命は、熱い。 夢を見る。 金色の母の力を使い、彼は悲願を果たした。地球を第二の故郷とし、滅び行く運命にあった機械生命体の復活 を遂げたのだ。その思想を良しとしない機械生命体の生き残りと、彼らと手を組んだ新人類による猛攻で一時期は 計画の完遂が危ぶまれたが、彼は金色の母から手に入れた絶大な戦闘能力で阻む者を全て殺した。歴戦の勇士 も気高い戦士も熟練の兵士も若き新兵も弱き軍属も、生まれて間もない命でさえも消し炭に変えた。 かつては地球と呼ばれていた星は、今や金属の大地に覆われている。赤く焼けた砂漠は、いずれ機械油の海に 包み込まれるだろう。その光景は、在りし日の惑星フラーテルそのものだった。反乱軍を裏切り、彼が築き上げた 第二の故郷に至ろうとする機械生命体も数多くいたが、彼はそんな者達も容赦なく殺した。己の決意を安易な動機 で裏切るような輩は、どうせ何の役にも立たない、と言い切った。そして、今日もまた、彼の足元には機械生命体の 焼け焦げた死体が転がった。どろりと溶けた同胞の頭部を踏み潰し、彼は振り向き、呻いた。 俺を一人にしないでくれ。 星の墓場。 不意に脳裏を過ぎった言葉は、やたらと感傷的な語句だった。アエスタスはパイロットスーツのヘルメットの内側に 息を吐き出し、バックパックに内蔵されている圧縮ボンベから注入される酸素を緩く吸い込んだ。両手で握り締めて いる操縦桿を軽く倒すと、機体のスラスターから噴出されている炎の角度が変わり、体に加わる圧も変わった。 狭いコクピットを囲んでいる全面モニターのそこかしこに、同型の訓練機が見える。宇宙空間で見つけやすい色 である白を基調としたシンプルなカラーリングの機体で、装飾も装備も必要最低限だ。個体差は機体の肩と背中に 付けられている識別番号と、生徒が自分の機動歩兵に愛着を持てるようにとの配慮で付けることが許可されている ノーズアートだけである。それさえ見逃さなければ、中に誰が乗っているのかは一目で解る。アエスタスの機体にも 当然ながらノーズアートを施してあり、FireBall との文字をレタリングして炎をあしらったものだ。 『いやー、すっごーい。うっわー……』 見渡す限りの宇宙空間に浮かぶ瓦礫を目の当たりにし、いかにも学生らしい反応をしたのは、アエスタスとチーム を組んでいる女子生徒、ジャッキー・リトルだった。彼女の機体がアエスタスの視界に入り込んでくると、その右肩に 記されているノーズアートが見えた。包帯が巻き付けられたナイフ。 『あれも、これも、それも、機械生命体の亡骸なんだね』 ジャッキーの機動歩兵がブラスターの銃口で示したのは、無惨に折れ曲がった巨大な腕だった。腕だけでも全長 三十メートル近くあるので、その持ち主は百メートル以上の巨躯を誇る機械生命体だったのだろう。 『星が滅ぶって、こういうことなんだ』 アエスタスの手元のモニターに、ヘルメットの中で動揺を浮かべたジャッキーの顔が写る。学生寮でもアエスタスと 同室であるジャッキーは、訓練戦艦ケラスス号でもルームメイトでありチームメイトだ。包帯と刃物をこの上なく愛好 しているが、それを除けば勉強熱心で心優しい少女である。 「ああ、そういうことなんだ」 在り来たりな言葉しか返せない自分を情けなく思いながらも、アエスタスは操縦桿を握る手を強張らせているだけ で精一杯だった。パイロットスーツとアンダースーツに圧迫されている肌が粟立ち、喉が干涸らび、奥歯を強く噛んで しまうのは、それだけ怯えている証拠だった。アエスタスはペダルを踏んで加速し、更に進む。 太陽系標準時刻に換算して数百万年前、この宙域に機械生命体の故郷である惑星フラーテルが存在していた。 だが、彼らは生みの母でありエネルギー源であるアウルム・マーテルを巡る戦争を起こした末に、母星が砕け散る まで戦い抜いて滅んでしまった。だが、砕け散った母星から辛うじて逃げ延びた機械生命体がいた。その中の二人が アエスタスの家族である、イグニスとトニルトスだ。それ以外にも遠宇宙の戦場で戦っていたために難を逃れた 者や、母星崩壊の衝撃で発生したワームホールに吸い込まれて命拾いした者もおり、そういった機械生命体達は 統一政府と宇宙連邦政府の呼びかけで太陽系に集まりつつある。散り散りになった同族の生存を確認するため であり、情報交換をするためであり、閉鎖的な種族だった機械生命体が他の知的生命体と交流するための切っ掛け にするためでもある。もちろん、統一政府側にも、機動歩兵に匹敵する機動力と耐久性を持つ兵力を増強したいと いう下心はあるのだが。 『教官が設置したビーコンまで移動して信号波を受信後、内容を口述、でいいんだったな?』 アエスタスの左側に現れた機動歩兵の右肩には、黒いハチのノーズアートが描かれている。彼女もアエスタスの チームメイト兼ルームメイトである、デビー・トラヴァーズである。チョコレート色の肌と青い瞳を備えた、生体改造体 の少女だ。大の昆虫好きで、特に好きなジガバチをノーズアートにしている。 『それと、機械生命体の生命反応が少しでも見つかったら直ちに報告の後に回収……ってことだけど、後者は 無理っぽいね。てか、これまでの訓練でも一件も見つからなかったし』 アエスタスの右側にやってきたジャッキーの機体が、肩を竦めてみせる。そういった人間臭い動作は機動歩兵の 動作確認には必要ではあるが戦闘は一切使用しない動作パターンなので、限りある記憶容量を圧迫してしまうだけ ではあるのだが、パイロット同士が意思の疎通を行う際に使用するので、敢えて削除しない場合が多い。アエスタスも そういった余分な動作パターンを削除していないので、二人に頷いてみせた。 「そうだな。だが、今までの訓練では見つかっていないだけという可能性もある。だから、機械生命体の生き残りが いる可能性はゼロではない」 『だね。諦めないことは基本中の基本だもんね』 そう返したジャッキーは、機動歩兵でハンドサインを行ってから右側に旋回していった。 『健闘を祈るぞ、隊長どの』 デビーもハンドサインを行ってから、左側に旋回していった。アエスタスは二人を見送ってから、直進し、レーダー の有効範囲を広げた。無数のスペースデブリの反応は現れるが、機械生命体の生存反応は一つもなく、何百キロと 進んでも結果は変わらなかった。訓練戦艦との定期連絡、ジャッキーとデビーとの定期連絡を十五分ごとに行い ながら、アエスタスはレーダー画面とコクピットの全面モニターを忙しなく見比べる。だが、どれほど探そうとも、死体 の破片しか見つからなかった。感情が荒く波打ち、操縦桿を握る手が汗ばむのは、昨夜見た夢のせいだ。 「くそ……」 訳もなく息苦しくなり、涙が滲みそうになる。アエスタスは訓練で教わった呼吸法を用い、精神を宥めようとしたが、 効果はなかった。遺伝子どころか精神体に染み付いた強烈な心的外傷は、小手先でどうにかなるものではないと 解っているが、落ち着かなければ機動歩兵の操縦に支障を来してしまう。この星の過去を知っているのは今の自分 ではなく、旧い宇宙で死んだ自分だと解っているはずなのに、精神がざわつく。 教官が設置したビーコンから発せられる信号を受信して暗号を解読し、三人で内容を口述した後、機械生命体の 生命反応が一つも見つからなかったことも報告した。帰投時刻になったのでアエスタスはジャッキーとデビーと合流 し、機械生命体達の死体で出来た小惑星帯を航行し、訓練戦艦ケラスス号まで戻った。戦艦と相対速度を合わせ、 レーザービーコンで誘導されてカタパルトに進入すると、減速しながら降下し、機動歩兵の両足をビンディングに重ねて 固定させた。無事にドッキングが完了した、と艦載コンピューターが報告してくれたので、アエスタスは操縦席と 体を繋いでいたシートベルトを外し、機動歩兵のコクピットを開けた。 すると、先に帰投していた機動歩兵から下りた男子生徒達が、キャットウォークで何かを投げ合っていた。それは 単なるボルトのように思えたが、それにしては形状が複雑だった。アエスタスは目を凝らして、それが何なのかを 視認して戦慄した。機械生命体の遺物だった。ルブルミオンの証しである、赤い紋章が刻まれている。 「お前達、何をしている!」 すぐさまアエスタスは機体を蹴って飛び出し、キャットウォークに滑り込んだ。手すりを掴んで制動を掛けてから、 二人の間に割り込んでボルトを奪い取る。密度が高い金属なので、見た目以上に重い代物だった。 「惑星フラーテルの周辺宙域におけるデブリの回収は、宇宙連邦政府によって全面的に禁止されている!」 「たかが部品の一個でしょーがー。そんなん、誰にも解らないってー」 間延びした口調でへらへらと笑ったのは、アエスタスの向かい側に立つ男子生徒、カイ・キッドマンである。彼の 機動歩兵のノーズアートは美少女アニメのヒロインで、彼のヘルメットに貼り付けられているデカールもまた扇情的な 水着姿のアニメヒロインである。どれほど鍛えても筋肉が付かない薄っぺらい体と、媚びと虚勢が混じり合った態度が、 アエスタスに更なる苛立ちをもたらした。 「これは死者に対する冒涜だ。そんなものを持ちだしたと知られれば、ようやく新人類に対して友好的になってきた 彼らが我々を軽蔑し、引いては銀河全体の問題になる。教官に報告し、厳正に処罰してもらう」 アエスタスは機械生命体の部品を持ち、カイ・キッドマンに強く言った。単なるスペースデブリであろうとも、無許可 で持ち出せば犯罪だ。カイとその友人は河原で小石を拾ったような感覚なのかもしれないが、小石と遺骨では訳が 違う。それでなくても、これは全ての機械生命体に対する侮辱だ。アエスタスは先程感じた動揺が残っているせいか、 いつになく気が立っていた。 「お前さー、アレだよねー。自分の親父が機械生命体を囲っているからって、肩入れしすぎだよねー」 軽薄な笑みを浮かべたカイは、アエスタスに近付いてくる。一歩身を引き、アエスタスは言い返す。 「当然だ! 彼らは私の家族だ、大事に思わないわけがないだろうが!」 「でもさー、それって俺らに対する侮辱っていうかー、俺達の就職先になる統一政府軍の構造を根っこから変える 蛮行っていうかでさー。そうやって機械生命体共をどんどん増やしていったらー、俺達が働く余地がなくなるっていう のもあるけどさー、そいつらに太陽系が乗っ取られかねないっていうかでさー。そしたら、アレじゃん? お前んちって 侵略者を招き入れた犯罪者になるってことじゃないのー?」 アエスタスに詰め寄ってきたカイは、アエスタスのヘルメットを小突く。 「侵略者幇助ってさー、テロリストより罪状重いんじゃねーのー? てかさー、お前ってさー、親父が中佐だからって 偉そうだしー、マジウザいんだけどさー」 「私は父親の肩書きを振り翳したことなどない!」 「だからー、そういうのがウザい。いかにも潔癖で完璧な軍人様ですー、みたいなー? 死ねよ」 無遠慮に、カイは悪意の固まりを吐き付けた。カイとボルトを投げ合っていた男子生徒が、アエスタスを背後から 抱え込もうとしたが、その腕がアエスタスの胴体を戒める直前にジャッキーとデビーが駆け付けてくれた。途端に、 カイとその友人は逃げ出していったが、アエスタスは心身が竦んで動けなかった。ジャッキーは通路に消える二人に 悪態を吐き、デビーは少々下品なジェスチャーをして、アエスタスの代わりに怒りをぶつけてくれた。女性教官は、 何もされなかったかと案じてくれたが、生返事しか返せなかった。見ず知らずの機械生命体のボルトを出来る限り 力を込めずに握り締め、アエスタスは唇を歪めながら肩を震わせた。 バイザーの内側に、生温い雫が散った。 昔の自分を見ているようだった。 イグニスはエウロパステーションの粗大ゴミ置き場から掻き集めてきた鉄屑を選別し、気に入ったものを丁寧に 磨き上げながら、ネモが語る戯言を聞き流していた。銀河系外周部を放浪しているところを移民船団に発見され、 回収された後に太陽系にやってきた機械生命体の生き残り、ネモは機械生命体の復興をするべきだ、と暑苦しく 語っている。統一政府軍に入ってから一年以上過ぎたにも関わらず、未だに新人類の文明にも文化にも馴染めて いないのが戯言の原因である。要するにホームシックだが、それを解決する手立てはない。帰るべき故郷が粉々に 砕けたのは、数百万年前の出来事なのだから。 「ちょっと聞いてんのかよ、先輩!」 イグニスの反応が薄いので、ネモはガラクタを押し退けてイグニスの前にマスクフェイスを突き出してきた。未塗装 の銀色の外装は、惑星フラーテル時代の身分の低さを如実に現していた。個体識別番号もイグニスのものよりも桁が 多く、数字も大きいので、イグニスがのたうち回っていた下層地区より更に下層の住民だったのだろう。だから、教養も なければ礼儀もなく、精神年齢も低いのだ。ネモは不愉快げに、赤いゴーグルを瞬かせる。 「見りゃ解るだろ、俺、暇なんだよ! 暇だから、何していいのか解らないんだよ!」 「あーあーあー、お前の言うことはもう何年も前に通った道だから相手にする気もねぇよ」 イグニスは散らかされたガラクタを掻き集め、擦り切れた布でガラクタを拭いた。 「退屈で退屈で理性回路が飛んじゃいそうなんだよ、俺は! 機動歩兵相手に訓練しても歯応えがないし、先輩達 はどいつもこいつも腑抜けちまっているし、実戦投入されてもあっという間に仕事が終わっちまうし、何よりその仕事 が地味だし! いっそクーデターでも起こそうよ、クーデター!」 ネモが掴み掛かってきたので、イグニスはネモを力任せに押し返した。 「んで、その後はどうすんだよ。やることねぇだろう、人間を制圧したって。労働力にしても大したことねぇし、技術に したってちゃちなもんだし、戦争吹っ掛けたって百年も保たねぇだろうが」 「油圧がガンガン上がることがないのが悪い! ああ刺激が足りない、圧倒的に刺激が足りない!」 「テレビでも見ろよ」 「面白くない! てか、どこが面白いのか解らない!」 「映画でも観ろよ」 「映画は数が多すぎるから、どれから手を付ければいいのかが解らない!」 「ネットでもしろよ」 「それこそ情報が多すぎて情報酔いしちまう!」 「面倒臭ぇなー、お前って」 「面倒臭いのは人間の世界だよ、先輩」 喚くだけ喚いて少し気が済んだのか、ネモはイグニスの前に腰を下ろし、胡座を掻いた。 「戦争しかなかったフラーテルってさ、しんどいけど楽だったんだなぁ。だって、目の前の敵を殺すことだけを考えて 生きていればいいんだからなぁ。んで、上官の命令を聞いて動くだけでいいんだし。自分ってものがあってもなくても どうでもよくて、戦っていられれば充分だったんだからさぁー。それなのに、太陽系はなんなんだよ。ド派手な戦争は ないけど、人間同士の小競り合いばっかりだ。あーもう、ウザい。死ぬほどウザい」 「お前の方がウザい」 「ひどい!」 「お前の価値観がひどい」 イグニスはげんなりし、顔を背けた。出来ることなら、ネモを黙らせてから逃げ出してしまいたいが、ネモを見張るのも またファントム小隊の仕事の一環だ。だが、隊長であるマサヨシと同僚兼家族であるトニルトスは、訓練航海を 終えて太陽系に帰還してくる訓練戦艦ケラスス号を曳航する任務に就いていて、今頃はエウロパステーションから 飛び立っているはずだ。当初の予定では、イグニスとファントム小隊の新人隊員であるネモもその任務に就くはず だったのだが、ネモが先日の対人訓練で機動歩兵を派手に破損させてしまった。その件の始末書と謹慎を食らい、 ネモはマサヨシの住む官舎で待機することになったのだが、機械生命体を拘束しておけるほどの設備はないので、 イグニスがネモの看守に任命されてしまったのである。それさえなければ、アエスタスを迎えに行けたのだが。 旧い宇宙での因縁の相手であり、家族の一員であり、イグニスに好意を注いでくるアエスタスを、イグニスもまた 憎からず思っている。だが、十五歳になったばかりの少女と機械生命体の間に隔たるものは大きいので、他の面々 とは違って、好意を全面に押し出したことはない。むしろ、アエスタスの思いが冷めてくれる日を思考回路の片隅で 祈っている。過去は過去であり、現在と地続きではないのだから。 子守よりも遙かに面倒臭かったが、ネモの相手をしてやりながら、イグニスがガラクタいじりを続けていると、無線 で連絡が入った。マサヨシからだった。何事かと受信すると、マサヨシは動揺を押さえた口調で言った。アエスタスが 訓練航海中の戦闘訓練で男子生徒を襲撃したため、懲罰房に入っているのだと。 「……嘘だろ?」 らしくない、どころではない。アエスタスの信念に反している。イグニスは唖然として聞き返したが、マサヨシは同じ 内容を繰り返し、入電してきたトニルトスもまた同じ内容を報告してきた。ついでに訓練戦艦で発行されたアエスタス の始末書も送信してきてくれた。二人が言った通りの内容の文面が電子文書に記入されていて、アエスタスの署名 も入っていた。イグニスはそれを何度も何度も見返したが、理解するまで恐ろしく時間が掛かった。 一体、何があったのだ。 14 2/10 |