アステロイド家族




花の秘め事



 夢であろうと、現であろうと。


 待ちに待った週末がやってきた。
 普段は木星基地に勤務しているマサヨシ、イグニス、トニルトスの三人が揃ってコロニーに帰宅するからである。
四姉妹は前日の夜からそわそわしていて、ヤブキも浮かれ、当然のことながらミイムも父親らを待ち侘びている。
皆で騒がしく暮らしていても、やはり父親がいないと寂しい。そして、彼らはいつも物資を運んできてくれるからだ。
特に楽しみにされているは、週末以外は家を空けてしまう穴埋めとして、月に一度買ってきてくれるお土産だった。
だが、そのお土産がいつも素晴らしいとは限らない。三人のうちの誰が選ぶかで、内容に大きく差が出てしまう。
マサヨシは無難なものを選び、イグニスは素っ頓狂なものを選び、トニルトスは根本的にずれたものを選んでくる。
そのお土産が、四姉妹の誰に受けるかは解らないので、選ぶ方も受け取る方もびっくり箱を開けるような心境だ。
 マサヨシらを出迎えた後、ミイムはいち早く自宅に戻り、マイクロコンテナをサイコキネシスで浮かばせて運んだ。
ふよふよと漂いながら、掃き出し窓からリビングとキッチンに入ってきた箱達は、礼儀正しく積み重なっていった。
マイクロコンテナに貼られたラベルを確かめ、日用品と食料品で選別し、食料品の箱を開けて中身を取り出した。

「みゅ、みゅ、みゅうーん」

 ミイムが食料品を冷蔵庫に詰めていると、庭先から声を掛けられた。

「ミイム!」

「みぃ、なんですかぁ?」

 ミイムが振り向くと、手のひらに収まる大きさのマイクロコンテナを持ったマサヨシが立っていた。

「お土産だ」

「え? ボクにですかぁ?」

 ミイムがきょとんとすると、マサヨシは頷いた。

「そうだ、お前にだ」

「でも、なんでまた急にぃ」

 庭先に出たミイムはマサヨシに近付くと、マサヨシはミイムの手にマイクロコンテナを載せた。

「開けてみれば解る」

「みゅみゅう…」

 ミイムはマイクロコンテナの蓋のロックを外して開くと、隙間から冷気が流れ出し、空気中の水蒸気が凍った。
冷気が消えた後に現れたのは、衝撃吸収材の役割を果たす球形の液体に包まれた、淡いピンクの花だった。
柔らかく薄い花弁が幾重にも重なり合い、緩やかに広がっている。太陽系で言うところの、バラに酷似している。
見覚えのある色と形状の花弁にミイムが目を見張ると、マサヨシは笑みを崩さぬまま、箱の中の花を指し示した。

「太陽系とセンティーレ星系に永久なる友情と平和を、ということで統一政府と軍に贈られた花なんだ。かなり無理を言って、木星基地に贈与された親株から切り分けてもらったんだが、職権乱用だと思わないでもない」

 マサヨシが肩を竦めると、イグニスが彼の背後で膝を付き、ミイムと視線を合わせた。

「その贈り主は、他でもないフォルテ皇帝陛下だ」

「フォルテ、ですか?」

 ミイムがかすかに唇を震わせると、マサヨシはミイムの肩に手を添えた。

「紆余曲折はあったが、俺達新人類とコルリス帝国は上手くやっていけそうなんだ」

「太陽系側は、辺境宇宙の一角を担うセンティーレ星系を実質的に支配しているフォルテ皇帝陛下を都合良く利用せんと画策しているようだが、フォルテ皇帝陛下には下心がないからな。軍人に武器ではなく花を贈るとは、麗しい御心の持ち主だ。貴様の妹にしておくには勿体ない御方だ」

 続いて現れたトニルトスも膝を付いて視線を合わせ、穏やかな口調で述べた。

「だが、生憎、俺達には花を育てられるような腕もなければ暇もない。ってことでよ」

 イグニスはトニルトスの肩に腕を載せ、水球の中の花を指した。

「だから、ミイムがこの花を育ててくれないか」

 マサヨシが締めると、ミイムは目元に滲んだ涙を拭って笑みを浮かべた。

「…みぃ!」

「んで、その花はどういう花なんすか? 見た目はバラに似てるっすけど」

 いきなり会話に割り込んできたヤブキは、ミイムの手元のマイクロコンテナを覗き込んだ。

「見た目だけじゃなくてぇ、こっちの星系のバラととおっても良く似たお花なんですぅ!」

 ヤブキから遠ざけるようにマイクロコンテナを持ち上げたミイムは、キッチンに駆け戻った。

「綺麗なだけじゃなくて良い匂いがするからぁ、主に香料の原料になるんですぅ。花びらだけでもとおっても良い匂いがするからぁ、お風呂に入れたりするんですぅ。成人式とかぁ、結婚式とかぁ、出産祝いとかぁ、出陣式とかぁ、特別な日の飾りとしても使う花なんですぅ」

「ミイムママぁ、お花見せてぇー!」

 掃き出し窓から声を掛けてきたウェールに、ミイムは微笑んだ。 

「もっちろんですぅ。でも、今は、パパさん達が買ってきてくれたものをお片付けする方が先ですぅ」

「じゃ、お手伝いする!」

 真っ先に挙手したウェールは、靴の泥を落としてから掃き出し窓からリビングに駆け込んだ。

「では、私達も援護を」

 アエスタスが掃き出し窓からリビングに入ると、ヒエムスも続いた。

「ちゃっちゃとお片付けして、早くお父様と遊びたいですわ」

「同上」

 アウトゥムヌスもリビングに入り、キッチンに向かった。

「了解っすー。んじゃ、オイラは畑から食べられそうな野菜でも持ってくるっすかねー」

 ヤブキは四姉妹を見送ってから、順調に野菜が育ちつつある畑に向かうべく、軽快な足取りで駆け出した。
マサヨシだけはちゃんと玄関から家に入ってきたので、四姉妹は可愛らしく声を揃えて、父親の帰宅を出迎えた。
ミイムも四姉妹に混じって声を掛けてから大量の荷物を解き、冷蔵庫や地下の保管庫に食料品を詰めていった。
いつも通り、買い物リストに載せたものは一つも買い逃していない。これなら、今週もきちんと食べていけそうだ。
だが、一週間の献立を立てる前にまずは今夜の夕食作りだ。例によって、マサヨシの好物であるうどんで決定だ。
うどんは昨日のうちにヤブキが仕込んだものがあるので、それを茹で、めんつゆを煮立て、天ぷらでも添えよう。
ヤブキの作った春野菜だけでなく、えぐみが強いが風味の良い山菜も揚げてやろう。デザートは何が良いだろう。
 皆の喜ぶ顔を想像するだけで、嬉しくなってしまう。




 騒がしい一時が過ぎ、静寂が訪れた。
 父親とその部下達と遊び呆けた四姉妹は、風呂から上がってすぐに寝入ったので、水を打ったように静かだ。
落ち着くようでいて、少し寂しかった。だが、明日は今夜以上に騒がしくなるので、嵐の前の静けさと言うべきだ。
リビングには幼い歓声の余韻が残り、そこかしこに遊んだはいいが片付けられずに放置された物が落ちていた。
微笑ましく思う反面、母親役のプライドがざわめき、片付けるように言い聞かせられなかった自分に恥じ入った。
だが、四姉妹が眠ってしまった今ではどうにもならないので、ミイムはサイコキネシスを放って物を浮かばせた。
せっかくマサヨシが選んで四姉妹に買ってきてくれたお土産なのだ、もう少し大事に扱ってもらわなければ困る。
 ウェールのお絵描きセット、アエスタスの超合金合体ロボ、アウトゥムヌスの月の石、ヒエムスの着せ替え人形。
それらを一纏めにして手近な箱に収め、リビングの隅に追いやってから、ミイムは三人掛けのソファーに座った。

「みゅうー…」

 首を曲げると、関節がごきりと鳴った。肩を回しつつ、ミイムは嘆息した。

「何をしたって訳でもないのに、疲れましたぁ…」

 マサヨシらが帰ってきて嬉しいのは、ミイムもまた同じだ。だが、ほっとする、というだけではしゃぐほどではない。
けれど、四姉妹やヤブキに引き摺られるうちにテンションが上がってしまい、最終的には一緒にはしゃいでしまう。
それが情けないようで、なんとなく幸せだった。他人と感情を共有出来るのは、気を許せている証でもあるからだ。
 紅茶を淹れて昨日焼いたケーキを出して一息入れようか、とミイムが考えていると、目の端にあの箱が掠めた。
リビングの隅に置かれた観葉植物の足元に、マサヨシからもらった花の入ったマイクロコンテナが鎮座していた。
夕食の支度、風呂の支度、四姉妹を寝付かせることで手一杯だったため、一度開けてそれきり放置してしまった。
ミイムは指を立てて小さなマイクロコンテナをふわりと浮かばせると、リビングテーブルの上に運び、そっと置いた。

「みゅふふーん」

 ミイムは笑みを零しつつ、金属製の箱の蓋を開いた。自身の髪に似た色の花弁は、澄んだ液体に浸っている。
水球の薄膜に触れるとシャボン玉のように容易く弾け、粘り気のある液体は空気に触れた途端に水に変化した。
水に浸っているバラを両手で包み、持ち上げると、がくの下から伸びているツタのような細い根が引き出された。

「ありがとう、フォルテ」

 花弁に唇を寄せたミイムは、自分のものではない右手で頬を撫でた。

「愛しているよ」

 アモル・ロサ。愛の名を持つこの花は、物心付いた頃から皇居の庭園に植えられて華やかに咲き誇っていた。
第一皇太子、レギーナを象徴する花として育てられていた。お飾りの皇太子を、より美しく飾り立てるためだった。
幼い頃はその意図も解らずに、ルルススを始め、フォルテやその側近達と共に甘ったるい匂いの庭園で遊んだ。
花に囲まれていることが嬉しくて、楽しくて、笑い合っていた。けれど、成長して物事に分別が付くと遊ばなくなった。
 花が嫌いになったわけでもなければ、妹が疎ましくなったわけでもない。少しだけ、大人になってしまったからだ。
甘ったるい匂いに包まれた美しい庭園は、謀略と裏切りの蔓延る世界の中に作られた、欲望の渦巻く庭園だった。
絶対的な権力を持つ皇帝である母親に気に入られようとする上位貴族に、レギーナとフォルテは愛玩されていた。
クニクルス族の女性としては標準的な容姿のフォルテは、当たり障りのない扱いをされたが、レギーナは違った。
少年を寵愛する性癖を持つ貴族から常に妙な目を向けられていて、ルルススが身代わりになったことも多かった。
ルルススが死んだ今では、何があったのか聞くことは出来ない。けれど、今になれば何があったか想像が付いた。
 皇居の庭園は遮蔽物が多かった。だから、いつのまにかルルススが消え、先に部屋に戻っていることがあった。
青い顔をして押し黙っているルルススに、どうして先に帰ってきたのかと聞くと、ルルススはなんでもないと言った。
幼かったから、ルルススは疲れたのだろうと思っていたが、彼は本来レギーナの受けるべき苦痛を受けたのだ。
レギーナも、自分自身がルルススだと思い込んだまま人身売買された先で、買い取り主に弄ばれたことがある。
思い出したくもないことだが、時折脳裏に過ぎる。けれど、それはルルススが受けてきた苦痛に比べれば軽微だ。

「ごめんね」

 ミイムは片割れを思い、花を胸に押し当てた。

「気付いてあげられなくて」

 気付いたとしても、何が出来たのだろう。何も出来なかっただろう。母親が許せば、全ては無に帰したからだ。
だから、上位貴族達は幼いルルススで醜悪な欲望を満たしていた。他でもない、皇帝が許してくれていたからだ。
そうでなければ、彼女らはすぐに首を刎ねられている。母親もまた、ルルススを虐げることで心を満たしていた。
 フォルテら三姉妹が母親似であるように、レギーナとルルススは父親似だ。髪も、肌も、声も、瞳も、何もかも。
上位貴族の家柄に生まれた父親は、将来の皇帝の座を約束された皇女が開いた宮廷舞踏会で見初められた。
もちろん、美しかったからだ。後の皇帝である皇女は、自身が到底持ち得ていない美貌を備えた彼を手に入れた。
だが、父親には結婚を約束した女性がいた。親同士が決めた結婚だったが、相手の女性との関係は良好だった。
けれど、皇女に見初められたためにその結婚は破談になり、父親は相手の女性に心を残したまま皇族に入った。
 母親は父親を愛していたらしい。父親が病死するまでは、母親は式典や議会で必ず傍に父親を立たせていた。
玉座に腰を据えている時も、何はなくとも父親を傍に置いた。時には側近達を追い払い、二人きりになっていた。
その時ばかりは母親の表情も柔らかくなっていたが、逆に父親の表情は硬く、戦場に赴く兵士のような顔だった。
 母親は父親を愛していたが、父親は母親を愛していなかった。だから、母親は愛する反面、憎んでいたらしい。
だから、父親に良く似た容姿のルルススを貴族達に貸し与えて蹂躙させ、心の中で父親を嬲っていたのだろう。
 ルルススは、皆の犠牲になって死んだ。母親の、貴族達の、レギーナの見苦しい苦悩を引き受けたまま死んだ。
それなのに、ルルススは最後まで笑顔だった。レギーナを尊び、敬い、愛し抜いた末に死すらも引き受けていった。

「ルルスス…」

 水滴の滴る花弁に熱い雫を落としたミイムは、肩を震わせた。

「愛しているよ」

 今から出来ることがあるとするならば、この花を植えてやることぐらいだ。償いにはならないが、慈しみになる。
涙を拭ったミイムは、リビングの掃き出し窓を開け、サンダルを突っかけて外に出ると、夜気が濡れた頬を撫でた。
二体の機械生命体が収まっているガレージも静かになっていて、あちらも一週間の疲れを癒しているようだった。
 リビングの窓から零れる明かりと青白い月明かりを頼りに歩き、庭の花壇に近付いたミイムは土に膝を付いた。
サイコキネシスを使わずに素手で土を掻き分けて、穴に花弁を埋め込み、ホースを引っ張って優しく水を掛けた。

「明日の朝には、ちゃんとしてあげるからね」

 ミイムは濡れた花弁を指先で拭ってから、立ち上がり、膝を払った。 

「さあて、ボクもお風呂に入ってきましょーかぁー」

 ぱたぱたとサンダルを鳴らしながらリビングに戻ると、寝間着姿のヤブキが冷蔵庫を開けていた。

「見当たらないと思ったら、外にいたんすか」

「ていうか、何してやがるんですかぁ」

 サンダルを脱いでリビングに戻ったミイムがヤブキを指すと、ヤブキは日本酒の一升瓶を掲げた。

「オイラ一人で飲んでもつまんないんで、マサ兄貴に付き合ってもらおうと思ったんすよ」

「ボクはごめんですぅ」

「言われなくても誘わないっすよ、ミイムは酒癖悪すぎるんすから」

 大きな冷蔵庫を覗き込んでいたヤブキは、手を伸ばし、ぬか漬けの入った皿を取り出した。

「あー、これでいいっすね」

 よいせ、とヤブキは背中で冷蔵庫を閉めてから、リビングテーブルの上にある小箱が空であることに気付いた。

「あの花、植えてきたんすか?」

「いつ植えようが、ボクの勝手ですぅ」

 ミイムがむくれると、ヤブキは食器棚から徳利と猪口を出し、徳利に日本酒を注いだ。

「そりゃそうっすけどね、夜に植えるってのはちょっと普通じゃないっすよ」

「だったらなんだってんだよアホンダラですぅ、ヤブキには関係ないですぅ!」

「なんだったら、オイラも育てるのを手伝ってもいいっすよ? 花も結構得意っすよ?」

「底辺野郎に触られたら、フォルテとパパさんからのプレゼントが穢れちまうんだよコンチクショウですぅ!」

「そりゃ残念っすねー」

 ヤブキはへらへらと笑いながら、ぬか漬けと徳利と猪口を乗せた盆を抱えた。

「だったら、後で世話しきれなくなったー、とか言わないでほしいっすよ」

「ボクに限ってそんなこたぁあるわけねぇだろスカタンですぅ!」

「家族なんすから、頼りたかったら頼るっすよ」

 んじゃオイラはこれで、とヤブキはキッチンを後にした。その背を横目に見つつ、ミイムは呟いた。

「当たり前だろうがコノヤロウですぅ」

 別に頼りたくないわけではない。アモル・ロサは母星の植物だが、その育成方法を熟知しているわけではない。
ルルススが与えてくれた記憶にもあることにはあるが、それは飽くまでも知識だけであり、育てた経験ではない。
惑星プラトゥムは人類の母星である地球と酷似した環境なので、生態系も似ていて、植物の育成方法も近しい。
だから、常日頃から植物を相手にしているヤブキなら、基礎知識さえ与えてやれば、上手く育ててくれるだろう。
 けれど、どうしても許せない。アモル・ロサはレギーナを彩る花であって、無垢な幼少期を象徴する花でもある。
だから、こればかりはミイム自身の手で行わなければ意味がない。何が何でも、ヤブキの手だけは借りるものか。
いつもの意地も混じっているが、ルルススとの思い出を繋ぎ止めておきたいという気持ちもまた大きかったからだ。
 過去は捨てられても、思い出だけは捨てられない。







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