豪烈甲者カンタロス




第十二話 現れた真因



 女王掃討作戦は至って単純だ。
 女王の卵を抱いた三人の少女と少女達を守り戦う三匹の戦術外骨格を配置し、女王の卵の匂いを振りまく。
その匂いに釣られて地下から現れた女王を迎撃し、抹殺する。それを繰り返せば、女王の個体数は減少する。
いくらなんでも単純すぎでは、と繭や桐子はブラックシャインに意見したが、単純な方が確実だと言い返された。
ねねは作戦に対して思うこともなければ意見することもなかったが、とにかくやる気がなく人の話を聞かなかった。
ベスパから説き伏せられれば多少は耳を傾けるものの、まともに聞いたことはなく、最後には皆がさじを投げた。
 明治神宮球場は静まり、観客は一人もいない。グラウンドを照らす必要もないので、照明も全て落とされている。
野球には興味がないので、こんなところに来るのは初めてだ。物珍しく思った繭は身を乗り出し、球場を見渡した。
だが、カンタロスは微塵も興味を抱いていないらしく、自宅のリビングにいた時のように胡座を掻いて座っていた。
退屈なのか、しきりに爪先でコンクリートを叩いている。繭は苛立ちを掻き立てる音に辟易して、彼に振り向いた。

「暇なのは解るけど、ちょっとは我慢しててよね」

「そういうんじゃねぇよ」

 カンタロスは球場を取り囲むように建ち並ぶビル群を仰ぎ見、排気ガス臭い夜風に触角の先を揺らした。

「面白くねぇんだよ、何もかもが」

「そりゃあ…黒田さんに従うのは、私も納得したってわけじゃないけど」

 繭は手近な観客席に腰を下ろすと、裸足のつま先を振った。

「でも、その方が効率が良いのは確かなんだよね。ばらばらになっていがみ合いながら戦うよりも、桐子さんやねねちゃんと一緒に女王を倒していった方が、倒せる数も多いし受けるダメージも減るから」

「俺はあいつらを必要だと思ったことは一度もない」

 カンタロスは繭を視界の端に入れながら、広大な球場を眺めた。夜風に混じり、他の二組の匂いが感じられる。
そして、三組を指揮する立場にあるブラックシャインこと黒田輝之は、真正面のスコアボードの上に待機していた。
 そのどれもが、邪魔だった。二度目の渋谷駅前戦の直後は、カンタロスも繭も極度の疲労に襲われていたのだ。
だから、あの場は黒田に従うしかなかった。カンタロスが生き延び、繭を生かすためには、それ以外にはなかった。
疲れてさえいなければ、黒田になど従わなかった。今すぐにでも黒田を殺したいが、繭がいちいち説き伏せてくる。
利用されている立場なのだから、こちらも彼らを利用してやるべきだ、と。それは道理だが、納得出来ないのだ。
頭ではそうすることが有益だと解っているが、腹が立つ。誰かに従っているという事実だけで、強烈な屈辱だった。
 だが、今のところは辛うじて押さえ込んでいる。あの戦いを境に、繭が積極的に体液を与えてくれるからだった。
理由はカンタロスには解らないが、以前は渋っていた陰部の体液も、恥じらいながら差し出してくるようになった。
女王の体液の摂取量が増えたこともあって、カンタロスは苛立ってはいたが体の方はすこぶる調子が良かった。

「おい」

 カンタロスが繭に声を掛けると、繭は飲みかけていたスポーツドリンクのボトルを下ろした。

「ん、何?」

「お前、ここに来る前もがばがば飲んでただろうが。なんでそんなに水を飲むんだ」

「だって、カンタロスの中に入って戦うと、喉が渇いても何も飲めなくなっちゃうじゃない。だから、今のうちに」

「あんまり飲むな。後で面倒なんだ」

「え? 何が?」

 繭がきょとんとしたので、カンタロスは聞き返した。

「なんだ、お前、気付いてなかったのか?」

「だから、何が?」

「戦闘後に、お前の漏らした排泄物が俺の体液に混じってることが多いんだよ」

「…え」

 繭が固まると、カンタロスはうんざりしたように首を振った。

「それを俺の排泄物に混ぜて外に出すのはいいんだが、俺の体液に比べて塩分も有機物も多いもんだから、内臓が痛んで仕方ねぇんだよ。だから、女王は何も飲むな。飲まなきゃ出ねぇしな」

「それ、嘘、じゃ、ないよね?」

 青ざめた繭が徐々に後退したので、カンタロスは身を乗り出して繭に迫った。

「俺が嘘を吐いてどうなる。さっさと腹の中を空にしてこないと、腹を裂いて内臓ごと中身を引き摺り出すぞ?」

「ううぅ…」

 繭は肩を縮め、俯いた。人間は、痛みのあまりに失禁することがあるらしいので、きっと本当の話なのだろう。
カンタロスは逃げ腰になりすぎて客席に横たわったも同然の繭に覆い被さると、外骨格を開き、神経糸を出した。

「なんだったら、今、ここで出させてやる。その方が俺は楽だ」

「だっ、ダメ、ダメだってばぁ!」

 繭は慌てて太股の中程まであるTシャツの裾を押さえるが、下には何も着ていないので容易に滑り込んできた。
冷たい体液にまみれた神経糸は繭の太股を這い上がり、そのまま股間に至り、異物が胎内に押し込まれてきた。
それも、二カ所同時にだった。前はともかく、後ろに入れられたのは初めてだったので、繭は顔を引きつらせた。

「いだぁっ!」

 ぐじゅぐじゅと太い神経糸が蠢いて、普段は硬く絞られている筋肉が強引に開かされ、腸の中に侵入してくる。
それがいつも以上に気色悪く、繭は懸命に吐き気を堪えながら、カンタロスの神経糸を掴んで慎重に引き抜いた。

「解ったからぁ、もう、やめてぇ…」

 繭はカンタロスを押しやって身を起こすと、下腹部の異物感によろけながら立ち上がった。

「トイレ、行ってくるぅ…」

「この俺が突っ込んでやったんだ、腸の中身は全部出るだろ」

「そんなにはっきり言わないでよ、恥ずかしいから!」

 繭は妙に得意げなカンタロスに言い返してから、壁伝いに歩いた。カンタロスに探られたせいで腸が変だった。
蛍光灯が付いていても薄暗い廊下を歩きながら、あっちの方で合体するんじゃなくて良かった、とつくづく思った。
世の中には、今し方カンタロスに抉られた方の穴で性交する人間もいるようだが、到底理解出来そうになかった。
本来使うべきものである生殖器であっても痛いものは痛いのに、本来の用途ではない使い方をされるのだから。
 トイレに向かう道中、セールヴォランとねねとベスパを見比べてみたが、あちらはこちらと違って平和そうだった。
セールヴォランは桐子と人格を切り替えて会話しているし、ねねはお仕置きを懇願してくるベスパを虐げている。
少なくとも、繭のように排泄器官を抉られてはいない。隣の芝は青いどころか美しいなぁ、と繭は思ってしまった。
 同じ状況に置かれているはずなのに、皆、こうも違うものか。




 女王の卵が、疼いている。
 女王を感じているからだ。己の遺伝子を後世に残すために備えられた闘争本能が騒ぎ、神経を逆立ててくる。
足の裏に伝わる震動が大きくなるに連れて、疼きは増していく。繭は卵の収まった腹部を押さえ、顔を歪めた。
腸の中身は先程出し切ったので、その痛みとは異なっている。同時にその時の苦痛も思い出し、気が萎えた。
カンタロスの神経糸に腸内を抉られた感触も蘇ってきそうになったが、なんとか押し殺し、周囲に注意を向けた。
 スコアボードの上に直立して上両足を組んでいるブラックシャインは、赤いマフラーを靡かせ、複眼を輝かせた。
ブラックシャインは女王の卵を有していないので女王の気配を直接感じることは出来ないが、変異は感じ取れる。
三人の女王を明治神宮球場に連れてきてからというもの、空気に入り混じっている匂いが微妙に変化していた。
人型昆虫の体組織を全身に移植された改造人間だからこそ感じ取れることであり、また理解出来ることだった。
 一塁側にはセールヴォランが控えているが、今は彼本来の人格に切り替わっているらしく、直立不動だった。
セールヴォランはやる気はなかったが、それなりに警戒しているらしく、二本の触角を跳ねるように動かしていた。
 三塁側に待機しているねねはかなり焦れているようで、座席に足を投げ出してだらしなく座り、舌打ちしていた。
彼女の足元で這い蹲っているベスパは、ねねのかかとに頭を抉られながらも、触角を上げて気配を探っていた。
 繭とカンタロスは、本塁側を割り当てられた。体力を消耗してしまわないために、合体はまだ行っていなかった。

「ん?」

 ブラックシャインは片方の触角を上げ、球場全体を見渡した。

「女王様方。来客だ」

「んだよ、マジ遅いし」

 ねねは散々かかとで抉っていたベスパの頭を強く蹴ってから、勢いを付けて起き上がり、服を脱ぎ捨てた。

「んじゃ、さっさと殺してさっさと帰るか。つか、なんかもう腹減ったし」

「仰せのままに、クイーン。本日も素晴らしい虐げでした」

 ねねの足跡が頭部の外骨格に付いたベスパは深々と礼をしてから、胸部の外骨格を開いて神経糸を伸ばした。
二次性徴途中の幼い裸体に黄色い神経糸が絡み付き、鼻と口を塞ぎ、頸椎に差し込まれ、陰部に押し込まれた。
冷たくぬめついた感触にねねが眉を歪めると、ベスパはねねを体内に引き込んで収め、胸部の外骨格を閉じた。

「僕は戦う、桐子のためだけに」

 セールヴォランは胸部に収めている桐子の頭部に接続する神経糸を増やし、彼女の意識と己の意識を重ねた。

「ええ、そうよ。私達は私達のためだけに戦うのよ」

 セールヴォランの声に重ねるように桐子の声が聞こえると、立ち姿が女性らしいものに変わった。

「カンタロス」

 繭が傍らのカンタロスに向くと、カンタロスは上右足の爪を差し出し、繭の体を包むTシャツに引っ掛けた。

「その前に脱げ。邪魔だ」

「あっ、待って!」

 繭が抗議するが、手遅れだった。カンタロスの鋭利な爪は呆気なく薄い布地を裂き、襟から胸元までが切れた。
これ以上下着をダメにしてはいけないと思ったので、Tシャツの下は何も着ておらず、ブラジャーもパンツもない。
裸体を見せるのは初めてではないし、服を裂かれるのも初めてではないが、繭は羞恥心に襲われて身を丸めた。

「…自分で脱ぐよ」

「脱ぐのを見るより脱がせる方が面白いじゃねぇか」

「エッチなんだから」

 繭はむくれながら、前面を裂かれてしまったTシャツを脱ぎ捨て、カンタロスを見上げた。

「後ろには絶対に入れないでね? もう一回入れたら、今度こそ神経糸を噛み切っちゃうからね?」

「女王のくせして、俺に指図するんじゃねぇ」

 カンタロスは胸部の外骨格を開き、にゅるりと神経糸を伸ばした。繭は縮めていた肩を緩め、彼に身を委ねた。
青い体液に濡れた神経糸は繭の肌を這い回り、鼻と口を塞いでから頸椎に接続され、腰から股間に滑り込んだ。
その先端が後ろに向かいそうになり、繭がびくっとすると、いつものように潤ってもいない陰部へと押し込まれた。
繭が怒るよりも先にカンタロスは繭を体内に収めて胸部の外骨格を閉じ、意識を重ね合わせて感覚を共有した。
 いつもと変わらぬ、冷ややかな体液の感触。真夏の生温い夜気よりも心地良く、異物感も次第に薄らいできた。
瞼を開けなくても視界には外界が映り、人間よりも遙かに鋭敏な感覚があらゆるものを感じ取り、脳に伝わった。
この膨大な情報の中には、カンタロスの感情もあるのだろうか。意識してしまうと、妙な気持ちになってしまった。
知りたいような、でも知りたくないような。繭が躊躇いと好奇心の狭間で揺れていると、カンタロスが脳内で喚いた。

『さっきから何をごちゃごちゃ考えてやがる。女王の気配に集中出来ねぇだろうが!』

「ごめん、なさい…」

 途端に好奇心が萎んで罪悪感に駆られた繭は、カンタロスを操ることに集中し、彼の感じる気配を感じ取った。
空気に入り混じる女王の匂いが濃さを増し、繭の子宮の奥でも女王の卵が疼きを強め、鈍い重みを生じていた。
そして、繭の神経も高揚し始めていた。これまでにも女王と敵対した時に感じた、体も心もが焼け付くような熱だ。
しかし、いつもとは熱の量が違い、感じ取った方向も多かった。カンタロスが顔を上げると同時に二匹も反応した。
 広大な球場を取り囲む観客席がひび割れ、丁寧に整えられた芝生が盛り上がり、剥き出しの土が吹き飛んだ。
砂や土煙を上げながら地中から這い出してきたのは純白の女王だが、これまでの事例とは大きく異なっていた。
 人型昆虫の女王は、三体同時に現れていた。誰にとっても前例のないことであり、ブラックシャインも身動いだ。
三体の女王はきちきちと細い顎を鳴らしながら、三匹の戦術外骨格と、人でもなければ虫でもない男を見回した。
女王の大きさは均等で、体格にはあまり差がなく、数百個の卵を孕んだ腹部はいずれもでっぷりと膨らんでいる。
なぜ、こんなことが。カンタロスが戸惑っていると、スコアボードから球場全体を見渡したブラックシャインは呟いた。

「どうやら、卵の数だけ女王が現れてしまったようだな」

「つか、マジどうすんだよこれ! 責任取れよゴキブリ!」

 ベスパがびいびいと羽を揺さぶって喚くと、セールヴォランは爪先で硬い頬をなぞった。

「そうね。これはさすがに面倒ね」

「えっと、どうするんですか?」

 カンタロスが怖じ気づきながらブラックシャインを仰ぎ見ると、ブラックシャインは三本の爪を立てた。

「一組一匹の割り当てで戦う他はなかろう。それが最も確実な作戦だ」

「それで、あなたはどうするのよ?」

 セールヴォランに問われ、ブラックシャインは女王が這い出してきた穴を見下ろした。

「俺には他の任務があるんでな。では、諸君、健闘を祈る!」

 赤いマフラーを翻しながら鮮やかに跳躍したブラックシャインは、女王が作った巨大な穴に身を投じてしまった。
女王は一瞬触角を向けたが、すぐにカンタロスらに注意を戻して、重たげに腹部を引き摺りながら接近してきた。
ブラックシャインの目論見は解らないでもなかったが、現場の指揮を執る立場にある者がそれでいいのだろうか。
だが、この中には指揮を執っても命令を聞くような輩はいない。だから、単独行動を取っても構わないのだろう。
セールヴォランとベスパを見やって勝手に結論付けたカンタロスは、本塁側へとにじり寄ってくる女王と対峙した。
 女王は六本の長い足を折り曲げて観客席に突き刺すと、コンクリートを割って座席を壊しながら乗り出してきた。
巨体の下でべきべきと容易くパイプが折れ曲がり、コンクリートが砕けて鉄骨が露出するが、それも曲がっていく。
自重だけでも凄まじそうだが、それに加えて卵の重さもある。押し潰されたら、カンタロスでもまず耐え切れない。
ヘラクレスの比ではない重量の持ち主では、投げ飛ばすのも無理だ。カンタロスは視線を巡らせ、周囲を探った。
だが、武器に出来そうなものは見当たらない。カンタロスが考えあぐねていると、女王はぐばりと顎を全開にした。

「このっ!」

 牽制になれば、とカンタロスは手近な座席を引きちぎって女王に投げるが、女王の頭部を掠めただけだった。
それどころか、女王は余計に興奮して近付いてくる。カンタロスは後退しつつ、二組の様子も複眼の端で窺った。
セールヴォランは女王との距離を一定に保ちながら隙を探っていて、ベスパは高く飛行して女王を攪乱している。
手が出せないのは、どちらも同じなのだ。下手に近付けば押し潰されるが、距離を取りすぎては攻撃も出来ない。
どこか狭い場所に誘導しなければ、と思ったが、周辺への被害は避けるようにとブラックシャインから注意された。
だが、そんなことはどうでもいい。カンタロスは通路に繋がるゲートに乗ると、外羽を広げて琥珀色の羽を広げた。

「あなた、飛べる?」

 カンタロスの問い掛けに応じたのか、女王は銀色の羽を広げ、びいいいん、と忙しなく動かした。

「そう、だったら私に追い付いてみて!」

 ゲートを蹴り付けてカンタロスが上昇すると同時に女王も羽ばたきを強め、巨体を自力で持ち上げて浮上した。
その速度は呆れるほど遅かったが、誘導しなければ始まらない。球場では広すぎて、女王と戦いようがないのだ。
カンタロスが球場を包んでいるネットの上を越えると、女王はそのネットを薄紙のように突き破り、追い掛けてきた。
セールヴォランとベスパはこちらを見たが、同じ戦法を取るつもりはないらしく、一瞥しただけで己の戦いに戻った。
カンタロスは女王との戦いで二人が死ぬことを願いながら、よろめきながら飛ぶ女王を率いて青山通りを越えた。
 都会の喧噪が、悲鳴へと変わった。





 


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