アステロイド家族




柔らかき冬



 新人類は、十五歳で成人を迎える。
 四姉妹は十三歳になり、ロースクールからハイスクールへと進学した。そして二年後には卒業し、成人し、一人の 社会人として世の中に出ていくことになる。そうなれば、四姉妹はアステロイドベルトの一角に浮かぶコロニーの実家 からも巣立ち、社会人として独り立ちするだろう。だが、自分はどうだ。当の昔に成人を迎えているのに、未だに居候 の分際だ。そのままでいいのだろうか。いや、いいはずがない。
 ムラタ家を構成する者達は、壮絶な体験と紆余曲折を経て家族になったのだから、マサヨシはすぐには出ていけとは 言わないだろうし、他の家族もそうだろう。だが、いつまでも扶養されているわけにはいかない。四姉妹からはママと 呼ばれているが、それは便宜上の呼称であって母親ではない。ただの家政夫なのだ。

「みゅみゅう」

 ミイムは力なく唸り、サイコキネシスを弱く放って体を浮かび上がらせた。

「バレンタインの御菓子だったら、手伝わないっすからね? どうせオイラが手を出すとぎゃーぎゃー騒ぐんすから」

 リビングで胡座を掻き、細いペンチでプラモデルの部品をバラしながら、サイボーグの青年、ヤブキが言った。

「そりゃあヤブキなんかに言われるまでもないですぅ。ていうかぁ、ボクが作るからこそバレンタインデーに見合った 御菓子になるのであって、ヤブキが作ると和菓子になっちまうんですぅ」

「いいじゃないっすかー、別に。節分の後なんすから、豆菓子でもなんら不自然じゃないっすよ」

「不自然極まりねぇだろうがコンチクショウめがですぅ!」

 と、ミイムは反射的に言い返したが、毎年のように作っているバレンタインデーの御菓子はチョコレートばかりで、 たまには他のものでもいいんじゃないか、ともちらりと思った。しかし、ここは太陽系であり、地球の旧人類の文明に 根差していなければバレンタインデーとして成立しないのだ、とも。郷に入れば郷に従え、だ。去年は生チョコレートと タルトに流し込んだチョコタルトを作ったが、今年はまた別の御菓子にしなければ。新しく御菓子のレシピを探す のは少し億劫ではあったが、これも家族のためだ。ミイムは、洗い物を終えると、盛大にため息を吐いた。
 マサヨシとイグニスとトニルトスは統一政府軍木星基地で教官として日々尽力していて、四姉妹も木星のエウロパ ステーションにあるハイスクールの学生寮で生活しているので、事実上、ヤブキと二人暮らしである。なので、家事 の量も食事を作る量も会話をする量も何もかもがこぢんまりとしている。二人共ベクトルは全く違えども料理は好き だし、特撮やアニメといった共通の話題もあるし、ミイムの心身も落ち着いているので以前ほどヤブキにはケンカ腰 にはならなくなったので、平和ではあるのだが。

「退屈すぎて死にそうですぅ」

 ミイムはヤブキがランナーから切り離した小さなパーツを拾い、ぱちぱちと填め、素組みしていった。

「おかげでプラモ制作が捗っちゃって捗っちゃって困るっすねー。お、ここはバリを取らねば」

 ヤブキもまた、ミイムと向かい合ってぱちぱちとパーツを填めていく。

「で、今回のは何のプラモなんですかぁ? 箱がやけにデカいですけどぉ」

 ミイムは振り返り、リビングの一角を占めている二メートル四方の箱を窺った。パッケージに描かれているロゴの 言語が第一公用語ではないので、ミイムには読み取れなかったのだ。だが、ヤブキには読めるらしい。

「ほら、あれっすよあれ。人類の世代交代に反発した旧人類の一派が外宇宙を目指すために建造したけど航行中 に行方不明になっちゃってそれっきり、っていう、幽霊移民船っすよ。で、船の名前は歴史の闇に埋もれちゃったん で、その一派の名前がプラモの船には付いているんす。その名もイミグレーター。総パーツ数は十万。でも、そんな プラモが売れるわきゃないんで、オモチャ屋の倉庫で眠っていたんすよ。それがネット通販で九十九割引で売られて いたんで、思わずポチったんすよ」

「それってただのゴミじゃないですかぁ。そんなのを作って楽しいんですかぁ?」

「単純作業は楽しいもんっすよ。それに、部品が多くて時間が掛かる方が、むーちゃんと会えない寂しさが紛れるって もんすよ……。我に返ると、オイラ何やってんだろう、とか思っちゃうっすけどね……」

 ヤブキは首関節を軋ませながら俯くと、力一杯ため息を吐いた。脇腹の排気口から。

「で、どうするんですかぁ」

「どうって何がっすか」

「むーちゃんが卒業した後のことですぅ」

 ミイムは説明書から浮かび上がっている立体映像を頼りにパーツを組みながら、素っ気なく問うた。

「そりゃ結婚するっすよ?」

「だから、その前の段階の話ですぅ。結婚するとなると、いつまでも実家にいるわけにいかないじゃないですかぁ」

「オイラはむーちゃんと一緒に、この家とコロニーを守るつもりでいるんすけどねー」

「そりゃヤブキのクソッ垂れで甘ったれな考えであって、むーちゃんとパパさんの意思じゃないですぅ!」

「そりゃどうも。まあ、大体のことは決めてあるんすけどね」

 気を取り直し、ヤブキは素組み作業に戻った。銀色の太い指が、プラスチックの小さい部品を重ねる。

「コロニーの管理をするには、結構な知識と資格が必要なんすよ。んでも、オイラの最終学歴は訓練学校中退っす から、取れる資格が限られているんすよねー。でも、一つ一つ潰していかないことには、自分の家を自力で管理する ことなんて夢のまた夢っすから。完全循環型のコロニーだから、ある程度は整備しなくても動くように設計されて いるっすけど、機械は機械っすから、使った分だけ疲労が蓄積するのは当たり前なんす。んで、むーちゃんと一緒に 決めたんすよ。オイラが取れる資格はオイラが取って、それ以外の資格は大学に進学したむーちゃんが取る」

 ぱちん、とヤブキはパーツを填めて形にすると、側面からはみ出したバリをヤスリで削った。

「オイラに出来ることは、それぐらいっすからね」

「ヤブキにしてはまとも過ぎて突っ込みようがないですぅ」

「んで」

 ぱちり、と大きめのパーツを填め込んだヤブキは、鮮やかなグリーンのゴーグルにミイムを映した。

「あんたはどうするんすか、皇太子」

 その問い掛けに、ミイムは答えに窮した。どうすればいいのか、どうしたらいいのか、どうなることが最善なのか、 測りかねているからだ。矢継ぎ早に出てくる文句も喉の奥で詰まり、唇を曲げた。短いスカートの裾からはみ出た 尻尾の尖端でフローリングを叩いたが、冷たいだけだった。
 なぜ思い悩み、躊躇い、恐れてしまうのか。その理由は、近頃見る夢のせいだった。旧い宇宙での出来事であり、 ミイムがレギーナ・ウーヌム・ウィル・コルリス皇帝として即位した場合の未来でもあり、遠い過去の残滓でもある、 おぞましい悪夢だ。だが、独裁者として銀河中を血に染めたレギーナは、今もミイムの奥底に眠っている。あの日、 双子の弟であり側近であったルルススがレギーナを逃がしてくれなければ、忠誠心を貫いたルルススがレギーナの 業を代わりに引き受けてくれなければ、有り得たことだからだ。

「ボクはママでいたい」

 不意に脳裏に甦るのは、ヒエムスに歪んだ寵愛を注ぐ己の姿だった。

「ママでいられたから、ボクはレギーナじゃなくてミイムでいられた。だけど、それがなくなると、ボクはどうなるの?」

 ミイムが語気を弱めると、ぎしり、とヤブキが身動いだ。

「レギーナはどうしようもなく男なんだ。オスなんだ。オスだから、ああなったんだ」

 年齢を重ねるごとにホルモンバランスが安定し、発情期が穏やかになっていくと、解っていく。

「ボクらのような男は、フォルテみたいな屈強な女性に従っているわけじゃない。むしろ、女性を従属させるために、 この容姿と超能力があるんだ。だってそうじゃないか、綺麗で儚げでか弱い生き物が生きていくためには、強い者 を手のひらで転がすしかないからだ。でも、レギーナはそうじゃない。力でなんとかしようとした」

 両手を広げて見つめると、サイコキネシスが無意識に広がり、プラモデルのパーツを浮かばせる。

「だから、ボクはママでいるべきなんだ。でも、いつまでもそのままじゃいられないってことぐらい、解っている。そこ まで馬鹿じゃない。でも、ボクは怖い。男になるのが怖い。どうしようもなく怖い」

 遠い未来、遙かな過去。そのどちらでもある宇宙で、レギーナはヒエムスを愛していた。愛していたが、愛し方が あまりにも下手すぎた。というより、ヒエムスを愛していると自覚するのが遅すぎた。何もかも手遅れになって、奪い 取った領土も惑星も己の命すらも失ってからやっと気付いたほどだった。
 多次元宇宙は隣り合っているわけではないが、遠いわけではない。もつれ合う糸のように捻れながら、時間の狭間 に漂っている。恐らく、レギーナが存在していた旧い宇宙の次元がこの宇宙の次元にほんの少し近付いたから、 夢として記憶が再生されているのだろう。ならば、ヒエムスもあの夢を見ているはずだ。マサヨシとサチコが一対で あったように、レギーナとヒエムスも一対だからだ。

「ボクは男になっちゃいけない」

 それなのに。そうあるべきはずなのに。

「あの子はボクのものじゃなくて、あの子自身のものなんだ」

 童話のお姫様のような髪型と服装をこの上なく好む、愛らしい娘。

「あの子は、ボクよりもずうっと立派な大人になれるんだ」

 エウロパステーションで学校に通い始めてからは、見違えるほど成長した。

「あの子の人生があるんだよ」

 無限の可能性を抱いた宇宙は、彼女の目の前に広がっている。

「レギーナに出来なかったことを、レギーナがしようとしなかったことを、ボクはしてきた。だから、今度もそうする んだよ。それだけなんだよ。だって、それが最善じゃないか」

 けれど、自分を戒めようとすればするほど、心は荒れる。

「きっと、これはただの勘違いなんだよ。だってそうだろ、ボクらはサチコさんがくっつけた因果で家族になったわけ であって、その因果が頭にこびり付いているから、引き摺ってしまうから、こうなっちゃうだけなんだ。だけど、因果 は因果でしかないから、それに振り回されるべきじゃないんだ。だけど、ボクがそうだと、あの子もそうなってしまう。 そんな狭い世界で終わらせちゃいけない。ボクなんかに縛られちゃいけない。そうだろ、ヤブキ?」

 不安が恐怖に恐怖が諦観に変わった末に出した、レギーナではないミイムとしての結論だった。

「こんのアホンダラ!」

 唐突に、ヤブキはミイムの額を指で弾いてきた。思い掛けない衝撃に仰け反り、ミイムは言い返す。

「このボクの美しすぎる顔になぁにしやがるんだよスットコドッコイですぅ!」

「真面目腐ったミイムほどキモいもんはないっすから、その辺で勘弁願いたいんすよねー。大体なんすか、まだ何も しちゃいないのに勝手に結末を決めちゃって。アニメの一話切りっすか。一話は導入で二話は設定の説明なんす から、ストーリーが転がるのは三話からなんすよ、大抵の場合は。プロットどころか設定だけ書いて満足しちゃって 出版社には投稿せずに、デビュー出来ないのは世の中が悪いとか抜かすラノベ作家志望っすか。なんなんすか、 思い上がりすぎじゃないっすか。つか、それはひーちゃんがミイムにベタ惚れであるという大前提に基づいている 童貞臭い寝言であって……」

 ヤブキはミイムと睨み合いながら捲し立ててきたが、中断し、首を捻った。

「で、ひーちゃんでいいんすよね?」

「ぬあああああああっ!」

 あらゆる意味で居たたまれなくなったミイムは赤面して顔を背け、サイコキネシスをヤブキ目掛けて叩き付けた。 その際、リビングの掃き出し窓を開いたのは、偶然ではなく無意識による行動だった。開ききった掃き出し窓から 飛び出して庭先を飛び越えて道路に転がったヤブキに、ミイムは自棄になって叫んだ。

「悪いかぁああああああっ! だぁっ、大体だなぁっ、可愛いのが悪い! でも、でもでもっ、七歳も年下で! 昔の ボクがアレしてコレしちゃった女の子で! だけどボクはママで! ママなんだよぉっ!」

 叫ぶだけ叫ぶと少し落ち着き、ミイムは肩を大きく上下させ、目元を拭った。

「うん、でも、そうなんだよぉ。ひーちゃん達はボクをママとして扱っているしぃ、ボクもそれでよかったんだ。だから、 今更男として接しても変すぎるし、男として見てもらおうだなんて、考える方が馬鹿なんだぁ……」

「んで、ミイムはどの辺で意識したんすか、ひーちゃんを」

「意識した、っていうか、えーうーあー、なんかこう、なんか、なんか、ああもう黙れやクソッタレがですぅ!」

「うぐおほっ!?」

「ヤブキにだけは知られたくなかったというか知られたら精神的に死ねるから教えるつもりなんて更々なかったのに 退屈すぎて口がだだ滑りになっちまったんだよドチクショウがですぅ! さあ忘れろぉっ、忘れてくれなきゃこの場で本気で サイボーグ解体ショーするですぅ!」

「そこまで思い詰めるなら、ひと思いにひーちゃんに言えばいいのに」

「こんな恥ずかしいこと、当人に言えるかコノヤロウがですぅ!」

「んじゃ、イベントの力を借りるしかないっすね」

 ヤブキは事も無げに起き上がると、手中のプラモデルのパーツの無事を確かめてから、汚れを払った。

「古来より、イベントってのは日頃言い出しづらいことを言うための切っ掛けになるもんっすからね」

「で、でもぉ」

 気が立ちすぎて半泣きになったミイムが臆すると、ヤブキはぐっと親指を立てた。

「たとえフラレたって、モニターの中には無数の二次元嫁がぉうっ!?」

「死ねやキモオタサイボーグ!」

 今度は恥ずかしくなってしまい、ミイムはヤブキに思い切りサイコキネシスをぶつけた。そのせいで地面が抉れて 粉塵が舞い上がり、ミイムは興奮しすぎて目眩を覚えた。円形の穴の底で突っ伏しているヤブキの頭上に浮かんだ ミイムは、再度叩きのめそうとサイコキネシスを高ぶらせ、拳を振り上げた。が、気が逸れた。
 光が目の端にちらついたので、振り返ると、掃き出し窓にピンク色の長い髪を振り乱した青年が映っていた。その 形相は情けなく、皇太子の気位もなければ、皇帝に相応しい器でもなかった。初めての恋に戸惑いすぎて、悩みの 袋小路に填ってしまった、どこにでもいる愚かな男の顔だ。それを知って訳もなく安心し、ミイムは拳を緩めた。
 この手で、彼女に贈る御菓子を作ろう。





 


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