アステロイド家族




ハート・イン・ザ・ヒート



 翌日。アエスタスは、戦意が削がれていた。
 子供サイズのパイロットスーツに身を包んで、ガンマに手による整備が施された愛機を見上げたが、嘆息した。
それもこれも、昨夜行った超合金フィギュア将棋でマサヨシに全敗し、何度となく自軍が全滅してしまったからだ。
完璧だと思っていた戦略の穴を呆気なく見つけられ、裏を掻こうとしたらその裏を掻かれ、白兵戦ですら負けた。
今日の訓練の景気付けになればと張り切って戦ったのだが、逆にマサヨシに徹底的にやり込められてしまった。
 カタパルトに併設された格納庫では、HAL2号が待機している。両肩のクッションも、ちゃんと交換してもらった。
塗装は以前とほとんど変わらないが、機体の右肩には統一政府軍の大佐に似せたマーキングが施されている。
三本線にマークが一つ、だが、三本線の上に斜めのラインが一本書き加えられている。色も金ではなく赤である。
本来は星であるはずのマークも可愛らしいハートマークで、無骨な機体に少しばかり女の子らしさを加えている。
万が一軍用機と間違えられたら面倒だから、ということで、マーキングを施してくれたトニルトスによる配慮だった。

「あーちゃん、本気でやるつもり?」

 振り返ると、不安げなウェールが立っていた。妹達も、その傍に付いている。

「無謀」

 アウトゥムヌスが呟くと、ヒエムスは頬を張った。

「そうですわよ、アエスタスお姉様! 戦いなんて、お父様と小父様方にお任せしておけばよろしいんですわ!」

「使用する弾薬は双方ともマーカー弾だ。着弾時に多少の衝撃はあるが、実際のダメージは受けない」

 アエスタスはヘルメットをひっくり返し、内蔵されている吸排気パイプと給水パイプを点検した。

「イグニスは手練れだ。射撃も正確だ。操縦席を狙うことはない」

「うん、まあ、おじちゃんだからその辺は大丈夫だと思うけどさぁ」

 ウェールはアエスタスに近付くと、両肩をぽんぽんと叩いてきた。

「私が心配なのは、おじちゃんにボコられた後のあーちゃんなんだけど」

「は?」

 アエスタスが眉を曲げると、ヒエムスが擦り寄ってきた。

「なんだかんだ言って、アエスタスお姉様はプライドがお高いんですもの。それがベキッと行っちゃった後に、どうなっちゃうかは火を見るより明らかですわよ」

「きっと、泣く」

 アウトゥムヌスが至極真剣に言い切ったので、アエスタスは三女を見返した。

「それがどうした、挫折のない人生など有り得ない」

「とにかく頑張ってくるっすよ、あーちゃん」

 アエスタスに近付いてきたヤブキは、昨夜のマサヨシと同じように撫でてきた。

「無論です」

 アエスタスが敬礼すると、背後からミイムに抱き付かれ、頬摺りをされた。

「みゅっふーん、訓練が終わったらぁ、すぐにお昼ご飯ですぅー! 今日はぁ、あーちゃんが好きなシーフードピラフにぃ、トマトスープにぃ、クリームコロッケにぃ、デザートは抹茶プリンの黒蜜掛けですぅー!」

「似合ってるじゃないか、アエスタス」

 二人に続いてやってきたマサヨシは、膝を付き、アエスタスに目線を合わせてきた。

「何かあれば、HAL号ですぐに回収してやる。だから、何も不安に思うな。やるだけやってこい!」

「はい!」

 アエスタスはかかとを叩き合わせ、声を張った。

「おいおい、俺の方には何もなしかよ。冷てぇな、お前ら」

 もう一つの格納庫から出てきたイグニスは、右肩のリボルバーを回転させてから、銃身に固定させた。

「お前にとってはいつものことじゃないか」

 マサヨシは、相棒を見上げた。軍の訓練とは違い、私的な訓練なので、イグニスは外装は身に付けていない。
ファイヤーペイントが施された両腕両足も、体格の半分近くある巨大な銃身も、スラスターも、全てが露わだった。
軍の訓練では殺さざるを得ない速度も、機動力も、惜しみなく出せる。装備した弾薬は、やはりマーカー弾だが。

「私としては、この馬鹿にリミッターを装備しておきたいところなのだが」

 イグニスに続いて現れたトニルトスは、イグニスの後頭部を思い切り殴り付けた。

「馬鹿言え、んなことしちまったらアエスタスに悪いだろうが」

 イグニスは事も無げに顔を上げると、アエスタスを見下ろした。

「いくらちっこくたって、戦士は戦士なんだ。下手に手加減するのは、失礼千万ってもんだぜ」

「ありがとうございます」

 アエスタスは笑みを返してから、愛機に向き直った。

「HAL2、出る!」

 ヘルメットを被ってから駆け出したアエスタスは、跪いたHAL2号の胸部のコクピットに入ると、ハッチを閉めた。
ハッチ内部にシリンダーが差し込まれ、ロックされ、厳重に固定される。操縦桿を握ると、モニターに光が入った。
全面モニターなので、格納庫の光景がそっくり映し出され、操縦席だけが宙に浮いているような感覚に襲われる。
腹部の上でベルトがロックされ、長さが自動的に調節されたが、微調整のおかげで首が絞まることはなかった。
身を起こしたHAL2号はリニアカタパルトに移動し、足元から照射された磁力を帯びて柔らかく浮かび上がった。
HAL2号の次にはイグニスが待機し、その次にはマサヨシの乗るHAL号が待機し、彼らもまた磁力を帯びていた。
ガンマの正確無比なカウントダウンが終わると、加速による圧が機体と体に襲い掛かり、数秒後には射出された。
 スラスターを噴出し、姿勢を維持する。何度となく訓練したおかげで、操縦桿を操る手はごく自然に動いていた。
アエスタスを取り巻く全面モニターの光度が調節されると、複数のウィンドウが現れ、機体の状況を知らせてきた。
レーダー内にはHAL号とイグニスが捉えられ、どちらも背後に浮いているが、射出による加速を減速させていた。
アエスタスも機体の速度を緩めながら旋回し、二人に接近すると、既に開いていた通信回線を通じて声を掛けた。

「ファントム1、ファントム2へ。こちらHAL2、異常なし」

『こちらファントム1。ファントム2、HAL2へ。これより、訓練宙域へ先導する』

 HAL号は減速したかと思うと、機首を上げてHAL2号の頭上を飛び抜けていった。

『ファントム2より、HAL2へ!』

 イグニスは両足のスラスターを強めると、アエスタスに敬礼してみせてから、HAL号を追った。

『置いてけぼりにされたくなかったら、俺に追い付いてみな!』

「HAL2より、ファントム2へ!」

 アエスタスは操縦桿を倒し、両足のペダルを力強く踏み込むと、背面部のスラスターを一気に噴出させた。

「心配無用です!」

 急加速に伴い、全面モニターに映し出された小惑星の姿が伸び、星々の姿も伸び、僅かな重力が体を襲った。
肌をひりつかせる緊張感、神経をざわめかせる危機感、そして魂の底から湧き上がってくるこの上なく熱い興奮。
そのどれもが、心地良かった。体中を駆け巡る血の温度が上がり、胸が詰まり、笑みが顔中に広がっていった。
機体に掛かる圧と背面部の過熱が、直に肌に伝わってくる。機械生命体であった、第一次元の感覚が甦ってくる。
何の力も持たない新人類の子供として生きるうちに、記憶は薄れ、最早思い出すことも出来ないが、残滓はある。
記憶が薄らいでも、精神体にこびり付いた感情の揺らぎは消えない。身を焦がさんばかりの高揚も、その一つだ。
だが、その高揚に心を委ねてはいけない。精神が高ぶれば、一時的に感覚は上昇するが、注意力は散漫になる。
イグニスは数千万年の戦いを生き延びた猛者だ。生半可な気持ちで挑んでは、マーカー弾は掠りもしないだろう。
彼と戦うために、今日まで訓練を重ねてきた。時間も内容も何もかもが足りなかったが、戦わなければならない。
 自分自身のために。




 コロニーから五百キロ以上離れた宙域にて、模擬戦闘訓練は開始された。
 HAL号によるスタートコールを受けた後、アエスタス操るHAL2号とイグニスは同時に発進したが、離れていた。
手近な小惑星の影に自機を隠したアエスタスは、背部に装備していたライフルを手にし、レーダーを作動させた。
だが、彼の機影は捉えられなかった。センサーを切り替えてみるも、レーダー画面にはノイズが散って、映らない。
両者の条件を平等にするための、マサヨシの判断だった。どう考えても、イグニスの方に勝ち目があるからだった。
しかし、ジャミングを掛けてレーダーを使用不能状態に陥らせても、機械生命体の視力は常識外れの精度なのだ。
目視されてしまえば、それで終わりだ。かといって、移動しないわけにもいかない。すると、発砲反応を受信した。
内蔵コンピューターによるナビゲートに従って目を動かすと、小惑星の一つに真っ赤なマーカー弾が着弾していた。
拡大された映像により割り出された距離は、推定十五キロ先だが、イグニスが撃ってきたのは遙かに遠くだろう。
弾道を計算して、位置を特定しようとメインカメラを動かすも、HAL2号が顔を上げた瞬間には機影は飛び去った。
あっという間に射程外から離れ、アフターバーナーすら捉えられない。だが、このまま引き離されても負けてしまう。
 アエスタスはHAL2号の脚部を可変させ、スラスターを全開にし、どんどん遠ざかっていくイグニスを追い掛けた。
可変型機動歩兵には負けるが、マサヨシが使っていたというだけはあり、それなりに高出力で加速出来る機体だ。
いつでも発砲出来るようにライフルは両手に携え、イグニスの背を追うが、視界に入った途端に彼は急上昇した。

『せいぜい楽しもうじゃねぇか、アエスタス!』

 受信したイグニスの声は、遊びに興じる少年のように弾んでいた。

「ドッグファイトとは、あなたらしくありませんね!」

『昔はそうでもなかったが、今は気に入っちまったんだよ! 訓練生共を撃ち落とすのが楽しくってよ!』

「ぞっとしませんね」

 アエスタスはイグニスの軽口を受け流し、操縦に専念した。イグニスの加速は、トニルトスに比べて重たかった。
だが、その分、スピードに乗ってしまえば安定感がある。父親に寄れば、射撃による反動も少ないとのことだった。
身軽なトニルトスはパワードアーマーを身に纏っていても射撃の反動で少し軸がずれるそうだが、イグニスは違う。
どれほど連射しようと乱射しようと、全くずれない。地上に足を付けているのではと思うほど、荒い射撃にも耐える。
その上、一度照準に定めたらどこまでも追い縋る。右腕をリボルバーに改造した際に、射撃精度も上げたからだ。
ならば、負けずに追い縋るまでだ。今のアエスタスに出来る精一杯の対抗策は、それ以外には一つもなかった。
 HAL2号の操縦桿を軽く倒し、ボタンを複数同時に押すと、HAL2号は体の前に横たえていたライフルを構えた。
銃座を肩に据えてグリップを握り、スコープを連動させると、アエスタスの前にもホログラフィースコープが現れた。
ヘルメットの内側に表示されたそれに視線を据え、彼の背を追うが、視界に入れた瞬間にボタンを押し込んだ。
同時に、HAL2号が発砲する。ライフルからマーカー弾が五発放たれたが、皆、着弾せずに宇宙の闇へと消えた。
当然ながら、イグニスは被弾していない。恐らくイグニスは、HAL2号のライフルのぎりぎり射程外に出ているのだ。
ビームライフルが本来放つ光弾ならば勢いも衰えないが、マーカー弾にはそれなりの重量もあれば質量もある。
だから、撃った直後からスピードが落ちていく。イグニスはそれも踏まえて、当たりそうで当たらない場所にいる。
 だが、撃たなければ当たるものも当たらない。アエスタスは人差し指のボタンを押し込み、ライフルを連射した。
機体の前方が激しいマズルフラッシュに照らされ、一瞬にも満たない時間だが、全面モニターの一部が白化した。
即座にモニターが補正され、イグニスの機影が戻ったが、その背にはやはりマーカー弾の痕跡は付いていない。
追えば追うほど、距離が開く。アエスタスはペダルを踏み込んでスラスターを過熱させるが、こちらは限界が近い。
エネルギーゲージはグリーンゾーンだが、各部スラスターはひどく過熱していて、冷却が追い付いていなかった。
早く片を付けなければ、HAL2号は深刻なダメージを受ける。しかし、追い付けない。回り込んでも回り込まれる。
 不意に、イグニスの機影がロストした。アエスタスは速度を緩めないまま、しかし、己の視力の限りに彼を探した。
まばらに浮かぶ小惑星に目を配らせていると小惑星の一つが爆砕し、閃光を放ちながら岩石が吹き飛んできた。
回避行動を取るよりも先に、その小惑星を狙ってアエスタスは狙撃するが、飛来した巨大な岩石に気を取られた。
一瞬顔を上げた瞬間に、闇を掻き消した炎が蹴散らされ、それに勝る赤を身に纏った機械生命体が飛び出した。

『いーやっほううううううう!』

 愉悦の叫声を撒き散らしながら突っ込んできたイグニスは、岩石を易々と拳で破壊し、HAL2号に接近した。

「このっ!」

 アエスタスは迎撃するが、イグニスは難なく弾道から回避し、すぐさまHAL2号の懐に向かってきた。

『やっぱりこっちの方が性に合うぜ!』

 イグニスはHAL2号の手からライフルを蹴り飛ばし、更に肩を殴り付け、大きく仰け反らせた。

「ぐっ」

 アエスタスは姿勢制御を取り戻そうと操縦桿を起こしたが、立ち直った時には真紅の銃口が頭部に据えられた。

『射撃のセンスも悪くない、追尾もそれなりだ。だが、当たらなきゃ話にならねぇんだよ』

「まだだあぁっ!」

 アエスタスは操縦桿を捻って拳を繰り出すが、軽く弾かれた。

『往生際が悪いぜ、大佐』

 HAL2号の腕を押さえ込んだイグニスは、首を横に振った。

「まだ私は戦えます、だからもう一度!」

『意地になるな。無理な加速でHAL2に負荷が蓄積してるってのは、お前も解ってんだろうが』

「だが、私は!」

『強くなりてぇって気持ちは痛いほど解るし、才能があるのも認めるし、努力していることも知っている。だがな、アエスタス。まだ早すぎるんだよ。今だって、HAL2に振り回されちまってるじゃねぇか。俺を追い回すことは出来ても、追い付けなかったじゃねぇか』

 イグニスの声色は戦士のそれではなく、家族としてのそれだった。

『だから、アエスタス。今日のところは』

「嫌だ!」

 コクピットを震わせるほどの叫びを上げ、アエスタスは操縦桿を力一杯握り締めた。

「私は、あなたに勝たなければならないんだ! そうしなければ、私は、私は!」

 ヘルメットの内側に生温い水滴が衝突し、爆ぜる。吐き出す息が引きつり、喉が乾き、鼻の奥が鋭く痛んでくる。
ヘルメットを両手で押さえ、呼吸を落ち着けようと努力するが、肺に満ちていた空気が甲高い声になって出ていく。
肩が震え、視界がぐにゃりと歪む。泣いているのだ、と自覚した時には既に遅く、アエスタスは泣きじゃくっていた。
思い掛けないことにイグニスが狼狽えるのが解ったが、アエスタスは泣き止むことが出来ず、ひたすら泣いていた。
長女の言葉は本当だった。気を張り詰めているから、いざそれが切れてしまうと、歯止めが利かなくなってしまう。
 戦いたかったのは、勝ちたかったからだ。イグニスと戦い、彼に勝利すれば、きっと行動に移せると思っていた。
今の自分では、勝てるはずがないと解っていた。だが、真っ向から戦わなければ、戦わなければ、戦わなければ。
 いつまでも、何も言えない。





 


08 12/18