アステロイド家族




明るい夫婦生活



 いつまでも、繋がっていたいから。


 いつも通りの朝だった。
 目を覚ましたヤブキは身を起こして薄手の掛け布団を剥ぎ、傍らで寝息を立てている小柄な少女を見下ろした。
昨夜は一階の子供部屋できちんと寝付かせたはずだったのだが、今朝もまたいつのまにか隣に潜り込んでいる。
しかし、いつ目覚めて潜り込んでくるのだろうか。休眠状態だとはいえ、サイボーグに気配を気付かせないとは。
姉達や妹に聞いても、熟睡しているので彼女が目を覚ましたことに気付かないらしく、彼女に聞いても答えない。
 ヤブキはアウトゥムヌスのパジャマが乱れていないことを確かめて、本気で安堵した。今日もまた、乗り切った。
こういう状況が何日も続くと、神経を張りすぎて気疲れしてしまう。夫婦であったのは、少し前までのことなのだ。
だが、今は違う。将来を誓い合った仲とはいえ、兄と妹に近しい関係だ。だから、出来ることは普通のことだけだ。
しかし、やはり以前の感覚があるので、無意識にアウトゥムヌスに手を出していないかが不安でたまらなかった。
未来の妻ではあるが、れっきとした十歳児なのだ。万が一手を出してしまったら、取り返しの付かないことになる。

「むーちゃーん、朝っすよー」

 ヤブキはアウトゥムヌスの小さな肩を揺すると、少女は薄い瞼を開き、見上げてきた。

「ジョニー君」

「ていうか、どうしていつもいつもオイラの寝床にいるんすか?」

「妻だから」

 アウトゥムヌスは身を起こし、少しサイズの大きいパジャマの襟元を直した。

「そりゃあ、まあ」

 ヤブキは少し照れてしまい、言葉を濁した。相変わらず、アウトゥムヌスは何の躊躇いもなくストレートに言う。
それを意識するなという方が無理な話だ。決まり切ったことであり解り切ったことでも、改めて認識すると照れる。

「…なんすか?」

 ヤブキは、パジャマのズボンを引っ張って中を見下ろしているアウトゥムヌスに、内心で目を丸めた。

「不変」

 アウトゥムヌスは眉根を曲げ、不満げに呟いた。

「えーと、何を期待してたんすか?」

 ヤブキがぎくりとすると、アウトゥムヌスはズボンから手を離し、ヤブキを見つめた。

「夜這い」

「その理屈で言うと、むーちゃんがオイラのところに夜這ったってことになるんすけど」

「そう」

「あー、やっぱ、うん…」

 やはり、その気だったのか。ヤブキが困惑していると、アウトゥムヌスは身を乗り出し、近付いてきた。

「なぜ」

「な、なぜって何がっすか」

 ヤブキが腰を引いて身を下げると、アウトゥムヌスは更に近付いて間を詰めてきた。

「前は、してくれたのに」

「そりゃあ、まあ、あの時はむーちゃんの体も大人だったわけっすし、オイラも真っ当な男だったわけっすし、でもって結婚してたわけっすから、しない方が勿体ないっつーかなんつーか」

 ヤブキは更にずり下がったが、壁に阻まれてしまった。だが、アウトゥムヌスは迫ってくる。

「欲しい」

「な、何がっすか。出来れば具体的な表現は避けた方が色んな意味でいいじゃないかなーと思うんすけど!」

「ジョニー君が」

「出来ればオイラもそうしたいとは思うんすけど、いや、思ってても言っちゃいけないっつーか、まず思うことからして社会的にも倫理的にも個人的にも間違ってるとは解っちゃいるっすけど!」

「大丈夫。問題はない」

 アウトゥムヌスは壁に背を押し当てて硬直しているヤブキの上に乗ると、彼のマスクを小さな手で挟んだ。

「広げる」

「ダメっすー、それだけは絶対にしちゃダメっすよー! ていうかオイラはそんなに鬼畜王じゃないっすー!」

 ヤブキが悶絶していると、部屋の扉がノックされ、開いた。

「むーちゃあん、起きてますぅー? お着替えの時間ですぅー」

 顔を出したのは、エプロン姿のミイムだった。ヤブキとアウトゥムヌスの状況を見た途端、すっと血の気を引いた。
ヤブキは言い訳をしようとしたが、既に手遅れだった。アウトゥムヌスの白い手は、ヤブキの服に掛けられていた。
挙げ句に、いつのまにかアウトゥムヌスはパジャマの襟元のボタンを外して広げており、平らな胸元が見えていた。
アウトゥムヌスの軽い体はヤブキの上に乗り、彼女が望む状況であれば接合しているであろう部分も接していた。

「ヤブキてめぇこの野郎ですぅ!」

 素早くアウトゥムヌスを抱き上げたミイムはヤブキを蹴り飛ばし、遠ざけた。

「あー良かった、マジで良かった、リアルに救われたっすー…」

 壁際に吹き飛ばされたヤブキは、棚から落ちてきたフィギュアとディスクにまみれながら、本気で安堵した。

「朝っぱらからおっ立てるのはいいけど自分でどうにかしやがれですぅ」

 さあお着替えですぅ、とミイムはアウトゥムヌスを抱えたまま、足早に去った。階下からは、姉妹の声が聞こえる。

「そうしたいのは山々なんすけどね」

 ヤブキはミイムの捨てゼリフに返しながら、身を起こした。幸い、フィギュアとディスクに傷は付いていなかった。
あの一件以来、ミイムはヤブキをどつき回すことは止めることはないものの、かなり手加減してくるようになった。
ほっとするやら物足りないやらだが、おかげでフィギュアやプラモデルやディスクなどが破損することはなくなった。
 ヤブキはアウトゥムヌスの体温が残る布団に触れ、ため息を吐いた。実際、その気になりかけたことはあった。
アウトゥムヌスは十歳に縮んでしまったが、その美しさと愛らしさは変わらない。そして、幼いながらも体は女だ。
 彼女と正式な夫婦になってから、ヤブキはアウトゥムヌスを抱いた。もちろん、無理強いはせず時間を掛けた。
サイボーグ故に無駄に体格の大きいヤブキと、標準よりも一回り以上小柄なアウトゥムヌスでは、サイズが違う。
彼女の体が慣れてくるまで充分に時間を掛けた上で、最後まで至ったが、それでもアウトゥムヌスは辛そうだった。
いつもはほとんど表情を見せない顔も歪め、高ぶりとは違う脂汗を滲ませ、歯を食い縛って痛みに堪えていた。
あの時は本当に悪いことをしたと思うが、それでもいいと彼女は何度も言い張ったので、ヤブキは思いを遂げた。
 だから、十歳の彼女が受け入れられるはずがない。二十歳の体だった時も、あんなにも辛そうだったのだから。
アウトゥムヌスの気持ちは嬉しいし、ヤブキ自身にもその気持ちはある。だが、今は十歳も年齢差が出来ている。
 押さえるところは、押さえるべきなのだ。




 朝食を終えた後は、勉強の時間だった。
 四姉妹はリビングテーブルを囲み、それぞれに与えられたノートパソコンを開き、年相応の勉学に励んでいた。
アステロイドベルトに浮かぶコロニーは学校のある宇宙ステーションから遠すぎるため、通信教育を受けていた。
四姉妹の造物主であり母であるアニムスから得た記憶や知識は日々薄れて、四人とも十歳児らしくなっていた。
そのため、また最初から学習して覚え直す必要があった。この時代での一般教養を覚えるためという意味もある。
皆が皆、一度解っていたことをもう一度学習し直すのは面倒だと思っていたが、必要なことだとも理解していた。
生体改造体でもなければ珪素生物でもない、ごく普通の体である以上、いずれは独り立ちしなければならない。
その日を迎えるためには、勉強は欠かせない。どんな職業に就くにしても、基本的な教養がなければ始まらない。
 だが、そこは十歳児である。解ってはいるのだが、十五分もすれば四人とも飽きてきて、気が散り始めていた。
一番生真面目なアエスタスは勉強を続けようという姿勢を見せているのだが、他の三人はその気が全くなかった。
特にやる気がないのが、ヒエムスだった。窓の外をぼんやり見ていたり、見事な巻き髪に指を絡めたりしていた。
ウェールは頑張ろうとするのだが、集中力が続かない。アウトゥムヌスは上の空で、あらぬ方向を見上げている。
やはり、教師がいないからだろう。ミイムは掃除をしているし、ヤブキは畑仕事で、他の三人は木星基地で訓練だ。
お目付役として、ガンマの意識が宿ったスパイマシンは浮かんでいるが、彼女がその役目を果たしたことはない。

「退屈ですわぁ」

 ヒエムスは欠伸を噛み殺し、巻き髪から指を抜いた。

「そう思うのなら、目の前の問題を解け。自分の頭でな」

 アエスタスは四女を一瞥し、自分のホログラフィーモニターに目を戻した。

「なんでこんなに原始的な数学が理解出来ないかなー、今の私は。やんなっちゃうよ」

 ウェールは苛立ちを吐き出しつつ、妹達に向いた。

「むーちゃんもひーちゃんも、いい加減にまともにやりなよ。でないと、またパパに怒られちゃうんだから」

「お父様って基本的には甘やかしてくれる方ですけど、そういうところはきちっとしてますのよねー」

 ヒエムスは、さも嫌そうに舌を出した。

「父上は私達を心配なさっているのだ。それに対して文句を言う方が筋違いなんだ」

 アエスタスはもっともらしく言ってから、虚ろな目の三女に向いた。

「それにしても、今日はまた一段と上の空がひどいな、アウトゥムヌス。眠いのか?」

「違う」

 思考から現実に意識を戻したアウトゥムヌスは次女に向くと、おもむろに手を伸ばし、次女の胸を掴んだ。

「うわあっ!?」

 思い掛けないことに動揺したアエスタスは、赤面しながら立ち上がり、後退った。

「何をするんだ貴様ぁー!」

「微々たる成長」

 アウトゥムヌスが次女の胸を掴んだ手を見下ろして報告すると、ウェールが頷いた。

「私達の中で一番巨乳だったのは、あーちゃんだったもんね。またでっかくなるよ、遺伝情報は同じなんだから」

「生物である以上、個体差があるのは解っていますけど、やっぱり不公平ですわよねぇ」

 ヒエムスが恨めしげな目を向けてきたので、アエスタスは辟易した。

「お前だって割とあったじゃないか。付属品のサイズ如きでごちゃごちゃ言うんじゃない」

「で、なんでまたむーちゃんはあーちゃんの胸を揉んだの?」

 ウェールに問われ、アウトゥムヌスは平坦に言った。

「身体的成長の確認。いずれの次元に置いても、最も早いのがアエスタスお姉様だから」

「まあ、それはそうですけど、またどうしてそんなものを確かめますの?」

 今度はヒエムスに問われ、アウトゥムヌスはやはり平坦に言った。

「生殖行為が可能か否かの確認」

 三人とも目を丸くしたが、一番最初に反応したのはヒエムスだった。

「ということは、やっぱりお兄様となさっているのですわねアウトゥムヌスお姉様ぁー!」

 いやんばかぁん、と妙な声を出して身を捩る四女に、長女は変な顔をした。

「何それ。つまんないし」

「だが…それは…いや、しかし…」

 アエスタスは先程とは違った意味で動揺し、顔を伏せた。

「でもさ、常識で考えれば無理じゃん、そんなの。だって、お兄ちゃんはあんなにでっかいんだし」

 ウェールがしれっと言い放つと、アエスタスは身動いだ。

「やはりそうなのか、兄上は!?」

「そうなんですのね、お兄様は!」

 きゃあいやぁーん、と両の頬を押さえたヒエムスは甲高い歓声を上げた。

「そう」

 アウトゥムヌスは手を広げ、十数センチの幅を作った。

「詳細な説明を」

「始めなくていいってば、生々しい」

 ウェールが三女の後頭部を引っぱたくと、アウトゥムヌスは叩かれた部分を押さえて唇を曲げた。

「なぜ」

「そりゃ、私達はお兄ちゃんとそういう関係じゃないからだよ。ていうか、知りたくないし」

 ウェールは、鬱陶しげにため息を吐いた。

「お兄ちゃんはね、お兄ちゃんだから好きなの。むーちゃんみたいに、男の人として好きなわけじゃないの。だから、お兄ちゃんのアレのこととかむーちゃんとお兄ちゃんが夜中に何してるかとか、正直言って聞きたくないんだよね。生理的に受け付けないっていうかでさ」

「あらまぁ、いやにクールですわね、ウェールお姉様」

 意外そうなヒエムスに、ウェールは肩を竦めた。

「だって、お兄ちゃんはパパと同じなんだもん。むーちゃんみたいな見方は絶対に出来ないの」

「そう言われてみれば、そうだな」

 アエスタスは咳払いをして冷静さを取り戻し、ヒエムスもフリルが付いたスカートの裾を整えて座り直した。

「確かに、お兄様をそういう目で見られるのは、全宇宙でアウトゥムヌスお姉様だけですものねぇ」

「とりあえず、勉強しようよ」

 ウェールがホログラフィーペンで自身のホログラフィーモニターを小突いたので、次女と四女はそれに従った。
アウトゥムヌスも自分の勉強に戻ろうとしたが、ホログラフィーモニターに並ぶ算数の問題は頭に入らなかった。
思い掛けない長女の反応に、アウトゥムヌスは戸惑いを感じた。彼に対する感情は、いけないことなのだろうか。
だが、ヤブキと関係を持つことは第五次元に介入するために必要なことであり、アウトゥムヌスの意志でもある。
それは、幼くなった今でも変わらない。彼も変わらずに思ってくれているのだから、妻として応えるのが必然だ。
体を繋げたいと思うのも、彼を感じたいと思うのも、当たり前だと思っていた。だが、それはおかしいのだろうか。
十年分幼くなったのなら、年相応に彼に対する感情も体の奥底から沸き上がる欲動も抑え込むべきなのだろうか。
けれど、彼とは将来を誓い合っている。ヤブキのためならば、命さえ捨てても構わないと常日頃から思っている。
 だから、この身を捧げるのは当然のことだ。







08 11/27