アステロイド家族




陰の縦糸、陽の横糸



「プレイヤーネームを入力して下さいね!」

「なあどうする、トニー」

「どうにもこうにも……」

「プレイヤーネームを入力して下さいね!」

「俺さぁ、ネトゲってビタイチやったことねーんだけど」

「同上だ。二次元の娘になど興味はない、美少女は三次元であるからこそ美しいのであるからして」

「プレイヤーネームを入力して下さいね!」

「だぁあああっ、鬱陶しいーっ!」

 イグニスは怒りに任せ、同じセリフを延々と繰り返す立て看板を持った巫女装束の少女を殴り飛ばした。しかし、 巫女装束の少女は笑顔を保ったままで、立て看板を持った手も緩まなかった。それどころか、不自然に仰け反った 上体を元に戻し、顔面の三分の一の面積を占めている目を瞬かせて、何事もなかったかのように明るく言った。

「プレイヤーネームを入力して下さいね!」

「で、どうする? 入力する?」

 イグニスが巫女装束の少女を指すと、文字入力ウィンドウが浮かび上がった。だが、トニルトスはイグニスを正視 しようとはせずに顔を背けていた。その気持ちはイグニスにも解らないでもない。今の二人は人間の姿である上に、 フンドシ一丁だったからである。プレイを始める前に設定をしていないため、どちらもデフォルトの男性キャラクター の姿であるらしいのだが、プレイを始めてすらいないのでアイテムが一切なく、故に二人揃って清々しいまでに全裸 だった。イグニスは意味もなく前屈みになると、トニルトスを小突いた。

「俺だってあの変な連中に頼まれた仕事を請け負うのも嫌だけど、全裸はもっと嫌だろ?」

「それも道理かもしれんな」

 トニルトスは渋々振り返ったが、イグニスと同じく意味もなく前屈みになっていた。この態勢で何を守れるというもの でもないのだが、守らずにはいられなかった。ホログラフィーキーボードに届いた指はマサヨシのそれに似ていて、 骨張っていて薄い皮膚が軟弱な肉を包んでいる。ふと不安に駆られて頭を撫でると、つるりとした手触りが訪れた。 髪はあることにはあるが、後頭部から引っ張り上げた髪が頭頂部に縦長に結んである。紛れもない髷である。

「えー、とぉ」

 イグニスはとりあえず自分の名前を入力してみたが、巫女装束の少女は明るく答えた。

「その名前は既に使われておりまーす!」

「貴様など後回しだ、私が」

 トニルトスも自分の名前を入力してみたが、巫女装束の少女は明るく答えた。

「その名前は既に使われておりまーす!」

 その後、二人は綴りを変えて入力してみたり、名前の前後に記号を付けてみたりしたが、いずれも他のプレイヤー が既に使っていたのか巫女装束の少女は同じ言葉を何度も繰り返した。二人とも苛立ち紛れに巫女装束の少女に 八つ当たりしたが、相手はダメージも感じなければこちらの感情を酌み取ることもないNPCなので、手応えが一切 なく、空しさが募る一方だった。だが、このまま身動き出来なければ、量子コンピューター化させられたネットワーク が回復させることも出来ず、当然ながらマシンプロレスの動画も観られなければロッテ・イングラムのライブチケットを 予約することも不可能である。なので、二人はログインするためにプレイヤーネームを模索した。
 その結果。




 ほむらーんといなずまんは、ひたすらに雑魚妖怪を叩き潰していた。
 プレイ時間が長くなってくると、次第に奇々怪々というゲームのシステムが理解出来るようになってきた。要するに、 このゲームは旧時代の古代日本を再現したオカルティックな世界観の中で、ダンジョンやフィールドなどに出現 する妖怪と戦ってレベルを上げてアイテムを掻き集めてクエストをこなして遊ぶものだ、と。だが、デフォルトの職業で ある農民からスキルに富んだ職業にジョブチェンジしなければクエストを進めることすら出来ない。その上、レベル が規定値に到達していなければジョブチェンジする資格すら得られないので、ほむらーんといなずまんは単純作業を ひたすら繰り返していた。ターゲットを取る、攻撃する、アイテムを回収する。以下、エンドレス。

「あー……飽きた」

 イグニス、もとい、ほむらーんは斧を振り下ろして人魂を叩き割った。経験値の数字が浮かび、消える。

「同上だ」

 トニルトス、もとい、いなずまんは小太刀を振り下ろして人魂を叩き割った。経験値の数字が浮かび、消える。人魂 が割れた拍子に転げ落ちてきたアイテムは薬草で、ヒットポイントを回復する効果は弱いが、今のレベルでは無下 には出来ないのですかさずそれを拾った。アイテムボックスの重量が増える。
 二人がいるのは、ダンジョンでもなんでもない草原だ。ゲームスタート地点から程近いマップにある初心者向けの フィールドで、点在している民家の中にはNPCがいる。そこにチカがいればゲームを効率良く進める方法を聞けた のだろうが、生憎チカはいなかった。フィールドの出入り口に設置されている関所で、全てのダンジョンとフィールド のマップが閲覧出来るので、そのマップで確かめてみたところ、チカがいるであろう龍神の氷室というダンジョンは 十五のマップを通り抜けた先にある高レベルプレイヤー向けのダンジョンだった。

「現実なら、もっとこうズガァーッと攻められるんだけどなぁ」

 薄暗い森から漂ってくる人魂を切り捨てながら、ほむらーんはぼやいた。いなずまんは頷く。

「うむ」

 発言するたびに、音声と共に二人の目の前に同じ内容のテキストが表示される。数秒後も立てば消えるのだが、 鬱陶しい機能だった。プレイヤーのツールを調べればテキスト表示機能も解除出来るのだろうが、色々と面倒臭くて たまらない。人間は何が楽しくてこんなゲームに興じるのだろう。農民は攻撃力も低いし、装備出来る武器も防具も アイテムも少なく、草原で人魂をひたすら相手にしているしかない。
 二束三文のアイテムを売り払って掻き集めた小銭で買い求めた麻の着物を身に纏い、妖怪退治に出向く男への 餞別だと農民のNPCがランダムで渡してくれた武器を振るい続けていた。ゲーム内では情報処理のおかげで体感 時間が圧縮されていて、体感では一日が過ぎていても外界での実時間は十分程度だとNPCから説明を受けたが、 二人にとっては緩やかな拷問だった。惑星フラーテルでの激戦に比べれば、こんなものは児戯にも劣る。

「お、やっとか」

 軽快な効果音と共にほむらーんの頭上でホログラムの桜が散り、レベルが上がった。同時にいなずまんもレベル が上がり、桜の花びらが散った。ようやく一次職にジョブチェンジ出来るレベルになったが、二人揃ってどの職業に するかは決めていなかった。ジョブチェンジをするために庄屋に出向いた二人はNPCに話し掛けたが、そのためには クエストをこなせと言われた。特定のアイテムを一定数集めてきて提出しろ、という単純明快なものだが、二人は 徒労感に襲われて項垂れた。そのアイテムとは稲穂で、散々切り捨ててきた人魂よりも少し強い幽霊を倒せば入手 出来るのだが、そのためには草原に隣り合った森に入らなければいけない。だが、森に入れば幽霊よりも更に強い 妖怪が出現してくるのだ。ネットワークが全て死んでいるために二人以外のプレイヤーは存在しないため、出現した 妖怪は一つ残らず二人に襲い掛かってくる。ゲームを始めたばかりの頃は要領が掴めていなかったので、うっかり 森の奥深くに進んでしまい、妖怪の群れに襲われて何度となくゲームオーバーになった。
 その苦い経験があるため、二人は森に入るべきか否かを逡巡したが、さっさとジョブチェンジしなければゲームを 進められないので恐る恐る踏み入った。途端に幽霊が出現したが、前ほど苦労せずに倒せた。以前であれば二人 掛かりで叩いて叩いてようやく倒せたのだが、単独で一撃で倒せるようになっていた。途端に、それまでは苦痛すら 感じていた単純作業に快感を覚え、二人はここぞとばかりに幽霊を倒し、倒し、倒し、必要以上の稲穂を集めた。
 そして、ほむらーんといなずまんはジョブチェンジした。庄屋ののれんを払いながら外に出てきたほむらーんは 山賊へと姿を変え、いなずまんは侍へと姿を変えていた。羽織袴に刀を帯びたいなずまんは、農民の野良着と大差の ない格好のほむらーんに、汚物を見るような目を向けてきた。ほむらーんは荒縄の腰紐を結び直し、むっとする。

「なんだよそのツラは。まずは山賊にならねぇと野武士になれねーってフローチャートに書いてあったんだよ!」

「なぜ野武士になるのだ! 貴様はどこまでも愚劣だな! 清冽なる侍にならぬか!」

「侍だと刀系しか装備出来ねぇだろ! 二人とも前衛だと途中で詰んじまうだろ、ゲームが! 野武士だったら弓も 鉄砲も装備出来るし、上手くすりゃ三次職で砲手になれるしよ! 火力がなきゃ戦いにならねぇ!」

「ふはははは、これだから思考回路の単純なルブルミオンは!」

 いなずまんは袖に両腕を入れ、にたりと片頬を持ち上げた。

「私は今でこそ侍の身分だが、レベルを上げてパラメーターを振り分けた暁には妖術師へジョブチェンジし、いずれ は陰陽師となって広域妖術を操る身となるのだ!」

「広域妖術なんてそんなもん、ギルド同士の戦闘じゃねぇと役に立たねぇだろ! 相手もいやしねーし、大体お前と ギルドを組む奴なんかいるかよ! 人が熱中している時に横からごちゃごちゃ話し掛けてくるし、いちいち反応して やらねーと文句垂れてくるし、ソロ狩り出来るレベルのフィールドでもパーティ組もうとするし、挙げ句の果てに俺が 取った装備を寄越せとか言うしよ!」

「山賊に刀は必要なかろう。さあ早く私に譲渡するのだ」

「大イタチからドロップした妖刀はレア度が高いし付加要素も大きいから、タタラ場ダンジョンで精錬するんだよ。で、 俺が装備する。精錬したら重量も増えるしな。それに、陰陽師目指そうって奴が刀振り回すんじゃねぇ。侍から武将に なって更に大名になるってんなら話は別だけどさ」

「その手もあったか」

「今頃気付いたのかよ。ていうか、ゲーム始めたばっかりの頃にNPCから聞き出しただろ?」

「たかが人工無能プログラムに、ゲームの今後の展開を露呈されては退屈ではないか」

「ゲームってのは法則ありきの世界だから、その法則を知らなきゃ面白くもクソもねぇだろ。あーあれか、トニーって 意地でも攻略本買わないタイプだな。だが俺は違う、プレイ開始と同時に広げる。で、ダンジョンマップを広げて横に 置きながらプレイする。最強装備がどこにあるかも、ストーリーの骨子がどんなのかも、知った上で遊ぶ」

「それこそ退屈の極みではないか。愚劣である上に下劣ではないか」

「なんでもいいや、とっとと行こうぜ。でないと、ここの庄屋の台帳に俺とトニーのチャットログが残る」

「うむ。他のプレイヤーが現れて会話したならばいざ知らず、ここには貴様と私しかいないからな」

 いなずまんが歩き出すと、ほむらーんも続いて歩き出した。庄屋の周辺にはアイテムを売る店が並び、店の中と 外には人影があるが、それはいずれもNPCだ。だから、誰も彼も同じ言葉を延々と繰り返している。プレイヤーが 通り掛かれば行動パターンが変化するものもあるが、それはサーバーの容量を喰うのか数が限られている。関所を 抜けて街道に出たほむらーんといなずまんは、街道フィールドに出現する妖怪を適当にあしらいながら進んだ。
 レベルさえ上がっていれば、鴉天狗に弟子入りして天翔る術というフィールドワープスキルを取得出来るのだが、 生憎どちらもまだレベルが足りていないので徒歩で移動するしかなかった。馬に乗る、という手もあるのだが、二人 揃って馬に乗るために必要なスキルを取得していなかった。その上、馬自体も値が張るので、一次職の所持金では まず手が届かなかった。だから、退屈極まりなかったが、ひたすら歩くしかなかった。どれだけ歩いても草鞋が一切 擦り切れないのは、ゲームの中の世界であるが故だ。
 ヤハタヒメに辿り着くのは、いつになるやら。




 その頃。
 一家全員は、リビングのホログラフィーモニターで奇々怪々のプレイ動画を見る羽目になっていた。未だに太陽系の ネットワークが使えないので他の番組が映し出せないためと、ガンマの再起動に思いの外時間が掛かっているので、 仕方なくイグニスとトニルトスのプレイ動画を流していた。しかし、他人のプレイ動画ほどじれったいものはなく、 奇々怪々にのめり込んでいる三人の苛立ちは相当なものだった。

「あーもうっ、そっちに行ったら時間の無駄っすよ無駄無駄! とっとと次の街に行くっす!」

「そんな雑魚妖怪放っておくのが常識ですぅ! 侍のくせしてなんで前に出るんですかぁ、そこは山賊にタゲ取りして もらって壁にして横殴りするですぅ!」

「次の街では、武家屋敷から脱走した馬を掴まえるクエストがある。先のその馬を掴まえて牽引すべき」

「この街道沿いのダンジョンに潜ったらレベルの上がりが早いっすけど、僧侶も巫女もいないんじゃ無理っすかね。 あー、オイラがログイン出来ていたら、レベルカンストしてほぼ最強装備の姫巫女のヒスイたんを……!」

「違いますぅ、このボクの最強キャラである龍神装備を全部揃えた女大名のカスガ様で決まりですぅ! カスガ様は 課金装備のスキル拡張がありますからぁ、広域妖術から近接格闘までなんでもござれなんですぅ!」

「違う。ここは私の育て上げた最強キャラ、鬼武者のサダガリで行くべき。鬼武者は三次職の中でも秀でている上、 妖術師の頃に会得した妖怪召喚のスキルで妖狐のタマキを召喚出来る。よって、全方位攻撃が可能」

「えぇーむーちゃん、タマキたんを召喚出来るんですかぁー? 今度見せて下さいですぅー」

「了解。けれど、それはジョニー君と海底洞窟ダンジョンを制覇してから。妖狐のタマキは使いどころが難しい」

「タマキたんも萌え萌えっすけど、ボイスとエフェクトだったら姫巫女が召喚するイヅルには敵わないっすよ」

「鳳凰のイヅルたんもですかぁ!? どんだけ廃人なんですかぁ! もしくは死ねやBOT野郎!」

「人聞きの悪いこと言わないでほしいっすねぇ。ねえむーちゃん?」

「そう。ジョニー君はどこに出しても恥ずかしいネトゲ廃人ではあるけど、BOTツールは使ったことはない」

「あんなもん使ったって、面白くもなんともないっすからね。で、ミイムは女大名以外のキャラはいるんすか?」

「そりゃ一杯いますぅ。くのいちにぃー、お局様にぃー、女陰陽師にぃー」

「女キャラばっかりじゃないっすか。そんなんじゃバランス悪いっすよ、むーちゃんは男女半々なんすから」

「男が四、女が四。キャラクタースロットはまだ二つ空いている。それはジョニー君と効率良いパーティを組むため」

「にしてもこのフィールドマップ、バージョンが古いっすねー。動作もちょっと重くないっすか? この前のメンテと同時 進行していた大量アップデートで、この辺のフィールドにも唐傘が出てくるはずなんすけどねー」

「唐傘はダンジョンはともかくフィールドだと出現率が低いですぅ、それだけのことじゃないんですかぁ?」

「大量アップデートが適応されなかったサーバーはないと認識している。亜空間通信による通信遅滞が発生している にしても、アップデートが及ばないとは考えづらい。となれば、こちら側のエラーと判断すべき?」

「こりゃゲーマスに出てきてもらわないとダメっすね、ダメー」

「でもぉ、見た感じぃ、イギーさんもトニーさんもゲーマス相手のWIS機能は使っていないみたいですぅ。ていうかぁ、 他のプレイヤーが一人もいないのも考えてみれば不思議ですぅ。テストプレイ用のサーバーだとしたらぁ、フィールドの グラフィックはベータ版のはずですぅ」

「試作アップデート用のクローズトベータサーバーである可能性は高い」

「むーちゃんの意見ももっともっすけど、なんかこう、違和感が出てきたっすねぇ。考えてみれば、プレイ動画を見る にしてもログインもしていない画面で見られるはずないんすよ。どこぞの動画サイトの実況動画でもあるまいし。その 辺を踏まえると、余計になんかこう、背中の辺りが……」

「そもそもぉ、なんでイギーさんとトニーさんなんですかぁ? 常識的に考えたらぁ、毎月百時間近くもやり込んでいる ヤブキがネトゲ世界を救うキモオタヒーローとして召喚されるはずですぅ。テンプレラノベ的展開ですぅ。あの二人はぁ、 ネトゲなんて更々興味がないどころか今の今まで接触もしてこなかったんですぅ。ますます変ですぅ」

 三人の会話を端から聞いているだけで、マサヨシは頭が痛くなってきた。ゲームには疎い方だと前々から自覚して いたが、出てくる単語の意味がまるで解らない。そして、そんな単語をやり取りしているだけでテンションが上がるの が余計に混乱を生んでいた。かといって、いちいち単語の意味を問い質すのも家長としての沽券に差し障るので、 マサヨシはひたすらガンマの再起動作業に集中した。その甲斐あって、オンラインアップデートが中断してしまった 影響で動作不能に陥っていたファイルやシステムの復元が滞りなく完了した。後はHAL号に搭載してあるガンマの 本体を再起動させれば、コロニー内のネットワークは復旧出来そうだった。もっとも、外界との連絡手段は途絶えた ままではあるのだが、どうにでもなるだろう。外宇宙が最悪の事態に陥っていたとしても、コロニー内の環境保全と 循環さえ保っていれば、計算の上では百年以上は生き長らえられるのだから。

「父上、現状は」

 身を乗り出したまま硬直しているイグニスの傍に寄り添っているアエスタスが、マサヨシに尋ねてきた。

「悪くないが、事態の打開とは程遠いな」

 ラップトップ型情報端末を膝の上に広げ、掃き出し窓に腰掛けてホログラフィーキーボードを打ちながら、マサヨシ は眉根を顰める。その背後にウェールが近付き、父親の肩越しにモニターを覗き込んだ。

「そもそも、あのゲームって一体何なの? 量子コンピューターがどういうものなのかは、技術の授業でちょっとだけ 教えてもらったけど、量子コンピューターは魔法の道具ってわけでもないのに。演算能力が高くなるイコール空想が 現実になる、ってわけでもないし。現段階の科学技術だと、限りなく現実に近い仮想空間をコンピューターの内部に 作り出せる、ってぐらいじゃなかっけ? 太陽系全体のネットワークを演算装置にしたとしても、ネットゲームの世界を 丸ごと現実世界に引き摺り出すには足りないんじゃないの?」

「それは私も気になっておりましてよ。ネットゲームのキャラクターが現実に現れてうんぬんかんぬん、という内容の 創作物は星の数ほどありますし、その逆も然りですけれど、ゲームの世界と現実をひっくり返したところで一体何の 意味がありますの? 私でしたら遠慮しますわ、そんな退屈な世界なんて。プログラマーとデザイナーの手のひらの 上で転がされ、箱庭で決まり切ったルールに則って動かなければならないなんて、うんざりしますわ」

 庭のベンチに腰掛けているヒエムスは、自分で淹れた紅茶を傾けていた。ミイムがプレイ動画と濃厚ネトゲトークに 夢中になっているからである。マサヨシは寄り掛かってきたウェールを構いつつ、再起動作業を続ける。

「もしかすると、だな……」

「なあに、パパは何か解ったの?」

 ウェールが目を輝かせてしがみついてきたので、マサヨシはちょっと照れた。

「そんなに大したことじゃない。あくまでも仮定の段階だ、確証はないんだから」

「ですけど、御父様の思い付きは無下には出来ませんわ」

「どうかご進言下さい、父上」

 ヒエムスとアエスタスにも期待され、マサヨシはやりづらくなってきた。

「お前達は俺を買い被りすぎだ」

 だが、父親として決して悪い気はしない。マサヨシは三人の娘達から注がれる熱い眼差しをやり過ごしつつ、頭に 過ぎった思考を今一度整理した。太陽系のネットワークをダウンさせるほどの過負荷を掛け、量子コンピューターと 同程度の演算能力を操っているヒューゴー・アランというプログラマーが実在しているものと仮定する。その男は量子 コンピューターの作動実験には成功したが、そして、彼に恋慕したヤハタヒメなるボスキャラクターが現実世界に 現れようと画策している。NPCでありながら高度な知性を備えたチカとソウウンが実体化してマサヨシらの目の前 に現れ、食事まで摂っていった。その後、チカとソウウンが消滅すると同時にイグニスとトニルトスが意識を失い、その 直後にゲーム画面に二人が操るプレイヤーキャラクターが現れて辿々しい冒険を始めた。
 全部が全部引っ掛かるが、特に引っ掛かるのがチカとソウウンだ。そもそも、NPCは食事を摂るだろうか。食事を するという概念すら与えられないのではないだろうか。動いて喋る電脳マネキン人形なのだから、パターン外の行動 を取ることからして異常だ。更に言えば、わざわざキッチンのモニターから出てくる意味が解らない。普通、というのも 何かおかしいが、順当に考えればヤブキのパソコンのホログラフィーモニターから出てくるだろう。見つけてくれ、と 言わんばかりの行動だ。となると、考えられる線は一つだ。

「ミイム!」

 マサヨシが鋭く呼び付けると、ミイムが振り向いた。

「ふみゅうん、なんですかぁ?」

「コロニー全体にサイエネルギーを解放してみてくれないか。だが、サイコキネシスにはするな、散らかるからな」

「それはいいんですけどぉ、何を見つけるんですかぁ?」

「侵入者だ。相手は生身の人間、或いはサイボーグだと踏んでいる。対人だと、ガンマよりもお前の方が走査精度が 高いからな。まだ遠くへは行っていないはずだ」

「そう簡単に言ってくれるんじゃねぇやコノヤロウですぅ。でもぉ、このボクに出来ないことなんてないんですぅ」

 ミイムは名残惜しげだったがモニターから離れると、庭先に浮かび、ピンクでふわふわの髪を弱いサイコキネシスで 漂わせた。サイエネルギーとは、超能力として発現する一歩手前の精神力の通称で、明確な能力として形作る前で あるがために汎用性が高い。だが、通常の超能力の数百倍から数万倍の範囲を知覚してサイエネルギーを操る必要 があるため、超能力者自身に途方もない過負荷が掛かるので、余程のことがなければ行使しないものである。だが、 今はその余程のことが起きている。
 数分間、ミイムは息を詰めて目を閉じていた。彼のフリフリのエプロンと短いスカートが緩やかに波打ち、小石や 雑草の切れ端がその足元で弱く渦巻き、コロニー内部に充満している空気にテンションが掛かった。いつのまにか ヤブキとアウトゥムヌスはお喋りを止め、マサヨシを始めとした皆も、彼を注視していた。ミイムは一際深く息を吸うと、 不意に目を見開いた。そして、風を巻き上げながらカタパルトの方角を示した。

「そこぉ!」

 サイコキネシスによって遠隔操作されて隔壁が開き、空を映し出すスクリーンパネルが収納されていき、格納庫の 四角い出入り口が露わになった。それはコロニー内側のカタパルトで、普段はアエスタスが機動歩兵を発着させて いる場所でもあった。だが、今は機動歩兵もHAL号も格納してあるので、そこは何もない、はずだったのだが。

「思った通りだ」

 マサヨシは目を凝らし、カタパルト内の異物を見咎めた。そこには小型の宇宙飛行艇が収まっていて、機体の影に 人影が隠れていた。パイロット故に視力が高いマサヨシは、それがチカとソウウンであると認識した。チカの服装は 奇々怪々のNPCのキャラクターと同じ着物ではなく、パワードスーツを兼ねた気圧服を着ていた。彼女の首には ヘビと同等の大きさの龍が絡み付いていて、二人は気まずげに目を合わせている。

「拘束と同時に連行!」

 マサヨシがミイムに指示を飛ばすと、ミイムは一本釣りした。夢を壊されて腹が立ったらしい。

「チェーストォオオオオオ!」

 両腕を高く掲げながらミイムが仰け反ると同時に、小型の宇宙飛行艇と二人が引っ張り出された。が、宇宙飛行艇 と二人はサイコキネシスに捉えられていながらも消失した。ミイムは苦々しげに舌打ちする。

「ちぃっ」

「これもまた思った通りだな。あのチカって娘は、恐らくテレポーターだ。幻覚を見せるテレパシーも多少は使える んだろう。テレパシーは機械生命体にも通じるってことは、随分前にフローラ先生が証明してくれている。そうで なければ、俺達全員をペテンに掛けられるわけがない。だが、逃げられると思うなよ?」

 マサヨシがミイムに目配せすると、ミイムは左手首のサイキックリミッターを外し、四肢を広げて胸を張った。

「このボクを舐めてもらっちゃ困るんだぜドチクショウですぅ! マシュマロみたいにとろとろあまあまなんですぅ!」

 直後、コロニー内の空気が、空間が、凍り付いた。真空にも匹敵する状況に、マサヨシは息を止めておけと娘達に ジェスチャーで伝えた。無理に呼吸すれば、極限まで粘度が高まっている空気で肺を痛めかねないからだ。ミイムの 超能力は未だ衰えを知らず、発達する一方なのだと改めて実感させられる。音も消え、揺らぎも消え、時間さえも 止まっているかのような錯覚を覚える。十秒程度の静寂の後、ミイムの圧倒的なサイコキネシスに耐えきれなかった 宇宙飛行艇が亜空間から出現し、涙目のチカが両手を上げて息を詰めていた。その肩のソウウンもである。
 勝負あり。





 


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