アステロイド家族




幸多き恋



 虚ろな心に、思いを重ねて。


 幼い頃から、人間らしくなかった。
 脳神経と理論中枢に改造を施された生体改造体として生を受け、能力に見合った英才教育を施されていた。
高度な演算能力を持った生体コンピューターを作り出すために、との名目で始められた、研究の一環であった。
いずれのコロニーに置いても珍しい研究ではなかったが、ウラヌスステーションでは特にこの研究が盛んだった。
天王星のコロニー、ウラヌスステーションは、宇宙進出当初は生殖機能が不安定だった新人類のプラントだった。
時代が進み、新人類の生殖機能も生体機能も安定してきたので、使用目的を研究目的に切り替えたのである。
旧人類との種族間戦争に勝利した新人類は、更なる発展と進化を求めており、広大な宇宙へ旅立ち続けている。
故に、生体改造体の研究は欠かすことは出来ず、周囲の人間や研究員も実験体として生まれ落ちた人間だった。
 理論中枢に手を加えられたせいなのか、それとも生まれ持った性格なのか、感情の起伏が極めて少なかった。
泣くこともなければ、笑うこともなく、怒ることもなかった。保育士は感情を引き出そうとしてくれたが、無駄だった。
皆が泣いていても、笑っていても、怒っていても、その理由が解らない。考えても、考えても、答えが出なかった。
日々与えられる難解な問題や理論はすぐに理解出来ても、感情を揺さぶらなければ解らないことが解らなかった。
だが、その感情がどこにあるのか解らなかった。脳のどの部分を働かせるのかは知っても、働かせられなかった。
揺さぶろうと思っても、掴み所がない。せめてもの社交辞令に表情を作ろうとしても、顔の筋肉が上手く動かない。
人工知能の方が余程人間らしいと言われ、自分でもそう思っていた。いつも、自分が人間なのか疑わしく思った。
 体を構成する物質が蛋白質であることが疎ましく、脳が電子回路でないことが訝しく、精神の意味が解らない。
戸籍上では人間であり、種族も新人類であると情報では知っていても、自分自身がそれを認識出来ていなかった。
 技術の進歩により、人格はプログラムで再現出来る。情報の積み重ねにより、心と呼べるプログラムも成せる。
クローン技術を用いれば、人間と呼べる個体は増産出来る。高度な知能を宿した、完全な脳も作ることが出来る。
そして、心と呼ぶべき精神構造も造り出せる。だが、どれほど経験を得ようとも自分の内に心は生まれなかった。
 同年代の人間が溢れる中高一貫のスクールに通い、更に大学に通い、知識を深める最中に他人とも交流した。
だが、心の気配すら感じなかった。脳に蓄積したのは膨大な知識だけで、感情と呼べるものは得られなかった。
物好きにも交流を持ってくれた者達は、冷淡な性格の人間なのだと思ったらしく、深く追求してくることはなかった。
彼らが割り切る様を見て、初めて割り切ることが出来たので、自分自身でもそういう人間なのだと思うことにした。
 それが、サチコ・パーカーという女なのだと。




 そんな自分が、なぜこんなことをしているのだろう。
 鏡に映る無表情な女は、化粧を施していた。視力を補うためのメガネも、次元探査航行前に新調したものだ。
何度も鏡を見、チークや口紅の色を確かめてしまう。大して変わり映えのない服を並べ、着こなしを考えてしまう。
仕事で使う部分とは全く違う部分を使って考えているからか、いつもの頭痛とは違った重みが脳に蓄積していた。
化粧も服もこれでいいのだと判断しても、判断した傍から違うのではないかと思ってしまって、また確認してしまう。
それを、何十回と繰り返していた。仕事であれば即決出来るというのに、自分のこととなると上手く出来なかった。
 そして、いざ現場に訪れても確信を得られなかった。ショーウィンドウに映る自分を横目で見ては、俯いていた。
前髪を整えてみたり、襟元を整えてみたり、ハンドバッグを持ち替えてみたりと、どうでもいいことが気に掛かった。
何度も何度も広場の大時計を見上げてしまうが、その度に早く来すぎたのだと思い、何度となく自己嫌悪に陥る。
マサヨシとの約束の時間は、まだ先だ。彼がいつ来てもいいように、と早く出たが、やはり一時間前は早すぎた。
おかげで、かれこれ四十分以上突っ立っている。どこかに座りたいと思うが、動いたら擦れ違いそうで怖かった。
 次元探査船ウィンクルム号の船長であるマサヨシは、定期補給による全面休暇に入っても、仕事が残っている。
それはサチコも同じだが、マサヨシは別格だ。搭乗員全ての命を背負っているのだから、責任の大きさが違った。
そんな彼の時間を割いてしまうのは、誤りなのではないか。今からでも船に戻り、自分も仕事に戻るべきなのでは。

「サチコ!」

 名を呼ばれて顔を上げると、マサヨシが駆け寄ってきた。軍用ジャケットとジーンズという、ラフなスタイルだった。
足元も使い込まれた軍用ブーツで上着の下に武装もしているようだが、軍服でないというだけで大分印象が違う。
次元探査船船長であり、二十三歳にして少佐にまで昇進した軍人だけあって、その身のこなしに隙はなかった。
勤務中は軍帽に隠されている髪も外に出されており、明るい茶色の髪は柔らかな人工日光を浴びて輝いていた。
責任重大な任務から解放されているからか、眼差しは柔らかくなっており、年相応の快活な表情を浮かべていた。

「俺も早く出たつもりだったんだが、君の方が早かったんだな。待ったか?」

「いえ、別に。船長をお待たせするわけにはいきませんので」

 サチコが頭を下げようとすると、マサヨシはその肩を押さえた。

「デートの最中は、俺も君も上下関係はない。昨日の夜も、そう言ったはずじゃないか」

「ですが」

「それと、そろそろ敬語はやめてくれないか? ついでに、名前で呼んでくれと言ったはずだが」

「その判断は早計だと思いますが」

「まあ、無理にとは言わないさ」

 マサヨシは、サチコに手を差し伸べてきた。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

 サチコは彼の大きな手に手を差し伸べたが、躊躇い、下げてしまった。触れようとしても、なぜか手が止まった。
そっと目を上げると、マサヨシは少し寂しげな顔をしたが、すぐにその表情を打ち消して先程と同じ調子で言った。

「映画は俺の趣味で選んだから、君にとって面白いものかどうかは解らんがな」

 マサヨシは歩調を緩め、歩き出した。サチコも彼の後に続き、歩き出したが、数十センチの間隔を空けていた。
相手は上官であり、船長だ。一研究員に過ぎず、軍人でもないのだから、肩を並べて歩けるような立場ではない。
彼は上下関係を忘れろと言ったが、割り切れなかった。男女関係と言うには浅すぎるから、というせいもあった。
 一ヶ月前の自分の行動は、我ながら異常だった。だが、マサヨシに対して好意を抱いたのは紛れもない事実だ。
前回の定期補給の休暇中に、いつもの偏頭痛で身動きが取れずにいたサチコをマサヨシは気に掛けてくれた。
サチコの頭痛は、今に始まったことではない。物心付いた頃から、脳に疲労を感じると鈍い痛みが起きていた。
慣れ切っているので、最早辛いという思いはなかった。ああまたか、と頭の片隅で思って眠り込むだけだからだ。
鎮痛剤を服用して一眠りすれば、治る程度のものだ。脳を改造された生体改造体なら、誰でも持っている持病だ。
ルームメイトも、当初はサチコの頭痛を心配してくれたが、それが何度となく起きるとうんざりしてしまったらしい。
今となっては頭痛で寝込んでいても言葉を掛ける程度で、マサヨシのように身の回りの世話はしてくれなかった。
むしろ、それが普通なのだ。だが、マサヨシは、あの後も船内で顔を合わせるたびに心配する言葉を掛けてきた。
それが社交辞令であることぐらいは、理解していた。だが、それが何度も続くと、次第に彼が気に掛かってきた。
顔を合わせれば短く言葉を交わし、視界に入れば目で追いかけ、そうでない時は頭の片隅にちらついてしまった。
それが煩わしくて、彼の存在自体が疎ましくなる時すらあった。だが、彼を思い返すたびに胸の奥が鋭く痛んだ。
 それがどういうものなのか、情報としては知っていた。だが、我が身に降りかかることはないのだと思っていた。
万が一そうなったとしても、一時の気の迷いに過ぎないと切り捨てられると考えていたが、上手くいかなかった。
忘れようとすればより強く思い出され、目を逸らそうとしても首が勝手に動き、用事がなくても声を掛けてしまった。
このままではいけない、振り切るべきだ、忘れるべきだ、と思ってももう一人の自分が正反対の意見を挙げてくる。
感情に溺れ、恋の海に没しろと。感情に流された判断を下すことなど、今まで考えたこともなかったというのに。
だが、恋を自覚してしまうと、もうどうにも出来なかった。気が狂いかけねないほど悩んだ末、報告することにした。
マサヨシから突っぱねられれば割り切れる、この曖昧で厄介な感情の乱れも終わらせられる、と思ったからだ。
しかし、そうはいかなかった。マサヨシはサチコの無機質な告白を受け止めたばかりか、好きだと言ってきたのだ。
彼から思いを寄せられることなど、完全に想定外だった。その日と翌日のことは、頭が浮ついていて覚えていない。
 けれど、時間が経つに連れて不安に駆られた。マサヨシは、部下への義理で告白を受けてくれただけなのでは。
もしくは、サチコをからかっているのではないのか。人当たりが良い青年だが、秀でた人間ほど内面は解らない。
いきなりデートの約束をしたのも、定期補給休暇の間だけの連れ合いが欲しいだけなのでは、と邪推してしまう。

「サチコ」

 また名を呼ばれて意識を戻すと、マサヨシはサチコを見下ろしていた。

「今日の君は、特に綺麗だな」

「そうでしょうか」

 サチコは目を伏せ、語気を弱めた。精一杯デートらしい格好をしてきたが、自分ではとてもそうは思えなかった。
制服以外の服もタイトスカートやシンプルなブラウスばかりだが、航行前に珍しく買ったフレアスカートを着てみた。
ブラウスも柔らかなラインのスカートに合わせた淡いピンクで、襟元にはネクタイ代わりのスカーフを結んでいた。
パンプスも仕事と変わらぬヒールの低さで、デザインだけで機能性の薄いミュールやハイヒールは持っていない。
アクセサリーも一つも持っていないのでネックレスはおろかイヤリングすらも付けておらず、飾り気は全くなかった。
美しさなら、擦れ違う女性達の方が余程上だ。派手な服を身に付け、肌を露わにし、至るところを飾り立てている。
声を上げて明るく笑い、友人や恋人達とじゃれ合っている。だが、サチコにはそんなものは何一つ備わっていない。
無機質な女の、どこが綺麗なのだ。サチコは先程感じた懐疑心と純粋な嬉しさの間に挟まれ、足元を見つめた。
 それきり、喉が詰まってしまったかのように喋れなかった。




 デートは、至って普通のものだった。
 太陽系での公開に合わせて全コロニー全移民宇宙船で公開された新作のSF映画を、一緒に観るだけだった。
その映画はマサヨシが学生時代に填った宇宙戦記シリーズで、今作で五作目となりストーリーも大分進んでいた。
このシリーズはウィンクルム号の映写室で何度となく上映されているので、誰かの趣味だとは薄々感じ取っていた。
案の定、船長であるマサヨシの趣味だった。幸い、このシリーズは非常に人気があるので、文句は出なかったが。
サチコも二人の友人達に付き合わされる形で映写室で四作目までを観たが、確かに面白いと思える内容だった。
ストーリーは単純そうで複雑で、伏線もさりげなく織り込まれ、作中に登場する様々な空想兵器も魅力的だった。
 シネマシアターのシアタールームに入り、指定された座席に並んで座った後、マサヨシは熱っぽく映画を語った。
いかにストーリーが力強いか、キャラクターが魅力的か、空想兵器が面白いのか、少年のような顔をして話した。
サチコはその内容は今一つ解らなかったものの、マサヨシのあまりの力の入りように、つい聞き入ってしまった。
ホログラフィーペーパーのパンフレットを片手にひとしきり語り終えた後、マサヨシはふと我に返り、苦笑いした。

「前々から楽しみだったんだが、楽しみにしすぎたみたいだ。俺の話なんか、君には退屈だっただろう」

「いえ、お気になさらず」

「あまり気を遣わないでくれ。余計に自分が情けなくなる」

 サチコの淡々とした答えに、マサヨシはますますばつが悪くなった。

「映画が終わったら、次は君の行きたいところに行こう。そうでないと、割が合わない」

「船長の御判断にお任せします」

 サチコは抑揚なく返し、上映を待つホログラフィースクリーンを見つめた。

「だが、このコロニーに来たのは君も初めてだろう? 行きたいところぐらいありそうなものだが」

「特にありません。必要物資は補給されますし、私物を増やしてしまえば、それだけ船の燃料消費量を増やしてしまいますので」

「しかし、君の分の個人物資重量はまだ大分余っていたぞ。それぐらい、大した問題にはならんさ」

「個人個人の微々たる負担も、積もり積もれば船を傾けてしまいかねません。これも航海の安全のためです。航行前に船長から釘を刺されましたので、それを忘れるわけにはいかないのです」

「あれとこれとは違うだろう」

「どこにも違いなどありません。一船員としての立場を弁えているだけです」

「今も、か?」

「はい」

「なぜそう思う?」

 シアタールームのライトが落とされ、ホログラフィースクリーンに映像が投影されると、マサヨシも声を落とした。

「今の俺は、階級章も付けていなければ軍服も着ていない。ジャケットの下には熱線銃を差してあるが、それ以外はどこにでもいる若造だ。正直、ずっと船長のままでいると息が詰まっちまうんだよ。映画が楽しみでどうしようもなかったってのも本当だが、君を誘う口実がほしかったってのもあるんだ」

「ここに至るまでの道中で、お解り頂けたはずです。私など誘っても、何も面白いことはありません」

「だが、先に告白してきたのは君だろう?」

「はい。ですが、あれは報告に過ぎません。それ以上でもそれ以下でもありません」

「だから、言うだけ言って、やることだけやって、早く終わりにしたかったのか?」

「はい」

 サチコも、声を抑えて答えた。ホログラフィースクリーンでは、映画の配給会社と制作会社のロゴが踊っていた。

「それが一番効率的だと判断したからです」

「俺はそうは思わない」

 マサヨシは盛大な音楽と共に始まったオープニングから目を外し、暗がりに沈むサチコの横顔を見やった。

「俺は君を知りたいんだ。だから、デートに誘ったんだ」

 サチコは映画を注視するマサヨシの横顔を見上げたが、掛けるべき言葉が思い付かずに、また黙り込んだ。
知りたい気持ちはあるが、それを伝えていいのか解らない。知りたいと思っても、何から知るべきかが解らない。
性格か、趣味か、それとも全く別のことか。履歴書に記載されていない情報を得るために、何をするべきなのかも。
先程もそうだった。触れたいと思っていたが、いざ手を伸ばされると、自分が触れるべきなのかが解らなくなった。
マサヨシの手が握り締めるのに相応しいのは操縦桿であり、自分如きの手ではない。そんなことも思ってしまう。
 そして、二時間半にも及ぶ映画が始まった。映像は凄まじい迫力で、ストーリーは前作の伏線を生かしていた。
マサヨシは数分もしないうちに映画に没入してしまい、瞬きすらせずにホログラフィースクリーンを見つめていた。
だが、サチコにはほとんど頭に入ってこなかった。目と耳では認識しているのだが、全く理解出来ていなかった。
マサヨシのことが気掛かりで、先程の言葉に対する答えを考えることに忙しかったため、余裕がなかったせいだ。
普段なら、そんなことはない。自分から進んで映画を観ることはないが、誰かに付き合う時はきちんと付き合う。
それが相手に対する礼儀だからだ。けれど、ホログラフィースクリーンに気を向けても、視線は彼に向いていた。
結局、映画を観た気がまるでしないまま終わってしまい、気が付いたら黒い背景にエンドロールが流れていた。
 シアタールームに明るさが戻り、他の観客達がざわめきながら立ち上がり、感想を言い合いながら出ていった。
マサヨシは体を伸ばしてから、満足げな声を漏らした。サチコは彼の様子を窺いながら、何を言うべきか考えた。
だが、やはり何も出てこなかった。座席に体を沈めたまま、マサヨシから声を掛けられるのを待つしかなかった。
すると、膝の上に置いていた手に熱いものが被さった。驚いて顔を上げると、マサヨシがサチコの手を握っていた。

「あの、なんでしょうか」

 思い掛けないことにサチコが戸惑うと、マサヨシは気まずげにその手を離した。

「すまん」

 マサヨシはサチコの手に重ねた右手を下げ、顔を逸らした。

「驚かせるつもりはなかったんだが…本気で映画に没頭しちまって機会を逃したというかで…」

「いえ、私は…」

 サチコはマサヨシの手の感触の残る左手に、右手を被せた。伸ばした手を握れなかったのは、自分のせいだ。
どうすべきか、適切な答えを用意していなかったからなのだ。サチコは居たたまれなくなり、顔を伏せてしまった。

「大体順番がおかしいんだ、順番が」

 マサヨシは自虐的に口元を歪め、あらぬ方向に吐き捨てた。

「いくら君からあんなことを言われて舞い上がっちまったとはいえ、最初にあれはないだろう」

「あ…」

 サチコは、思わず唇を押さえてしまった。報告という名の告白をした直後、マサヨシからの強引にキスをされた。
彼もそれを思い出しているらしく、赤面している。マサヨシは後悔を吐き出すように深く息を吐くと、肩を落とした。

「本当に、悪かった」

「いえ」

 サチコは肩を縮め、細い声で答えた。

「気にしておりませんから」

「次にする時は、ちゃんと手順を踏むと約束する。そうでないと、気が済まない」

「手順とは、何ですか?」

「そうだな…」

 マサヨシは考えあぐねてから、躊躇いがちに手を伸ばしてきた。

「まず、手を繋ごう」

「はい」

 サチコは勇気を出して、その手を取った。マサヨシはサチコの手の冷たさを感じ取ったのか、一瞬力が抜けた。
だが、すぐに強く握り締めてきた。手のひらを包む指は太く、骨張っていて、パイロット特有の硬さも持っていた。
その途端に、何かが解けるような感覚に襲われた。ずっと封じ込めていたものが、外れ、緩み、心中に広がった。
マサヨシの体温を感じると、泣き出したいほどの安心感と共に理解した。なぜ、マサヨシに心を奪われたのかを。
 人間であることを、思い出させてくれるからだ。







08 12/7