アステロイド家族




マイ・ディア・プリンセス



 翌日。ダンディライオン号は、木星のエウロパステーションに到着した。
 エウロパステーションのメインブロックに、名実共に太陽系の中枢である、統一政府中央庁舎がそびえていた。
コロニーを満たす人工日光を浴び、ミラーガラスが煌めいている。ビルというよりも、オブジェと称するべき形状だ。
太陽系の星々を表現している九つの球体が流線形のタワーを取り巻いていて、星の巡りに合わせて動いていた。
 ジェニファーは少女の小さな手を握り締めて、全長五百メートル以上もの規模を誇る巨大な建造物を見上げた。
傍らには、スパイマシンに意識を宿したセバスチャンが浮いている。彼の趣味が反映された、正方形の立方体だ。
少女は、エウロパステーションのショッピングモールでジェニファーが買い付けた子供服一式を着せられていた。
チェック柄のワンピースにスニーカーを履き、黒髪にもキャラクターの飾りの付いたヘアゴムを結んでやってある。
 喋らせなければ、どこにでもいるごく普通の幼児だ。だが、ここに到着するまでの間、何度も少女は駆け出した。
当然、情報端末も持っていなければ市民IDも持っていないので、万が一迷子になってしまえば見つけられない。
なので、ジェニファーとセバスチャンは少女を追いかけるのだが、少女は追いかけっこだと思ってしまったらしい。
追えば追うほどに逃げられ、やっと捕まえてもまたすぐに逃げられてしまうので、久し振りに全力疾走してしまった。
だが、それを何度も繰り返すうちに少女も疲れたらしく、逃げ足も遅くなったので、ようやく連れてくることが出来た。
 汗まみれのジェニファーは肩で息をしていたが、反対にけろっとしている少女を見下ろし、深くため息を吐いた。
頭から罵倒してやりたい気分だったが、そんな余力は残っていなかった。それでなくても、振り回されているのだ。
昨日今日と相手をしただけで、心身が消耗してしまった。セバスチャンはジェニファーの肩に止まり、主を労った。

〈お疲れ様です、マスター〉

「もう、やってらんないわよ…」

 ジェニファーは足を引き摺りながら、庁舎の正面ゲートに向かった。

「ほら、行くわよ」

 ジェニファーが手を引こうとすると、少女は足を踏ん張り、首を横に振った。

「なんで!」

「なんでって、そりゃ」

 ジェニファーは少女の手を離すと、膝を付いて目線を合わせた。

「この人達に預かってもらわないと、あんたはまともな大人になれないからよ。私みたいにね」

「なんで!」

 少女は青い瞳を潤ませ、ぎゅっとスカートを握り締めた。

「そりゃ、あんたのためだからよ」

 ジェニファーが少女の手を取ろうとすると、少女はジェニファーの手を振り払った。

「なんで!」

「我が侭言わないの! 聞き分けなさい!」

 ジェニファーが強引に細い腕を取り上げると、少女は膝を折り、泣き出した。

「やーあーぁー!」

 ジェニファーは少女に立たせようとしたが、気付いた。きっと、訳が解らないなりに異変を感じ取っているのだ。
少女が体中で喚き散らしている泣き声には、今までとは違った感情が込められ、切なげで、苦しげでもあった。
言葉にならない言葉を吐いて、黒髪を振り乱して、短い手足に力を入れて、幼いなりに現状に抗おうとしている。
 その様に、ジェニファーは自分を重ねずにはいられなかった。軍に保護された後、政府によって養子に出された。
そこから先の十年間は、思い出すだけで吐き気が込み上げる。子供らしさだけを求められ、人格は無視された。
皆が皆、そんな大人だとは限らない。だが、一度でもそういった人間を見知ってしまうと、信じられるわけがない。
それは、ジェニファー自身が大人と呼ばれる年齢になっても変わらず、今でも親と呼ばれる存在は好かなかった。
かといって、ジェニファーが親になどなれるわけがない。子供は好きではないし、何より育てられる自信がない。
だから、少女は統一政府に任せた方が余程良い。それ以外の選択肢はないのだと、少女を引く腕に力を込めた。

「あー、うー、あー!」

 少女は全力で足を踏ん張ると、ジェニファーの袖を引っ張ってきた。

「やー!」

「いい加減にしなさいよね!」

 ジェニファーは袖を掴む手を振り払うと、大きな声に驚いた少女はびくんと肩を震わせた。

「あ…」

「私はね、あんたのことを思ってやってんのよ! どうしてそれが解らないの!」

 これまでに感じた生温い感情を振り払うため、ジェニファーは力一杯叫び散らした。

「やーあー!」

 少女は涙を散らしながら、負けじと声を張った。

「私は、あんたになんか相応しくないのよ! あんたには、私みたいになってほしくないのよ!」

 呼吸を荒げたジェニファーは、いつのまにか目元に滲み出していた体液を拭い去った。

「ただ、それだけのことなのよ!」

 自分は、幸せにはなれない。宇宙海賊の子として生まれ、世間に馴染めず、偽りの愛情を受け流せなかった。
寂しさに負けて、男に執着して生臭い情念を押し付けてしまったが、結局死んだ女に勝てずに終わってしまった。
人並みの幸せなど、最初から求める方が間違っている。そもそも、自分自身の幸せの感覚がずれているのだ。
過去に求めては失ったものは、自分にとって都合の良い幸せだけだった。金も、力も、男も、何もかもがそうだ。
他人のことを思おうとしても、配慮出来る余裕がない。子供の頃から、上っ面ばかりの関係で生きてきたからだ。
宇宙海賊船で育てられていた頃も、義理の両親に引き取られた後も、運び屋としての人生も、一歩引いていた。
心の底から信頼出来る相手もいなければ、信じたいと思う相手もおらず、愛したいと思った男も愛し抜けなかった。
そんな自分に、少女に頼られる資格はない。増して、育てるなど言語道断だ。自分のように、虚ろな人間になる。

「お願いだから、離れてよ!」

 ジェニファーは少女に背を向け、肩を怒らせた。

「これ以上私に付きまとうんだったら、引っぱたくわよ!」

「あ…うぅ…」

 少女は何か言いたげに口を動かしていたが、言葉が出てこないため、ただ開閉するだけだった。

「せー、ちゃー」

 少女はジェニファーの傍らに浮かぶ、セバスチャンのスパイマシンへ手を伸ばした。

〈何か御用ですか、お嬢様〉

 セバスチャンが少女に近付くと、少女は正方形のスパイマシンを両手で掴み、顔を寄せてきた。

「なんで?」

〈マスターが怒られている理由でございますか〉

「うー」

 少女が頷くと、セバスチャンは立方体の一面に填められたレンズを動かし、主に定めた。

〈マスターは、お嬢様に真人間に育って頂きたいのでしょう。下僕である私が言うのもなんですが、マスターは真っ当な立場の人間ではございません。ですから、マスターはお嬢様にはごく普通の家庭の養子となり、ごく普通の子供として教育を受け、ごく普通の人間に育って頂きたいと思っておられるのでしょう〉

「なんで?」

〈私の記録している二十三年分のメモリーを分析しましても、マスターは真っ当ではない人生を選んだが故に、様々な苦労を重ねてまいりました。マスターは、そんな人生にお嬢様を巻き込みたくないのでございます。ですから、お嬢様。どうぞ、マスターの御意志を汲んで、統一政府中央庁舎へとお入り下さいませ〉

 セバスチャンの平坦な解説が終わると、少女はむくれ、セバスチャンを放り投げた。

「やー!」

 地面に叩き付けられる寸前で浮遊を取り戻したセバスチャンは、緩やかに少女との距離を開いた。

〈ですが、お嬢様〉

「やー!」

 少女はジェニファーに歩み寄ると、小さな両手を目一杯伸ばしてきた。

「うー」

 ジェニファーは唇を噛み締めながら、目を上げた。少女は危なっかしい足取りで近付くと、再度声を上げた。

「あー!」

 抱っこして、というところだろう。ジェニファーが視線を彷徨わせていると、中央庁舎の衛兵が異変を察してきた。
ビルの大きさに比例して巨大な門の左右を固めていた兵士が、もう一人の兵士に断りを入れてから近付いてきた。
足早に駆け寄ってきた兵士に、少女は怯えて後退った。ジェニファーも表情を固めると、その兵士と向き直った。
熱線小銃を肩に掛けた衛兵はまだ若く、あどけなさすら残る顔立ちで、少女を認めるとほんの少し目元を緩めた。
だが、ジェニファーに向いた視線には、警戒心が見て取れた。最初から、二人が親子ではないと解っている顔だ。

「失礼ですが、その子は」

 兵士がジェニファーに問おうとすると、少女は急にジェニファーの陰に隠れ、歯を剥いた。

「やー!」

「この子はね」

 ジェニファーが事の次第を話そうとすると、少女はジェニファーのズボンを握り締め、引きつった叫びを上げた。

「おにいちゃん!」

「お姉ちゃんの間違いではないのですか?」

 兵士が苦笑すると、少女は首を横に振った。

「おにいちゃん! おにいちゃん!」

 ズボンの生地が伸びるほど強く握った少女の手からは、緊張と恐怖による汗が滲み、声も上擦って掠れていた。
ジェニファーの足にしがみつき、背中を引きつらせてしゃくり上げている。突然現れた兵士が、余程怖いのだろう。
不安に凝り固まっているせいか、腕も強張っている。ジェニファーの足に顔を埋め、兵士の目から逃れようとする。
ジェニファーは少し迷ったが、その頭に手を載せた。すると、少女は腕に込めていた力を抜いて、ため息を吐いた。
撫でてやると握り締めていた指の力も抜け、悲鳴ではない緩んだ声が漏れ、ジェニファーも頬を僅かに緩めた。
少女はジェニファーの手の下から顔を上げると、涙に濡れた目でジェニファーを見上げて、口を懸命に動かした。

「う、あぉ」

「あんた、そんなに私が気に入ったの?」

 ジェニファーが若干戸惑いながら尋ねると、少女は満面の笑みを返した。

「はい!」

 思惑も劣情もない、真っ向からの肯定だった。ひたすらに明るく、ジェニファーに対する好意だけの言葉だった。
何の期待もせずにぶつけてみた質問だったが、思いがけず返ってきた答えはストレートで、それ故に胸を刺した。
少女はあれほど兵士に怯えていたのに、ジェニファーが触れてやった途端に、何もかも引っ込んでしまっている。
それほど信頼されているのだ、と悟ったジェニファーは、それを喜ぶよりも先に苦みを伴う躊躇いが胸に迫った。
信頼されても、応えられる自信はない。だが、少女はにこにこ笑っていて、ジェニファーの次の言葉を待っている。
丸っこい目は糸のように細められ、口角は最大限に上げられ、体も預けていて、少女は全身で好意を示していた。
それを見ていると、ジェニファーも自然と頬が緩んできた。誰かに笑顔を向けられるのも、久し振りのことだった。

「仕方ないわね」

 ジェニファーはため息に見せかけた笑いを零し、少女の頭を軽く押さえた。

「ね、あんた。養子縁組の手続きって、どこの部署で扱っているか教えてくれる?」

 兵士に問うと、兵士はまだ不可解そうな顔をしていたが、義務的に答えた。

「十五階にありますが。ですが、その前に、あなたとその子の関係を教えて頂けませんか」

「私はまあ、広義に言えば傭兵よ。でもってこの子は、私のお姫様よ」

 ジェニファーは少女を抱き上げると、セバスチャンを伴い、歩き出した。

「じゃあね、衛兵さん。しっかり警備してなさいよね」

 門を通り抜ける際、もう一人の兵士が疑念の混じった目を向けてきたが、それを無視してジェニファーは歩いた。
腕の中の少女はジェニファーの胸に顔を埋め、甘えた声を出している。抱っこしてもらったから、喜んでいるのだ。
背中を撫でてやると、声の甘ったるさが増した。目を閉じて、体の力を抜き、頬を思い切り持ち上げて笑っている。
その表情を見ていると、今し方まで張っていた意地が穏やかに溶けていき、ジェニファーは思わず目元を拭った。
 少女の表情を見て、今更ながら理解した。義理の両親と親子になろうとしなかったのは、自分の方だったのだ。
義理の両親は手を尽くしてジェニファーを愛そうとしてくれたのだが、ジェニファーはそれを最初から拒絶していた。
注がれる感情すらも拒絶してしまっては、自分を理解してもらえるはずもなく、相手を理解出来るわけがないのだ。
だから、何度となく擦れ違った挙げ句、二人から向けられるぎこちない愛情が煩わしくて二人を嫌悪してしまった。
受け止める余裕がなかった、というのは言い訳だ。きっと自分は、義理の両親に気を許すのが怖かったのだろう。
宇宙海賊船とは全く違う世界に放り込まれ、様々な人間にいじくり回されたため、自分を守るのに精一杯だった。
だが、どこかで気を許せば良かったのだ。しかし、一度もそれが出来ないまま成長し、誰も信じられなくなっていた。
だから、マサヨシに対しても心を開くことが出来ず、死んだ女に対しての嫉妬でしか自分を突き動かせなかった。
 寂しいのも、信じられないのも、信じないのも、誰のせいでもない。自分が信じようとしないから、信じられない。
少女に好かれていると思えなかったのも、そのせいだ。自信が持てないから、自分すらも信じられなかったのだ。
 庁舎に入ってリニアエレベーターに乗ったジェニファーは、少女を下ろし、その目元に滲んだ涙を拭ってやった。
少女はむず痒そうにしたが、お返しにとジェニファーにも触れてきたので、ジェニファーは思わず顔を綻ばせた。
二人を見下ろすセバスチャンは立方体のスパイマシンをくるりと回転させ、彼なりに二人の関係の進展を喜んだ。
 人工の空から注ぐ日差しは、いつになく優しかった。




 それから、二週間後。
 ジェニファーはダンディライオン号のコクピットに戻ると、パンプスを脱ぎ捨てた足をコンソールに投げ出した。
襟元まできちんと留めていたボタンもすぐに外し、ジャケットも床に投げ捨て、凝り固まった首をぐるりと回した。
スーツを着るのは、何年振りだろう。肌に貼り付くストッキングが煩わしく、いつもと違う化粧の匂いが鼻に突く。
面接前にヘアサロンで整えてもらった髪を乱暴に掻き乱し、肺に充満する空気を入れ換えるように深呼吸する。
物音がしたので振り返ると、船内作業用ロボットに意識を宿しているセバスチャンが、ジャケットを拾っていた。

〈お疲れ様でした、マスター〉

「本気で疲れたわよ、もう…」

 ジェニファーはタイトスカートを腰まで引っ張り上げ、ストッキングを脱ぐと、セバスチャンへ投げ捨てた。

「養子縁組って、なんでこんなにめんどいわけ? こんなことなら、適当に裏から手を回せば良かったわ」

〈ですが、お嬢様に偽造ではない戸籍を与えることを選択されたのは〉

「そりゃ私だけどさ」

 ジェニファーはタイトスカートのホックも外すと、下半身から引き抜き、これもまた投げ捨てた。

「でも、これでようやく面接は終わったわ。後は私の最終審査だけね」

〈大いに不安がございます〉

「はっきり言わないでくれる? 自覚してる分、傷付くんだけど」

〈申し訳ございません〉

 セバスチャンが一礼すると、コクピットの扉が開くと同時に少女が駆け込んできた。

「おかーしゃーん!」

「良い子にしてた、ダイアナ?」

 ブラウス一枚のジェニファーが立ち上がり、すぐさま近寄ると、少女は頷いた。

「うん! おえかき!」

〈本日のお嬢様の作品は、リビングルームの壁一面にございます〉

「素直に落書きされたって言いなさいよね」

「おかーしゃーん」

 少女、ダイアナはジェニファーに縋り付き、頭を擦り寄せてきた。ジェニファーは笑みを零し、娘を抱き上げた。
ダイアナという名は、コンテナに付けられていた名称だ。それ以外に何も思い付かなかった、とも言えるのだが。
実験体と思しき少女であろうとも、生身の人間だ。ジェニファーが引き取るためには、手順を踏む必要があった。
それでなくても真っ当でない仕事をしている女であり、いい歳だが未婚で、子育てどころか産んだことすらない。
行政が簡単に許可をするわけもなく、審査に次ぐ審査と面接に次ぐ面接を重ね、ようやく三次面接に漕ぎ着けた。
裏から手を回すことも出来ないこともないのだが、そうしてしまうと、ダイアナの新品の経歴に最初から傷が付く。
どうせなら、とことん真っ当にやりたい。後ろめたいことがあっては、胸を張って母親だと名乗れなくなってしまう。
 いい加減な世界に身を浸して生きていた者にとっては、行政の人間が相手というだけで息苦しくなってしまった。
保護者としての適正を調べるための面接だけでなく、その前の事務手続きで既にうんざりしていたが、頑張った。
ここで頑張らなければ、ダイアナは娘にはならない。娘にすると決めたのは、他でもない自分自身なのだから。
挫けそうになる時も、自分の社会的立場の弱さに打ちのめされる時もあったが、ダイアナの存在に励まされた。
精神的に疲弊してダンディライオン号に帰ると、ダイアナは真っ先に出迎えてくれ、おかーしゃんと呼んできた。
ジェニファーが留守の間、セバスチャンが言葉を教えてやったおかげで、単語程度なら話せるようになっていた。
表情も徐々に増え、ますます可愛らしくなった。ジェニファーにまとわりついて、おかーしゃんと繰り返し呼んだ。
ダイアナから母親だと認められたというだけで、ジェニファーは嬉しくてたまらず、また明日も頑張ろうと思えた。
食事を摂る時も、眠る時も、ダイアナは傍にいてくれた。滅多なことがない限り、ジェニファーから離れなかった。
今までは欠片も感じたことのなかった母性も湧き上がり、何が何でもダイアナを守り、育ててやろうと胸に誓った。

「おかーしゃーん」

 ダイアナにしがみつかれ、ジェニファーは笑った。

「はいはい、ちゃんとここにいるわよ」

「せばしゃーん」

 ダイアナがセバスチャンに手を伸ばすと、セバスチャンは頷いてみせた。

〈私もここにおります、お嬢様〉

「だいやなー」

 最後に、ダイアナは自分の顔を両手で押さえた。

「それがどうかしたの?」

 ジェニファーが娘と顔を見合わせると、ダイアナは両の頬を押さえて笑った。

「だいやな、みんな、らいしゅきー」

 舌っ足らずな愛情表現に、ジェニファーは目を細めた。

「私もあなたが大好きよ、お姫様」

 こんなに短くて簡単な言葉が、なぜ今まで誰にも言えなかったのだろう。義理の両親にも、マサヨシにさえも。
言えなかったから、気持ちが淀んで言葉が煮詰まり、感情が生臭くなった。押し込めれば、好意も濁ってしまう。
 抱き付いてきたダイアナの頬にキスを落とし、ついでに二人の元に近付いてきたセバスチャンにもキスをした。
ダイアナはきゃあきゃあとはしゃいだが、セバスチャンは訳も解らずに硬直し、二人の反応は大きく違っていた。
その様がなんとなく可笑しくて、ジェニファーも笑い転げた。ジェニファーが笑うと、ダイアナはますます笑った。
セバスチャンは笑うことすら出来ずに突っ立っていて、主の唇が触れたマスクを確かめるように指先でなぞった。
コクピットに不釣り合いな幼い声は反響し、ジェニファー自身の声も反響し、耳どころか体中に広がっていった。
こんなに笑うのも、久し振りだった。それが酒よりも何よりも気持ち良くて、ジェニファーは涙すら出そうになった。
 もう、寂しさは感じなかった。







08 12/13