アステロイド家族




陰の縦糸、陽の横糸



 織り成されるは、慨する念。


 早朝、ヤブキが悲鳴を上げた。
 それ自体はあまり珍しいことではない。互いに手加減するようになったものの、ミイムとの暴力的なじゃれ合いは なくなったわけではないからだ。よって、寝起きをミイムに奇襲されたヤブキが素っ頓狂な声を上げることは過去に 何度もあり、その度に家族全員が強制的に目覚めさせられた。だが、その悲鳴が終わった直後、どたばたと二階の 廊下を足音が駆け抜け、ヤブキの部屋のドアを蹴破ると同時にミイムの罵声が響いた。そのことから察するに、 今回はミイムの奇襲による悲鳴ではなさそうだった。

「なんでぇ、朝っぱらからやかましい」

 首を大きく回しながらガレージから出てきたイグニスは、溜め息代わりに蒸気混じりの排気を吐いた。せっかくの 休日なのだから、寝坊ぐらいさせてほしい。シャッターを開けて外に出ると、緩やかな人工日光が降り注いできた。 律儀に早起きしていたトニルトスがヤブキの自室に当たる部屋を睨み付けており、刺々しい仕草で地面をタップして いた。ええい苛々する、屈辱的に、とぼやきながら。

「二階ごとぶった切るなよ、後で修理するのは俺達なんだから」

 イグニスがトニルトスを小突くと、トニルトスはすぐさま詰め寄ってきた。

「そのような愚行、誰がするものか! 貴様でもあるまいに!」

「んだよ」

 近頃は穏やかになってきたと思ったのだが、そうでもないらしい。イグニスは不愉快に思いつつも、不毛なケンカを 始めないために自分から引き下がることにした。待ちに待った休日であり、愛おしくてたまらない四姉妹と思う存分 戯れられるのだから、週末ぐらいはトニルトスとも平和な関係でありたい。宇宙一可愛くてどうしようもない四姉妹に 朝の挨拶をするために家に向かって踏み出しながら、イグニスは無意識にネットに接続していた。が、しかし。

「……あれ?」

 毎朝のように太陽系のニュースをチェックしているウェブサイトに接続出来ない。サーバーダウンしたのかと他の ニュースサイトを閲覧してみるが、どのサイトも表示されない。リロードしても同じで、ブラウザを変えてもデバイスを 変えても何を変えても同じだった。ネットが死んでいる。

「うおおおおおっ!?」

 これでは、密かに結果を楽しみにしていた機動歩兵同士が殴り合うマシンプロレスの試合動画が見られないでは ないか。それどころか、試合結果すら解らない。ファン同士が意見を交わすソーシャルネットワークにも接続すること も不可能だ。現地に行こうにも、マシンプロレスの試合が行われている場所のはアステロイドベルトの反対側にある ジャンクまみれの小惑星であり、気軽に行ける距離ではない。これは大いに困った。

「おいトニー、どうなってんだよこれ」

 イグニスが右耳のアンテナを叩きながらぼやくと、トニルトスが憤慨した。

「私が知るものか! 貴様の陰謀であるならば貴様を叩き潰す口実が出来て非常に喜ばしいのだが、生憎、私の 調査結果ではアンテナやプログラムのトラブルではないと判明している! ええい屈辱だ!」

「何に対して?」

「この私のロッテ・イングラムに対する並々ならぬ情熱に対してに決まっているではないか! 実力派シンガーであり ながらもルックスも抜群でありながらクールでシャープな態度がとてつもなく麗しい少女だ、デビュー前から目を付けて いたのだ! 無名時代にロッテ自身が動画サイトにアップロードしたエレキギターの演奏動画も一つ残らずダウン ロードして保存し、無論新曲は欠かさずチェックし、各種雑誌に掲載されたグラビアもインタビューもコレクションし、 デビューライブにももちろん行った! 握手もした! 記念撮影もした! これからも頑張ってくれたまえと挨拶もし、 ブログにその辺の諸々を書き綴った! ロッテのブログにも書き込んだ!」

「てめぇ、いつのまにアイドルブログなんか……」

「美しき少女達を愛好する同志達と情熱を交わすことを咎めるのか!?」

「いや、別に。すげぇドン引きしたけどさ」

「貴様の意見など求めてはおらぬ、思い上がるな! それでだ! 私は半年後に行われるロッテのライブのチケット を予約するべく、誰よりも早くファンクラブの会員制サイトにアクセスしようと待ち構えていたのだが、ネットがダウン してしまってはアクセスしようがないのだ! こうしている間にもロッテのライブチケットの最前列が低俗な炭素生物 共にかっさらわれていくかと思うと、理性回路が焼け付きそうなのだ!」

「ネット自体がダウンしているんだったら、他の連中もアクセス出来ないんじゃねーの?」

「甘いな。これだから素人は困る」

「いや、だから、何の素人だよ」

 イグニスの突っ込みを無視し、トニルトスは人差し指を立てる。

「アクセスするための回線は、何も太陽系のネットだけではないのだ。外星系のネットワークを経由してアクセスし、 複数の回線とIDとアドレスを利用して大量のチケットを買い漁っては転売する輩が後を絶たないのだ。だが、私は 清冽にして静謐にして誠実なる戦士であるからして、転売チケットなど買うはずもない。そのようなことをしてロッテが 喜ぶはずがないからな。故に私は真っ当に通常のネット回線から接続し、チケットを入手しようとだな」

「じゃあ、その外星系のネットに接続すりゃいいんじゃねーの?」

「貴様はそれでも機械生命体の端くれか? こちらのネット回線が生きていなければ、他のネット回線に接続する ことなど土台無理ではないか。これだからルブルミオンは……」

 余程悔しいのか、トニルトスは舌打ちする代わりにブザー音を漏らした。

「参った参った」

 リビングの掃き出し窓を開けたのは、苦々しげなマサヨシだった。その片手にはガンマのスパイマシンが握られて いたが、機能停止していた。父親を押し退けて飛び出してきたアエスタスは、裸足のままでイグニスに駆け寄って くると、イグニスを凝視した後に脱力して座り込んだ。

「ああ、御無事でしたか……」

「だから、何がどうしたんだよ」

 イグニスはパジャマ姿で朝露に濡れた地面に座り込んだアエスタスの前に膝を付き、手を差し伸べる。アエスタス は目元を袖で拭ってから、イグニスの角張った指に手を添えて立ち上がる。

「実は、その、今朝方急にネットがダウンしまして。ガンマはネットに接続して各種ソフトのアップロードを行っていた のですが、ネットがダウンした影響を受けてガンマ自身も……。だから、イグニスもそうなってしまったのではないか と思ったら気が気ではなくて……」

「ガンマが使えないんじゃ、原因の調べようがないからな。手の打ちようがないんだ」

 マサヨシはサンダルを突っ掛けて掃き出し窓から出てくると、ほっとしすぎて涙目になっている次女を慰めた。そこ まで心配されていたとは、嬉しいが少し照れ臭い。イグニスはあらぬ方向を見やり、がりごりとマスクを引っ掻いた。 すると、トニルトスが腕を組んで背を向けた。誰からも心配されなかったのが不満らしい。

「うあー、これでオイラの経験値がパーっすよパー! 真夜中にプレイヤーが減るタイミングを見計らって時間湧き ボスを一時間おきに狩って狩って狩って狩って溜めに溜めた百七十五万六千と諸々の経験値ー! あと一万二千 ちょいでレベルが上がったのにぃ! ちっきしょうデスペナめぇえええええ!」

 二階の窓が全開になった途端、怒りのやり場を失ったヤブキが虚空を殴り付けた。その背中にしがみついている アウトゥムヌスはヤブキの背後から半分顔を出すと、小さく呟いた。

「不毛」

「今の時代、ネットがないとなーんにも出来ませんものねぇ。ですけど、ネットが接続出来ないってことは通信教育の 課題ファイルも転送されてこないってことですから、これで今日の分の御勉強は免除されますのね!?」

 リビングに降りてきたヒエムスが両手を組んで目を輝かせると、ウェールが四女を引っぱたいた。

「そういう時は自習と復習をするの! 楽することばっかり考えない!」

「言ってみただけですわよぉ」

 ヒエムスが唇を尖らせると、キッチンからエプロン姿のミイムが出てきて四女を撫でてやった。

「とりあえずぅ、朝御飯にするですぅ。でないとぉ、始まるものも始まらないですぅ」

「そったら、おらもちっとばっかし喰ってもええかな?」

「一人ぐらい増えてもどうってことないですぅ。お代わり前提で作るから……って誰ですかぁ?」

 と、ミイムが不思議がりながら振り返ると、キッチンの壁に設置されているモニター型情報端末から少女の上半身 がはみ出していた。まるで、旧時代に一世を風靡したホラー映画のような絵面だった。最初に叫んだのはミイム ではなくヒエムスで、この世の終わりのような悲鳴を撒き散らしてリビングから逃げ出し、トニルトスの足の後ろに回り 込んだ。ウェールは状況が理解しきれなかったからか、その場に立ち尽くしていた。アエスタスはイグニスの大きな 手に縋り付き、ちょっと赤面していた。ミイムは一度瞬きし、黒髪黒目で着物姿の少女と向き直った。顔付きはどこ からどう見てもアジア系だが大陸系ではなく、顎の丸みや目元の形はマサヨシに通じるものがあり、極東の島国の 遺伝子が窺えた。目鼻立ちは整っているが美少女というよりも、小動物のような可愛らしさがある。最も目を惹いた のは、その左目を塞ぐ黒い眼帯だった。

「どこのどなたですぅ?」

 臆しもせずにミイムが問い掛けると、二階から降りてきたヤブキが少女を指差した。

「ああっチカたん!」

「はいぃ?」

 ヤブキの呼び方にミイムがあからさまに嫌悪感を示すと、ヤブキは少女に駆け寄る。

「チカたんはチカたんっすよ! オイラが今さっきまでプレイしていた奇々怪々ってネトゲのNPCっすよNPCー!  芋臭くて田舎臭いっすけどピュアピュアでどんな質問をしても可愛く答えてくれるんで、プレイヤーから卑猥な質問を されるNPCランクナンバーワンなんすよ! ちなみにオイラも着物の下はノーパンかフンドシかぁあああっ!?」

 言い終える寸前に、ヤブキが唐突に吹っ飛んで二階へと戻された。サイコキネシスを放ってヤブキを吹き飛ばした ミイムはぺっと唾を吐くような仕草をしたが、ころりと態度を変えて少女に尋ねた。

「チカちゃんって言うんですかぁ、みゅんみゅうんっ。ネトゲのNPCなんですかぁ?」

「そうなんだども。なんかこう、豪儀なことになってしまったんすけん」

 チカは裸足でぺたぺたと歩いてくると、あ、と声を上げて掃き出し窓に駆け寄った。

「ソウウン様もこっげんところにおったんかいや! おらぁ嬉しいぃや!」

 チカは転がるように駆け出すと、海側に向けて大きく手を振った。マサヨシらがチカの進行方向に目をやると、そこ には今の今まで存在していなかった異物が浮かんでいた。全長数百メートルはあろうかという巨体の龍が、空中で 恐ろしく長い体を捻れさせている。藍色のウロコに細長いヒゲを備え、爪が生えた四本指の手が胴体の四分の一 程度の位置に付いていて、神々しい薄雲を纏っている。どこからどう見ても現実の存在ではないが、ガンマが作動して いなければホログラフィーなど投影出来ない。だとすれば、あれは一体。そもそも、チカとは何者なのだ。

「我が妻よ」

 雷鳴が轟くような声色を発した龍、ソウウンは首を下げ、チカに鼻先を寄せた。チカは身軽に飛び跳ね、龍の鼻先 に飛び付くと、細い足をばたつかせてはしゃいだ。

「うあーっ、ソウウン様だいや! やぁーっとお会い出来たいや! おらもソウウン様も、プログラムが生まれてから ずぅーっとダンジョンの中におったすけん、夫婦っつう設定だども、一度もお会い出来んかったんだいやぁー! ああ しゃっこいなぁ、でっけぇなぁ、おらの旦那様にしちゃ御立派すぎるいやー、だども格好ええなぁー!」

「我が妻よ。ダンジョンの入り口にて、プレイヤーから卑猥な質問を投げ掛けられていたと存じておる。それは苦痛 ではなかったか。我は長らく憂いていた故」

「そっげんことどうってことねって! おらも決まり切ったことしか喋らんよう設定されとったすけん!」

「そうか、ならば良かろう」

 ソウウンはゆったりと瞬きし、翡翠を填め込んだかのような瞳で幼妻を見つめた。チカはソウウンと目が合うと頬を 赤らめて恥じらい、やんだよう、そっげに見んでくれねっかぁ、とソウウンを引っぱたいた。だが、ソウウンはそれを 咎めることはなく、むしろ嬉しそうでさえあった。微笑ましいのだが奇妙奇天烈な光景に、マサヨシは思考がまるで 追い付かなかったが、背後でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てているヤブキに尋ねてみることにした。

「あの二人、ネトゲのキャラなのか?」

「そうっすよそうっすよそうっすよー! チカたんはNPC一の萌えキャラで、ソウウン様は時間湧きボスの中でも特に 人気が高いんすよ! ソウウン様も沸く氷室ダンジョン自体もモブが強くて経験値がウマいんすけど、ソウウン様は ボスってことで倍率更にドンなんす! で、レアアイテムのドロップ率が高いんす! スピードとダメージと凍結効果が 付加された叢雲の剣って武器なんすけど、それがまたリアルマネートレードにも使われるほどでー!」

「それは犯罪だぜこのクソ野郎ですぅ!」

 サイコキネシスでヤブキを叩き伏せたミイムは、ぺっと唾を吐く真似をした。フローリングに突っ伏したヤブキの傍 にしゃがんだアウトゥムヌスは、未来の夫の背中に寝そべりながらミイムを見上げた。

「大丈夫、問題はない。私とジョニー君の間だけで成立している取引。通貨はお菓子」

「てなわけだから、セーフっすよセーフ」

 アウトゥムヌスを背中に乗せたまま上体を起こして頬杖を付いたヤブキに、ミイムは毒突いた。

「命拾いしやがったですぅ。でも、今度からはボクも混ぜるですぅ。奇々怪々はボクもプレイしていますぅ」

「あー、ずるーい。私達にはネトゲ禁止しといたくせに、ミイムママとお兄ちゃんとむーちゃんだけー!」

 ウェールがむくれると、アエスタスは顔を背けた。

「私は遠慮しておく。そもそもゲームには差ほど興味はない」

「モニターの前に向かってヘッドセットを被って意識接続をしてコントローラーを握るだけで、貴重な時間が無益に消費 されてしまいますものね。私もアエスタス御姉様に同意しますわ、私ならその時間を使って髪を巻きますわ。今でこそ ミイムママのお手を煩わせておりますけれど、練習に練習を重ねておりますもの」

 ヒエムスは見事な巻き髪に指を絡め、小さな胸を張ってみせる。

「とりあえず、話を整理しようか。そのためには朝食にしよう。えっと、チカ、だったか? 君も付き合うか?」

 マサヨシが皆を見渡してから、龍と戯れる隻眼の娘に声を掛けた。チカはソウウンの鼻先から滑り降りると、切なく 音を立てる胃袋を押さえた。チカが気恥ずかしげに俯くと、ソウウンが鼻先でそっとチカの背中を押して促してきた。 チカは名残惜しげだったがソウウンから離れると、小走りに駆け寄ってきて一礼した。その際に首の後ろで一括りに している黒髪が尻尾のように跳ね、ますます小動物らしさが増した。ゲームのキャラクターに相応しく愛らしさを強調 した仕草にヤブキが変な叫びを上げたが、アウトゥムヌスに睨まれて黙った。
 二次元の嫁が何人いようとも、三次元の嫁には敵わないからだ。




 朝食の席で、チカは事の次第を語ってくれた。
 だが、見れば見るほど生身の人間だとしか思えなかった。ミイムが出してくれた朝食も綺麗に平らげただけでなく、 どんなものにも触れていた。影もあれば体温もあり、彼女が座った椅子が軽く軋んだので質量も存在している。 不自然といえるものは、イントネーションが妙で訛りがきつすぎる口調ぐらいなものだ。居住先のコロニーや植民地 惑星に根付いている独特の訛りで喋る人間はいくらでもいるし、マサヨシの旧友であるステラ・プレアデス、もとい、 ステラ・クロウもそうだ。だが、チカのような訛りを耳にしたのは初めてだった。失われて久しい旧時代の言葉遣いと 数世代前の第一公用語が入り混じっているようで、聞き取りづらい単語も多かった。NPCの口調をそんなに厄介な 言語パターンに設定するとは、奇々怪々というゲームの作り込み方は相当なものだ。

「んで、どっげんとこまで話したっけな」

 チカは食後の緑茶を啜ってから首を傾げると、窓の外からトニルトスが言った。

「奇々怪々を支えているメインサーバーに、プレイヤーがハッキングを行った、というところまでだ」

「そんだそんだ。んで、そのプレイヤーがな、まーた豪儀だがんね。ゲームマスターのIDもパスワードも引っこ抜いて 不正アクセスしまくりでな、いくらそのプレイヤーのIDとキャラクターを削除してもすぐにまた現れるんよ。アカウントを 複数持っとるんは別に珍しくもなんともねぇし、その方がゲーム会社にお金を落としてくれてええんだども、こってことに なってしもうたら削除するしかねぇんよ。だども、そのプレイヤーが持っとるIDはそらーもう豪儀な数でな、万単位はある かもしれん。つうこったから、イタチごっこだったんよ」

 チカは床に届かないつま先をぶらぶらさせ、目を伏せる。

「んでな、ゲーム会社んしょが銀河警察に捜査してもらってな、そのプレイヤーの名前がヒューゴー・アランっつーしょ だとは解ったんだども、そっから先がえらいことになってしまったんよ」

「ヒューゴー・アラン?」

 どこかで聞いたような名にイグニスが首を捻ると、マサヨシが問うた。

「知り合いか? 俺の教え子にはそんな名前の奴はいないからな」

「思い出せそうで思い出せねぇ……。在り来たりすぎて逆に情報の照合が上手くいかねぇなー……」

 頭を抱えたイグニスに、トニルトスは鼻で笑ってから、チカを急かしてきた。

「では、続きを」

「うん。そんでな、そのヒューゴー・アランっつーしょはなんでも量子コンピューターの開発を行っとったんだと。だど も、発想がデタラメすぎてネットワーク開発事業から追放されて、そっから先は独断で色々やっとったんだと。まあ、 映画とかでよくあるパターンだすけん、その辺は割愛するけんども」

「ゲームキャラが映画なんか観るの?」

 ウェールが不思議がると、チカは笑った。

「そら観るいや。ずぅーっと同じところにおって同じこと喋っとるだけだど、こって暇だすけんにな。おらもソウウン様も 生き物じゃないども、記憶と情報の蓄積がなきゃNPCとしての機能も落ちてしまうんよ。ネットだと色んなスラングが 始終飛び交っとるろ? その意味を解釈して受け答えのパターンに組み込んで活用するためには、一般教養レベル の知識が必要なんよ。そっげんことせんと、飽きられてしまうすけんな。萌えキャラなんて使い捨てだすけん」

「意外に高度だな。実戦型訓練プログラムと似たようなものか」

 アエスタスが感心すると、チカは話を続けた。

「そんでな、そのヒューゴー・アランっつーしょがゲーム会社のメインデータベースに侵入してな、量子コンピューター の実験を行ったんだと。そんしょの持論は、銀河全体に広がるネットワークで情報処理を行えば量子コンピューター と同等の演算能力が弾き出せるんでねぇか、っつーんでな。で、大体はその通りになったんだども、予想外の事態 が起きたんだいや」

「それはゲームキャラの実体化?」

 アウトゥムヌスの呟きに、チカは半笑いになった。

「それも充分大事なんだども、豪儀なことが起きたんだいや。最深部の城下ダンジョンに、ボスキャラのヤハタヒメっ つークモのお姫様がおるんだども、ヤハタヒメが……」

 ヒエムスは少し興味を持ったのか、身を乗り出す。

「狂気の天才プログラマーに攫われましたの? RPGでは鉄板の展開ですわね!」

「否」

 不意に、それまで黙っていたソウウンが言葉を発した。家を取り巻くように長い体を渦巻かせた龍は、リビングの 掃き出し窓からダイニングを覗き込んできた。直径二メートル近い翡翠色の眼に、皆を映し込む。

「ヤハタヒメが現実世界へと参ろうとしておるのだ。不届き者を婿として迎えんがために」

「……へっ?」

 ヤブキが面食らうと、チカはほうっと溜め息を吐く。

「そうなんだいやー。ヤハタヒメは時間湧きボスの中でも特に強く設定されとるろ? んで、ヤハタヒメを倒したら俺の 嫁、っつータイトルのスレッドとかフォーラムとかコミュニティとかも山ほどあるろ? あんの脳足りんなクモの娘ッコ は生まれも育ちも箱入りだすけん、たまにプレイヤーと対面しても会話する暇もなく戦闘になるすけん、プログラム の対人学習機能がまるで育ってないんよ。だぁーから、ネットで退屈凌ぎしとる男共のくっだらない話を真に受けて、 あっげなろくでもねぇハッカーに岡惚れしちまうんだいや」

「脳足りんなんすかー!? 三次職キャラを十人以上でパーティー組んで回復アイテム満載してギリッギリで倒せる かどうかっつー最強ボスでキャラデザも音声も神懸かり的なほど美しいヤハタヒメがー!? うっわ何それめっちゃ 萌えるんすけどー! 薄い本がまた薄くなるっすねー!」

 椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がったヤブキに、チカは白い目を向けた。

「そっげんことばっかり言っとるから、ろくでもねぇのばっかりがゲームの中に溜まるんだいや。働きもしねぇで親の金 を食い潰すばっかりで、時間と若さを無駄にして、非生産的な単純作業にカタルシスを覚えるようになっちまうん だいや。ああやだやだ、時間も金も若さももっと有益な使い方があるろうに。ネトゲなんて宇宙の膿だいや」

 至極正論である。だが、ネットゲームのキャラクターが言うセリフではない。居たたまれなくなったヤブキが椅子を 起こして座り直すと、チカは冷めた緑茶をぐいっと飲み干してから湯飲みを置いた。

「事態を解決するにはゲーム会社のサーバールームを物理的に破壊した方がええんだども、そっげんことをしたら 会社は潰れるどころか訴訟に告ぐ訴訟で大破産しちまうすけん、穏便に解決したいんだども。ここんちの家長さんが 傭兵なんろ? レアアイテムを譲渡するすけん、リアルマネートレードして代金にしてくれいや」

「そりゃ昔の話だ。その辺の個人情報は更新したはずなんだがな」

 しかし、面と向かって頼まれては断り切れない。増して、子供達の前とあっては。マサヨシは自分の律儀な性格が 鼻に突いてしまったが、こうなっては仕方ないと引き受けた。

「解った。だが、出来る範囲でしか手伝わんからな。生憎、俺はネトゲに明るくないんだ」

「ハイハハーイッ! そんじゃオイラが行くっす行くっすー! リアルマネートレードしなくてもいいっすよ、レアアイテム だけオイラのアイテムボックスに突っ込んでくれりゃいいっすから!」

 ヤブキが挙手すると、チカはあからさまに身を引いた。

「えー……。おら、そっげんこと言うんが一番嫌いだいや。それに、サイボーグだと情報処理が追い付かんすけん、 脳みそがバーンってなって死ぬいや。だすけんに、あっちのお仲間の方を連れてってええか?」

 チカが示したのは、イグニスとトニルトスだった。マサヨシは少し考えた後、了承した。

「了解した。だが、五体満足で帰してくれよ?」

「おいおいおい、俺はまだ行くだなんて一言も!」

「そうだとも! この馬鹿はともかく、この私の意志を仰がずに決定するとはなんたる!」

 二人の機械生命体はマサヨシに詰め寄ってきたが、その動きが唐突に止まった。と、同時にチカとソウウンの姿も 掻き消えていた。後に残されていたのは、綺麗に飲み尽くされた来客用の湯飲みとチカが使った食器一式と、拳を 振り上げたまま硬直したイグニスと大股に踏み込んだトニルトスだけだった。マサヨシは呆気に取られている家族と 一度目を合わせてから、オフラインで再起動が完了したガンマに頼んで外の様子をモニタリングしてもらった。
 無線通信では上手くいかないかもしれない、と踏み、空を映し出すためのモニターと岩盤の隙間に這わせてある 非常用ケーブルを使って有線で映像を取得した。リビングの大型ホログラフィーモニターに映った映像を見た途端、 皆が驚いた。今、コロニーの外にあるのは、慣れ親しんだ宇宙でもなければ岩石の点在するアステロイドベルトでもなく、 清々しいほど晴れ渡った空と草原だった。その先には旧時代の中世日本を再現している街並みがあり、極め付け にNPCらしき巫女装束の少女が、奇々怪々へようこそ! と書かれた立て看板を持っていた。
 宇宙が改変されていた。







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