豪烈甲者カンタロス




第六話 放たれた衝動




 梅雨入りしてからは、人型昆虫の動きは大人しい。
 繭は窓を伝う雨を横目に見、雑誌を閉じた。付けっぱなしにしているテレビからは、芸能情報が流れている。
空は連日鉛色で、絶え間なく雨が落ちてくる。リビングには生乾きの洗濯物が連なり、更に湿度を上げていた。
だが、雨でも買い物には出なければならない。戦わずとも飢えるほど空腹になるので、食べずにはいられない。
だから、すぐに冷蔵庫が空になってしまう。その上、雨降りのせいでカンタロスが狩りに出かけられないからだ。
 ごく普通の昆虫と同じように、カンタロスも水に弱い。羽が濡れて傷んだり、気門が詰まってしまえば一大事だ。
どれほど凄まじい力を持つ人型昆虫と言えど、やはり虫は虫だ。人間のように、天候に応じた対応が出来ない。
戦わなくても済むのは楽なのだが、巨体の居候を食べさせるのは一苦労だ。繭は、壁際に座る甲虫を見やった。

「カンタロス」

「なんだ」

 退屈でたまらないのか、カンタロスの語気は荒い。

「今日も鶏肉とハンバーグで我慢出来る?」

 繭が言うと、カンタロスはぎちぎちと顎を噛み合わせた。

「あんな血の気の薄い肉、腹が減ってなかったら喰わねぇぞ。でもって、ハンバーグはついでだ」

「でも、あれぐらいしか、大きな固まりって売ってないんだもん」

 繭はソファーから腰を上げ、ワンピースの裾を整えた。

「クリスマスでもないのにローストチキン用のお肉を探すのって大変なんだから、贅沢言わないでほしいな」

「だったら、お前が適当に人間を殺して引き摺ってこい」

「それが出来たらやってるけど、私、腕力ないし…」

 繭は胸の前で手を重ね、肩を縮めた。カンタロスは、気を紛らわせるために下右足の爪先で床を叩いた。

「なんだったら、ここまで誘い込んでくればいい。後は勝手に俺が喰う」

「それじゃダメだよ、すぐに足が着いちゃう」

「足?」

「警察に見つかっちゃうってこと。私達が虫と戦ったことは報道されないみたいだけど、安心は出来ないから」

「ケイサツなんざどうでもいいだろうが」

「良くないよ。警察に見つかったら、カンタロスと別れなきゃいけなくなっちゃう」

「逃げればいいだろうが」

「そしたら今度は、お風呂に入れなくなっちゃう」

「面倒な奴だ」

 カンタロスが顔を背けたので、繭は眉を下げた。

「だって…」

 カンタロスの言うように安直に物事が進めば誰も苦労はしない。それに、ここまで変化がないと逆に不気味だ。
これまで、テレビや新聞で人型昆虫の話題を目にしたことはない。六本木のオフィス街での戦闘も、そうだった。
はらはらしながら翌日の朝刊を開いたが、一面に載っていたのはあの事件とは全く関係ない政治の話題だった。
報道面を開くと六本木のオフィスビルで火災が発生したとは載っていたが、誰も人型昆虫のことを言及していない。
繭の通っていた高校での事件は形を変えて報じられたが、それぐらいで、他の件はテレビも新聞も伝えていない。
ここまで来ると、何かしらの力が働いているとしか思えない。それが一体何なのか、繭であろうとも感付いていた。
 対人型昆虫用戦術外骨格。それがカンタロスの正式名称であり、生きた武器であり鎧である彼の正体である。
名称からして、特殊な武装であることは間違いない。そして、そんなものを開発出来るのは、どう考えても政府だ。
人型昆虫の出現と襲撃の事実を隠匿しているのも、政府だろう。漫画じみた展開だが、それ以外に考えられない。
だから、尚更動きたくなかった。繭が殺人や誘拐を行ってカンタロスの空腹を満たしたら、すぐに特定されてしまう。
そうなれば、繭はカンタロスから引き離されてしまう。処刑されるか、投獄されるか、その場で射殺されるか、だ。
いずれにせよ、彼が望む結末ではない。それはカンタロスに対する裏切りであり、その苦労を無下にする行為だ。

「じゃ、私、お買い物に」

 繭がリビングから出ようとすると、カンタロスの視線が向いた。

「おい」

「な、何?」

 ドアを開けかけた繭が振り返ると、カンタロスは爪を上げて曲げた。人間で言うところの手招きだ。

「来い」

「え、でも、買いに行かないと、何も…」

「俺の命令が聞けないのか?」

「解った」

 ここ最近、暇を持て余しているカンタロスは繭を構うことを覚えてしまい、用がなくても呼び付けるようになった。
少しでも興味を持ってくれたのはありがたいが、その内容が頂けない。繭はため息を一つ零し、彼に近付いた。
カンタロスは胡座を掻いたまま、微動だにしない。繭は躊躇いと緊張で汗ばんだ手で、ワンピースの裾を握った。

「今日は、一体何するつもりなの? あ、あんまり変なことしないでよね?」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ、うざってぇな」

 カンタロスは胸部の外骨格を少し開いて黄色い神経糸をにゅるりと出し、自在に曲げて繭の裾の下に入れた。

「う、ああっ」

 下着を押しのけて侵入してきた異物に繭が身を捩ると、カンタロスは二本目の神経糸を出し、更に押し込んだ。

「相変わらず、どうしようもねぇ狭さだな」

「そんなこと、言われてもぉ…」

 繭が苦痛に喘ぐが、カンタロスはそれを無視して神経糸を蠢かせた。

「お前も生き物なんだ、ちったぁどうにかなるだろ」

「こんなこと、して、何になるの…」

 股の下にカンタロスと自身の体液を落としながら、繭は羞恥に苛まれて唇を噛んだ。

「俺のが折れなくて済む。自分で言うのもなんだが、俺の生殖器はデカいからな」

「それだけ…?」

「ついでに言えば、卵が潰れずに済む。お前のが狭すぎるのが悪い。これでよく女王になれたもんだな」

「好きで女王になったわけじゃないよ…」

 繭はワンピースを握り締め、涙が浮かびそうになったが拭った。泣いたところで、止めてくれる相手ではない。
昨日は繭の肌の耐久性が無性に気になったらしく、繭を無理矢理押さえ込んで、至るところに噛み付いてきた。
おかげで、腕や足や肩や腹にはカンタロスの顎の形の痣がくっきりと残り、場所によっては出血した部分もある。
精一杯抵抗したのだが、カンタロスは力を緩めなかった。それどころか、抗えば抗うほど力を増してきたほどだ。
 ずぢゅ、と粘液にまみれた二本の神経糸が引き抜かれた。繭は安堵した途端に脱力して、床にへたり込んだ。
カンタロスは散々繭を弄んでいた神経糸を中に戻さず、更にもう一本出してきたので、繭はひくっと引きつった。

「え、まさか、それ…?」

「入れるに決まってんだろうが」

 しれっと言い放ったカンタロスに、繭は後退った。

「だ、ダメだよ、そんなに絶対に入らないって! だからやめて、お願い!」

「二本入ったんだ、三本ぐらいどうってことねぇだろ」

「ある、ある、どうってことある!」

「お前は俺に全部捧げたんじゃなかったのか? あん?」

「そうだけど、だけど、でも、三本はダメぇ!」

 繭は首を横に振るが、カンタロスは上左足の爪先を繭の頬に添え、食い込ませた。

「やってみなきゃ解らねぇだろうが。俺は退屈なんだよ、腹も減ってんだよ、戦えないから体が疼くんだよ。だから、俺はお前で遊ぶぐらいしかすることがねぇんだよ。首を飛ばされたくなかったら、大人しく股を開け」

「うぅ…」

 繭は畏怖と羞恥で呻き、頬から爪が離れると崩れ落ちた。肉にまでは及んでいないが、薄く皮が切れている。
糸を引いたように、一筋だけ赤が滲んでいる。繭はその真新しい傷に触れたが、なんだか急に腹が立ってきた。
カンタロスから理不尽な扱いを受けることには慣れてきたが、それは戦闘中だったからある程度許せていたのだ。
だが、日常はそうではない。繭が人間らしさを保つためにも、彼との距離を狭めるためにも必要な大切な時間だ。
なのに、雨が降って出られないからと言うだけで、下半身を探られるばかりか傷付けられなければいけないのか。
 カンタロスの不満も解るが、繭も大分ストレスが溜まっている。口にしないだけで、鬱屈した思いが淀んでいる。
繭は目の前に迫ってきた神経糸をおもむろに握り締めると、繭の手の中で青い粘液の絡み付いた管が跳ねた。

「カンタロス」

「お前、何する気だ」

 若干戸惑ったカンタロスに、繭は力一杯神経糸を握った。

「仕返しに決まってるでしょ!」

「ぐぁっ!?」

 突然神経糸を駆け抜けた痛みに、カンタロスは仰け反った。

「痛いよね? 痛いに決まってるよね?」

 繭は初めて聞いたカンタロスの悲鳴に爽快感を覚えながら、神経糸を捻った。

「おぅ、ぐぇえ」

 神経糸を通じて訪れた新たな痛みに、カンタロスは鈍い声を漏らした。

「私だって、凄く痛いんだから。いつも、いつも、いつも」

 繭はカンタロスの神経糸の一本を口に含むと、躊躇いなく歯を立てた。

「ぐえええっ!?」

 カエルを潰したような叫びを上げたカンタロスに、繭は奥歯で神経糸を噛み締めた。

「おごおっ!?」

 ツノを振って悶えるカンタロスに、繭は神経糸を口から外し、にんまりした。

「私はね、もっともっと痛いんだよ。だから、カンタロスももっともっと痛くしてあげる」

「お、おい…」

 息を荒げて腹部を膨らませながら、カンタロスは救いを求めるように上右足を伸ばしてきた。

「なあに、カンタロス?」

 神経糸を握る手を緩めずに、繭はわざとらしい笑顔を見せた。

「…鶏肉とハンバーグでいい」

 カンタロスは不本意極まりない声で、低く呟いた。

「他にも言うこと、あるでしょ?」

 繭は神経糸の一本に、爪を思い切り立てた。

「解った、解った、三本は入れない! 入れねぇから!」

 もんどり打ちながら、カンタロスは喚いた。だが、繭の神経糸責めは続く。

「最強なんでしょ? 虫の王になるんでしょ? だったら、これぐらいの痛みは我慢出来なきゃダメだよ」

「それ、今の状況と関係ねぇだろぉがあおうっ!」

 カンタロスは必死に言い返すが、再度繭に神経糸を噛まれてしまい、二の句を継げなかった。

「私のこと、呼び止めたのはカンタロスの方だからね?」

 繭は歯形の付いた神経糸を見せつけながら、唇に付いた青い体液を舐め取ると、カンタロスの触角が立った。
その様が可笑しくて、繭は笑みを押さえられなかった。他人を痛め付けるのが、こんなに楽しいとは思わなかった。
カンタロスがなぜ繭に痛みを与えてくるのか意味が解らなかったが、要するに彼は繭の反応を楽しんでいたのだ。
確かにこれは楽しい。繭が神経糸を噛み締めればカンタロスは悲鳴を上げて、捻れば悶え、伸ばせば仰け反る。
それがこの世の帝王のように振る舞っていた相手だと思うと尚更で、繭は飽きることなくカンタロスを痛め付けた。
 繭がカンタロスの神経糸を解放したのは、カンタロスが痛みに次ぐ痛みに圧倒されて引っ繰り返った後だった。
夏場に街灯の下でよく見かける普通のカブトムシのように、六本の足を投げ出して仰向けに倒れた様は情けない。
それがまた可笑しくて繭は笑いたくなったが、その気持ちを抑えて、だらしなく垂れている三本の神経糸を拾った。
手が触れた途端、散々いじめ抜かれて傷付いた神経糸は怯えたように引きつったが、繭はそれに舌を這わせた。
 噛まれないと解ると、神経糸は動きを止めた。カンタロスは意外だったらしく、体を起こして繭を見下ろしてきた。
繭は自分で傷を付けたカンタロスの神経糸を舐めて、痛みを和らげてやってから、カンタロスを上目に見上げた。

「痛くしたら、その分優しくして。そうじゃないと、好きになれないし、なってもらえないから」

 調子に乗りすぎたのは、自分も同じだ。繭が自戒を込めて呟くと、カンタロスはきちきちきちと顎を擦らせた。

「…みてぇだな」

「うん。だから、もうあんなことしないで。またああいうことをしたら、今度は噛み切ってあげるから」

「解った、解った!」 

 繭の笑顔におののき、カンタロスは頷いた。繭は頷いてから、またカンタロスの神経糸を舐める作業に戻った。
舐めていくうちにカンタロスの強張りは消え、神経糸もだらりと繭の手に身を預け、気を許してくれたのだと解った。
何も知らないのは、両者とも同じだ。繭が他人への接し方を知らないように、カンタロスも戦うことしか知らない。
増して、相手は人型昆虫だ。人間のような気遣いや常識が備わっているわけもなく、期待するだけ無駄なのだ。
だから、噛んで含めるように教えていくしかない。手間は掛かるが、これ以上妙な目に遭わないためには必要だ。
 戦いもしないのに、犯されたくはない。





 


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