アステロイド家族




柔らかき冬



 深々と、心身に。


 夢を見る。
 美貌の皇帝の玩具でしかない少女は、過去の自分だ。父親と太陽系を人質に取られたも同然の身の上の少女 は、皇帝の気紛れで虐げられ、愛でられ、蹂躙され、犯されながらも、端麗な容姿と類い希な能力と同時に狂気を 孕んだ皇帝を見つめている。鮮やかなピンクの髪と長い耳と尾、儚げな立ち姿、身に付けた宝石の輝きですら凌ぐ 金色の瞳、独力で大艦隊をねじ伏せられる、強大にして絶大の超能力。
 時折、皇帝は泣いている。超能力を駆使するたびに、命が削れていくことを知っているからだ。何億、何千億もの 人々を児戯のように屠り、数百もの惑星を戯れに滅ぼし、ありとあらゆる欲望を満たし切っている身であろうとも、 死が怖いからだ。皇帝の双子の弟である側近は、皇帝を抱き締めている。だが、側近の命もまた燃え尽きる日が 近付きつつある。だからこそ、皇帝は涙を落とす。愛して止まない片割れが死んでしまうのが寂しいから、片割れ を残して死ぬのが寂しいから。その切ない情景は、残酷にも美しかった。
 皇帝の泣き声を耳にしながら、少女は皇帝を思う。腹の底から憎み抜く。血を煮詰めかねないほどの熱を帯びた 憎悪を注ぐ。御父様や太陽系の人々をあれほど殺したくせに自分が死ぬのは怖いのか。全能の神であるかのよう に振る舞っているくせに、こんなところは俗物なのか。反吐が出る。そんなに死ぬのが怖いのなら、この手で息の根 を止めてみせよう。心臓を抉り、眼球を潰し、脳を掻き混ぜてくれる。父親の仇を取ってみせる。
 殺してやる。




 最悪の寝覚めだった。
 とにかく頭が痛い、腹も痛い、腰も痛い。この分では、今日の授業には出られそうにない。そう決断したヒエムスは 枕元の情報端末を掴み、起動させ、手早くメールを打つと、エウロパステーション内にあるハイスクールに欠席届を提出 した。それでも、起き上がって身支度しなければ大惨事は免れないので、ヒエムスはゾンビのように呻きながらベッドから 這い出した。窓代わりに設置されているモニターを付けると、今朝のニュースが報道されていた。
 食べ物を胃に入れないと体も目覚めず、水を飲まないと薬の効きが悪いと知っているので、ヒエムスは吐き気と 戦いながらクッキーを囓って飲み下し、ぬるま湯で鎮痛剤を飲んだ。小一時間もすると腹痛は落ち着いたが、貧血 による頭痛はなかなか治まらなかった。ハート型の情報端末には、ハイスクールに登校した三人の姉からメールが 続々と届き、授業の範囲と提出物の内容を教えてくれた。けれど、それは三人の姉とヒエムスが選択している授業 が被っているものだけであって、全部ではない。前半は通信教育、後半は寮生活をして通学し、つつがなく教育課程 を修了したロースクールは授業内容は学年で一貫していたのだが、ハイスクールになると授業は生徒が選択する システムになり、単位制である。四姉妹が暮らしている学生寮も売店はあれども食堂はなく、部屋にバスルームと キッチンが揃っているので、健康維持と栄養管理も自力で行わなければならないのだ。十三歳にもなれば、大人の 一歩手前の扱いだ。

「あー、うー……」

 鎮痛剤が回ってきたため、ヒエムスはぼんやりした頭で呻いた。

「新人類の肉体であろうとも、生理痛だけは免れませんのね……? 遺伝子操作で早熟になった分だけ、骨格に 無理が生じるからですわね、これは……。ああ……でも、御姉様方は大したことはないのに……。御母様の遺伝 なのかしら……。だとしても、あまり嬉しくありませんわね……」

 ヒエムスは譫言を漏らしながら、気を失うように二度寝した。かなり深く寝入ってしまったらしく、物音に気付いて 目を開けると、立体映像の目覚まし時計の時刻表示は昼過ぎになっていた。二度寝したおかげで少しは楽になって きたので、ヒエムスが上体を起こすと、向かい側のベッドにルームメイトであるヴィヴィアン・ルーがいた。

「あら、お目覚めになったのね」

「ヴィヴィアン、授業はどうなさったの?」

 青ざめた顔でヒエムスが問うと、黒髪に灰色の瞳の少女、ヴィヴィアンは長い髪を背中に払った。

「私の選択した授業は午前中だけだったというだけのことなのだわ。それよりもヒエムス、お辛そうですわね」

「毎月のことですわよ」

「こちらにいらして。髪だけでも、整えて差し上げてもよくってよ」

「甘えさせて頂くわ」

「ええ、よろしくてよ。私も毎月そうですもの、お互い労り合いませんとね」

 ヴィヴィアンはぐったりしているヒエムスをソファーに横向きに座らせると、洗面所から持ってきたヒエムスのブラシを 持ってその後ろに座り、乱れ放題の長い髪を丁寧に梳いていった。髪の解れや崩れが直っていくと、徐々に髪が いつもの縦ロールの巻き髪に戻っていった。ヒエムスの髪には形状記憶素材を用いたパーマを掛けてあるので、 余程のことがなければブラッシングだけで同じ髪型になる。髪を梳き終わると、ヴィヴィアンは微笑んだ。

「可愛らしくてよ」

「ありがとう、ヴィヴィアン。おかげで人並みの姿形に戻れましたわ」

「礼には及ばなくってよ。それより、アフタヌーンティーに付き合って下さらない? 授業で御菓子を作りましたの」

「そういえば、ヴィヴィアンは家政の授業を受けておりましたわね」

「ええ、調理実習でしたのよ。ヒエムスのおうちには、とても腕の良い料理人が二人もいらっしゃるから、家裁なんて 学ばなくてもよろしいでしょうけど、私はそうはいきませんもの」

 はにかんだヴィヴィアンに、ヒエムスは弱い笑みを返した。彼女の素性はとても複雑だ。とある巨大犯罪組織が、 かの有名な星間犯罪者、グレン・ルーの遺伝子情報を元にして作り出した生体兵器がヴィヴィアン・ルーだ。だが、 クローンではなく、遺伝上では両親が存在しており、グレンは父親に当たる。母親に相当する遺伝子情報の持ち主 は、銀河連邦警察に所属する凄腕の狙撃手、ロザリー・ウィンチェスターである。ウィンチェスター女史は予知能力 を持っていて、それを応用して百発百中の狙撃を行う。なので、件の巨大犯罪組織はグレンの尋常ならざる能力に ロザリーの予知能力を掛け合わせたハイブリットを生み出そうとしたようなのだが、双方の遺伝子がぶつかり合って 互いの長所を相殺してしまったらしく、長年の研究の末に出来上がったのは、お淑やかで礼儀正しくて人当たりの 良い美少女だった。もちろん、巨大犯罪組織は何の役にも立たないヴィヴィアンを処分しようとしたのだが、当時、 巨大犯罪組織に潜入捜査していた星間捜査官、ロイド・ファイネンによって救出され、充分な教育を施されて戸籍も 与えられ、現在に至る。この時代、込み入った事情で生まれた子供は少なくも珍しくもない。

「ヒエムスは、バレンタインデーって御存知?」

 湯を注いだティーサーバーの中で茶葉が膨らむ様を眺めながら、ヴィヴィアンはうっとりした。

「ええ、存じていてよ」

 寝間着からゆったりしたワンピースに着替えたヒエムスは、芳しい紅茶の香りを味わいつつ、ヴィヴィアンの向かい 側のソファーに座った。ヴィヴィアンは家裁の授業で作ったチョコレートブラウニーを皿に盛り、フォークとクリームを 添えてヒエムスの前に置き、暖めたティーカップに紅茶を注ぐ。今日の茶葉はプリンス・オブ・ウェールズだ。

「遠い昔のお話ですわ。旧時代の寓話。古代ローマで、愛する人を故郷に残しておいては士気が下がるとの理由で 結婚を禁止された兵士と、その兵士と恋に落ちた娘を結婚させた司祭がおりましたのよ。それが時を経るに連れて 恋人同士が愛を誓う日とされて、小さな島国ではチョコレートをやり取りする日になりましたの。ですから、私はロイに チョコレートの御菓子をお送りしようと思っておりますの」

「そうね。きっと喜びますわ」

「ですから、これは習作なのですわ。どうぞ、召し上がって」

 ヴィヴィアンは頬をほんのりと染め、気恥ずかしげに目を伏せる。彼女を救出した星間捜査官、ロイド・ファイネン とヴィヴィアンが親しくするようになったのは、ロイド自身の意思もあるのだが、銀河連邦警察の意向である。ロイド は星間捜査官の地位を与えられてはいるが、厳密にはパトロボットだ。ファイネンというファミリーネームは、ロイド を開発した科学者の名である。三年前に父親が出会った大富豪の少女、ヒルデガルド・アイルロポダが私物化して いたパトロボット、メラノレウカのような機体とは根本的に設計思想が異なり、ロイドは自我と共に機体が成長する ロボットなのである。だから、ヴィヴィアンとの淡い恋も、優しい時間も、ロイドの成長には不可欠というわけだ。食事 出来るかどうかは定かではないが、愛しのヴィヴィアンが相手となれば、ロイドも頑張ることだろう。

「ヒエムスは、御家族に御菓子をお作りになるの?」

 琥珀色の熱い紅茶を口にしてから、ヴィヴィアンは朗らかに微笑む。

「出来ればそうしたいところですけれど、贈るべき相手が先に作ってしまいますの」

「御料理上手なママさん?」

「ええ。そうなのですわ。毎年、とても手の込んだ御菓子を山盛りに作って下さりますの」

「それは少し困りますわねぇ」

「私が作るものは大したことはありませんし、家族に出しても売れ残ってしまいますし……」

「でしたら、その時は紅茶を用意いたしますわ。お片付け、お手伝いして差し上げますわ」

「当分、食事は御菓子の試食になりそうですわね」

 ヴィヴィアンとのお喋りと紅茶の温もりとチョコレートブラウニーの甘みで、ヒエムスの気分は解れてきた。授業が 終わった頃合いになると、姉達がヒエムスとヴィヴィアンの部屋を尋ねてきた。どうせ今日は外出する気もないだろう から、と夕食を見繕ってきてくれたのだ。その際に細かい授業内容を教えてもらい、他愛もない雑談も交わした が、話題の中心はヴィヴィアン同様にバレンタインデーだった。特定の思い人がいるアエスタスとアウトゥムヌスは 毎年のことだから少し面倒でもあると言ったが、ウェールは苦笑していた。単なる惚気だからだ。
 姉達を見送り、ヴィヴィアンと共に夕食の残骸を片付けてからゆっくりと風呂に入ったが、ヒエムスはすぐに眠気が 起きなかった。二度寝したからだろう、と思ったが、重たい不安が胸中に凝っていたせいでもあった。また、あの夢 を見てしまうかもしれない。あれはサチコがマサヨシが生き延びられる世界を見出そうと試行錯誤していた段階の 宇宙の残滓であり、消え去ったはずの過去であり、思い出せないはずの記憶だった。
 冷たい壁に額を当て、軽く熱を帯びた頭を冷ましながら、ヒエムスは唇を噛む。あの宇宙では本来のミイムである レギーナが、コルリス帝国の皇帝として暴政を振るっていた。そのレギーナに父親も故郷も人間としての尊厳すらも 奪われたヒエムスは、レギーナを憎んでいた。恨んでいた。蔑んでいた。彼が死する、その時まで。その濃い憎悪は 現在のヒエムスの心を蝕んでくる。今の彼は、あの狂皇帝ではないというのに。

「眠れないのですか?」

 自分のベッドで寝入ったはずのヴィヴィアンが身を起こし、ヒエムスを案じてきた。

「少しだけですわ」

 ヒエムスは笑おうとするが、口角が上がらなかった。ヴィヴィアンはベッドから出ると、ヒエムスに寄り添う。

「私、明日の授業は午後からですの。お付き合いいたしますわ」

「寝坊しても存じなくてよ。私は明日はきちんと登校いたしますわ。課題のデザイン画は仕上げてありますし、それを 提出しなければ次の課程に進めませんもの」

「きっと上手くいきますわ」

「そう仰るのでしたら、またマネキン代わりになって下さいませんこと? ホログラムと実物では訳が違いますもの」

「ええ、よろしくてよ。ヒエムスの作る服を着られる日を、楽しみにしておりますわ」

 ヒエムスに応じたヴィヴィアンは、羽織ったカーディガンの袖で口元を隠し、小さく笑う。

「ねえ、ヴィヴィアンはロイドと出会えて幸福?」

 オレンジ色の光を放つ常夜灯に照らされながら、ヒエムスはヴィヴィアンの頼りない肩に寄り掛かる。

「ええ、とても。きっと、私は彼に出会うために生まれたのですわね」

 ヴィヴィアンが口にした甘い言葉が、ヒエムスの胸を刺してくる。気が狂いそうなほど強烈な憎悪が凪ぐと、その下 に隠れていた真意が浮かび上がってくる。それを認めるのが、恐ろしい。

「私はとても幸せなのですわ。御父様も、御姉様方も、他の家族の方々も健在ですもの。ですけれど、なぜかしら、 家族のままではいられなくなってしまいそうだと思ってしまいますの。これからも家族で在り続けたいのに、その均衡を 壊してしまいそうになるのですわ。あまりにも愚かですわ」

「どなたかに恋をなさっているのね」

 ヴィヴィアンのまろやかな語気に、ヒエムスは逡巡したが、頷いた。

「ええ。アエスタス御姉様とアウトゥムヌス御姉様は構いませんの。どちらとも、思い人とはそういう御関係でしたし、 そうならない方が不自然ですもの。ですけれど、私と彼は違いましてよ。……違いますの」

 ヴィヴィアンの細い腕で肩を支えられながら、ヒエムスは俯く。

「私などが愛してしまうべきではないの。私が手に入れるべきではないの。私が思うべきではなかったの」

 瞼を閉じれば、脳裏に焼き付いた夢が甦る。皇帝は死ぬのが怖いと嘆きながらも、力任せの侵略を強行して死に 向かって突き進み、そして果ててしまった。死と同等に権力を失うことを恐れていた。超能力が弱まることに怯えて いた。孤独を悟られまいと強がっていた。強がりすぎて誰かに縋ることを忘れた皇帝が苦しみ、狂い、弱り、伏せり、 尽きるまで、ヒエムスはその傍にいた。それしか出来なかったからだ。だから。

「最後まで、家族でいたいのですわ」

 それが、あの宇宙でのヒエムスが成し遂げられなかったことだからだ。

「そう。後悔なさらないようにね」

 ヴィヴィアンはそれだけ言うと、ヒエムスが落ち着くまで傍にいてくれた。程良い温もりが心地良く、ヒエムスは次第 に眠気に見舞われたので、ベッドに潜り込んだ。ヴィヴィアンは自分のベッドには戻らず、誰かが傍にいてほしい夜は 私にもありましてよ、と言ってヒエムスの隣で横になった。その気遣いが嬉しく、ヒエムスは恐れずに寝入った。
 けれど、また夢を見た。




 夢は続いていた。
 銀河全体を蹂躙していた超巨大帝国の皇帝は死に、帝国を支える戦力も大幅に減少してしまうと、帝国によって 押さえ付けられていた国家や民族や惑星や組織が反撃に打って出た。それにより、更に戦渦は広がり、いつしか 銀河中が戦争に陥った。自由の身となった少女は荒れ果てた惑星を渡り歩いていたが、その細腕には古びた壷が 抱えられていた。その中身は皇帝の脳髄だった。皇帝の凄まじい超能力の根源を奪われてはなるまいと、側近が 死に間際に措置を施して脳だけを分離させ、少女に託した後、側近も死した。
 皇帝の脳髄の壷を抱き締めながら、少女は自虐する。あれほど殺したいと願っていた相手を自力で殺せるように になったのに、嬉しくない。それどころか、とてつもなく空しい。流れ流れて辿り着いた、戦災難民で溢れ返る惑星の 片隅で、少女はふと気付く。皇帝には、自分が皇帝を憎悪していたことしか知られていなかったのではないのか、と。 確かに腹の底から憎んでいたし、差し違えてでも殺す覚悟を常に据えていたし、皇帝は少女に憎悪されることを 楽しんでいたようでもあった。だから、望み通りに憎悪していたが、それ以外の意味合いを持つ言葉を交わしたことは 一度もなかった。だから、彼も憎悪しか返してくれなかったのではないのか。
 少女は、皇帝の脳髄を入れた壷を錆び付いた砂鉄の大地に埋めると、水銀の海へと身を投じた。それしか皇帝に 近付く術がないと理解したからだ。再び巡り会えるように、今度こそ皇帝に伝えられるように、祈りながら朽ちた。 だが、少女は目覚めた。肉体から乖離した精神体が時間も次元も超越した世界に至り、母親と出会った。母親に 導かれるままに時を遡り、新たな肉体を得た少女は、彼の運命を変えるべくして再び物質宇宙に降り立った。
 けれど、彼は鏡の向こう側にいた。







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