酸の雨は星の落涙



第八話 荒涼たる寂寥を



 時間と時代が、押し寄せては過ぎ去った。
 ゲオルグの反乱を切っ掛けに始まった祖国の革命は、圧政に次ぐ圧政で燻っていた民意を呼び覚ましただけでなく、 他の惑星に亡命していたレギア人をも巻き込んだ複数星系を上げた内争となった。その間、ゲオルグは反乱軍の将軍と して活動を続け、殺さずに済む者は出来る限り殺さないように戦い続け、冷凍睡眠と延命措置を受けながら命を長らえて 政治を腐らせていた皇族を何人も牢獄に送り、圧政に心を痛めていた皇族を奮い立たせ、開戦寸前で停戦が成功した おかげで友好国となった惑星クーの協力も得て、国全体を作り替えていった。
 そして、気付けば五年が過ぎていた。革命内争が終わった直後に退役したゲオルグは、馴染みの士官や元部下 からの指導を頼まれることはあったが、内政にも外政にも極力関わらないようにしていた。あくまでも自分の本分は戦争 であり、その戦争が終わってしまえば何の役にも立たない。骨の髄まで軍に染まった軍人が、政治に手を出したところで ろくなことにはならないと歴史が証明している。だから、惑星ヴァルハラについて考える時間が出来た。
 その日も、ゲオルグは銀河系の星図と向き合っていた。開け放った窓から滑り込む風は生温く、乾きがちなウロコを 柔らかく撫でながら通り過ぎた。窓の外には青々とした草が茂る草原が広がり、野生動物の鳴き声がどこからか聞こえる。 頭上の空はどこまでも青く、白い雲が穏やかに漂っている。かつて、アリスの内で見せられた、地球という名の惑星と よく似ていると常日頃から思っていた。今、ゲオルグが暮らしているのは、かつての敵対国、惑星クーだった。退役後に 惑星クーから誘いを受けたので、快く応じた。彼らにも思惑があるだろうが、純粋に喜ばしい申し出だった。惑星クーの 連合政府からは首都中心部の公邸を与えられたが、ゲオルグはそれを辞退し、帝国軍の退職金を使って都市郊外の 草原に木造の家を建てた。住んでいるのはゲオルグだけだが、エーディは通訳と翻訳の仕事の合間に訪れ、今となっては もう一人の住人と化していた。実際、休暇を取っては何日も入り浸り、自宅に帰らない時間の方が増えている始末だった。 ゲオルグもエーディが来てくれることで退屈が紛れるので、咎めなかった。

「またかよ」

 今日もまたゲオルグの家にやってきたエーディは、開け放した窓から滑り込み、ゲオルグの肩に乗った。

「どれだけ星図と睨めっこしたって、あの変な星は見つからねぇよ。俺も調べ尽くしたんだから」

「だが、あれだけの事象をただの夢だと言い切るのは乱暴極まりない」

 ゲオルグはエーディの体重を受けてやや前のめりになり、別の星図を出して机に広げた。

「クーの連中も、惑星ヴァルハラなんて知らないって言ったんだろ? あんまり深入りするなよ」

 エーディはゲオルグの肩から降り、アップルソーダの入ったグラスの傍に座った。

「なあ、ゲオルグ。お前は革命を起こした英雄なんだ。その英雄が、いつまでもおかしな夢に囚われてるのは」

「私は彼女と約束した」

「またそれか。どうせ、あいつもアリスの一部なんだよ。アリシア・スプリングフィールドなんていう女は、どこにもいやしない。 若い格好に戻ったあんたが、待っていてくれる女が欲しいって思ったから、そういう女が出来ただけだ」

「その根拠はない」

「だーから、俺達に都合の良いことだけを見せてくれる夢だったんだろ? 根拠なんていらねぇよ、そんなもんに」

「ならば」

 ゲオルグは星図から主眼を上げ、面倒そうに耳を曲げるエーディを見据えた。

「なぜ、私は彼女を求めて止まない」

「えーと…」

 エーディは言葉に詰まったが、半笑いになった。

「恋じゃないの?」

「そうか、恋か」

 そう言われてみれば、納得出来る節がある。ゲオルグが頷くと、エーディは慌てた。

「おい、ちょっと待てよ将軍閣下! そりゃ冗談だって、冗談! 本気にするなよ!」

「私はそうは思わん」

「でもさ、あんた、若い頃は結婚してたんだろ? 脳みそが半分吹っ飛ぶ前に」

「吹っ飛んだから、逃げられたのだ。彼女に対して抱いていた感情の類も消失したから、子を成したいという欲求も 湧かなくなった。そして、異性に対しても何も感じなくなった。だが、それは昔の話だ。今は違う」

「…本気?」

 エーディがゲオルグを覗き込むと、ゲオルグは背もたれから出した三本目の足を尻尾のように振った。

「さあてな」

「でも、俺達がアリシア・スプリングフィールドと接触したのは、日記っつーか、文面だけだぞ? 直接本人に会った わけでもなきゃ、声を聞いたわけでもない。よくもまぁ、そんな相手に思い入れられるな。この変態め」

「文通を知らんのか」

「そりゃ知ってるが、次元が違うだろうが」

 エーディは辟易したらしく、ゲオルグに背を向けてくるりと尻尾を丸めた。

「惑星ヴァルハラとアリスが出てくる素っ頓狂な夢を見たっていう共通項があるから、俺はあんたとこうして 喋っちゃいるが、それがなかったら俺とあんたの付き合いはゲルヒルデ号だけで終わっていただろうぜ」

「そうだな」

「でもって、こんなに深入りもしなきゃ、顔も合わせもしないし、あんたの家に入り浸ったりもしない」

「そうだな」

「ついでに言えば、友人扱いされるほど近付きもしない。というか、近付けるわけがない」

「かもしれんな」

「なあ、ゲオルグ」

 エーディは横顔だけをゲオルグに向け、瞳孔が細くなった目を上げた。

「アリシア・スプリングフィールドに会ったとしても、一体何をどうしたいんだ? 惑星ヴァルハラが実在したとしても、助け出した としても、その後は? アリスを壊すのか?」

「アリスを破壊し、アリシア・スプリングフィールドを救出する。やれるだけのことはやるつもりだ」

「それは感付いちゃいたさ。退職金を全部使って高速戦闘艇と可変型戦闘機を買うんだからなぁ、どうかしすぎだ」

「あの出来事が夢にせよ、今の世界が夢にせよ、彼女には会わなければならん」

「そりゃまたどうして」

「解り切ったことだ。約束したからだ」

 ゲオルグが真顔で答えると、エーディは耳を伏せた。

「純情トカゲめ」

 エーディの皮肉に、ゲオルグは薄く笑うだけだった。それは自分が一番理解しているからだ。分厚い一枚板で 造られた机には何枚もの星図が散らばり、一つの宇宙を成していた。その上で寝そべるエーディはゲオルグの妄想と現実が 混同した物言いにうんざりしたらしく、もう口を利いてはくれなかった。ゲオルグは少し温くなったアップルソーダを飲み、 二酸化炭素の気泡と甘みと酸味が入り混じる絶妙な味を味わってから、細かな情報が印された星図に手を這わせた。 この宇宙のどこかに彼女はいるのだ。そう思うだけで、年齢を重ねたことで衰えたとばかり思っていた情熱が疼いた。未知の 宇宙への探求心もあるが、それ以上にアリシア・スプリングフィールドのことを考えてしまう。知っているのは名と、筆跡と、 人格の端々だけで、アリシア・スプリングフィールドそのものを見たことがあるわけでもないのに、ゲオルグの二つの 脳の間を行き来する情報の大半がアリシア・スプリングフィールドだ。
 声を聞きたい。顔を見たい。触れてみたい。他人から見れば些細な願望かもしれないが、ゲオルグにしてみれば 大艦隊を動かすよりも力が必要で、弾幕の雨をかいくぐるよりも熾烈だった。アリシア・スプリングフィールドが実在の人物で あるかどうかは、ゲオルグも解らない。だから、確認しなければならない。アリシア・スプリングフィールドが知的生命体 であるかどうかも、惑星ヴァルハラが実在しているか否かも、ゲオルグの感情の真偽も。
 確かめなければ、現実とは成り得ない。




 そして、ゲオルグはエーディと共に惑星クーを旅立った。
 気が済むまでカスタマイズを施した可変型戦闘機を搭載した高速戦闘艇を操り、宇宙へと旅立った。そこに至る までには様々な紆余曲折があったが、宇宙に出るために忙しく準備をしている間に時間は過ぎ去り、気付いた頃には 出発の日が訪れ、文句を言う割に付き合いのいいエーディを連れ合いにし、ゲオルグは住み慣れた土地を後にした。 惑星クーの政府から与えられた土地と住居は売却せずに残しておいたのは、もしもアリシア・スプリングフィールドと ヒルダを連れて帰ってこられたら、二人も含めて暮らすつもりでいたからだ。宇宙船暮らしは嫌いではないが、地上に 降りてまで宇宙船で暮らすのは、ゲオルグ自身が好きではないからだ。エーディも、その意見には賛同した。
 異次元空間に裂け目を作り、恒星間ワープを行った高速戦闘艇・ガイスト号は通常空間に戻り、惑星クー連合軍と アイデクセ帝国軍が一触即発の危機を迎えた宙域に出た。ブリッジで自動操縦を手動操縦に切り替えたゲオルグは、 機械の脳に直結しているケーブルを通じてかすかなノイズを感知したが、それはあの夢の冒頭で感じ取ったノイズと似ていた。 管制席でレーダーを見張っているエーディも、周囲の宙域が映し出されたモニターを見上げては変な顔をしていた。ゲオルグと 同様に既視感があるのだろう。

「なあ、ゲオルグ」

 エーディはモニターとレーダーを見比べ、首を捻った。

「俺とお前があの夢を見始めたのは、どの辺りだと思う?」

「私は連合軍と戦うために将軍艦隊を率いてこの宙域に訪れた瞬間から、感覚と意識が若い頃に戻ってしまった。だが、 その時の私が目にしていた光景、直面していた戦闘は、紛れもなく五年前の戦いと同じだった。よって、状況を認識しつつも 仮想現実に引き摺り込まれたと判断するべきだろう」

 ゲオルグが近隣宙域に目を配りながら答えると、エーディは前足に顎を載せた。

「俺は途中まではクーの旗艦に乗っていた記憶があるんだが、途中でぶっち切れて、惑星探査員になっちまってる。 そう思い込むようになった切っ掛けまでは思い出せないが、何かがあったはずだ」

「そうだ。その何かが思い出せれば、我らは惑星ヴァルハラを見つけ出すことが出来る」

 ゲオルグは当時の記憶をなぞりながら、恒星光が散らばる宇宙空間を見渡した。惑星レギアから惑星クーに向かう 最中、ゲオルグは将軍の責務を全うしていた。記憶が途切れ、仮想現実に引き摺り込まれる直前まで、ゲオルグは間違いなく 将軍だった。だが、ある瞬間から、将軍であることを完全に忘れて一兵士として最前線に出て戦闘機に乗って戦っていた。 その瞬間とは何なのか、思い出すに思い出せず、ゲオルグもエーディも黙り込んだ。

「惑星探査のための宇宙船に乗ってこの宙域を航行していた時に、空間超越してきた彗星が掠めて、墜落コースを 辿ったんだ。んで、墜落した先がヴァルハラで…」

 エーディは墜落した経緯を独り言のように呟きながら、暗黒物質が詰まった宇宙に目を凝らした。

「そうだ。私は一等宙尉として戦闘機に搭乗し、連合軍との戦闘を行ったが撃墜され、墜落した」

 ゲオルグもまた、主眼と副眼で宇宙空間を睨み付けた。

「墜落するってことは、それ相応の引力があるわけだ。といっても、それは物理的な引力じゃなくて、俺達の精神を 引っ張り込む引力だと考えるべきだろう。となれば、考えられるのは…」

 エーディはレーダーを切り替え、恒星風によって生まれた磁気嵐が入り乱れる宙域を出した。

「電波か」

 ゲオルグが副眼でエーディの手元のモニターを見ると、エーディはコンソールを叩き始めた。

「大抵の生き物は、脳波の伝達に微弱な電流を利用しているからな。脳波に電波を同調させて意識を引き摺り込む ってんなら、話が通らないわけじゃない。もっとも、たかが電波でそこまで出来るのかどうかは疑問だが、ヴァルハラが量子 コンピューターだってことを踏まえると有り得なくはないぜ」

 エーディはレーダーが感知した磁気嵐の出力と位置の計算を終え、メインモニターに出そうとしたが、急にガイスト号の 船体が揺らいだ。エンジン出力も姿勢も安定し、周囲には何もなかったはずだ。小惑星帯も、隕石も、彗星も、他の船影も、 差し当たって障害物となるものは見当たらない。だが、現に、ガイスト号は外から受けた衝撃によって姿勢を崩し、落下し始めていた。

「ゲオルグ!」

 エーディが声を上げると、ゲオルグは素早く操縦桿を掴んだが船首は上がらなかった。

「見ろ」

「何をだよ」

 エーディはゲオルグの肩越しにメインモニターを見上げ、裏返った悲鳴を上げた。

「…げえっ!?」

 何もなかったはずの宙域に、突如、青い地表を持つ惑星が出現していた。宇宙船が恒星間航行を行うために使用する ワープフィールドと酷似した空間湾曲現象が発生し、宙域の果てで輝いていた星々の光が引き摺り込まれ、歪められ、円形の 渦を巻いている。その渦の中心から、妄想に支配された青き星、惑星ヴァルハラがガイスト号の進行方向に出現した。

「おいおいおいおいおい」

 事態の有り得なさにエーディが後退るが、ゲオルグは操縦桿を握り締め続けた。

「ワープ反応はあったか」

「あるわけねぇだろ、あったら報告してるっての。だが、これで腑に落ちたぜ」

「惑星ヴァルハラは、やはり意志を持っている。恐らく、電波を利用して我々の知覚情報を遮断していたのだ。どの惑星の 星図にも記録がなかったのは、そもそも記録を作るための情報が存在していなかったからだろう」

「あんなにデカい代物を動かせるエネルギーなんて、そうそうありはしねぇからな。ガイスト号がいきなり傾いたのも、 星が見えていないから重力圏との距離感が計れなかっただけだ。全く、凄ぇことしやがる」

 エーディは薄い舌で口元を舐め、恐怖心と鬩ぎ合う好奇心を垣間見せた。

「このまま降下する」

 ゲオルグは操縦席に座り直し、ベルトを締めた。エーディも管制席に戻ると、イリシュ人用に改造されたベルトを身に付けて 準備を整えると、計器の操作を行いながらゲオルグに言った。

「降下したはいいが、脱出出来なかったら?」

「また、己の妄想と立ち向かえばいいだけだ」

 惑星ヴァルハラに針路を定めたゲオルグが言い切ると、エーディはくるりと尻尾を回した。

「仕方ねぇな。とことん付き合ってやるよ、あんたの王子様ごっこに。その代わり、ハッピーエンドにしろよ?」

「言われずとも」

 ゲオルグはエーディの軽口に笑みを浮かべ、エーディは牙を覗かせた。二人は互いの前にあるモニターと対峙し、 現状把握に努めた。青い地表を持つ惑星ヴァルハラは推進装置があるかのように前進し、音もなく押し迫ってくる。実際には、 ガイスト号が惑星ヴァルハラに接近しているだけであり、そう見せかけられているだけなのだ。そう思うと、人智を超越した 物体に対する恐怖感は霧散した。惑星ヴァルハラに墜落した地球人類の都市型宇宙船と接続し、大量のアルカリの詰まった 惑星から量子コンピューターに進化し、知的生命体に無限の快楽を与えるソフトウェアを使用し続けんがために一人の女性を 捉えている星は、間違いなく生きている。だが、その生命の方向が大いに誤っている。アリシア・スプリングフィールドを救い出せば、 惑星ヴァルハラは彼自身の妄想から嫌でも解放されるだろう。そうなれば、何が起きるのかはゲオルグにもエーディにも予測が 付けられなかったが、その時はその時だ。
 現実的に立ち向かえばいい。





 


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