アステロイド家族




ミッション・イズ・ロスト



 待ち合わせの時間まで、残り十五分を切っていた。
 隣に座る少女、ヒエムスは泣き止んでいたが、それでもブライアンにとって厄介であることに変わりなかった。
込み上がる苛立ちを大人の理性で押し殺していたが、リニアラインの速度がいつになく怠慢だと思ってしまった。
実際の速度は時速百キロを超えているのだが、気が立っていると些細なことが気に掛かって心がささくれ立つ。
 上官であり教官であるマサヨシ・ムラタ中佐の娘、ヒエムスを保護したことは、やはり間違いだったかもしれない。
というより、普通に警察に預けるべきだった。身元ははっきりしているのだし、その方が確実に家族と合流出来る。
恩を売っておけば訓練の時に目こぼしされるかもしれない、との打算的な考えが一瞬頭を過ぎった自分が馬鹿だ。
大体、真面目を絵に描いて組み立てて作ったような人間であるマサヨシに、小手先の媚びが通用するわけがない。
結局、自分自身の浅ましさが鼻に突いただけでなく、ルシールとのデートがダメになってしまうかもしれないのだ。
だが、大人としては迷子のヒエムスを放り出すことも出来ないので、第五ブロックを目指してリニアラインに乗った。
 世間的にも休日なので、リニアラインの乗客は普段よりも多かった。始発に乗らなければ、座れなかっただろう。
ブライアンは時折ヒエムスを窺っていたが、特に話すこともないので、見慣れた車窓の光景を睨むしかなかった。

「ブライアンお兄様」

 品の良さよりもわざとらしさが感じられる口調で、ヒエムスはブライアンを呼んだ。

「どうして私とお話しして下さいませんの?」

「初対面なんだから、話すことなんてねぇだろ」

「まあ、冷たい御方」

 ヒエムスは薄い唇を尖らせ、ブライアンを見上げた。

「私をお父様の元へ連れて行って下さるのは嬉しいですけれど、先程から私への対応がおざなりですわね」

「仕方ねぇだろ。俺、子供を相手にすんのは得意じゃねーし。軍人だし」

「軍人であることと、子供が苦手なのは関係ありませんわよ?」

 ヒエムスにさらりとダメ出しされ、ブライアンは苛立ちが高ぶりかけた。

「…ああ、そうだな」

「おかしいですわねぇー。可愛らしい私が可愛らしくお兄様とお呼びすれば、世間の殿方はコロリと参るとお兄様が仰っていたはずなのに。ブライアンお兄様は妹属性をお持ちではございませんの?」

「つか、俺はオタクじゃねーし。デタラメ吹き込まれて信じてんじゃねぇよ。言っちゃ何だが、お前の兄貴って変だな」

 ブライアンが毒突くが、ヒエムスは動じなかった。

「ええ、変ですわよ。私達のお兄様は、それはそれは変な御方ですわ」

「あっさり認められると気が抜けちまうな」

「でしたら、どういう反応をお望みでしたの?」

「いや…なんでもねぇや」

 一回り以上年下の少女にやり込められたことが情けなく、ブライアンは頬を歪めた。 

「お兄様は、三番目のお姉様と結婚するんですのよ」

 ヒエムスは小さな手を重ね合わせ、うっとりと目を細めた。

「…うぇ?」

 それは近親相姦では、と言いかけたが飲み込んだブライアンに、ヒエムスは微笑んだ。

「三番目のお姉様は、アウトゥムヌスお姉様と仰りますの。アウトゥムヌスお姉様はとても無口で大人しい御方なのですけれど、お兄様のことを心から愛しておられますのよ。だから、二人は事ある事にイチャイチャしておりますのよ。そりゃあ果てしなく鬱陶しいですけれど、慣れてしまえばそれも日常の一端なのですわ。あまりのイチャラブっぷりに、ぶん殴りたくなる衝動に駆られる瞬間もありますけれど」

「一つ聞いて良いか?」

「何なりと」

「教官んちの家族構成って、どうなってんだ?」

 好奇心に駆られたブライアンが尋ねると、ヒエムスは頬に手を添えた。

「あら、御存知ありませんの?」

「知るわけねぇし。てか、俺は生徒の一人でしかないって言ったろ」

「では、御説明いたしますわね」

 ヒエムスは細く白い指を折り、家族の名を挙げていった。

「まず、私達全員のお父様であり家族の中心であるマサヨシお父様、次にお父様の戦友であり親友のイグニス小父様、同上のトニルトス小父様。そして、私達四姉妹のお世話をして下さるのは、とっても優しくてお美しいけど怒ると怖いミイムママ、農業と二次元に身も心も捧げているジョニーお兄様、お父様のスペースファイターのナビゲートコンピューターであるガンマお姉様。そして最後に、私と同じ日にお生まれになったウェールお姉様、アエスタスお姉様、アウトゥムヌスお姉様が、私の家族ですわ」

「え? イグニス大尉とトニルトス大尉も家族なん?」

「あら、それも御存知ではありませんでしたの?」

 きょとんとしたヒエムスに聞き返され、ブライアンは彼らの行動を思い起こし、納得した。

「あー、だから帰る方向が一緒だったのかー…」

「何か質問はございまして、ブライアンお兄様?」

 ヒエムスが可愛らしく首を傾げたので、ブライアンはすぐさま疑問をぶつけた。

「言っちゃなんだけど、家族構成おかしくね?」

「どこがですの?」

「教官と大尉二人が同居してる、って言われてもピンと来ないけど納得出来ないわけでもねぇ。でも、お兄様ってなんなんだ? 父親と母親とコンピューターは解るけど、その兄貴ってのがマジ引っ掛かるんだけど。つか、なんで兄貴とお前の姉ちゃんが普通に婚約してんだ?」

「だって、お二人は愛し合っていますもの」

「そりゃそうかもしれねぇけど、なんか、まずくね?」

「まずいことなんて、一つもございませんわ。確かにお兄様は二十歳で、アウトゥムヌスお姉様は十歳ですけれど、五年もすれば正式に結婚出来ますもの」

「もっとまずいだろ…」

 それは真性のロリコンだ。ブライアンが顔をしかめると、ヒエムスは口元を手で覆った。

「もしかして、お兄様と私達に血の繋がりがあるとお思いですの?」

「…違うのか?」

 恐る恐るブライアンが聞き返すと、ヒエムスは答えた。

「ジョニーお兄様は、私達の家族ですけれど兄弟ではございませんわ。小父様と呼ぶにはまだ若すぎますし、本当のお兄様のように私達を可愛がって下さるから、敬意と愛情を込めてお兄様とお呼びしておりますのよ」

「そっか、まあ、そうだよな」

 ほっとすると同時に拍子抜けし、ブライアンは変な笑いを零した。マサヨシに限って、近親婚を許すわけがない。

「他に何か質問はございまして?」

 ヒエムスから再度問われ、ブライアンは少し考えてから言った。

「そういえば、どうして母ちゃんのことを名前で呼ぶんだ? それ、なんかおかしくね?」

「変ではありませんわ。ママはママなのですわ」

「後妻ってやつなのか?」

「違いますわ。ミイムママは私達の新しいママですわよ」

「じゃあ、やっぱり後妻なんじゃねぇかよ」

「ですから、違いますわよ」

「違わねぇだろうが!」

 一向に結論が出てこないので、ブライアンは牙を剥きかけた。

「ママはママですけれど、正真正銘の男の子ですのよ?」

 ブライアンに苛立たれたことが不愉快なのか、ヒエムスは細い眉を吊り上げていた。

「…え」

 ということは、マサヨシは。ブライアンは苛立ちも何もかも忘れ、身を引いた。

「てーことは、教官って、そういう趣味なん?」

「違いますわよ」

「いや、だってよ、男が母親ってことからしてまずおかしいだろ!」

「ママはママですわよ。ちなみに、ぴっちぴちの十七歳ですわ」

「え?」

 その言葉に、ブライアンは思わず耳を疑った。先程、ヒエムスら四姉妹の年齢が十歳であると聞いたばかりだ。
それなのに、母親が十七歳というのは、常識的に考えておかしい。どう考えても、子供の頃に産んだことになる。
しかし、遺伝子操作によって早熟な新人類と言えど、生殖機能が成熟するのは成人年齢である十五歳なのだ。
やはり、そのミイムママとやらは後妻に違いない。男の子、というのは、きっと見た目がボーイッシュだからだろう。

「どういう家族なんだよ、教官んちって」

 考えてみたら、今までブライアンにはマサヨシのことを知る機会はなかった。というより、知る必要がなかった。
過去の撃墜数は統一政府軍のベストテンに入る実力者であり、機械生命体を従える猛者であるとは知っている。
性格は温厚で真面目だが、ひとたびスペースファイターを操らせれば精密機械のように的確で正確な射撃を行う。
教官に就任したのは二ヶ月前だが教育者としての才もあり、宇宙空挺団全体の実力が底上げされつつあるのだ。
 だが、エースの中のエースであるマサヨシの背景は複雑というよりも奇怪で、すぐには飲み込めそうになかった。
マサヨシの家族への疑問は尽きなかったが、ブライアンは情報端末を出して時刻表示を見、唇を歪めてしまった。
待ち合わせの時間まで、残り五分になっていた。この分では、ヒエムスを返してからすぐに戻っても間に合わない。

「どうして、私は迷子になってしまったのかしら」

 しおらしくなったヒエムスは、膝の上で手を重ねた。

「お父様とガンマ姉様と一緒にいられて、とても楽しかったんですの。お姉様が三人もいらっしゃいますから、お父様を独占出来ることは少なくて、本当に嬉しかったんですの。それなのに、どうしてお父様のことを忘れてショッピングモールの外に出てしまったのかしら。面白そうなものが一杯だったのは事実ですわ、けれど、それはお父様と一緒に行けば良かったんですのよ。一人で行く必要なんて、どこにもなかったんですのよ。それなのに、私ったら…」

 顎を震わせたヒエムスは、唇を噛み締めた。

「なんて、愚かなのかしら」

 手の甲に涙を落とし、ヒエムスは項垂れた。

「きっと、お父様もお姉様方も怒っていらっしゃるわ。だって、だって…」

 しゃくり上げたヒエムスに、ブライアンは目を向けた。乗客達の視線がおのずと集まり、ブライアンにも向いた。
大方、二人は兄弟に見えているのだろう。ブライアンは何もしないわけにはいかなくなり、ハンカチを取り出した。
渡してやると、ヒエムスは躊躇いながらも受け取った。男物のハンカチに顔を埋め、溢れ出す涙を吸い取らせた。
嗚咽で息苦しげなので、小さな背中をさすってやった。大人びた態度を取っていても、やはり子供は子供なのだ。
 ヒエムスを落ち着かせながら、ブライアンは情報端末を取り出した。丁度、ルシールとの待ち合わせの時間だ。
どう足掻いても、間に合わないだろう。諦めきれなかったが、ヒエムスを放り出してまで行きたいとは思えない。
ルシールとの約束は大事だが、ヒエムスも放っておけない。良心と恋心の間でぐらついていたが、心が定まった。
 ヒエムスを、マサヨシの元に送り届けよう。




 こんな格好で、外を出歩くべきではない。
 ルシール・ヴィルヌーヴは後悔に苛まれながら、センターブロックの中央公園を目指して足早に歩いていた。
ショーウィンドウに映る自分の姿は、正視したくない。元々派手な格好を好まない質で、私服も黒ばかりしかない。
それなのに、カクテルドレスと見紛うような真紅のタイトなワンピースを着て、ダークレッドのミュールを履いていた。
色素が薄いために死体のように青白い胸元には細いチェーンのネックレスが下げられ、模造宝石が揺れている。
手に提げているのは、情報端末と化粧道具と財布ぐらいしか入らない黒革のハンドバッグで、武装は一つもない。
あるとすれば、ミュールのピンヒールぐらいだが、こんなものでは襲い掛かられた時に倒すどころか脱げてしまう。
 クレールとエミーリヤはブライアンをあれほど嫌っていたくせに、いざデートとなるとルシールを飾り立ててきた。
おかげで、いつもは櫛を通しているだけの長い銀髪も巻き髪にされて後頭部に盛られ、髪飾りも付けられていた。
これでは、デートに行くと言うよりも水商売の女だ。立ち止まると、左足首のアンクレットが落ち着き、音を止めた。
 中央公園の入り口で、ルシールは固まってしまった。ブライアンを探しに行こうと思っても、足が動かなかった。
やはり、こんな姿を彼に見せるのは恥ずかしい。だが、着替えに戻っては、待ち合わせの時間に間に合わない。
しばらく考えあぐねていたが、意を決したルシールは、深くスリットの入った裾を翻すほどの勢いで大股に歩いた。
 午後四時、中央公園、噴水の前。何度となく思い返して頭に刻み付けたことを確認しながら、ルシールは進んだ。
一際目を引く噴水の前に到着したルシールは、上がりそうになっていた呼吸を落ち着けながら、辺りを見渡した。
軍服でもなければパイロットスーツでもないので、見つけづらいのかもしれない。そう思い、入念に目を動かした。
 けれど、ブライアンの姿は見つからなかった。噴水に近付き、改めて注意して見てみるがやはり彼の姿はない。
途端に、ルシールは緊張が途切れてしまった。派手な格好で勇んでやってきた自分が、ひどく愚かな女に思えた。

「…何をやっているんだ、私は」

 自嘲したルシールは、手近なベンチに腰を下ろし、慣れないミュールで痛むつま先を投げ出した。

「あんな男に振り回されるとは、堕ちたものだな」

 毒突いてみるが、気は晴れなかった。それどころか、体温の低い体が火照るほどブライアンが恋しくなっていた。
きっと遊びだったのだ。そう思って気持ちを落ち着けようとしても、胸の奥から、感情の固まりが迫り上がってくる。
 ブライアン・ブラッドリー。訓練生へのデモンストレーションとして行った模擬戦闘の後、熱っぽく話しかけてきた。
どれほどルシールの操縦が美しいか、優雅か、と力を込めて語ってきたが、ルシールには意味が解らなかった。
戦闘に美しさなど求めていないし、増して優雅さなどない。そう言い切り、ブライアンに背を向けて立ち去ったのだ。
だが、彼の言葉は心に強く残った。ルシールの操縦は、無駄がなければ遊びもない、と言われるばかりだからだ。
 それ以降、ブライアンはルシールとの接点を持とうとしてきた。最初は、相手にしたくてもやり方が解らなかった。
軍隊という男社会にいるにも関わらず、ルシールは男っ気がなく、その上クレールとエミーリヤから守られていた。
学生時代にもお姉様として慕われていたので、年下の娘達から熱い視線を注がれるのは悪い気分ではなかった。
けれど、クレールとエミーリヤはルシールと言葉を交わそうと近付くブライアンを、徹底的に追い払ってしまった。
若い男のあしらい方はまだよく解っていなかったが、これ以上は可哀想だと思い、ルシールは二人を止めさせた。
二人からは文句を言われたが、なんとか落ち着かせて、訓練後や休憩時間にブライアンと交流を図っていった。
 ブライアンは、良くも悪くも少年だった。ルシールと二人きりになってもろくに言葉が出ず、詰まってばかりだった。
ルシールの些細な言葉で一喜一憂し、表情がくるくる変わり、少しでもルシールに気に入られようと頑張っていた。
だから、当初は弟のように思っていたが、ブライアンが注いでくる真摯な感情を受け続けると次第に変わってきた。
スペースファイターの操縦は荒削りだが力強く、感情に任せた行動ばかりするブライアンから目が離せなくなった。
危なっかしかったが、それ以上に気になった。そして、姉のような目線ではなく、女の目線で彼を見るようになった。

「この私を待たせるとは、良い度胸じゃないか」

 ルシールは情報端末を取り出してホログラフィーを展開し、アドレス帳を開き、ブライアンのアドレスを出した。
だが、通話ボタンを押せなかった。ブライアンに電話したところで、待ち合わせ場所に向かっているとは限らない。
もしかしたら、彼にからかわれているのかもしれない。そうだとしたら、ルシールは立ち直ることが出来ないだろう。
そう思った途端、途方もなく怖くなり、ルシールは情報端末の電源を切ってハンドバッグの奥深くへと押し込めた。

「臆病者め」

 戦いの中であれば、死をも恐れぬ戦士でいられるのに。ルシールは自分が情けなくなってきて、涙が滲んだ。
年下の男に振り回されたぐらいで泣くことはない、化粧が崩れてしまう、と思っているのに熱い塊が喉に詰まった。
 中央公園の上空に表示されている青空のホログラフィーが切り替わり、花をあしらった円形の時計が現れた。
短針は4を示し、長針は間もなく12に差し掛かる。約束した時間になろうというのに、彼の姿はどこにも見えない。
そして、無情にも長針が動き、第一公用語による時刻のアナウンスが響き、煌びやかなエフェクトが空を覆った。
 やはり、ブライアンは現れない。ルシールは腹立たしいのと悲しいのと馬鹿馬鹿しいのが混ざり、頬を歪めた。
恋心らしい恋心を抱いたのは、ブライアンが初めてだった。これまでは、言い寄られてもなんとも思わなかった。
だが、ブライアンだけは違う。彼を成す血の半分が同族のものだから、というだけで気に掛かったわけではない。
レーザーよりも真っ直ぐに、ルシールを見てくれた。顔や体だけでなく、人格そのものを愛してくれようとしていた。
だから、ブライアンに気を許せたのだ。それなのに、なぜ約束の時間が過ぎても当の本人が現れないのだろうか。
 持て余された気持ちが、宙に放り出されてしまった。





 


09 5/4