アステロイド家族




ハート・イン・ザ・ヒート



 数十回目の再生が終わった。
 全面モニターに映し出された戦闘記録は何度見ても結果は変わらず、見れば見るほど欠点を思い知ってしまう。
まず、初速が遅い。次に、照準固定までのラグが長い。その次に、機動力を生かすどころか殺す扱いをしている。
そのまた次に、アクションが大きすぎて機体のレスポンスを鈍らせている。その次の次に、致命的に訓練不足だ。
 つくづく、自分が嫌になる。だが、客観視して自分の弱点を見定めなければ、いつまでたっても強くなれないのだ。
目尻に張り付いた涙は乾き切って塩気だけが残っていたが、その上にまた滲みそうになってしまい、拭い去った。
パイロットスーツのアンダースーツに染み込んだ汗も冷え切り、重たく肌にまとわりつき、汗の匂いも鬱陶しかった。
だが、体を動かす余力がなかった。足元に転がっているヘルメットのシールドの内側には、涙の粒が付いていた。
それを見るだけで、ますます嫌になる。だが、コクピットから出てしまえば、無様な姿を曝してしまうことになるのだ。
それもどうしようもなく嫌だったから、アエスタスは狭いコクピットの中で膝を抱えて、己の醜態を繰り返し見ていた。

「アエスタス」

 外からコクピットのハッチを叩かれ、トニルトスの平坦な声が掛けられた。

「そろそろ整備点検を行わせてくれないか。貴様が中にいると、一向に作業を始められないのだが」

「後で私がやります。だから、構わないで下さい」

 アエスタスが呟くと、トニルトスは嘆息した。

「面倒な女だ」

 機械生命体の重みのある足音が遠のき、彼の気配も遠のいた。トニルトスの言う通りだが、動きたくないのだ。
勝ちたかった理由は、傍目に見れば大したことではない。だが、アエスタスにとっては非常に重要な事項だった。
だが、客観視すれば、やはり大したことはないのだと解っている。自分に課した、自分のための任務だと言えた。
自分の思いすら叶えられないのなら、軍事任務など遂行出来ない。そう思ったから、敢えて理由付けを行った。
心中に滾る戦闘欲求を満たすだけなら、別にイグニスが相手でなくともいい。訓練用のシミュレーターで充分だ。
しかし、それだけでは何の意味もない。戦うためだけに戦うようになっては、誇り高い軍人になど到底なれない。
本当に正しいと思えることを、自分自身が信じられる正義を、自分の意志を貫けるようになるためになりたかった。
そして、言いたいことを言えるようになりたかった。けれど、何一つ出来ないまま、実に呆気なく終わってしまった。

「おい、大佐どの」

 またハッチが叩かれたが、今度はイグニスだった。

「いい加減に出てこいよ。帰還してから、もう二時間は過ぎちまってんぜ。俺の方は補給も整備もすっかり終わっちまったから、後はお前だけなんだ。そりゃ、ここは軍じゃねぇから急ぐ必要はねぇが、にしたってなぁ…」

 呆れと困惑の混じる声に、アエスタスは抱えた膝に顔を埋めた。

「だったら、尚更構わないで下さい。先に帰還なさればよろしいのです」

「そういうわけにもいかねぇだろ。お前一人残して帰るってのは、後味悪いんだよ」

 イグニスがハッチを外部から操作したらしく、頭上からモーター音が響き、全面モニターが迫り上がっていった。
足元から流れ込んだ空気は機械油臭く、どこか懐かしい匂いだった。外気の侵入により、機内気圧が変化する。
アエスタスが少し顔を上げると、開き切ったハッチに左手を掛けたイグニスは、よ、と右手を挙げて挨拶してきた。

「引き摺り出す気ですか?」

「んなことはしねぇさ。お前もうちの大事なお姫様だからな」

「それはお姉様や妹達に相応しい表現であって、私に使われるべき表現ではありません」

「ご謙遜を」

 イグニスはやや腰を落とし、機体腹部のコクピットに収まっているアエスタスに顔を近寄せた。

「それはそれとして、拗ねてんのか?」

「違います」

「んじゃ、負けたのが悔しいのか?」

「それも違います」

「だったら、何だってんだ?」

 イグニスに続け様に問われ、アエスタスは身を縮めた。言えるわけがない。

「…気にしないで下さい。もう少しすれば収まりますので」

「馬鹿言え。二時間以上も閉じ籠もってんのに気が済まねぇんだから、もう少し程度で収まるわけがねぇだろ」

 イグニスは視界を補正し、狭いコクピットで膝を抱える次女を見つめた。その頬からは、血の気が引いていた。
目尻から落ちた幾本もの筋が頬に張り付き、噛み締めすぎた唇は青ざめていて、膝を抱えた腕は強張っている。
声も詰まり、変に上擦っている。戦闘終了直後にも察したが、こうして事実を認識すると改めて罪悪感が湧いた。
れっきとした訓練であり、双方が望んだこととはいえ、十歳の少女を泣かせてしまったのはイグニスに他ならない。
それがウェールやヒエムスなら、まだいつものことだと思えるのだが、姉妹の中で最も大人びているアエスタスだ。
これまで、彼女が泣いたところを見たことはない。泣きかけてもぐっと飲み下して、理性的に振る舞える少女だ。
ある意味、この家族の中で最も人格が出来ている。今は十歳児だが、ついこの前までは軍人だったからだろう。
転んでも一人で起き上がり、上手くいかなくても八つ当たりせず、ケンカをしても先に折れる彼女が、泣いている。
 イグニスは、訓練には勝ったのに心が折れそうだった。良心の呵責が起きると共に、心底申し訳なくなってきた。
彼女を泣かせるほどのことをした覚えはなかったが、十中八九原因は自分だ。いや、それ以外には考えられない。

「なあ、アエスタス。俺、何かやらかしちまったのか?」

 イグニスが弱ってしまうと、アエスタスは短めの前髪の隙間から見上げてきた。

「あなたは何もしておりません」

「や、だけどよ」

「全ての原因は私にあります」

「そうだとしても、切っ掛けは俺なんだろう?」

「いや…」

 アエスタスは、口を噤んだ。勝っていないのに、自分で決めたことすら果たしていないのに、言えるわけがない。

「当人の俺にも言えないほどのことなのか?」

 イグニスは一度後方を確認してから、親指を立てて背後を示した。

「都合が良いのか悪いのか解らんが、屈辱野郎はいねぇよ。だから、お前の話を聞くのは俺だけだ」

 それは、良いようで悪いような。アエスタスは鼓動が跳ね、恐る恐る顔を上げた。

「本当ですか?」

「信じられねぇってんなら、ガンマから映像を引っ張ってきてやるが?」

「いや…そこまでは、別に…」

「変なところで口下手だよな、お前って。姉妹相手にはずけずけ言うくせに、俺達やマサヨシには敬語だしよ」

 イグニスは場の空気を和らげるつもりで茶化したが、アエスタスは変に戸惑ってしまった。

「あ、だって、それは、どちらも尊敬に値する軍人だから!」

 アエスタスは抱えていた膝を離して身を乗り出したが、勢いが良すぎて、後頭部を天井部分に強かにぶつけた。

「あう…」

 頭を抱えて座り込んだアエスタスに、イグニスは手を伸ばした。

「おいおい、何やってんだよ。らしくねぇな」

「うぅ…」

 アエスタスは羞恥のあまりに再び涙が出そうになったが、間近に迫ったイグニスのマスクフェイスを見上げた。
近付きすぎると、言いたいことがどんどん喉の奥へと下がってしまう。言いたいと思えば思うほど、言えなくなる。
ボディと同じく真紅のマスクフェイスは滑らかで、座り込んでいるアエスタスの姿も映り込んでいて、表情も解った。
その中の自分はいつになく情けない顔をしていて、髪も乱れて顔は涙に汚れ、無様としか言いようがなかった。
外に出なくて良かった、と思った一方、イグニスには全てを見られている。そう思うと、ますます羞恥に襲われる。
だが、今日を逃せば、次に会えるのはまた一週間後になる。それまで言葉を押し込めているのは、さすがに辛い。
だから、今、言うしかない。アエスタスは肩を上下させてゆっくりと深呼吸してから、イグニスの瞳を強く見据えた。

「あなたに聞きたいことがあります!」

 アエスタスは勢いに任せて叫んだが、勢いが付きすぎて裏返り気味だった。

「あ、うん、おう」

 いきなりのことに気圧されたイグニスは、若干腰を引いた。

「えっと、うんと、だから!」

 アエスタスは自分を奮い立てるために、拳でコクピットを殴り付けた。

「私のことをどう思っているんですか!」

「…あ?」

 もっと凄いことを言われるかと思っていたイグニスは、拍子抜けして変な声を漏らした。

「だから…うん…」

 アエスタスは痛む拳を押さえて、ぺたんとその場に座り込んだ。

「それが聞きたかったんです。一度考えたら、なんだかやけに気になってしまって、だが、こんな下らないことを聞くのは悪い気がして、それに、なんだか聞くのが怖くなってきて、だから、勝てば決心が付くんじゃ…ないかと…」

 次第にアエスタスの語気は弱くなっていき、最後の方は口の中だけで発音する始末でひどく聞き取りづらかった。
イグニスは、彼女らしからぬ幼い悩みが微笑ましすぎて身震いしそうになった。年相応に、弱い面も持っている。
座り込んだアエスタスは、見ているこちらが不安になるほど真っ赤になっていて、視線も忙しなく彷徨わせていた。

「どっちの意味で答えてほしい? 家族としてか、それとも女としてか?」

 子供染みた悪戯心が起きたイグニスがからかうと、アエスタスは俯いた。

「…う」

「冗談だ」

 イグニスは左手を伸ばし、人差し指の先でアエスタスに触れた。

「私は、お姉様方とは違うから」

 アエスタスはイグニスの指に触れ、冷ややかな金属に額を押し当てた。

「どうやっても、お姉様方のようには振る舞うことが出来ないんです。スカートは嫌いですし、髪も伸ばしたくないですし、可愛い格好なんてしたくもありません。挙げ句にこういう性格ですから、浮いているんです。だから、私には戦いしかなくて、けれど、イグニスの一番はウェールお姉様だったから、今もそうなのではないかと…」

「そんなこと、気にしてたのか」

「はい。愚にも付かないことですが」

 アエスタスが細かく肩を震わせると、イグニスはその華奢な肩を指先で撫でた。

「確かに、俺の一番のお気に入りはハルだった。だが、それは俺の近くにハルしかいなかったからだ」

 指先に伝わる少女の体温に、イグニスは柔らかく目を細めた。

「けど、今はそうじゃねぇ。アエスタスもウェールも、もちろんアウトゥムヌスもヒエムスも大事な大事な俺達の娘だ。それでいいじゃねぇか。お前のことが嫌いな奴なんて、この家には一人もいねぇよ。それに、お前ら四姉妹の可愛さは違いがあるからいいじゃねぇか。四人とも女の子女の子してたら、それはそれでいいかもしれねぇが、面白味ってモンがねぇ。だから、一人ぐらいは外れているのが丁度良いんだ。それに、その方がマサヨシも喜ぶしな」

「…はい」

 アエスタスはようやく表情を緩め、小さく頷いた。

「ついでに言うと、俺はお前が好きだ」

 イグニスが何の前触れもなく発した言葉に、アエスタスは目を剥いた。

「はい?」

「そんなの決まってんだろ、見込みがあるからだよ。俺は何より強い奴が好きだからな、男であれ女であれ」

 イグニスが手を差し伸べると、アエスタスはヘルメットを拾ってから、躊躇いながらもその手の上に乗った。

「んじゃ、帰るとするか」

 イグニスが歩き出そうとすると、左手の上のアエスタスは緊張で引きつった声を張った。

「あの!」

「ん?」

「だったら、私は、あなたの一番になれますか?」

「どういう意味でだ?」

 イグニスがきょとんとすると、アエスタスはまた俯いた。

「解釈は任せます」

 このままではやりづらくて仕方ないので、イグニスは彼女を床に降ろすと、アエスタスは早々に駆け出していった。
一度も振り返らずにエレベーターに乗って、そのまま行ってしまった。イグニスは姿勢を戻すが、所在はなかった。
好きだと言ったのは、そういう意味ではなかったのだが。アエスタスの方は、恋愛寄りの解釈をしてしまったらしい。
ストレートに言い過ぎるのも考え物かもしれない、とイグニスがぼんやりしていると、突然後頭部を殴り付けられた。

「うぐおっ!?」

 衝撃でつんのめったイグニスが振り返ると、出ていったとばかり思っていたトニルトスが立っていた。

「幼気な少女を誑かしおって、これだからルブルミオンは下劣なのだ」

「てめぇ、先に帰ったんじゃなかったのかよ!」

 イグニスが戸惑うと、トニルトスは工具箱を掲げてみせた。

「整備に必要な工具が足りなかったから、ガレージに取りに行っただけに過ぎん。戻ってきてみたら、貴様という男は一体何をしておるのだ。即刻滅べ、小児性愛者め」

「ていうか、ぶっちゃけどうすりゃいいと思う?」

「貴様如きに色恋の相談をされるのは屈辱の極みだが、蔑ろにするのはアエスタスに悪いからな。とりあえず、貴様の真意を伝えるしかなかろう。それ以外に有効な手立てはない。良きにしろ悪きにしろ、事態を収拾しなければ」

「真意、なぁ…」

 イグニスは後頭部をさすりながら、格納庫に戻ってきたエレベーターを見つめて、彼女に対する感情を分析した。
好きだというのは本当だ。大事な家族の一員としても、前途有望な女戦士としても、好意的な感情を抱いている。
そこから先に至ることは、果たしてあるのだろうか。今は記憶にないが、第一次元では男女関係を持った相手だ。
彼女と同じ名を持つ機械生命体の容貌は輪郭程度しか覚えていないが、腕に抱いた感触は未だに残っている。
動力機関が焼け付きそうなほどの熱情も、見苦しい執着心も、生臭い欲情も、感情回路の端にこびり付いている。
だが、それをアエスタスに感じるかどうかは解らない。むしろ、感じたくない。我が家の大事なお姫様なのだから。
しかし、イグニスも一人の男なので、恥じらいつつも心情を露わにしたアエスタスに心が動かないわけがなかった。
こういったことにも潔癖に違いないトニルトスの顔色を窺いながらも、イグニスは幼き女戦士に思いを馳せていた。
 たとえ十歳児であろうとも、異性から好意を向けられて意識しない男はいない。




 その夜。アエスタスは、内職に精を出していた。
 洗濯されたパイロットスーツとアンダースーツが干されているリビングで、ヘルメットの内と外を磨き上げていた。
涙やら何やらで汚れてしまった内側もだが、外側にも丁寧にワックスを掛け、モニターと連動したシールドも磨く。
例によって、姉妹は先に就寝している。三人を寝かしつけに行ったミイムも、自室で寝入ってしまっているだろう。
ヤブキが起きているらしい気配はあるが、降りてくる様子はない。マサヨシも自室に籠もり、趣味に没頭している。
だから、誰にも邪魔される心配はなかった。アエスタスはヘルメットの艶を確かめてから一度被り、そして脱いだ。

「よし」

 大きく頷いたアエスタスは、ヘルメットの内側のそれに笑みを向けた、丁度その時。

「何やってんの、あーちゃん?」

「うおっ!」

 いきなり声を掛けられ、アエスタスは驚きすぎて飛び上がりそうになった。

「お、お姉様…」

 先に寝入ったはずの長女、ウェールがリビングに入ってきたので、アエスタスはヘルメットを背中に隠した。

「なんで起きているんだ? というか、さっき眠ったはずでは?」

「喉乾いちゃったの。寝る前に飲もうとしたけど、ひーちゃんにジュース取られちゃったから」

 後で歯は磨くけどね、と言いながら、ウェールはキッチンに入って冷蔵庫からボトルを取り出し、コップに注いだ。

「で、何やってんの?」

「いや、別に」

 アエスタスが顔を引きつらせると、ウェールは怪しんできた。

「ふーん」

「本当に大したことではないから、私も作業を終えたらすぐに就寝するから、だから気にしないでくれ!」

 アエスタスが懇願すると、喉を鳴らしてグレープフルーツジュースを飲み干したウェールはにんまりと笑んだ。

「そう言われると余計に気になるけど、私はお姉ちゃんだから引き下がってあげる」

「はあ…」

 理屈は解らないが助かった、とアエスタスが安堵すると、ウェールはコップを洗ってから食器棚に戻した。

「でも、むーちゃんとひーちゃんはそうじゃないかもねー。明日話しちゃおうっと」

「それだけは止めてくれ、お姉様! アウトゥムヌスにもヒエムスにも言わないでくれ、後生だから!」

「じゃ、明日のお勉強、あーちゃんの答えをコピらせてね。あーちゃんのが一番正確なんだもん」

「しかし、それは」

「嫌なの? だったら言っちゃうよぉ?」

「…解った」

 アエスタスが渋々承諾すると、ウェールは軽い足取りでリビングを後にした。

「忘れないでよねー、この約束ぅ」

 ウェールの足音が二階に戻るまで、アエスタスは息を詰めていた。これで良かったのか、判断を決めかねる。
だが、あの状況ではそれ以外の選択肢はなかったのだと自分に言い訳をして、背後からヘルメットを取り出した。
内側を覗き込むと、長方形のホロフィルムに印刷されている赤い戦士と目が合った。もちろん、イグニスだった。
ヘルメットの上部のシールドに被らない位置に貼り付けたので、そう簡単に剥がれず、外からは解らないはずだ。
 イグニスの一番はアエスタスではないかもしれないが、アエスタスの一番はイグニスだ。戦士としても男としても。
第一次元での感情を引き摺っていると言えばそれまでなのだが、何度考えても、この結論しか導き出せなかった。
だが、今はまだ言えることでもないし、言ってはいけない。家族の微妙な均衡が崩れてしまうかもしれないからだ。
それ以前に、アエスタスはたった十歳の小娘だ。相手にされるどころか、突っぱねられてしまう可能性が大きい。
だから、言える時までは胸の内に秘めておくべきだ。誰よりも強い戦士になるために、熱く、強く、宿しておこう。
 戦意に良く似た、恋心を。







08 12/19