アステロイド家族




アクターズ・シンドローム



 宇宙夫婦ギャラクティカの概要はこうである。
 お見合いで結婚した節足動物型異星人のサイカチ・ギャラクティカと、人間のルカノ・ギャラクティカの日常だ。
ストロング演じるサイカチは三流企業のサラリーマンで、マユロ演じるルカノは夫を甲斐甲斐しく支える新妻だ。
基本としては、異星間婚姻のあるあるネタと世知辛い世の中を皮肉ったセリフ回しと新婚夫婦のラブコメである。
二人の生活の軸を据え、どの星にもいそうな背景の人物で話を転がすので、突飛な展開にはなりそうにない。
だが、それでいいのだろう。ドゥルム号内のホログラフィースタジオを使っても、出来ることといえば限られている。
制限のある中では、演技に力を入れざるを得なくなる。だからこそ、役者の本領と実力を発揮出来るというわけだ。
監督、脚本、演出はヴァイオレットが行い、主題歌、音楽、音響、はメリッタに任された。というより、丸投げされた。
だが、メリッタは学生時代にアマチュアバンドに所属していただけで、確かに歌は上手いが作詞と作曲は素人だ。
最初は目も当てられなかったが、ヘアメイクもだが妙にセンスの良いニニのアドバイスを受けたらまともになった。
小道具と衣装を社長権限で徴収されたキルカは不満げだったが、出演させてやると言われたので機嫌を直した。
しかも、その役どころはスタッグ演じる隣人のフォル・フェクスの愛妻、メッサ・フェクスだったので張り切り始めた。
テリーは何の役目も与えられないと思っていたが、助監督という名の下働きに任命されて準備に駆けずり回った。
 そして、ドラマの撮影が開始された。テリーは大道具などの準備で埃の付いた赤いマフラーを払い、結び直した。
ローカルネット局にこのドラマを売り込んで買い取ってもらえる契約をしてもらえたはいいが、制作が遅れている。
それというのも、肝心のヴァイオレットの脚本が撮影分の半分しか上がってこなかったのでスケジュールが押した。
十五分弱の尺のショートドラマはいえ撮影出来なければ編集も出来ず、マスターテープが仕上がるわけがない。
ちなみに、その編集作業はテリーに任された。俳優学校時代に少し囓っただけなので、センスの有無は不明だ。

「おーす…」

 主演陣が揃ったスタジオに入ってきたヴァイオレットは、触角も羽も萎れ気味だった。

「三話分のホンとコンテ、出来たよぉー…」

 はいこれ、とヴァイオレットはテリーにディスクを渡した途端、手近な椅子に座って頭を落とした。

「眠い、寝る」

「じゃ、その間、俺はホンとコンテのチェックをしておきますんで」

 テリーが言い終えるや否や、ヴァイオレットは寝息を立て始めたので、テリーはディスクをパソコンに差し込んだ。
数秒のラグの後、ホログラフィーモニターにヴァイオレットの脚本が表示されると、ストロングとマユロも覗いてきた。
テリーは半身をずらして主演の二人に見せてやり、同時にコンテも表示させてカットの長さと画面構成を確かめた。
ヴァイオレットはやたらと登場人物に寄ったカメラワークを使いたがるのだが、それでは画の強弱が今一つになる。
ここぞという場面でもないのにアップの指示があったので、テリーはそれをいくつか減らしつつ全体構成も考えた。
オートスクロールで脚本全文とト書きを読み終えたストロングとマユロはモニターから身を引き、顔を見合わせた。

「サイカチのセリフ回し、前回に比べて語気が弱い気がするな」

 ストロングは爪の腹でモニターをスクロールさせ、サイカチの長ゼリフの部分まで戻した。

「それはサイカチが変わってきたのか? それとも、二話と三話の間に何かあったのか?」

「うーん…」

 マユロはヘアメイクの済んだ顔を寄せ、サイカチの長セリフの前にあるルカノのセリフを凝視した。

「三話のストーリーはこうでしょ? サイカチの給料日前だから切羽詰まってきた家計を嘆きながらも奮闘するルカノと、そんな新妻をありがたいなぁと思いながらも稼ぎが少ない自分が情けなくなったサイカチが隣人のフォルに愚痴りに行く、と。だから、今回のサイカチは全体的に気分が落ち込んでいるだけであって、二人の関係に変化が生じたわけじゃないと思うの。だから、セリフ回しよりもニュアンスを重視すべきだと思うんだけど」

「そうか。だったら、そういう感じで行くべきか?」

 と、ストロングは振り返りながらヴァイオレットに指示を求めると、ヴァイオレットは上右足をぶらぶらと振った。

「なんでもいいよぉもう…」

「しっかりして下さいよ、監督なんですから」

 マユロが苦笑すると、ヴァイオレットはがくんと頭を仰け反らせた。

「そりゃそうだけど、私、本当はホン書くの苦手だったんだよぉ…。なんでそれを忘れて引き受けたかなぁ…」

「てか、社長のホン、結構面白いけどな」

 テリーを押し退けて三話の脚本を読み通したニニが簡潔に褒めると、ヴァイオレットは足先を曲げた。

「だーから早く仕上がらないんだってば。どうでもいいところに拘りすぎて、煮詰まってばっかりでさぁ」

「内容も意味もないよりは良い」

 ニニを押しやって、キルカと共に脚本を読み終えたスタッグは、主演二人に向いた。

「セリフ合わせ」

「なあに、今回の私の出番はたったの三カット? つまらないわね」

 キルカは文句を零したが、自分のセリフを何度か目で追ってから顔を上げ、スタジオ中央のセットに向かった。

「覚えたわ。始めましょう」

「キルカさんはそうかもしれないけど、私はまだなんだってば」

 マユロは自分の情報端末に脚本をダウンロードさせてから、キルカを追った。

「僕も覚えた」

 スタッグもまた、キルカに続いて歩き出した。

「マユロ、俺にも見せろよ! あんなに長ぇセリフ、するっと頭に入るわけがねぇんだよ!」

 ストロングは大股に歩き、ギャラクティカ夫妻のマンションの一室を作ったセットの手前に向かった。

「やりましたぁあああっ!」

 歓声を上げながらスタジオに駆け込んだメリッタは、ディスクを掲げてセット上空をぐるぐると飛び回った。

「苦節一週間! エンディング曲が完成しましたよ!」

「寄越せ」

「はあいどうぞニニさぁん!」

 メリッタはニニにディスクを差し出すと、ニニはそれを引ったくってヘッドホンを被り、コンピューターで再生した。

「声のキーと音程は合ってるけど、ベースのテンポが遅すぎ。ついでにシンセが荒い。その辺直してこい」

「はあ…」

 メリッタはすぐさまディスクを突き返され、触角を下げて俯いた。

「で、それ以外にはないのですか?」

 ヘッドホンを外して首に掛け、ニニは即答した。

「特にねぇや。詞の全文は先に読んだけど、韻の踏み方もずれてねーし内容もマシだったから」

「では、今回のお仕置きはないのですか?」

 先程以上に残念がったメリッタに、ニニはにいっと口元を広げた。

「あるに決まってんだろ。つか、あたし、こき使われて色々溜まってるし」

「でしたら、即刻直してきます! しばしお待ちを!」

 メリッタは入ってきた時よりも勢い良くスタジオを飛び出し、忙しない羽音だけが残された。

「さて、仕事の始まりだ」

 テリーは修正したコンテをヴァイオレットに見せ、承諾を得た後、カメラワークに合った位置にカメラを配置した。
セットの前でセリフ合わせと摺り合わせを続ける四人を複眼の端で捉えながら、テリーはぎちぎちと顎を鳴らした。
始める前は不安だらけだったが、いざ始まると、今までにない活気がドゥルム号全体に充ち満ちるようになった。
制作費どころか何もかも足りていないが、金があればいいというものでもない。要するに作り手のやる気なのだ。
裏方に回るのも悪くない、と思ったが、テリーはカメラの前に立つ四人を見ると羨望を感じずにはいられなかった。
 カメラが回り出せば、自分が自分でなくなり、スタジオの中に生み出される宇宙の支配者となれる、その快感。
作り物の世界でも、世界は世界だ。そして、世界は宇宙だ。誰でもない自分が新たな自分となり、構築されていく。
テリーがアクションアクターを目指した理由は単純に特撮とヒーローへの憧れだったが、今では憧れを通り越した。
カメラを通した自分は見知らぬ自分と化し、その一挙手一投足で人の心を動かせればどれほどの快感だろうか。
考えただけでぞくぞくするが、テリーはまだそこまでの俳優には至っていない。だが、いつか、と願わない日はない。
 役者たるもの、大望を抱いておいて損はない。




 現実は、ドラマの中ほど都合良くいかない。
 だが、筋書きがないからこそ、落ち着くところに落ち着く。宇宙夫婦ギャラクティカは、それなりの評判を博した。
視聴率もそこそこで、主役陣に対する評価も一定で、ネット上で交わされた視聴者の意見も大多数が肯定だった。
派手な人気は出なかったが、ディスクボックスを始めとしたドラマの関連商品は程良く黒字が出る売れ行きだった。
ヴァイオレットの言葉通り異星間婚姻を好む性癖の人種には熱狂的に受けたらしく、ごく一部では絶賛されている。
世間一般の評価は中の上程度だ。現状で満足すべきではないが、良いドラマが出来たと思える仕上がりだった。
 宇宙夫婦ギャラクティカは全二十六話で二クール編成だ。最終回分は既に撮り終え、編集作業に掛かっていた。
来週放送分のコックロイドの脚本の下読みを終えた後、テリーはモニターだらけの編集室に一人で籠もっていた。
この作業は、一人の方が楽だ。意見を仰ぎたい時は船内放送で伝えればいいし、オンラインで指示も受けられる。
マユロ演じるルカノとキルカ演じるメッサが会話しているシーンの映像をモニターに出し、アングルを微調整する。
色彩バランスも整えながら、次のシーンと繋ぎ合わせていった。セリフの音量とBGMに手を加えるのはその後だ。

「どうぞ」

 編集室のドアのアラームが鳴らされたのでテリーが返すと、自動ドアが開き、ストロングが入ってきた。

「よう、やってるか」

「珍しいな、君が俺の仕事を見に来るなんて」

 テリーはモニターから目を離さずに言うと、ストロングはその頭上に雄々しいツノを突き出してきた。

「最後ぐらいはな」

 マユロ演じるルカノが熱演するシーンを映し出したモニターを見やり、ストロングは感慨深げに漏らした。

「あいつ、いい顔しやがる」

「全くだ」

 テリーは作業を止め、ストロングの視線を辿った。そこにいるマユロ、いや、新妻ルカノは泣きそうに笑っていた。
最終回のストーリーはこうである。サイカチに会社から辞令が下されて、支社長として単身赴任することになった。
それも三つの銀河を跨いだ先の辺境宇宙だ。サイカチはとうとう実力が認められたと熱意を燃やし、意気込んだ。
ルカノは夫と別れるのが寂しいと思っているが、それを言うことが出来ないまま、とうとう旅立ちの日がやってきた。
町内会の用事があるからと言い訳したルカノは宇宙港までは見送りに行かず、普段通りに玄関で別れようとする。
サイカチはルカノに別れの言葉を言い、ドアを閉めた直後、ルカノは寂しさを堪えきれなくなって泣き出してしまう。
これまでの思い出を言葉にしながら、どれだけサイカチが好きかと独り言で語るルカノのシーンに、回想が重なる。
彼女の回想にエンディングロールが重なってエンディングテーマが終わった後、ドアが開いてルカノは顔を上げる。
そして、ルカノの頭上にツノを持った影が重なり、ルカノは泣き顔を笑顔に変えて言う。あら、あなた、忘れ物、と。
ストロングが注視しているのは、そのラストシーンの表情だ。ストロングは五分以上見入っていたが、身を引いた。

「いい顔しすぎなんだよ」

「惚れたか?」

「そんなんじゃねぇよ」

 テリーが茶化すと、ストロングはぎちっと顎を噛み締めた。

「お前のダチに色々言われた時はそりゃあ腹が立ったが、あれがなかったら、俺はここまでやれなかっただろうよ。お前も知っての通り、サイカチって男は根性なしのくせに意地っ張りで、嫁が好きでどうしようもねぇくせに反対のことを言いやがる馬鹿野郎だ。その馬鹿さ加減を出すのが、また面倒でな。強く言えばただの暴言になっちまうし、弱く言えばなよっちいだけだ。身の振り方だってそうだ。外骨格類のサイカチに比べりゃあらゆる意味で弱っちいルカノに気を遣うから、初動と次の動作に差が出るんだよ。その加減を体に叩き込むだけで、随分苦労したぜ」

「プライドってのは、一度叩き折られた方が良い結果が出るものだと決まっている」

 テリーはルカノのシーンを続けて出し、モニターに映し出した。

「だろうな」

 ストロングは下両足も組み、空気椅子のような格好で腰を浮かせた。

「マユロの奴にも、プライドはあるよな?」

「そりゃあるさ。増して、彼女は女優だ」

 テリーは上右足の爪に顎を載せ、頬杖のような格好を取った。

「今の今まで、俺達が苦労を掛けてきたんだ。その裏でまともに努力していたから、結果が出たのさ」

「気合い入れて編集しろよ、ゴキブリ。でねぇと、せっかくのマユロの名演技が台無しだ」

「言われなくとも。この半年で、俺も随分と勉強になった。裏方の仕事をやるとやらないとでは、カメラの前に立った時の気概が違ってくる。この分だと、コックロイドのラストは上手くやれそうだ」

「そういえば、コックロイドのファーストシーズンとセカンドシーズンのディスクボックスに再販が掛かったってな」

「それもこれも、ギャラクティカのおかげだ。在庫が尽きるほど捌けてくれることを祈らずにはいられないよ」

「だが、なぁ…」

 ストロングは上左足の爪で、ぎちりと顎の下を擦った。

「彼女が売れたら複雑か?」

 テリーが肩を揺すると、ストロングは腰を浮かせた。

「馬鹿言うな、そんなのどうでもいいじゃねぇか!」

「マネージャーのタオゼント・フースによれば、マユロには各方面からオファーが来たそうだぞ」

「俺には関係ねぇだろう! そいつを引き受けるかどうかはムカデ野郎の匙加減だろうが!」

「遠ざかる前に言うだけ言っておけ。その方が後腐れがない」 

「何をだ!」

 ストロングはいきり立ってテリーに掴み掛かるが、テリーは動じずに顎を開いた。

「俺に聞く前に、自分の胸に聞いてみたらどうなんだ」

「てめぇ…」

 ストロングはテリーを掴む爪に力を込めるが、テリーはにやけるだけだった。

「それがダメなら、サイカチに言わせてみればいいさ。あいつなら、お前よりも大分素直で饒舌だ」

「あぁん?」

 ストロングは触角をひん曲げ、テリーを突き飛ばした。

「この俺を何だと思ってやがる、害虫が!」

「そりゃどうも」

 テリーはコンソールに強かに打ち付けた外骨格をさすりつつ、荒々しい歩調で編集室を出ていく彼を見送った。
ストロングは手当たり次第に壁を殴っているらしく、激しい打撃音が繰り返されている。余程、焦れているのだろう。
テリーが思うに、ストロングはマユロが気になるのかマユロが演じたルカノが気になるのか解りかねているらしい。
役柄と役者は別物だ。役柄では心優しい淑女でも、ひとたび素顔に戻れば粗暴極まる女優など数多く存在する。
だが、マユロは差がない。ルカノはマユロ自身を下地にして作られたキャラクターなので当然といえば当然だが。
役柄と素顔の境界線が曖昧になってしまったから、ストロングもどちらの彼女を見ているのか解らなくなったのだ。
ストロングにしてみれば面倒なことだが、テリーからしてみればストロングをそこまで揺さぶれたマユロが羨ましい。

「役者冥利に尽きるなぁ」

 テリーは笑いを噛み殺しながら作業に戻ったが、間を置かずして船内通信が入ったので応答した。

「なんだ」

〈お兄ちゃん。お友達のヤブキさんからの亜空間通信だよーん。すぐに繋いじゃうね!〉

 ロセウムからだった。テリーは手元のコンソールを操作し、受信体制を整えた。

『元気してたっすかー、テリー?』

 すぐさま、ヤブキとその未来の妻がモニターの一つに現れた。

『害虫』

「君達は相変わらずだな。ギャラクティカは次回で最終回だから追い込みの真っ最中だが、至って好調だ」

 テリーは二人に挨拶を返してから、用件を尋ねた。

「それで、今日はなんだ?」

『いやー、失礼極まるって思ったんすけど、うちの女装ウサギがどうしてもって言って聞かないんすよ』

「ミイムか。そういえば、彼のアドレスのファンメールも来ていたな」

『そう。ミイムママは、ストロング・ビートレクスとマユロ・ライノセラスの生写真とサインを所望する』

 アウトゥムヌスが平坦に述べると、テリーは聞き返した。

「ツーショットか? それともワンショットずつか?」

『そりゃもちろんツーショットっすよ、ツーショット。ファンにしたって、不躾にも程があるっすよね』

 辟易した様子にヤブキに、テリーは首を横に振った。

「いやいや、ありがたいことさ。後で二人に話を通しておくから、楽しみにしていてくれとミイムに伝えてくれ」

 その後、スケジュールを押してしまわない程度に雑談に興じてから、テリーはヤブキとの亜空間通信を切った。
サイン入りツーショット写真だが、ミイムの指定はサイカチとルカノの夫妻ではなくストロングとマユロ自身なのだ。
となれば少々手間が掛かりそうだ。マユロはともかく、ファンサービスが苦手なストロングは逃げ腰になるだろう。
その上、ストロングはマユロに対する自分の気持ちに気付いていない。思春期前の少年のようだ、と笑ってしまう。
ストロングとマユロの今後に期待を抱きつつ、打ち上げの後にどうやってヴァイオレットを口説くかを考えあぐねた。
だが、考えれば考えるほど煮詰まってきてしまい、テリーはいっそのこと演じようかと思ったがすぐに考え直した。
心を奪われた相手には、誰でもない自分を見てもらいたい。演技で仮面を被ろうとも、いずれは剥がれてしまう。
ひとまず、テリーは編集作業を終わらせることに集中し、ヴァイオレットとのことについては後で考えることにした。
これは、皆で力を合わせて築き上げてきたドラマの最終回だ。時間の許す限り、編集し、最高の状態で届けよう。
 一人でも多くの知的生命体の心を虜にするために。







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