純情戦士ミラキュルン




第二十六話 裏切り者の末路! ナイトメアの最期!



 拳を握るのが、恐かった。
 今、速人を動かしている感情の正体が解らない。芽依子への恐怖か、或いはレピデュルスに対する同情か。 それとも、芽依子に抱いた同情混じりの愛情か。いずれにせよ、真っ当なヒーローに相応しい感情ではなかった。 けれど、変身しなければ後悔する。芽依子と、セイントセイバーと戦わなければ、彼女を救うことは出来ないのだ。 速人、もとい、マッハマンは己の石化能力で体液の流出を止めたが身動き出来ないレピデュルスを抱き上げた。

「マッハマンよ」

 半端に石化した体液の付いた手を上げたレピデュルスは、マッハマンの腕を掴んだ。

「どうか、あの子を殺さないでくれ。あの子が死ねば、私は家族を失うこととなる」

「当たり前だ」

 レピデュルスを離れた場所に横たえてから、マッハマンはセイントセイバーと対峙した。

「俺だって、自分の彼女を倒したくない」

 セイントセイバーは、強固な鎧に包まれた大柄な体格に不釣り合いな弱々しさで肩を震わせて泣いていた。 聖剣を握る手にも、全く力が入っていない。戦う姿勢とは言い難く、幼子のような嗚咽を零しながら項垂れている。 きっと、今までも心の中で泣きながら戦ってきたのだろう。戦うことだけが、自分を救える術だと信じていたのだ。 全ての怪人を淘汰し、ヒーローと人間しかいない世界が出来たなら、芽依子は人間として扱われるかもしれない。 けれど、それでも芽依子は怪人なのだ。怪人である自分を否定し続けている限り、それ以外にはなれない。

「良い人だな」

 マッハマンはレピデュルスを見やると、セイントセイバーはぎこちなく頷いた。

「……はい。お、大旦那様が生きておられた頃から、ずっと、私に目を掛けて下さいました。仕事以外にも、 色々なことを教えて下さいました。両親よりも、ずっと、親と呼べる方です」

「なのに、倒したのか」

「だって、そうしなければ、ジャールを滅ぼすことが出来ないからです!」

「なんでだよ」

「ジャールを滅ぼさなければ、引いては全世界の怪人を滅ぼさなければ、私はヒーローにはなれないからです!」

 がくがくと笑う膝を強引に立て、セイントセイバーは聖剣を構えた。

「ひ、ヒーローになれば、私はもう怪人でも人間でもない! そうすれば、誰も私のことを嫌ったりしない!」

「ヒーローだって嫌われ者だぞ」

 マッハマンはセイントセイバーに歩み寄り、銀色のグローブに包まれた拳を緩めた。

「内藤のいた組織を倒した後も、俺はほんのちょっとだけヒーローをやっていたんだ。でも、俺はどんな怪人も倒せなかった。 倒そうとしても、どうしても出来なくなっちまったんだ。邪眼教団ミッドナイトをアジトごと倒した後に、お前の母さんから言われたことが 忘れられなかったからだ」

 三年半前の戦いを思い起こし、マッハマンはバトルマスクの下で顔を歪めた。

「この人でなし、よくも私の娘を、ってな」

「え……?」

 セイントセイバーが戸惑うと、マッハマンは沈痛に続けた。

「内藤は、俺がアジトをぶっ飛ばした直後に逃げ出したんだろ?」

「あ、は、はい。そうです。その後に、大旦那様とレピデュルスさんに拾って頂いて……」

「たぶん、そのことを勘違いしたんだ。お前がいなくなったのは、俺がお前を倒したからだと思われたんだ。引っ越しの時に 俺の父さんが説明して、本当はそうじゃないって解ってもらえたけど、ずっと辛かった」

 人でなし。そう叫んでマッハマンを睨んだ芽依子の母親は、敵意を越えた殺意を抱いていた。

「それまで、俺はただ強けりゃいいって思っていたんだ。でも、そうじゃないんだ。倒した相手のことも、救うべき相手のことも、 全部背負う覚悟を決めないと本当の意味でのヒーローにはなれない。だけど、俺には無理だった」

 マッハマンは俯きがちだったバトルマスクを上げ、セイントセイバーに手を伸ばした。

「だが、今は違う。俺は内藤を救いたい」

「だったら私を倒して下さい! 今すぐに!」

 セイントセイバーは駆け出したが、腕に力が入らないので聖剣を引き摺っていた。

「だったら、その剣を捨てろ!」

 マッハマンはセイントセイバーに駆け寄るが、セイントセイバーは首を横に振った。

「嫌ですっ!」

 聖剣を捨てれば、戦う意志がないと見なされて戦ってもらえない。どうせ死ぬなら、速人の手で死にたかった。 マッハマンは舌打ちし、激情を迸らせて聖剣を振り回すセイントセイバーに近付いたが、聖剣を奪い取れない。 セイントセイバーを傷付けまいとするためだろう、拳を固めることも、蹴りを出すこともせずに間合いを計っている。 だったらそのまま押し切ろう、とセイントセイバーは腹を決め、途切れない叫びを撒き散らしながら聖剣を振った。

「うぁあああああっ!」

 セイントセイバーは真横に聖剣を叩き込むが、マッハマンは瞬時に右腕に装着したブーストアームで防いだ。

「……くそっ!」

 出来ることなら一発も殴りたくなかった。だが、戦わなければ芽依子はレピデュルスを殺してしまいかねない。 マッハマンはブーストアームのブースターに点火して青い炎を走らせると加速して、彼女の背後に回り込んだ。 セイントセイバーが荒い動作で振り向くが、反撃を受ける前に上昇し、両足の下にローラーを装着して着地した。 背部のブースターを使えば速度が出すぎて墓石を吹っ飛ばしかねないので、ブーストアームだけで速度を上げた。

「セイントクロス!」

 セイントセイバーは聖剣で空中に十字を切ると、十字架の質量を伴った幻影が現れてマッハマンを追った。

「ブーストブラスト!」

 マッハマンは加速を続けながら、ブーストアームのマシンガンで迎撃して幻影を誘爆させた。

「内藤ぉおおおっ!」

「嫌ぁああっ!」

 もう誰とも戦いたくない。だから、彼の手で死にたい。セイントセイバーは爆煙に紛れ、マッハマンの目前に迫る。 硝煙と閃光が入り混じった空間に突入すると、煙の切れ端を纏ったマッハマンが飛び出して、聖剣を掴んできた。 奪われてはなるまいとセイントセイバーは聖剣でマッハマンの手を薙ぎ払い、その勢いのまま彼を跳ね飛ばした。 誰のものともつかない墓石に背中から衝突したマッハマンに、セイントセイバーは聖剣を振り上げて突っ込んだ。 大きく振りかぶり、胸はがら空きだ。墓石に背中がぶつかったぐらいでは、マッハマンにはダメージはないだろう。 セイントセイバーを倒すためには、これ以上の好機はない。音速の名を持つ彼にとっては、長すぎるほどの猶予だ。 マッハマンが顔を上げたので敗北を確信したセイントセイバーは心から安堵し、バトルマスクの下で目を閉じた。

「マッハダッシュ!」

 マッハマンは一瞬だけ背部のブースターに点火して加速し、セイントセイバーを抱き留めてそのまま押し倒した。 両腕を石畳に押し付けて、聖剣を離させる。予想した衝撃が訪れなかったので、セイントセイバーは目を開いた。

「先輩……。どうして私を攻撃しないんですか?」

「言ったはずだ、お前を救うって」

 身動ごうとするセイントセイバーを押さえ込み、マッハマンはバトルマスクを近寄せた。

「好きだ」

「なんで、今、そんなこと」

「好きだ、好きだ、好きだ、俺は内藤が好きだ!」

「あっ……」

 羞恥に駆られたセイントセイバーは拘束から脱しようともがくが、マッハマンはそれを許さなかった。

「内藤が自分を好きになれないなら、俺が代わりにいくらでも好きになってやる!」

「で、でも、私は」

「怪人でも、人間でも、どっちでも内藤なんだよ! ナイトメアなんだよ! 俺の彼女なんだよ!」

 マッハマンはセイントセイバーの両腕を解放し、両手で彼女のバトルマスクを包んだ。

「お前だってそうじゃないか! 俺がマッハマンでも、野々宮速人でも、好きになってくれたじゃないか!」

「先輩ぃっ……」

 バトルマスクを解除した芽依子は、マッハマンに夢中で縋り付いた。嬉しくて、辛くて、どうにかなりそうだった。 

「俺もいるし、レピデュルスもいるし、頼りないけど美花だっている。辛かったら、頼ってくれよ」

 マッハマンはぼたぼたと涙を落とす芽依子を抱き寄せ、乱れた髪を撫で付けた。

「俺達は同じなんだ、内藤。親から訳の解らないこと押し付けられて、そのくせ自分の力で逃げ出せなくて、藻掻いて藻掻いて なんとか生きているんだ。だから、俺には内藤の気持ちが解りすぎるぐらいに解る。もう一人で戦わなくていい、俺が一緒に 戦ってやるよ。俺は内藤のヒーローなんだろう? いつだって、助けを求めてくれよ」

「た、助けて、下さるんですか?」

 喘ぎながら芽依子が言うと、マッハマンは頷いた。

「それがヒーローの仕事だろ」

「お願いします、セイントロザリオを破壊して下さい! これがあると、私はまた変身してしまう!」

 バトルスーツも解除した芽依子は、変身アイテム、セイントロザリオをマッハマンの手に握らせた。

「お安い御用だ」

 マッハマンはぐっと拳を固めてセイントロザリオを一握りの金属塊に変えると、石畳に落とし、拳で叩き潰した。

「ずっと、ずっと、恐かったんです……」

 芽依子はマッハマンのバトルスーツを握り締め、その肩に顔を埋めた。

「怪人体を上回る力を持ってしまうと、私は私ではなくなるんです。最初は不慣れだったので手加減出来たんですが、 戦い続けてバトルスーツや聖剣を扱うことに慣れてしまうと、抑えようと思っても調子に乗ってしまって、だから、若旦那様や 四天王の皆さんまで……」

「一体誰だ、お前にこんなのを寄越したのは」

 硬貨よりも薄くなったセイントロザリオを睨んでマッハマンが毒突くと、芽依子は答えた。

「セイントセイバーその人です」

「なるほど。合点が行った」

 その声に二人が振り向くと、レピデュルスが負傷部分を全て石化させて立っていた。

「レピデュルスさん! いけません、動いては体液が!」

 芽依子がマッハマンの下から身を起こすと、レピデュルスは薄べったい金属片に気付いた。

「私のことなら案ずるな。脱皮を行えば損傷箇所は回復する。して、それがセイントセイバーの力の根源か」

「そうだ。そんなものがあったから、内藤はしなくてもいい戦いをしちまったんだ」

 芽依子を支えながらマッハマンが起き上がると、レピデュルスはレイピアで金属片を貫き、粉々に砕いた。

「ならば、これでセイントセイバーの件は終いとしよう。これ以上長引かせては、若旦那に心労を掛ける」

「でしたら、私めは御屋敷を出て行きましょう。皆様に御迷惑を掛けるわけには」

「ならん」

 芽依子の言葉を一蹴し、レピデュルスは大神家の墓に複眼を向けた。

「私は大旦那様がお亡くなりになった後、大神家を離れた。それは、ひとえに大神家を愛しているからだ。五億年の孤独は 大旦那様と大奥様によって満たされ、渇望すら感じない。だが、大神家に居続ければ、いずれ私は孤独に負けて若旦那方に 依存するだろう。そうなれば、大神家は大神家でなくなり、私のいびつな思いを埋めるための場と化してしまう。だから、私は 御屋敷を出るのが最善だと判断し、君を使用人にしたのだ。罰を望むのならば与えよう、若旦那の御許しが頂けるまでは大神家を 離れてはならぬと」

「はい」 

 芽依子は顎を震わせながら頷き、涙を拭った。

「セイントセイバーは憎むべきヒーローであり、同胞に手を掛けた芽依子は罪深かろう。だが、しかし」

 レピデュルスは芽依子の前に膝を付き、涙に濡れた頬を外骨格に覆われた指でそっとなぞった。

「この身に傷を負うよりも、君という家族を失う方が余程辛いのだ。解るな」

「はい……」

 芽依子はレピデュルスの手を掴もうとしたが、その肩越しに空を見上げた途端、浅く息を吸って硬直した。 レピデュルスとマッハマンが素早く芽依子の視線を辿ると、墓地を囲んでいる樹上に銀色の騎士が立っていた。

「来い、カラドボルグ!」

 雄々しく叫んだ銀色の騎士の手に聖剣が収まると、まとわりついていた青緑色の体液が蒸発した。

「所詮は出来損ない、期待しただけ無駄であったか」

「貴様がセイントセイバーかぁっ!」

 激昂したレピデュルスがレイピアを構えると、銀色の騎士は枝葉を揺らして着地し、聖剣にマスクを寄せた。

「いかにも。私こそが神に選ばれし正義の使者、神聖騎士セイントセイバーなり。そこの紛い物とは違う」

 ほのかな光を帯びた聖剣に自身のマスクを這わせ、本物のセイントセイバーは憂いた。

「愛しき聖剣カラドボルグよ。おぞましい怪人になど触れられて、さぞ辛かったであろうな。だが、もう堪え忍ばずとも良い。 清浄なる私の手で、存分に慈しんでくれよう」

「あなたは、私を、救ってくれたわけではなかったのですね」

 芽依子が震える手を伸ばしかけると、セイントセイバーは一笑した。

「当たり前だ。真実の正義は怪人など救わん。貴様のような出来損ないを使ってやっただけ、感謝してもらわねば」

「芽依子のどこが出来損ないか! 大旦那様が見初め、私が愛した娘だ! 芽依子を侮辱するなぁっ!」

 レピデュルスは激情に煽られるがまま、体液が零れるのも構わずにセイントセイバー目掛けて駆け出した。

「醜悪な怪物同士の汚らしい愛情ごっこだな!」

 セイントセイバーは聖剣を横たえると、レイピアを突き出してきたレピデュルスと擦れ違い、嘲笑した。

「見ているだけで反吐が出る!」

 石化していた腹部が真っ二つに断ち切られ、ひび割れて砕けた外骨格の破片は落下した途端に石化が解けた。 腹部と共に切断されたレイピアが転げ、レピデュルスがそれを拾おうと手を伸ばすと、ずる、と腹部が前にずれた。 先程よりも大きく深い体液の海を作りながらレピデュルスの上半身が倒れると、間を置いてから下半身が倒れた。

「つまらん娯楽だったぞ、ナイトメア」

 レピデュルスの体液の海をわざとらしく踏み付けてから、セイントセイバーは二人に背を向けた。

「貴様はどこまでも出来損ないだな」

「このっ!」

 マッハマンがマシンガンを散らすと、セイントセイバーはマントを翻して弾丸を弾いてから、空中に飛び上がった。 その背が見えなくなるまで連射したマッハマンは過熱したブーストアームを除装し、レピデュルスに駆け寄った。 レピデュルスは息はあるが、大分弱々しかった。最後の気力で傷口と体液を石化していたが、塞ぎ切れていない。

「内藤、飛べるか!」

「は、はいっ!」

 芽依子はすぐさまワンピースのジッパーを下げ、コウモリの翼を出した。

「俺は上半身を持つから、お前は下半身を持て! まだ間に合う、誰も死なせちゃならない!」

 マッハマンがレピデュルスの上半身を抱えると、芽依子も下半身とレイピアを抱え、ハンドバッグを持った。

「あれのどこがヒーローだ、ただの反則野郎じゃないか!」

 怒りを漲らせながら吐き捨てたマッハマンに、芽依子は悔しさで唇を噛んだが、顔を上げた。

「参りましょう、先輩!」

「ああ!」

 マッハマンは全てのジェットブースターに点火し、急速発進した。芽依子は力の限り羽ばたき、彼の後に続いた。 後悔など、後でいくらでも出来る。謝罪も贖罪も処罰も。だが、今、立ち止まれば、レピデュルスが死んでしまう。 セイントセイバーからの攻撃で五億年以上も続いた命の時間を終わらせてしまうのは、あまりにも惜しく、空しい。 体液が抜けたことで驚くほど軽くなったレピデュルスの下半身を抱き締めながら、芽依子は涙を散らし、飛んだ。
 見せかけの正義に溺れていた自分が、心底憎らしかった。





 


09 10/12