アステロイド家族




花の秘め事



 記憶を掻き混ぜる匂いが、鼻を掠めた。
 緩やかに睡眠から引き上げられた意識が冴え、目を閉じていられなくなったミイムは、薄い瞼を持ち上げた。
カーテンの隙間から月光が差し込んでいる天井が目に入り、次に枕元のホログラフィークロックが目に入った。
寝入ってから二時間ほど過ぎているが、深夜には違いなかった。朝日が煌めくまでは、三四時間はあるだろう。
きちんと寝付いたつもりだったのに、と訝しみながら身を起こしたミイムは、薄い掛布を剥いでベッドから下りた。
 窓を覆うカーテンを引き、開けた。ぼんやりとしていた視界に青白い疑似月光が入り、網膜が映像を認識した。
見慣れた庭と草原が、見慣れた色で埋め尽くされていた。柔らかなものが擦れ合う、囁きに似た音も聞こえた。
鼻を突く甘い匂いも一段と濃さを増し、徐々に意識が晴れていくと、暴力的な量の色彩が目に飛び込んできた。

「みゅ…?」

 一面、花の海だった。見渡す限りの、花、花、花、花、花、花。その下では青いツタが草原を這い回っている。
山から吹き下ろす風と海から吹き付ける風が花を揺らすと、立ち上る匂いが膨らみ、寝乱れた髪を揺さぶった。
窓から身を乗り出して家の壁を見上げると、そこにもツタが這い回っていて、ピンク色の蕾が次々に開いていく。

「これ、どういうことですか…?」

 アモル・ロサは、花壇の隅に植えただけなのに。美しさに飲まれそうになりながらも、ミイムは畏怖していた。

「とりあえず、皆を起こさなきゃ」

 ミイムは部屋を出るべく窓に背を向けると、一際強い風が吹き付け、淡いピンクの花びらが舞い込んできた。
風を孕んだカーテンが踊り、長い髪が弄ばれる。髪を押さえながら振り向くと、花の海に異質なものが見えた。
風が吹き付ける前までは、花とツタと葉以外は何もなかったはずなのに、月光は細身の影を作り出していた。
ミイムは恐る恐る身を乗り出し、視認した途端に息を呑んだ。畏怖は吹き飛び、それを上回る歓喜に襲われた。
 飾り気のない紺色の上下に身を固め、主と同等の長さの髪を背に流した、主と同じ顔と背格好の美しい少年。
皇族に近しい者だけが身に付けることを許されている、剣に貫かれた花の紋章。紛うことなき、片割れだった。

「ルル、スス?」

 ミイムであることを忘れ、レギーナに戻ってしまった少年は、大きな目が零れ落ちんばかりに見開いた。

「御機嫌麗しゅうございます、レギーナ様」

 同じ声でありながら全く違う抑揚で述べた少年は、花の海に膝を付き、深々と礼をした。

「ルルスス? ルルススなの!?」

 レギーナは窓を乗り越えて身を投じ、サイコキネシスを放って自分の体を支え、花の海に着地して駆け出した。

「ルルススぅっ!」

 花を踏み散らし、ツタを掻き乱し、葉を潰しながら駆けるうちにレギーナの姿はパジャマ姿ではなくなっていった。
服は純白の絹で成されたドレスに代わり、頭には繊細な金のティアラが現れ、尾の長さも皇族の長さに戻った。
ドレスの裾を持ち上げながら駆けたレギーナが片割れに駆け寄ると、ルルススはレギーナに傅き、左手を取った。

「お会いしとうございました、レギーナ様」

 厳かに掲げられた左手の甲に、ルルススの少し冷たい唇が触れた。

「ああ、ボクもだよ、ルルスス」

 レギーナはルルススの腕を取って立ち上がらせると、涙を滲ませながら抱擁し、彼の華奢な肩に顔を埋めた。

「ずっと、君に会いたかった」

「レギーナ様…」

 ルルススはレギーナの背に腕を回そうとしたが、止め、レギーナの肩を押して引き離した。

「ねえ、ルルスス。この花の海は、君がしてくれたことなのかい?」

 レギーナは肩に添えられたルルススの手を取り、頬に寄せた。少し冷たい、細い手だった。

「解りません。ですが、気付いたらこの場にいたのです。そして、レギーナ様の姿をお見受けしたのです」

 ルルススはレギーナの頬に触れるべきか迷ったらしく、指が動きかけた。

「ボクは君に会いたかった。君は、ボクに会いたかった?」

 ルルススの指を開かせて頬を包ませたレギーナは、同じ色の瞳を見つめた。

「答えるまでもありません、レギーナ様」

 ルルススは躊躇いがちに指に力を込め、レギーナの感触を確かめるようにぎこちなくなぞった。

「ルルスス、ボクと踊ろう。なんだか、君を踊らせたくてたまらないんだ」

 レギーナがルルススの手を握り締めると、ルルススは目線を彷徨わせ、言葉を濁した。

「ですが、僕は側近に過ぎません。レギーナ様と踊れるような身分では」

「いいじゃないか。ここには君とボクしかいないんだから、誰も君を咎めたりしないよ」

 レギーナはルルススの手を強引に引き、くるりと身を翻した。膨らんだドレスの裾が広がり、花びらを掻き乱した。
ルルススはかなり戸惑っていたが、主に身を委ねることにしたらしく、抗わずにレギーナの足取りに合わせ始めた。
 踊り慣れた宮廷舞踊は骨の髄まで染み込んでいるので、音楽が一切なくともレギーナの足は滑らかに動いた。
何年も踊っていなかったが、忘れていない。指先の伸ばし方、胸の反らし方、笑顔の見せ方も体が覚えている。
持って生まれた美しさを存分に見せつけるためであり、皇族の威圧感を振りまくための舞踊は、皇族の戦いだ。
美しく高貴な男達の戦場である舞踏会で、より優れた血統の女の心を射止めるために作られた踊りなのだから。
その中でも、皇族は最も美しくなければならない。コルリス帝国の頂点に立ち続けるには、不可欠な要素なのだ。
 ごく自然に、レギーナは男役になり、ルルススは女役となった。当然、魅せられる側は男役であるレギーナだ。
くるり、くるり、と舞うたびに花びらが散らされ、同じ顔をした少年達の舞踊に混じって蠱惑的な匂いを振りまいた。
ルルススには舞踏会の練習台として付き合ってもらったことはあったが、こうして本当に踊るのは初めてのことだ。
側近であり影武者でもあるルルススはレギーナと共に表舞台に出ることはなく、舞踏会の際も別室に控えていた。
レギーナが疲れたら入れ替わり、他国の王族や貴族の相手をする。それが、舞踏会でのルルススの役割だった。
だから、一緒に踊るなど以ての外だった。鏡に映したかのように踊るルルススは、執務服でありながら華麗だった。
 心底踊り疲れるまで、二人は足を止めなかった。どちらも片割れと踊れたことが、嬉しくてたまらなかったからだ。
息を荒げて汗も浮いて髪も乱れた二人の少年は、花に埋め尽くされた地面に倒れ込み、互いを緩やかに抱いた。
扇のように広がったドレスの裾が汚れることも気にせず、レギーナはルルススを抱き締め、髪に頬を擦り寄せた。

「上手だね、ルルスス」

「レギーナ様ほどではございません」

 レギーナの腕の中で、ルルススは頬を緩めた。レギーナは、彼の頬に貼り付いた髪と花びらを拭い取った。

「ねえ、ルルスス」

「はい、レギーナ様」

 レギーナと全く同じ金色の瞳は、昔と変わらずに真摯に見つめてきた。鉄のように頑なで、ガラスのように清い。
それが、レギーナの胸を刺した。己を見失った主が狂っても決して揺るがない忠誠心が、無性に悲しいと思った。
そうすることが彼の定めであり、人生なのだと解っている。けれど、それだけで終わらせるべきではないとも思う。
しかし、彼の人生は既に終わっている。心は華やかで麗しい夢に浸っていたが、痛みを伴う記憶は薄れなかった。

「ごめんね」

 レギーナはルルススの頬に手を添え、微笑みを歪めた。

「今まで、ボク、ルルススのことを本当に大事にしていなかった」

「そのようなことはありません、レギーナ様」

「強がらないで。もっと悲しくなってしまうから」

 レギーナは身を起こすと、ルルススを起き上がらせ、抱き締めた。

「ボクは君を救えなかった。ボクは一時だけルルススになったけど、ボクはやっぱりレギーナだから、ルルススであることを貫くことは出来なかった。だから、ボクはルルススを死なせてしまった」

「レギーナ様…」

 ルルススはレギーナの胸から顔を上げようとするが、レギーナはそれを押し止めた。

「ボクのこと、怒ったっていいんだよ? 嫌いになったっていいんだよ? 辛かったら泣いたっていいんだよ? 君の主であるボクが許す、だから」

「レギーナ様がお許しになられても、僕が僕を許せません」

 主の胸に顔を埋めたルルススは、ぐしゃりと花を握り潰して肩を怒らせた。

「僕は側近です、僕はレギーナ様の影として生きるためにこの世に生まれたのです。だから、レギーナ様がお受けするであろう苦しみも、痛みも、悲しみも、引き受けることこそが僕が果たすべき使命なのです。ですから、そればかりは従えません」

「じゃあ、泣いて。思い切り甘えて。君はボクの家族なんだから」

 レギーナはルルススの髪に指を通し、僅かに語気を強めた。

「命令だよ、ルルスス」

「ですが…」

「二度は言わせないで」

「承知、いたしました」

 ルルススは押し殺した声で返し、花の汁に汚れた手でレギーナのドレスを掴み、小刻みに背を震わせた。

「もう我慢しなくてもいいんだよ、ルルスス」

 レギーナがルルススの薄い背をさすると、ルルススは滑らかな絹が千切れるほど強く握り締めた。

「僕は、我慢など、しておりません…」

 震える背を撫で、レギーナは優しく囁いた。

「ルルスス、思い切り泣いて。ボクは、君に胸を貸すことぐらいしか出来ないから」

 ルルススの言葉は、返ってこなかった。幼子のように咆哮に近い嗚咽を放ち、レギーナのドレスに涙を吸わせた。
彼のテレパスがなくとも、その気持ちは痛いほど解った。側近と言えど、やはりルルススも十七歳の少年なのだ。
レギーナが受けなかった苦痛を代わりに引き受けたせいで、彼の心と体には癒えきらない傷がいくつも刻まれた。
それを一つ一つ溶かしてやりたかったが、彼の時間はもう終わっている。そして、時間を巻き戻すことは出来ない。
 ルルススが涙を流す様を見るのは、初めてだ。レギーナが泣き付くことはあっても、ルルススは泣かなかった。
いや、泣けなかったのだ。同い年の少年だったのに、彼は時として周囲の大人よりも大人びた態度を取っていた。
それがどれほど辛いことか、皇太子として生きていた頃は考えたことがなかった。だから、ルルススに甘えていた。
一度でも良いから、ルルススを甘えさせてあげればよかった。後悔の念が募り、レギーナは奥歯を噛み締めた。

「申し訳、ございません…」

 ルルススは涙に濡れた顔を上げ、眉根を顰めて自戒した。

「謝らないで。謝るべきは、ボクの方なんだから」

 レギーナは涙の滲む目を細め、右手で彼の髪を撫で、弟の頬に熱い雫を落とした。

「ボクは、フォルテにとっても、妹達にとっても、ルルススにとっても悪いお兄ちゃんだったね。中途半端で、根性なしで、そのくせプライドだけは高くて、役に立たないお飾りのくせに意地っ張りで。でも、もう、ボクは君達のお兄ちゃんじゃない。皇太子でもないし、コルリス帝国の民でもないからだ」

 だからね、とレギーナは背を曲げ、ルルススに顔を寄せた。

「兄弟になろう。側近でも皇太子でもなくて、ただの兄弟としてやり直そう」

「レギーナ、さま?」

「様も上も付けないで。ただのレギーナでいい。そうじゃないと、ボクも君も本当に心を開けないから」

 レギーナはルルススを起こすと、真正面から見つめ合った。

「ね、ルルスス」

 ルルススは涙に濡れた長い睫を瞬かせていたが、目を伏せた。

「従えません。レギーナ様は、やはりレギーナ様であらせられるからです」

「そうか」

 レギーナは笑みを消さなかったが、細い眉を下げた。

「…ですが」

 袖で乱暴に涙を拭ったルルススは、レギーナの両手を取った。

「兄上とお呼びしてもよろしいのなら、呼ばせて頂けないでしょうか」

「当然だよ。だって、君はボクの弟なんだから」

 レギーナがルルススの手を握り返すと、ルルススは破顔した。

「一度で良いから、兄上とお呼びしたかったんです」

「フォルテ以外にそう呼ばれるのって初めてだなぁ。ちょっとくすぐったいけど、嬉しいよ」

 レギーナが照れ隠しに笑むと、ルルススは気恥ずかしげながらも柔らかな笑みを返し、レギーナに寄り添った。
彼の鼓動は速く、感情の高ぶりによって漏れてくる思念には喜びが垣間見え、レギーナまでも嬉しくなってしまう。
感じ慣れていた弟の体温がいつになく心地良く、心が解けていく。嬉しすぎて、苦しくなるほどの切なさが胸に迫る。
 皇太子と側近でもなく、光と影でもなく、ただの兄と弟としてレギーナとルルススは他愛もない言葉を掛け合った。
下らないことで笑い、つまらないことで喜び、どうでもいいことではしゃぎ、幼い頃のように花でお互いを飾り合った。
ルルススが心の奥底で凍らせていた忌まわしい記憶を少しでも塗り潰せたら、と、レギーナは弟を一心に愛した。
弟もまた、抗わなかった。レギーナの手で、レギーナの言葉で、レギーナの唇で、記憶を塗り替えることを望んだ。
 紡げることのない未来を手繰り寄せるかのように、良く似た姿の兄と弟はお互いを慈しみ、愛し、そして眠った。
噎せ返るような花の洪水に溺れ、存在する次元を生と死に隔てられた兄と弟は、指を絡めて握り合って安らいだ。
 二度と、離れることがないように。




 瞼を刺す日差しで、意識が引き戻された。
 階下からは甲高い声が聞こえ、鋭敏な聴覚をくすぐる。鉛を詰めたように重たい頭には、生々しい記憶がある。
花の匂いが鼻に残り、踊り疲れた足がだるい。ドレスを身に纏っていたような感触もあるが、やはりパジャマだ。
むっくりと起き上がったミイムは、幻想的すぎて飲まれそうな甘い夢の記憶に戸惑いながらも、ベッドから下りた。
寝る前にベッド脇に置いた服を取り、パジャマを脱ぎに掛かると、駆け上がってきた足音がドアの前で止まった。

「起きて起きて、ミイムママ!」

「みゅ?」

 勢い良くドアが開かれたので、ミイムが振り向くと、パジャマ姿のウェールが入ってきた。

「ほら、早くぅ!」

 やけに興奮しているウェールはぐいっとミイムの手を引っ張ったので、ミイムはよろけそうになった。

「みゅみゅう、なんですかぁ、うーちゃあん」

「見れば解るって! すっごいんだよ!」

 ウェールはミイムを引っ張って階段を下り、リビングに向かった。そこには、二人以外の家人達が揃っていた。
寝間着から私服に着替えているのは今朝の朝食当番であるヤブキだけだったが、皆が皆、窓の外を見ていた。
ウェールはミイムの手を離すと、父親の傍に駆け寄った。マサヨシはミイムに振り向き、掃き出し窓の外を示した。

「おはよう、ミイム。見てみろ、凄いことになっているぞ」

「なんてーか、世界が革命されちゃった感じっすねー」

 ヤブキが身を引いたので、ミイムは訝しみながら足を進め、窓の先に広がる光景を視認した途端に硬直した。
花。花。花。花。花。花。花。視界の隅々にまで淡いピンクの花弁が広がった、夢で見た光景と同じ光景だった。

「少女漫画の世界だな、こりゃ」

 ガレージから出てきたイグニスが率直な感想を述べると、トニルトスは感嘆した。

「有機物は好かんが、これは美しいと思わざるを得ないな」

「不可思議」

 アウトゥムヌスが首を傾げると、アエスタスは外を見渡し、花壇から大量のツタが生えていることに気付いた。
触手に似たツタの発生源には、昨日父親が持ち帰った花が埋まっていたが、養分を吸われて枯れかけていた。

「この花は、昨日父上がミイムママに贈られた花だよな? たった一晩でこんなに繁殖するものなのか?」

 発生源は解ったが納得の行かないアエスタスは、寝癖の残る髪を掻き乱した。

〈アモル・ロサの大量発生を引き起こした原因としましては、惑星プラトゥムとは異なる地質の土に植えられたために富栄養化したことが考えられます。コロニーの地質は、サブマスター・ヤブキの手によって植物の繁殖に適した環境に改善されていますので、適しすぎて過繁殖してしまった可能性が高いです。対処法としましては、伐採したのちに土壌の焼却が有効です〉

 マサヨシの肩の上に載った球状のスパイマシン、ガンマが淡々と説明すると、ヒエムスがむくれた。

「まあ、ガンマ姉様は無粋ですわね! こんなに綺麗なのに、切ったり燃やしたりしたら勿体ないですわ!」

「でも、このまま放置するのは良くないっすよ。家の回りだけ花だらけになるのはいいっすけど、オイラの畑まで浸食されちゃったら、それこそ死活問題っすからね」

 ヤブキは苦笑してから、呆然としているミイムを見下ろした。

「どうかしたんすか、ミイム? てか、真っ先にリアクションしてくれないとオイラも調子狂っちゃうっすよ?」

「あれ、夢じゃなかったの…?」

 ミイムはサイコキネシスで体を浮かばせると、家族達の声を背に受けながら、弟の姿を求めて花の海を飛んだ。
在るはずもなく、在ることが許されない弟の痕跡を探してしまう。夢だと解っているのに、夢だと思いたくなかった。
花びらの雨を浴び、朝の湿った空気に入り混じる濃密な花の匂いを貫きながら飛んだミイムは、制動を掛けた。
サイコキネシスを切って花の海に足を付け、ツタと葉と花を踏み潰しながら歩き、跪いて手を伸ばし、それを拾う。
 レギーナがルルススの髪に挿すために千切った花弁だった。宮廷舞踊を踊った際に、花を踏み潰した後もある。
ならば、やはり現実なのか。けれど、自室にはドレスなどないし、足は汚れていない。だとしたら、あの夢は一体。

「君達が、ルルススを連れてきてくれたの?」

 ミイムは無数の花に問い掛けるが、答えは返ってこなかった。だが、そう思うべきだと思った。

「ありがとう」

 千切った花に口付けを落としてから、ミイムは立ち上がり、弟と寄り添って横たわった花の海を見つめた。

「愛しているよ、ルルスス」

「ミイム。昨日の夜、何かあったのか?」

 マサヨシに問われ、ミイムは振り向いて明るく笑んだ。

「みゅふふふふぅ、秘密ですぅ!」

 限りなく現実に近い夢であり、限りなく夢に近い現実であり、交わらない次元が交わっていた奇妙な時間だった。
誰かに話してしまったら、脆く崩れ去るだろう。弟は弟であり、弟ではなかった。そして、己も己であって己でない。
どこからが現実で、どこからが夢なのか、境界線を引くことすら無粋に思える。だから、胸の奥に秘めておこう。
 ミイムは昨夜を思い出しながら、相手のいない宮廷舞踊を舞った。伸ばした指先は虚空を抜け、裾は翻らない。
この宇宙から去ってしまった弟を思い、異次元では生き続けているであろう弟を求め、兄は一人で舞い続けた。
魂の奥底から込み上がった熱い感情は涙ではなく笑みを迫り出させ、宮廷舞踊にアモル・ロサに勝る花を添えた。
 至福の笑顔という、極上の華を。







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