アステロイド家族




マイ・ディア・プリンセス



 虚ろな女と、無垢なる娘と。


 予想通りの報告だった。
 ジェニファーはコンソールの上にだらしなく足を投げ出して、セバスチャンが並べていく情報の羅列を眺めた。
次元断裂現象の余波は、銀河全体に広がっている。今回の取引先もまた、その影響をもろに受けてしまった。
ジェニファーが貨物を運ぶはずだったコロニーは、次元断裂現象の影響によって空間が裂けた宙域にあった。
宇宙船や移民船とは違い、構造上高速航行が出来ないコロニーは、非常事態でも逃げることが出来なかった。
そのため、次元断裂現象によって空間ごと断ち切られてしまったコロニーは爆砕し、居住者も全滅してしまった。
セバスチャンが銀河中に張り巡らされたネットワークを使って情報を集め、報告してくれたが、悲惨極まりない。
モニターに表示されたほぼリアルタイムのコロニー付近の映像の中では、大量のスクラップだけが散乱していた。
宇宙連邦政府の調査艇が、サンプルや死者の遺体を回収しているが、その作業だけでも大分掛かりそうだった。
だが、その宙域に赴くのは自殺行為だ。被害調査のために、付近には星間捜査官も彷徨いているに違いない。
ただでさえ良からぬものを運んでいる商売なのだから、下手なことをして、うっかり逮捕されてしまうのはごめんだ。
幸い、代金は先払いだったので赤字ではないが、厄介な貨物の引き取り手がいなくなったのは困ったことだった。

「どうすりゃいいのよ、あの貨物」

 ジェニファーは失恋記念に短く切ったブロンドの髪をいじりながら、操縦席にもたれかかった。

「ねぇセバスチャン、何か良いアイディアない?」

〈恒星への廃棄が最も良策かと思われます、マスター〉

 ジェニファーの背後に、船内作業用ロボットに意識を宿したナビゲートコンピューター、セバスチャンが立った。
ダークグレーを基調とした落ち着いた配色の外装に、両腕には武装を施し、腕力も通常よりも強化されている。
左側頭部にはナイフのように鋭利なアンテナが伸び、ディープレッドのバイザーが特徴的なマスクフェイスだ。
船内作業用とは名ばかりで、要するに近接戦闘用だが、彼の性格上その用途で使われたことは数えるほどだ。
従順で有能な執事をイメージして性格を設定した上、感情プログラムを全く改造していないので起伏が少ない。
そのため、セバスチャンはナビゲートコンピューターの本分を越えた行動を取ることはなく、命令に従うままだ。
コンピューターらしくて扱いやすいのだが、近頃は自我に目覚め始めたのか、人間臭い言葉を言うようになった。

〈今回、マスターが請け負った貨物の配送元は、輸入販売卸売業者とは名ばかりの犯罪組織でございます〉

 セバスチャンが太い指をモニターに差し伸べると、映像が切り替わった。

〈その犯罪組織が販売している品物は、規定を大幅に越える改造が施された違法兵器、統一政府の条例によって輸入禁止されている危険度の高いエネルギー物質などがございますが、最も多いのが生物でございます〉

 モニターに並ぶ武器の映像に更に映像が重なり、緑色の生体培養液が満ちたポッドが映し出された。

〈それらの生物が純粋な研究目的で売買されることは希にございますが、八割は〉

「人身売買ってんでしょ。ありがちよ」

 ジェニファーは後頭部の後ろで手を組み、コンソールの上の足も組んだ。

「私の乗ってた海賊船にもいたもの、そういう人間とか異星人。売られたら最後、買い取られた相手に死ぬまでこき使われるか、セクサロイド扱いされるかのどっちかなのよね。太陽系は他の星系から大分離れているせいで、宇宙連邦政府の力がそんなに及ばないもんだから、人身売買の温床になってんのよね。星間捜査官でも何でも派遣して、いい加減に取り締まってほしいわよ」

〈カモだと判断なさらないのですか〉

「そりゃ普通の貨物だったら喜び勇んで仕事を取りに行くけど、生身の人間じゃあね」

 後味悪いわ、とジェニファーは口元を歪めたが、身を起こした。

「だから、その貨物を検めるしかないわね。生身の人間が入っていたら、むやみに捨てられないもの」

〈ですが、マスター〉

「荷を解くのは契約違反ってんでしょ? でも、受け取り先が吹っ飛んだんじゃ、契約もクソもないわよ」

〈ないのでございますか〉

「ないのよ」

 ジェニファーがコクピットから出ると、セバスチャンもそれに続いた。

〈では、第七格納庫の隔壁を解除し、空気の充填を開始いたします〉

「そうしといて。宇宙服着るの、面倒なのよ」

 ジェニファーは一礼したセバスチャンに手を振ってから、壁に設置されたハンドルを握り、壁伝いに移動した。
輸送戦艦ダンディライオン号は、それでなくても巨大な戦艦だ。ブロックとブロックを移動するだけでも一苦労だ。
全ての通路の壁に設置されているムービングハンドルがなければ、とてもじゃないが面倒臭くて移動したくない。
若い頃はこの巨大さに力強さを感じていたが、それなりに年齢を重ねた今となっては逆に鬱陶しくなってしまった。
頃合いを見計らってもう少し小さい輸送戦艦に乗り変えるか、などと思いながら、第七格納庫を目指していった。
背後からは、スラスターを使用して飛行するセバスチャンが付いてきていたが、途中でジェニファーを追い越した。
 程なくして、第七格納庫に繋がる隔壁が現れた。セバスチャンは隔壁の前に着地すると、そのロックを解除した。
分厚い隔壁の内側でシリンダーが滑り、鈍い音を立てながら開いていき、充填された新鮮な空気が流れてきた。
宇宙空間にも等しい暗さの室内にライトが灯り、目を刺した。ジェニファーも足を床に着けると、その中に入った。
第七格納庫は船腹左後部に位置し、貨物運搬用にしか使っていないので、空のコンテナが積み上がっていた。
全てのコンテナの通し番号と位置を記憶しているセバスチャンは、淀みない足取りでコンテナの間を進んでいく。
ジェニファーも彼の後に続き、ビンディングで床に固定されたコンテナの間を抜け、厄介な貨物の前に辿り着いた。
 DIANA−05−50。コンテナの側面に貼り付けられたステッカーには、女性名と共に番号が走り書きされていた。
その名が何を意味しているのか、つい先程までのジェニファーにはどうでもいいことだったが、今はそうではない。
恐らく、このコンテナで眠る個体の名だろう。ジェニファーはセバスチャンに命じて、コンテナの扉を開けさせた。
 軋みながら開いた金属の扉の奥には、ずらりとポッドが並んでいた。そのどれもが、緑色の液体に満ちている。
ジェニファーは生理的嫌悪感に苛まれながらも、足を進めた。薄暗いコンテナに滑り込んだ空気は、生温かった。
五十基のポッドが整然と並んでおり、コンテナの中央に屹立する生命維持装置に全てのケーブルが接続していた。
ジェニファーはケーブルに足を引っかけないようにしながら、コンテナに詰め込まれた五十基のポッドを見回した。
メロンジュースのような澄み切った緑色の液体は、不純物が一切混じっておらず、時折気泡が浮かぶ程度だった。
中に入る個体に繋がれるためのケーブルがポッドの後部から何本も生え、漂うことすらなく、だらりと落ちていた。
だが、それが繋がれているはずの相手はおらず、ケーブルの先端の端子に貼り付いた気泡が割れ、散っていた。
生命維持装置の低温保存用冷却装置が低く唸りを上げる中、ジェニファーはこの状況の異常さに戸惑っていた。

「ねえ、セバスチャン」

 ジェニファーが呟くと、すかさず彼は近付いてきた。

〈なんでございましょう、マスター〉

「なんでこれ、全部空なの?」

 ジェニファーは両手を広げ、コンテナの三方向の壁を埋め尽くすポッドを示した。

「だって、生体培養液は全部に入っているのに、肝心の中身がいないじゃない」

〈ですが、内蔵されていた個体がポッドから出た形跡も記録もございません〉

「まさか、最初から空だったってことはないとは思うけど…」

 ジェニファーはポッドの一つに触れてみたが、その冷たさに驚いてすぐに手を引き、ズボンに擦り付けて拭った。
貨物の内容が正しければ、ポッドの中に人間か異星人がいるはずだが、これでは単なる器と内容液でしかない。
ジェニファーは内心で安堵しつつ、目を動かした。すると、奥まった場所のポッドに小さな影があるのを見つけた。

「…げ」

 ジェニファーが声を潰すと、セバスチャンは足早に近付き、ポッドに印された番号を読み上げた。

〈DIANA−05−45、とありますが〉

「なんで一人だけいるのよー…」

 うんざりしながら、ジェニファーはそのポッドに近付いて覗き込んだ。緑色の液体に、幼い少女が沈んでいた。
薄い瞼は閉ざされ、黒髪が揺らいでいる。鼻と口にはチューブが差し込まれ、何かの薬液を流し込まれている。
頸椎にはケーブルが接続され、脳神経と直結している。生体改造体か、或いは実験用に作られたクローンか。
顔立ちはあどけなく、目鼻立ちははっきりしているが彫りは浅めで、いわゆるアジア系の血を持つ人種だと解る。
手足も短く、頭身も低く、見たところ五歳程度だろう。全裸の肢体は幼すぎて、肉の下の骨格は小枝よりも細い。

「どうしよう?」

 ジェニファーがセバスチャンに振り向くと、セバスチャンは平坦に答えた。

〈統一政府に引き渡すべきかと思われます〉

「それが道理よね」

 ジェニファーが頷くと、セバスチャンは胸に手を当てて一礼した。

〈では、その対処を行うための手筈を〉

 と、言い終えたセバスチャンが顔を上げた直後、船体が突然揺らいだ。コンテナが傾き、ポッドが複数落下した。
パネルが砕けて生体培養液が飛び散り、コンテナの床を濡らす。ジェニファーは舌打ちしながら、姿勢を支えた。

「セバスチャン!」

〈報告いたします。五万二千三百八メートル先の宙域にて、小規模な次元震が発生いたしました〉

「船の損傷は?」

〈左舷が十二度ほど沈みましたが、問題はございません。姿勢制御を行い、水平状態を取り戻します〉

「何よもう、驚かせないでよね」

 嘆息しながらジェニファーが振り向くと、先程の衝撃で落下したポッドが十数個床に転がり、全て破損していた。
その一つに、中身が入っていた。パネルが割れた隙間から生体培養液が零れ、頸椎のケーブルが外れていた。
鼻と口に差し込まれていたチューブも抜け落ち、だらしなく開いた口元からは、流し込まれていた液体が溢れた。
既に半分ほどの生体培養液が抜けたポッドの中に倒れた少女は、濡れた睫毛を震わせると、重たく瞼を開いた。
虚ろな眼差しを受けてジェニファーが身動ぐと、少女は咳き込んで液体を吐き出してから、小さな手を伸ばした。
薄い唇を歪めて言葉のそれに似た掠れた吐息を零したが、声にはならず、少女はその場に崩れ落ちてしまった。

「何、何なのよ」

 ジェニファーが頬を引きつらせると、セバスチャンが少女を見下ろし、報告した。

〈生命活動は確認されますが、呼吸も弱く、体温も平均値よりも低下しております。適切な処置を施しませんと〉

「死ぬって言いたいわけ?」

〈ご明察でございます、マスター〉

「でも…」

 ジェニファーは渋りつつ、従者から少女へと視線を戻した。緑色の液体にまみれた幼い体は、冷え切っている。
カーブしたパネルの内側に残った生体培養液に手足は没し、顔は半分だけ出ていたが、呼吸は浅く、弱かった。
体内を満たしていた液体が溢れ、鼻と口から垂れている。このまま放っておけば、窒息してしまう危険性もあった。
だが、素性の解らない輩に深入りすればどうなるか。今までは、深入りしなかったからやってこれたようなものだ。
助けるのは簡単だが、その後が面倒だ。ジェニファーが思い悩んでいると、少女は薄い背を丸めて咳き込んだ。
吐瀉物混じりの嗚咽は哀れなほど幼く、弱々しい。ジェニファーは引き締めていた唇を緩めると、少女に近付いた。

「解ったわよ、助けりゃいいんでしょうが」

 ジェニファーは生命維持装置を操作し、少女のポッドのパネルを開くと、床に倒れ込んだ少女を抱き上げた。

「んじゃ、とっととメディカルシステムを起動させなさい。でも、その前にシャワー使うわよ。まずはこのベタベタをどうにかしないと、始まるものも始まらないわよ」

〈了解しました、マスター〉

 セバスチャンは一礼し、コンテナを出たジェニファーの後に続いた。

「ああもう、やんなっちゃう」

 第七格納庫を出たジェニファーは少女を片腕に抱いてから、ムービングハンドルを倒し、居住区へと移動した。
少女は片腕に収まるほど小さく、体から伝い落ちた生体培養液が手と服に貼り付いて、不快感で眉根を歪めた。
複数の通路を経由し、もうしばらくでシャワールームのある居住区へ辿り着くというところで少女が咳き込んだ。

「え、あっ」

 ジェニファーが慌てて止まると、少女は背を曲げてしゃがみ込み、胃の中の生体培養液を吐き出し始めた。

「ああもう…どんどん船内が汚れていくじゃない…」

 辟易しながらも、ジェニファーは少女の背をさすってやった。

「げ、ぐぇ…」

 少女は背を丸めて呻き、涙を滲ませた。黒髪からは緑色の液体が滴り落ち、通路の床に雫が散らばった。

「ほら、出すだけ出しなさい。こうなったらもう、どうしようもないわね」

 ジェニファーは少女が吐き出した吐瀉物の量に顔をしかめつつ、背をさすってやる手は止めなかった。

「うぶっ」

 少女は口元を押さえたが、指の隙間から出た液体の量は今までで最も多く、ジェニファーの膝までも汚した。
この小さな体のどこに入っていたのか、と思うほどの生体培養液が床に広がり、弱重力のために雫が浮かんだ。
だが、吐き出すだけ吐き出したので却って落ち着いてきたのか、呼吸も穏やかになって目の焦点も定まってきた。
少女は顔を上げると、ようやくジェニファーが傍にいることに気付いた、と言わんばかりの表情で見つめてきた。

「おにい…ちゃん…?」

「誰がお兄ちゃんよ。私はどう見たって女でしょうが」

 ジェニファーが苦笑すると、少女は不思議そうに瞬きした。

「おにいちゃん?」

「だーから、私のどこがお兄ちゃんなのよ」

「おにいちゃん、おにいちゃん!」

 少女は途端に顔を歪めると、座り込み、泣き出してしまった。

「あのねぇ…」

 ジェニファーは辟易してしまい、所在なく髪を掻き乱した。いくら呼んでも、そのお兄ちゃんとやらは現れない。
現在、ダンディライオン号が航行しているのは銀河系内周部の宙域で、例のコロニーとも太陽系からも遠い。
少女の呼ぶお兄ちゃんとやらは、恐らく、少女の入ったコンテナを発送した太陽系内のどこかにいるのだろう。
だが、今はどうすることも出来ない。とにかく、少女の体を綺麗にしてやらなければ何も始めることが出来ない。
ぎゃあぎゃあと泣き喚く少女を抱き上げ、ジェニファーは再びハンドルを倒すと、居住区へ向けて進んでいった。
 なんとも、面倒なことになったものだ。







08 12/11