アステロイド家族




この宇宙の中心で



 救護戦艦リリアンヌ号は、穏やかな航海を続けていた。
 三ヶ月前に突如発生した、原因不明の次元断裂現象による様々な異変を免れ、船体も船員も全員無傷だった。
次元断裂に近付きすぎたために少々空間異常は現れたが、時間と共に自己修復され、今では何の危険もない。
全長十万五千メートルの規模を誇る白い箱船の中で、患者の心身を癒すために医師や看護士は尽力している。
 非力な彼らを守るために構成されているのが護衛隊だが、ギルディーン・ヴァーグナーはその一員となっていた。
理由は至って簡単だ。リリアンヌ号を守るために使用したサイ・リアグラファーを、過負荷で壊してしまったからだ。
サイ・リアグラファーとは、使用者のサイエネルギーに応じた疑似立体を構成する、特殊な精神変換装置である。
 ギルディーンはリリアンヌ号に搭載されたばかりのサイ・リアグラファーを使い、船体に迫る衝撃波を切り裂いた。
全長一万メートルの巨体となったギルディーンのは、炎の翼を背負い、不死鳥の二つ名に相応しい活躍をした。
ギルディーンの意志のままに動いた疑似立体は、衝撃波だけでなく、湾曲空間や、次元の歪みすらも切り裂いた。
 おかげでリリアンヌ号は無傷だったが、ギルディーンの並外れた精神力を浴びたサイ・リアグラファーは違った。
サイ・リアグラファーの接続を切ってシステムを確認すると、ギルディーンの精神力が強すぎて部品が焼けていた。
特に値の張る、特殊な効果を持つ鉱石を核にしたサイエネルギー増幅装置が、十五基ともダメになってしまった。
サイ・リアグラファーの管理者であるリリアンヌから、いつになく強烈な皮肉と共に増幅装置の弁償を要求された。
だが、彼女が提示した金額は途方もなく、ギルディーンの手持ちの現金ではとてもではないが追い付かなかった。
 そこで、ゲルシュタインが提案した。弁償額に達するまで、リリアンヌ号の護衛を行って弁償したらどうだろう、と。
無論、その間は完全無給である。妻のメリンダからはこっぴどく叱られたが、彼女も最終的には妥協してくれた。
 ギルディーンは愛用のバスタードソードを背負い、大異変を乗り越えた銀河系の星々を展望室から眺めていた。
傍らには、それまで稼いだ金を使って戦闘仕様のサイボーグボディに脳髄を入れたメリンダが寄り添っている。
長身で褐色の肌を持ち、艶やかな黒髪に鳶色の瞳が輝く。彼女が軍人として戦っていた頃の姿と、ほぼ同じだ。
ただ一つ違うのは、その体の中身だ。筋肉質で引き締まった肢体の奥には、大量の武器が詰め込まれている。
こうなってしまった以上、生体コンピューターのままではギルディーンを支えられないから、というのが理由だった。

「この辺の宙域は平和だねぇ。どこの星に立ち寄っても、戦火が一つも見えないよ」

 メリンダは肩に回されたギルディーンの手に手を重ね、身を預けた。

「宇宙連邦政府の統治力が特に強い宙域だからな、当然だ」

 ギルディーンは生前と変わらぬ姿を取り戻した妻を見下ろし、内心で笑みを見せた。

「そういえば、あの子ら、どうしてるんだろうねぇ」

 妻の言葉に、ギルディーンは遠く離れた星系に住む奇妙な一家を思い出した。

「きっと元気にやってるさ。またいつか、会える日が来たら、もう一度手合わせしてみたいもんだぜ」

「今度はあたしも付き合うよ、ギル。ダグラスから具合の良い体を寄越してもらったからね、使わなきゃ損だよ」

「だが、戦いだけに使うってのはちょっと勿体なさすぎるよなぁ?」

 ギルディーンは妻の顎を太い指で挟み、ぐっと持ち上げた。メリンダは夫と視線を交え、鳶色の瞳を細めた。

「あたしに勝てるとでも思うのかい?」

「お前の方こそ、俺に勝てると思ってんじゃねぇだろうな?」

 ギルディーンが背を曲げて妻の口元に顔を近寄せようとした時、あの声が展望室に響き渡った。

「ぎーるちゃーん!」

 ギルディーンが仕方なく妻を離して振り向くと、メイド姿の幼女を従えた灰色のコートを着た男が立っていた。

「やっほー、元気してたー? 俺はね、分子構造の再構成してたー!」

 会いたかったぁー、とグレンが飛び掛かってこようとしたので、メリンダは自身の剣を抜いて突き出した。

「それ以上近付いてごらん、首と胴体を永遠に別れさせちまうよ」

「今、それやられると、ちょーっときついんだよなぁ」

 グレンは渋々引き下がり、ベッキーの元に戻った。ベッキーは、相変わらず屈託のない笑顔を浮かべている。

「御主人様はー、間接的に次元断裂現象を引き起こしてー、異次元の宇宙に旅立とうとしたんですけどー、盛大に失敗しちゃったんですー。だからー、まだー、この次元にいるんですー」

「そういうことー。そこら中の分子を掻き集めて肉体を再構成したんだけど、なんかしっくり来ねぇの」

 グレンはぼやきながら、首をぐるりと回して骨を鳴らした。

「だからさー、ギルちゃんの分子、ちょっと分けて?」

「誰がそんな要求受けるか!」

 ギルディーンが剣を抜くと、グレンはむくれた。

「冗談に決まってんだろうが。七割は本気だけどさ」

「だったら思いっ切り本気に決まってんじゃないかい!」

 メリンダに噛み付かれ、グレンは子供のように舌を出した。

「やだねぇ、更年期障害ってのは」

 グレンは二人の剣を押しやってから、窓際に近付き、暗黒の宇宙に散らばる星々を眺めた。

「次元断裂現象が収束しちまったら、空間も次元も安定しちゃってさー。それまではこの次元と異次元の接点である次元の歪みが頻発していたんだが、あの後からはめっきり観測出来なくなっちまってな。歪みどころか、ずれもなくなっちまった。俺が組み立てた次元超越理論も、もう一度組み直さなきゃならないな。あれは次元の歪みがあることを大前提にしていた理論だから、もう何の役にも立たねぇんだ。これでまた、やり直さなきゃならなくなっちまった」

「一人で勝手にやってろ。俺達は借金返済っつう大事な仕事があるんだよ」

 ギルディーンはメリンダの腰を抱いてグレンから離れたが、不満げなグレンはギルディーンにすり寄ってきた。

「いいじゃんそんなの、踏み倒しちまえば。なんだったら、俺の犯罪活動資金を横流ししてやるけど?」

「てめぇが触ったヘドロより汚い金なんざ一クレジットもいらねぇよ!」

「そうだよ! 今のあたしらは堅気に足を突っ込んでんだから、尚更だよ!」

 ギルディーンに続いてメリンダが言い返すと、グレンはむくれた。

「たまにはいいことしようと思ったのに、そんなに怒ることねぇじゃん」

「でもー、御主人様ですからー、一クレジットでも借りたらー、利子が物凄いことになりますー」

 ベッキーがにこにこしながら言うと、グレンは眉を下げた。

「そこでネタバレしないでよぉ、ベッキーちゃん」

「そら見ろ。だから俺はてめぇが嫌いなんだよ!」

 ギルディーンはメリンダの腕を引き、大股に歩き出した。それを、グレンは追い縋る。

「待ってよぉ、ぎーるちゃーん!」

「気持ち悪ぃんだよ!」

「やだぁーん、嫌わないでぇー」

「もっと気持ち悪ぃこと言うんじゃねぇ!」

 ギルディーンはへらへら笑うグレンを力一杯蹴り飛ばしてから、展望室を飛び出し、メリンダと共に駆け出した。
揃って走りながら、ギルディーンはなんだか嬉しくなっていた。妻と共に駆けるのは、軍人時代以来のことだった。
だから、無性に懐かしくなっていた。妻の腕を引っ張って体勢を崩させ、その隙に抱え上げ、スラスターを開いた。
横抱きにして持ち上げた妻の体は記憶の中に比べれば随分重たくなっていたが、サイボーグなので問題はない。
メリンダは照れ臭そうに顔を伏せていたが、ギルディーンの首にしなやかな腕を回し、マスクに顔を寄せてきた。
職員や患者に迷惑を掛けないために、巨大な船体の大動脈と言うべき特に太い通路の天井付近を飛び抜けた。
 リリアンヌ号で行うことは、軍人時代とも傭兵時代とも変わらない。ただ、戦う目的と守るものが変わっただけだ。
最愛の妻であり最上の戦友であるメリンダと共に、竜の娘と粘液の艦長とその友人達を守るために、剣を振るう。
 不死鳥が、炎の翼を休めることはない。




 太陽系に向けて旅立つために、シャトルの整備が行われていた。
 格納庫の片隅で、レオンハルト・ヴァーグナーは今期採用となった退役軍人のパイロットの履歴書を読んでいた。
レイラ・ベルナール、三十二歳。退役時点での地位は少尉で、軍からの評価も悪くなく、それなりの人材だった。
年齢の割にやたらと外見が幼いことが少し引っ掛かったが、フィオーネの落差に比べれば、と思うと気にならない。
フィオーネは十代後半の少女のような精神年齢と外見をしているが、実年齢はレオンハルトの三倍近くあるのだ。
それを踏まえれば、レイラの幼さは常識の範疇だ。竜人族の老化がいくら遅いといっても、フィオーネは遅すぎる。

「れーおさんっ」

 すると、そのフィオーネが目の前に現れた。レオンハルトは座っていたので、丁度目線の位置に太股があった。

「めくってくれと言わんばかりの構図だが」

 レオンハルトが何の気なしに呟くと、フィオーネは赤面し、ミニ丈のタイトスカートの裾を精一杯引っ張り下げた。

「う、あ、うあー!」

「何の用だ。俺はこれから、太陽系に向けて飛ばなきゃならないんだ」

 レオンハルトが立ち上がると、フィオーネは赤面したまま見上げてきた。

「えっと、私、そのフライトの管制官に志願してきたんです」

「まあ、必要ではあるからな」

「それでですね、艦長はすぐに了解してくれたんですけど、リリアンヌお姉様が…」

「そうか…」

 それは、いつものことだ。レオンハルトが嘆息して立ち去ろうとすると、フィオーネが制服の裾を引っ張ってきた。

「あの!」

「なんだ。どうせまた、リリアンヌ先生にダメだって言われたんだろうが」

 レオンハルトが振り向くと、フィオーネは少し俯いていたが、顔を上げた。

「だから、私はリリアンヌお姉様に意見しようと思うんです!」

 意外な言葉に、レオンハルトは目を丸めた。フィオーネは、リリアンヌを信奉と言っても良いほど慕っているのだ。
リリアンヌの言うことが正論なのは本当だが、フィオーネは全面的に信頼していて彼女の意見に逆らうことはない。
それはリリアンヌの弟であるケーシーも同じだが、少々方向性が違う。フィオーネにとって、リリアンヌは絶対だ。
そんな彼女が、リリアンヌに意見しようとは。レオンハルトは既に涙目になっているフィオーネを、じっと見つめた。

「本気か?」

「だ、だって…」

 フィオーネはレオンハルトの裾を離し、華奢な肩を縮めた。

「レオさん、危なっかしいですし。それに、私以外の女の人と同じ空間で過ごすって思うと、我慢出来なくて…」

 尖った耳元まで赤らめたフィオーネは、顔を伏せた。つまり、レイラ・ベルナールと何か起きないか不安なのだ。
フィオーネは普段は嫉妬などほとんど見せないので、尚更いじらしく思え、レオンハルトは顔が緩みそうになった。
だが、弛緩した顔を見せるのはプライドが許さないので、レオンハルトはフィオーネに背を向けて強めに言った。

「お前が一緒に来る方が、余程危なっかしい」

「そんなことないです! 私だって、ちゃんとオペレート出来るんですから!」

 フィオーネの上擦り気味の必死な反論に、レオンハルトは少年じみた加虐心を煽られてしまった。

「どうだかな。お前の下手なオペレートで、見当違いの宙域に放り出されちまったら困るんだよ」

「そんなことにはしません! むしろ、レオさんの方が心配です!」

「だったら、具体的に言ってみろ」

「えっと、あの、口が悪いし、態度も無駄に大きいし、操縦だって力任せだし、ちょっと乱暴だし、それに」

 フィオーネが言葉に詰まったのでレオンハルトが振り返ると、彼女は潤んだ瞳を上げてきた。

「レオさんは格好良いから、他の女の人に言い寄られりしたら…私なんて…」

「確かに、お前は身持ちが堅すぎて面倒だ」

 内心では弛緩したが体面を取り繕ったレオンハルトが返すと、フィオーネは声を震わせながら俯いた。

「だって…。あんなに恥ずかしいこと、出来るわけ、ないじゃないですか…」

 さすがにいじめすぎたか、とレオンハルトが思っていると、フィオーネは目元を拭ってから顔を上げた。

「でっ、でも! レオさんだったら、頑張れるかもしれません!」

「何をだ」

「えっと、だから、えっちいことです!」

 半ば自棄になったフィオーネが叫んだので、レオンハルトがぎょっとすると、整備士達の視線が一気に集まった。
フィオーネもそれに気付いて、ますます赤面して座り込んでしまった。恥じらっているくせに、やることは派手だ。
あー、うー、と恥ずかしさのあまりに変な唸り声を漏らしているフィオーネの目の前に、レオンハルトは膝を付いた。

「そこまで言うなら、もう逃げるなよ?」

 レオンハルトが意地悪く笑むと、フィオーネはびくっとして後退った。

「やっぱり、その、えっと」

「そんなに俺が嫌いなら、近付かなきゃいいじゃないか」

「違います、そんなんじゃないです!」

 フィオーネは下げていた体を戻し、レオンハルトに迫った。

「じゃ、具体的に言ってみろ」

 レオンハルトがフィオーネの腕を掴んで捉えると、フィオーネは視線を彷徨わせていたが、身を乗り出してきた。
唇に、少し冷たい感触のものが触れた。フィオーネは目をきつく閉じていて、その目尻には少し涙が滲んでいた。
頬を撫でる髪の柔らかさと、情欲を駆り立てる甘い匂い。レオンハルトはぐっと彼女の背を引き寄せ、深くさせた。
フィオーネは身を捩ろうとしたが、すぐに抗うことを止めた。薄い唇を充分に味わってから、フィオーネを解放した。

「…意地悪」

 軽く息を荒げたフィオーネは、冷たい床に座り込んでしまった。レオンハルトも唇を拭い、顔を背けた。

「自分からしてきたくせに、よく言うぜ」

「だって、レオさんがあんなこと言うから。でも、言うのはもっと恥ずかしいから、だから」

 囁きよりもかすかな言葉が、濡れた唇の間から零れた。項垂れた首筋に零れた後れ毛が、妙に艶めかしい。
それを見たレオンハルトは、背筋が逆立つほどの情欲を感じた。少女だと感じても、女を感じたことはなかった。
タイトスカートから伸びるしなやかな足も、少しだけ乱れた襟元から見える素肌も、細い指先も、全て扇情的だ。
これでは、迫られる前にどうにかなってしまいそうだ。レオンハルトは懸命に本能を押し殺し、頭を切り換えた。
今は、太陽系へのフライトのことだけを考えていなければ。フィオーネと一線を越えるのは、仕事を終えた後だ。
 いずれ、この恋は愛に変わるのだろう。





 


08 11/15