アステロイド家族




ハート・イン・ザ・ヒート



 内に秘めたる、激情は。


 二本の操縦桿は、大きすぎて握りきれなかった。
 体を預ける操縦席も大きく、背もたれに身を沈めれば膝が届かず、背を外せば首がベルトで締まってしまう。
両足を差し込んでいるペダルも大きく、踏み込んでも力が存分に入らず、体を固定するベルトも余ってしまう。
ある程度調整してきたが、まだまだ改善するべき点は多い。それでなくても、この体にはあらゆるものが大きい。
中でも、機動歩兵は特に大きかった。体格の大きいマサヨシに合わせたのだから、当然と言えば当然だった。
 アエスタスは両手に握り締めた操縦桿のボタンを押し、モニターに現れるレスポンス状態を確認していった。
右手の親指、人差し指、中指に触れるボタンを押さえ込めば、HAL2号の右腕が稼働し、銃撃と斬撃を行う。
薬指、小指に触れるボタンを押さえ込めば、右足が稼働し、スラスターが開き、膝が曲がり、足首が曲がる。
左の操縦桿も、同じようにボタンコンフィギュレーションされているが、いずれもマサヨシのセッティングだった。
これでは、子供の手では上手く操縦出来ない。マサヨシの腕では行えた精密射撃も、アエスタスには無理だ。
機動歩兵の射撃は、スペースファイターよりも難しい。機動歩兵はその汎用性に反比例して、安定に欠ける。
それはどの機体にも言えることであり、HAL2号も同じだった。だからこそ、戦闘訓練を重ねなければならない。
マサヨシのクセやタイミングが染み付いてしまった内蔵コンピューターも、最初から再教育しなければならない。
そのためにも、まずは操縦席のセッティングを行わなければならないのだが、改造出来る箇所は限られている。
 出来る限り修正しなければ、全力で戦えない。ため息を吐いたアエスタスは、ベルトを外して、ハッチを開いた。
すると、コクピットの目の前にマスクフェイスが現れた。思い掛けないことに、アエスタスは反射的に身を引いた。

「…あ」

「よう、大佐どの」

 イグニスはコクピットのハッチが開ききると、アエスタスを覗き込んできた。

「コクピットのセッティングは順調か?」

「いや、まだです」

 アエスタスは気を取り直し、コクピットから身を出した。イグニスの手が差し出されたので、その上に乗る。

「根本的に、私の身長が足りないんです。こうなる前であれば、父上のセッティングのままでも良かったのですが」

「ま、そればっかりはな」

 イグニスは右手を挙げ、アエスタスを左肩の上に座らせた。

「なんだったら、明日の模擬戦闘訓練は来週に延期したってもいいんだぜ。お前の気が済むまで、HAL2号を徹底的に改造してからの方がいいんじゃねぇか?」

「一度約束したことを撤回出来ません」

「だが、手加減はしないぜ?」

「本気で戦い合ってこそ、強くなれるのです。手加減などされたら、あなたと戦う意味がありません」

「言ってくれるじゃねぇか。つくづく、お前が機械生命体じゃねぇのが残念だぜ」

 イグニスは冗談めかしていたが、本気とも取れる口調だったので、アエスタスはどう返すべきか迷ってしまった。
だが、結局返す言葉が全く思い付かなかったので、アエスタスはイグニスとの会話を続けることが出来なかった。
イグニスは格納庫とコロニー内部を繋ぐエレベーターに向けて歩き出したので、アエスタスに彼の震動が伝わる。
機械生命体の肩の上から見下ろした光景はいつもより高く、機動歩兵のコクピットとはまた違った開放感がある。
エレベーターに乗り、降下を始めて数十秒後に内部に到着すると、アエスタスは歩き出したイグニスを見上げた。
イグニスに声を掛けようとしたが躊躇い、飲み込んだ。彼へ伸ばしかけた手も下げてしまい、アエスタスは俯いた。

「ん、ああ」

 イグニスはアエスタスの視線に気付くと、少女を肩から降ろした。

「悪いな、気付くのが遅れて」

「いや…私は…」

 再び子供の視界に戻されたアエスタスは、イグニスを仰ぎ見た。次の言葉を口にする前に、内部へと到着した。
イグニスがエレベーターから出たので、アエスタスもそれに続かざるを得ず、歩き出してエレベーターを後にした。
それを悔しく思いながら、アエスタスはエレベーターの出入り口付近に置いておいたエアボードを起こし、乗った。
巨大な卵形のコロニーは、最長部分は五十キロもある。そのため、自宅とカタパルトまでの距離も離れている。
走れる距離だが、子供の体では肝心の訓練の前に息が上がってしまうので、不本意ながらも機械に頼っている。
月に一度家族全員で木星圏に外出するのだが、その際にマサヨシから買ってもらった遊技用エアボードだった。
姉や妹達は女の子らしいものを要求していたが、アエスタスには、服やアクセサリーが必要だとは思えなかった。
だが、何も買ってもらわないとマサヨシに気が引けてしまうので、なんとなく欲しかったエアボードにしたのである。
 アエスタスは地面を蹴り、加速させた。エアボードは、地面からはせいぜい十五センチ程度しか浮き上がらない。
薄っぺらい板には反重力装置は搭載出来ないので、物質反発作用のある特殊な樹脂塗料が塗布されている。
全長一メートル弱のボードの簡単な加速装置も後部に付いているが、所詮は玩具なので大した速度は出ない。
店頭には女児用のピンクのボードもあったが、アエスタスが心惹かれたのは男児用の鮮烈な赤のボードだった。
 コロニーには初夏が訪れ、加速に応じて肌を舐める風は生温く、春先とは違う湿気も徐々に帯び始めていた。
轟音と烈風で速度を緩めると、スラスターを開いて加速したイグニスが頭上を飛び去り、一足先に家を目指した。
アエスタスも最加速し、イグニスを追ったが、すぐに引き離された。彼に追いつけることは、日常生活では皆無だ。
 唇を引き締めたアエスタスは、スラスターのボタンをかかとで叩き込んで作動させると、背後で雑草が散った。
途端にエアボードは勢いを増し、アエスタスは腰を落として体重を載せると、カーブを付けながら家路を辿った。
 その頃には、イグニスは既にガレージに到着していた。




 HAL2号は、アエスタス専用機である。
 あの出来事の後、軍に復帰して教官となったマサヨシは傭兵稼業を辞め、HAL号も単なる自家用機になった。
マサヨシが訓練を付ける相手はスペースファイターのパイロットが専門であり、他の二人も同じようなものだった。
場合によっては機動歩兵を使用した訓練も行うことはあるが、マサヨシ自身が搭乗して操縦することは少ない。
マサヨシは元々機動歩兵乗りではないし、HAL2号は傭兵稼業の最中に必要だったから入手された機体なのだ。
ヤブキはアウトゥムヌスからプレゼントされた可変型機動歩兵、インテゲル号を所有しているが滅多に乗らない。
それ以前に、ヤブキは絶望的に戦闘兵器の操縦が下手なので、インテゲル号ですら操縦させることは恐ろしい。
イグニスやトニルトスも帰宅している時ぐらいは仕事を忘れたいらしく、マサヨシとの訓練を行うことはあまりない。
 そういった様々な要因が重なって、HAL2号は格納庫の肥やしとなっていたので、アエスタスが名乗りを上げた。
他に機動歩兵を扱える者もおらず、異論も出なかったので、そのままHAL2号の名義もアエスタスに変更された。
カタパルト内に設置されているシミュレーターも、機動歩兵ではマサヨシに追い付かんばかりの好成績を収めた。
だが、最大の問題が体格だった。こればかりは、どれほど訓練を重ねても、すぐに解決する問題ではなかった。
 アエスタスが風呂から上がると、既に姉妹達はリビングにはおらず、ミイムもヤブキも自室に戻ったようだった。
アエスタスはバスタオルで髪を拭いながら、キッチンに入り、冷蔵庫からオレンジジュースのボトルを取り出した。
それを飲んでいると、足音がした。それに気付いて振り返ると、着替えを抱えたマサヨシがリビングに入ってきた。

「お姉様方は?」

 アエスタスが父親を見上げると、マサヨシはアエスタスに近付いてきた。

「皆、先に寝たよ。アウトゥムヌスはまた夜這いしているかもしれないがな」

「そうですか」

 アエスタスは空になったコップをシンクに置き、父親を見上げた。

「HAL2号、どこか異常はないか? 軍に復帰してからは、まともにいじってやれていないから心配でな」

「どこにも問題はありません。ですが、強いて上げるなら両肩関節のクッションが摩耗しています」

 アエスタスが整然と答えると、マサヨシは射撃の手真似をした。

「ああ、そりゃきっと射撃訓練の名残だな。機動歩兵の感覚を忘れちまうと後で面倒だから、たまに小惑星を狙って訓練していたんだよ。自分で心配だと思った部品は、片っ端から交換しておけ。少しでも不安があると、操縦に支障を来しちまうからな。スペアの在庫は格納庫に山ほど積んであるから、気を遣わなくてもいい。あいつはお前のものなんだからな、存分に可愛がってやれ」

「ありがとうございます、父上」

 条件反射で敬礼しそうになったアエスタスは、寸前で手を止めた。その様に、マサヨシは笑う。

「相変わらずだな、大佐」

「すみません。お姉様や妹達が相手であれば、出ないのですが」

 アエスタスが顔を伏せると、マサヨシはアエスタスと視線を合わせてきた。

「お前のやりたいようにやればいい。何をしようが、何を求めようが、全てはお前の自由なんだ」

「ありがとうございます、父上。お姉様方は私の訓練にあまり良い顔をしないので、そう言って頂けると嬉しいです」

「まあ、それは仕方ないさ」

 マサヨシはアエスタスをリビングに促してソファーに座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。

「皆、それぞれに価値観がある。アエスタスが良いと思ってしていることでも、皆にとってはそうは見えないことも多いんだ。お前がヒエムスのひらひらした格好を好きになれないのと一緒だ」

「そうですね。簡潔で的確です」

 間近に感じる父親の気配にアエスタスは子供心が揺さぶられたが、喉まで出かけた言葉を飲み込んでしまった。
いつもであれば、自分よりも先に姉や妹達が父親に近付いているので、こんなに近付けることは滅多にないのだ。
近付けたとしても、自己アピールの激しいヒエムスや最も父親を慕っているウェールに早々に奪い去られてしまう。
だが、父親にべったりと甘えてしまうのは気恥ずかしいと思ってしまい、アエスタスは何も言えずに前を見つめた。

「そのままだと、頭、冷えるぞ」

 マサヨシの手が被ったままのバスタオルを押さえてきたので、アエスタスは動揺した。

「ええ、ああっ、申し訳ありません!」

「俺に謝ってどうする」

 ドライヤー持ってきてやる、とマサヨシが立ち上がり、アエスタスが止める間もなく洗面所から持ってきてくれた。
差し出されたドライヤーを受け取ったアエスタスは、バスタオルを外し、やたらとぎこちない手付きで乾かし始めた。
いきなり撫でられて嬉しいやら恥ずかしいやらで、正直困っていた。ある程度乾かして止めると、また撫でられた。

「後ろがまだ濡れてるぞ。貸してみろ、乾かしてやる」

 マサヨシが熱を持ったドライヤーを取ろうとしたので、アエスタスは慌てて身を引いた。

「いえっ、お構いなくっ!」

 自分でも驚くほど裏返った声が出てしまい、更に動揺したアエスタスが俯くと、マサヨシは笑い出した。

「今更何を意識しているんだ、お前は」

「いや、その…」

 ばつが悪くなったアエスタスが口籠もると、マサヨシはアエスタスを抱き寄せ、膝の上に載せてきた。

「いつもはすぐに逃げられちまうからな、可愛がろうにも可愛がれないんだよ」

 アエスタスの頭上で、マサヨシは破顔する。 

「はあ…」

 アエスタスは様々な感情が入り乱れた末に、固まってしまった。父親の膝の上に座ることなど、初めてだった。
いつもはウェールに占領されているし、自分から率先して近付こうと思ったことはないわけではないが勇気がない。
四姉妹の中でマサヨシを好いていない者はいないが、恐らくマサヨシへの執着はアエスタスが最も強いのだろう。
ウェールのように付きまとって、アウトゥムヌスのように実直に感情を示し、ヒエムスのように甘えられないせいだ。
だから、いつもいつも感情だけが蓄積していく。次の週の休みこそ、とは思うが、果たせないまま一週間が過ぎる。
それが何度も積み重なった挙げ句に、言葉にしなくても、行動に移さないままでも良いのでは、と思うようになった。
自分の性格だと割り切ってしまえばどうにでもなる、と。だが、そこはやはり子供なので我慢しきれなかったらしい。
そうでもなければ、HAL2号を要求したりしない。あれが、現時点でアエスタスが実行出来る精一杯の甘えだった。

「アエスタスは俺に良く似ているよ」

 マサヨシはソファーに体を預け、膝の上に載せた次女を抱き寄せた。

「顔もそうだが、性分もだな。俺も子供の頃は、機動歩兵の方が好きだったんだ」

「そうなのですか?」

 顔を上げてアエスタスが聞き返すと、マサヨシは次女の生乾きの髪に指を通した。

「そうだ。俺が子供の頃は、可変型機動歩兵が実用化されたばかりでな。ほら、変形ロボットって言うのは、旧時代の頃から空想兵器としてあらゆる創作物に登場していたが、なかなか開発が上手くいかなかったんだ。変形機構に重点を置けば機動力が落ちる、機動力に重点を置けば可動範囲が狭まる、性能に重点を置けば脆くなる、っていう複雑極まりないマシンだったから、ある程度の段階まで開発されるんだが頓挫してばかりだったんだ。だが、三十年くらい前にようやく実用化されるようになって、実戦への投入が可能になったんだ。デリケートすぎる兵器は戦場にはナンセンスだっていう意見は今も出ているが、俺は好きなんだ。素直に格好良いじゃないか、人型兵器は」

「とすると、イグニスを回収して仲間にしたのは、その辺りのこともあったからなのですか?」

「ないと言えば嘘になる」

「では、なぜスペースファイターに転向されたのですか?」

「その辺りもまた単純なんだ。機動歩兵よりも、数段得意だったからだ」

「ストレートですね」

「だから言っただろう、単純だと」

 マサヨシは自分の手よりも二回りほど小さいアエスタスの手を取り、握った。

「お前は凄いよ、アエスタス。俺がお前と同じ歳の時は、シミュレーターの操縦桿だって上手く操れなかったんだ」

「数年ですが、この次元での従軍経験がありますので、精神体に感覚が染み付いているだけです」

 アエスタスは控えめに力を込め、父親の手を握り返した。

「明日は思い切り暴れてこい、アエスタス」

 マサヨシはアエスタスの手を離し、成長途中の華奢な肩を叩いた。

「だが、絶対にやりすぎるな。いくら機動歩兵の設定を変えてあるとはいえ、あれの操縦には成人の腕力が必要だ。肩が外れでもしたら、変なクセが付いちまうからな。それと、接近戦に持ち込むのは止めておいた方が良い。HAL2号の装備出来る武装じゃ、持久戦も難しい。スピードで翻弄するか、テクニックで撃ち落とすか、そのどちらかだ」

「善処します」

「それはそれとして、アエスタス」

「なんでしょうか」

「俺が風呂から上がるまで待っていてくれないか。今日は一緒に寝ようじゃないか」

 にやけたマサヨシに、アエスタスはぎょっとした。無論、嬉しすぎたからだ。

「は、へあ!」

「ついでに、超合金シリーズも出そう。久々にいじりたくなったんだ」

「で、では、建造されて配備されたはいいが色々と効率が悪すぎて訓練以外での可変は行っていない超巨大可変型機動歩兵、オケアヌス号の初回限定シルバーコーティングバージョンも出すのですね!」

 アエスタスが身を乗り出して目を輝かせると、マサヨシはその額を小突いた。

「俺がいない間に勝手にクローゼットを開けたな? あれは積んであるんだから、まだ触るなと言っただろう」

「すみません…我慢出来なくて…。でも、開封はしていませんから…」

 アエスタスが肩を縮めると、マサヨシは口元を上向けた。

「その辺は信頼しているさ、アエスタスだからな。さあて、今日はどっちが友軍だ?」

「前回は私が敵軍でしたので、今日こそは私が友軍です!」

「それじゃ、俺は風呂の中でじっくり戦略を練るとするかな」

 楽しみにしておけよ、とマサヨシはアエスタスを膝の上から降ろすと、着替えを抱えてリビングから出ていった。
一人、リビングに残されたアエスタスは、マサヨシの手の感触が残る頭を押さえながら、笑いを噛み殺していた。
マサヨシと超合金フィギュアの機動歩兵で遊ぶのはこれが初めてではないが、この時ばかりは父親を独占出来る。
他の三人にはマサヨシの機動歩兵への情熱が理解出来ないらしく、超合金フィギュアには取り合おうともしない。
 どんな機動歩兵を使って、どんな戦略を練って、どんな軍備にして、どんな戦況にして、どんな展開にしようか。
それを考えるだけで、鼓動が高鳴り、高揚する。いつもいつもやり込められているから、今日こそやり返さなくては。
マサヨシの采配はその性格が顕著に反映されていて、あまり派手さはないものの、確実に旗艦に攻め込んでくる。
対するアエスタスは、火力ばかりを重視しすぎて船足の遅い艦隊を組んでしまうことが多く、撃墜されてばかりだ。
要するに、機動歩兵や軍艦の超合金フィギュアを使った将棋である。今のところ、マサヨシが全戦勝利している。
今日こそは、と決意を固めつつ、アエスタスは敵軍が所有している兵器と軍艦の装備を思い出し、戦略を練った。
 マサヨシが風呂から上がるまでは、まだ時間がある。







08 12/17