アステロイド家族




麗しき夏



 喜ばしい再会となるはずが、一転、苦々しい面会となった。
 ハイスクールの中庭のベンチに腰掛けているアエスタスは、険しい面持ちで足元を睨んでいた。正規の軍人とは デザインが異なる訓練生用の制服に身を包んでいるが、出航前よりも体が成長したらしく、硬い布地が突っ張って いた。特に目立つのが、ワッペンと階級章が付いた胸ポケットを押し上げている胸だった。普通の衣服とは違って 胸元にあまり余裕がないからだろう、合わせ目が折れ曲がってブラウスが覗いている。スカート丈も、少し前までは 膝下だったのだが、今となっては膝上五センチだ。それだけ、背が伸びた証拠である。

「なるほどなぁ」

 アエスタスの隣に座るマサヨシは、次女から一通り話を聞いた後、重々しく嘆息した。

「そういう輩はどこにでもいる。俺と同期だった奴にも、何人かいたよ。道理から外れたことをして粋がろうとする、 浅はかな考えの馬鹿野郎はな」

「申し訳ありません、父上。どうしても、我慢出来なかったのです」

 アエスタスは自身の膝とローヒールのパンプスを履いたつま先を見つめ、低く呟いた。

「彼らが隠し持っていた機械生命体の遺物は、一つや二つではなかったのです。太陽系に帰還した後に売るのだと 言っていたのです。私も、噂では聞いたことがありました。機械生命体の部品を使えば機動歩兵の稼働効率が向上 する、という話は。ですが、それはデタラメです。機械生命体の肉体を成している金属と機動歩兵で使用されている 金属は全くの別物ですし、構造も根本から違います。それを無理に填め込んだとしても、却って機動歩兵の故障を 招くだけです。でも、そんな戯言を信奉している人間が存在している限り、機械生命体の遺物が高値で取引されて しまいます。誇りを掲げて命を盾にして自軍と母星を守り抜こうとした末に果てた戦士が、ネットオークション如きで 二束三文で取引されてしまうんですよ? 許せるわけ、ないじゃないですか」

 項垂れたアエスタスは肩を怒らせ、両手でハンカチを力一杯握り締める。

「だから、私はカイ・キッドマンとその友人を、機動歩兵での実戦訓練中に攻撃しました。後悔はしていません」

「そうか。辛かったな」

 軍人ではなく父親の顔になり、マサヨシはアエスタスの丸まった背を支えてやる。アエスタスは必死に保っていた 意地が綻んだのか、ハンカチで顔を押さえてぼろぼろと涙を落とした。

「訓練中に私情で動くなど、あってはならないことなのに……。本当に、申し訳、ありません」

「ああ、そうだな。機体を降りた後に殴り飛ばすだけで済んでいたら、まだ良かったんだがな。カイ・キッドマンとその 友人が無傷だったのはアエスタスの腕前、いや、不幸中の幸いだな」

「彼らはどうなるのですか、父上」

「せいぜい自主退学、ってところだろうな。カイ・キッドマンは父親が兵器開発会社の社長だから、軍とも付き合いは 長いし、ハイスクールの理事会の一人でもある。教師を早々に丸め込んで、生徒同士の小競り合いを単なる事故と して処理させたぐらいだからな。アエスタスを訴えたら、息子がやらかそうとした犯罪が明るみに出ちまうから、何も してこないだろう。たぶんな。口封じのための示談金を持ってくるかもしれないが、もしもそうなったら、示談金を丁重 に突き返してやる。昔ならともかく、今は俺もそこまで貧乏じゃないからな」

「ハイスクールも、それほど公平ではないのですね」

「資本主義社会だからな」

 マサヨシは肩を竦めてから、アエスタスの肩を叩いてやる。

「一週間の謹慎と火星基地での再訓練は、休暇だと思えばいい」

「……はい、父上」

 肩に添えられた父親の手に自分の手を重ね、アエスタスは少しだけ表情を和らげる。

「問題はアエスタスの蛮行ではない、その愚かな噂の根源だ。戦死者の遺物を用いて武器を強化する、という発想 は新人類のものではない。機械生命体のそれだ。我らが母星を巡っていた死体回収船を破壊し、戦死者の遺物を 奪い取っては売り捌いていた者達が存在していたのだが、売り捌く手段こそ違えども方法はそれと変わらぬ。とも すれば、その連中の生き残りが太陽系に辿り着いたのかもしれん」

 中庭の一角で待機していたトニルトスは、組んでいた腕を解いて鋭角なマスクに添えた。

屍肉喰いスカベンジャーか。俺も、あの連中は虫が好かねぇ」

 アエスタスの弱り切った背中を見下ろしていたイグニスは、マスクの内側で毒突いた。

「知っての通り、俺は下層地区でガラクタ集めをして生き延びてきたが、俺もそこまで堕ちちゃいない。だが、連中は 訳が違う。状態がいい死体が見つかれば、我先にと群がってボルトの一本も残さずに剥ぎ取っちまう。確かに錆が 浮いてねぇモノは扱いやすいし、上手く加工すれば自分の体にも組み込めるようになるが、所詮は他人の肉体だ。 相性が悪ければ、その場で爆発しちまう。だが、相性が合えば、上層地区の連中に匹敵するほどの力が得られて 成り上がれるチャンスが手に入れられた。だから屍肉喰いは絶えなかったんだよ。星が死んだ日まではな」

「その星が死しても、死を喰い物にしていた者共が長らえているとは皮肉なものだな」

 全く嘆かわしい、とトニルトスは吐き捨ててから、アエスタスの前に回って片膝を付いた。

「貴様の怒りと我らへの思い遣り、しかと受け止めた。カエルレウミオンの名に掛けて、その気高さに報いろう」

「……ですが」

 アエスタスが涙声で憂うと、イグニスはトニルトスを押しやってから、アエスタスに顔を寄せる。

「てぇわけだ。ちょっと野暮用が出来た。一週間、休暇をくれよ」

「仕方ない、お前達の休暇届を出しておいてやるよ。だが、休んだ分だけ、働いてもらうからな」

 マサヨシは二人を咎めもせず、肩を竦めるだけだった。アエスタスは顔を拭ってから、目を丸める。

「よろしいんですか、父上? けれど、それではお二人は……」

「その流れ者の機械生命体がどこにいるのかは、俺は知らない。俺が知らないということは軍属ではない可能性が 極めて高く、軍属ですらないというのなら統一政府から市民権と戸籍を得ているとは思いがたい。現行の法律では、 機械生命体が移民として認められるためには従軍することが不可欠だからな。だが、従軍することを良しとせずに、 宇宙海賊やら犯罪者共と連んでいる機械生命体も少なくはない。が、相手が大きすぎるから、逮捕するにはかなり の労力と武力を要するし、戸籍がない相手では立件することすら難しい。しかし、戸籍がない相手であれば、こちら を訴えることもまた難しい。つまり、亡霊ファントムだ」

 マサヨシは少年じみた表情で、片目を閉じてみせる。

「程々に休暇を楽しんでこいよ、イグニス、トニルトス」

「俺はどうすりゃいいんだよ、先輩方?」

 遠巻きに四人の会話を見守っていたネモが挙手すると、イグニスは銃口ではなく指でネモを指し示した。

「お前も火星基地で再訓練だろうが。だから、俺達だけで遊んでくる。解ったか」

「解りたくないんだけどなぁ」

 ネモは不満げではあったが、マサヨシからも念を押されたので渋々従った。アエスタスは父親の過激な物言いと 二人の行動に驚いたせいで涙が引っ込んだらしく、しきりに目を彷徨わせていた。イグニスはその様を視覚の隅で 捉えながら、インターネットにアクセスして手早く情報収集を行った。以前から、ネットオークションに機械生命体の 遺物と思しき破片が出品されていることには薄々感づいていたが、軍人として任務に従事している今、敢えて渦中 に飛び込むべきではない、と考えていた。放っておいても重大な事件には繋がらないだろう、とタカを括っていたと いう方が正しいかもしれない。マサヨシの立場や家族の身の安全も守らなければ、とも。
 イグニスは数百万ものネットオークションの出品物を全て閲覧して、それらしいものをピックアップしてトニルトスに 伝えると、トニルトスは更にその情報を精査してくれた。細かい仕事は、彼に任せておけば確実だ。親子と頼りない 後輩に見送られながら、二人はハイスクールを後にした。
 動力機関が高ぶり、固めた拳が軋んだ。




 屍肉喰いの巣窟は、アステロイドベルトの片隅にあった。
 惑星間を行き交う探査機や人工衛星の電波が微妙に重なり合わない、エアポケットのように警備が希薄な宙域に 廃棄された宇宙船が漂っていた。宇宙海賊同士の小競り合いで実際に撃墜された宇宙船だが、人間が船内で活動 出来る設備は全て破損していたので、統一政府も軍も単なるスペースデブリとして認定したものだ。しかし、それは あくまでも人間の基準であり、機械生命体となるとまた別だ。酸素と二酸化炭素と窒素とアルゴンを化合した気体 を充填しなくても、一定量の飲料水と食糧がなくても、人工重力がなくても、機械生命体は生き延びられる。
 だから、流れ者共の巣には最適だ。ネットオークションの出品履歴とアカウントから辿っていき、ネットオークション サイトを運営するサーバーに潜り込んでアカウントを作成した主の個人情報を探り、いい加減な個人情報を入力 して発信した情報端末の個体識別番号が現れるまで辿り、辿り、辿っていき、見つけ出した。正規の手続きは一切 踏んでいないので、事件捜査ではないし、任務でもない。言うならば、休暇中のレジャーだ。

「気が済んだか、イグニス」

 長剣に付着した機械油を拭い去ってから、トニルトスは背中に戻した。その周囲には、切り刻まれた機械生命体 の頭部や腕が漂い、砕けた集積回路が散らばっていた。

「通信衛星に我らの存在を感知された際にハッキングし、渡航記録を少しばかり改竄しておいた。五分後にはこの 廃棄宇宙船を爆破して移動しなければ、火星には辿り着けんぞ。誤差の範囲内で済ませられるうちに移動して おかねば、面倒なことになる。事前に申請した渡航予定と相違があっては、つまらぬ疑いを掛けられる」

「そう急かすなよ、終わったばっかりだろうが」

「貴様が寄越した大雑把な情報を精査した上で敵の居所を突き止め、更に情報操作を行って人間共の監視網から 逃れ、罪に問われぬように小細工に小細工を重ねて、不届きな同族に私刑を下したのだ。万一、これが露見する こととなれば、除隊処分だけで済むものか」

「食い扶持がなくなるのは勘弁願いたいね。こいつらもエネルギー不足だったせいか、歯応えがないなんてもんじゃ なかったぜ。そこまで飢えているんなら、下手な悪巧みはせずに軍に志願すればいいものを」

「それが出来ないからこそ、屍肉喰いなのだ。さっさと証拠隠滅の手伝いをせぬか、これだからルブルミオンは」

 トニルトスの語気は普段よりも若干高ぶっていて、内に宿した怒りを隠し切れていなかった。良くも悪くも気高い男 であるが故に、死した戦士に対して抱く敬意も深いからだ。

「すっきりするかと思ったが、そうでもねぇな」

 周囲に浮遊する機械油の粒を見つめ、イグニスは拳を緩めて廃熱する。廃棄宇宙船の中には、機械生命体の 真新しい死体が漂っていた。屍肉喰い共のリーダー格であった古株の機械生命体、モルスの頭部に重点的に攻撃 を仕掛け、記憶や意識を司る回路を徹底的に潰してやった。そこから情報が漏れてしまえば、トニルトスの偽装工作も 無駄になるからだ。機械生命体の感覚では柔らかな合金の内壁に埋まった胴体、人間サイズの通路に突っ込まれて いる千切られた腕、真っ二つに切られた動力部。それはとても懐かしい光景であり、原風景ですらある。
 それなのに、イグニスの心中は冷え込んでいた。黒々とした機械油が絡み付いた左手を握り締めるが、思うように 出力が上がらなかった。その左手を、比較的汚れの少ない右手で包み込む。トニルトスは廃棄宇宙船のエンジンに 僅かに燃料を流し込み、オーバーロードさせるための小細工を仕掛けている。それを横目に、イグニスはぼやく。

「こいつら、何も殺すことはなかったかもしれねぇなぁ」

「貴様らしからぬ生温い発想だが、その判断は否だ。モルスを始めとした屍肉喰い共は、ネットオークションなどで 売り捌いた機械生命体の遺物を内臓した機動歩兵を暴走させ、新人類を混乱に陥れる計画を立てていた。そんな 浅はかな計画が成功するとは思いがたいが、実行されていれば人的被害が出たことは免れん」

 破損したコンソールから引き摺り出したケーブルを直接頭部に繋ぎ、情報を吸い出していたトニルトスは、ノイズ まみれの立体映像を示した。そこには、火星圏と木星圏のコロニーの構造図が映し出されていて、これまでに転売 した機械生命体の遺物を買った相手であろう人間の名前がずらりと並んでいた。その数は百や二百ではなく、その 遺物が搭載された機動歩兵の数も同様だった。トニルトスはその名簿を自身の記憶容量に保存し、唸る。

「この名簿は、統一政府警察にでも横流ししてやろうか。どうせ、連中の捜査能力ではここまで辿り着けんだろうし、 辿り着いたとしても我らが証拠を隠滅した後だからな。だが、問題は回収された機械生命体の遺物をどう扱うか、 だな。人間にはただの金属にしか見えんだろうから、廃棄されてしまうかもしれん」

「地球にでもばらまくか? あの星には、アウルム・マーテルが散らばっているからな」

「それが出来れば一番なのだが、そうもいかんだろう。困ったものだな」

「トニーらしくもねぇことを言いやがって。ちょっと前だったら、戦士たるもの墓標など不要だ、とか言っただろ」 

「それは戦時下での話だ。我らの戦争は終わったのだ。故に、彼らは丁重に葬らねばならん」

「やることが多すぎて、おちおち死んでもいられねぇな」

「全くだ」

 イグニスの半笑いのぼやきに、トニルトスは同調した。が、語気を強張らせる。

「それもこれも、イグニスがアエスタスに粉を掛けるからだ」

「なんでそうなるんだよ?」

「あの娘が正義感に駆られた末に蛮行に及んだ根本的原因が、貴様に対して好意を抱いているからだというのは 今更考えるまでもないことだ。それさえなければ、あの娘は傷一つなくハイスクールを卒業して清冽な軍人になれた ものを。つまらんことで、前途有望な軍人の経歴に傷を付けおって」

「あれはアエスタスが勝手にしたことだろうが。そんなもん、俺のせいにすんなよ」

「だが、貴様はこうしてアエスタスの蛮行の延長を行った。率直に言えば、あの娘にいい顔をしたいからだろう」

 トニルトスはイグニスを一瞥し、半壊したコンソールを操作して死にかけたエンジンを点火させた。

「馬鹿言え」

「以前、ヤブキが言っていたように、私も夢を見ることがある。旧き宇宙にて、力と欲に溺れた貴様がアエスタスを 伴って宇宙の覇者となる有様をな。その最中に私は呆気なく死んでいるはずなのだが、精神体だけは残留していた のかもしれん、貴様とアエスタスの一部始終を見せつけられる羽目になった」

「見るなよ、そんな夢。ていうか覚えておくなよ」

「私とて、愚かさが極まりすぎてどうしようもなくなった貴様とそんな男に心酔しているアエスタスなど見たくもないの だが、記憶回路に強烈に刻み込まれたものはそう簡単に削除出来ん。貴様がどのくらい愚かであったかということを 語り出すと一昼夜では終わりそうにないので割愛するが、あの宇宙での貴様はあの娘の関心を引きたい一心で 戦っていたとしか思えん。今でこそ機械生命体の価値観は変わりつつあるが、あの宇宙と以前の惑星フラーテル では強い戦士であることが最大の魅力であった。容赦のない殺戮と無益な破壊こそが美徳であった。それ故、貴様 もそうであったのだろう。だが、それはあの娘を恐怖で支配しているということでもあったのだ」

「知ったようなことを言うんじゃねぇよ」

「知っているから言うのだ。この私は」

 トニルトスは廃棄宇宙船の側面に空いた穴から船外に脱したので、イグニスもそれに倣い、宇宙空間へ脱する。 スラスターに点火して廃棄宇宙船から離れていく最中にも、トニルトスは語る。

「かつての我らは愚かであった。だが、今の我らも愚かだ。こうして、安易に力に頼ってしまう。だが、屍肉喰い共は 新人類の法で裁ける者達ではなかったこともまた事実だ。その狭間にて揺らいでいるのだろう、貴様という輩は」

 閃光、ノイズ、衝撃波。呆気なく爆発した廃棄宇宙船を気にも留めずに、トニルトスは進み続ける。

「それだけ価値観の幅が広がったって認識しておいてくれよ、トニー」

 トニルトスと並行して飛びながら、イグニスは黒く汚れた両手を見下ろす。

「その割には、価値観は錆び付いたままだがな。少しは順応性を高めろ」

 青い機影が減速し、赤い機影に沿う。赤茶けた惑星、火星が次第に迫ってくる。シールドを展開し、宇宙空間に 散らばる物質と摩擦を起こさないようにしながら加速に加速を重ね、光速に匹敵する速度で飛行する。その最中、 二人は通信電波を用いて会話していた。機械生命体同士では、口頭で会話しているのと同然の感覚なのだが。

「アエスタスが貴様を正面切って愛せないのは、貴様が及び腰だからだ」

「ぬあっ!? あっ、なっ、何を急に話題を変えていやがる、屈辱野郎!」

「私としては、論点はずれていないのだがな。ヤブキもそうだが、ミイムもそうであったと聞く。私を含めた貴様らは 旧い宇宙での記憶と因果に振り回され、現在を許容出来ずにいると。業の深さ故に臆し、現実に背を向けてしまい そうになると。私にも解らぬでもないし、貴様らがそうやって行き詰まるたびに説教せねばならないのはとてつもなく 面倒臭いのだが、誰かが発破を掛けねば始まらん。始まらなければ、時間は動かん」

「誰もトニーに説教してくれって頼んだわけじゃねぇんだけど」

「だが、貴様らの全てを知り尽くした上で客観視出来るのは、私しかおらんのだ。屈辱的だが、仕方ない」

「じゃあ止めろよ、御説教」

「ならば、貴様はアエスタスのヘルメットの内側を覗いたことがあるか?」

「なんだよ、それ」

「……ないのだな」

「だからそれが何なんだよ!」

「これ以上語るのは、それこそ野暮というものだ」

 呆れたように首を振ってから、トニルトスは火星の大気圏に突入する姿勢を取った。イグニスはその煮え切らない 態度に苛立ちを感じながらも、大気摩擦で燃え尽きないためにエネルギーシールドを強化し、進入角度を整えた。 火星の宇宙港に着陸許可を申請すると、無事に受理されたので、その滑走路を目指して降下した。惑星間を定期 航行する宇宙船と擦れ違い、風に煽られながらも、硬く舗装された滑走路に両足を擦り付けて減速した。
 無事着陸したことを管制塔に報告すると、滑走路に備え付けられている冷却装置が作動し、イグニスとトニルトス の全身に冷却剤と放射性物質除去剤と洗浄剤を混ぜた薬液がぶちまけられた。べっとりと重たい白い泡が全身を 覆い尽くす感触は気色悪く、その上で薬液を洗い流すための水も掛けられるので、不愉快を通り越して最低最悪な 気分だった。だが、これもまた新人類の世界の道理なのだから、いちいち嫌がるわけにはいかない。それに、この 洗浄剤のおかげで全身に付着した機械油が除去されたため、手っ取り早く証拠隠滅出来た。
 宇宙港の検疫で汚染物質がないことを確認してもらってから、イグニスとトニルトスは火星の宇宙港の内部に入る ことが許可された。この後は特に予定もないので本来の休暇を楽しむべきなのだが、屍肉喰いを葬り去ることだけ に執心していたので、イグニスもトニルトスも今後のことは何も考えていなかった。かといって、アステロイドベルトの コロニーに帰れるほどのエネルギー残量などなく、目的も予定もない。新人類と異星人が行き交う宇宙港の片隅で 立ち尽くした二人は、どうやって時間潰しをすべきかと悩んでいると、声が掛けられた。

「奇遇だなあ、先輩方!」

 振り向くと、雑踏の中で一際目立つ銀色の機械生命体が大きく手を振っていた。それはネモであり、彼の肩の上 にはアエスタスがちょっと気恥ずかしげな顔をして腰掛けていた。アエスタスも控えめに手を振っていた。

「お帰りなさい、お二方」

「なぜ、貴様らは火星に来ているのだ」

 トニルトスが訝ると、私服姿のアエスタスは野球帽を被り直してから答えた。

「私は火星にて機動歩兵の再訓練を受けることになったのですが、今日は休日なんですよ。父上の計らいで、ネモ 准尉もこちらにいらしたのです。ネモ准尉があまりに退屈だと仰るので、ドライブインシアターに映画を見に行ったん です。楽しかったですよ。シーンごとに解説を求められましたが」

「映画ってさ、見方が解るようになると面白いもんだなー! なー、アエスタス!」

「ええ、そうですね」

 調子の良いネモに笑顔を向けるアエスタスは、活動的な服装も相まって溌剌としていた。それ自体は喜ばしいこと であり、訓練戦艦での一件を引き摺っていないようなので安心するべきなのだが、イグニスは猛烈に苛立った。ネモ は映画の感想を喋り続けていて、アエスタスはその度に愛想良く相槌を打っている。トニルトスは、ネモが新人類の 文明に馴染む取っ掛かりが出来たと知って安堵したのか、しきりに頷いている。そんな場合じゃねぇだろうトニー、 とイグニスは叫びそうになったが、何がどういう場合なのだ。そもそも、何に対して苛立っているのか。
 再び、拳を固めずにはいられなくなった。





 


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