アステロイド家族




天からの訪問者



 ジョニー・ヤブキは、招かれざる訪問者だった。
 あれほど激しい衝突事故を起こしてもほぼ無傷であったということは素晴らしいが、何分、性格が派手すぎた。
マサヨシの操る機動歩兵に回収されて廃棄コロニー内に入る最中も、休むことなく延々とお喋りを続けていた。
苛立ったイグニスに叱責されると一旦は収まるが、しばらくするとまたお喋りを再開して延々と喋り続けていた。
事故に遭ったショックで動揺し、一時的に精神が高揚するのはよくあることだが、それにしては度が過ぎていた。
 そんなヤブキを家まで招くのは躊躇いがあったが、木星基地と連絡するためにも招かないわけにはいかない。
通信自体はスペースファイターからでも出来るのだが、商売道具に触られるのは不安を通り越して恐怖だった。
ジョニー・ヤブキの好奇心はマサヨシと機動歩兵だけに留まらず、イグニスに対してもしきりに話し掛けていた。
といっても、ヤブキがイグニスに問う事柄はヒーロー物に心酔した少年そのもので愚にも付かない内容だった。
イグニスは苛立ち続けて段々疲れてきたのか、家に着く頃にはやる気のない返事を繰り返すだけになっていた。
 家に着くと、涙目のミイムと膨れっ面のハルが待っていた。そういえば、こちらの二人も随分怒っているのだ。
マサヨシもミイムが作る食事には日々期待しているので、今度ばかりはハルの気持ちが痛いほど解ってしまう。

「あのお二人は、兄貴達のご家族っすか?」

 ヤブキはマサヨシを見、二人を指した。いつのまにか、マサヨシとイグニスは兄貴呼ばわりされるようになった。
マサヨシはその二人称が気恥ずかしくて背筋がむず痒くなったが、否定するとまた面倒なのであしらうことにした。

「ああ、そうだ」

「どうも初めまして、オイラ、太陽系方面宇宙軍木星大連た」

 敬礼して元気良く挨拶を始めたヤブキに、ハルは叩き付けるように叫んだ。

「ママの作った朝ご飯、返して!」

「…はい?」

 自己紹介を中断させられたため、ヤブキはきょとんとした。ハルは、ぎゅっとスカートを握り締める。

「あんなにひどいことするなんて、だいっきらい!」

「えっと、なぜオイラは、いきなり幼女にキレられなきゃならないんすか?」

 ヤブキは困惑しながらも、マサヨシに尋ねた。マサヨシは、強く言い返す。

「お前がこのコロニーの外壁に墜落したおかげで、俺達の朝食が台無しになったんだよ」

「マジっすか?」

 まさかそんな、とへらへらと笑うヤブキに、大きな瞳に涙を溜めていたミイムが喚いた。

「みぎゅう、最低ですぅ! せめてもう一時間くらい後に墜落して下さいよぉ! あなたのせいで、ボクが昨日の夜から仕込んだ野菜たっぷりのトマトスープも焼きたてのパンもふんわりトロトロのチーズオムレツもお手製ドレッシングの温野菜サラダもデザートに出そうと思っていたうさぎさんのミルクプリンも台無しなんですぅ! さっさと帰りやがれですぅ! なんだったらボクが宇宙に放り出しますぅ!」

「あ、はぁ…」

 怒りに震えるミイムの形相に、さすがにヤブキも状況を掴み、深々と頭を下げた。

「それはどうも、申し訳ないことをしたっす」

「そんなんじゃ全然足りないですぅ、誠心誠意を込めて謝罪しやがれですぅ!」

「本当にすんませんでしたっす」

「もっと自分の立場を弁えやがれコンチクショウですぅ! この罪を償うためには、辺境の資源採掘惑星で二百年の強制労働の刑に処してもちっとも足りないんだよこの野郎ですぅ! 身ぐるみ剥がして外装も剥がして補助AIも武装も何もかもを引っこ抜いて、脳髄だけにして木星にぶん投げて帰してやるぜドチクショウですぅ!」

 乱暴な罵倒を並べ立てたミイムの声は、若干低くなっていた。怒りのあまり、地が出たようだった。

「その生意気なツラを貸せやですぅ! 親でも見分けが付けられないぐらいに整形してやりますぅ!」

 憎悪にも等しい怒りに駆られたミイムがヤブキに掴みかかろうとしたので、マサヨシは仕方なくミイムを止めた。

「その辺にしておけ、ミイム。ハルが泣くぞ」

「みゅ…」

 マサヨシに阻まれたミイムは途端に威勢を失い、気色悪いほどしおらしい態度でマサヨシに謝った。

「ごめんなさい、パパさん。ボクったら、つい…」

「なんすか、この人は?」

 頭がおかしいんすか、と小声でヤブキが尋ねてきたので、イグニスは首を横に振った。

「俺としては、どっちもどっちだと思うがな」

〈ま、まぁ、ミイムちゃんには裏表がありそうだとは薄々思っていたけどね…〉

 イグニスの巨体の影に隠れて事の次第を見守っていたサチコは、いつになく慎重な動きでマサヨシに近付いた。

〈それでマサヨシ、このヤブキ君の扱いはどうする気なの? このままじゃ、ミイムちゃんに殺されちゃうわ〉

「それもそうだが…」

 マサヨシは曖昧な返事をし、さてどうするか、と思案していると、不機嫌が最高潮に達したハルが目に入った。
ハルが怒るよりも先にミイムが怒り出してしまったので、取り残されてしまい、ますます機嫌を損ねたようだった。
小さな唇を突き出して柔らかな頬を膨らませたハルは、マサヨシと目が合っても怒りが漲った視線を注いできた。
本気で怒っている。マサヨシは思わず後退りそうになったが、それを堪えて踏み止まり、ハルの前に歩み寄った。

「ハル、そう怒るな」

「パパだって怒ってるじゃないの。その人のこと、嫌いだから怒ってるんでしょ?」

 ハルの核心を突いた言葉に、マサヨシは一瞬言葉に詰まるも、取り繕った。

「本音を言えば、まあ、物凄く鬱陶しいんだが、だからといって宇宙に放り出すのは人道的にどうかと思うんだ」

「それマジひどくないっすか、マサ兄貴」

 不愉快げなヤブキに、イグニスは言わずにいられなかった。

「何もかもお前のせいなんだよ。いい加減にそれを自覚しやがれ、木偶の坊サイボーグ」

「でも、オイラは」

「あのなぁヤブキ、事故ったのは仕方ねぇにしてもその後の態度が問題なんだよ。俺らとの出会い頭でまず非常識なことをのたまいやがるし、ここに来てからも厚かましいを通り越してふてぶてしいんだよ、お前の態度は。もうちょっとしおらしくしてきっちり謝っときゃ、なんとかなったはずなのによ。お前の神経は鋼鉄ワイヤー製か?」

「それ、よく言われるっす」

 あっけらかんと答えたヤブキに、イグニスは額に当たる部分を抑えた。

「だから、その態度をなんとかしろっつってんだよ」

「ハル、ミイム、とりあえず家に戻ろう。イグニスも休んでおけ。だが、ヤブキは外にいろ」

 マサヨシはぶすくれているハルを抱き上げると、格好だけはしゅんとしているミイムを家に入るよう促した。

「サチコ。ヤブキの監視を頼む」

〈え、ええっ!?〉

 仰け反るかのように縦に一回転したサチコに、マサヨシは渋い顔をした。

「お前以外に頼めると思うか?」

〈確かに、この状況だとそうよね。了解したわ、マサヨシ。余計なことをしないように、ちゃんと見張っておくわ〉

「よろしくな」

 マサヨシはサチコに悪いとは思いながらも、ヤブキから離れられる安堵に浸りながら、ひとまず家の中に戻った。
イグニスもまた、頭痛がしてきやがったぜ、と零しながら、家に隣接している彼の自室のガレージに入っていった。
ハルの不機嫌は直りそうになく、ミイムの怒りも落ち着きそうになかったが、二人を宥めなければ何も始まらない。
マサヨシも軽い頭痛を感じていたが、ここで逃げ出しては父親の尊厳もへったくれもないのでハルらの相手をした。
二人の怒りは空腹から来ていることもあったので、マサヨシもミイムを手伝って、あり合わせの朝食の準備をした。
ミイムが来てからは御無沙汰していた保存食やインスタント食品ばかりだったが、腹を膨らますことだけは出来た。
 そのおかげで二人はなんとか落ち着いて、マサヨシも空腹と苛立ちで殺気立っていた神経が多少落ち着いた。
改めて客観的に状況を見ると、ヤブキを一方的に責めるのは酷だが、彼の妙に明るい態度は神経を逆撫でする。
ヤブキはその性格を自覚しているようだったが、自覚している上で態度を改めないとなると、かなり厄介だった。
 マサヨシは早朝から怒ったために疲れてしまったハルとミイムがリビングで寝入ったのを見つつ、考え込んだ。
ヤブキを軍に引き渡すのは簡単だが、それでいいのだろうか。ハルの情操教育に、悪影響が出るのではないか。
確かにこの一件に関してはヤブキが悪いが、ヤブキの言い分を全く聞かないまま事を収めるのは乱暴なのでは。
 二人の寝顔を見ながら、マサヨシは悶々と考え込んだ。




 外に取り残されたヤブキは、膝を抱えて座っていた。
 傍らにはサチコの球体のスパイマシンが浮いており、瞳孔に似た無機質なレンズでヤブキを見つめていた。
事故を起こすのは、これで五度目だった。だが、これまでは全壊ではなく、最悪でも半壊程度の事故だけだった。
だが、今回の事故は程度が違う。やっと長距離航行訓練を受けられたことが嬉しくて、喜びすぎたのかもしれない。
同期の訓練生が次々と厳しい訓練をパスして一人前の兵士になり、活躍する様を、ヤブキは何度となく見てきた。
そして、後輩が入ってきたと思ったらまたもや追い越され、そしてその後輩にも追い越され、追い越され続けた。
彼らはヤブキがどうしても出来ないシミュレーションや訓練を呆気なくこなし、仲良くなる前にさっさと卒業していく。
そしてまた、ヤブキは落第して留年する。今となっては、訓練学校に在籍出来るぎりぎりの年齢になってしまった。
 新人類は心身の成長が早く、十五歳で成人になり、責任や権利を得ると同時に兵士に志願する資格を得る。
訓練学校で訓練を受けられる期間は三年間なので、順調に進めば十八歳で一等兵として宇宙軍で使役される。
だが、ヤブキは落第に落第を重ねた挙げ句、今年で二十歳になってしまった。成人どころか、社会人の年齢だ。
しかし、未だに訓練学校から出ることすら出来ない。教官も最早諦めているのか、ヤブキの扱いはぞんざいだ。
ヤブキとしては、今度こそは、と決意して訓練に臨むのだが、いつもやる気ばかりが空回りして失敗してしまう。

「なーんでオイラはいっつもこうなんすかねぇ…」

 ヤブキが独り言を漏らすと、サチコが返した。

〈私に聞かれても困っちゃうわよ〉

「ま、そりゃそうなんすけどね」

 ヤブキは抱えていた膝を伸ばし、上体を反らした。頭上には、スクリーンパネルの青空が広がっている。

「ここ、面白いコロニーっすね」

〈そうね。太陽系の惑星の衛星軌道上に量産されているタイプのコロニーとは違うわね〉

「オイラ、ただの小惑星だと思ったんすけどね。だから、突っ込んだ時は死ぬんだって思ったっすよ。だから、兄貴達が宇宙に出てきた時はめっちゃめちゃ嬉しかったっすよ。オイラ、まだ運があるんだって」

〈それは言えているわね。あなたがこのコロニーに衝突した上で生存する確率は、天文学的数値の偶然だもの〉

「で、嬉しくて、喜びすぎちまったんすね。オイラ、すぐ調子に乗っちゃうっすから」

〈事情が事情だからヤブキ君を責めるのは良くないとは思うけど、ミイムちゃんとハルちゃんの気持ちも解らないでもないし、物凄く癪だけどイグニスの意見も一理あるわ。だから、やっぱり最初に謝っておくべきだったと思うわ〉

「そうっすかね」

〈そうよ。今からでも遅くはないわ。ミイムちゃんとハルちゃんに謝ってらっしゃいよ。当然、マサヨシにもね〉

「イグ兄貴はいいんすか?」

〈イグニスはいいのよ。あんな奴が造ったゴミの山なんて、いくらでも壊しちゃってちょうだい〉

「サチコ姉さんて、ナビゲートコンピューターなのにめっちゃ人間みたいっすね」

 ヤブキがちょっと笑うと、サチコはくるりと一回転した。

〈それもこれも、マサヨシのおかげよ。マサヨシからは、色んな感情を教えてもらったんだから〉

「なんか、ちょっと羨ましいっす」

〈マサヨシのこと? それとも、このコロニーのこと?〉

「どっちもっすね。マサ兄貴の名前、オイラ、ちょっとだけなら聞いたことがあるっす。宇宙空挺団のエースパイロットだった兵士の名前も、マサヨシ・ムラタだったっすから」

〈ええ、そうよ。マサヨシは十年前まで従軍していて、最終的な階級は中佐だったわ。私は記録文書でしかマサヨシの活躍は知らないけど、それでも充分すぎるぐらいね〉

「その事情はよく解らないっすけど、いいっすよね、才能がある人ってのは」

〈そうよ、マサヨシは凄いんだから! スペースファイターとシンクロしているんじゃないかって思うぐらいに、滑らかな操縦と的確な射撃をするんだもの。見せてあげたいぐらいだわ〉

「んで、イグ兄貴もまた凄そうっすよね! オイラ、機械生命体をリアルで見たの初めてなんすけど、あんなにでかいビームバルカンを軽々扱ってる辺りからしてまず凄いっすよね!」

〈イグニスは別にどうってことはないわよ。戦闘能力は確かだけど、それ以外は最低の男だから。興味を持つだけ、記憶容量の無駄遣いよ〉

「サチコ姉さんって、マサ兄貴とイグ兄貴にめっちゃめちゃ温度差があるんすね…」

 サチコの態度のあまりの変わり様にヤブキはやや身を引いたが、サチコは平然としている。

〈あら、当然のことよ〉

「なんか、サチコ姉さんも結構裏表があるんすね。さっきの、二次元から引っ張り出してきたみたいな外見の美少女の、ミイム、っていったっすか? あの子ほどじゃないっすけど」

〈後々面倒なことにならないために、最初に言っておくわ。ミイムちゃんはママだけど男の子よ〉

「マジっすかぁ!?」

 ヤブキは素っ頓狂な声を上げ、仰け反った。

「だって、あんなに睫毛がズッバァーって長くて、腕も足も折れそうなくらい細くて、腰もきゅっと絞れてて、ギャルゲーみたいな顔してて、髪もピンクでふっわふわでめっちゃめちゃいい匂いがしそうなのに、あの子、男なんすか!? 確かに胸がぺったんこだなーとは思ったっすけど、それは貧乳だとばっかり思ってたっす! つうか、ある意味詐欺じゃないっすか! そりゃ、世の中には女みたいな男がツボな人は結構いるっすけど、オイラはマジ無理っす!」

〈私に怒ってもどうしようもないわよ。それに、事実は事実なんだから〉

 サチコがしれっと返すも、ヤブキはかなり動揺していた。

「あれで男って、そんな、有り得ないどころの話じゃないっすよ…。つうか、男なのに、なんでちゃん付けするんすか。なんでママなんてやってるんすか。うーわー、色々と有り得ないっすねー。二次元だったら許容範囲かもしれないっすけど、三次元じゃ無理っす、マジ無理」

〈だって、ミイムちゃんはある意味じゃ女の子よりも女の子らしいから、ちゃん付けがしっくり来るのよ〉

「要はオカマなんすね。あんなに可愛いのに」

〈それは失礼な表現ね、ヤブキ君。ミイムちゃんの種族は、人類とは性の概念が逆転しているだけなのよ〉

「宇宙は広いっすねぇ」

 いやあ驚いた驚いた、と漏らしながらヤブキは姿勢を戻し、辺りを見回していたが、ある一点で視線を止めた。

「ん…?」

 その視線の先にはマサヨシらが造成した畑があり、空気循環を行う際に発生する風を受け、作物が揺れていた。

〈ああ、あれはマサヨシとイグニスがハルちゃんの情操教育のために造った畑よ〉

 サチコはヤブキの視線を辿り、説明した。ヤブキはサチコをちらりと見たが、また畑を見据えた。

「あーあー、ダメっすよー。あんなに狭い間隔で植えちゃ、大きくなるものもならないっすよ。花壇じゃないんだから、あんなに真っ平らに植え付けちゃったら、水捌けも悪いじゃないっすか。あーもう見てられないっす、これだから素人ってのは…。んで、サチコ姉さん、農具ってどこにあるっすか?」

〈イグニスのガレージにあるはずだけど、それがどうかしたの?〉

 サチコは若干嫌な予感を覚えながらも、ヤブキを覗き込んだ。ヤブキは、ぐっと拳を固めて立ち上がる。

「オイラにお任せ下さいっす!」

 イグ兄貴のところに行ってくるっす、とヤブキは背筋を伸ばして最敬礼すると、一目散にガレージに駆け出した。

〈ちょっと待ってよ、何をするつもりなの、ヤブキ君!〉

 サチコは慌ててヤブキを追ったが、フルサイボーグであるヤブキの足は思いの外速く、すぐに引き離された。
サチコは全速力を出して飛ぶも、所詮は小型のスパイマシンでしかないので、フルサイボーグには追い付けない。
仕方ないのでヤブキに照準を合わせて目を離さないようにしてから、サチコは改めてスパイマシンを加速させた。
もしもヤブキに暴走されたら、マサヨシの命令が守れない。サチコは焦りを感じながらも、ヤブキを追い続けた。
サチコを振りきってイグニスのガレージに到着したヤブキは、意気揚々と拳を振り上げてシャッターを殴り付けた。
 その耳障りな騒音は、ガレージだけでなくコロニー全体を掻き乱した。





 


08 3/11