純情戦士ミラキュルン




第二十九話 死力を尽くせ! 打倒・神聖騎士セイントセイバー!



 そして、日曜日。
 背中の痛みと筋肉痛で寝付けなかった大神は、今一つ冴えない頭を押さえながら朝靄の街を歩いていた。 間もなく決戦だというのに、我ながら呆れるほどのコンディションの悪さだ。だが、ここまで来てはどうしようもない。 入院中に処方された薬の中に痛み止めもあったのだが、病院を抜け出してくる時に持ち出すのを忘れてしまった。 疲労と緊張で食欲もなかったのだが、食べなければ力が出ないので、水分でかなり強引に胃の中に押し込めた。 おかげで胃が重たかったが、時間と共に消化されるだろう。大神は気分だけは引き締めて、目的地に向かった。
 日曜日だけあって、平日よりも人手が少なかった。空気は肌寒く感じるほど冷え、空は澄み切っている。 夏の名残のように日差しが強い昼間とは懸け離れた気温の低さだが、いずれこの冷たさが日中にも及ぶだろう。 大神は駅前広場を抜け、普段は向かうことすらしない住宅街に入り、家人の気配が少ない民家を見つつ歩いた。 住所がどこかは教えられたが、外見までは教えられていないので、どの家が野々宮家なのかが解らないからだ。 辺りを見回しながら歩いた大神は、住宅街の中でも真新しい二階建ての家の表札の名に気付き、立ち止まった。
 野々宮。大神は躊躇いかけたが、それを振り払って呼び鈴を押すと、間を置かずにドアが開いて美花が現れた。 既に身支度を整えている美花はちょっと気恥ずかしげに照れ笑いしてから、大神を招き入れた。リビングに通された 大神は、思わず身動いだ。リビングには美花の両親と兄、そしてなぜか芽依子がいたからだ。

「ん、な?」

 大神が疑問を口にするよりも早く、借り物のブラウスとロングスカートを着た芽依子はいつも通りの礼をした。

「おはようございます、若旦那様。諸事情に付き、昨日は野々宮先輩の御自宅で休ませて頂きました」

「え、ああ、おはよう、芽依子さん」

 何があったのだろう、と大神が反応に迷っていると、美花が大神をソファーに促した。

「座って、大神君」

「あ、うん」

 大神は美花に勧められるまま、ソファーに腰を下ろした。向かい側には芽依子と美花の兄が並んで座っている。 右手の壁側には、美花の両親が並んでいる。美花は、リビングに隣接したキッチンでお茶を淹れて運んできた。 大神の前に差し出された湯飲みには緑茶が注がれていたが、蒸らす時間が短かったのか、心なしか色が薄い。

「事態の説明の前に、まずは自己紹介だなっ!」

 いやに力の入った口調で喋った美花の父親は、見覚えのあるポーズを取った。

「パワー・オブ・ジャスティスッ、パワーイーグル! しかしてその正体は、野々宮美花の父親、野々宮鷹男だっ!」

「世界中の愛を守るピースメッセンジャー、ピジョンレディ! しかしてその正体は、母親の鳩子よ!」

 こちらもまた見覚えのあるポーズを取った美花の母親に、大神は数秒間硬直してから、後退った。

「う、おおっ!?」

 それでは、この兄は。大神がそろりと目を向けると、美花の兄は気恥ずかしげに名乗った。

「そして俺は音速戦士マッハマン、しかしてその正体は、兄の速人です」

「と、いうわけなの」

 美花は自分の分の緑茶を入れた湯飲みをテーブルに運んでから、大神の隣に座った。

「俺、秒殺どころか瞬殺されるんじゃないのか……?」

 まさか、ヒーロー一家だったとは。大神は全身に嫌な汗を掻いたが、礼儀として挨拶を返した。

「世界征服を企む悪の秘密結社ジャールを率いる、暗黒総統ヴェアヴォルフです。しかしてその正体は、美花さんの 友人であり、同級生の大神鋭太の兄、大神剣司です」

「だ、大丈夫だよ、戦いに来たわけじゃないんだから。それに、今の大神君はヴェアヴォルフさんじゃないし」

 美花は不安を誤魔化すように笑顔を浮かべたが、大神は芽依子以外の視線が恐ろしく、身を縮めそうになった。 美花がそう言うのだから大丈夫だろう、とは思うが、怪人の本能で背筋がぞわぞわと逆立った。

「そして、この私めは、神聖騎士セイントセイバーでございました」

 と、芽依子が止めのように言い放ったので、大神は両目を最大限に見開いた。

「……へ」

 大神が声を裏返すと、芽依子は普段の無表情を装っていたが、隣に座る速人の手をきつく握り締めた。

「私めは、ジャールにとっても、大神家にとっても裏切り者にございます。セイントセイバーから与えられた安易な力に溺れ、 同胞である怪人を傷付け、四天王の皆さんまでも手を掛け、若旦那様に刃を向けました。四天王の皆さんや、鋭太坊っちゃまには 御許しを頂きましたが、大神家の当主であらせられる若旦那様からは御許しも罰も頂いておりません。真実を知った上で、どうか 御判断下さいませ」

「私も、芽依子さんから事情と話は聞いたの。簡単に許せることじゃないけど、責められることでもなかった。大神君、芽依子さんを 怒るなって言うのは無理かもしれないけど、でも、恨んだり、憎んだりは」

「するわけないじゃないか」

 懇願するような美花と今にも泣きそうな芽依子の顔を見、大神は口の端を緩めた。

「四天王も鋭太も芽依子さんを責めちゃいないんだろう? だったら、俺は四天王の判断に従うとするよ。人生経験は四天王の方が 何倍も長いから、俺なんかよりも判断はずっと的確だ。それに、怪人はヒーローと戦ってやられるもんだって相場は決まっているしな」

「勿体のう御言葉にございます」

 芽依子は涙を堪え、深々と頭を下げた。大神は芽依子の顔を上げさせてから、その肩を叩いた。

「だから、これからもしっかり働いてもらうからな。うちのメイドとしても、社員としても」

 と、言い終えてから、大神は両耳を曲げた。

「そうなると、今朝、うちの採石場に来るようにって情報をカメリーに流させたのは誰なんだ? もしかして、セイントセイバーは 二人いるのか?」

「そうなんですよ。セイントセイバーは内藤に変身アイテムを与えて怪人を襲わせていたんです。自分の手は汚さずに、 必要最低限の行動だけで事が済むように考えたんでしょう」

 速人が苦々しげに答えると、芽依子は僅かに身を乗り出した。

「若旦那様。セイントセイバーの真の実力は、私めの非ではないでしょう。私めが与えられた力は、若旦那様が先輩の御父様から 頂いたパワーブレスのように、あくまでもセイントセイバーの能力を付与されたアイテムに過ぎないのでございます。ですから、どうか お気を付けて下さいませ」

「解ってる。でも、そのパワーブレスのことは、カメリーから教えてもらったのか?」

 あれは誰にも言っていなかったはずでは。大神が芽依子に聞き返すと、芽依子は眉を下げた。

「はい。私めは口外するつもりは毛頭ございませんでしたが、事情が事情ですので皆様にお話ししてしまいました。若旦那様が パワーブレスを手に入れた経緯も、変身した後の一部始終も、美花さんとのやり取りも全て覚えておりましたので、子細にお話し いたしました」

「仕方ないよ。こういうことになったんだ、隠し事があると事態の解決が遅くなるだけだからな」

 大神は凄まじい羞恥心に襲われたが、美花の手前、なんとか堪えた。

「そういえば、パワーブレスはどこまで応用出来るんですか? バトルスーツも、最初に変身した姿で固定ではないですよね?  俺、正確なスペックを知らないんですよ」

 大神が鷹男に問うと、鷹男は威勢良く答えた。

「良い質問だ、大神君っ! この俺、すなわちパワーイーグルが正義の力で造り上げたパワーブレスは、正義を願う心に応じて 発揮するパワーを上げるのだっ!」

「つまり、応用はいくらでも可能ってことですよ」

 父親の言葉を解説した速人は、右腕だけ変身させてグローブを装着し、その上にブーストアームを装着した。

「見ての通り、ヒーロー体質は万能なんです。部分的に変身させることも可能だし、逆に部分的に解除も出来るし、 もちろんパワーアップも出来ます。でも、変身後のイメージは固定しておいた方がいいですね。その方が変身後の パワーもぶれないし、何より体がバトルスーツに慣れてきます。それに、パワーアップするのは難しいですからね。 随分前に、美花がでたらめなスケールで巨大化したことがあったでしょう? あれは解りやすい悪い例で、イメージも 安定させておかないとパワーアップどころか欠点が目立つだけなんです。だから、強敵との戦いだからと言って、 使い慣れないパワーブレスに頼った安易なパワーアップはお勧め出来ません」

 右腕の変身を解除した速人は、大神を見返した。

「ついでに、昨日、病院で四天王と弟さんに会った時に気付いたセイントセイバーの弱点も伝えておきますよ」

 速人が話したセイントセイバーの弱点に、大神は納得すると同時に気付かなかった自分が情けなくなった。 考えてみれば、そうとしか思えない。戦うことにばかり気を取られすぎていて、状況を見極められなかったらしい。 本当なら大神自身が気付くべきことだろうが、セイントセイバーと戦う前に指摘されたのは素直にありがたかった。

「色々とありがとう。よく解ったよ」

 大神は礼を述べながら、ショルダーバッグからパワーブレスを出してテーブルに置いた。

「だとしたら、やっぱりパワーブレスは使わない方が良さそうだ。俺自身も戦えるパワーもあるし、必殺技も出せる。無論、 ごり押しだけでセイントセイバーに勝てるとは思わないけど、ヒーローの力に頼ってヒーローを倒したくない。俺は怪人だからだ」

「男らしいわねぇ」

 鳩子がにんまりして美花を小突くと、美花は真っ赤になった。

「そ、そりゃ大神君はどこもかしこも格好良いけど、こんな時にそんなこと言わないでよぉ!」

「んで、うちに来たってことは、どうあってもうちのへっぽこヒーローを参戦させるつもりなんですか?」

 速人は不安を剥き出しにしながら、赤面して俯いた美花を指した。

「そのつもりだから、ちゃんと御挨拶に来たんです。大事な娘さんの命を預かるんですから」

 大神は立ち上がると、大きな体を折り曲げて礼をした。

「この度は、俺の対応の悪さでこのような事態になってしまいましたが、美花さんは五体満足でお返しします」

「大神君も美花も死なない程度無理してこいよっ! 但し、全部終わったら、俺の相手もしてもらうからなっ!」

 鷹男が拳を固めると、鳩子が笑った。

「ヒーローなんだから、きわどい状況で戦うのは一度や二度じゃ済まないし、気にすることなんてないわよ。むしろ、ガンガン 美花を痛め付けちゃってちょうだい。そうしないと、この子は強くなれないんだから」

「お、お母さぁん……」

 母親の手厳しい言葉に美花が泣きそうになると、速人は妹から目を逸らしつつ言った。

「けど、マジでヤバいと思ったら連絡しろよ。ちったぁ援護してやらないでもない」

「若旦那様も美花さんも、お帰りをお待ちしております」

 芽依子が微笑みを浮かべたので、大神は快活な笑みを返した。

「芽依子さんの分まで、セイントセイバーを殴ってやるよ」

「あ、大神君、もうそろそろ……」

 美花が壁掛け時計を指したので、大神が振り向くと、午前八時を回っていた。

「うん、丁度良さそうだ。相手の指定がアバウトだったから、何時に出ればいいのか解らなかったからな」

 大神は美花が入れた少し薄い緑茶を一息に飲み干すと、再度礼をした。

「朝早くから御邪魔しました」

「行ってきます!」

 美花は携帯電話と財布をポケットに詰め込むと、家族に挨拶してから、玄関に向かった。

「あ、ちょっと待って。着替えてなかった」

 大神は玄関でスニーカーを履く美花を制すると家人達に断ってバスルームに入り、脱衣所で着替えた。 スペアの軍服は土曜日のミラキュルンとの戦闘で泥水まみれになったが、軍服は実はもう二着もスペアがある。 それはもちろんクリーニングに出してローテーションを回すためだが、普段は着慣れているものばかりを着ていた。 なので、今日の軍服は若干袖が固くズボンも必要以上にアイロンが掛かっていたが、動くうちに慣れていくだろう。 ショルダーバッグの中で一番重たかった軍靴も出し、新聞紙にくるんできた軍用サーベルも出し、ベルトに差した。 バスルームを出た大神は、私服の入ったショルダーバッグをリビングに置かせてもらってから、玄関に向かった。

「あ、大神君の軍服、綺麗なやつがあったんだ。良かった。じゃ、私も準備しないとね」

 美花は大神を出迎えると、狭い三和土の中で左手首を構え、白い光を放った。

「変身!」

 掛け声と共に美花の姿が白い光に包まれると、ピンクのバトルスーツが出来上がり、光が弾けた。

「純情戦士ミラキュ、あだっ!」

 美花、もとい、ミラキュルンはポーズを付けようとしたが、靴箱に強かに足をぶつけた。

「大丈夫?」

 大神、もとい、ヴェアヴォルフが心配になって声を掛けると、ミラキュルンは顔を上げた。

「だあっ、大丈夫! 向こう脛が痛いけど!」

「それじゃ、改めて」

 軍靴を履いたヴェアヴォルフは野々宮家と芽依子に挨拶してから、ミラキュルンに続いて玄関から出た。 ミラキュルンはヴェアヴォルフに手を差し出してきたので、ヴェアヴォルフはその手を掴んだ。

「バスに乗っていったら時間が掛かるから空を飛ぶけど、出来るだけスピードは出さないようにするから」

 ミラキュルンはヴェアヴォルフを引っ張る形で浮上すると、ヴェアヴォルフは彼女の手に指を絡めた。

「よろしく頼む」

「……うん」

 ミラキュルンはヴェアヴォルフの手の大きさと熱さに照れて、小さく頷くと、住宅街を離れるために高度を上げた。 あっという間に野々宮家が小さくなり、無数の屋根に混じった。ヴェアヴォルフは進行方向を確かめて指示すると、 ミラキュルンはそれに従って飛行した。固く握り合った手は、ミラキュルンのバトルグローブとヴェアヴォルフの手袋越し ではあったが、どちらも熱かった。その熱が心強く、ヴェアヴォルフはミラキュルンの横顔を見上げて頬を緩めると、 ミラキュルンも振り向いてくれた。ヴェアヴォルフが軍帽の鍔を上げると、ミラキュルンはハートのゴーグルの色を薄めて 目元を見せた。どちらも緊張していたが互いを感じられると安心出来るらしく、彼女の表情も和らいだ。
 言葉を交わす必要はなかった。視線を交え、体温を共有し、同じ空を飛んでいるだけで、隔たりが溶ける。 眼下に広がる住宅街はどこまでも平穏で、いつもと変わらぬ日曜日の朝で、うんざりするほど当たり前の光景だ。 だが、それが世界なのだ。ヴェアヴォルフも、ミラキュルンも、そしてセイントセイバーも、そんな世界を生きている。 地球の存亡だとか、人類の行く末だとか、異星だとか、異世界だとか、宇宙だとか、そんな世界には交わらない。 そう簡単に滅びることもなく、かといって急激な発展もない、重たく沈殿した泥のような平穏が満ちている世界だ。 それが退屈に感じる瞬間もあるが、変わらないことがいかに愛おしいか、この一週間で嫌と言うほど思い知った。
 だから、セイントセイバーは絶対に倒さなければ。




 冷たい外気が、足元に忍び寄っていた。
 秋口とはいえ、朝方は冷え込む。念のために持ってきて良かった、と、名護は毛布を肩まで引き上げた。 腕の中で寝息を立てる弓子はいつも通りの寝顔で、時折ごそごそと身動きして、名護の胸に顔を押し当ててくる。 そんな姿も可愛らしく、名護は弓子を抱き締めた。毛布に籠もった二人分の体温は熱いほどだが、逃したくない。
 白く汚れた窓。錆び付いたスチール机。散らかった床。砂っぽくカビ臭いソファーで、二人は寝ていた。 頭上に置いた携帯電話を開くと、午前八時を回っていた。心底名残惜しかったが、名護は弓子を抱く腕を解いた。 毛布を剥がれたことで弓子は幼児のような呻きを漏らしたので、名護は弓子に毛布を掛け直して身を起こした。 寝乱れた髪は気になったが、この状況ではどうしようもなかった。顔を洗おうにも、ここには水道設備もないのだ。 どうせすぐに変身してしまうのだから、気にすることもない。そう思い直した名護は、ミネラルウォーターを飲んだ。 変身すると特に消耗が激しい糖分を摂取するためにブドウ糖を囓りつつ、名護は弓子の寝顔を眺めた。

「もうすぐ終わるよ、弓ちゃん」

 床に落ちていた大神採石場との名が入った書類を踏みにじってから、名護は笑みを浮かべた。

「僕が、世界を作り変えるんだ」

「んぁ……」

 弓子は寝返りを打ってから、重たげに瞼を開き、目を擦りながら辺りを見回した。

「あれぇ?」

 毛布を落としながら上体を起こした弓子は、名護を見つけると途端に覚醒した。

「刀一郎さん! いつ帰ったの、帰ってくるなら教えてよ、じゃないと私……」

 弓子はソファーから這い出そうとして、普段の部屋でないことに気付き、再度辺りを見回した。

「ねえ、刀一郎さん。ここ、どこ?」

「決戦の場だよ」

「決戦?」

 オウム返しに問うた弓子に、名護は近付き、彼女の寝乱れた髪を指で梳いた。

「そうだよ。僕が戦って、勝って、弓ちゃんを幸せにしてあげるんだ」

「何言ってるの、私は充分幸せだよ」

 弓子は名護に縋り付き、その腰にきつく腕を回した。

「だって、やっと刀一郎さんが帰ってきてくれたんだもん。それにね、知らせたいこともあるんだ」

「弓ちゃん……」

 久し振りに味わう弓子の感触に名護は感じ入ったが、戦意を揺らがせないために弓子を引き剥がした。

「やだぁ、離れちゃやだよ」

 弓子は名護を追い縋ったが、名護はその腕を取って押し止めた。

「大丈夫。もうすぐ終わる。そうすれば、僕は弓ちゃんの傍からは離れたりしない」

「本当だよ? 約束だからね?」

 弓子に懇願され、名護は笑みで答えた。

「約束するよ」

 以前よりも少し丸みが失せた頬をなぞると、弓子は顔を上げたので、名護は弓子の唇に自身の唇を重ねた。 毛布の下では、尻尾が不安げにぱたぱたと揺れ動いている。両耳も伏せ気味だったので、名護はそれを抓んだ。 唇を離した弓子はちょっと嫌そうに眉根を歪めたが、名護に構われるのが嬉しくて仕方ないのか、怒らなかった。 些細な表情も見逃したくなくて、名護は弓子から少しも離れたくなかったが、プレハブ小屋の上に影が過ぎった。 それが何なのか、考えるまでもない。名護は弓子に再度キスをしてから妻に背を向け、銀のロザリオを握った。

「変身!」

 朝日よりも白く清浄な光が名護を包み、弾けると、虚空から現れた聖剣が足元に突き刺さった。

「それじゃ、弓ちゃん。ここで待っていてね、すぐに終わるから」

 待ってよ、と背中に弓子に引き留められたが、名護、もとい、セイントセイバーはその声を振り切った。 聖剣カラドボルグを引き抜いたセイントセイバーがプレハブ小屋から出ると、見知った二人が立っていた。
 朝日に染まる採石場では一際目立つ赤い軍服に身を包んだオオカミ怪人と、ピンクでハートのヒーロー。 敵対している者同士という奇妙な取り合わせではあったが、意外ではなかった。充分予想出来た展開だからだ。 ヴェアヴォルフはミラキュルンに対して悪の組織に相応しい敵対心は抱いているが、等しく親しみも抱いている。 そして、ミラキュルンは、ヒーローにあるまじき甘ったるさの持ち主だ。戦いを戦いと思わず、正義も薄っぺらい。 その程度の二人が手を組んだところで、セイントセイバーを阻むことも倒すことも出来ないだろう。
 背負うものが違うのだから。





 


09 10/23