酸の雨は星の落涙



第七話 空想を隔てる構造



 日記帳を脇に抱え、ゲオルグは更に城を歩いた。
 右肩の上には、すっかりしおらしくなったエーディが載っていた。腹部の傷を止血するために引き千切った右袖の 付け根に爪を引っ掛け、ゲオルグの硬い肌に寄り掛かっている。副眼の端に上向いた尻尾の先が掠め、柔らかくも 暖かな他者の体温に妙な痒みを感じた。エーディも似たような心境なのか、ゲオルグの傍にいてもゲオルグとは言葉を 交わそうとはしなかった。残すはヒルダだけだったが、彼女を捜すことも造作もなかった。それでなくても、ゲオルグの 機械の脳にはある程度のセンサーが搭載されている。機械であるヒルダは、いかなる状態でも識別信号を発しながら 稼働している。それを辿っていけば、とゲオルグは考えていたが、大広間に出て庭園を見下ろすと、手間を掛けるまでも なかったのだと知った。アップルソーダの海で花々が流されてしまった庭園には、流線型の宇宙船が収まっていたからだ。 全長は百メートル以上もあり、超高速航行が可能な機体だった。

「ヒルダか」

 ゲオルグが歩み寄ると、宇宙船と化したヒルダは答えた。

「ええ、そうよ。私以外の誰がいて?」

「お前の場合、何もする必要はなさそうだな」

 このまま脱出出来そうだ、とゲオルグの肩から飛び降りたエーディが言うと、ヒルダは落胆した。

「それが、そうでもないのよね。私、格好だけは宇宙船になったけど、脱出に必要なエネルギーはおろか、エンジンすら 搭載されていないのよ。だから、これは張りぼての宇宙船よ」

「役に立たねぇなー…」

 エーディが舌打ちすると、ヒルダは反発するかと思われたが、語気は弱まった。

「そうよ、それが本当の私なのよ。何の役にも立てない、中途半端な機械。造られたはいいけど、役目を果たす前に おかしな惑星に墜落して、その星の狂ったコンピューターのおもちゃにされたんだから、好きなだけ馬鹿にすればいいわ。 もう、それぐらいしか意味がないもの」

「どうする?」

 エーディがゲオルグを見上げると、ゲオルグはヒルダにアリシア・スプリングフィールドの日記帳を差し出した。

「ヒルダ。この情報を得てくれ」

「それって、あんたが焼き切った日記帳じゃない。どうしてそんなものが?」

 ヒルダは訝ったのか、船体から突き出ているブリッジ上部からアンテナを伸ばした。ゲオルグはヒルダに近付くと、 その滑らかなラインのボディに押し当てた。すると、アリシア・スプリングフィールドの日記帳はヒルダの硬い外装に溶け、 そのまま飲み込まれていった。ヒルダは抵抗するように船体を揺らしたが、赤い表紙の日記帳はヒルダの内に馴染み、 情報が吸収されたようだった。いくつものアンテナを動かしたヒルダは、若干の間の後、答えた。

「そういうことだったのね」

「ああ」

 説明の手間が省けた、と思いながらゲオルグが返すと、ヒルダは少しばかり船首を持ち上げた。

「じゃあ、とっとと乗りなさいよ! どこへだって行ってあげるわよ!」

「エンジンもない宇宙船が何を言ってんだか」

 エーディが呆れると、ヒルダはぎしぎしと巨体を揺らした。

「私は機械! 使われるのが仕事! 使えるようにするのは知的生命体の仕事! でもって、なんでもいいから 使ってもらわなきゃ私は回路から何から錆び付いちゃうの! だから、私を動けるようにしなさいよ!」

「エーディよりは素直だ」

 ゲオルグが呟くと、エーディは顔をしかめた。

「そりゃどうも」

「エンジンがなければ積めばいい」

 ゲオルグがヒルダの後部に回ろうと歩き出すと、エーディはゲオルグを追い掛けた。

「だが、どうやって? お前の戦闘機のエンジン程度じゃどうにもならねぇし、たとえ繋げたところで…」

「やってみなければ解らない」

「だから、それをやるにしたってだな、資材もなきゃ工具もねぇのに」

 ぐちぐちとぼやきながらエーディがゲオルグに続いてヒルダの後部に辿り着いたが、本来エンジンが入るべき部分を 見上げてヒゲを下げた。機体後部も両翼も空っぽで、宇宙船としての役割を果たすべきものが一つも備わっていなかった。 ヒルダの言葉通り、外装は立派だがそれ以外は何もない張りぼてだ。さしずめ、宇宙航行訓練用設備、といったところだろう。 エーディが見た限りでは、どうにも出来そうになかった。部品を接続するためのバイスはあるがボルトはなく、フレームは 組まれているがシャフトが足りない。エーディが首を上下しながら、エンジンルームどころか格納庫まで一目で見渡せる ヒルダの中を覗き込んでいると、ゲオルグが歩み出した。

「なければ、なんとかするまでだ。それが兵士だ」

 ゲオルグはエンジンが入るべきスペースに入り、ぐるりと見回した。

「ヒルダ」

「え、ああ、何よ」

 ヒルダがやる気なく答えると、ゲオルグはヒルダの内側をじっと見据えた。

「我らは君を欲している。それだけでは不足か」
 
「だって、あんた達は私の本当の使用者じゃないから、そんなんじゃ…」

 ヒルダが言い淀むと、ゲオルグは淡々と続けた。

「君は機械だ」

「だから、なんだってのよ」

「君は常々、使用されることを要求していた。ならば、俺とエーディが君を使用し、宇宙に帰還しよう。それだけでは 何が足りないというのだ」

「足りないわよ、全然! 足りるものなんて、ありはしないわよ!」

 ヒルダはごっとんごっとんと船体を揺さぶり、ゲオルグを吐き出そうとした。

「私はね、優秀なのよ! 性能だって最高レベルで、輸送する情報だって機密も機密で、どこの馬の骨とも付かない あんた達なんかお呼びじゃないのよ! そこんとこ、勘違いしないでほしいわ!」

「勘違いしているのは君だ、ヒルダ」

「何よ。ちょっと見ない間に、随分と言うようになったじゃないの、ええ王子様?」

「機械とは、使用者を選ばないものだ。それが機械ではないのか。だが、それは俺も同じだ。兵士とは、上官を選べない ものだ。指揮官を選り好みしていては、何も始まらない。我が侭なのはアリスではない、君だ」

「なっ、何よ何よ何よ!」

 ヒルダの動きは激しくなり、両翼が地面に掠れるほど船体を傾けたが、ゲオルグは三本足を踏ん張った。

「機械が我が侭ぶっこいちゃいけないってどこの誰が決めたルールよ! 私の人格設定にも、そんな規定はプログラミング されてなかったわよ! 誰に使われてもいいのがいい機械じゃないわ、最良の人材に最高の状態で最適のセッティングで使用 されるのがいい機械ってものよ! それを、あんたみたいな三流パイロットに操縦桿を握られるなんて屈辱にも程があるわ!」

「ヒルダ」

「説得しようったって無駄よ、私はどうせ役立たずの張りぼて宇宙船よ、我が侭で高慢ちきで根性曲がりの女よ! それでも、 あんたみたいなのに使われるよりは余程マシってもんじゃない!」

「俺は君の人格を否定しているわけではない。君を尊重しようというのだ」

「えっらそうに! 尊重が聞いて呆れるわ、私をいいように利用したいだけじゃない!」

「それが当然だ。他者を利用し合わない世界など有り得ない。そうすることで、双方に利潤が発生するからだ」

「だけど、いくら使われたって、私にはお給料どころか報酬も出ないのよ? 擦り切れるまで使われてスペースデブリとして 廃棄されるか、宇宙戦闘訓練で標的として撃墜されるか、機密保持のために恒星に投棄されるか、そのどれかなのよ。私に 何かいいことがある? 知的生命体と違って、私達は存在自体が尊重されないもの」

「そうだ。君を始めとした宇宙船は、消耗品だからだ」

「ほうら、やっぱり。だから、コンピューターも消耗品じゃない。本当に本当に大事にしてくれる人に使ってもらえるのなら いいけど、あんた達じゃ間違いなく扱いが荒いわ。だから、私はあんた達なんて」

 ヒルダの卑屈な言葉を、語気を強めたゲオルグが遮った。

「宇宙に出れば、俺達は皆、宇宙船に命を預ける。なぜ、それを信じようとしない」

「おおう、言うねぇ」

 エーディが驚いたように目を丸めると、ヒルダはまたごとごとと揺れた。

「そっ、そんなの…」

「アリシア・スプリングフィールドの受け売りだが」

 ゲオルグはヒルダの内から出ると、船首側に振り返った。

「君が外を向けば、外も君に向く。そして、俺達も君に向く」

 ぎ、とヒルダは動きを止めた。エーディは神妙な顔をして、肉球の付いた前足でヒルダの外装を叩いた。

「まあ、そういうことだ」

 ゲオルグは数歩身を引き、ヒルダの動向を見守った。エーディもヒルダから距離を置き、注視した。

「…さっきから聞いてりゃ、好き勝手言いたい放題じゃないのよ!」

 船首付近に装備された方向指示用スラスターを噴出して上体を起こしたヒルダは、ぎゃぎごぎぃっ、と空っぽの船尾と 両翼を引き摺りながら回頭し、研ぎ澄まされた刃のような船首を突き出した。

「だったら、私に命を預けなさいよ!? 航路にぐだぐだ文句言うんじゃないわよ、オートパイロットを全面的に信用しなさいよ、 ワープ酔いなんかして内装を汚すんじゃないわよ、乱暴に扱って傷付けたら承知しないんだから!」

「へいへい。やれる限りはな」

 エーディがにやにやすると、ヒルダはばちりと電流を走らせ、フォースバリアーで船体を包み込んだ。

「私は!」

 青白い光の中、ヒルダの外装が厚みを増し、両翼に船体の質量に伴ったサイズのエンジンが生え、船尾にもエンジンが 生まれ、全体的な装備が大幅に増え、戦艦と遜色のない外見になった。

「とってもデリケートでナイーブでキュートでハイスペックな!」

 フォースバリアーを解除したヒルダは、蒸気を噴出しながらやけに勢い良くハッチを開いた。

「うら若き乙女なんだからね!」

 ハッチから搭乗用タラップを伸ばしながら、ヒルダは喚き立てた。

「そこまで言うなら、さっさと乗れっての! あんた達の母星だろうがどこだろうが、連れて行ってあげるわよ!」

「その言葉に嘘はないな?」

 タラップに足を掛けたエーディが言うと、ヒルダは外装を開いてレーザー砲のレンズを出した。

「だぁから文句言うんじゃないわよ!」

「ならば、出航だ」

 エーディを後ろから抱えたゲオルグがタラップを昇り、船内に入ると、即座にハッチが閉じた。船内はそれなりに広いが、 ゲオルグにとっては天井が少し低めだった。二人がブリッジに向かって歩き出すと、それに合わせて天井のライトが点灯し、 進行方向を示すように光の筋が伸びていった。通路の先に待っていたドアには、ゲオルグの母国語、エーディの母国語、 ヒルダの母国語、そして地球人類の言語で、メインブリッジを意味する言葉が印されていた。ゲオルグがドアの前に立つと、 滑らかにモーターが動いてドアが開き、やはりゲオルグには少々手狭で見慣れない計器ばかりだが、宇宙船の操舵に相応しい 設備が揃えられたブリッジが待ち構えていた。エーディはゲオルグの足元を擦り抜け、管制席のシートに飛び乗ると、両前足で ぽんぽんとコンソールを押して作動させた。

「んじゃ、俺はレーダーを見る。ゲオルグは操縦しろ、パイロットなんだから」

「解っている」

 ゲオルグはそう答えたが、三本目の足を抜くための穴が空いていないシートに苦労しながら操縦席に座ると、 自分の手よりも一回り小さい操縦桿を握った。が、それを押す前に勝手にボタンやスロットルレバーが動き、船体後部 からエンジンの回転音と唸りが発生した。予備動作もなしに船体が浮かび上がり、急激な重力の加圧が全身に襲い掛かった ゲオルグとエーディは、それぞれのシートと操作パネルに押し付けられた。

「だーからっ!」

 凄まじい勢いでエンジンを噴かしたヒルダは、大気圏を突破するべく一直線に上昇した。

「私を信用しろってのー!」

「…調子付きやがって」

 管制席から転げ落ちたエーディは、床に潰れながら耳を伏せた。ゲオルグは操縦席のシートの背もたれを掴んで 起き上がると、フロントパネルを兼ねたメインモニターに広がる、惑星ヴァルハラの青い空を見上げた。

「だが、好都合だ」

 一瞬で厚い雲を突き破り、分厚い空気の層を駆け抜け、重力に全力で逆らって驀進するヒルダの前方には、三人が 戻る世界である宇宙が見えつつあった。大気圏が薄まると、程なくして星々の散らばる宇宙が近付き、惑星ヴァルハラを巡る 衛星がメインモニターの端に映った。数分間、大気圏摩擦による震動が続いたが、それが途絶えた。
 その瞬間、彼らは宇宙に戻った。





 


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