アステロイド家族




それいけジャール海賊団!



 ミラベル・ノノムラ星間捜査官は、すんすんと泣いていた。
 宇宙服を兼ねた戦闘用パワードスーツとしては有り得ない配色とデザインのスーツを着たまま、深く俯いていた。
リビングのソファーに座っているのだが、パワードスーツの重さでソファーが沈み、フローリングも若干軋んでいた。
外装の分厚さと武装からして全体的な重さはヤブキの体重と大差がなさそうだが、女性の装備としては重すぎる。
当のミラベルはその重さを物ともしていないのか、アームガードの付いた手であることを忘れて涙を拭おうとした。
ハート型の赤いゴーグルにごりごりと装甲が擦れ、ようやく涙が拭えないことに気付き、ミラベルはマスクを開いた。
リビングテーブルに置かれていたティッシュペーパーを数枚取って、頬と顎を拭ってから、ミラベルは口を開いた。

「…さっきのこと、忘れて下さい」

 涙で詰まったせいで余計に切実さが増した声で懇願されたが、ヤブキとミイムは冷めたリアクションをした。

「忘れろって言われても、ありゃむしろ忘れる方が難しいっすよ?」

「ていうかぁ、あんな登場しといてぇ、スルーしろってのがまず無理ですぅ。スルーしたいのは山々ですけどぉ」

「正論だな」

 と、デーゲンが同調すると、ミラベルは頭を抱えて仰け反った。

「いやあああっ! 私の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿すぎてもうどうしようっ! ていうかなんでやっちゃったのー!」

「宇宙刑事でも目指してるんすか? あばよ涙でよろしく勇気、みたいな?」

 ヤブキが何の気なしに言うと、ミラベルは何度も深呼吸してから答えた。

「は、はい。私、その、なんていうか、そういう家系なんですよ。両親もお兄ちゃんも星間捜査官なんですけど、その、うちの家族は全員、正規の試験を受けて採用されたわけじゃないんです。ええと、なんていうのかな、あ、でも、一般人に言ってもいいのかな、ちょっと調べますね」

 ミラベルは左腕のアームガードに内蔵された情報端末を操作し、服務規定を一通り読んでから話を続けた。

「あ、大丈夫みたいですね。じゃ、続けます。えっと、その、私と私の家族は、一種の特異体質なんです。生身で宇宙空間に放り出されても平気だし、至近距離で主砲を浴びても死なないし、超能力に対する耐性もあるし、勉強しなくても情報をざっと眺めれば理解出来ちゃうし、肉体を変質させて機械に融合合体することも出来るんです。つまり、その、いわゆるヒーローとでも言いますか…」

「そりゃ凄いっすね。で、それと、さっきのへっぴり腰な口上はどう関係あるっすか?」

 ヤブキが話の筋を戻すと、ミラベルはがちゃがちゃとパワードスーツを鳴らしながら身を縮めた。

「ええと、だから、その、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも星間捜査官の範疇を越えた活躍をしているんですよ。で、だ、だから、私もそうならなきゃならないなぁって思って。まず、形から入ろうって思ったんですけど」

「だだ滑りしたわけですぅ」

 ミイムが傷口に塩を塗り込むと、ミラベルは頭を抱えて突っ伏した。

「いぃーやぁーっ!」

「変なことをしないで、普通に星間捜査官の仕事をすればいいじゃないか」

 デーゲンが呆れながら指摘すると、ミラベルはマスクを戻して口元を隠し、そろりとデーゲンを見上げた。

「でも、ここまでお膳立てされると、私も引っ込みが付かないんですよ。このパワードスーツだって、あのスペースファイターだって、お父さんとお母さんのプレゼントなんですよ。十七歳の誕生日の。で、あの口上はお兄ちゃんが考えてくれたので、練習したんですけど…」

「つうか、それって最早嫌がらせじゃねぇか」

 窓の外から事の次第を窺っていたティーガーが肩を竦めると、シュピンネがミラベルの隣に座った。

「大変ねぇ、ミラベルちゃんもぉ。でもぉ、真面目に働けばぁ、いつか必ず報われる日が来るわよぉ」

「で、でも、私、その、捜査官の才能がないんですよぉー!」

 ミラベルはシュピンネに縋り、また泣き出した。

「犯人を追い詰めても逃がしちゃったり、反撃されるとビビって戦えなくなっちゃったり、ちょっとでもエグい現場に行くと気絶しちゃったりとかで、もう、始末書しか書いたことないんです! でも、辞める勇気もなくて、だから自分に自信を持てばなんとかなるかなって思って、宇宙刑事を目指してみたんですけどあの有様でぇー!」

 うえぇ、とミラベルは本格的に泣き出し、シュピンネに寄り掛かった。シュピンネは動じずに、彼女を慰めている。
水商売上がりのシュピンネは他人のあしらい方に慣れているので、大丈夫よぉん、と柔らかな言葉を掛けていた。
慰められると余計に自分の情けなさが身に染みるらしく、次第にミラベルの泣き声には悲壮感が漂い始めていた。

「あ」

 沸かし直した鍋が沸騰したことに気付いたヤブキは、キッチンに戻り、鍋に新たなそうめんを投げ込んだ。

「とりあえずそうめん喰うっすよ、そうめん!」

「え、でも…」

 ミラベルは気が引けるのか、腰を浮かせかけたが、ミイムがすかさず彼女の肩を押さえて座り直させた。

「つべこべ言わずに食べるですぅ、ストレス解消にはそれが一番ですぅ! ていうか、この場に現れたからには、ミラベルちゃんもそうめん処理に荷担しやがれってんだよですぅ!」

「さっきから思っているんだが、この家はそうめんしか出てこないのか?」

 デーゲンが疑問を述べると、ヤブキはそうめんが渦巻く鍋を菜箸で掻き回した。

「話せば長くなるんすけど、話すだけ無意味なんで話さないっす。んで、今度はどんな味にするっすかねぇー」

 茹で上がったそうめんをザルに開けて湯を切り、冷水で冷ましてから、ヤブキは冷蔵庫を開けて中を見回した。
ヤブキは体を曲げて冷気が流れ出してくる庫内を覗き込んでいたが、マスクフェイスを上げてミラベルに向いた。

「ミラベルちゃん、甘い物とか好きっすか?」

「あ、はい、好きです」

 ミラベルが答えると、ヤブキはにやにやしながら材料を引っ張り出した。

「んじゃ、いっちょ大冒険に出るっすかね! 海賊がいるんすから、冒険しなきゃ嘘ってもんっすよ、嘘って!」

 ヤブキは茹でたてのそうめんを油を引いたフライパンに開け、慣れた手付きで炒め始めたが匂いが妙だった。
そうめんを炒めた料理はいくつもあるが、いずれも味は塩辛い。れっきとした炭水化物なので、主食になるからだ。
だが、ヤブキが振るうフライパンから上る湯気に混じる匂いはやけに甘く、宙を舞うそうめんは緑に染まっていた。
サラダ油と炭水化物が焼ける匂いに加わるには全く相応しくない抹茶の匂いが強まり、リビング全体を満たした。

「ほい!」

 緑色に染まったそうめんを大皿に載せたヤブキは、その上に小倉あんとクリームを載せ、カウンターに出した。

「甘口抹茶小倉そうめんっすよー! 旧時代の素晴らしき文化を忠実に再現してみたっすよー!」

「ちょっと待てやコノヤロウですぅ!」

 異様な物体の出現にミイムがぎょっとすると、ヤブキは悪びれずにへらへらと笑っていた。

「いいじゃないっすかいいじゃないっすか、甘い麺類も旨いかもしれないっすよ?」

「甘辛いのは旨いけど、マジで甘いのはヤバいじゃねぇかよアホンダラですぅ! ていうか、あんなものを御客様にお出ししちゃダメですぅ! 相手は星間捜査官なんですよぅ、下手なモン喰わせてしょっ引かれたら、誰がこの家を御掃除したり洗濯したり御飯を作ったりするっていうんですかぁ!」

 と、もっともらしいことを言いながらも、ミイムは狂気の甘口抹茶小倉そうめんに箸を添えてミラベルに出した。

「たんと召し上がりやがれですぅ!」

「あ、じゃあ、頂きます」

 マスク部分を開いて口を出したミラベルが箸を取って一礼すると、デーゲンは後退った。

「喰うのか、喰っちまうのかよ、そんな代物を! 人様の家に御邪魔した時には出されたものに文句を言うなと俺も徹底的に躾けられたが、だからってそりゃあいくらなんでも逆らうべきだろう! 人として!」

「あ、でも、意外と…」

 ミラベルは小倉あんとクリームの絡んだ抹茶味のそうめんを啜り、普通に食べ始めた。

「続いて第二弾っす! これもまた旧時代の素晴らしき文化を忠実に再現した、甘口イチゴそうめんっすよー!」

 先程使い切れなかったそうめんを手早く炒めたヤブキは、その中に躊躇いもなくイチゴシロップを投入した。

「みゃははははははっ! てめぇらもとっとと喰いやがれですぅ、恨むんなら一家の主のくせして好き嫌いがはっきりしすぎているパパさんを恨みやがれやコンチクショウですぅ!」

 なるようになってしまえ、とミイムも吹っ切れてしまい、サイコキネシスを行使して四人を強引に食卓に座らせた。
それもこれも、連日連夜の無限そうめん地獄のせいである。元凶はマサヨシだが、今は何千万キロの彼方にいる。
だから、彼らに大量のそうめんを出すのは八つ当たりなのだが、そうせずにいられないほど追い詰められていた。
いくら食べても敵は尽きず、かといって捨てるのも忍びなく、しかし食べなければ終わらないので食べ続けていた。
だが、こうも毎食毎食そうめんでは、本来は何の罪もない加工食品でしかないそうめんに並々ならぬ憎悪が沸く。
旧時代の文化だと言い張って非常識な味付けをするヤブキを、今ばかりはミイムも罵倒する気にはならなかった。
むしろ、爽快だった。宿敵、そうめんに陵辱の限りを尽くして、来客達に次から次へとお見舞いしているのだから。
 小一時間後。頭痛がするほど甘く味付けられたそうめんを前に、ミラベル以外は、皆、押し黙ってしまっていた。
食べるだけ食べたのだが、途中で箸を止めている。それもこれも、そうめんとしては有り得ない甘さと量だからだ。
早々にリタイアしたのがフリーゲンで、その次にデーゲン、シュピンネで、レピデュルスだけは最後まで頑張った。
しかし、最後まで食べ切れず、レピデュルスの目前の大皿ではパイン味の黄色いそうめんがとぐろを巻いていた。

「なんか…色々とどうでもよくなった…。気持ち悪すぎて…」

 吐き気を堪えながらデーゲンが呻くと、フリーゲンが突っ伏してだらりと両翼を下げた。

「あ、頭が痛ぇ…。こいつぁ、俺には甘過ぎらぁ…」

「消化液が追い付かないわぁん」

 麦茶を傾けたシュピンネがため息を零すと、レピデュルスは腹部の口を押さえて背を折り曲げた。

「このようなものは、私が生きてきた中で経験したことのない味だ…。五億年など浅はかな経験だというのか…」

「おい、大丈夫か?」

 不安になったティーガーが声を掛けると、口元を押さえて背を丸めたデーゲンが手を振った。

「あんまり大丈夫じゃない…。すまんが、帰還は遅れると母艦に伝えてくれ…」

「お、おう…」

 ティーガーは更なる不安に駆られたが、その指示に従い、ヴォルフガング号のメインブリッジに通信を行った。

「こちらティーガー、ヴェアヴォルフ号、応答せよ。ユニー、俺だ。俺達は五人共無事だ。星間捜査官とも鉢合わせたが、なんか妙なことになっちまってよー。ああ、いやいや、逮捕はされてねぇぞ。神に誓って。だが、若旦那達がくたびれちまったから、帰還時刻は遅れそうだ。現状を維持し、指定宙域での待機を続けろ。何、土産だ? そんなもんあるか、ていうか要求するな、型落ちナビゲートコンピューターのくせに! 交信終了」

「確かに甘すぎますけど、結構おいしいと思いますよ?」

 一人、平然と甘口抹茶小倉そうめんを完食したミラベルは、ごちそうさまでした、と手を合わせた。

「でも、そうですね、お腹一杯食べると細かいことはどうでもよくなりますね! 自分じゃ厄介なだけだけど、この体質に生まれついたのも何かの運命ですよね! 犯罪捜査だって、戦闘だって、訓練学校の基礎訓練からやり直せばいいだけのことですもんね! 先輩捜査官から、実地訓練を受けるのも有効ですね! それに、宇宙刑事だって、今すぐそれらしく出来るわけがないですもんね!」

 ミラベルはすっくと立ち上がり、両手を胸の前で組んだ。

「ありがとうございます、ジャール海賊団の皆さん! おかげで、私、自信が持てました!」

「ああそう…」

 気持ち悪さで全てにうんざりしたデーゲンがぞんざいに返すと、ミラベルは敬礼した。

「では、これにて私は失礼いたします! そうめん、ごちそうさまでした!」

 ミラベルが駆け足でスペースファイターに戻ろうとしたので、ティーガーが慌てて彼女を引き留めた。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれや!」

「なんですか?」

 ティーガーに掴まれて持ち上げられたミラベルがきょとんとすると、ティーガーはミラベルに顔を寄せた。

「お前さん、どうしてうちの艦を追い回したりしたんだよ! 俺らがこんなコロニーに来たのは、お前さんから逃げるためなんだぞ! つうか、説明してから帰れよ!」

「あ、そういえば。お腹一杯になっちゃったら、すっかり忘れちゃってました」

 ミラベルはティーガーの手から脱すると、身軽に庭に着地し、再びリビングに戻ってきた。

「えっと、そうそう、これです、これ」

 ミラベルは腰に提げた小型ケースを開くと、その中からどこにでも売っていそうなストラップを取り出した。

「はい、落とし物です」

 そのストラップをデーゲンの目の前に置いたミラベルは、情報端末を操作してホログラフィーを展開した。

「と、いうわけですので、調書を取らせて下さいね。後、遺失物を引き取ったという証明書と、諸々の署名と…」

「あー、うん、俺のだ。姉さんがくれたやつ」

 デーゲンはストラップを掴んでポケットに押し込めたが、起き上がろうともしなかった。

「でも、そんなことのために俺達を追い掛けてきたのか? 星間捜査官なのに?」

「だって、放っておけなかったんですもん。それに、どこぞの警察署に運び込まれたら、余程熱心に探さない限りは受け取れませんからね。これだけ宇宙が広いと、落とし物の量も膨大ですし、似たようなストラップもいくらでもあるし、もしかしたら他の人が受け取ってしまうかもしれないし。だから、直接お届けしようって思ったんです」

 ミラベルはデーゲンの前に左腕ごとホログラフィーを差し出し、詰め寄った。

「ですから、署名をお願いします。でないと、報告書を上げられないんですから」

「どうせ動けないんだ、逆らう気もない」

 デーゲンはミラベルに言われるがままホログラフィーに署名をすると、ミラベルは再度敬礼した。

「どうもありがとうございました。では、私はこれで」

 ミラベルが身を起こそうとすると、マスクを開いた際に若干緩めていたヘルメットが外れ、床に転げ落ちた。

「あ、わっ」

 ピンクとハートの外装に隠されていた長い黒髪がぶわりと広がって、黒目がちな大きな瞳が動揺で丸められた。
ファミリーネーム通りのアジア系の新人類で、肌の色は薄い黄色で目鼻立ちは小作りだが、繊細な魅力があった。
大人になりかけた少女の曖昧さが絶妙なバランスで備わっていて、首筋にほんのりと浮いた汗が妙に艶めかしい。
首から下に装備されたままのピンクのパワードスーツがアンバランスだが、それもまた愛らしさを引き立てていた。

「…若旦那?」

 フリーゲンがデーゲンの目の前で翼をひらひらと振ると、ミラベルに見取れていたデーゲンははっとした。

「ああ、うん、なんだ?」

「ラブずっきゅん、ってな感じっすか?」

 ヤブキがにやけると、ミイムは両手で頬を押さえて身を捩った。

「みゅっふうん、今までのアレな行動も美少女だったら全部許せちゃいますぅ、ていうか萌え萌えですぅ」

「し、失礼しましたっ!」

 ミラベルはヘルメットを抱え、ピンクでハートのスペースファイターに戻ると、エンジンを始動させて発進させた。
暴風を巻き上げながら浮上したスペースファイターは方向転換し、周囲の空間を歪め、ワープドライブを行った。
ミラベル機の着陸地点には当然ながらハートの形に吹き飛ばされた雑草だけが残されていて、嵐は過ぎ去った。
ああやれやれ、とティーガーが安堵すると、他の三人も似たような反応を見せたが、デーゲンだけは違っていた。

「野郎共ぉっ!」

 がっしゃん、と食べかけのそうめんを蹴散らしながらテーブルに足を上げたデーゲンは、力強く叫んだ。

「全員直ちに出撃! ミラベル・ノノムラを追うっ!」

「今の今まで逃げてた相手でしょうに」

 フリーゲンが呆れると、デーゲンは海賊帽を被り、高笑いした。

「ふはははははははははは! それがどうした、立場が逆転しただけのことじゃないか! いいか、俺達は海賊だ、海賊家業をしていなくても名前が海賊なら海賊だったら海賊なんだ、てぇことはつまり、奪うのが仕事だ!」

「何を奪うおつもりなのぉ?」

 シュピンネが首を傾げると、デーゲンは大宇宙の彼方を指すような気持ちで天井を指した。

「無論、ミラベルだ! ていうか、俺の嫁だ!」

「それは誰がお決めになられたことでございますか」

 呆れすぎて笑い出しそうなレピデュルスが言うと、デーゲンは親指を立てて自分を指した。

「無論、俺だ! 俺は一千年の歴史を持つジャール海賊団の船長にして代表取締役、そして、遠き日には母星全土を征服しようとしたけど後百歩ぐらいの地点で頓挫した革命組織の総統の末裔! だから、俺が支配と略奪を求めるのは、遺伝子に刻まれた本能なんだよ! たぶん!」

「素直に一目惚れだって言やぁいいのに、変なところで海賊スイッチが入っちまいやがって」

 ティーガーは笑いを押し殺していたが、立ち上がった。

「いいぜ、若旦那。こうなっちまったら、気が済むまで付き合ってやらぁな。休暇の前倒しってことでよ」

「では諸君、さらばだ! そうめん、前半は旨かったが後半は地獄だったぞ!」

 デーゲンは勢いだけはある挨拶をしてから、庭に繋がる掃き出し窓から外に飛び降り、シャトルに駆け戻った。
腹ごなしさせて下せぇな、とフリーゲンがぼやきながら続くと、若旦那も発情期なのねぇん、とシュピンネが笑った。
レピデュルスが丁寧な礼を述べてリビングを出ようとしたので、ミイムは彼にそうめんの袋を何十袋も押し付けた。
突き返される前に掃き出し窓を閉めたミイムが気色悪いほど美しく笑むと、レピデュルスは渋々シャトルに戻った。
大量のそうめんで胃を膨らませた面々がそうめんと共にワープドライブを行い、消え、ようやく平穏が戻ってきた。

「さて!」

 ヤブキは無意味に胸を張り、腰に両手を当てた。

「今夜はぱあっとカレーライスでも作るっすかねぇ!」

「違いますぅ、とろとろでチーズたっぷりなグラタンですぅ! マカロニ抜きですぅ!」

「んじゃ、間を取ってカレードリアなんかどうっすか? カレードリア!」

「仕方ねぇですぅ、今日だけはカレードリアで妥協してやるぜアホンダラですぅ」

 口では文句を言いながらも、ミイムは上機嫌だった。ヤブキの作るカレーは旨いし、洋食もなかなかだからだ。
ホワイトソースは何が何でも譲らない、と思いながら、ミイムは宴の後のように散らかっているリビングを片付けた。
ヤブキもまたそうめん地獄から解放された清々しさからか、カレードリアを連呼するだけの即興の歌を歌っていた。
浮かれながらの片付けが終わり、さてカレードリアの仕込みだ、と作業を始めると、ヤブキの情報端末が鳴った。
マサヨシからのメールで、うどんが食べたい、とだけ書かれ、添付された画像に大量のうどんの袋が映っていた。
ヤブキとミイムは無言で顔を見合わせ、それだけは許さない、絶対にだ、と書いたメールを滝のように送り返した。
怒濤のメールボムが功を奏したのか、マサヨシからは一言、悪かった、と返信があり、第二の悲劇は回避された。
だが、二人はまだ知らない。授業でそば打ちをした四姉妹が、そばの生麺を溢れるほど抱えて帰ってくることを。
 麺類地獄は、もうしばらく続くのであった。







09 11/3