酸の雨は星の落涙



第八話 荒涼たる寂寥を




 実験は成功した。
 ゲオルグ・ラ・ケル・タ、エーディ・マクガイヴァー、識別名称・ヒルダ、以上三名の意識をアリスより乖離、解放。彼らの 時間感覚、空間認識能力、自己認識能力、記憶、知性、人格、いずれも正常な動作を確認。
 残すはアリス本体と惑星ヴァルハラの破壊だが、それについての解決策は既に見出している。今や、惑星ヴァルハラは アリスを通じて私とも接続している。よって、私の神経系統を破壊すれば、惑星ヴァルハラの珪素鉱脈も破壊されるはずだ。 作戦が失敗し、私の肉体が損傷するだけだとしても、大した損害ではない。ゲオルグ・ラ・ケル・タとの再会が物理的に 不可能になるだけだ。

 そう。それだけの話だ。


 アリシア・スプリングフィールドの日記より




 部下の声で、覚醒した。
 二つの脳を駆け巡る違和感と酩酊感で俯きかけたが、すぐさま顔を上げた。メインモニターには無数の戦闘機を吐き出し つつある敵艦隊と臨戦態勢を迎えている自軍が映っていた。しきりに心配する言葉を投げ掛けてくる部下に大丈夫だと伝え、 頭を振って違和感を振り払うと、現状を見極めるために二つの脳を働かせた。敵艦隊は先発部隊が到着して間もなく本隊が 到着し、戦力ではあちらが圧倒的に上だ。艦長席が据えられたブリッジ中央から見下ろせる管制席では、オペレーターが レーダーに映る敵機数を報告するが、それを終えた途端に別の声が重なって、今し方報告された数を上回る数を報告していた。

「閣下、御命令を。全部隊、戦闘配備完了しました」

 艦長席の傍らに控えていた士官が、ゲオルグに声を掛けてきた。

「閣下」

 また、別の士官もゲオルグを呼んだ。ゲオルグは彼らを前後の目で捉え、若干混乱したが、思い出した。今し方まで 見ていた夢のようなものでは若い頃の姿に戻っていたが、現在の自分は前線で戦う兵士ではなく、兵士達を統べる立場に いるのだということを。最高権力者としての地位を示す階級章が、軍服の両袖に縫い付けられていた。
 ゲオルグ・ラ・ケル・タ将軍率いるアイデクセ帝国軍将軍艦隊は、今、正に惑星クーより放たれた連合軍と対峙していた。 双方は一定の距離を保っているが、どちらも戦いを始める切っ掛けを待っている。その均衡が破られれば、帝国軍は圧倒的な 戦力を有する惑星クー連合軍に滅ぼされてしまうだろう。ゲオルグが数百万人の部下を引き連れ、母星である惑星レギアを旅立つ その時まで、皇帝は同族達を煽り立ててきた。しかし、この戦争に勝ち目がないことなど最初から解り切っている。惑星クーは見かけよりも 遙かに文明が進化した惑星であり、彼らが操る戦艦も同様だ。帝国軍の用いる武器では歯が立たず、生半可な戦いを仕掛ければ 返り討ちに遭うだけだろう。ゲオルグもそれを皇帝に進言したが、聞き入れられず、出撃を命じられた。覚悟を決めてきたつもり だったが、こうして敵艦隊との戦力差を目の当たりにすると圧倒される。将軍艦隊の全戦力は、戦艦二十五隻に一万二千の戦闘機、 対する連合軍艦隊の全戦力は、戦艦百二十隻に三十万の戦闘機。まず、勝ち目はない。

「閣下!」

 何も言わないゲオルグに焦れたのか、補佐官が声を荒げた。

「我らは負けるわけにはなりません! 今、国土を拡大しなければ、我らレギア人に未来はありません!」

「そうです、閣下! 戦いましょう! 三十万の敵も、我らの力を持ってすれば!」

 補佐官に続き、参謀も叫んだ。

「全軍はあなたの命令を待つばかりなのです! さあ、お早く!」

 閣下。閣下。閣下。ブリッジの至る所からゲオルグを煽る声が上がり、皆、限界まで張り詰めた緊張感が膨れ上がった。 ゲオルグは年季の入った義眼で部下をぐるりと見回してから、機械の左手と生身の右手を握り合わせた。右手の硬く冷たい肌 よりも更に冷たい外装をきつく掴み、熟考した後、ゲオルグは強く命じた。

「全軍待機、現状維持に努めろ。通信回線を開き、惑星クー連合軍との接触を図れ」

「…正気ですか?」

 参謀が主眼をぎょろりと丸め、三本足を忙しなく動かしてゲオルグに詰め寄ってきた。

「奴らは蛮族です! 話し合いなど成立するわけがありません! 第一、奴らが我らの言語に精通している保証など ありませんし、何より皇帝陛下の御命令です! 将軍閣下といえども、陛下の御命令に逆らうのであれば!」

「この艦隊は私が全権を握っている」

 ゲオルグは参謀を睨め付け、年齢と共に皮膚が少し弛んだ口元を歪めた。

「開戦してはならん。侵略作戦も中止だ。これより、停戦交渉に入る」

「ここまで来て怖じ気付いたのですか、閣下! 精密機械と呼ばれたあなたが、なぜそのような誤った判断を下すのですか!  停戦交渉を強行するのであれば、拘束も辞しません!」

 参謀はゲオルグの前に立ちはだかり、ハンドガンを上げた。ゲオルグは動じず、ハンドガンを向け返す。

「誤りかどうかは、結果を見てから判断すればいい」

「反逆者め!」

 参謀はゲオルグを撃とうと引き金に指を掛けたが、ゲオルグは上半身を押し出して参謀を押し倒すと、三本足でその体を 押さえ付けてからハンドガンを蹴り飛ばした。参謀の頭部にハンドガンを据えたまま、ゲオルグはそれぞれの武器に手を掛けている 部下達を見渡した。

「私の考えは、非常に頭の悪い作戦かもしれん。だが、諸君」

 ブリッジにいる全ての兵士の注目を受けながら、ゲオルグは良く通る声を張り上げた。

「これは転機だとは思わないか」

 兵士達は顔を見合わせ、ざわめいたが、ゲオルグに賛同する声は上がらなかった。

「真に祖国を思うのなら、我らはこのような場所で散るべきではない。生きて帰り、度重なる紛争によって傷付いた祖国の 復興を手掛け、民を助けるべきではなかろうか。停戦交渉が決裂し、連合軍の攻撃が始まったのなら、その時は私に構わず 全面攻撃を開始してくれ。そして、私のことは未来永劫愚かな反逆者として語り継ぐがいい」

 ゲオルグの演説が終わると、ブリッジは静まり返って計器が放つ電子音だけが響いた。皆、目線を交わしていたが、 管制兵の一人が小声で呟いたのが聞こえた。

「そりゃ、誰だって死にたくないが、俺達は軍人だ。逆らえやしない」

「だから、私が命令を下すのだ」

 その管制兵に主眼を向けたゲオルグは、一歩踏み出して管制部隊に指示を出した。

「通信回線を開き、連合軍との通信を試みろ。通信が成功次第、私は連絡艇で敵艦に移動する」

 他の兵士にも手早く指示を下したゲオルグは、率先して参謀を取り押さえに来た士官に連絡艇のパイロットと護衛の兵士を 手配するように指示を出してから、他の艦にも指示を下し、ブリッジを後にした。ゲオルグの突発的な行動に対して反発を持った 兵士が掴み掛かってきたが、ゲオルグに続いてブリッジを出た士官が制止してくれた。カタパルトに向かう道中、待機中だった 若いパイロットが連絡艇の操縦を志願し、数人の兵士がゲオルグに続いた。彼らの行動をゲオルグはありがたく思いながらも、 複雑な心境だった。分家だが皇族である参謀以外は、皆、ゲオルグの反乱を否定すらしない。皇帝による長きに渡る独裁は、 軍人にすらも影響を及ぼしていたからだ。将軍艦隊旗艦シュトローム号も、見た目は派手だが艤装は古く、複数回のワープドライブに 耐えられるとは思いがたかった。セラミックを上回る強度の外装が開発されているはずだが、その使用を許可されたのは皇帝専用艦 だけであり、前線で戦う戦闘機や戦艦にはプレートの一枚も回されなかった。戦闘機部隊も訓練不足で、ほとんどの兵士がろくに 宇宙に慣れる暇もなく、最前線に投げ出されている。士気も安定せず、ゲオルグは帝国統一大戦に二三の手柄を上げたというだけで 将軍を任されている。彼らのようにゲオルグを慕ってくれる部下達はいるが、それはゲオルグ個人としての話であり、軍人と してのゲオルグに対する評価ではない。だから、惑星クーと戦争を起こせば、全滅するのは火を見るよりも明らかだ。だから、 なんとしても開戦は避けるべきだ。

「閣下」

 カタパルトに向かうゲオルグに添って歩く若い士官に、ゲオルグは身なりを整えながら返した。

「なんだ」

「御武運を、と申し上げるのは、少し違うような気がしますが、幸運を祈ります」

 若い士官はゲオルグに頭を下げたが、ゲオルグは彼にレンズの填った主眼を向けた。

「君もだが、私を裁こうとは思わんのかね? これは重罪だ」

「閣下の御判断が重罪であることには変わりません。ですが、我らは同志である以前に一人のレギア人なのです」

 若い士官はゲオルグの背後に立ち止まり、家族の写真を収めたセラミックプレートを握り締めた。

「閣下の仰った通り、祖国は今や崩壊寸前です。皇帝陛下の支配力だけでは、最早国家を保てないところまで 来てしまっています。私の妻と娘も、革命組織と軍の抗争に巻き込まれて死にました。だから、私は軍人として、本当に成すべき ことを成したいのです」

「ならば、君も来い」

「…はい!」

 ゲオルグの簡潔な指示に、若い士官は最敬礼した。若い士官を連れ立ったゲオルグは艦内移動エレベーターを乗り継ぎ、 カタパルトに到着すると、連絡艇の発進準備が整っていることを確認してから、近場にいた通信兵に命じて全艦一斉通信のチャンネルを 開かせた。通信機を受け取ったゲオルグは、覚悟を据えるために力強く述べた。

「我が声を聞く、全ての同志に告ぐ!」

 カタパルトに控える全ての兵士が、強張った顔付きでゲオルグを見ている。

「今、この時より、将軍艦隊は反乱軍となる! 私の判断に意義を唱える者があれば、迷わずシュトローム号のカタパルトを 爆撃するがいい! だが、私の判断に従うというのなら、直ちに航路を開けろ!」

 硫黄混じりの濃い空気で肺を膨らませてから、渾身の力で叫ぶ。

「その道は、真の平和を勝ち得る道となるはずだ!」

 ゲオルグが全艦一斉通信を終え、通信機を下げた。数分間の沈黙が続いたが、シュトローム号艦内だけでなく、他の戦艦にも 戦闘機部隊にも動きはなかった。皆、ゲオルグのとち狂った提案を受け入れようというのだ。整備兵や控えのパイロットの中には ざわめく者もいたが、他の兵士に一言二言言われると引き下がった。同胞の血を流さずに済んだことに安堵しながら、ゲオルグは 連絡艇に乗った。管制兵が中継した、惑星クー連合軍艦隊旗艦からの意外に快い応答に返事を返してから、ゲオルグはシートに 身を沈めた。三本目の足を背もたれに空いた穴から出し、ベルトを締めると、若い頃に戦闘機を乗り回していた頃のことを思い出す。 事故で脳と左腕を欠損してサイボーグ化手術を受けたばかりで、ゲオルグは感情らしい感情を失ったまま、戦いに駆り出されていた。 その後、治療と手術を繰り返したおかげで感情らしきものが戻ったが、自分を省みない行動に出ることは今でも変わらないようだ。
 カタパルトが開くと、ゲオルグを敵艦隊に導くかのように戦闘機部隊が整列していた。




 停戦交渉は、思いの外穏やかに進んだ。
 惑星クー連合軍側は、警戒しながらではあったがゲオルグを丁重に出迎えてくれた。ゲオルグは敵意がないことを示すために 装備を連合軍に預け、兵士達も会議室の外に待機させ、同じく武装を解除させた士官を従えて交渉に臨んだ。停戦交渉により、 帝国軍はこの宙域で全軍待機を命じられ、連合軍も一時待機することになった。祖国に反旗を翻した帝国軍が撤退出来るはずも なく、そうなれば祖国に駐留する帝国軍に全滅させられる。クーデターを起こすにしても、時間が足りなさすぎる。よって、ゲオルグ には猶予が与えられた。ゲオルグ自身が志願したことだが、連合軍旗艦に身柄を置き、実質的に人質となった。拘束されることは なかったが、電子錠が掛けられた部屋に入れられ、パイロット、兵士、士官共々、軟禁される形になった。
 ゲオルグらが入れられた個室は士官用居住室らしく、それなりに広く、設備も揃っていたが、何に付けてもレギア人には 小さかった。人工重力が作用しているので水道設備も付いていたが、出る水は薬臭い中性水で、どこも変わらないのだと思った。 兵士達に休むように命じてから、ゲオルグは今後を思案した。クーデターを成功するには、何より士気を高めることが不可欠だ。 だが、それに必要な時間もなければ機会もない。ゲオルグには過去の将軍達に備わっていたカリスマ性などなく、あるのは多少の 判断力と年季ぐらいなものだ。打開策を練ろうと考えに耽っていると、連合軍の兵士が部屋のアラームを鳴らし、外からドアを開いた。 二足歩行型脊椎動物である連合軍側の兵士は、ぎこちないレギア語で言った後、異星人を部屋に入れた。兵士達は 身構えたが、ゲオルグはそれを制した。
 ドアの前に立った者は、柔らかな体毛で全身を覆われ、三角の尖った耳と四つ足と長い胴体に細い尻尾を持ち、一対の翼を 背負った小柄な異星人だった。ゲオルグはその体毛の色と面差しを見た途端、記憶の蓋が外れた。

「ようこそ、惑星クー連合艦隊旗艦ゲルヒルデ号へ。私は通訳として乗艦している惑星イリシュ出身の民間人、言語学者の エーディ・マクガイヴァーと申します。以後、よろしくお願いします」

 と、流暢なレギア語で挨拶したネコに似た異星人は、顔を上げ、ゲオルグに目を留めた。

「…あ?」

 その反応は、ゲオルグが数秒の間に見た支離滅裂な夢の登場人物と全く同じだった。

「私はアイデクセ帝国軍将軍艦隊総司令官であり旗艦艦長、ゲオルグ・ラ・ケル・タ将軍だ。以後、よろしく頼む」

 ゲオルグは動揺を隠しながら挨拶し、ぽかんとしているエーディに問い掛けた。

「最初に聞きたいのだが、君はアリスを知っているかね?」

「…少々お待ち下さい」

 エーディはゲオルグを制し、しばらく考え込んでから、大きな目で見上げてきた。

「まさかとは思いますが、閣下もアリスを御存知なのですか?」

「閣下?」

 会話の意味を掴みかねた士官が不安げに尋ねてきたので、ゲオルグは、少し彼と話すことがある、と士官に言ってから、 エーディを連れて鍵の掛からないドアの付いた個室に入り、向き合った。室内灯を付けてからエーディを見下ろすと、エーディは 小さな口元の両脇から生えたヒゲを下げていたが、口元をぐにゃりと曲げて変な顔になった。

「ちょ、ちょっと待てよ、ちょっと待ってくれよ」

 肉球の付いた前足で口元を押さえたエーディは顔を背けたが、明らかに笑っていた。

「何が可笑しい」

 ゲオルグが問うと、エーディはぶるぶると震えながらゲオルグを見上げた。

「だっ、だってよ、お前、ゲオルグだろ? あのゲオルグ。ロリコン王子様だろ! それがなんで将軍なんだよ!」

「お前こそ、科学者ではなかったのか?」

「ありゃ、あっちの変な世界での話だろ? 俺は言語学者なの! だから、こっちが本当の俺だよ!」

「役職はともかく、外見と性格は変わらないようだな」

「お前だって、人のことを言えるか。相っ変わらず、根暗だな」

 エーディがけらけらと笑うと、ゲオルグは冷たい左手でその頭を押さえ込んだ。

「だからといって、笑うことはなかろう」

「あー、悪い悪い」

「ならば、ヒルダはどこだ」

「知らねぇよ。あいつは元々俺達の星系とは関係ない星系から来たんじゃねぇの?」

「それ以前に、ここは我らの在るべき世界なのか」

「なんだよ、まだ疑って掛かってんのか?」

「ならば、お前はこの状況を疑わないのか」

「疑えるもんか」

 エーディは尻尾の先で床を叩き、愛嬌のある様相に似付かわしくない鋭い眼差しを向けてきた。

「俺は確かにこの世界の住人だ。アリスなんていうイカレコンピューターの話なんか、もう二度とするんじゃねぇぞ。俺は 母星と付き合いのある惑星クーに通訳に雇われた言語学者で、お前は祖国に反旗を翻しちまったイカレた将軍だ。やるべき ことをやるだけだ。仕事が終わったら、俺には一切関わるんじゃねぇぞ。俺もお前に関わらない」

「それは無理だ」

「なんでだよ」

 面倒そうなエーディに、ゲオルグは口元を広げて笑みに似た威嚇の表情を見せた。

「私はアリシア・スプリングフィールドと面会する約束をした。よって、私は彼女を探しに行かなければならない」

「一人で行けよ、王子様。大体、俺は軍人でも何でも」

「お前の言葉は信用に値しない。反対の解釈をすべきだと判断する」

「なんでそういう判断に至るんだよ」

「仮想現実での経験に基づいている」

「…けっ」

 エーディはこれ見よがしに舌打ちしてから、ゲオルグに背を向けた。

「とりあえず、この戦争とお前の星をなんとかしねぇとな。そうしねぇと、俺もお前も身動き出来ねぇ」

「その通りだ」

「ところで、やっぱりアップルソーダが好きなのか? 将軍閣下のくせして?」

「そうだ」

 ゲオルグが簡潔に答えると、エーディは先程以上に笑い出した。ゲオルグは軽い苛立ちを感じたが、連合軍からの 平和の使者であるエーディの扱いを誤るわけにはいかないので堪えた。エーディが気が済むまで笑わせてやった後、 ドアを開いて兵士達が控えている部屋に戻ると、エーディの笑い声が気に掛かっていたのか、士官から探りを入れられた。 ゲオルグは士官達に当たり障りのないことを返してから、これから起こるであろう祖国のクーデターと、なるべく被害を 最小限に止めつつも最大限の効果を出せる作戦を考え始めた。
 彼女のことを思うのは、その後だ。





 


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