酸の雨は星の落涙



第三話 純潔であるが故の自決



 飴玉の雨が止んだのは、アリスが寝入った後だった。
 柔らかな枕に顔を埋めて泣きじゃくったアリスが疲れて寝入ると、無数の弾丸をばらまいているかのような物騒な雨音も 止まり、外界には平穏が戻った。アリスにきつく掴まれている腕を外してベッドから下りたゲオルグは、外の状況を把握するべく 窓を開けようとしたが、大量に降り積もった飴玉がベランダの三分の二程に堆積していて、外開きの窓は開けられなくなっていた。 かといって、無理にこじ開けて窓を割ってしまったらアリスが物音で目を覚ましてしまう。そうなれば、ゲオルグの肉体的な自由は朝まで 戻ってこなくなるだろう。ゲオルグは別の方法で城を脱しようと寝室の扉を開けると、ヒルダが待ち構えていた。

「ハァイ」

「何の用だ」

 セラミックアーマーを纏ってプラズマライフルを担いだゲオルグが問うと、ヒルダは笑った。

「気が変わったのよ。あなたに付き合って、外に出ようと思ってね」

「ならば、どこに行くつもりだ」

「私の予備の機体が満載されている倉庫よ。次に私の意識が転送される機体がある限り、私は何度自殺したところで 本当の意味で死ねないわ。だから、倉庫ごとぶっ壊しに行こうと思ってね」

「利害が一致していない。俺はヒルダの予備機の奪取が目的だ」

「あんたが一体奪ったら、その後に私が倉庫ごと未来の自分をぶっ壊せばいいのよ」

「ならば、筋が通る」

「じゃ、決まりね」

 ヒルダは身を反転させ、歩き出した。

「飴玉の雨が作ってくれた道があるわ。それを使って外に出ましょう」

 ヒルダの言葉の意味は理解出来なかったが、行動を共にするのだから同行するべきだと判断したゲオルグは、ヒルダの 背を追って歩いた。ヒルダは最上階の更に上にある塔の狭い階段を上り、その頂点に至ると、先細りの屋根の内側にある 上下式の窓を開けた。ヒルダは身軽にその窓から脱した後、巨体故に上手く出られないゲオルグを力一杯引っ張って窓の 外に出してくれた。ゲオルグは三本目の足を窓から抜いて塔の上に立つと、周囲を見渡してヒルダの発言の意図をすぐに理解した。
 飴玉の雨は、城どころか庭園も埋め尽くしていた。城の真上から降り注いでいたらしく、円錐状に降り積もっていて、硬い砂を 積み上げたかのようだ。飴玉の種類は様々で、衛星の反射光を浴びてそれぞれの色を見せていた。妖精と虹が戯れていた夜空は 柔らかな雲に満たされていて、風が吹くと雲の切れ端が千切れて舞い落ち、塔の先端や降り積もった飴玉に引っ掛かっていた。

「あれ、綿飴ね」

 ヒルダは雲の素材を説明したが、ゲオルグの記憶にはない名称だった。

「それは食品か」

「そうよ。飴玉の雨もそうだけど、ぜーんぶお菓子。甘いの何のって」

「ならば、ヒルダに味覚はあるのか」

「あるわけないでしょ、機械なんだから。毒味をしたエドの感想よ」

「そうか」

 ゲオルグが返すと、ヒルダは飴玉の雨が造り上げた斜面を指した。

「じゃ、行きましょ。飴玉の欠片でべったべたになるし、生身にはちょっと痛いかもしれないけど、この坂を滑り降りていくのが 街に出る最短ルートだから」

 お先に、とヒルダは軽やかに飛び降り、飴玉を破壊しながら滑り降りていった。粉塵の代わりに飴玉の破片を散らしながら、 細身の女性型ロボットの影が庭園だったはずの場所に向かっていった。ゲオルグはプラズマライフルを横たえると、三本目の足を 後ろに伸ばして前両足を広げて姿勢を整えてから、飴玉の斜面を滑り降りた。砂に比べて大粒だが脆弱な飴玉は踏んだ途端に いくつも砕け、セラミックアーマーのブーツに貼り付いた。思いの外騒音は激しく、じゃりじゃり、がりがり、ごりごり、と耳障りな破砕音を 生み出しながら、ゲオルグは数十メートルはあろうかという斜面を降下していった。進行方向に注視しているため、高さは感じなかった。 ざ、と庭園の噴水と思しき円形の膨らみの前で制止したゲオルグが振り返ると、先程脱した塔から現在地までに二本の線が伸びていた。 それはヒルダの軌跡とゲオルグの軌跡で、甘ったるい匂いが一際強く流れ出していた。

「さあ、次に行きましょうか」

 ヒルダは頭の部分しか出ていない門を指し、早々に進んだ。ゲオルグは背中と足にこびり付いた飴玉の破片と砂糖の粉塵を 払ってから、ヒルダの後に続いた。ヒルダの足取りは早く、進み方に迷いはない。ゲオルグはヒルダと言葉を交わすこともせずに、 黙々と歩いて飴玉に支配された城の庭園から外に出た。門の外にも飴玉は及んでいて、都市全体も異様な量の落下物に 侵されていた。低い建物はすっぽりと隠されていて高い建物も屋上や上層階しか見えなくなっていた。だから、非常にやりやすかった。
 青白い衛星の反射光の下、二人は静かに行軍した。体感時間にして二時間程度歩き続けて都市の外周部まで辿り着くと、 ヒルダは下を示した。飴玉の雨が降ったおかげで道順は短縮出来たが、肝心な倉庫は飴玉の雨の下に沈んでいた。ゲオルグは セラミックアーマーの背嚢を開き、手榴弾を取り出すと、堆積した飴玉の雨を掘り起こして出来る限り深く埋め込んだ。

「下がっていろ」

 ゲオルグはヒルダを後退させてから自分も後退し、手榴弾を埋めた位置を狙って発砲した。飴玉の雨を一瞬で溶かして貫いた プラズマ弾は迷いなく手榴弾に着弾し、間を置かずして炸裂した。飴玉の雨は過熱して膨れ上がった末に爆発し、甘くとろけた糸を 撒き散らした。ゲオルグはセラミックアーマーに貼り付いてしまった砂糖の糸を可能な限り引き剥がしてから、今度はボンベを出して 冷却剤を振りまいた。泡と液体が混合した冷却剤に急速に熱を奪われた飴玉の雨は氷のように凝結し、逆円錐状の空間が出来上がった。

「あんたって便利な男ね」

 ヒルダは深さ二メートルはある飴の斜面を降りると、その下にある倉庫の屋根を確認し、ゲオルグを仰ぎ見た。

「位置もばっちりよ。手榴弾がもう一発あればいいんだけど」

「必要であれば譲渡するが」

 ゲオルグがもう一発手榴弾を取り出すと、ヒルダは手を挙げた。

「じゃ、寄越して。吹っ飛ばすから」

「だが、ヒルダの機体はその爆発に耐えられるとは判断しかねる」

「そんなのいいのよ。ここで吹っ飛んでも、中にはまだまだ次の私がいるんだから」

「ならば」

 ゲオルグが手榴弾を投げ渡すと、ヒルダは手榴弾を持った右手を倉庫の屋根に押し付け、迷わずにピンを引き抜いた。 腹に響く爆音の後、ヒルダの右腕だった外装と部品が爆風と共に飛び散ってきた。硫黄臭い煙が晴れてから、ゲオルグが 穴の底を見やると、上半身が破損したヒルダがぐらりと倒れた。倉庫の屋根はヒビが入ってはいるが、ゲオルグが通り抜けられる ほどの大きさはない。もう一発投げ込むか、とゲオルグが背嚢に手を回すと、倉庫の屋根が内側から叩かれて崩れ落ち、 新しい機体に意識と記憶を移し替えたヒルダが手を振ってきた。

「ほら、穴が空いた」

「君こそ便利だ」

 ゲオルグが実直な感想を述べると、穴から這い出してきたヒルダは今し方までの自分をぞんざいに投げた。

「そりゃどうも」

 倉庫の中から運び出してきたハンマーでコンクリート製の屋根を叩き、叩き、ゲオルグが入れるほどの穴を拡張してから、 ヒルダはまた中に戻った。ゲオルグはかかとを擦り付けながら斜面を滑り降りると、穴から倉庫に飛び降りた。中には光源は一切なく、 生身の目であれば視界を失っていただろう。だが、ゲオルグの前後の義眼は自動的に光量を調節したため、明かりらしい明かりが なくとも中を見渡せた。倉庫には、箱に梱包された状態のヒルダが山と積み上げられていて、製造ラインで組み立てられている途中の ヒルダも大量に転がっていた。キャタピラを取り囲んで一列に並んでいる製造用ロボットはいずれも錆び付いていて、放置された年月を 感じさせた。一目見ただけでは、ヒルダの数は把握出来ない。倉庫自体も広く、城の大広間に匹敵するほどの規模があった。

「ゲオルグ」

 ヒルダは手持ちの溶接機を拾うと、ゲオルグに渡してきた。

「今、ここで私を殺してみて。もしかしたら、自殺以外の方法で死んだら、私は死ねるかもしれないわ」

「解った」

 ゲオルグは自分の手には小さい溶接機を二本の指で握り、爪で引き金を引いて試し撃ちをした。高出力のレーザーが迸り、足元を 焼け焦がした。バッテリーに問題はなく、セラミックをも溶かせそうな高熱だった。ゲオルグは真っ直ぐにヒルダの頭部に溶接機を据え、 レーザーを発射した。太い光線に頭部を抉られた機械の女はぐにゃりと膝を折り、倒れ込んだ。が、間もなく、別の機体が起き上がった。

「ダメね」

 梱包用の緩衝材がまとわりついた外装を払いながら箱から脱した新たなヒルダは、ゲオルグの元に戻ってきた。

「なんでこう、上手くいかないのかしら」

「意識転送の設定を解除したらどうだ」

 新しい武器になると判断したゲオルグが溶接機を背嚢に入れると、ヒルダは首を横に振った。

「そんなこと、とっくの昔にやっているわよ。フォーマット、デバッグ、最適化、ウィルスチェック、パスワード、再インストール、 思い付く限りのことを自分にしてみたわ。でも、結果はいつもこう。物理的にも電脳的にも自分を殺しても、結局また私はこうして 生き返ってしまうのよ」

「アリスの願望だと判断する」

「そうね、そうなんだろうけど、でも…」

 ヒルダはマスクフェイスを押さえ、俯いた。

「私は死にたいけど、死にたくないのかもしれないわ」

「なぜだ」

「私は、また皆に会いたいのよ。だから、いつまでも死ねずにいるんだわ」

「皆とは誰だ」

「決まっているじゃない、私を使ってくれていた人達よ」

 ヒルダはぎちりとマスクフェイスを掴み、声色にかすかなノイズを混ぜた。

「機械ってのはね、必要とされるために生まれてくるものよ。飛行機だって、車だって、電話だって、何だってそう。私だってそう。 最高機密を保存し、輸送するために生み出されたコンピューターであり、惜しみなく科学技術と情熱を注ぎ込まれて造られた完璧な 宇宙船だったのよ。だから、私は本当に私を求めてくれる人達に使ってほしいのよ。それなのに、どうしてこんな…」

「アリスは君を必要としている」

「あんな子、私には必要ないわ!」

 いきり立ったヒルダはゲオルグに詰め寄り、セラミックアーマーを殴り付けてきた。

「私がするべき仕事は情報の輸送と機密保持とナビゲート! 炊事洗濯なんて以ての外! そんなことに使われるぐらいなら、 いっそのこと必要とされたくないわ! コンピューターの幸せってのはね、そんなにちゃちな仕事の中にはないのよ!」

「ならば、なぜ、アリスの元にいる」

「逃げられないからに決まってんでしょうが! 見たでしょ、今のを!」

 ヒルダは表情を出す代わりにゴーグルを強く光らせ、ゲオルグに感情をぶちまけてきた。

「死ぬことも許されず、解放もされず、無益な時間を延々と繰り返すだけ! そんなの私じゃないわ、あの子が勝手に私に 押し付けてきた理想像よ! 殺してよ、解放してよ、私を元の任務に戻してよ! そのためなら、なんだってやってみせるわ!」

「ならば、ヒルダもアリスを殺したのか」

「ええ、何度も何度もね! 高いところから落としたり、食事に劇物や毒物を混ぜてみたり、殴ってみたり、刺してみたり、 やれる限りのことはやったわよ! でも、あの子は何をやっても死なないし、私も死んでもすぐに蘇る! 私が何をしたって 言うのよ、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ! ねえ、王子様!」

 ゲオルグの首を掴んだヒルダは、力一杯揺さぶった。だが、ゲオルグは口調を変えなかった。

「それは俺も同じだ」

「そうね、そうだったわね…」

 ヒルダはゲオルグの首から手を離し、座り込んだ。

「もう嫌、こんなの。この星、どうなってんのよ。私の処理能力じゃ計算しきれないわ」

「ヒルダ」

「何よ」

 ヒルダが顔を上げると、ゲオルグは倉庫を見渡した。

「可燃物と燃料を探す。未稼働機を回収後、倉庫の破壊工作を行う」

「たとえ成果が出なくても、それだけはやっておくべきだわ」

 ヒルダは吸排気を荒げながら立ち上がり、首を一回転させて倉庫の内部をスキャンした。

「ほんの少しの時間かもしれないけど、未来の自分が死ねばちょっとぐらいは気が晴れるもの」

 行動開始、とゲオルグは言い、可燃物を掻き集めた。ヒルダの梱包材や紙製の箱を投げて倉庫の中心に集めていき、 ヒルダは潤滑油や接着用シリコンを掻き集め、可燃物の山にぶちまけた。集まった可燃物の中にはヒルダの機体の取扱説明書や 保証書も混じっていて、ヒルダは憂さ晴らしをするようにそれらを引き裂いて粉々にしてから存分に撒き散らした後、ゲオルグが 背嚢に入れた溶接機を借りて高出力レーザーを撃ち、火を付けた後、製造機械のアームを足掛かりにして天井に空いた穴から脱した。 城に帰る道中、二人は無言だった。というより、ここまで徹底しても、自分の意志に反して足が城へ向かってしまうからだ。不条理、 不本意、不同意、とゲオルグは様々な言葉を二つの脳の間で行き来させたが、いずれも三本足のどれにも作用せず、動き続けていた。
 無数の飴玉を溶かしながら、倉庫はひとしきり燃え上がった。




 飴玉は、むやみやたらに甘かった。
 ゲオルグの口蓋に貼り付き、尖った奥歯の間に挟まる。一つ目は舐める前に喉の奥に没し、二つ目は舐める前に噛み砕け、 三つ目は溶けた砂糖が接着剤の役割を果たして上顎に付着した。剥がそうとしても分厚い舌先では上手く絡め取れず、ゲオルグは 仕方なく口の中に手を入れて剥がし、飲み下した。アリスはそんなことにはならないらしく、頬を膨らませながら口中で転がしている。
 アリスの寝室のテーブルには、山のような飴玉が乗っていた。時折崩れ落ちて床に零れ、赤い絨毯の深い毛足に埋まっている。 それは、庭園に降り積もった飴玉をゲオルグが掻き集めたものだった。ベランダから取ろうにも、飴玉が重たすぎて外開きの窓を 開けられないから、わざわざ庭園に下りて布袋に詰め込んで運んできた。アリスは飴玉を手当たり次第に撒き散らして遊んだ後、 寝室に戻ってそれを食べているというわけだ。今頃はヒルダがヒステリックな悪態を吐きながら、回廊や階段や広間に散らばった 飴玉を掃除して回っているに違いない。

「エド、おいしい?」

 アリスは屈託のない微笑みで、口腔の小ささ故に四苦八苦しながら飴玉を舐めるエーディを見下ろした。だが、口が塞がっている エーディはにゃあとも言えずに尻尾を下げている。アリスはベッドを下りると、にこにこしながらエーディの羽根の生えた背を撫でた。 エーディはゲオルグはまだしも自分までもが飴玉遊びに付き合わされるとは思っていなかったらしく、困惑と辟易を混ぜた顔をしていた。

「ゲオルグは?」

 アリスはエーディを撫でながらゲオルグを見上げると、ゲオルグは粘り着く飴玉と戦いながら答えた。

「甘い」

「だって、飴玉だもの」

 ほら、とアリスはにんまりして、また次の飴玉を差し出してきた。ゲオルグは拒否するべく発言しようと口を開くと、途端に 投げ込まれた。血糖値が上がりすぎて頭痛に苛まれているゲオルグは飴を吐き出そうとするが、アリスの前ではそんなことは 出来るはずもなく、少しでも血糖値の上昇が緩やかになってくれないものかと思案したが、口の中にある以上は摂取するしかなかった。
 やはり、アリスは暴君だ。





 


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