているんですか、アレックスさん?」 青ざめたキャロライナが後退るが、アレックスは躊躇いもなく銃口を向けてきた。 「余計なことを知る前に死んでおいた方が楽だぞ、キャロライナ。なあに、誘拐されたお前が殺されたところで、世間は何も疑問に思わないさ。一週間もすればワイドショーも取り扱わなくなるし、一ヶ月もすれば誰も思い出しもしなくなるだろうさ。アイドルなんて、所詮そんなもんだ」 キャロライナは華奢な体を縮め、わなわなと震えている。マネージャーである男を、余程信頼していたのだろう。 どうも、この事件には裏があるようだ。それがどんなものなのかトニルトスには解らないが、逃げることは出来る。 トニルトスはスラスターを開いて浮上しようとしたが、右手に激しい重量が掛かり、バランスを崩して転倒した。 指向性の重力波か、いや違う。床に右半身を叩き付けられたトニルトスは、転げ落ちた女神へと左手を伸ばした。 だが、その左手も目に見えない何かに押さえ付けられた。両腕の関節がぎりぎりと呻き、力と力が鬩ぎ合っている。 サイコキネシスだと悟ったトニルトスは自由の利く足で踏ん張って起き上がろうとしたが、足もまた動かなくなった。 「さすがに頑丈だな、機械生命体ってのは」 アレックスの襟元で、超小型の機械、サイユニットが輝いた。先程のキャロライナと全く同じことをしているのだ。 だが、威力が桁違いだ。キャロライナの放った人工サイコキネシスは、ここまで凄まじい威力を持っていなかった。 きっと、アレックスは訓練を受けたに違いない。そうでもなければ、機械生命体を押さえ付けることなど出来ない。 アレックスはトニルトスを一瞥して、倒れ込んでいるキャロライナに向くと、熱線銃のトリガーに人差し指を掛けた。 「お疲れ様、キャロライナ」 冷酷に言い捨てたアレックスの指が熱線銃のトリガーを押し込み、キャロライナは短く悲鳴を上げて顔を背けた。 その瞬間。造船所内の空間が大きく歪み、ワープゲートが開いた。急激な勢いで、空気が宇宙空間に流出する。 通常空間と宇宙空間を繋ぐ異空間から滑り出てきた銀色の巨大な物体は、尾翼に見慣れた文字が付いていた。 HAL、との名を付けた銀色のスペースファイターは強引に高度を下げ、造船所内に底部を擦り付けて減速した。 周囲の機材や構造物を破壊しながら停止したHAL号に、トニルトスだけでなく、全ての者が呆気に取られていた。 HAL号のメインハッチが開くと、男が現れた。だが、それはマサヨシでもヤブキでもない、軽薄な笑みの男だった。 「ごきげんよう、僕の花嫁」 「チャールズ、さん…?」 不安と恐怖に染まっていたキャロライナの表情がみるみる明るくなり、血の気が失せていた頬が赤らんだ。 「君があんまり遅いもんだから、タクシー拾って迎えに来ちゃったよ」 チャールズ・ヴァーグナーはベルトから棒を抜くと、ボタンを押し、六尺棒へと変化させた。 「この裏切り者が!」 アレックスはキャロライナからチャールズへと照準を変えたが、チャールズは六尺棒を使って高く跳ね上がった。 弱重力の作用も相まって身軽に跳躍したチャールズは折れた鉄骨を棒で叩いて軌道を変え、彼の前に着地した。 アレックスが身構えるが、チャールズは六尺棒で彼の足を払って転倒させ、更にその腹部に先端を抉り込ませた。 熱線銃を弾き飛ばし、最後にアレックスの首へと棒の先端を押し込んだ。チャールズは、呼吸すら乱していない。 「心外だなぁ」 アレックスの喉を六尺棒で押さえ付けながら、チャールズは嫌みったらしく笑った。 「僕は最初から君達の味方じゃなかったんだから、裏切るわけがないじゃない。僕は、最初からキャロルにしか興味がなかったんだ。そりゃ、君達の組織に強化改造した自社製品を売ったのは認めるし、僕の会社の資金援助が君達の組織を大きくしたのも確かだし、君達が手を回してくれたおかげで僕がいくら悪いことをしても逮捕されなかったのも事実だけど、それとこれとは別なんだよ」 チャールズはアレックスの喉から六尺棒を外し、次の瞬間にはアレックスの側頭部に叩き付けて昏倒させた。 「君、本気で恋したことないでしょ?」 可笑しげに笑いながら、チャールズはアレックスの襟元からサイユニットを奪うと、六尺棒の先端で叩き潰した。 小さな機械が破損した直後、トニルトスの手足に自由が戻った。チャールズはトニルトスを見上げ、棒を向けた。 「それで、君はキャロルの何なの? 事と次第に寄らなくても、容赦しないけど」 「トニルトスさんは、私を守ってくれていたんです」 キャロライナは起き上がろうとすると、すかさずチャールズが手を差し伸べたので、その手を借りて立った。 「だから、トニルトスさんには何もしないで下さい」 「ああ、そうだったの。でも、キャロルは僕のものだからね」 キャロライナの肩に手を回しながら言い放ったチャールズに、トニルトスは途端に猛烈な戦意が沸き起こった。 だが、HAL号から飛び出してきたマサヨシとヤブキに止められてしまい、殴りつけることすら出来ずに終わった。 苛立ちに次ぐ苛立ちで回路が焼け焦げそうなトニルトスに、マサヨシとヤブキは今回の事の次第を説明してきた。 二人はトニルトスとは逆の方向から今回の事件に関わり、チャールズに脅された形でHAL号を動かしたそうだ。 普通にパーキングに入っては警察に捕まる、とのことで、かなり無茶だったがステーション内にワープしたのだ。 他にも言い訳じみたことを説明されたが、それが思考回路にまともに伝わらないほど、トニルトスは苛立っていた。 この男が、女神を惑わす悪魔なのだ。 08 10/6 |