アステロイド家族




理想的人生考



 いざ行かん、彼方の海へ。


 妙な任務だった。
 マサヨシが指揮するファントム小隊に下された命令は要人警護で、それ自体は特に珍しくもないのだが、警護する 範囲が太陽系圏内だけではなかった。惑星フィーブを統治する国家、グー・グーの元将軍であるゲウォ・ル・ギーと 太陽系出身の新人類の女性が載る戦艦を目的地まで護衛せよ、というものだった。目的地の惑星は天の川銀河と は別の銀河の辺境で、未開拓どころか航路に掠りもしない惑星で植民地化もされた経験のない、新人類にとっては 正に未知の宙域だった。それだけでも充分奇妙なのだが、ゲウォ・ル・ギーと新人類の女性は婚姻関係にあった。 つまり、新婚旅行を護衛するためだけに命じられた任務だということだ。
 ホログラフィーモニターに映し出した指令書を眺め回しながら、マサヨシは無意識に唸っていた。惑星プラトゥムとの 一件と機械生命体を二人も部下にしているからか、異星人絡みの任務を寄越されがちだがこんな任務は初めて だった。具体的に何をどうしろ、と指示されていないのがまた厄介だが、現場に飛び込んでみないことにはやりよう がない。ホログラフィーモニター越しに目線を上げたマサヨシに、少女といっても差し支えのない年齢の女性軍人は 腰の後ろで手を組んで姿勢を正しているが、不機嫌さを隠そうともしなかった。

「ノーリーン・イングラム准尉。そんなに嫌なら、断ってもいいんだぞ」

 マサヨシが苦笑気味に窺うと、ノーリーン・イングラムは眉根のシワを一層深く刻んだ。セミロング程度の長さの 黒髪を一纏めにして後頭部で縛っており、肌の色は日焼けと見間違うほどの淡い褐色で、目鼻立ちはアジア系だが、 マサヨシに比べれば掘りが深めなので南洋系だろう。身長はそれほど高くなく、体格も控えめだ。

「断りはしません。嫌だとも思いません。任務ですから」

「だったら、なんでそこまで機嫌が悪いんだ?」

「そういうわけではありません」

 ノーリーンの受け答えは機械的で、抑揚は一切なかった。表情も同様で、鉄線を張り詰めたように強張っている。 その態度の扱いづらさに少々辟易しつつ、マサヨシはホログラフィーモニターに資料を展開した。
 惑星フィーブの住人は地球で言うところの爬虫類に酷似した種族で、世にも珍しい三足歩行型である。頭部には 大きな単眼が一つ付き、瞳孔はルビーの如く赤く、全身を覆うウロコは紫で、非常に高度に発展した文明を持って いる。だが、それは機械文明ではなくバイオテクノロジーであり、彼らの社会を構成する万物が生命を持っている。 コンピューターも、建造物も、宇宙船も、通信網も、ありとあらゆるものが生体部品で出来ている。マサヨシのような 生体改造体からしてみれば多少なりとも親近感を感じるし、旧人類の遺伝情報にかなり手を加えて作り出した種族 ではあるが行き詰まり感が否めない新人類にとっては、惑星フィーブの生体改造技術は種族としての進化に大いに 役立つので、今後も親密な国交を保つべき相手である。
 全く別の銀河の惑星フィーブと太陽系が接点を持ったのは、奇跡に等しい偶然だった。植民惑星で発生した内乱 から宇宙怪獣戦艦に乗って逃げ出してきた惑星フィーブ出身の科学者が太陽系にワープアウトし、彼らを統一政府で 保護したことから内乱の鎮圧と難民の受け入れが開始された。惑星プラトゥムを順調に統治しつつあるコルリス 帝国の若き皇帝、フォルテ・ドゥオ・フェーミナ・コルリスの助言と援護を受けつつ、太陽系は惑星フィーブとの国交を 開始した。中級貴族出身の軍人であるゲウォ・ル・ギーは太陽系とコルリス帝国からの援護を受けて間もなく、内乱 の鎮圧に奔走し、銀河中の植民惑星という植民惑星を駆けずり回って、必要最小限の犠牲で事態を収拾させた。 その後、ゲウォ・ル・ギーはグー・グーの政府高官や民間人から指導者になってくれと切望されたが、一軍人の立場 を貫き通して太陽系に身を寄せ、金星圏のコロニーで出会った教職者の女性と出会い、結婚した。そして、二人は グー・グーの科学者が乗ってきた宇宙怪獣戦艦に乗って新天地へと旅立つ、というわけである。

「他人の新婚旅行に付き合わされるんだ、面倒に思わない方が珍しい」

 マサヨシはホログラフィーモニターを操作し、任務の期間と自前の予定を入れてあるカレンダーを重ねた。

「あー……。そうか、この日にはまだ帰れないのか。なんてことだ」

「どうかなさいましたか、中佐」

 ノーリーンが訝ってきたので、マサヨシは肩を竦めた。

「ここ最近、うちの娘達はエウロパステーションのロースクールに通うようになったんだよ。俺はアステロイドベルトの コロニーに居を構えているんだが、通学するとなると金も時間も掛かりすぎるんで、ずっと通信教育で済ませてきた んだ。だが、それだけじゃ学力は付いてもまともな人間には育たないから、ってことでリアルの学校に通わせることに したんだよ。それが二ヶ月前の話だ。今は四人の娘達は学生寮に入っているんだが、面会日と校内見学の日が 丁度任務に重なっちまってな。どう埋め合わせしたもんかな、と思ってな」

「御愁傷様です」

「そりゃどうも。准尉にだって、予定の一つや二つあるだろう」

「いえ、特に」

「そうか?」

 マサヨシはまた引っ掛かりを感じたが、言及はしなかった。

「超常部隊から派遣される人員は君一人か。俺達はファントム小隊の全員だから三人だが、君一人だけとなると 大変だな。手に負えないと思ったら、気にせずに俺達に頼ってくれ。どうせ、一ヶ月は同じ空間で暮らすんだからな」

「お気遣いありがとうございます、中佐」

 ノーリーンは平坦に答えたが、言葉とは裏腹に全く嬉しそうではなかった。それどころか、ますます不機嫌さに拍車 が掛かっていく。アレの日か、とマサヨシは下世話な想像が頭を過ぎったが、想像だけに止めておいた。口に出して しまえば、セクハラ問題にまで発展しかねない。ノーリーンの兵士としての有能さは、超常部隊から事前に渡された 資料で把握しているし、超能力の恐ろしさはミイムのおかげで嫌と言うほど身に染みているので、年若い女性軍人 の能力については不安は感じない。生真面目で仕事熱心だが変わり者、という性格はこの短時間で理解出来たし、 そういったタイプの部下の扱いには慣れているので懸念もない。出来ることなら旅立つ前に打ち解けておきたいが 難しそうだ、とマサヨシは頭の片隅で考えつつ、ノーリーンに任務内容について話した。その間、ノーリーンは姿勢を 崩さず、余計な口も挟まず、マサヨシの話を淡々と聞いていた。
 さながら、格納庫に並ぶ兵器の如く。




 数日後。エウロパステーションから宇宙怪獣戦艦が出航した。
 校内見学に行きたい気持ちを太陽系に残しながら、マサヨシは遠のいていく木星を見つめていた。オレンジ色の ガスが渦を巻く巨大な惑星を背負ったコロニーの姿が次第に小さくなり、ソーラーパネルの反射も弱くなった。それ 自体は毎度ながら見慣れた光景なのだが、それを見ているのがモニターではないのがどうにも解せない。人間用に 調節された高純度の空気が充ち満ちているのは、半透明の膜で出来た恐ろしく巨大な繭で、植物もあれば水場も あれば太陽光じみた光が柔らかく降り注いでいる。居住臓器、というものらしい。宇宙空間を映し出しているのは、 居住臓器の空を成している数百枚もの珪素のウロコで、人工光の光源もそれだ。まるで昆虫の複眼越しに外界を 見ているかのようだった。

「気持ち悪ぅ……」

 赤い機械生命体、イグニスは両腕を抱いてぎちぎちと震えていた。その隣で、青い機械生命体、トニルトスもまた 膝を抱えて頭を伏せて、両耳のアンテナも伏せてしまっていた。

「精神的汚辱だ……」

「俺だってそんな気分だが、文句は言うな」

 マサヨシが二人を宥めると、イグニスは嫌悪感のあまりに声を詰まらせた。

「つってもよぉ、無理なもんは無理だって! 一応我慢しちゃいるが、すっげぇ吐きそうなんだからな!」

「貴様には解るまい、我らの屈辱極まる心境が! アミノ酸と蛋白質で合成された有機物など、宇宙にとって」

 と、トニルトスはいつもの口上を始めようとしたが、ぐっとえづいてマスクを押さえ、スコープアイの光を弱めた。

「……廃棄物処理場はどこだ」

「おいやめろ、俺までもらいゲロするから! ここで出すな、出すんじゃねぇぞ!」

 イグニスは慌てて腰を上げ、トニルトスを抱える。トニルトスはその手を振り払おうとするが、よろめく。

「すまん。……無理だ」

 二体の機械生命体は酔っぱらいのように足元がおぼつかず、ふらふらと彷徨った末に植物が生い茂った場所に 突っ込んだ。シダ植物に似た葉が生えた巨木が倒れ、青臭い匂いが立ち上った。砂を掻き分けた後、世にも珍しい 機械生命体の吐瀉音が聞こえてきた。鼻を突く胃液ではなく機械油の重たい匂いが、足元に流れてくる。

「連れてくるんじゃなかったかな」

 マサヨシは今更ながら人選を後悔したが、ファントム小隊に所属しているのはあの二人だけであって、他の軍人は 二人ほど融通が利かないので選びようがなかったのが現実だ。今にも死にそうなイグニスの呻き声とトニルトスの 悲痛な呟きが零れていたが、マサヨシはそれを聞かなかったことにした。出航してしまった以上、この宇宙怪獣戦艦が 止まることはないのだから。二人の呻きが大きすぎたのか、マサヨシは背後の足音に気付かなかった。

「この度は閣下の門出にお付き合い頂き、誠にありがとうございます」

 いきなり声を掛けられたので振り返ると、マサヨシよりも頭二つ以上背の高い異星人が深々と頭を下げていた。

「早速御迷惑を掛けたようで、申し訳ありません」

 マサヨシが悶え苦しむ部下達を示しながら謝ると、惑星フィーブ出身の科学者、ゾル・ゲ・ゼーは単眼を細めた。

「いえいえ、お気になさらず。ファン・タ・ストゥには石油系物質を分解するバクテリアも搭載されておりまして、お二方が 吐き戻した機械油も綺麗さっぱりと消化されます」

「そうですか」

 そう言われ、マサヨシは少し安堵した。単眼の人型オオトカゲでありながら知的な雰囲気を漂わせているゾルは、 尻尾の位置から生えている三本目の足を曲げ、尻尾のように尖端が細いつま先を丸めた。

「機械生命体のお二方もお呼びしたかったのですが、あの様子では当分は動けませんでしょう。ですので、中佐どの だけでもいらっしゃいませ。閣下とミス・スプリングの新たな人生を祝う席ですので」

「イングラム准尉は?」

 ゾルに続いて歩き出したマサヨシが若き軍人の名を出すと、ゾルは四本指の手で顎をさすった。

「中佐どのと共にいらっしゃった、うら若きエスパーですね。お部屋でもお見かけしませんでしたが。ファンの神経と 知覚器官を利用すれば、すぐにでも見つけ出せると思いますが、いかがなさいますか」

「この宇宙戦艦、というか、ファン・タ・ストゥですが、うっかり消化器官に迷い込んだりはしませんか?」

「いえ、その心配はありませんよ。私達の生活空間とファンの主要臓器は区別されていますし、内膜は分厚いので そう簡単には破れませんので、イングラム准尉が消化器官に迷い込むということはありませんよ」

「部下の非礼は俺が詫びますので、イングラム准尉を探すのは後回しにしましょう」

「中佐どのがそう仰るのでしたら、私もそういたしましょう。彼女にも、プライベートがおありでしょうから」

 ゾルは柔らかく頷いたので、マサヨシは笑みを返す。ノーリーン・イングラムは危うい。十五歳の若さで常日頃苛烈な 任務に身を投じているからだろうが、今にも緊張の糸が途切れてしまいそうだ。宇宙怪獣戦艦ファン・タ・ストゥに 乗り込むまでの数日間、マサヨシらは彼女と良好な関係を築こうとしたが、どれもこれも失敗に終わり、ノーリーンは 必要以上の言葉は決して喋らなかった。ただ単に恐ろしくドライなのか、とも思ったのだが、意外なことにトニルトス が不用意に口に出したデビューしたての女性歌手の名前に反応したので、若い女性らしく流行りに敏感のようだ。 掴み所があるようでないノーリーンを知るためには一旦距離を置くべきだろう。視点を引いてみれば、見えなかった ものが見えるようになるのは、割とよくあることだからだ。
 円筒形の太い通路、要するに血管を通り、マサヨシとゾルは新婚夫婦が住まう居住臓器に向かった。面白いこと に血管の床部分は繊毛が動いていて、オートウォークの役割を果たしていて、理屈や仕組みは全く解らないが人工 重力まで生み出されていてコロニー内となんら変わらない落ち着きがあった。赤黒い内壁が途切れると、マサヨシらに 宛がわれた居住臓器よりも一回りは大きい居住臓器に到着した。冴え冴えとした青い空に見守られながら新緑の 植物が生い茂り、こぢんまりとしたログハウスが建ち、小川が流れ、爽やかな風が吹いていた。生き物の腹の中 とは到底思えない快適な空間だった。ログハウスのドアが開き、古風なエプロンドレス姿の女性がやってきた。

「お手数掛けてすみません、ゾルさん」

「いえいえ、お気になさらず。ミス・スプリング」

 ゾルが微笑みかけると、金髪に青い瞳を持つ白人女性、アリサ・スプリングはマサヨシと向き合った。

「私とゲウォの新婚旅行に付き合わせてしまってすみません。軍務でお忙しいでしょうに」

「要人警護も立派な任務ですから。道中、俺のスペースファイターがダンスを踊らないことを祈りますよ」

「ええ、私もそう祈っておりますわ」

 アリサはそう答えてから、ログハウスに駆け戻った。ログハウスの煙突からはゆったりと白煙が立ち上り、パンの 焼ける匂いも漂っているので、本物の暖炉があるようだった。ログハウスの壁際には大量の薪が積み重なり、井戸も あり、畑らしきものもある。その代わり、文明の利器らしきものは一つも見当たらない。ゾルの足取りに合わせて 進みつつ、マサヨシは辺りを見回した。畑は宇宙怪獣戦艦の本来の持ち主であるゾルが耕していたのだろう、畝に 立派に生長した作物が実っている。収穫には程遠いが麦も育ち切っていて、風を浴びて揺れている。小麦が直火で 焼かれる優しい香りが満ちたログハウスに入ると、ゾルよりも肌がいくらか弛み、体色が赤み掛かった単眼の人型 オオトカゲが待ち構えていた。若い頃は血気盛んな軍人だったことを示す傷が頭頂部に斜めに付いていて、単眼を 横断しており、大きな眼窩には義眼が填っていた。左半身と左足もその傷を受けた時に失ったのだろう、そのどちらも セラミック製の義手と義足だった。義眼は本物と差し支えないほど滑らかに動き、マサヨシを捉える。

「ようこそ、我が家に。ムラタ中佐」

「この家は、閣下御自身がお作りになったのですか」

 綺麗に組まれたログハウスを見渡しながらマサヨシが問うと、ゲウォ・ル・ギーは鉱石で出来たパイプを蒸かして、 まろやかな深みのある煙を鼓膜まで裂けた口元の端から零した。

「そう言えれば、格好が付くんだがね。生憎、私はプラズマガンを撃つことは出来ても、建物を建てるための知識も技術も 習得していないのだよ。そこで、ファンの友人に手を貸してもらい、アリサのやりたいようにさせたのだ」

「子供の頃から夢だったんですよ、こういう家に住むのが。私は生まれも育ちもコロニーで、実験動物の飼育ケース みたいなマンションにうんざりしていたんです。ですけど、火星のグリーンプラントに住むために必要な資格もコネも 持っていないし、他星系のリゾートに住めるほど優雅な暮らしもしていないしで、半ば諦めていたんですけどね」

 アリサは鍋つかみを手に填めて暖炉の前で湯気を吹いていたポットを取り、茶葉の入ったティーポットに注いだ。

「だから、こうして夢が叶ってとても嬉しいんです。ゲウォはもちろんですけど、ゾルさんの友人達のおかげですわ。 ムラタ中佐は存じておられますか、ファンの中に住まうマチン・グゥのことを」

「いえ。ギー閣下については存じ上げておりますが、宇宙怪獣戦艦については浅学なもので」

 苦笑してから、マサヨシは勧められた椅子に腰掛けた。ゾルは隣の椅子に座り、話す。

「マチン・グゥは本来は炭素生物にしか通じない私達の生体改造技術を大いに発展させてくれた種族であり、グー・ グーの移民である、タティ・ルンという名の珪素生物の種族なのですよ。彼らはあなた方で言うところの海洋生物に 似た形状でして、金属で出来た六本足と強靱な二本の腕に単眼の付いた半球状の頭部を持ち、生まれながらにして 高度な建築技術を有しているのです。彼らの技術は宇宙怪獣戦艦の点検整備と外科手術に欠かせないものでして、 ファンにも常駐している者がいるのです。それが、マチン・グゥなのです」

「彼の技術は実に素晴らしい。アリサの願いを聞いてから、半日と経たずにこの家を建ててくれた。だが、礼を言う 機会を逃してしまってばかりだよ。マチン・グゥはミー・ユミにしか心を開かないからね」

「ミー・ユミとは、タティ・ルンと同じように宇宙怪獣戦艦に欠かせない寄生生物でしてね。珪素生物と宇宙怪獣戦艦の 接続を取り持っている、いわば神経細胞の一種となる寄生虫なのですよ。女王寄生虫を核とした女性的な意識を 持っていて、群体となって行動するのですが、中佐どのはお目に掛からない方がよろしいでしょうね。ミー・ユミは、 見慣れていても気色悪いですから」

 ゲウォの言葉を補足しつつ、ゾルは笑った。マサヨシはびっしりと固まった寄生虫を想像し、頬を引きつらせた。

「……でしょうね」

「ムラタ中佐。君を呼んだのは、私が退役した今でも太陽系と祖国の中立であることを示すためであり、愛しの新妻を 守る盾を増やしたかったからでもあるのだが、最も大きな理由は新人類についての知識を得るためなのだ。私の 知る新人類は、政治的な駆け引きをした相手を除けばアリサしかおらんのだ。もちろん、アリサについてはどれほど 知り尽くしても足りぬだろうが、それだけでは良くないと思ってね。だから、話を聞かせて頂きたくてね」

 ゲウォはアリサが淹れてくれた紅茶の入ったティーカップを、太い指でそっと挟んだ。

「ですけど、それだけでは退屈でしょうから、閣下とミス・スプリングの馴れ初めもお話しいたしましょうか」

 ゾルは紅茶を啜りながら、二人を見渡した。アリサは盆を抱え、一歩後退る。

「あ、あれを話しちゃうんですか?」

「取り立てて重要でもなかろうに」

 ゲウォは鼻先にシワを寄せて渋面を作ったが、ゾルはにこにこしていた。

「いえいえ、重要ですとも。実はですね、お二方はネットゲームの廃人同士でしてね」

「あっ、あれは忘れたいことなんです! お願いですから言わないで下さい!」

 アリサは途端に赤面し、盆で顔を覆った。だが、ゾルは一向に構わずに続ける。

「ムラタ中佐は御存知ですか? 意識直結してゲームにログインし、量子コンピューターによって作られた仮想次元 にダイブすることによって高度な疑似体験が出来るために宇宙規模で廃人続出のネットゲーム、ヴァルハラを」

「話には聞いたことがありますが」

「ミス・スプリングは理想と現実の狭間で押し潰されそうになっていたために、リアルな意味での現実逃避をするために 帰宅してから出勤するまでの間、寝食を忘れてヴァルハラに没頭しておりました。その甲斐あってミス・スプリングの メインキャラは天の川銀河のレベルランクの上位に食い込み、それはもう強力な武器と装備を身に付け、特定の 時間に湧く高レベルモンスターをざっぱざっぱと薙ぎ払っておりましたが、リアルは正反対でしてね。対する閣下は、 祖国と太陽系と植民地の板挟みに合いながらも英雄的行為を働いておりましたが、重圧とストレスたるや、ブラック ホールが一つ二つ出来るんじゃないかと思うほどで、こちらもまたリアルな意味で現実逃避をするためにヴァルハラに ログインした次第なのです。お二人は互いが異種族であることも知らずに知り合いまして、レベルが近かったので パーティを組んでダンジョンに潜って狩りを行い、その後はありがちなネトゲ内恋愛を経て今に至ります」

 ゾルが喋れば喋るほど、アリサは赤面しすぎてうずくまり、ゲウォも顔を逸らして苦々しげに呻いた。

「はあ……」

 それは知られたくないことだよな、とマサヨシが内心同情していると、ゲウォが咳払いした。

「そ……それはそれだ。出会った経緯がどうあろうと、私とアリサはだな」

「ええ、ええ。存じておりますとも」

 ゾルはにやけながら、三本目の足を組むように曲げた。

「外の風に当たってきますぅっ」

 居たたまれなくなったのか、アリサは慌てふためいてログハウスから出ていった。

「物凄く不躾なことを言いますが、閣下はどうしてこんなのと御友人なんですか」

 マサヨシが悪気の欠片もないゾルを指すと、ゲウォは少し温くなった紅茶を啜った。

「ゾルの双子の弟が、私の直属の部下だったのでな。ゼク・ト・ゼーという名の非常に優秀な軍人で、私の後継者 でもある。だから、友人というか軍務上の知り合い、と言うべき間柄であってだな」

「失敬な。閣下とミス・スプリングのネトゲ婚したと聞き付けて真っ先にお祝いに駆け付けただけでなく、こうしてファンを 新婚旅行の足として貸し出し、何千光年と離れた辺境も辺境の惑星まで送り届けてさしあげるのですから、これを 麗しい友情と言わずに何と言うのです。ゼクは軍人としてはそれなりに優秀かもしれませんし、政治手腕もなかなかの ものですけどね、あれは最低最悪な性癖の持ち主であって、あんなのと付き合っていたらミス・スプリングが奪われ かねませんってば。いいですか、ゼクは女の種族とか善し悪しとか、そういうのはどうでもいいんです。人の女である ということが、あのクソ野郎の変態的な性癖を煽り立てるんです。そこのところ、お忘れにならないで下さいね」

 ゾルが不愉快げに半目になったので、マサヨシはなんともいえない顔をしてゾルに向いた。 

「ええと、それはつまり、寝取りという……」

「そうです、そうなんです、それなんです! あれさえなかったら奴は完全無欠な軍人で、私も胸を張って立派な弟だと 褒めちぎるのですが、それがあるからクソ野郎といわずにはいられないんです!」

 それを皮切りに、ゾルはいかにゼクがクソッ垂れと呼ぶに値する男かを力説し始めたので、マサヨシはなんだか 面倒臭くなってきたので紅茶を飲むことに専念した。ゲウォは軍でのゼクの姿しか知らなかったらしく、ゾルの話が 盛り上がるに連れて眼球の動きが不安定になった。傍から聞いていてもうんざりするほど、ゼク・ト・ゼーという男の 性癖はかなり歪んでいて、他人の所有物に手を出さなければ気が済まない性分らしい。ゾルが少しでも仲良くした 異性に限らず、同性にも手を出してはゾル以上に仲を深め、ゾルが興味を持った分野についても同じような行動を 取り、いつのまにかゾルを上回っている。それはつまり、ゾルに対しての歪曲した独占欲ではないのか、とマサヨシは 思ったが、事態をややこしくするだろうと判断して胸の中に収めた。
 紅茶を飲み終えても二人の話は終わりそうになかったので、マサヨシはゾルとゲウォに断ってからログハウスから 出た。アリサは散歩にでも行ったらしく、見当たらなかった。宇宙怪獣戦艦への嫌悪感で行動不能に陥ってしまった 相棒達の様子を見に行こうと、血管のオートスロープに乗った。だが、宇宙怪獣戦艦という慣れない乗り物の内部 構造をろくに把握出来ていないせい乗り換えを間違えてしまい、ファントム小隊に割り当てられた居住臓器とは全く 別の臓器に出てしまった。半透明の繭であることに代わりはなかったが、中身はなく、空虚な空間に奇妙な力場が 働いていて両足が柔らかな内壁にめり込んだ。指向性重力を掛けられた訓練宙域のようだ。
 空もなく、植物もなく、水場もなく、生温い空気が籠もっている半透明の繭の中心では、指向性の重力波の発生源で あろう人物が浮かんでいた。ノーリーン・イングラムは目の前にホログラフィーモニターを展開させた情報端末を 漂わせつつ、ぼんやりと両目を見開いていた。能力の制御を緩めるために外したのだろう、サイキックリミッターで ある勾玉型のピアスも浮遊していた。ノーリーンはマサヨシに気付くと、潤んだ両目を瞬かせた。
 そこに、兵器らしさはなかった。







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