純情戦士ミラキュルン




第十七話 戦慄の週末! 死を呼ぶハイキング!



 メインイベントである昼食になっても、ミラキュルンの機嫌は直らなかった。
 三人よりも一足先に山頂に到着していたミラキュルンは、マッハマンを除いて出迎えと労いの言葉を掛けた。 マッハマンがどんな言葉を掛けようとミラキュルンは完全に無視しており、反応すら返してくれない始末だった。 ナイトメアには慰められ、ツヴァイヴォルフには笑われ、妹には嫌われ、マッハマンの自尊心は砕けそうだった。
 山頂の芝生の広場では、車に乗って登ってきたと思しき家族連れが、思い思いの場所で昼食を広げていた。 子供達の歓声が上がり、親達の話し声が響き渡る中、二人のヒーローと二人の怪人もまた弁当を広げていた。 双方のレジャーシートをくっつけて座った四人は向かい合っていたが、マッハマンは針のムシロの気分だった。 ミラキュルンはマッハマンには決して話しかけず、ナイトメアとツヴァイヴォルフとばかり話していたからだった。 ナイトメアは気を遣ってマッハマンに話を振ってくるが、ツヴァイヴォルフはそれを阻み、ミラキュルンとまた話す。 その繰り返しが続いたため、すっかりマッハマンは阻害されてしまい、会話にも混ざれずに黙々と食べていた。
 マッハマンが作った弁当は、ミラキュルンのリクエストを全て実行したためにお子様ランチも同然だった。 エビフライ、ミートボール、ブロッコリー、チキンライス、そしてウサギリンゴだが、当然マッハマンも同じ内容だ。 対するナイトメアの作った弁当は堅実で、梅干しとサケのおにぎり、唐揚げ、卵焼き、キュウリとナスの浅漬けだ。 ツヴァイヴォルフが持たされていたのもその弁当だったが、中身を知らなかったらしく、開けた途端に落胆した。 ツヴァイヴォルフはその地味さが余程面白くなかったらしく、ミラキュルンをせっついて、中身を交換させていた。 ミラキュルンは少々躊躇ったが、ツヴァイヴォルフの中身も気になっていたらしく、結局は交換し合って食べた。 本当に小学生の遠足のようなやり取りだが、ヒーローと怪人が行っていることなのであまり可愛げはなかった。
 それぞれ弁当を食べ終え、ようやく話を切り出せると思ったら、ミラキュルンはツヴァイヴォルフを連れ出した。 だが、さすがにまだ胃が落ち着いていないのか、芝生の広場に隣接しているアスレチックを眺めて話していた。 聞こえてくる内容は、どのアスレチックから遊ぶか、または勝負するか、という十七歳らしからぬ幼いものだった。

「どうぞ」

 ナイトメアから麦茶の入ったコップを差し出され、マッハマンは受け取った。

「悪いな」

 昼食を入れたばかりで重たい胃に麦茶を流し入れてから、マッハマンは嘆息した。

「なんでこうなっちまうのかなぁ……」

「私めには兄弟がおりませんので、羨ましい限りにございます」

 自分もまた麦茶を飲みながら、ナイトメアはミラキュルンとツヴァイヴォルフの姿を見やった。

「坊っちゃまの上にも若旦那様と御嬢様がいらっしゃいますが、御三方は大変仲がよろしゅうございます」

「三兄弟なのか」

「はい。今年で二十五歳になられました、長女の弓子御嬢様にございます。御結婚されておりますが、今も御実家に 住まわれておりますので私めらには御嬢様なのでございます」

「知らなかったよ。んで、その弓子さんも怪人なのか?」

「怪人ではございますが、オオカミの耳と尻尾が生えている以外は人間に近しい御方にございます」

 ナイトメアはマッハマンのコップに追加の麦茶を注いでから、水筒を脇に置いた。

「ナイトメア。なんで俺までハイキングに誘ったんだ?」

 並々と注がれた麦茶を啜ったマッハマンが問うと、ナイトメアは鋭い爪の生えた手で頬を押さえた。

「決まっております。マッハマンと一時の思い出を作るためにございます」

「普通に誘えよ」

「普通に誘えば、断られるに決まっているからでございます」

「そりゃそうだが、何もハイキングにすることはないだろ」

「どうせなら、楽しい思い出の方がよろしいかと思いまして」

「楽しい戦いなんてあるかよ」

 胡座を掻いたマッハマンは、麦茶の入ったコップを膝の間に提げるように手を下げた。

「いいか、俺はちゃんと言ったんだぞ。俺は怪人と付き合う気はない。増して、好きになるわけがない。だから、 いくらお前が俺を誘おうが何をしようが無駄なんだ。だから、諦めろ」

「承知しております。ですが、私めは」

「承知してるんなら、尚更だ。二度と俺に近付くな」

 マッハマンは麦茶を飲み干すと、そのコップをナイトメアに押し付けてから立ち上がった。

「腹ごなしのついでに暖気してくる」

 レジャーシートから腰を上げたマッハマンは、ヒーローに気付いて近付いてきた子供達をあしらい、 あっちに行け、とアスレチックで遊ぶミラキュルンとツヴァイヴォルフを指すと子供達はすぐに二人に駆け寄った。 思わぬことにミラキュルンは戸惑い、ツヴァイヴォルフは逃げ腰だったが、逃げるに逃げられなくなってしまった。 これで当分は大丈夫だろう。マッハマンは広場から離れた雑木林に入って空間を見つけると、体を慣らし始めた。 拳を突き出し、蹴りを放ち、必殺技に必要なエネルギーを生み出す。風を纏った手刀が、幾度も落ち葉を切った。 だが、現役時代に比べれば切れがなかった。その原因は、美花に対する懸念と芽依子に対する引け目だった。
 ナイトメア、もとい、内藤芽依子はマッハマンに倒された悪の組織の一員だったが、救われた、と言ってくれた。 ヒーローに最も大切な正義の心を見失ってしまったマッハマンに、正義を見いだすための糸口を掴ませてくれた。 そんな芽依子を攻撃していいものか。だが、相手は怪人であり、果たし状を送ってきたのも芽依子自身なのだ。 戦うことは芽依子の望みだ。しかし、彼女を攻撃するのは、ヒーローとして本当に正しい行動と言えるのだろうか。 怪人だから憎らしい、疎ましい、と思っていた。思おうとしていた。だが、知れば知るほど、敵意が薄れてしまう。

「……ん」

 葉が舞い降りてきたので顔を上げると、頭上の枝からナイトメアが逆さまにぶら下がっていた。

「戦うのでしたら、早い方がよろしゅうございましょう」 

「まだ腹が落ち着いてねぇだろ」

「私めも怪人にございます。傷の治りが早ければ新陳代謝も早く、消化も早うございます」

 足を枝から離したナイトメアは、一回転してから着地した。

「ミラキュルンと坊っちゃまは、私めの計画したハイキングを存分に楽しまれております。それに水を差してしまっては、 申し訳のうございます。ですので、事を収めてしまいましょう」

「俺と戦うと、後悔するぜ?」

 拳をきつく握り締めたマッハマンに、ナイトメアは僅かに目を細めた。

「私めは三年半前に敗北した身にございます。今更、後悔などすることはございません」

「だったら俺も遠慮しないぞ!」

 マッハマンは背部装甲のジェットブースターから青い炎を噴出し、加速した。ナイトメアも葉を蹴り、身を躍らせた。 銀と青の影と灰色の影が迫り、暴風が撒き散らされる。マッハマンの放った拳は、ナイトメアの耳を掠めて抜けた。 マッハマンの背後に回ったナイトメアは足を振り上げるも、マッハマンは後ろ手にその足を掴んで、投げ飛ばした。 が、ナイトメアは木に叩き付けられる前に幹を蹴って上昇し、マッハマンの頭上を取って牙の目立つ口を広げた。

「バッドシャウト!」

 鋭い声と共に放たれた指向性の超音波が地面を吹き飛ばしたが、マッハマンは転身して回避した。

「掠りもしねぇっ!」

 そして、一直線に上昇し、ナイトメアの首を掴んで手近な木に押し当てた。

「俺は音速戦士マッハマンだ! 音より速い俺が、音を操るお前になんか負けるわけねぇだろ!」

「ぁ……」

 喉を押さえられたナイトメアはマッハマンの手首を握ったが、手を外し、だらりと下げた。

「おい……」

 なぜ、抵抗しない。マッハマンが喉を絞める手を緩めると、ナイトメアは口の端を上向けた。

「先輩。どうか、今、私めを倒して下さい。そうすれば、私めは悔いが残りません」

「何を言ってんだ、俺はもう」

「マッハマンは、野々宮先輩は私めのヒーローにございます。ですが、私めは穢らわしい怪人。どれほど憧れようと、 愛してしまおうとも、私めには先輩に恋をする権利など最初からございません。今日という日は、私めが大旦那様に拾われた日に 次いで幸せにございました。ですから、どうぞ、そのまま……」

「やめろ、やめろよ、そんなこと言うな」

 マッハマンはナイトメアの喉から手を放し、後退した。

「俺はそんなに凄くもなければ強くもない! お前が憧れるような男は、どこにもいない!」

「私の中にいます! 先輩がそう思っておられなくても、私を救ったのはマッハマンに他ならないのでございます!」

 ナイトメアは両腕を広げ、マッハマンに近付いた。

「黙れ、黙れ黙れ!」

 マッハマンは更に後退したが、木に阻まれてしまった。

「もう……やめてくれ……」

 芽依子が、心の底から哀れだった。速人に縋る以外に心の拠り所が見つからないから、速人に執心している。 実家とその家業の悪の組織が潰え、悪の秘密結社ジャールの先々代暗黒総統に拾われ、メイドとして働く日々。 本人が言ったように充実した日々には違いないだろうが、疎んでいる怪人としての自分自身からは逃れられない。だから、 ヒーローであり人間の速人への恋に身を焦がすがために、怪人である自分を倒してもらいたがっている。

「先輩、お願いでございます」

 切なげに懇願してきたナイトメアに近寄られ、マッハマンは堪えきれなくなってその体を抱き締めた。

「もういい、黙れ、俺の負けだ!」

「まだ終わってはおりません、私めは先輩に倒されてこそ、この戦いは!」

 マッハマンの腕の中でナイトメアは身を捩るが、それに勝る力で押さえ込まれた。

「もう、いいんだ」

 マッハマンが声を落とすと、ナイトメアはようやく力を抜いた。

「ですが……」

「俺は、お前とは戦いたくない」

 バトルスーツ越しにナイトメアの体温を感じながら、マッハマンは地上に降り、彼女を抱いたまま座り込んだ。

「嫌です、そんなの、私は怪人で!」

「半分は人間だろ。だから、内藤は人間なんだよ」

「嘘です、だってあんなにひどいことを言ったじゃありませんか!」 

「それは、俺がヒーローだからだ」

 怪人を好きになれないのではなく、怪人を好きになってはいけないと思っていたからだ。

「ごめんな、内藤。ひどいことばっかり言っちまって」

 マッハマンは彼女の顔を上げさせて向き合ると、気が抜けたのか、目の前でナイトメアは人間体に戻った。 普段は崩すことのない顔を歪め、マッハマンに縋り、芽依子は顎を噛み締めて声を押し殺しながら泣き出した。 マッハマンは怪人体よりも体積が縮んだ芽依子を抱え直そうとしたが、ゴーグルに映ったのは白い素肌だった。 そういえば、怪人は基本的に服を着ずに活動する。だから、怪人体の時は芽依子も当然ながら全裸だったのだ。 今更ながらその事実に気付いたマッハマンは、大いに戸惑いながら、誰も来ませんようにと願って周囲を窺った。 幸い、芽依子が泣き止むまでは人影はなかったが、その間、マッハマンは色々な意味で緊張して固まっていた。
 戦闘よりも、余程辛い戦いだった。




 その後、四人はつつがなく下山した。
 ミラキュルンと子供達と遊び倒して疲れたツヴァイヴォルフは、駅前に向かうバスに乗るや否や即座に眠った。 ミラキュルンも疲れたのか口数は少なかったが眠るほどではないらしく、時たまナイトメアと言葉を交わしていた。 マッハマンはがら空きのバスの車内を見渡していたが、懸命に腕に残る芽依子の感触から意識を逸らしていた。 今までまともに女性と接したことがなかったので、年頃の女性があれほどまでに柔らかいとは思っていなかった。 これでは、怪人体でも意識してしまいそうだ。マッハマンは怖々とナイトメアを窺うと、ナイトメアは目を彷徨わせた。 マッハマンも彼女を直視出来なくなり、意味もなく窓の外を見やると、西日に染まる山間の風景が流れていった。
 特に会話もないままバスは駅前のバスターミナルに到着し、爆睡していたツヴァイヴォルフは揺り起こされた。 寝起きで思い切り不機嫌なツヴァイヴォルフを引き摺ってバスを降りたナイトメアは、二人に挨拶し、飛び去った。 その下にはまだまだ眠そうなツヴァイヴォルフがぶら下げられていたが、遠目に見ると彼女の獲物のようだった。 ミラキュルンは二人に手を振って見送ってから歩き出し、マッハマンもまた妹に続いて自宅マンションに向かった。

「美花」

 マッハマンは妹の本名を呼んでから、妹の隣に並んだ。

「ごめんな」

「もういいよ」

 ミラキュルンはリュックサックの肩紐を握り、俯いた。

「私も言い過ぎた。お兄ちゃんのこと、嫌いじゃないんだよ。でも、なんか、急に恥ずかしくなっちゃって」

「次、出掛ける時はお前が弁当作れよ。俺は手出ししないからな」

「うん。解った。だったら、文句言わないでよね?」

「俺のは文句じゃない、実直な感想だ」

「それがきついんだよ。たまには褒めてくれたっていいじゃない」

「ちょっとでも褒めたら調子に乗っちまうだろうが」

「う……」

 ミラキュルンは言葉に詰まったので、話を変えた。

「そ、そういえば、お兄ちゃんはナイトメアさんと戦ったの? 私、遊ぶのに夢中になって気付かなかったんだけど」

「戦った、っつったら戦ったが」

 マッハマンは自分の言動を思い出し、羞恥に襲われて顔を押さえた。抱き締めたのはやりすぎだった。

「うん、ありゃ俺の負けだ。結局、押し切られちまったみたいなもんだし……」

「え? ナイトメアさんって、お兄ちゃんを負かすほど強いの?」

 意外そうなミラキュルンに、マッハマンは手を横に振った。

「いや、そういう強さじゃねぇ。なんつーか、その、女ってのは恐ろしいっつーかで」

「え、えぇ!? それじゃお兄ちゃんはナイトメアさんと、ああ、考えたくないけど考えちゃいそう!」

 マスクを押さえて頭を振り回すミラキュルンに、マッハマンは慌てた。

「おい、止めろ! 変なこと妄想すんな! また巨大化したら、元に戻るまで手間取るだろうが!」

「そりゃそうだけど、でも、うあ、頭冷やしてくるぅっ!」

 ミラキュルンはリュックサックを投げ捨てると、マッハマンに背を向けて最高速度で夕焼け空へと飛び去った。 妹のリュックサックを抱えたマッハマンはしばし呆気に取られていたが、夕飯の支度をするために家路を辿った。 空を飛ぶと疲れるので歩道を歩いていると、夕日が巨大な物体に遮られたような気がしたが無視して歩いた。 初恋乙女の胸キュンエナジーなんて動力源にさせるんじゃなかった、と後悔しながら、マッハマンは項垂れた。 だが、マッハマンも、芽依子のことを思い出してしまうと似たような事態に陥りそうだったので、必死に自制した。 とにかく、夕食のメニューを考えよう。カレーだったら簡単だ、だがそれだけでは物足りない、ならばサラダも、と。 ナイトメアの切ない告白と芽依子の艶めかしい肢体から気を逸らすため、マッハマンは全力でメニューを考えた。
 家に帰るまでがハイキングであり、戦いなのだから。





 


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