アステロイド家族




この宇宙の彼方で



 遺伝子損傷率、軽微。凍結解除によるダメージ、軽微。環境適応率、良好。
 水分と栄養分を一度に補給出来るがおいしくもなんともないドリンクを飲み干してから、息を吐いた。その空気 が一千年前のものだと思うと、なんだか感慨深くなる。吐き出した分だけ息を吸い込むと、喉と気管支を通る空気は 以前よりも明らかに澄んでいた。空調設備のフィルターを交換されているから、というだけではない。空気そのものの 質が、格段に向上している。それだけ、汚染除去が進んで環境浄化も捗っているということだ。
 メディカルカプセルに言われるがままに体を動かし、筋力の低下がないことを確かめてから、用意されていた服に 袖を通した。凍り付いた衣服が皮膚に貼り付いて損傷を起こすかもしれないので、コールドスリープに入る前に服を 全て脱いで内臓の内容物も出来る限り排除してあるので、胃の中に溜まったドリンクの重みと肌を圧迫する布地の ざらつきに懐かしさすら覚えた。視覚、聴覚、触覚、味覚、反射、記憶に不具合が生じていないかどうかをテストして 問題がないことを確認してから、ユイ・ミソノは外に出た。
 出迎えてくれたのは、窓から差し込む眩しい光と、手入れの行き届いた部屋だった。丸太組みの壁にレンガ造りの 暖炉に一枚板のテーブルがあり、その上ではパンケーキとホットミルクが湯気を立てている。

「おはようございます、ユイさん」

 キッチンからやってきたのは、二メートル少々の背丈の青いロボットだった。レモンイエローのゴーグルの奧では、 ゴーグルよりも赤味が強いオレンジ色の瞳が優しく細められていた。その左肩の装甲には、002。彼はユイの護衛 と環境保全のために派遣されてきた、汎用型工作機械である。そして、ユイの唯一の話し相手でもある。

「おはよう、一千年ぶりだね」

 ユイは挨拶を返してから、テーブルに駆け寄った。

「ねえ、これって冷凍ものじゃないよね? 小麦の香りが全然違うもん」

「御明察です、ユイさん。洗浄が済んだ土壌を開墾しまして、一から畑を作ったんです。栽培する作物の種子は火星の グリーンプラントから取り寄せましたが、どれもこれも火星の環境に適応した品種に改良されていたので、ちゃんと 育ってくれるまでには苦労しましたよ。ですが、月日が経つうちに、どの作物も自分が生まれた惑星の土の感触を 思い出してくれたようで、今年はかなりの量の作物が収穫出来ました。なので、当分は食糧に困りませんよ」

「酪農も成功したんだね」

 ユイは椅子を引いて座ると、暖かなマグカップを両手で包み、ホットミルクを一口飲んだ。

「コロニーのものよりも味が濃いなぁ。おいしい」

「気に入って頂けて、何よりです」

「んで、アレ、どうなったんだっけ」

 ナイフを使ってパンケーキを切り分け、カラメルソースを掛けてから、ユイはパンケーキを頬張った。

「遠宇宙に旅立った旧人類の探索ですか? それとも、その旧人類と新人類との間に起きた第二次種族間戦争の ことですか? 或いは、銀河連邦政府の傘下から脱すべく、太陽系の総力を結集して起こした独立運動のことです か? そうでなければ、新人類の始祖たる異星人、ペレニアンの残党が宇宙怪獣戦艦の死骸から造った次元断裂 弾頭を地球に撃ち込もうとした一件のことですか? もしくは、機械生命体の一派が地球を機械化しようとしたために 勃発した戦争のことですか?」

「そんなに色々あったの?」

「ええ、ありましたよ。何せ、一千年ですからね」

 青いロボットはカーテンを開け、四角く区切られた空を仰ぎ見た。その輪郭が白い光に縁取られ、輝く。

「ですが、地球が元通りになるまでにはもうしばらく掛かりそうです。ユイさん達が頑張って下さったおかげで、予想 よりも遙かに速いペースで環境浄化は進んでおりますが、新人類が耐えられるほどではありません。海はまだ二割 しか出来上がっていませんし、嵐も頻発していますし、気温差も七十度以上ありますからね」

「テラフォーミングは気長にやるものだよ。スズノ達は元気にしている?」

「ええ、今し方連絡がありましたよ。スズノさんも、リツカさんも、サユミさんも、リョウ君も、皆、御元気です」

「同じ星の上にいるのに、すぐに会えないのがちょっと寂しいね」

「ユイさんはアジア一帯、スズノさんはユーラシア一帯、リツカさんはアフリカ大陸、サユミさんは北アメリカ大陸、 リョウ君は南アメリカ大陸とオーストラリア大陸を担当しておられますからね。移動手段はないわけではないのですが、 ユイさん達が下手に動くと、ユイさん達のコマンド能力に従っている生物達が大移動してしまいますから、せっかく 仕上がり始めた生態系が崩れてしまいかねません」

「この分だと、どこのコロニーにも行けないね」

「そうですね……」

「あんたが気に病むことはないよ。それに、あたし、地球が好きになってきたから」

「それは何よりですね」

「だって、あんたがいるもん」

 パンケーキを欠片も残さずに食べ切り、ホットミルクも一滴残さず飲み干してから、ユイは立ち上がった。クセの 強い髪は、寝起きであることも相まって外側に向かって威勢よく跳ねていて、ヘアピンでまとめている前髪も毛先が 丸まっている。それをいじって手直しする努力をしたが、無駄だったので、ユイは開き直ることにした。

「あたし、夢を見たの」

「僕もですよ、ユイさん。電気羊の夢を見ることは出来ませんが、あなたの夢を、いえ、あなたによく似た女の子 を僕に似たロボットが見ている夢を見るんです」

「……うん、あたしも」

「その夢の中での僕は、とある惑星で悲劇的な運命を辿った科学者が復讐を成し遂げるために造り上げた、人型 機械兵士でした。赤の兄さん、黄色の弟、その下の紫の弟、末っ子の黒の妹と共に、科学者の命令の下で戦いに 明け暮れる日々を送っていたのですが、戦闘で撃墜されて地球へと逃れてきたのです。そこで、僕はあなたによく 似た女の子に出会うんです。戦いのことも知らなければ、外の宇宙のことも知らなければ、僕がどれほど恐ろしい 破壊力を持つ兵器であるかも知らないけれど、他者を慈しむ心を知っている女の子です。僕は彼女と共に手探りで 戦い以外のことを知るようになり、封じ込めていた感情を解き放って、兄妹達とも解り合えるようになり、そして…… 彼女を愛するようになるんです。彼女も僕を好きだと言ってくれました。幸せを知ることが出来ました。けれど、僕と 兄弟を追ってきた艦隊が、僕達兄弟を襲い始めるんです。戦って、戦って、戦い抜いて、勝利を得ましたが、それは 僕と彼女の別離も意味していました。僕は兄妹達と地球を離れますが、一旦地球に戻り、再会を果たしましたが、 それがまた新たな戦いの火種となってしまいました。地球の人々が僕達を原型にして造った人型自律実戦兵器 が存在していたからです。彼らと、彼らを生み出した技術を巡る争いの果てに、僕達は再び宇宙へと旅立ちました。 機械ではなく、命を持った生き物になるための旅でした。とある惑星に辿り着き、金色の力で命を得たと思ったの ですが、金色の力は、それそのものが寄生生物だったんです。だから、僕達兄妹とその子孫達は分子の衝突にも 似た戦争を繰り返した末に果て、星と共に滅んでしまいました。けれど、僕達は死ねませんでした。金色の力が僕達 を乗っ取っていたから、僕達に死を与えてくれなかったんです。僕達の子孫の生き残りと戦って戦って戦い抜いて、 やっと金色の力を退けたのですが、退けただけでした。金色の力に侵食されすぎた僕達は、いつしか精神体を持つ ようになっていたからです。機体を失い、星を失い、子孫を失っても、僕達の魂だけは朽ちることすら許されずに、 ただただ宇宙を彷徨い続けていたんです。……一千年前までは」

 青いロボットはユイの前に跪き、厳かに手を差し伸べる。

「再びあなたに出会える日を、待ち焦がれておりました」

「これ、夢の続きかな」

「いいえ。現実ですよ。その証拠に、こうしてあなたに触れることが出来るんです」

「だったら、夢は終わるのかな」

「いいえ。夢は現実となり、時間と空間に折り重なり、また新たな次元宇宙を紡ぐんです。巡り巡った因果と輪廻が 収束する日が来たのです。それが、今なんです」

 少女の小さな手を角張った大きな手で握り締め、青いロボットは愛おしげにマスクを寄せる。

「何度でも言いましょう、あなたを愛していると」

「でも……あたしは、その女の子じゃないよ。あんたも、そのロボットじゃないんでしょ?」

 ユイが憂うと、青いロボットは首を横に振る。頭部の両脇から伸びる、ナイフ状の尖ったアンテナが光を撥ねる。

「僕であったかもしれない人型機械兵士と、あなたであったかもしれない女の子は、どちらも過去のものです。夢とは 過去で出来上がっているのですから。ですが、僕とあなたはここに在ります。今の僕が今のあなたを愛したとして、 何か不都合でもありますか? あなたが眠る姿を見つめ続けた一千年は、とても長かった。とても」

「うん」

「……やはり嫌ですか? 銀河連邦政府から独立し、機械生命体の価値観と倫理観を受け入れた太陽系統一政府は ロボットやナビゲートコンピューターの人格を認め、一個人としての自我と権利を持つことを法的に許しはしましたが、 あなたからすれば僕はただの工作機械なのでしょう。でしたら、僕は」

「違うの」

 ユイは身を屈め、青いロボットと目線を合わせ、そのマスクを丁寧に撫でる。何度も何度も。

「一千年も独りぼっちにして、ごめんね。ずっと会いたかった。傍にいるって解っているけど、それでも会えないのは 寂しかった。夢の中に出てきた青いロボットはあんたによく似ているけど、でも、違うロボットだった。だから、女の子 もあたしじゃない。だからね、ちょっとだけ不安だったんだ。あんたは夢の中の女の子を好きになるんじゃないかって、 あたしの能力で操られているから、あたしを好きになった気がしているだけじゃないかって」

 ユイはコマンド能力のジャミング装置でもあるヘアピンを作動させてから、青いロボットに顔を寄せる。

「遠隔操作、切ったよ。それでも、その気持ちが本当だって言える?」

「僕は機械ですから、嘘なんか吐けませんよ」

「じゃ、約束しよ。デルピヌス」

「ええ、ユイさん」

 影が寄り添い、重なり、青いマスクと瑞々しい唇が接した。戯れのような淡いキスの最中、ユイは、デルピヌスは、 かつての自分の記憶である夢を反芻する。青い空と青い海、そして青い恋。思い合うが故に離れ、思い合うあまり に綻び、滅んでしまった過去を思い返しながらも現在を見つめていた。メディカルカプセルに隔てられていないので、 肌と外装を触れ合わせて互いの存在を心行くまで確かめてから、二人はどちらからともなく笑い合った。
 地球のテラフォーミングが進んで新人類が適応出来る環境が整うのは、どんなに急いだとしても十万年後になる、 と量子コンピューターが算出している。だから、その間、二人は心行くまで愛し合える。長いコールドスリープと短い 覚醒を繰り返し、限りある時間を使い切って人生を全うするのだ。どこにでもいる恋人同士のように。
 この時代、祝福されない恋はない。




 満開の桜が、墓地に花びらの雨を降らせていた。
 墓石と同じ数の花束を抱えてきた人物は、墓石に降り積もった花びらを軽く払ってから、花束を一つ一つ横たえて いった。母親、父親、長女、次女、三女、四女、三女の夫、四女の夫。墓石に刻まれている命日の日付は、コロニー に時折降り注いでくる雨に洗われているせいで風化していた。その日付は恐ろしく古く、切なさを覚えるよりも先に 気圧されそうになったが、微笑みかけて墓石を撫でた。芯まで冷え切っていた。

「これがお爺ちゃんのお爺ちゃんのそのまたお爺ちゃんの……まあ、お爺ちゃんなんだ」

 高密着型パイロットスーツに小柄な体を包んでいる少女は、青い瞳を瞬かせる。

「そうだ。んで、お前の婆ちゃんの婆ちゃんの……まあいい、先祖がそっちだな」

 赤い機械生命体が親指を立てて指し示すと、少女は首を傾げる。

「何番目?」

「んー……。お前の育ての親の育ての親はフランマの孫娘だったが、遺伝子の上での親はどちらかっつーとユイに 近いっつーか、ウェール寄りっつーかだが、元を辿るとヤブキにも行き着くんだよなぁ……。まあ、あいつは旧人類の 遺伝子をごちゃ混ぜにした人間だから、当たり前っちゃ当たり前なんだが……」

「我ながらややこしいね!」

「だが、まあ、俺んちの親戚だってことは事実だ。それは俺が保証してやる。十万年もお前の一族を見守ってきて やったんだからな。役所の電子文書なんかよりも、余程確実だぞ」

「守るべき親戚がいるとなると、なんだか心構えが変わるねぇ」

「だろ?」

「てぇことは、私は帰還船団の血もちょっと入っているし、六分の一は新人類だからペレニアンの血も入っているし、 大姉ちゃんは惑星プラトゥムからの移民だし、ちい姉ちゃんは生体攻略機をスペックダウンさせた生体攻略体だし、 小父ちゃんはこの通りの機械生命体だし、ええと……あと色々だから、宇宙全部が親戚みたいなもんだね!」

「だな」

「んじゃ、家族も一杯だね」

「そうだ、その通りだ!」

 大きく頷いたイグニスに、少女、ハル・ムラタは平べったい胸を張る。栗色の長い髪が春風を孕み、靡く。

「それじゃ、家族のために働いてこないとね! パラディソスの強硬派とペレニアン残党の連合軍がテラフォーミング の済んだ地球を奪いに来ちゃったから、追い返さないといけないんだよ!」

「出来れば戦争したくねぇから、次元断裂弾頭を使って敵を全部異次元宇宙にぶっ飛ばして平らげるのが手っ取り 早いんだが、そんなことをするとまた次元震が頻発しちまうんだよなぁ。ま、どうにかするっきゃねぇさ。俺と、トニーと ネモとエルピーとウルキィと……あとはまあ、とにかく色々だ。ハルも無茶するなよ」

「大丈夫、問題ない! それじゃ、皆、いってきまーす!」

 小さな体を鼓舞するように大きく手を振ってから、ハルは駆け出した。すると、視界の端に人影が過ぎり、ハルは 反射的に振り返った。瞬きをする一瞬、風に撫でられた草の葉が起き上がるまでの束の間、吸った空気が肺へと 到達するまでの僅かな時間でしかなかったが、そこには二人がいた。ハルによく似た色味の茶色の髪を持ち、古い デザインのパイロットスーツを着込んだ男と、ハルによく似た青い瞳と長い黒髪の女だった。
 それが誰であり、何なのか、考えるまでもなく悟った。ハルは込み上がるものを堪え、口角を上げる。そして、赤い 屋根と白い壁の家の傍で片膝を付いて待機している、光速機動歩兵に乗り込んで発進した。カタパルトも転送装置 も使わずに、入ってきた時と同じように、コロニーの割れ目を潜り抜けて星々の散る闇へと泳ぎ出した。
 家族を育んでいた卵形のコロニーは、真ん中から綺麗に割れていた。過去に発生した次元震が、小さなコロニーを 裂いてしまったからだ。けれど、不思議なことに桜の木と家族の墓とその周辺の環境は、コロニーが損壊する前と 変わらずに保たれている。空気も重力も水も生態系も、かつて家族が住んでいた家も何もかも。それが誰の意図 によるものなのか、今となっては解らない。母か子か、或いは家族全員なのか。だが、それは誰でもいいとイグニス とトニルトスは言う。ハルもまた、そう思う。家族愛とはそういうものだからだ。
 コロニーから脱したイグニス、コロニーの外で待機していたトニルトス、ネモ、エルプティオ、そして自己増殖型生体 攻略機のウルカニウスと合流したハルは、光速機動歩兵を加速させた。ハル達の部隊が配備されているのは、 第一次防衛戦であり、パラディソスとペレニアンの連合軍がワープアウトすると予測された宙域だった。そこで戦力 の大半を削げば、敵勢が地球圏に到達する前に決着が付く。全面モニターに囲まれた狭いコクピットの中で、ハルは 機体と神経直結するために不可欠なヘルメットを抱えると、その側面に貼り付けた桜のステッカーにキスをした。
 惜しみない愛を込めて。




 おかえりなさい。そして、いってらっしゃい。







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