薄暗い部屋で息を殺し、その時を待った。 湯冷めしつつある体は手足の先が少し冷えていたが、それとは対照的に心中は高ぶり、鼓動は暴れていた。 抱き締めた枕に顔を埋め、かすかに震える呼吸を飲み込んだ。こんなに緊張するのは、初めての時以来だろう。 アウトゥムヌスは知識として知っていたが、炭素で構成された体に訪れる様々な感覚は未知のものばかりだった。 触れられるたびに広がる体中の甘い疼きも、悲しいほどの切なさも、痛みすら心地良く思えるほどの気持ちも。 夫婦生活が短かったせいでヤブキと体を重ねた回数は少なかったが、だからこそ思い出深く、忘れがたかった。 彼も、そう思ってくれているだろうか。アウトゥムヌスは階段から聞こえる重い軋みに耳を澄まし、目を見開いた。 独特の軋みを持つ重量のある足音が、次第に接近してくる。扉のノブが回されると、明かりが部屋に差し込んだ。 「むーちゃん…?」 扉を開けた姿勢のまま、部屋の主、ヤブキがこちらを見下ろしてきた。 「また夜這いっすか?」 「そう」 アウトゥムヌスは頷き、枕を離して立ち上がった。 「妻だから」 「でも、なんつーか、そういうのは…」 扉を閉めて部屋の明かりを付けたヤブキは、万年床の布団に座る未来の妻と目線を合わせた。 「ん」 アウトゥムヌスはすぐさま身を乗り出し、ヤブキのマスクに自分の唇を押し当て、首に腕を回してきた。 「だから、その」 ヤブキは彼女の小さな体の重みを受け、硬直した。体には何も感じないが、心は充分すぎるほど感じていた。 背中に回し掛けた手を下げ、彼女に身を委ねた。こちらから触れてしまったら、自制が効かなくなりそうだった。 ただでさえ、来ているというのに。ヤブキは嬉しさと戸惑いと混乱を掻き混ぜた感情の奔流の中、必死に堪えた。 指先に感じる彼は、いつも通りに冷たい。だが、触れるたびにこちらの体温が移り、火照るように思えてしまう。 アウトゥムヌスはヤブキのマスクに何度も口付けを落としながら、次第に上擦ってきた呼吸を整えて、唇を舐めた。 だらりと下げられた両手を見、少し落胆する。以前であれば、ここまですれば彼の方から手を出してくれたのに。 やはり、体が幼いからだろうか。アウトゥムヌスは薄い唇を引き締めると、ヤブキのズボンのベルトに手を掛けた。 「え、あっ、ちょっ」 ヤブキは慌てたが、アウトゥムヌスは外す手を止めなかった。 「大丈夫。問題はない」 「う…」 ヤブキは、興奮と混乱で言葉が出なかった。彼女から来ることはたまにあったが、こんなことは初めてだった。 その積極性が恐ろしくもあり、またとてつもなく嬉しい。ヤブキは中腰だった腰を落として、抵抗することを諦めた。 こうなったら、彼女の気が済むまでさせるしかない。それが事を収めるための一番の近道だ、とヤブキは思った。 「ジョニー君」 アウトゥムヌスはヤブキの腰の上に跨り、パジャマの下から伸びる細い素足で腰を挟んだ。 「って、ズボン履いてなかったんすかー! なんで今頃気付くんすかオイラはー!」 これは大打撃だ。ヤブキが思わず声を上げると、アウトゥムヌスは頬を僅かに染め、俯いた。 「…下着も」 「うおおおおお…」 たまらず、ヤブキは悶えた。これでは、辛うじて張り詰めさせている最後の理性が弾け飛んでしまうではないか。 ということは、今、無防備なアウトゥムヌスが体の上にいるわけで。せっかく押さえ込めそうな情欲が、出てしまう。 金属製の肌越しには、確かにあの温度を感じる。体温が全体的に低い体の中で、少しだけ温度の高い部分だ。 「出してもいい?」 羞恥と興奮で青い瞳を潤ませ、アウトゥムヌスはヤブキを見上げてきた。 「ジョニー君の、生殖器官」 「えーと、どこまでやる気なんすか?」 少々引きつった声で聞き返したヤブキに、アウトゥムヌスは目線を彷徨わせ、恥じらいを垣間見せた。 「最後まで」 その言葉と仕草に、ヤブキはひどく動揺した。十歳なのに、二十歳だった頃の姿がオーバーラップしてしまう。 そして、その時の情景も。日常生活ではほとんど汗を掻かない体を汗で濡らし、荒らげない呼吸も荒げていた。 ヤブキのぎこちない愛撫を受け止め、些細なことでも反応してくれて、感情を剥き出しにした言葉を連ねていた。 もう、堪えられなかった。ヤブキは身を起こしてアウトゥムヌスの肩を掴んで引き寄せると、マスクを押し付けた。 ん、とかすかな喘ぎを漏らして、アウトゥムヌスは腕の中で力を抜いた。腕に返る弾力は薄く、骨格も細すぎる。 以前もそうだったが、幼くなってますます顕著になった。存在自体が儚すぎて、このまま崩れ去ってしまいそうだ。 パジャマの裾から伸びる足は筋肉もなければ脂肪も少なく、四女の次に色素が薄い肌は、透き通るようだった。 襟元から覗く首筋は触れただけで簡単に折れてしまいそうなほどに細く、小さな手は懸命にヤブキを求めている。 髪の間からは甘いリンスの匂いが零れ、肌からは石鹸の匂いに少女特有の匂いが混じり、背徳感を掻き立てる。 普通なら、色気どころか何も感じない体だ。姉妹の中で一番良く食べるのに一番体格が細く、手も足も細すぎる。 だが、今のヤブキは普通ではない。彼女と日々接しながらも遂げられないせいで、衝動が溜まりに溜まっている。 増して、毎日のようにあんなことをされては。夫婦なのだから、と自分に言い訳をしながら、ヤブキは顔を離した。 「ジョニー君…」 息苦しげな声で名を呼ばれ、ヤブキはアウトゥムヌスの幼い体を横たえ、覆い被さった。 「そんなにオイラとしたいんすか?」 「だって…」 アウトゥムヌスはヤブキの腕に触れ、目を伏せた。 「妻だから」 「じゃ、どこまで出来るか試してみるっすよ」 ヤブキの冷え切った手が太股に触れ、アウトゥムヌスはびくっと肩を縮めた。 「あっ」 小さな手がヤブキの太い腕に縋り、怯えたように足を閉じようとするので、ヤブキはその間に指を滑り込ませた。 どこに何があるのかは、既に知っている。以前とは違うつるりとした感触があり、その奥に潤った部分があった。 二十歳の頃も小さかったが、もっと小さくなっている。ヤブキが膝を割ろうとすると、アウトゥムヌスは顎を引いた。 「や…」 「自分から散々やっといて、今更それはないんじゃないんすか」 ヤブキが低い声を発すると、アウトゥムヌスはそっと見上げてきた。潤んだ瞳には、躊躇と後悔が滲んでいた。 それが、ますます底意地の悪い欲望を煽り立てる。ヤブキが威圧的に見下ろすと、彼女はぎゅっと瞼を閉じた。 「解った」 弱々しい同意の後、アウトゥムヌスの膝に入れられていた力が抜けた。ヤブキが膝を押すと、呆気なく開いた。 アウトゥムヌスは顔を覆って、浅い呼吸を繰り返した。室内灯の下に露わになったそれに、ヤブキは顔を寄せる。 「んで、オイラに何をどうしてほしいんすか」 「そんなの、言えない」 「でも、言ってくれなきゃ何も解らないっすよ?」 ヤブキが離れようとすると、アウトゥムヌスは指を開き、その隙間から見上げてきた。 「あ…」 「したいんすか、したくないんすか、どっちなんすか?」 ヤブキがからかうと、アウトゥムヌスは顔から手を外し、紅潮した顔を向けてきた。 「…して」 「だから、具体的に何をどうしてほしいんすか?」 アウトゥムヌスは深く息を吸った後、一息に言い放った。 「ジョニー君に、触ってほしい」 「自分じゃ満足出来なくなったってことっすか?」 ヤブキが意地悪く言うと、アウトゥムヌスは絹糸よりもか細い声で否定した。 「自分では、したことは、ない。今も、前も。だって、ジョニー君のものだから」 「どこまで純情なんすか、むーちゃんは」 ヤブキは手を伸ばし、そこに触れた。最も敏感な部分に訪れた金属の冷たさに、彼女の体がびくりと跳ねた。 あ、と上擦った声が上がり、再び足が閉じそうになる。もう一方の手でそれを阻みながら、ヤブキは彼女を探った。 欲望のあまりに焦りそうになるが、なんとかそれを押さえ込んで、出来る限り痛みを与えないように解してやった。 部屋の中に、水気を帯びた異音が響く。だが、発達の兆しすらない彼女の奥は、指すら受け入れられなかった。 少しでも入れようとすると、硬い筋肉に阻まれる。彼女から溢れた潤いを使っても、やはり結果は変わらなかった。 胸の下では、アウトゥムヌスが身を固くしていた。唇を噛んで必死に声を押し殺して、目元には涙を浮かべていた。 「そんなに痛いっすか?」 ヤブキが手を引くと、アウトゥムヌスは首を横に振った。 「だい、じょうぶ」 しかし、その声色は苦痛で震えていた。ヤブキの腕に縋る手も、じっとりと汗ばんでいる。 「ごめん」 重たい後悔を感じたヤブキが顔を背けたので、アウトゥムヌスは再び首を横に振った。 「ジョニー君は、悪くない…」 好きで好きでたまらない。それは、どちらも同じだ。ヤブキはアウトゥムヌスを起こし、自分のシャツを着せた。 大きすぎるシャツによって肌は隠れ、足も隠れた。震えている彼女を膝に載せて抱き締めると、泣き声が増した。 きっと出来ると思っていた。出来ないわけがないのだと思っていた。だが、彼の指すらも受け入れられなかった。 初めて体を繋げた時も痛かったが、今回は違った。ほんの少し入れられただけなのに、裂けてしまいそうだった。 やはり、この体では彼に何一つ返せないのだ。それが強烈に悲しくて、アウトゥムヌスは嗚咽が込み上がってきた。 「ごめんなさい」 罪悪感に襲われたアウトゥムヌスが謝ると、ヤブキは俯いた。 「オイラの方こそ、ごめんっす。むーちゃんも、そんなに無理はしなくていいっすから」 「無理なんか、していない。本当に、本当に、私はジョニー君としたかった」 「オイラもっすよ」 「…本当?」 「当然じゃないっすか。オイラはむーちゃんの未来の夫なんすから」 ヤブキはこちらを見上げてきた妻の頬に触れ、涙を拭った。 「でも、ちょっと焦りすぎたんすよね」 「だけど」 アウトゥムヌスは、ヤブキの服の裾を強く握り締めた。 「どうしても、欲しい」 ヤブキはアウトゥムヌスを包むように抱き締め、ぽんぽんとその背を軽く叩いた。 「でも、やっぱり無理なものは無理なんすよね。痛い思いをさせちゃって、本当にごめんなさいっす」 「ジョニー君は悪くない。いけないのは、私」 なぜ、子供になってしまったのだろう。皆との家族としての距離は縮まったが、彼との距離は広がってしまった。 母の判断が恨めしいと思ったのは、初めてだった。こんなことになるのなら、次元を統合させなければ良かった。 母に進言して、肉体の大きさを変えさせなければ良かった。だが、母との繋がりが切れた今では何一つ出来ない。 ヤブキの妻なのに、妻らしいことは何も出来ない。以前は出来ていた最低限のことすらも、出来なくなってしまった。 なのに、以前の関係を引き摺っている自分がいけないのだ。子供のくせに、分不相応な感情を抱いたのが悪い。 「出来ることからすればいいんすよ、前みたいに」 ヤブキはアウトゥムヌスの目元を拭ってやり、優しく言葉を掛けた。 「何も、ヤることだけが夫婦ってわけじゃないんすから」 「…解った」 ヤブキの広い胸に身を預け、アウトゥムヌスは頷いた。 「でも、いずれ」 「もちろんっすよ。その時が来たら、ちゃーんと最後までするっすよ」 だから、とヤブキはアウトゥムヌスを撫でた。 「今だけは我慢するっす。でないと、本当にオイラは暴走しちゃうっすよ?」 「本当?」 アウトゥムヌスは顔を上げ、期待に目を輝かせた。言葉を間違えたか、とヤブキは狼狽した。 「そりゃまあ、むーちゃんから迫られたらオイラもその気にはなっちゃうっすよ。でも、むーちゃんに辛い思いをさせるのは嫌っすから、止めたんすよ。そりゃむーちゃんは今も昔もめっちゃ可愛いし、小さくなっても変わらないところは変わらないし、そういうところも含めて好きなんすから、その気にならない方がおかしいっつーかで…」 「何、してほしい?」 アウトゥムヌスは涙を拭い去り、今朝と同じように迫ってきた。 「いやいやいやいやいや、それを言っちゃあオイラは人としてお終いっつーかなんつーかで!」 ヤブキが腰を引くと、アウトゥムヌスは意味深に唇を舐めた。 「大丈夫。問題はない。得意分野」 「問題大有りっすよー!」 「大丈夫。嚥下する」 「そりゃもっと問題っすー!」 「大丈夫」 アウトゥムヌスは唇の端を綻ばせ、悪戯っぽく笑んだ。 「冗談」 「はあ…」 ヤブキは脱力し、肩を上下させた。 「ジョニー君」 アウトゥムヌスはヤブキにしがみつき、許しを乞うように声色を落とした。 「これからも、一緒に寝てもいい?」 「当たり前じゃないっすか。今はそれだけで充分なんす」 ヤブキはアウトゥムヌスを抱き寄せながら、笑った。 「オイラはむーちゃんと一緒にいられるだけで幸せなんす。だから、むーちゃんに痛い思いをさせてまで、自分だけ良くなろうとか思ったり出来ないんすよ。むーちゃんがオイラのために頑張ってくれるのは嬉しいし、可愛いって思うっすけど、その気持ちだけで充分なんす。だから、今日はもう寝るっす」 「解った」 アウトゥムヌスは頷き、目を閉じて顔を上げた。その意図を察したヤブキは、薄い唇にそっとマスクを押し当てた。 先程とは違い、力は入れていない。マスクを離すと、アウトゥムヌスは頬を染めたままヤブキの布団に横たわった。 ヤブキは部屋の明かりを消してから彼女に掛け布団を掛けてやり、自分はそのままの状態で布団に寝転がった。 実のところ、サイボーグなのだから掛け布団は必要ない。暗がりの中で、アウトゥムヌスの小さな吐息が聞こえる。 「ジョニー君」 部屋の暗さに合わせ、アウトゥムヌスが小声で呟いた。 「愛してる」 「宇宙一愛してるっすよ、むーちゃん」 ヤブキはアウトゥムヌスに寄り添い、彼女を守るように腕を回した。 「おやすみ」 腕の中で、彼女が力を抜いたのが解った。程なくして呼吸が弱くなり、アウトゥムヌスが寝入ったのだと知った。 暗視機能を用いて視覚を調節したヤブキは、安らかな寝顔のアウトゥムヌスを見つめ、その頬を柔らかく撫でた。 愛する者が傍にいるだけで、幸せだ。第二次元での記憶はかなり薄れたが、感情は心中に焼き付いている。 ヤブキを愛したが故にアウトゥムヌスは心身を傷付けられ、戦闘で体を失い、そして最後には殺されてしまった。 だが、この次元ではアウトゥムヌスが生きている。二度と辛い目に遭わないように、ちゃんと守ってやらなければ。 第五次元でのヤブキに出来ることはそれしかない。だが、それでいいのだ。それこそが、二人の望んだ未来だ。 そして、在るべき未来だ。 08 11/28 |