真夏の鉄板焼きは地獄だ。 まさか、あんなに繁盛するとは思ってもみなかった。コンビニで客を捌くのとは違った意味で辛い仕事だ。 大神、もとい、ヴェアヴォルフは舌を思い切り出して激しく喘ぎながら、軍服の襟元を開いてネクタイを緩めた。 横幕の向こう側ではバックに入ったヴェアヴォルフに変わってアラーニャが客を捌いているが、忙しなかった。 それはそうだろう、二人で捌いても辛かったのだから。早く戻らねば、とは思うが、暑さが体から抜けなかった。 スポーツドリンクは二本目のペットボトルが早々に空になり、三本目に手を伸ばすのも時間の問題だった。 「大丈夫ですか、総統?」 お好み焼きの模擬店に材料を運ぶ途中だったブルドーズに心配され、ヴェアヴォルフは喘ぎながら答えた。 「……問題ない」 「夜にはミラキュルンとの決闘もあるんですから、無理しないで下さいね。なんだったら、一度軍服を脱いでは いかがですか? その方が熱が籠もらなくて楽ですよ」 「だが……」 ヴェアヴォルフが渋ると、綿アメの模擬店に補充する割り箸を運んできたダンゴロンが口を挟んだ。 「総統は我々と違って換えが効かないんですから、お体は大事にしませんと」 「そこまで言われちゃ仕方ない」 ヴェアヴォルフは二人の言葉に心の底から感謝しながら、横幕の後ろに置いたショルダーバッグを取った。 八本足を忙しなく動かしているアラーニャに断りを入れてから、ヴェアヴォルフは駅ビル内のトイレへと向かった。 男子トイレの個室に入って軍服を脱ぎ、ネクタイを解いてワイシャツを脱ぐと、弛緩するほどの開放感に襲われた。 体毛の間に押し込められていた蒸し暑い空気が抜けただけで、体感温度が大分下がって心身が楽になった。 乾いたタオルで拭けるだけの汗を拭いて、Tシャツとハーフパンツに着替え、靴も軍靴からスニーカーに変えた。 洗面台で顔を洗ってから外に出ると、見覚えのある影に気付き、ヴェアヴォルフ、もとい、大神は立ち止まった。 「ごきげんよう、若旦那」 男子トイレの傍の壁に寄りかかっていたのは、カメレオン怪人、カメリーだった。 「カメリーさん」 大神が向き直ると、カメリーは大神に近付いてきた。 「お久し振りだぁねぇ、若旦那。ちょっと見ない間に立派になっちゃって、まあ男らしい」 「カメリーさんも元気そうで何よりです」 大神が愛想笑いを返すと、カメリーは大神の肩に三本指の手を載せ、太く長い舌を伸ばしてきた。 「良い情報があるんだよねん、かなぁり使えるやつだよん」 「はぁ……」 大神が腰を引くと、カメリーは顔を突き出してきた。 「五十でどうよ?」 「いえ、結構です。というか、俺達の戦いは単純なので、そこまでする必要がないと思いますし」 「だったら三十! いや、二十なら!」 「あの、俺は仕事があるんで、そろそろ行かないと……」 大神が模擬店を指すと、カメリーは片方の目をそちらに向けた。 「なんだぁ、釣れないねぇ。せっかくの情報なのにさぁ? 情報は上手く使わなきゃ、勝てる戦いも勝てないよ?」 「ミラキュルンには、実力で勝てばいいだけですから」 失礼します、と大神はカメリーを振り切って駅ビルから出た。あまり時間を喰っては、アラーニャに悪い。 カメリーの持ってくる情報は確かなものもあるが、怪しいものも多く、全面的に信用出来るような相手ではない。 大神の父親、つまりは先代のヴェアヴォルフの時代に数回買ったことはあるがその情報で勝てた試しはなかった。 人間的にも、立場的にも、信用出来る要素がない。彼の特殊能力である擬態能力もいかがわしさの一因だった。 怪人の世界は、縦社会のようでいて横社会だ。情報屋とは、結局のところは仲間を売って金を稼ぐ商売だ。 だから、組織や手段は違えど世界征服という共通の目的を持っている怪人達からは、特に疎まれている職業だ。 情報屋が情報を流す相手は、何も怪人だけではない。場合によっては、ヒーローにも組織の情報を流してしまう。 そうなれば、ひとたまりもない。情報屋は上手く利用出来れば使い勝手が良いだろうが、リスクが大きすぎる。 それに、ジャールの懐事情も温かくない。カメリーの提示した金額は、その後に万が付く桁の金額だったからだ。 契約社員の怪人達にボーナスを与えたくても与えられないのに、他人のカメリーにそんな大金を払う義理はない。 カメリーに付きまとわれたら面倒だなぁ、と懸念しながら大神が出店に戻ろうとすると、そのカメリーが目に入った。 目を合わせないように気を付けながら、カメリーの傍にいる人影を窺うと、紛れもなく美花と七瀬と鋭太だった。 実弟である鋭太はまだ関係性が解るが、なぜ美花と七瀬がいかがわしさの固まりのような男と付き合っている。 大神は彼らの間に割り込みたい衝動に駆られ、美花の浴衣姿を褒め倒したい衝動にも駆られたがぐっと堪えた。 一刻も早くアラーニャの元に戻って焼きそばを焼かなければ、と思い直し、大神は焼きそばの模擬店に戻った。 大神が早足で焼きそばの模擬店に入ると、行列は相変わらず出来ていたが客が捌ける速度が変わっていた。 横幕の間からテントの中に入ると、そこにはいつもと変わらぬメイド服姿で焼きそばをひっくり返す芽依子がいた。 「お帰りなさいませ、若旦那様」 「あらぁん、お帰りぃ、若旦那ぁ」 芽依子に続き、出来上がった焼きそばをパックに詰めながらアラーニャが言った。 「なんで芽依子さんがいるんだ?」 大神がアラーニャに尋ねると、アラーニャは客に焼きそばを渡して代金を受け取ってから答えた。 「助っ人よぉん。芽依子ちゃんならぁ、確実においしいのが出来るでしょ?」 「そりゃそうかもしれないが、悪いだろ?」 大神が片耳を伏せると、芽依子は湯気の昇る鉄板を睨みながら返した。 「そのようなことはございません。私めは大神家に仕える使用人でございますので」 「夏祭りの始まったお昼からぁ、ずうっと働き詰めだったんですものぉ。ちょっとは休んだらぁ?」 アラーニャから出来たての焼きそばを一人前渡され、大神は少々困った。 「だが、それはアラーニャも他の皆も同じだろ?」 「そ・れ・にぃ」 アラーニャは大神の傍に顔を寄せると、八つの目を瞬かせた。 「他の子から聞いたんだけどぉ、若旦那ぁ、カメリーさんと会ったんでしょ?」 「ああ、今し方」 「ジャールの情報なんてタカが知れてるけどぉ、それでもぉ、弱みを横流しされたら困っちゃうでしょ?」 「カメリーさんの行動を見張るついでに引き留めろってことか」 「さっすが若旦那ぁ、物解りがいいわぁ」 ね、と四つの目を閉じてウィンクしたアラーニャに、大神は自分の財布から焼きそば五人前の代金を渡した。 「それじゃ、これ。カメリーさんは鋭太達と一緒にいたから、人数分もらっていくよ」 「毎度ありぃ」 アラーニャから追加の焼きそばを四人前渡され、大神はアラーニャと芽依子に礼を述べてから広場に出た。 五人前の焼きそばは重たく、出来たてで熱々だったので、大神は多少苦労して抱えながら四人の姿を探した。 雑踏の中を何度も見回し、先程の一瞬で目に焼き付けておいた美花の白地にピンクの花柄の浴衣を見つけた。 我ながら呆れた煩悩だ、と思いつつ、大神は夏祭りの空気に高揚している人々の間を擦り抜けながら近付いた。 「野々宮さん!」 「あ」 七瀬らと共にかき氷を食べていた美花は、大神に気付いて振り向いた。 「んだよ、馬鹿兄貴じゃねーか」 ブルーハワイのかき氷を食べていた鋭太は、物凄く不満げな顔をして大神に向いた。 「仕事どうしたんだよ、サボりか?」 「そんなわけないだろうが」 まさか、スパイ活動阻止とは言えまい。大神は苦笑してから、七瀬と並んで立つカメリーに向いた。 「どうも」 「意外に早い再会だったねぇ、若旦那」 カメリーはイチゴシロップで赤くなった舌で、べろりと口の周りを舐めた。 「大神君、カメリーさんとお知り合いなんですか?」 美花から控えめに問われ、大神は返した。 「そうだよ。そういう野々宮さんは?」 「ああ、俺ね、七瀬の彼氏なの」 カメリーは七瀬の肩に腕を回したが、七瀬は素早くその手を弾いた。 「いちいち触んな」 「え、えぇ……?」 相手は高校生だろうが。自分のことを完全に棚に上げて顔を引きつらせた大神に、鋭太は可笑しげに笑った。 「つか、マジイカれてるし。だって、虫とトカゲだぜ?」 「そういう若旦那は、俺の彼女と友達とはどういった御関係で? ん?」 カメリーの両の目を向けられ、大神は力強く言い切った。 「友達だ!」 「そ、そうです、友達です! 友達なんです!」 なぜか美花もカメリーに必死な顔で説明したので、カメリーは両目を互い違いに動かした。 「ああ、そう。そんならいいけどさ」 「んでさ、大神君。その焼きそば、誰が食べるんですか?」 半分溶けたかき氷を流し込んだ七瀬に手元を指され、大神はようやく焼きそばの存在を思い出した。 「もちろん皆でだ。そのために買ってきたんだからな」 大神はまず美花の手に焼きそばを渡してから、七瀬、カメリー、鋭太に渡し、自分の手元にも一つ残した。 「立って食べるのもなんだから、移動しようか」 七瀬が街路樹の傍に並んだベンチを指すと、カメリーは美花の手を引いて歩き出した。 「そうだねぇ、そうしよう! さすがは俺の女、良い考えだねぇ!」 「あっ、あ、う……」 抵抗出来ない美花は、カメリーによって呆気なく引き摺られていった。素早すぎたので阻止する間もなく 取り残された大神が鋭太を窺うと、弟もまた腰を浮かせかけていた。七瀬は役に立たない兄弟を一瞥してから、 やれやれと言わんばかりに首を横に振りつつ、カメリーと美花を追って歩き出した。突然のことに対処出来なかった 大神と鋭太は、それぞれで自分に恥じ入りながら二人の待つベンチに向かった。 カメリーと並んで座っていた美花の間に七瀬が割り込んでから、その隣のベンチに大神と鋭太が並んで座った。 本音を言えば美花の隣に座りたかったが、七瀬だけでなくカメリーがいるので大神も鋭太も行動に出られなかった。 情けないこと続きの兄弟は互いに文句を言うことも出来ず、芽依子作の焼きそばをずるずると啜るしかなかった。 「これって、模擬店で売っていたやつですよね? 大神君は夏祭りのお手伝いをするってメールに書いて あったから、もしかして大神君は焼きそばを作っていたんですか?」 焼きそばを食べ始めた美花に尋ねられ、大神は尻尾を低く振った。嘘は言えないが、真実も言えない。 「そうだったら良かったんだが、これは違うよ。俺が作ったわけじゃない」 「つか、兄貴が作ったらこんなに旨くねーし」 鋭太に毒突かれ、大神は辟易した。 「嘘じゃないけどさ」 「てか、大神君も大変ですね。バイトの後にこれでしょ? んで、次にアレでしょ?」 思いがけない七瀬の言葉に、大神は慌てた。 「え、あ?」 「あ、ごめん」 七瀬は平謝りしてから、歯応えのあるキャベツを顎で噛み砕いた。 「アレって言えばさぁ、アレよねぇ、本物のヒーローと本物の怪人の一大イベント!」 カメリーが割り箸を振り上げると、美花と大神が同時に動揺した。 「うひぇっ!?」 「うぐおっ!?」 仰け反った美花と後退りかけた大神に、鋭太は変な顔をした。 「てか、なんで野々宮がキョドるんだよ。マジ意味不明だし」 「あ、えっと、その、なんでもない……」 赤面した美花がベンチに座り直すと、大神も座り直した。 「そうだ、なんでもない。なんでもないったらない」 「敵は世界征服を企む悪の秘密結社ジャール、それを阻止せんと立ち向かうは純情戦士ミラキュルン! ジャールはともかくとして、ミラキュルンは見逃せないのよ。何せ、ミラキュルンはあのパワーイーグルとピジョンレディの 愛娘だからねぇ。どんなスーパーガールなのか、直接見るのが楽しみなのよん」 肩を揺するカメリーに、大神は目を丸めた。 「パワーイーグルにピジョンレディ……?」 両者とも、この業界では名の知れたヒーローだ。名が知れている理由は、圧倒的すぎる実力に他ならない。 パワーイーグルはその名の通りのパワーファイターで、その妻のピジョンレディは多彩で素早い攻撃を行う戦士だ。 日本生まれの怪人達では足元にも及ばないアメリカの怪人達や、怪人を超えたミュータントなどとも対等に戦う。 バトルスーツ姿で普通に宇宙空間に出たり、異次元で戦ったり、などとテレビヒーローを超えた活躍をしている。 大神が子供の頃から戦い続けているヒーローだが未だに現役で、最近も大規模な破壊活動を阻止したと聞いた。 だが、二人の間に子供がいるとは知らなかった。それが、最も身近な脅威であり宿敵であるミラキュルンだとは。 道理で強いわけだ。大神は納得すると同時に、ミラキュルンを痛め付けるのが今まで以上に恐ろしくなった。 下手に傷付けたりしたら、きっと二人が飛んでくる。そして、五分と経たずに悪の秘密結社ジャールは壊滅する。 「でも、ヒーローなんて所詮は名前だけなんだよねぇ」 カメリーは焼きそばを食べ終えると、胸ポケットからタバコを取り出して銜えたが、ライターが付かなかった。 「若旦那、火ぃ貸してくれる?」 「構いませんよ」 大神がライターを取り出してカメリーのタバコに火を付けると、カメリーは煙を深く吸った。 「ヒーローは生まれながらのヒーローだけど、ヒーローでしかないのよねぇ。そういう遺伝子を持って生まれついたが 最後、嫌でも戦う羽目になっちゃうの。才能があろうがなかろうが、ヒーローってだけで敵は勝手に現れては戦いを挑んでくる。 凄く理不尽だよねぇ、そういうの。でも、いくら理不尽でも戦いは戦いなんだから、真面目にやってもらわなきゃ困るのよ。 怪人仲間から聞いたんだけど、ミラキュルンの戦いってのはいい加減なんだってねぇ」 カメリーは左目で美花を、右目で大神を捉えた。 「怪人が命懸けで戦いを挑んでいるってのに、ミラキュルンと来たらへっぴり腰で適当に殴ってくる始末。おまけに、 ようやく使った変な名前の必殺技も出力調整が適当なもんだから怪人を吹っ飛ばすどころか、反射して変な方向に飛んじゃった。 怪人を馬鹿にしてるよねぇ」 カメリーはタバコを外すと、ベンチの脇の灰皿スタンドに灰を落とした。 「そういうのってアレだよねぇ、自分の才能を鼻に掛けて他人を虚仮にしてるよねぇ。ヒーローに生まれついたからって、 心の方もヒーローだってわけじゃないからねぇ。てかさぁ、女の子なんだから、ヒーローなんかやらずに魔法少女にでも 変身したらいいのに。ヒーロー体質は万能なんだからさぁ」 耳どころか、胸が鋭く痛む言葉ばかりだった。美花は割り箸を握り締めたまま、何も言えずに俯いた。 ジャールとの戦いは嫌々やっていたことだが、相手は至って本気なのだ。世界征服を企む気持ちに嘘などない。 だが、美花はどうだ。いつのまにか、ジャールを手玉に取れるミラキュルンであることを鼻に掛けていたのでは。 驕っていたから、決闘の時に私情を持ち込んだり、ヴェアヴォルフをデートの練習台にしたのではないだろうか。 戦いはあくまでも戦いであって、日常の一部ではあるが日常ではない。世界の覇権を掛けた正義と悪の戦いだ。 「彼女を馬鹿にしないで下さい」 大神はヴェアヴォルフの姿ではないことを忘れ、カメリーを睨め返した。 「端から見れば真面目じゃないかもしれないが、彼女は間違いなく正義の味方です」 「言うじゃないの」 カメリーはタバコを銜え直し、大神を見返した。 「だけど、ヒーローごっことヒーローは違うのよ。そこんとこ解ってる、若旦那?」 「今に解りますよ」 部下達と戦う様を見れば、と大神は言いそうになったが、私服姿であることを思い出して飲み込んだ。 カメリーの言うことは正しいが、それは表面的なものだ。ミラキュルンは、真っ向からジャールと戦ってくれている。 頼りなくて精神的に打たれ弱くて臆病なくせに妙に強いが、その内には正義の心が滾っているのだと信じている。 いや、信じたい。カメリーの言うように、ミラキュルンがいい加減な気持ちで戦っているのであれば士気が下がる。 戦う相手が本気でなければ、襲い掛かる側もやる気が失せるからだ。そうであってくれ、と大神は祈ってしまった。 そして、当のミラキュルンに変身する美花は、カメリーの正論に心が折れそうだったがなんとか踏ん張っていた。 大神がミラキュルンに肩入れしてくれなければ、泣いてしまったかもしれない。七瀬に優しく肩を叩かれた美花は、 目元に滲んできた涙を拭い、胸中に痛みと共に煮え滾る悔しさに己を奮い立てた。 ミラキュルンの正義を示してやる。 09 8/2 |