豪烈甲者カンタロス




第四話 剥がれた虚勢



 弾丸の尽きた拳銃を下げ、血と脂肪に汚れたナイフを捨てた。
 桐子の体を覆っている入院着は満遍なく返り血を吸い込み、裾からは雫がぽたぽたと落ち、足の甲を叩いた。
簡単すぎて、面白くない。足元に転がる研究員の死体からマガジンを取り、熱い銃身から空のマガジンを落とす。
別の兵士を殺した時に奪った手榴弾のピンを引き抜いて、桐子に向かって駆けてくる兵士の一団に投げ付けた。
床に転がる手榴弾に、兵士達は一瞬足を止めた。リロードを終えた桐子は、的確に兵士達の顔面を撃ち抜いた。
眼球を吹き飛ばされ、鼻を潰され、歯を折られながら兵士達は倒れ込む。直後、先に投げた手榴弾が炸裂した。

「私は強い」

 血飛沫の混じる爆風を浴びながら、桐子は平坦に呟いた。

「セールヴォランは強い」

 だから、誰であろうと二人を阻めない。桐子は頬を伝い落ちる返り血を手の甲で拭ってから、扉に向き直った。
一際分厚い鋼鉄の扉がそびえ、冷たく閉じていた。第二研究棟の最深部であり、あの地下室への入り口だった。
かつて、桐子が女王によって卵を植え付けられた場所であり、セールヴォランとの邂逅を果たした場所でもある。
だが、現在は人型昆虫に実験を行うための部屋であり、実験台の人型昆虫を処分するための部屋になっていた。

「セールヴォラン…」

 桐子は壁に設置されたコンソールに、研究員から奪ったカードキーを滑らせ、パスワードを入力した。

「今、迎えに行くわ」

 甲高い電子音の後、扉の内側でロックが外れ、鈍く軋みながら開いた。桐子は頬を緩めながら、足を進めた。
血の足跡を連ねながら薄暗い階段を下りると、再び扉が現れた。この先に、セールヴォランが封じられている。
桐子は奥の扉のロックを外して開いて、中へと進んだ。入った瞬間、若干冷えた液体をぬちゅりと踏み付けた。
一階の廊下からかすかに入り込んできた光の粒子が、分厚い闇を和らげ、そこにあるものの姿を見せてくれた。
 右側のあぎとと中右足を失った巨体のクワガタムシ、セールヴォランがだらりと全ての足を垂らして立っていた。
全ての足と左側のあぎとには拘束具が付けられていたが、太い鎖は引き千切られて鉄輪の破片も散乱している。
セールヴォランの足元には、ずたずたに引き裂かれた肉の固まり、恐らくは研究員であろう物体が転がっていた。
彼は大きな顎でぐちゃぐちゃと潰れた肉塊を噛んでいたが、肉塊の芯である太い骨を容易く噛み砕くと嚥下した。

「…桐子」

 セールヴォランは血の滴る顔を桐子に向けたが、伏せた。

「僕は桐子に愛される資格がない」

「そんなことはないわ、セールヴォラン。私はあなたが大好きよ」

 桐子が近寄ると、セールヴォランは上両足で頭を抱え、背を丸めた。

「僕は何の役にも立たない。僕は桐子の道具だ。僕は桐子の兵器だ。なのに、僕は負けた。十五号に負けた!」

「セールヴォラン…」

「僕は武器を失った! 僕は力を失った! 僕は僕である意味を失った!」

 子供のように喚きながら、セールヴォランは座り込んだ。

「だから僕は処分されてしまう! 僕は桐子のものなのに、僕は桐子の傍にいられなくなってしまう!」

「落ち着いて、セールヴォラン。私はちゃんとここにいるわ」

 桐子はセールヴォランの前に膝を付き、優しく語り掛けた。

「僕は桐子のものだ! 桐子は僕のものだ!」

 動揺と混乱で我を忘れたセールヴォランは、力任せに桐子を引き寄せて、爪を立てて抱き締めた。

「ぎぁっ!」

 肩と背中に突き立てられた爪に肌を破られ、桐子は痛みに身を捩った。

「桐子…桐子…僕の桐子…」

 セールヴォランは血に濡れた顎から舌を伸ばし、桐子の傷口を丹念に舐めた。

「僕の桐子」

「私のセールヴォラン」

 桐子はセールヴォランの顔を両手で挟むと、返り血に濡れた複眼を撫でた。

「良い子ね、セールヴォラン。もう、落ち着いたでしょ?」

「…うん」

 セールヴォランは桐子の血の絡む舌を顎の中に収め、閉じた。

「愛しているわ、セールヴォラン」

 桐子は血を吸って重たくなった入院着を脱ぎ捨て、セールヴォランの冷ややかな外骨格に裸身を預けた。

「ねえ、セールヴォラン。二人で逃げましょう?」

「逃げる。でも、どこへ」

「どこだっていいわ。あなたと私が幸せに暮らせる場所なら」

「桐子がそれを望むのなら、僕も望む」

「ありがとう。でも、その前に一つだけ、やることがあるわ」

 桐子はセールヴォランの折られたあぎとの根本を慈しむように撫でていたが、憎悪を滾らせた。

「十五号とあの子を殺すのよ。あいつらはあなたを傷付けたんだもの、殺してやるべきなのよ!」

「うん。僕も、十五号ともう一人の女王は殺したい」

 セールヴォランは顎を噛み合わせながら、胸部の外骨格を開いて神経糸を伸ばし、桐子の裸身に絡み付けた。
自分のものと他人のものが入り混じる血に汚れた肢体に体液に潤った管が巻き付き、桐子は体から力を抜いた。
にゅるにゅると自在に動く神経糸は、彼の爪に皮膚を裂かれた肩や背中を舐め回してから、乳房や太股を戒めた。
待ち侘びていた快感に桐子が弛緩すると、セールヴォランの神経糸は頸椎に刺さり、陰部の奥へ滑り込んできた。

「あ、はぁんっ」

 桐子がセールヴォランに縋ると、セールヴォランは爪先で桐子の頬に触れた。

「桐子が気持ちいいのなら、僕も気持ちいい」

「凄く…素敵よぉ…」

 体の芯から熱する感覚に陶酔した桐子は、セールヴォランにキスをした。

「さあ、私を抱いて。愛しいセールヴォラン」

「桐子が僕を求めるなら、僕は桐子を求める」

 セールヴォランの胸部と腹部の外骨格が開き、桐子の華奢な体が引きずり込まれ、体液と内臓の内に没した。
残りの神経糸に口と鼻を塞がれ、完全に感覚を共有させてから、セールヴォランと化した桐子は立ち上がった。
体を包み込む内臓の冷たさが心地良く、視界の暗さが気分を高揚させ、脳に流れ込む彼の感情が心を熱させる。
桐子がセールヴォランを愛すれば、セールヴォランも桐子を愛してくれる。二人の世界には、二人しかいないのだ。
だから、桐子がセールヴォランを失うことを恐れるのと等しく、セールヴォランも桐子を失うことを恐れているのだ。

「最高に素敵」

 感嘆したセールヴォランは、己を抱き締めた。

「ぅふふふふふふふふ」

 半開きの扉の先からは乱暴な足音が聞こえ、兵士達が迫ってくるのが解る。だが、何者でも二人を阻めない。
セールヴォランは悠長に歩き出すと、銃声が地下室を揺さぶった。セールヴォランは厚い扉を剥がし、盾にした。
心身共に傷付いたセールヴォランをこれ以上傷付けるのは可哀想だから、弾が切れるまでしばらくそうしていた。
銃声が落ち着くと、セールヴォランは無数の弾痕が付いた金属製の扉を投げ捨て、硝煙を散らしながら歩いた。

「行きましょう、セールヴォラン」

 セールヴォランは一番手前にいた兵士の頭部を爪で薙ぎ払い、次の兵士の首を握り潰す。

「私達は、幸せになるのよ」

 胸を貫き、腹を割き、足を引き千切り、腕を砕き、頭を潰しながら、セールヴォランは優雅な足取りで進んだ。
地下室の入り口から出ると、今し方殺した兵士よりも重武装の兵士に取り囲まれたが、何者にも阻めないのだ。
狭い場所ながら敏捷に動いたセールヴォランは弾薬の雨を浴びる前に跳ね上がり、陣営の真ん中に着地した。
彼らが陣形を取り戻す前に、しなやかに下足を上げて蹴りを放つ。一回転する間に、ほとんどの兵士が死んだ。
死んだ兵士から自動小銃を奪い、手榴弾を奪い、ナイフを奪いながら、セールヴォランは外界への扉を目指した。
 愛を貫くために。




 被害は甚大だった。
 研究施設の大部分は破壊され、生存者も少なく、手榴弾によって巻き起こされた火災で資料の大半が焼けた。
先日も、十五号に研究所を破壊されたばかりだというのに、こうも立て続けに破壊されてしまってはお手上げだ。
あれは別の研究所に移しておいて良かった、と薫子は安堵して肩を落とした。実用化する前に破壊されては困る。
 闇夜を塗り潰すように、朱色の炎が吼えている。どす黒い煙を吐き出しながら、白亜の建物は焼け焦げていた。
建物を取り囲んでいた鉄格子も焼け爛れ、場所によっては壊れている。辛うじて逃げた者達は、呆然としている。
無理もないだろう。今まで人間に従順に従っていた人型昆虫が突然暴れ出し、使用者と共に逃亡したのだから。
この研究所に配属されていた兵士では歯が立たず、敵が武器の扱いに慣れていたためにやり返された始末だ。
セールヴォランの使用者である桐子は、戦闘のセンスが優れている。それ故、戦闘教育にはかなり力を入れた。
だから、拳銃だけでなく手榴弾やナイフ、引いては自動小銃も扱えるのだが、少し教え込みすぎてしまったようだ。
対人型昆虫用戦術外骨格の体格と能力を持ちながら武器も使えてしまうのでは、自衛軍と言えど勝ち目はない。

「マジダサいんだけど。つか、ダサすぎてウケるし」

 燃え盛る研究所を見つめながら、セーラー服姿の少女が退屈そうに漏らした。

「あー良かった、これでキチガイ女と会わなくて済むし」

 脱色した髪に両耳にピアス穴を空けた小柄な少女は、タバコを取り出して慣れた仕草で銜えた。

「火ぃ、くれね?」

「仕方ないわね」

 薫子はジャケットの内ポケットからライターを出し、少女に投げ渡した。

「んで、あたしはこれからどうすりゃいーの? てか、マジつまんねーんだけど」

 少女はタバコに火を付けると、煙を肺まで吸い込んだ。

「ねねちゃんは、北関東の研究所に移送されるわ。そこで、戦術外骨格を用いた戦闘訓練を行うのよ」

 薫子が言うと、少女は金と茶色の中間のような色合いのショートカットの髪をいじった。

「で、いくらくれんの?」

「あなたが欲しい分だけ、欲しいものをあげるわよ」

「うっそマージでー。んじゃ金くれる、金? あたし、マジ安くないし?」

「まあ、少なくともあなたが体を売って稼いだお金の二十倍はあげるわよ。元々は税金なんだけどね」 

「マジ最高、つかそれヤバすぎだし!」

 けらけらと笑い転げる声は乳臭く、顔立ちも子供っぽさが濃く残っている。桐子よりも三歳も年下だから当然だ。
だが、タバコを吸う手付きは慣れたもので、女王の卵を移植する際に行った身体検査では飲酒の事実も解った。
もちろん、幼い体は既に純潔を失っている。つい二年前まで小学生だったはずなのだが、面影は欠片もなかった。
薫子は少女に辟易しつつも、顔には出さなかった。桐子がセールヴォランと逃げた今、彼女しか戦力にならない。
 蜂須賀ねね。可愛らしい名前とは裏腹に、年端もいかない頃から薄汚い世界に入り浸り、染まり切った少女だ。
研究所が派遣したエージェントの話に寄れば、ねねは深夜の市街地を徘徊して、少女達と共に酒を飲んでいた。
同じように髪を染めて肌を焼いた少女達に囲まれたねねはエージェントに対し、いくらで買う気、と笑って尋ねた。
そういった少女達の扱いに慣れているエージェントは適当な言葉でそれを受け流し、ねねを研究所まで移送した。
そして、検査を行った後、十五号が破壊した研究所から持ち出すことの出来た女王の卵を移植し、女王となった。
高校の戦闘に参加していた兵士の報告に寄れば、桐子の殺戮から逃れた少女は十五号と合体していたという。
だから、事実上ねねは三人目の女王だ。だが、戦闘に長けている桐子とは違い、ねねは当てに出来そうにない。
しかし、このまま十五号と二人目の女王を野放しにしておいては、いずれその女王から新たな女王が生まれる。
不本意ではあるが、ねねを実戦に投入するしかないだろう。あれが実用化に至るまでは、繋ぎが必要だからだ。

「ねねちゃん」

 薫子は二本目のタバコを吸い始めたねねに向き直り、言った。

「あなたの当面の任務は、十五号ともう一人の女王の抹殺よ。人型昆虫の掃討は二の次よ」

「んじゃ何、あたしに人殺ししろってこと?」

「そうよ」

「うっわヤバすぎ、てかマジウケるんだけど」

 ねねは吸いかけのタバコを吐き捨て、可笑しげに肩を揺すった。

「でも、その前に、あたしのやりたいことやらせろよ。でないと、あたし、任務なんてしねーし?」

「言ってみて」

「一家惨殺」

 ねねは薫子を覗き込むように見上げ、にたりと目を細めた。

「どう? マジウケるっしょ?」

「それぐらい、なんてことないわ」

 薫子は眉一つ動かさずに返し、ねねを見下ろした。

「あなたが欲しければ、一個小隊ぐらいプレゼントしてあげるわ」

「バッカじゃねーの? あたしが殺すんだけど、あーたーしーがぁ」

 ねねはにやにやと笑いながら、自分を示した。やけに得意げな顔のねねから目を外して、薫子は歩き出した。
生存者を救出するために集められた救急車がパトライトを回転させ、朱色の炎の中に赤い閃光を走らせていた。
何を思ったのか、ねねは唐突に笑い出した。少女らしい柔らかさのない、下品な声でひとしきり笑い転げていた。
扱いづらいタイプだ、と思いつつ、薫子はねねの移送先である研究所に連絡し、戦術外骨格の現状を確認した。
今のところ、使用可能状態にまで改造と成長が進んでいる戦術外骨格は一体しかない、との報告が帰ってきた。
それをねねに扱えるかどうかは疑問だが、ねねが死んだらその時はその時だ。所詮、少女も昆虫も使い捨てだ。
 どいつもこいつも、情を寄せるだけの価値すらない。





 


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