純情戦士ミラキュルン




第二十六話 裏切り者の末路! ナイトメアの最期!



 同、金曜日。
 メイド服以外の服を着た自分を見たのは久々だ。鏡を見ていると落ち着かなくなり、何度も見直してしまう。 化粧をしたのも、何ヶ月振りだろう。弓子に基本を一通り教えてもらったが、ちゃんと出来ているのか怪しい。 だが、デートなのだから。芽依子は姿見に映る自分を見るのが気恥ずかしく、視線を彷徨わせながら目を向けた。 弓子のお下がりである秋物のワインレッドのワンピースを着ていて、それに合わせた柄物のタイツも履いている。 靴だけは服に見合ったものがなかったので、いつも履いているヒールのないローファーで間に合わせた。 バッグは、ヴォルフガングが存命中に里帰りした時に買ってきてくれたドイツ製の老舗ブランドのバッグを出した。 せっかくもらったのに勿体なくて一度も使ったことがなかったハンドバッグで、埃を払えば新品だ。

「ど、どうでしょうか……」

 芽依子は不安に駆られ、ワンピースの裾を持って身を翻した。速人が気に入ってくれるかどうか解らないが、 今のところ芽依子が持っている私服はこの程度で、それ以外はメイド服のスペアと寝間着しかないのだ。

「頑張らなきゃ!」

 けれど、これしかないのだから覚悟を決めなければ。芽依子は意気込んだが、不意に目眩に襲われた。

「あっ」

 視界が回転し、よろけた芽依子は床に膝を付きそうになったが、ワンピースが汚れるので姿見を掴んだ。

「大丈夫、私はまだ大丈夫……」

 連日の戦闘で、少し疲れが溜まっただけだ。アラーニャから受けた毒も、パンツァーからのダメージも抜けた。 ワンピースの襟元から零れてしまった銀の細いチェーンと十字架のペンダントトップを中に戻し、襟元を直した。 顔色は優れなかったが、化粧をすれば誤魔化せるだろう。速人の恋人になるのだから、しっかりしなければ。 芽依子は目眩を堪えながら立ち上がると、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けてから、自分に笑顔を向けた。

「うん。大丈夫」

 今日一日、何も起きなければそれでいい。芽依子はハンドバッグを手にし、自室を出ると階段に向かった。 一階に下りると、午前九時前に出社したはずの弓子が居間におり、物凄く真剣な顔をして棒状のものを見ていた。

「いかがなさいましたか、弓子御嬢様?」

 芽依子が声を掛けると、弓子は振り向き、芽依子の服装に気付いた。

「あれ、芽依子ちゃん。お出掛けするの?」

「はい。野々宮先輩からお誘いを受けましたので。御屋敷の家事と御夕飯の下拵えは済ませておきましたし、 午後六時前には帰宅しますので御安心下さい。弓子御嬢様は、また体調が思わしくないのでございますか?」

「うん、そうなんだけどね……。そっかぁ、そういうことだったのかぁ、道理で……」

 弓子はプラスチック製の細長い棒を凝視していたが、それを握り締めて立ち上がった。

「私、これから病院行ってくる! あ、でも、芽依子ちゃんは気にしないで良いからね、楽しんできてね」

 弓子に笑みを向けられ、芽依子は照れ混じりに笑みを返した。

「仰せのままに」

「いってらっしゃい、芽依子ちゃん」

 弓子に手を振られ、芽依子はワンピースの裾を広げて一礼した。

「それでは、私めはしばしのお暇を頂きます」

 芽依子はハンドバッグを持ち直し、いつもより早足で玄関を出た。午前十時三十分手前なので楽々間に合う。 あまり急ぎすぎて転んでしまったり、汗で化粧が崩れてしまっては困るので、なるべく歩調を緩めることに努めた。 それでも、自然に足が早く動いてしまう。芽依子は勝手に笑顔になってしまう頬を気にしながら、駅前に向かった。 走ってもいないのに心臓が高鳴り、秋風は冷ややかなのに体感温度が高まり、呼吸が上手く出来なくなってくる。 速人に会うのは、ハイキングをした山の山頂で告白された時以来なので、嬉しい反面やたらに緊張してしまった。 おかげで朝からそわそわしてしまい、体が覚えているはずの掃除の手順を間違えたり、包丁で指を切りかけた。 昨夜だって、パンツァーとの戦闘で疲れ果てていたのに、夜中に目が覚めて速人のメールを読み返してしまった。
 住宅街を抜け、駅前に繋がる大通りに出た。芽依子は深呼吸してから、速人と待ち合わせした場所を目指した。 十五分も掛からずに到着してしまったので、約束の時間よりも大分早い。駅前広場に入り、忙しなく目を動かした。 だが、速人の姿はまだない。どこで待っていればいいのだろう、と芽依子が辺りを見回していると肩を叩かれた。

「あひゃあ!」

 驚きすぎて声を裏返した芽依子が後退ると、同じように目を丸めた速人が身を引いていた。

「あ、ああ悪い! そんなつもりじゃなかったんだ!」

「うぁ……」

 驚きすぎたことが恥ずかしくて芽依子が赤面すると、速人は取り繕った。

「俺が悪かったんだから、そんなに気にするなよ!」

「すみません……」

 芽依子はおずおずと目を上げて速人を窺うと、速人は芽依子の格好を見下ろした。

「それ、さ」

「すみません、私めがこのような身の程知らずの格好を!」

 強烈な羞恥心に駆られた芽依子が逃げ出しかけると、速人は芽依子の腕を掴んだ。

「似合ってる似合ってる! だから逃げるな!」

「くぁ……」

 速人に触れられた腕を硬直させた芽依子は、照れすぎて脱力し、膝を折った。

「ちょっとは慣れてくれよ」

 速人は苦笑しながら芽依子を支えると、芽依子はますます赤面して俯いた。

「すみません……」

「それと、なんか、ごめん。急に誘っちまって」

 速人は芽依子の腕を離しかけたが、その手を下げて芽依子の手を握った。

「いえ、そんなことはございません!」

 手を握られたことでますます照れた芽依子が顔を背けると、速人も照れに負けて目線を彷徨わせた。

「とりあえず、どこに行こうか?」

「考えておられなかったのですか?」

 芽依子が恐る恐る速人の横顔に目を向けると、速人は頷いた。

「せめて下調べ出来れば良かったんだけど、いきなり誘っちまったもんだから、時間もなくってさ」

「私は、先輩さえいらっしゃればどこでも構いません」

「じゃあ、行こうか」

 速人に手を引かれ、芽依子は歩き出した。気が引けるので一歩後ろを歩いていたが、速人が歩調を合わせた。 若旦那様も同じことをなさってくれた、と思ったが、同時に大神の背に剣を振り下ろした感触も思い出してしまった。 芽依子は目眩がしそうになったが、速人の手から伝わる体温で不快感を振り払って速人の傍に並んで歩いた。

「でも、本当にどこに行こうってんだよ」

 速人は髪を乱し、困ったように眉を下げた。

「ていうか、デートってそもそも何をすりゃいいんだか」

「先輩もお解りにならないのですか?」

「当たり前だ。誰かと付き合うなんてのは、内藤が初めてなんだから」

 速人は芽依子を直視出来ないらしく、意味もなく進行方向を凝視していた。

「だから、本当は色々と調べておきたかったんだけど、いてもたってもいられなくなっちまって」

「何故にございますか」

「内藤は住み込みで働いているんだろ?」

「左様でございます」

「休みはもらっているけど、性格からして遊びには出ないんじゃないのか?」

「お察しの通りにございます」

「だから、遊びに連れ出してやりたくなっちまって」

 速人は足を止め、芽依子に向き直った。

「でも、俺は内藤のことは何も知らないんだよな。せめて、もう少し知ってからの方が良かったな」

「いえ。私めは、先輩に気に掛けて頂けるだけで」

「それと、その、俺にはそういう話し方はやめてくれないか?」

「何故にございますか?」

「当たり前じゃないか。俺は内藤の雇い主でもないし、まあ、その、アレじゃん?」

「で、でも……」

「ああ、でも、すぐじゃなくてもいい。少しずつでいいから、俺には普通に接してくれよ」

「善処いたします。あ、だから、そうではなくて」

 芽依子は同年代の男女で交わす言葉を思い出し、言い直した。

「頑張り、ます」

「それで良し」

 速人は満足げに頷いたので、芽依子は無性に嬉しくなった。他人から褒められるのは、久し振りだ。 ヴォルフガングには些細なことで褒めてくれたが、使用人としての教育を施してくれたレピデュルスは違っていた。 家人には基本的に甘いが同等の使用人となる芽依子に対しては別で、罰こそ与えなかったが辛辣な態度だった。 けれど、それは芽依子を大神家に相応しい立派なメイドに仕立て上げるためのことなのだと、早くから解っていた。 使用人の仕事だけではなく、高校一年の一学期で止まってしまった勉強や、社会の常識も事細かに教えてくれた。 安易に褒めることはなかったが、芽依子が確実に成長したことを知ると、穏やかな言葉で芽依子を褒めてくれた。 だから、レピデュルスは、芽依子の本当の恩師であり、幼い頃から欲していた厳しくも優しい親のような存在だ。
 しかし、いずれ、そのレピデュルスも倒さなければならない。




 外食をしたのも、何年振りだろうか。
 しばし駅前近辺をうろついた後、速人の案内で駅前から離れた住宅街の奥にあるイタリアンレストランに行った。 普段は芽依子が奉仕する側なので、人から給仕されるのも気を遣われるのも違和感を感じて落ち着けなかった。 速人からメニューを勧められても、速人に先に選んでもらわないと悪い気がしたので、速人に押し返してしまった。 だが、速人は速人で芽依子に気を遣ったので、押し問答の末に芽依子の目の前にメニューが広げられた。 最後まで引け目を感じつつ、芽依子は平打ちパスタのポロネーズを選び、速人は秋ナスとトマトのパスタを選んだ。 注文したものがテーブルに届いても、芽依子は落ち着くことが出来ず、おいしいのに早々に食べ終えてしまった。 速人も口数が少なく、ひたすら食べていた。間を持たせていたパスタがなくなったので、今度はデザートを頼んだ。
 芽依子の前には紅茶と和栗のモンブラン、速人の前にコーヒーとティラミスとジェラートの盛り合わせが運ばれた。 芽依子は香りの良い紅茶を一口啜ってから速人を窺うと、速人はティラミスを掬って味わいながら食べていた。

「あの……」

「いつになるかは解らないけど」

 速人は紫芋のジェラートを掬い、食べた。

「車、買おうと思うんだ」

「車、に、ですか?」

 ございますか、と言おうとしてしまい、芽依子は言い直した。

「免許はもうちょっとで取れそうだし、バイトの給料も大分貯まってきたから、頭金ぐらいにはなりそうなんだ」

 速人はパンナコッタを掬い、食べてから言った。

「まあ、今からそんなことを言ってもタヌキの皮算用もいいところなんだけど、言いたくなって」

「なぜ、に、ですか?」

「そりゃあ……」

 速人は再度ティラミスに戻ると、マスカルポーネとココアパウダーの混じったものを掬った。

「ドライブってのをしてみたいんだ。親がアレだから車なんてほとんど乗ったことなかったし、乗っけてくれるほど 仲が良い奴もいなかったし、地上を走るのがどんな感覚なのかも知りたいし。それに、ちょっと憧れていたから」

「何、に、ですか?」

「恋人、ってやつ」

 自分で言ってから気恥ずかしくなったのか、速人は濃いコーヒーを啜った。

「恋人……」

 芽依子は手付かずだった和栗のモンブランをフォークで切り、口に運んだが、彼の言葉の方が甘すぎた。 夢に見ても、現実には有り得ないと思っていた。悪の家業から救い出してくれたヒーローと、恋人同士になるなど。 その上、かのヒーローの正体が、半年にも満たない高校生活の中で最も素晴らしい記憶である初恋の相手とは。 幸せすぎて、いっそ蒸発してしまいたくなる。もしくは爆死したい。芽依子は赤面を誤魔化すために、深く俯いた。 甘みも風味も丁度良い和栗のモンブランを味も解らぬままに食べていると、ハンドバッグの中から振動が響いた。 その音に驚き、芽依子はフォークをからりと皿に落とした。何もこんな時に来なくてもいいのに、と苛立ちを感じた。 だが、これもまた仕方ないことだ、と妥協して、芽依子は紅茶で口中の甘みを流してから携帯電話を取り出した。
 カメリーからのメールだった。市民墓地、化石の男。たったそれだけの一文だったが、意味は充分理解出来た。 芽依子は携帯電話を閉じてハンドバッグに入れると、和栗のモンブランを全て食べ終えてから、立ち上がった。

「誠に申し訳、ないのですが、私め、いえ、私は急用が出来てしまいましたので」

「俺も付き合うよ」

 速人も腰を上げたので、芽依子は首を横に振った。

「いえ。先輩のお時間を取らせるわけには」

「一日中暇だから、デートに誘ったんじゃないか。それに、せっかく一緒にいるんだから、最後まで」

 速人は芽依子の手を握ってきたので、芽依子はまたも頭に血が上り、頷いてしまった。

「は、はいっ」

 そんなことを言うつもりはなかったが、速人の手が離れてしまう方が恐ろしく思えて口が勝手に言っていた。 速人には、なりふり構わず戦う様を見られたくない。姿形はそれらしく整えていても、中身は所詮ナイトメアなのだ。 けれど、ヒーローである彼にはいずれ解ることだ。そう思い直した芽依子は、速人の暖かく大きな手を握り返した。 一緒に会計を終えて店を出た芽依子は、行き先を伝え、速人を先導するために歩調を早めて半歩先を歩いた。 鼓動は高ぶるが最初のそれとは異なり、心臓を抉られるような痛みが生じ、速人の手を握った手が冷え込む。 しかし、この戦いは自分自身が決めて始めたことだ。知られるのも時間の問題だ。だから、覚悟を決めて戦おう。
 神聖騎士セイントセイバーとして。





 


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