食料庫から材料を掻き集めた三人は、厨房に入った。 テーブルに並べられた十数種類の香辛料を、トリアはクアットロが伝えるカレーの情報を頼りに調合していた。 元々、トリアは三姉妹の中で最も手先が器用だ。フォルテも料理は出来るのだが、トリアほど手捌きは良くない。 フォルテが得意としているのは、己の腕力に任せた近接戦闘と幼い頃から教え込まれた帝王学と政治である。 二人の側近が死んでしまったら、命を守るものは己の力しかないと皇族専属の教官から教えられ、鍛え上げた。 鍛えすぎると二人との体格差が出るので気を付けているが、体を動かすことが好きなのでたまにやりすぎてしまう。 デスクワークや精神力を消耗する会議などが続くと、居ても立ってもいられなくなり、夜中でも訓練場に出てしまう。 だが、それが悪いクセだと自覚している。下手な行動パターンを作ると、それだけ暗殺される機会が増えるのだ。 しかし、それ以外のストレス解消法を見出せないので、そうは思っていても体を鍛えてしまう自分が嘆かわしい。 夜中なので三人以外は誰もいない厨房は寒々しく、隣接している食堂は明かりが落とされていて真っ暗だった。 フォルテは物珍しく思いながら、食堂を見やった。食事をする時は皇帝専用の食堂があるので、そちらで食べる。 場合によってはトリアとクアットロも同席するが、大抵は侍女や執務補佐官や護衛兵に守られながら食べている。 だが、それが食べやすいと思ったことは一度もない。毒味の関係で、出てくる料理は大抵冷めているせいもある。 「どうかなさいましたか、陛下?」 トリアが調合した香辛料を舐めたクアットロに問われ、フォルテは二人に視線を戻した。 「カレーが出来たら、お前達も一緒に食べてくれないか」 「そりゃ、私達は陛下よりも先に口にしますよ。それが私達の仕事なのですから」 擂り鉢から目を離さずにトリアが言うと、フォルテは少し照れながら言い直した。 「それはまあそうなんだが、その、一人で食べるのは寂しいんだ」 「あらま」 トリアが頬を染めると、クアットロも緩んだ口元を押さえた。 「なんて可愛らしいことを仰いますか、陛下」 「ということは、普段の私はそんなに可愛気がないということか」 フォルテはカゴに詰め込まれたイモを六つ取り、水洗いしてから皮を剥き始めた。 「お前達だからこそ、言えるんだ。他の連中には、こんなに甘ったれたことを言えるわけがないだろうが」 「嬉しい御言葉です」 トリアは笑んでから、調合した香辛料を舐めた。 「んー…。こんなところでどうでしょう、陛下」 トリアはスプーンの先端に香辛料を載せ、フォルテに差し出した。フォルテはそれを舐め、味わった。 「そうだな…。もう少し辛かった気がするが」 「では、もう少し辛みを加えてみますね」 トリアが辛みの強い香辛料を擂り鉢に追加すると、クアットロが嫌そうに眉を下げた。 「えー、辛くしちゃうの? そのままでも充分だと思ったのに」 「最優先すべきは陛下の味覚です。アケルブムを煮詰めて飲むようなあなたには言われたくありません」 トリアは、冷ややかにクアットロの意見を突っぱねた。アケルブムは、太陽系で言うところのコーヒーに当たる。 乾燥させた木の実から煮出した褐色の飲み物で、コーヒーよりも少々甘みがあるが、苦みが濃く目覚ましに効く。 クアットロは、年端のいかない子供の頃から水のように飲み続けているので、とっくの昔に効かなくなっていた。 だが、量が多ければまだ効くかもしれない、とのことで煮詰めて飲んでいるのだが、トリアには大変不評である。 アケルブムは刺激が強いので、脳を活性化させる一方で消化器官に負担への大きく、炎症を起こす場合もある。 トリアはそれが心配だからクアットロに口を出しているのだが、クアットロはそれに聞く耳もを持とうとしなかった。 フォルテはイモの皮を剥きながら、笑いを噛み殺していた。妹達のやり取りを聞くだけで、微笑ましくてたまらない。 「なんですか、陛下」 フォルテの反応に目ざとく気付いたトリアが少しむっとしたので、フォルテは笑いを収めた。 「いや、すまん」 「あ、皮剥きなら私がしますよ」 クアットロがナイフを取ろうとすると、トリアがその手を素早く弾いた。 「そうやって、骨に達するほどの傷を負ったのはどこの誰ですか!」 「あれは子供の頃の話でしょうが。それに、あの時は眠くてちょっと手が滑っちゃっただけなんだって」 弾かれた手を押さえたクアットロは、だらりと尾を下げた。 「今も眠いじゃないの、あなたは。そんな人に刃物を持たせられますか」 つんと顔を背けたトリアに、クアットロは不満げに頬を張った。 「過保護なんだから、トリアは」 「クアットロが危なっかしいんでしょうが」 トリアが調合した香辛料を鍋に入れながらぼやくと、クアットロは拗ねた。 「トリアがうるさいんじゃないのさ」 「どっちもどっちだろうが」 フォルテが口を挟むと、二人は互いを見て黙り込んだ。ばつが悪そうな妹達に、フォルテはまた笑いそうになる。 トリアはクアットロが心配で、クアットロはトリアの役に立ちたいだけなのだが、どうにも上手く噛み合わないのだ。 幼い頃からちっとも変わらない妹達のやり取りにフォルテは安心感を覚えつつ、二つめのイモの皮を剥き始めた。 「では、クアットロは私達の手順を見ていてくれ。何か間違っていると思ったら、指示を頼む」 「解りました、陛下」 クアットロは少し不満げだったが、了承した。 「そうそう、あなたは何もしないが一番安全なんです。クアットロのミスで、万が一陛下の身に危険が降りかかったらどうしてくれるんですか」 トリアに釘を刺され、クアットロはむくれながらも黙った。フォルテはその様に、ますます笑い出したくなっていた。 だが、笑っては妹に悪い。そう思ったフォルテはイモの皮剥きに集中し、剥き終えたものを水を張った器に入れた。 刃物を握るのは久し振りだが、悪い気分ではない。今後のストレス解消法に、料理を加えても良いかもしれない。 トリアとクアットロなら、それを処分する手伝いもしてくれるだろう。そうすれば、一人で食べる寂しさも紛らわせる。 人生の伴侶を得れば、その者と食卓を共にすることになるのだろうが、フォルテは当分結婚しないつもりでいる。 皇帝の本分を果たし、帝国を建て直した後に、心から信頼出来る男が目の前に現れたら身を捧げるのも悪くない。 だが、それは遠い未来の話だ。フォルテが自分のことだけを考えられる日が来たら、少しは考えてもいいだろう。 しかし、その時が訪れる保証はない。むしろ、身を捧げられるほどの男に出会う前に、戦火か暗殺で死ぬだろう。 国内外にフォルテに反発する者は多く、皇居内でも心から信頼出来るのは、トリアとクアットロの二人しかいない。 だからこそ、こんな時間がとても大切だ。トリアとクアットロの傍では、警戒心を欠片も抱かずに笑えるのだから。 皇帝とは、孤独で苛烈だ。気の休まる暇すら与えられない日々を生き抜き、戦い抜き、帝国を守り抜くためにも。 妹達は、欠かせない。 一時間半が経過し、カレーと思しき料理が出来上がった。 三人は厨房の一角に座り、皿に盛った料理を見下ろしていた。熱い湯気が昇り、食欲をそそる匂いが漂った。 野菜の煮えた甘い匂いに香辛料の辛みが混じり、空きっ腹を刺激する。増して、それが深夜ともなれば尚更だ。 コルリス帝国の生産する穀物の中に、米に似たものはなかったので、それの代用品としてパンを添えてあった。 だが、隣国の生産している穀物にはあったはずだ。政略のために輸入を規制していたが、解除するべきだろう。 そんなことを考えながら、フォルテは妹達がカレーを食べる様を見ていた。どうやら、何も問題はないようだった。 皇居の料理人が夕食用に焼き上げたパンを千切り、とろみの付いたソースと煮えた野菜を載せ、口に運んだ。 ヤブキの作ったカレーライスとは若干風味は違うが、ほとんど同じ香りが鼻を抜けた後、複雑な辛みが舌を刺す。 良く煮えた根菜は歯で噛み潰すと甘みが溢れ、パンに吸い込まれたソースと混じり合い、どの味も調和している。 香辛料を多数使ったので、どれか一つが争うのではないのかと思ったが、どの辛みも突出せずに馴染んでいる。 食べれば食べるほど食欲をそそられるので、フォルテとトリアはすぐに食べ終えたが、クアットロだけは違った。 「辛い…」 皿に半分以上残しているクアットロは首筋まで汗を滲ませており、風呂上がりのように顔が紅潮していた。 「そんなに? 私はそうでもないけど」 パンの切れ端で皿に残ったソースを拭い取ったトリアは、それを口に投げ込んだ。 「だから言ったじゃないの、辛くない方がいいって!」 彼女にとっては余程辛かったらしく、クアットロは涙すら浮かべていた。 「ねえ、陛下?」 「いや、私も平気だぞ。むしろ、これぐらいが丁度良いと思うがな」 フォルテがトリアに皿を渡し、お代わりを受け取ると、クアットロはぐいっと涙を拭った。 「もういいです、私は二度とカレーなんか食べません。記憶から抹消します」 「だが、私は何度も食べたいと思うぞ。なあトリア?」 フォルテがトリアに向くと、トリアは嬉しげに尾を振った。 「陛下のためでしたら、何度でもお作りします。香辛料の配分と調理手順は、きちんと覚えておきましたので」 「私はもういいです…」 ああ辛い辛い辛い、とクアットロは水をピッチャーからコップに注ぎ、喉を鳴らして飲み干した。 「それで、この料理をお作りになった方はレギーナ様ではないと仰られましたが、どなたなのですか?」 トリアに問われ、フォルテは返した。 「ああ、そうだな。兄上の良い友人で、確か、ヤブキという青年だった」 「だったらもう、これはヤブキで良いです、ヤブキで」 二杯目の水を飲みつつ、クアットロが投げやりに言い捨てた。 「だが、この料理はカレーと言うのだぞ?」 フォルテが怪訝な顔をすると、クアットロは腹立たしげにスカートの下から伸びた尾を振っていた。 「だって、この辛さが憎たらしいんですよ。それに、なんかその方がしっくり来ます」 「それは八つ当たりですよ、クアットロ」 トリアが呆れると、クアットロは恨みを込めた目で姉を睨んだ。 「辛くしたトリアが悪いんです!」 「ヤブキ、なぁ…」 フォルテはヤブキ本人を思い出して、頬を緩めた。フォルテの身辺では、到底見当たらない性格の青年だった。 遠慮がなく、やたらと言動は幼いくせに人格は割と出来上がっているという、不思議なバランスを持った男だった。 きっと、ヤブキは大人であり子供なのだ。だからこそ、兄は彼に心を開くようになり、感情を剥き出しに出来るのだ。 大人であれば素っ頓狂な言動のミイムからは距離を取ってしまうだろうし、子供であれば同じように遊ぶだけだ。 だが、ヤブキはそのどちらも出来る男だ。確かに、香辛料の辛みと野菜の甘みが混じるカレーには相応しかった。 「悪くないな」 フォルテの言葉に、トリアは目を丸くした。 「本気ですか、陛下」 「だが、これは宮廷料理になどすべきではない。純然たる家庭料理だからな」 フォルテは二つめのパンを千切り、二杯目のカレーを掬った。 「まあ、そうですね。私もそう思います」 トリアも二杯目のカレーを皿に盛り、食べ始めた。 「具材にする野菜はこの三つに限定しなくとも良いでしょうし、作り方では多種多様な味が出来ることでしょう」 「でも、普及しますかね? 兵士や下級貴族に作り方を教えれば、ある程度は普及していくでしょうけど」 三杯目の水を傾けながらクアットロが言うと、トリアはパンを咀嚼しつつ考え、嚥下した。 「使う香辛料の種類を変えれば、なんとかなるかもしれませんよ。今日使ったものは、どれも他国から輸入したものでしたし、庶民には少々値の張るものばかりでした。国産で生産量の多い安価な香辛料と食品で代用して、いえ、それだけでは不足ですね。もう少し皆の舌に馴染むような味にしなければ。陛下のお好みの味ですと、少しばかり刺激がお強いですし」 「ほら、やっぱり辛かった」 にたりとしたクアットロを、トリアは軽く小突いた。 「黙らっしゃい」 「ならば、次に作る時はクアットロの好みに合わせよう。別の辛さでも食べてみたくなった」 フォルテは二杯目のカレーの味わいつつ、兄の友人の名を口にした。 「そうか、ヤブキか」 「そうです、もうヤブキでいいんですヤブキで」 「決め付けるんじゃないの」 フォルテの呟きに頷いたクアットロに、トリアが厳しく言った。フォルテは二杯目のカレーを味わいつつ、思った。 クアットロが何も反応しないところを見ると、惑星プラトゥムの言語にはヤブキに近しい単語は存在しないのだろう。 だったら、これを名称にしてもいいはずだ。ジョニー・ヤブキ本人がどう思うかは解らないが、きっと解ってくれる。 レギーナとは、もう二度と会えない。だが、兄との思い出が詰まった家庭料理には、片鱗を残してもいいのでは。 フォルテとトリアとクアットロにしか意味と意図は解らない言葉だが、民の間に広がれば、いずれ定着するだろう。 そのためにも、まずは帝国を建て直さなくては。国内情勢が落ち着かなければ、料理など広められるはずがない。 フォルテの意向でヤブキと名を変えられたカレーは、三人の思惑通り下級貴族や兵士達によって民に広まった。 他国との貿易を円滑に行うようになったことで、以前は高価だった香辛料や食料の値段が下がったからでもある。 ヤブキが国民に浸透するに連れて、至るところでヤブキの看板を掲げた食堂が現れ、一大流行となってしまった。 予想外の反応にフォルテは驚きつつも、兄と仲の良い友人の名を国中で目に出来る喜びを密かに味わっていた。 太陽系にて、その事実を知ったヤブキ本人が大層驚くのは、また別の話である。 08 11/23 |