アステロイド家族




麗しき夏



 火星での休暇は短かった。
 図らずも、イグニスとトニルトスが申請した休暇の日程とアエスタスとネモの再訓練の日程が重なっていたため、 木星圏へと帰還する日は同日となった。アエスタスは滞りなくカリキュラムをこなし、ネモは多少の不安はあれども 与えられた訓練は全て完了し、アエスタスはハイスクールへの復学を許可された。ネモはまた別の日程で再訓練 を行うことになっているが、新人類の文化の楽しさを知って浮かれていて失念しているようだった。
 二人が再訓練を受けている間、イグニスとトニルトスは暇潰しに精を出していた。トニルトスは火星のコロニーで 地道に活動しているローカルアイドルを追い掛けていき、休暇が終わる日まで帰ってこなかった。イグニスも近隣の 廃棄物処理場に赴いては、良い具合の機動歩兵や宇宙船の部品がないものかと探し回っていた。屍肉喰い達を 葬った一件は、統一政府警察には単なる廃棄宇宙船の爆発事故として処理されたらしく、ニュースサイトの片隅に ほんの数行の記事が掲載されただけだった。トニルトスの隠蔽工作が完璧だったからだ。
 イグニスの外装の内側にある物入れには、屍肉喰い共の魔手から奪い返した機械生命体の遺物が入ったまま になっていた。大した重さではないが、気掛かりだ。犯罪の証拠品として軍か警察に提出したとしても、彼らの遺物 がまともに扱われる保証はない。かといって、宇宙空間に放り出してはあまりにも哀れだが、いつまでもイグニスが 持っているわけにはいかない。しかし、我が家であるコロニーに埋めるのもどうかと思う。休暇中、ずっと考え込んで いたにも関わらず、結局、結論は出なかった。
 そうこうしているうちに、木星圏へと帰還する日が明日に迫ってきた。機械生命体は惑星間を自力で移動することが 出来るが、行きも帰りも自力ではさすがに疲れてしまうので、帰路は定期航路を飛ぶ宇宙船に乗っていくことにした。 図体が大きすぎるので乗客というよりも貨物扱いになってしまうのだが、あまり贅沢は言っていられない。

「あの」

 宇宙港のカウンターで翌日の便の搭乗手続きを終えたイグニスを、アエスタスが呼び止めた。ミリタリーグリーン の作業着姿で帽子を被っていたが、脱帽してからイグニスを見上げてきた。

「機体洗浄、お手伝いいたしましょうか?」

「なんでだよ」

 唐突な誘いに、イグニスは半笑いになった。確かに、惑星間を移動する前にも検疫で消毒されるのだが、それを なぜアエスタスに手伝ってもらわなければならないのだろう。アエスタスは帽子で顔を半分隠し、目を逸らす。

「いえ……その……。お二人が休暇を取った原因は、元はと言えば私のせいですから……。ですけど、再訓練が あったので、お二人とご一緒する機会すら乏しかったですし、その、私の感性ではお二人に喜んで頂けそうなことは 機体洗浄しか思い付かなかったので。御迷惑でしたよね、申し訳ありません」

「殊勝な申し出だが、私は遠慮しておく。ローカルアイドルのクロエ・ライト嬢にサインを入れてもらったのでな」

 トニルトスがやたらと自慢げに見せてきたのは、左手の甲に書かれた下手なサインだった。 

「落とせよ、そんなもん! てか、知らねぇよそんなアイドル!」

 遊び呆けていた証拠を見せびらかす相棒をイグニスは叱責するが、トニルトスは誇らしげに左手を掲げる。

「ふはははは、知らぬのも無理はない。彼女はこのコロニーのとある商店街だけで活動している、言わば看板娘系 ローカルアイドルなのだ! 手作り感溢れる衣装と洗練されていないダンスにカラオケの域を出ない歌唱力、そして 地味すぎるプロモーション活動! たまらん、たまらんぞ……!」

「アイドルってそんなに面白いの? 映画よりも?」

 ネモが不思議そうにアエスタスに尋ねると、アエスタスは苦笑した。

「それは個人差がありますので……」

「じゃ、俺、またドライブインシアターで映画見てくる! アエスタスが一緒じゃなくても内容が解るようになったし!」

 搭乗時間までには帰ってくるからさ、と言い残し、ネモは意気揚々と駆け出していった。

「それでは私も失礼する。今から、商店街のセールを兼ねたクロエ・ライト嬢の撮影会があるのでな!」

 ふははははははははは、とテンションの高い笑い声を靡かせながら、トニルトスも駆け出していった。イグニスは それを引き留めようとしたが、時既に遅く、二人の姿は宇宙港のロビーから消えていた。所在をなくしたイグニスは アエスタスを見下ろすと、アエスタスは気まずそうに肩を縮めた。この流れで機体洗浄を断るのは、いかにイグニス といえども気が咎めてしまう。なので、彼女の申し出を受け入れざるを得なかった。
 宇宙港を後にした二人は、機動歩兵用のセルフ洗機場に向かった。敷地内は十二のブロックに区切られていて、 そのいくつかで先客が自前の機動歩兵を洗い流していた。最近では武装を解除した機動歩兵を使用するスポーツ があるので、そのプレイヤーが個人所有しているからだ。機動歩兵を扱えるのは軍人ばかりではないということだ。 二人は入り口にある立て看板を熟読して、洗浄機や水や洗剤を噴射するノズルの使い方を理解してから、イグニス はアエスタスを肩に載せて空いているブロックに入った。アエスタスを肩から下ろして地上に立たせると、アエスタス は洗浄機スタンドに近付くや否や、作業着を脱ぎ始めた。

「おっ、おぅい!?」

 イグニスはぎょっとするが、アエスタスは作業着のベルトを外してファスナーを下げた。

「服が濡れると体が冷えてしまうので」

「どぅあっ、だからってなぁ!」

 思わず声を裏返し、イグニスは身動いだ。その間にも、アエスタスは服を脱いでいく。帽子を外すと折り畳んだ上着 の上に置き、続いてベルトを解いたズボンを下ろして引き締まった素足を曝し、ブーツを一旦脱いでからズボンを 完全に脱いでしまった。残ったのは白いTシャツと、その裾から垣間見える真っ赤な下着だけだった。

「大丈夫ですよ。この下、水着ですから」

 Tシャツ一枚になったアエスタスは、その襟元を引っ張ってみせた。襟元から覗いたストラップは、言われてみれば ブラジャーのそれとは異なる形状である。イグニスは深呼吸する代わりに吸排気を行って廃熱してから、照れ臭そうな 笑みを浮かべる彼女に、最大の疑問をぶつけた。

「なんで水着なんか着ているんだ? そりゃ、このコロニーの季節は真夏だけど……」

「訓練航海中に立ち寄った植民地惑星のショッピングモールで買ってみたんですけど、着る機会がなくて」

 だから一度は着てみたくて、とはにかんだアエスタスにイグニスは戸惑った。なぜそれを俺に見せる、と発声器官 から出しそうになったが、寸でのところで押し止めた。そんな理由は解っている。今更考えるまでもない。どこにでも いる、若い女性の発想だ。好きな人に魅力的な姿を見せたい。ただ、それだけなのだ。

「じゃ、始めますね。コーティング剤は傷めないようにしますから」

「おう。大したもんは使ってねぇけどな、俺は。トニーの野郎はやたらと拘っていて、メーカーやら何やらを調べては、 任務の時とオフの時はコーティング剤を変えていやがる。下らねぇアイドルのライブに行く時なんか、一番高いのを 塗りたくってから行くんだぜ? 全く、どうかしてる」

「トニルトス大尉は伊達男ですね。私にも、その気持ちはよく解りますよ。値が張るコーティング剤は光沢が綺麗に 出ますし、摩擦係数が減ると汚染物質が吸着しづらくなりますし、外装の強度にも関わってきますから」

「そりゃそうだが、俺はゴテゴテに厚塗りするのは好きじゃねぇな。なんかこう、息苦しいんだよ」

「それもよく解ります。機体の総重量が一グラムでも増えてしまうと、その分燃費が悪くなりますからね」

 アエスタスは市民IDカードを洗浄機スタンドに読み取らせ、電子マネーで料金を支払うと、水を噴出するノズルを 手にした。イグニスはその場に胡座を掻き、アエスタスのやりたいようにさせてやった。彼女が受けてきた訓練には 機動歩兵の機体洗浄も含まれていたらしく、思いの外上手かった。だが、やり方があくまでも機動歩兵相手のもの だったので、時折、とんでもない部位に水や洗剤が入ってきそうになった。その度にイグニスは慌てて外装の隙間 を閉じる羽目になってしまったが、イグニスを洗浄するアエスタスはあまりにも必死だったので責めはしなかった。 洗浄する範囲が下半身から上半身に移ったので、イグニスは右手を出し、その上にアエスタスを乗せた。

「私も随分背が伸びたと思ったんですけど、あなたと比べると、そうでもないですね」

 洗剤の入ったバケツを片手にイグニスの手中に立ったアエスタスは、イグニスと目線を合わせた。

「上背が伸びた分、体重もかなり増えたな。手首に掛かる重さで解る」

「それだけ、骨が太くなって筋肉が付いたってことです。脂肪も増えてしまいましたけど」

「ほとんど胸と尻に回っているんなら、大した問題でもねぇだろ」

「いえ、それがですね、結構困りものなんですよ」

 アエスタスは身を乗り出し、イグニスの胸部装甲を洗剤を吸わせたスポンジで擦った。柔らかい感触だった。

「機動歩兵に搭乗している間は、当然ながらシートベルトで体を固定しているんですけど、私の場合は胸が無駄に 大きいせいでシートベルトに掛かるテンションが強くなってしまうんですよ。脇の下にシートベルトを入れておくんです けど、操縦桿を内側に向ける場合は脇を締める体勢になるんです。こういう感じに」

 そう言いながら、アエスタスは両腕を内側に寄せた。すると、左右の上腕に圧迫された大きな胸が中央に寄って、 Tシャツの襟元が歪み、深い谷間が出来る。

「そうなると、力が上手く入らないんです。脇の下に違和感もありますから、気が散らないようになるまでは結構苦労 しましたよ。下半身も大変なんです。座席の下に圧力センサーが付いているので、パイロットの体重移動を検知して バランサーが自動的に調節されるんですけど、その圧力センサーが勝手に作動してしまうことがあったんです。その 原因は私の尻の幅だったので、それを微調整するまでは大変でした。子供の頃はそんなことはなかったので、体の 大きさと自分の感覚が追い付くまでは手間取りました。色々と。……どうかしましたか?」

「いや、別に」

 思い切り顔を背けたイグニスは左手を挙げ、きょとんとしているアエスタスを制した。単なる脂肪の塊だろうが、と イグニスは自制しようとするが、それがアエスタスのものとなれば良からぬ感情が反応する。ほんのしばらく前は、 少年と見間違う外見の少女だったのに、今や熟れた女の体だ。その落差が、イグニスの奥底に凝っている感情を ざわつかせる。アエスタスは不思議がっていたが、自分が強調していたものに気付き、赤面して背を向ける。

「ああっいえっ、そんなつもりではなかったんです!」

「俺以外に、そういうことするなよ?」

「出来るわけ、ないじゃないですか」

 と、言い合ってから、二人は互いの言葉の意味を悟って黙り込んだ。イグニスはアエスタスの無防備さを咎める 意味で言ったのであり、アエスタスはイグニスを含めた家族の前では気を緩められないという意味で言ったつもりでは あったのだが、互いに違う意味で取ってしまった。なので、余計に沈黙は強張った。アエスタスが握り締めている スポンジからは洗剤が一滴残らず絞り出され、イグニスの太股をぐっしょりと濡らしていた。

「ごめんなさい」

「お前が謝ることなんてねぇだろ、何一つ」

「私はまだ、自分が機械生命体でいると思っているようなんです。心のどこかで」

 アエスタスは磨き上げたばかりの真っ赤な胸部装甲に額を当て、泡まみれの手でイグニスの指を握る。

「おこがましいことです。私はただの人間で、まだ軍人ですらないのに、遠い昔のことを引き摺っているだけなのに、 あなた方のことを理解しているかのように思い込んでいるんです。だから、あんなことをしてしまったんです。お二人 の休暇だって、真っ当なものになったはずです。ごめんなさい。もっと、器用に生きられたらいいんですが」

「それでいいんだ。俺も、お前も」

「けれど」

「例えばの話だよ。どこぞの馬鹿な機械生命体が、お前の遺骨を墓から掘り出してコレクションにでもしたとしよう。 それを見た俺が、一秒以上我慢していられると思うのか?」

「いいえ」

「即答しやがったな。つまり、そういうことなんだ。アエスタスは俺達をロボットの親戚なんかじゃなくて、生き物だと 思ってくれている。それだけで充分だ。願わくば、その認識が他の連中にも広がればいいんだが、こればっかりは 時間が掛かるからな。気長にやっていくしかない。それにしても、お前は情熱的だよ」

「そうですか?」

「ああ、そうだ。アエスタスは名前の通りに、ギラギラした夏だ。だが、いつもは日陰の部分しか外に出してねぇし、 お前自身も日陰の方が自分だと思っていやがる。けど、そうじゃねぇんだよ。熱すぎるから、冷めたふりをしている だけなんだ。それは、俺が一番よく知っている」

 イグニスはアエスタスを持ち上げてやると、アエスタスはイグニスの肩装甲に腰掛けた。視線が合う。

「あなたには負けますよ」

「それはどうかな」

「そこまで言われるなら、そうなのかもしれませんね。それと、あの時、あんなに怒ってしまった理由がもう一つ 思い当たりました。愚にも付かないことですが」

「そいつぁなんだ」

「あなたの故郷に行けたのに、あなたがどこで生まれ育ったのか、どうやって生きてきたのかを知らなかったから、 あなたに伝えられることが一つもないんです。せめて、下層地区の構造物を見つけられればよかったんですが、 それすらも見当が付かない始末で。だから、それが悔しかったんです」

「だったら教えてやるさ、クソッ垂れな話になっちまうが」

「いいんですか?」

「俺の体、まだ半分も洗えてねぇだろ。その間に聞かせてやる」

「だったら、じっくり洗いますね。聞きたいことが、一杯あるので」

 アエスタスはイグニスに手を差し伸べ、遠慮がちにマスクに触れてきた。洗剤と水でぬるついた手のひらが外装に 吸い付き、怖々と撫でてくる。その触り方は、イグニスがアエスタスを始めとした人間に触れる時の手つきだったので、 イグニスは少し笑った。その様を横目に、イグニスはトニルトスが言っていたことを問うてみた。

「ところでアエスタス、お前、ヘルメットの内側になんかしてあるのか?」

「ふぇあっ!?」

 突如、アエスタスは悲鳴を上げて硬直した。その際に洗剤入りのバケツが転がり、中身が全部ぶちまけられた。 アエスタスはイグニスの肩の上で後退ったが、すぐに限界を迎えて背を向けた。

「だ……だって……。頑張れる、じゃないですか」

「だから、何が」

「面と向かって恥ずかしいことを言わせないで下さい。それとも何ですか、いけないんですか」

「だから何がだよ」

「一人にしないでくれ、って言ったじゃないですか。だから、私も一人にはならないんですよ」

 特に戦場では、と呟いてから、アエスタスは拗ねたように唇を尖らせた。イグニスはアエスタスを怒らせてしまった のかと少し慌てたが、アエスタスは恐ろしく照れているだけであり、怒鳴ったりはしなかった。アエスタスの発言から 読み解くと、彼女はイグニスの写真をヘルメットの内側に貼っているということらしい。それは恥じらうほどのことでは ないのでは、とイグニスは思ったが、立場を置き換えて考えてみると強烈な羞恥に襲われた。アエスタスはイグニスを 恐る恐る窺い、赤らんだ頬を押さえる。
 と、その時、隣のスペースから誤射された水がアエスタスを直撃した。イグニスからは死角の位置からの不意打ち だったので対処出来ず、アエスタスも避けようがなかった。隣のスペースで自前の機動歩兵を洗っていた客はすぐに 謝ってきたし、アエスタスも濡れただけだったので、特に文句は言わなかった。

「やっぱり、服を脱いでおいて正解でした」

 アエスタスはぐっしょりと濡れたTシャツを苦労しながら剥ぎ取ると、薄っぺらい布地で支えられているだけの胸を 露わにした。そこでイグニスは初めて知った。アエスタスが着ていた水着はグラビアアイドルの如き真っ赤なビキニ であったことを。その上、ファイヤーペイントに似た炎の柄が入っている。思わず、イグニスはアエスタスの姿を画像 として保存してしまった。ティーンエイジャーらしい柔らかい脂肪の下には、うっすらと割れた腹筋があり、艶めかしさ と力強さが共存していた。アエスタスはベリーショートの髪を掻き上げてから、小声で問い掛けてきた。

「似合いますか?」

「当たり前だ」

 イグニスに水着を褒められて安堵したアエスタスは、晴れやかな笑顔を見せてくれた。イグニスもまた目を細めて 彼女を見下ろしたが、もう苛立ちは感じなかった。あの時はこの笑顔がネモに向けられていたから、どうしようもなく 不愉快だったのだ。だが、今はどうだ。アエスタスの全ては、イグニスのものだ。
 記憶回路の端にこびり付いた旧い宇宙での記憶が、苛立ちの根源でもあった。機械生命体の最大の特徴である 闘争本能を剥き出しにした生き方しか出来なかったイグニスは、生まれて初めて心惹かれた女性、アエスタスの心 を掴もうと藻掻いていた。だが、己の力を見せつけることしか知らなかった。その結果、新人類も機械生命体も何も かもを敵に回し、滅ぼした。しかし、後に残るのは無惨に焼き尽くされた星々と死体の山だけだった。
 今も尚、イグニスが築けるものは焦土と死体の山だけだ。長年の習慣であるガラクタ集めも、何かの役に立つとは 到底思えない。マサヨシとトニルトスがいなければ、屍肉喰いと変わらない末路を遂げていただろう。アエスタスとも、 二度と出会えなかっただろう。これからは、臆さずに彼女の思いを受け止め、己の感情も認めよう。
 愛すべき、魂の熱源を守り抜こう。




 その年の夏期休暇。
 無事にハイスクールを卒業して訓練学校に進学したアエスタスは、寄宿舎から実家に帰省していた。そして、同じく 夏期休暇で帰省してきた三人の姉妹と海で夏を謳歌していた。ウェールは次元管理局に就職し、アウトゥムヌスは ガニメデステーションの大学に進学し、ヒエムスは土星圏のコロニーにあるデザイン学校に進学しているので、直接 顔を合わせる機会が減ってしまった。だから、こうして姉妹揃って休息を楽しむ機会は貴重であり、開放的になって 楽しむべきなのだが、アエスタスは水着の上から羽織ったパーカーを脱ぐに脱げなかった。それもそのはず、例の 赤いビキニを着ているからだ。一度着ただけでクローゼットの肥やしにするのは勿体ない、と思い切って着たのだが、 やはりどうしようもなく恥ずかしい。
 今になって、大胆になりすぎたと自責する。イグニスにどうにかして女として意識してもらいたくて必死だったから、 焦りすぎて、機体洗浄までしてしまった。人間で言えば、一緒に風呂に入るようなものではないか。そればかりか、 イグニスの目の前で服まで脱いでしまった。その上、恥ずかしすぎる水着まで見せつけて、挙げ句に。

「どうしたの、あーちゃん。熱中症?」

 波打ち際で海水で遊んでいたウェールが、真っ赤な顔で突っ立っているアエスタスを心配してきた。チューブトップの ブラジャーとキュロットパンツを合わせた水着を着ていて、健康的に発達した手足を露わにしている。セミロングの髪は 前髪とサイドの髪を編み込んであり、さりげなく洒落っ気を出している。

「どうもこうもあるか! 出来ることなら、時間に干渉して過去を改竄したい! 私は馬鹿だ!」

 が、羞恥が突き抜けて苛立ちに変わったアエスタスは姉に食って掛かったが、頭を抱えて項垂れた。

「ウェール御姉様に八つ当たりするのも、もっと馬鹿だ……」

「そんなことを仰っても、過ぎたことはどうしようもありませんわよ。アエスタス御姉様」

 この世の終わりのように嘆いたアエスタスを、パラソルの下に敷いたシートで優雅に寝そべるヒエムスが呆れる。 巻き髪を編み上げて後頭部で丸め、ワンショルダーでセパレートタイプの水着を着ているが、どこもかしこもフリル だらけでリボンも付いているので、水着としての実用性は皆無だ。

「同意」

 半分に切ったスイカを黙々と食べながら、アウトゥムヌスは頷き、口に付いた赤い汁を舐めた。飾り気のない紺色の ワンピースの水着を着ていて、長い髪は太い三つ編みに結って背中に垂らしている。ロースクールの女子生徒が 着ているスクール水着と大差のない、実用性はあれども色気のない水着である。

「そうそう。過ぎちゃったことはねー。だから、いい加減にあーちゃんも脱ぐ! そして泳ぐ!」

 ウェールはにこにこしながら、勢い良くアエスタスのパーカーのファスナーを下ろしてしまった。その下から現れた 真っ赤なビキニと豊かすぎる胸を目の当たりにし、姉と妹達は目を丸めた。

「小玉スイカだね、これは」

「猛烈」

「あらまあ……。これだけの質量がございますと、胸の部分をきちんと採寸して立体的に縫製しなければ、布地 が突っ張ってしまいますわね」

 ウェール、アウトゥムヌス、ヒエムスは、アエスタスの成長しすぎた胸を凝視しながら好き勝手なことを言ってきた。 身長以外はほとんど成長しなかったアウトゥムヌスはともかく、ウェールとヒエムスは人並みに成長したのだから 他人を羨むこともないと思うのだが、それとこれとは別問題らしい。これだから女は面倒臭い、とアエスタスは内心 でぼやきながら、パーカーの前を掻き合わせたが、光のちらつきを感じて顔を上げた。一瞬、コロニーの電圧が変動 したため、人工太陽の光量が変わったからだ。それは一秒足らずではあったが、アエスタスには感じ取れた。
 イグニスとトニルトスが、機械生命体達の遺物を葬ったからだ。あれから、二人は休暇を取るたびに屍肉喰い や浅はかな人間の居所を突き止めて襲撃しては、彼らが奪い去っていった機械生命体の遺物を取り戻し、イグニス のガラクタの山に隠した。その遺物を丁重に葬る方法を思い付いたのは、意外にもネモだった。すっかり映画好き になったネモは、とあるSF映画に登場した悪役が分子分解装置を用いて星系を危機に陥れる場面を見た。それと 同じ理屈で機械生命体の遺物を分子レベルまで分解し、宇宙に解かしてしまえばいいのではないのか、とネモが 提案してきた時は突拍子もない話だと誰もが一笑に付したが、イグニスが掻き集めたガラクタを組み合わせれば、 分子分解装置が出来上がるのではないのか、とトニルトスが提案した。それ以降、イグニスとトニルトスの休暇は、 屍肉喰いを襲うことから分子分解装置の組み立てに変わった。それから三ヶ月後、紆余曲折を経て分子分解装置 は組み上がり、十六回の動作テストと手直しを経て、ようやく完成した。
 アエスタスは身を屈め、人工日光に灼けた熱い砂を掬い取った。数百万年の時を経てようやく果てた機械生命体達 の中に、かつての自分がいるのだろうか。いたとしても、いなかったとしても、これで彼らは宇宙を構成する物質の 一部となり、時間の波にたゆたう粒となる。再び彼らが命を持った者として甦る日を待ち侘びながら、アエスタスは 手のひらに残っていた砂を払い、コロニーを巡る風に含ませた。
 命の粒子が、夏の日差しで煌めいた。







14 2/12