均衡を保つための距離。距離を狭めるための拮抗。 Sachiko・Parker。 宇宙連邦政府が定めた第一公用語に最も近い言語体系を持つ地球言語、英語で、彼女は名を記していた。 重要文書か契約書以外では肉筆で筆記する機会すら失せている今の時代では、直筆の署名があるのは貴重だ。 何の機会に、彼女が名を記したのかは解らない。だが、ステラの手元にはサチコの署名入りのディスクがあった。 何があったのかを思い出そうとしても、記憶に蓋がされているかのようで、掴み取れるどころか擦り抜けていった。 ど忘れしただけだ、と思おうとしても、喉の奥に異物がつっかえてしまったような気分に陥って、消化不良になった。 その状態が、どのくらい続いているだろうか。大事なことがあったはずなのに、どうしても脳が記憶を再生しない。 ステラ・クロウは、記録媒体としては汎用なディスクに書かれたサチコのサインを見つめながら、長く悩んでいた。 掃除を終えたリビングの中央に設置したソファーに腰を下ろし、エプロンを外してから、そのディスクを手に取った。 一息入れようと淹れてきたコーヒーは湯気が失せていて、その傍らに置かれたケーキもクリームが乾きつつある。 「何か、何かあるんや」 だが、どうしても思い出せない。 「うち、ホンマにどないしたんやろ」 ステラは嘆息してから、生温いコーヒーを啜った。次元管理局局長を辞職した後、ステラはただの主婦になった。 統一政府軍少佐のラルフ・クロウと結婚し、家庭に収まり、二人の間に子供を設けるために準備をしつつあった。 ステラは三十二歳であり、ラルフも三十五歳だ。医療技術が発達しても、出産するのに若いに越したことはない。 当初は二十代のうちに結婚するつもりだったが、ステラが次元管理局の局長に就任したので先延ばしになった。 五年前にそれを伝えた時、ラルフは嫌な顔一つせずにステラの昇格を素直に喜んでくれ、お祝いまでしてくれた。 だが、ラルフも焦れていたのだろう。ステラが次元断裂現象に関わる責任を取り、辞職して、すぐに結婚に至った。 ラルフが次元管理局から土星基地に転勤になった、というのも一因だが、段取りらしい段取りもない結婚だった。 双方の友人ばかりを集めた少人数の結婚式も挙げ、籍も入れたが、ラルフの都合で新婚旅行には行けなかった。 結婚したという実感が湧くまでは少々時間が掛かったが、今となってはステラはラルフの妻らしく振る舞えていた。 炊事洗濯掃除は、一日中コンピューターに向かって調査と数値計算を行う仕事とは違う意味で大変な仕事だが。 次元断裂現象に関わる全責任を負って辞職したので、ラルフはそれまでの仕事のことは忘れて暮らせと言った。 宇宙連合政府や統一政府や銀河系から責任を問われ、ステラは重圧で潰されかけたので、素直に受け入れた。 そんな日々の中でも、忘れられないことはある。親友の一人である、サチコ・ムラタ元次元管理局研究員だった。 サチコは、ステラの良い友人だった。次元管理局に配属されたばかりの頃、同世代だからということで知り合った。 同時に知り合ったレイラ・ベルナール少尉とも仲を深め、三人で一緒にランチをしたり、お茶を飲んだりしていた。 ステラはオペレーターでサチコは研究員でレイラは戦闘員だったが、噛み合うところが噛み合っていたようだった。 銀河を両断した次元断裂現象の後、レイラは軍も退役して救護戦艦リリアンヌ号に搭乗したが、今も交流はある。 だが、サチコは十年前に次元の歪みによって引き起こされた事故で、連絡艇から宇宙に投げ出されて死亡した。 数日前にサチコは四人の娘を産んだが、産後の肥立ちが悪く、次元管理局から木星に移送される最中だった。 「ちゃう、ちゃうんや…」 事実はそうだ。だが、何かが違う。噛み合っていない。ステラは側頭部を押さえ、眉間を歪めた。 「なんかこう、もっと、ちゃうことがあったんや。せやから、うちは思い出したいんや」 違う出来事が起きた気がしてならない。記憶を上書きされたかのような、違和感が拭い切れない。 「なんでや、なんでうちは思い出されへんのや」 頭を抱えて項垂れ、ステラは沸き上がる感情に戸惑った。 「思い出されへんことが、なんでこんなに辛いんよ…?」 だから、思い出したい。なのに、思い出せない。ディスクの中身を見ても、それは同じだった。 「サチコ。あんた、うちと何かあったんやろ? そやろ? せやから、うちは思い出しとうてしゃあないんよ」 ディスクに記された彼女の名を見つめ、ステラは自問した。 「うちに教えてくれへんか? なあ、サチコ」 もどかしさのあまり、ステラは目頭が熱くなった。なぜ、こんなにも胸が詰まるのか、その理由すら解らなかった。 次元断裂現象が発生する前、ステラは取り返しの付かないことをした。だが、その内容までも朧気になっていた。 レイラに命令を下してマサヨシらの住むアステロイドベルトのコロニーに向かわせたが、その理由がぼやけている。 記録文書を辿っても、レイラに聞いても、ラルフや元部下達に聞いてみても、全く同じ答えしか返ってこなかった。 次元断裂現象の兆しがあったから、レイラは調査のためにマサヨシの元に派遣されたのだ、としか言わなかった。 次元断裂現象前後の記録文書にもそう書いてあるし、皆がそう言うが、ステラにはどうしても納得出来なかった。 取り返しの付かない過ちをした。その切っ掛けは自分でも腹立たしいほど他愛もないことだ。だが、記憶にない。 覚えていなければいけないはずなのに、覚えている気がしない。それ以前に、記憶していたことすら忘れそうだ。 まるで、誰かが時間を巻き戻して発生した事象をなかったことにしたかのようだが、そんなことはないとも思った。 「うち、創造論、嫌いやもん」 ステラは独り言を漏らし、室温と同じ温度になってしまったキャラメルバナナケーキを頬張った。 「そら、宇宙全体を監視しとる目があって、誰かに観測されとることでうちらっちゅう宇宙と次元が成立しとるっちゅうのは理論としてはアリやけど、なんや面白くないやん」 甘いクリームとバナナが挟まったスポンジを咀嚼しながら、ステラは次元論や宇宙論に対する反論を思案した。 辞職した今では論文を発表する機会などないが、頭の中でひたすら理論をこねくり回すことは止められなかった。 自分を始めとした新人類や旧人類の功績を全否定しているかのように思えて、単純に面白くないからでもあった。 「ただいま」 玄関のアラームが鳴り、ラルフの声がした。 「うん、お帰りぃ、ラリーはん」 キャラメルバナナケーキの残り三分の一を食べてから、ステラは夫を出迎えに行った。 「なんや、今日は早いやん?」 ステラがラルフを出迎えると、軍服姿のラルフはステラにキスをしてから、リビングに入った。 「ちょっと面倒なことが起きてさ」 「面倒って何やの?」 ステラが尋ねると、ラルフはソファーに腰を下ろし、襟元を緩めた。 「アステロイドベルトにワープ空間が発生して、珪素原始生物、識別名称クリュスタリオンが大量にワープアウトしてきたんだ。で、全個体を撃墜したのは、休日で帰宅していたファントム小隊なんだが、まだ油断は出来ないってことで、俺達土星艦隊が派遣されることになったんだ」 「せやな。木星艦隊は全滅しとるもんな、アウルム・マーテルん時に」 「そうなんだよ。その時の損害がなければ、二番手である俺達にはお鉢は回ってこなかった」 ラルフはステラが淹れてくれたコーヒーを受け取ると、一口飲んだ。 「件の珪素原始生物は、巨大移民宇宙船ペルグランテ号を襲撃したものと同種族だと確定してもいいだろう。ペルグランテ号の時にも戦って、今回も戦ったマサが言っているんだから間違いない。撃退方法もあるようだし、相手は原始生物だから難しい戦いにはならないだろう。気を付けるに越したことはないけどな」 「ちゅうことは、しばらく帰ってこられへんのやね?」 ステラがラルフに寄り掛かると、ラルフはステラの肩に手を回して抱き寄せた。 「これでも俺は機動歩兵部隊の隊長だからな。場合にもよるが、三ヶ月は詰めるかもしれない。アステロイド基地は、本来重力場観測基地でしかないから、兵力もなければ武装もないからな。半年前の次元断裂現象以来、次元と空間のバランスは保たれているが、今回のように何らかの切っ掛けで均衡が崩れることもある。クリュスタリオンの生息宙域は太陽系はおろか、この銀河系からも何千万光年と遠く離れている。そんな宙域で生息していた連中が、どうして太陽系に来たのか、その理由を調べるのも任務の内なんだ」 「そやな。珪素生物っちゅうんはうちら炭素生物には解らんことだらけやし、研究対象としてはもってこいやし、相手の知能レベルにもよるけど上手くいけば機械生命体みたいにコンタクトも可能かもしれへんからな。大々的に調査するのは、無益な戦闘を回避出来るようにっちゅうことでもあるんやし。ともすれば太陽系の未来が掛かっとる重大な任務やし、しゃあないことやって解っとるけど、うち、寂しゅうてたまらんわ」 んー、とステラがラルフの胸に顔を埋めると、ラルフは笑った。 「それは俺もだ」 「せやったら、寂しゅうならんようにしてくれへん?」 ステラは甘えた仕草で夫に抱き付くと、ラルフはコーヒーの残ったカップをテーブルに戻した。 「そのつもりだから、さっさと帰ってきたんじゃないか」 ラルフの腕がステラの背に回され、抱き竦められる。力強いが、それでいて優しさの伝わる力の入れ方だった。 近接戦闘能力に長けた機動歩兵を見事に操る指がステラの髪を梳き、鋭く命令を飛ばす唇が首筋に吸い付く。 緩やかにソファーに押し倒されたステラは、ラルフにキスを返しながらも彼の手を妨げないように力を抜いていた。 愛しているよと囁かれ、愛していると囁き返し、体温を共有する。同じ言葉でも、恋人だった頃よりも深く感じ入る。 途方もない安心感と圧倒的な充足感に満たされたステラは、夫と肌を重ね、離れ離れになる寂寥感を紛らわした。 そして、三ヶ月分の愛を注ぎ合った。 ラルフがアステロイド基地に派遣されてから、一ヶ月が過ぎた。 その間、ステラは寂しさに押し潰されそうになりながらも、気分を紛らわすために次元と空間の研究に没頭した。 次元管理局の局長ではなくなっていて、統一政府の職員でもなくなっているが、情報さえ得られれば計算出来る。 統一政府が定期的に公表している総資産や予算などの細かな数字に混じり、次元の安定数値も公表されている。 知識のない者には不可解な数字の羅列でしかなくても、次元と空間と長らく付き合ってきた者には地図も同然だ。 座標と空間軸、そして空間圧、重力場数値、電磁波数値、レーダー反応値、相殺された反物質の残留値、など。 それらを並べ、睨み合い、計算し、次元管理局時代には手を出せなかった銀河系全体の数値も調べに調べた。 研究の片手間に家事を行いながら計算に計算を重ね続けた末、ステラはある一定期間だけ空白だと気付いた。 ステラらが存在する宇宙空間は、安定しているようでいて不安定だ。重なり合った空間と次元が拮抗している。 この空間を挟んでいる並列空間の反発作用が等しいからこそ、物理法則も保たれ、宇宙も一定圧を保っている。 しかし、ワープエネルギーと称している空間転移エネルギーを注ぎ込んでしまうだけで、空間は断裂し、穴が空く。 頑強なようでいて融通の利くものだが、故に数値も安定しない。亜空間通信を行って調べてみると、実に良く解る。 銀河系のあらゆる宙域に設置した探査機同士で交わした亜空間通信のタイムラグは、日によって異なっている。 空間同士は水と油のように反発して均衡を保っているが、揺らぎもあり、近付くこともあれば遠ざかることもある。 揺らぎの数値もまた一定ではなく、平均値は割り出せるが統一されていない。だが、ある三日間だけが同じだ。 「この日や」 ステラは半年前のカレンダーをホログラフィーモニターに表示し、指先でなぞった。 「うちが、レイラにムラタはんのコロニーを調査せいって命令した日や」 その日と、翌々日まで次元は揺らいでいない。だが、次元は大異変を起こし、銀河系を真っ二つに切り裂いた。 次元が断裂して異次元と接続したことで双方が癒着したのでは、とも思ったが、それを示す数値は現れなかった。 それに、次元断裂現象はこの次元が何らかの切っ掛けで崩壊しかけた現象で、次元同士のニアミスではない。 何らかの切っ掛け、はそれらしい文章を難解な専門用語で飾り立てた報告書を作ったが納得したわけではない。 だから、次元管理局の職員達も日々次元の研究を続けているが、未だに結論に達した者はいないと聞いている。 焦るあまりに誤った結論を出すのは一介の科学者としてのプライドが許さないが、出来れば早く結論に至りたい。 そうすれば、思い出せない何かが思い出せるはずだ。サチコと別れた日、次元が割れた日、何があったのだろう。 「ひあっ!」 前触れもなくアラームが鳴り、ステラはつんのめってホログラフィーモニターに上半身を突っ込んだ。 「だ、誰やの」 ホログラフィーモニターから上半身を引っこ抜いたステラは、乱れた髪を直してから、玄関に向かった。 「はあい、今出ますぅー」 電子ロックを解除してからドアを開け、ステラは硬直した。 「久し振りね」 玄関先にいたのは、人工日光を浴びて柔らかく微笑むサチコだった。 「あ…」 ドアを開けたまま、ステラは混乱した。背景は土星基地の居住区であり、軍人と家族のための家が並んでいる。 ステラとラルフが住む二階建ての一戸建てと同じ家がいくつも連なり、居住区と基地を隔てる連絡通路が見える。 カーブの付いた空には雲の映像が流れているが、青く澄んだ空の果てには木星に次いで巨大な惑星が浮かぶ。 濃厚なガスが渦巻く土星の輪を成す岩石と小惑星が左右に伸びていて、日常の風景だと脳に染み込んできた。 そして、サチコに対する疑念も氷解した。ステラは半開きになっていた唇の端を上向け、サチコに笑みを返した。 「久し振りやね、サチコ」 「ステラこそ、元気そうで何よりね」 お土産、とサチコがケーキ箱を掲げて見せると、ステラはそれを受け取った。 「ありがとうな! 上がってぇな、コーヒーでも淹れたるわ」 「御邪魔します」 サチコは独身時代よりも和らいだ口調で述べてから、ステラに続いて家に入った。 「今な、ラリーはんが出張してんねん。せやから退屈でしゃあないねん」 ステラはキッチンに入ってケーキ箱を開けると、レモンパイが入っていたので、ステラはそれを切り分けた。 「一ヶ月とちょい前にな、アステロイドベルトの宙域に珪素原始生物がごっつ出現してな、また来たら困るっちゅうことで呼び出されたんやよ。期間は三ヶ月っちゅうてたから、後二ヶ月は独り身やね」 「綺麗にしているのね」 リビングに入ったサチコが中を見回すと、ステラはクリームの付いた包丁をシンクに置いた。 「そらそやよ、愛の巣やもん」 「ウィンクルム号の時はひどかったから、ちょっと心配だったのよ」 サチコはソファーに腰掛けると、ステラは切り分けたレモンパイとコーヒーを二人分用意し、盆に載せた。 「あれはどうしょもなかったんよ。忙しかったんやもん、部屋の片付けにまで手ぇ回らへんかったんやもん」 「仕事も訓練もあるのに、レイラは綺麗にしていたわよ?」 「あの子はまた別やん。サチコ並みに私物があらへんもん、散らかるもの以前の問題なんやし」 ほい、とステラはサチコの前にレモンパイとコーヒーを出してから、自分の分も置き、向かい側に座った。 「そいで、どないしたん? うちに何か用でもあるん?」 「ええ」 サチコはコーヒーを傾けてから、ステラを正面から見据えた。 「ステラ。あなたは、これ以上近付いてはいけないわ」 「何に?」 フォークでレモンパイを切り分けたステラが聞き返すと、サチコはコーヒーカップを置いた。 「次元と次元の接点は思いも寄らないところに転がっているものなの。元々は私の生み出した生体部品である四人の娘達がそうしていたように、次元間を行き来するには精神体が最も効率的で確実なのよ。精神体とは乖離出来る意志であり、分離出来る意識でもあるけど、特別なものではないわ。旧時代に霊魂と呼ばれていたものは、不確かな観測方法で確認された精神体なのよ」 サチコはレモンパイを食べながら、淡々と話した。 「精神体が力を得るために不可欠なのは、言うまでもなく精神力、サイエネルギーなのよ。エスパーが超能力を行使する際に使うものだけど、誰しもが持っているものでこれもまた特別でもなんでもないのよ。思いの力、願い、祈り、とも呼ばれることがあるわね。生物が生物たり得ている理由はただ一つ、意識を持っていること。それがなければ、あなた方も私も単なる蛋白質の固まりに過ぎないもの。自我、自意識、自己認識能力を持っているからこそ、人間は人間と名乗ることが出来るのよ。けれど、自我を持つことならどんな動物にも出来るし、プログラム次第ではロボットにだって出来るわ。でも、それだけではダメなのよ。自我を支える自意識によって生み出され、宇宙全体に蔓延した、いわば意識のエーテルが馴染み、融合し、次元自体に接触している生命体である必要があるのよ。宇宙とは意識、意識とは宇宙、そして世界とは己だもの。互いを認識することで互いが成立しているのだから、次元と意識が認識し合って成り立っていることはごく自然なことなのよ」 コーヒーを味わって飲んだ後、サチコは続けた。 「次元を認識し、次元に認識され、そして宇宙に認識された時点で、偶然は必然となるのよ。私の意識がアニムスに融合したことも、そうだとしか思えないことだもの。だから、宇宙にとって、そうなることが決定付けられていた事象しか発生し得ない仕組みになっているのよ。旧人類が滅びたのも、新人類が栄えたのも、私とマサヨシが出会ったことも、あなたと私が出会ったことも、確率を超えた偶然などではないわ。数多の確率を経た上で導き出された一つの結論なのよ。宇宙を満たす全体意識に接した自意識を持つ生命体同士が、己の意志だと信じて行う必然的行動によって完成された世界、それが次元なのよ」 「興味深い話やけど、それとうちと何の関係があるん?」 サチコの言葉が途切れたことを見計らってステラが尋ねると、サチコは膝の上で手を重ねた。 「あなたが私を視認出来ていると言うことは、あなたは私に対して次元超越現象を発生させるほどの興味を抱いているという証拠なのよ。この間の次元断裂現象は、私がマサヨシに対しての思いを弱めることが出来なかったから起きてしまったことであり、またマサヨシも私に対しての思いを弱めることが出来なかったから、双方の次元に歪みが生じてしまった末に発生した事象だったのよ。異次元の存在を求めれば求めるほど、次元同士の揺らぎは激しくなり、均衡を保つことが難しくなってくるわ。その揺らぎの大きさによっては、精神体が乖離して異次元に飛ばされることだって少なくないわ。あなたが私に対しての興味を捨てきれないのは、私の調整ミスだから、あなたに非はないのよ。けれど、これ以上興味を持たれてしまうと、私の力では調整しきれない事象が高確率で発生してしまう可能性が高いわ。四人の娘達は新人類としての人生を全うしているし、あの子達を苦しめていたと解ったから新たな生体部品を作るつもりはないし、かといって無関係な人に憑依するわけにもいかないわ。だから、私はあなたの視神経と意識に、私自身の意識を作用させて視認させているのよ」 「でも、うちは知りたいんよ。どないなことがあったんか、忘れてしもうたのが嫌なんや」 会いたくてたまらなかったから会えたのだ。だから、この気を逃すわけにはいかない、とステラは腰を浮かせた。 「あまり気に病むことはないわ」 「そういう問題とちゃうんよ、うちがサチコに何してしもうたのか、解っておきたいんよ」 ステラは身を乗り出して、テーブル越しにサチコに詰め寄った。 「なあ、サチコ。うち、なんでサチコのことを見送りに行かへんかったんやろ?」 「私は事実を知っているけど、それはあなたの望む答えではないかもしれない可能性が高いわ」 「それでもええ、せやからお願いや、サチコ」 ステラが懇願すると、サチコは残ったコーヒーを飲み干してから、ステラの手を取った。 「解ったわ」 ステラの手に訪れた感触は、生温く、不確かだった。手応えはあるが重みはなく、温度もあるが気配はなかった。 ステラの内に焼き付いたサチコそのものであり、ステラの意識と記憶を元にして具現化したものなのだと理解した。 生きたモノではないとは感じていた。しかし、目の前のサチコがあまりにも生々しく、彼女の死を忘れるほどだった。 それは、サチコの死を受け入れきっていないからだ。そうでもなければ、ステラの前にサチコが現れるわけがない。 そして、言葉を交わせるわけがない。 09 12/18 |