酸の雨は星の落涙



第三話 純潔であるが故の自決



 ゲオルグの視線の先では、エーディは不愉快さを剥き出しにしていた。
 それもそのはず、彼の牙城であるコンピューターだらけの部屋にヒルダの死体を持ち込んだからだ。無数のケーブルが 這いずり回っている床の上に横たわるヒルダは両手足を投げ出していて、流れ出しきっていなかったバッテリー溶液の雫を 落としていた。数式とデータが羅列しているモニターの横に座るエーディは、思い切り顔を背けた。

「お前はとことん良い奴だよ」

「そうか」

「だから皮肉だっつってんだろ」

 エーディは神経質な仕草で机を叩いてから、鬱陶しげにヒルダの死体を見下ろした。

「ていうか、こんなの拾ってきてどうするんだよ? お前の戦闘機の部品にでもするつもりか?」

「そうだ」

 ゲオルグはエーディの部屋をぐるりと見渡し、副眼でケーブルの下に隠れている工具箱を捉え、引き摺り出した。

「おい、何する気だ」

 エーディは飛び降りてゲオルグの傍に駆け寄ると、ゲオルグは工具箱を広げて物色し始めた。

「ヒルダを分解する。修理可能箇所があれば修理し、自機に搭載する」

 ゲオルグは細いドライバーを太い指で挟み、ヒルダの頭部の外装を剥がしに掛かった。

「この星から脱出するにはあの機体が不可欠だ。だが、墜落によって損傷した。大気圏を突破し、宇宙空間を航行し、将軍艦隊と合流し、 戦地に帰還するためには、高性能のナビゲートコンピューターが必要だ。オペレーターとの通信が途絶しているのも理由の一つだ」

「だから、星間戦争は五十年以上前に終わったって説明しただろ? 信じなかったのか?」

 エーディは呆れて口元を歪めたが、ゲオルグはそれに構わずに作業を続行した。

「俺自身が事実を確認するまでは事実ではない」

「ああ、そりゃ男らしいね。だがな、肝心の戦闘機はぐっちゃぐちゃだぜ? それが直ってもいないのに、そんな女を直してどうするってんだ」

「ヒルダを修理、改造後、自機の修理に取り掛かる」 

「何年掛かると思ってやがる」

「何年も掛からない。自機の構造、部品、配線は全て記憶済みだ」

「なんでまたそんなことを」

「俺はかつて整備兵だった」

「ああ、そうかい」

 簡潔にして明快な説明に、エーディは半笑いになった。

「そうだ」

 ヒルダの粉々に砕けた頭脳回路を覗いていたゲオルグは、顔を上げてエーディに向いた。

「よって、エーディの所有するコンピューターの譲渡を要求する。ヒルダに転用し、改造を施す」

「馬鹿言うな、そんなことしたら俺の計算と資料が水の泡だ! 自分で都市から掘り起こして来いよ! 少なくとも俺はそうした!  だから、ネジの一本だって譲ってやらねぇからな!」

 エーディが短い牙を剥いて喚くが、ゲオルグは再度要求した。

「部品が不足している」

「だからさ、お前なぁ」

「部品が不足している」

「自分で探しに行けよロリコン王子」

「部品が不足している」

「お前って、ほんっと良い奴だよな!」

 話の通じなさに苛立ったエーディが使用頻度の低いコンピューターを蹴り落とすと、ゲオルグはそれを拾った。

「それは皮肉か」

「やっと理解したか、セラミック頭め」

 エーディは毒突いてから、不貞寝するために腹這いになって揃えた前足に顎を載せた。寝入ろうとしたところで、今度は鉛と アルミフィルムを貼り付けた扉がノックされた。エーディは苛立ちが連なり、思わず声を荒げた。

「今度は何だよ!」

 と、言い返してから、エーディは内心で青ざめて耳を伏せた。この部屋をアリスに知られては、エーディの存在自体を この星から抹消されてしまうかもしれない。せっかく、今の今まで従順で愛らしい愛玩動物として振る舞い、アリスに気に入られて きたというのにその苦労が無に帰す。どうやって誤魔化すかとエーディが慌てると、扉が開いた。

「あら、まぁ」

 隙間から顔を覗かせたのは、ゲオルグが分解している張本人、ヒルダだった。

「機体識別信号が途切れていると思ったら、こんな部屋に連れ込まれていたのね」

 こんにちは昨日までの私、と自分の死体に挨拶してから、ヒルダは鉛で重たい扉を閉めた。

「ちょっと見ない間に、また低レベルなコンピューターが増えたものね。それは過去の私を使って運んできたの?」

「ああ、まぁな。お前の死に方がまだあっさりしていた時に、稼働に問題のない機体を拾って、遠隔操作装置を組み込んで おいたやつがあるんだ。気にしたか?」

 エーディは少々気まずげにヒルダを見上げるが、ヒルダはゲオルグの肩越しに自分の死体を見下ろしていた。

「いいえ、別に。私は機械だから、生死の概念はないもの」

「だったら、わざわざ自殺することはねぇだろ」

 エーディはほっとしつつ、また腹這いになった。ヒルダは両手を上向け、肩を竦める。

「だからこそよ。機械だって、死を感じられれば生も感じられるはずじゃない」

「それは道理だ」

 ゲオルグが淡々と答えると、ヒルダは不満げに言った。

「あら。私が別の機体で稼働していることに驚いてもくれないの?」

「不可解だとは感じた。だが、それだけだ」

 ゲオルグが同じ調子で返すと、ヒルダは首を横に振った。

「私よりも機械らしいわ、この王子様」

「疑問がある」

 ゲオルグが作業の手を止めてヒルダを見上げると、ヒルダは快諾した。

「なんなりとお申し付け下さいまし、王子様」

「なぜ、君は自殺した。そして、なぜ、再び稼働している」

「良い質問ね」

 ヒルダは鉛の板が貼られた壁に寄り掛かると、細腕を組んだ。

「私はね、元々は軍事機密を輸送するために造られた宇宙船のナビゲートコンピューターだったのよ。超空間だろうが 亜光速だろうが磁気嵐だろうがなんだろうがお構いなしに進めちゃう、最新鋭の科学技術の結晶なのよ。それは美しいものよ、 完成し尽くされたボディラインは。私はあの体を愛していたし、私を育ててくれた人達も、私を使って危険な任務を遂行していた 人達のことも好きだったし、何よりも誇りを持っていたわ。だから、私はこの星に墜落した時点で自己破壊プログラムを作動させて、 プログラムだけでなく物理的にも私を破壊して機密情報を守り通したのよ。搭乗員は墜落する寸前に全員脱出させていたし、 彼らはとても優秀な工作員だから無事に任務を遂行出来たはずだわ。けれど、私はなぜか再起動して、こんな不格好なボディに 意識を押し込められて、メイドの真似事をさせられているってわけよ。おかげで、私のプライドは傷付きまくりよ。何が悲しくて要人でもない 女の子の御世話をしなきゃならないのよ」

 ヒルダはため息を吐くように、脇腹の排気口から過熱した空気を排出した。

「だから、自殺するのか」

 ゲオルグが呟くと、ヒルダは親指を立てた。

「ええ、その通り。さすがは軍人さんね、解ってるじゃない」

「だったら、なんで自殺したままでいないんだ? 自殺するたびに新しい機体に移り変わってどうすんだよ」

 エーディが行動の矛盾点を指摘すると、ヒルダはエーディに詰め寄った。

「それが出来たら苦労してないわよ! 何を解り切ったことを言ってんのよ、このネコ被りネコ!」

「それ、罵倒にしちゃセンス悪いな」

 エーディが冷めた反応を返すと、ヒルダはエーディの両の耳を抓んで引っ張った。

「だったらあんたはどうだってのよ、うら若き乙女の死体をいじくり回して弄んだくせに! この変態!」

「誰が金属とプラスチックの固まりに欲情するかよ! 俺は同族専門だ!」

 エーディは頭を振って耳を解放してから、身を乗り出して言い返した。それを切っ掛けに、二人は互いの胸中に溜まっていた 感情をぶつけ合い始めた。これが気に食わないだのあれが嫌いだのそれが煩わしいだの、矢継ぎ早に喚いているが、ゲオルグは それを気にすることもなく黙々とヒルダの死体の分解し続けた。自分の作業が一段落してから、ゲオルグはヒルダに声を掛けた。

「ヒルダ」

「何よ根暗ロリコン王子!」

 勢いに任せてゲオルグを罵倒したヒルダに、ゲオルグは苛立つこともなく言った。

「君はどこで機体を再生している」

「ああ、そうね。それは説明しておくべきね」

 ヒルダは語気を改め、ゲオルグに向き直った。

「自殺したら、数秒後には私の自意識とメモリーは次の機体に転送されて再起動させられるのよ。元々、この機体は地球人類の 育児と介護を目的として造られたもので、在庫が腐るほどあるから、保存状態が良いものに意識を転送されるのよ。その在庫の 倉庫は城の外の都市にあるんだけど、目が覚めちゃったら最後、真っ直ぐに城に戻って来ちゃうのよね。それが悔しいったらないわ」

「その倉庫とはどこだ」

「地図を出すわ」

 ヒルダはゴーグルの端を小突いてホログラフィーを投影し、ゲオルグの前に出した。薄暗い部屋の中央に淡い光で成された 立体映像が浮かび上がり、円形に切り取られたかのような地形の都市の全貌が現れた。アリスが住まう巨大すぎる城を中心に、 大小様々なビルが配置されているが、全てが城を引き立てる配置だった。外界とは寸断された道路や線路も同様で、城を取り巻いて 奇妙な渦を描いている。道路と線路の渦から離れた都市の片隅にポインターが浮かび、大型の倉庫を指して点滅していた。

「把握した」

 ゲオルグは機械の脳にヒルダの立体地図を入力し終えると、立ち上がった。

「これより現地に移動する。ヒルダの死体を解体し、修理するよりも余程効率的だ」

「どうぞ御自由に。でも、帰り道は保証しないわよ」

「なぜだ」

「これは私が外から戻ってきた時にスキャニングした地図だというだけであって、また外に出れば道順が変わっている かもしれないからよ。都市は城よりも扱いがぞんざいで、御嬢様が興味がない時は綺麗さっぱり消えちゃうぐらいだし、ちょっとのことで 建物の配置が変わるから、信用しない方がいいわよ。だけど、あなたがどこに行こうと何をしようと、私には何の関係もないから、 出ていくなら勝手にどうぞ。この部屋を出たら、私はエリートナビゲーターからダサいメイドロボットに逆戻りよ」

 ああやだやだ、とぼやきながら、ヒルダはホログラフィーを収めた。

「俺だって、お姫様の前に出たら学歴も頭脳もへったくれもねぇペットになっちまう。それがどれほど屈辱的か」

 エーディは派手に舌打ちし、尻尾の先でモニターを殴り付けてから、ゲオルグに向いた。

「そういうお前もだろうが。御立派な帝国軍人から、人形遊びの延長みたいな王子様になっちまう」

「その通りだ。故に、この事態を打開し、惑星ヴァルハラを脱出するためには機械部品を入手しなければならない」

 ゲオルグは鉛とアルミフィルムで重たい扉に手を掛け、開いた。

「御夕飯までには帰ってきてよね。帰ってこられたら、だけど」

 ヒルダは気のない声を掛け、エーディは顔を背けた。

「格好付けやがって」

 ゲオルグは二人に言い返すこともせず、扉を閉めた。帰ってこられない保証がないとしても、帰ってくる他はないと理解していた。 それに、帰れなくなったとしたら、アリスによって連れ戻されるだけだろう。運良く帰ってこられなくなったとしたら、その時は死力を 尽くして戦闘機を修理し、ナビゲートコンピューターなしでも惑星ヴァルハラを脱すればいい。そこまで出来なかったとしても、 アリスの意識が影響する範囲内から脱し、体の自由を取り戻せる距離と間隔を計れるようになれば良しとするべきだろう。
 装備を取りに戻っている時間はない。唯一身に付けていた武器のハンドガンの重みを確かめてから、ゲオルグはいやに長い 回廊を通って正面玄関に向かった。五分、十分と歩いたが、回廊は途切れずに続いている。いい加減に階段があるホールに 到着してもいい頃だろうと感じたが、それでも尚回廊は続いている。立ち止まって振り返ると、背後にもやはり長い回廊が続いていた。 エーディとヒルダが身を潜めているコンピューターだらけの部屋の扉は当の昔に見えなくなっていて、無数の縦長の窓が連なった 四角い空間がどこまでも伸びていた。

「空間が拡張しているのか」

 だが、なぜ。ゲオルグは自分の判断に疑問を抱きながら、進行方向に向くと、前触れもなくアリスが現れた。

「アリス」

 ゲオルグが立ち止まると、白いネグリジェの上に赤いチェック柄のストールを羽織ったアリスは歩み寄ってきた。

「ゲオルグ」

「なんだ」

 ゲオルグが聞き返すと、アリスは泣きそうな顔をした。

「どうして、またいなくなってしまったの?」

「所用のためだ」

「何の用事?」

「アリスとは関わりのないことだ」

「いいえ、関係はあるわ。だって、あなたのことだもの」

 アリスはゲオルグに詰め寄り、目尻に涙を溜めた。

「お願いだから、傍にいて。いなくなったりしないで」

「なぜだ」

「私を見て。私を知って。私を欲して。私を思って。私を満たして。私を、私を」

 アリスは小さな手には指すら余るゲオルグの手を掴み、華奢な肩を震わせた。

「一人にしないで…」

 人智を越えた超常の力を行使する悪魔の如き暴君は、その鳴りを潜めた。ゲオルグの目の前で細い泣き声を発しているのは、 脆弱な肉体と精神しか持たない二足歩行型脊椎動物の幼生体だった。心身の未熟さ故に感じる恐怖を吐き出さずにはいられないのか、 アリスはゲオルグの右手に顔を押し当てて涙を流していた。ゲオルグは前両足の膝を付いてアリスと視線を合わせると、指の一本を 動かしてアリスの目元を拭ってやった。あまり泣かれてしまうと、また何が起きるか解らないからだ。これまでの経験を踏まえると、 アリスはゲオルグと肉体的な接触を行っている時は精神状態が安定する。それらを判断した上での行動に過ぎず、決してアリスに 対する同情心や寵愛の情ではなかった。元より、ゲオルグはそんなものは感じないからだ。
 ゲオルグはアリスを支えながら、どんな道順を辿ればヒルダの機体の倉庫に短時間で到着出来るか、思考した。だが、 間もなくそれが不可能だと判断した。アリスの弱々しい泣き声に重なる雨音が、外から聞こえてきたからだ。
 城に降る雨は、硬い飴玉だった。





 


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