純情戦士ミラキュルン




第二話 暗黒総統ヴェアヴォルフの野望!



 彼女の名前が知りたい。
 また同じことを考えていた自分に気付き、大神、もといヴェアヴォルフは手元の書類に意識を戻そうとした。 ちゃんと処理しなければならないものばかりなのに、あの女子高生のことが気になって気になって仕方ない。 今は仕事中なのだから集中しろ、と何度となく自戒するが全く意味はなく、思考は逸れてしまったままだった。 どうにもならなくなったヴェアヴォルフは、冷め切ったお茶を呷ったが、細かい茶葉まで飲んで噎せてしまった。 ひとしきり咳き込んでから呼吸を整え、口の周りの体毛を拭ってから、訝しげな視線を注ぐ社員達を見やった。

「……うん、なんでもない」

 上半身から生えた六本足で滑らかにキーボードを叩きながら、アラーニャが振り向いた。

「どうしたのぉ、若旦那ぁ。さっきからぼんやりしちゃってぇ」

「バイト疲れですかい?」

 外回りを終えて帰ってきたファルコに問われ、ヴェアヴォルフは返した。

「いや、大丈夫だ」

「あんまり無理しない方がいいわよぉ、若旦那」

 デスクトップパソコンで収入と支出の表計算を行いながら、アラーニャは言った。

「最初から飛ばしすぎると持たないわよぉ、体も心もぉ。私達がいるんだからぁ、お一人で突っ走ったりしないでねぇ。 ミラキュルンちゃんとの決闘だってぇ、思い詰めて考えることないわよぉ」

「どんなことだって、初っ端から上手く行くわけがねぇんですから。怪人一同、地に足を付けて参りましょうや」

 ファルコは大きくクチバシを開き、くええと一声上げた。

「解ってるって。そう簡単に征服出来るほど、世界は狭くないもんな」

 ヴェアヴォルフは太い牙を露わにし、笑みを見せた。二人はその表情に安心したのか、己の仕事に戻った。 西日の差し込む薄暗いオフィスには、アラーニャが叩くキーボードの音が鳴り響き、コンクリートの壁に反響した。 ファルコは怪人の派遣先についての書類を捲り、パンツァーが取り付けてきた新たな派遣先の書類も見ていた。 残る四天王であるパンツァーは新たな契約を取り付けるために奔走しており、レピデュルスは事務用品の買い付けに 外出している。契約社員である怪人達も、それぞれの派遣先で仕事に従事していることだろう。
 それなのに、自分は何を考えている。取締役であり総統でもあるのに、仕事以外のことを考えている。 それも、一方的に好意を寄せるようになった女子高生のことだ。管理職なのに、情けなさすぎて腹が立ってきた。 考えないようにしなければ、とは思うが、考えまいと思えば思うほどに彼女に関する記憶が溢れ出してしまった。 恥じらいながらも挨拶をする表情、真っ直ぐな眼差し、艶やかな髪、レジに近付いてきた時に鼻を掠めていく匂い。 どんどん深みに填っていくが、最早振り払うことすら出来ず、ヴェアヴォルフは悶々としながら書類を睨んでいた。
 そして、遂に仕事の内容は頭から飛んでしまい、いかにして自然に接点を持つかということばかりを考えた。 バイト先の同僚である中村了介のように軽薄だったら、悩む前に声を掛けるのだろうがそんなことは出来ない。 小中高と興味はあるが女っ気がなかったヴェアヴォルフは、当然のことながら男女交際の経験など皆無だった。 クラスには仲の良い女子はいたが、皆が皆、友達止まりだった。好意を抱いた女子はいたが、言えず終いだった。 だから、気安く異性に声を掛けられるわけがない。増して、個人情報を聞き出すという大それたことは不可能だ。
 けれど、彼女のことが知りたくて知りたくてどうしようもない。出来ることなら、今すぐにでも聞きに行きたい。 悩んで悩んで悩み抜いた末に、ふと気付いた。世界征服してしまえば、簡単に名前を聞き出せるのではないか。 或いは、世界征服をするための過程で接点を持てばいい。悪の秘密結社なのだから、一般市民は人質に出来る。 もっとも、そんなことをしても純情戦士ミラキュルンがすぐに救い出してしまうだろうが、それならそれでいいだろう。
 なぜ、今までこんな簡単なことに気付かなかったのだ。ヴェアヴォルフは込み上がる笑みを噛み殺した。 世界征服してしまえば、どんなことも合法だ。悪の秘密結社の総統なのだから、妻に娶ったって良いではないか。

「そうだ、今こそ世界征服だ!」

 高揚するあまりに勢い良く椅子から立ち上がったヴェアヴォルフは、己のマントの裾を踏んでつんのめった。 そのまま書類の散らばるスチール机に強かに鼻を衝突させ、軍帽が外れて床に転げ、サーベルがずり落ちた。

「本当に大丈夫ぅ、若旦那ぁ?」

 キーボードを叩く足を止めたアラーニャは、八つの目を瞬かせた。

「何を解り切ったことを仰っとるんですか」

 少し可笑しげにファルコが羽根を膨らませたので、ヴェアヴォルフは恥じ入りながら軍帽を拾った。

「いや……なんとなく……」

 手袋を外してから鼻先をさすり、鼻血が出ていないことを確かめてから、大分乱れてしまった書類を整えた。 順番通りに重ねて端を揃えてから、また一枚一枚確かめる。契約社員である、怪人達の契約書や履歴書だ。 どの怪人も入社してきた時期がまちまちで契約時期も違っているので、契約の更新は一度には行えないのだ。 正義と悪の戦いを始めたことを機に社員を増やすために、レピデュルスに新たな怪人の面接を行ってもらった。 もちろん、採用するか否かを決めるのはヴェアヴォルフなので、履歴書にもきちんと目を通さなければならない。 これを終えたら、次は次回の決闘の怪人を選び、本人と話をし、派遣先との折り合いを付けてもらわなければ。
 怪人達にも、怪人達の都合があるのだから。




 役員会議の末、次なる刺客が決定した。
 鋼の砲弾の異名を持つ怪人、ダンゴロン。ダンゴムシ怪人で、普段は機械部品の下請け工場で働いている。 普通の人型昆虫に比べて足が多く、本人の性格が几帳面なので、作業が精密で早いと派遣先にも好評である。 ダンゴロンの退勤時間に合わせて電話を掛け、本社に呼び出したので、ヴェアヴォルフと四天王は待っていた。
 午後六時手前、ダンゴロンがやってきた。磨りガラスの填ったスチールドアをノックし、のそりと大きな体を入れてきた。 半楕円形の体からは腕のように発達した足と二足歩行を可能にする太い足が生え、短い足が並んでいた。

「こんばんは」

 ダンゴロンは頭を下げてから、オフィスの片隅にある応接セットに座る上司達に近寄った。

「総統、お呼びでしょうか」

「次回の決闘だけど、出てくれないかな」

 ヴェアヴォルフが言うと、ダンゴロンは胴体と一体化している頭部を折り曲げた。

「ええ、平気ですよ。今週の土曜日は元々休みでしたから」

「そうか、なら良かった」

 ヴェアヴォルフが頷くと、ダンゴロンはアラーニャに勧められてパイプ椅子に腰掛けた。

「でも、本当に俺なんかでいいんですか? ブルドーズさんが負けたっていうのに……」

「ブルちゃんはブルちゃんよぉ。あの子も強いけどぉ、あなただって充分強いわぁ」

 アラーニャは急須を傾けて新しい茶碗に緑茶を注ぎ、ダンゴロンの前に差し出した。

「なんだったらぁ、訓練してもいいのよぉ。お仕事は定時で上がればいいんだしぃ。ねぇ、ダンちゃん」

「あ、ありがとうございます」

 ダンゴロンは細長い足で茶碗を挟み、緑茶を啜った。

「こちらは経験がありますが、あちらにはそれがありません。畳み掛けるなら今しかございませんな」

 レピデュルスは、少し冷めた緑茶に細長い口を差し込み、啜った。

「増して、相手はか弱い婦女子と来てる。押して押して押しきっちまえばなんとかならぁな」

 パンツァーはぎしぎしと首を動かしながら、頭部の赤いスコープを瞬かせた。

「女性のヒーローは、いかんせん数が少ねぇですからなぁ。他の組織から掻き集められた情報も量がないから、 頼りになるようでならねぇし。何度も何度もぶつけて、手の内を調べていくしかねぇでしょうや」

 ファルコは茶菓子の薄皮まんじゅうをクチバシの中に放り、一息で食べ切った。

「数が少ないってより、他の組織が避けてるだけなんじゃないですかね?」

 頂きます、と菓子鉢に足を伸ばしたダンゴロンは、薄皮まんじゅうを取ってフィルムを剥いだ。

「ブルドーズさんも言ってましたけど、やっぱり女の子だと殴りづらいですよ。相手はヒーローだから打たれ強いって ことは解っちゃいるんですけど、女の子は女の子ですからね。女同士ならまだ気が楽なんでしょうけど」

「そうでもないわよぉ。女の子同士だってぇ、それはそれで気を遣うんだからぁ」

 アラーニャが悩ましげに顔を伏せると、パンツァーが笑った。

「自分の歳を考えてモノを言ったらどうだ、アラーニャ。女の子って歳じゃねぇだろうが」

「あら、ひどぉい。後でたあっぷり毒を注いであげる」

「止せ止せ、お前さんの牙が折れるだけだ」

 パンツァーは軽口を返しながら、手酌で緑茶のお代わりを注いだ。

「けど、待ちに待った戦いですからね。頼まれたからにはやってみせますよ」

 ダンゴロンは空になった茶碗を置き、ぎちぎちぎちと頑強な外骨格を軋ませた。

「だから、ちゃんと勝てるように訓練しなきゃいけませんね。すみませんが、パンツァーさん」

「おお、俺か?」

「はい。よろしかったら、明日から訓練に付き合ってくれませんか。パンツァーさんぐらいの強度がなきゃ、 俺の攻撃は受け止められないと思いますんで」

「おうおう、上等だ。俺も外回りばっかりで、体が錆びついちまいそうだったからな。丁度いいぜ」

 パンツァーががしゃんと拳を手のひらに打ち付けると、ダンゴロンは頭を下げた。

「ありがとうございます」

「若旦那も意気込んでるようだし、この勢いで勝利を物にしちまおうじゃないですかい」

 ファルコが笑みを交えると、レピデュルスの複眼がヴェアヴォルフに向いた。

「そうなのですか、若旦那。二代目暗黒総統であった旦那様から三代目暗黒総統の座をお継ぎになった時も、初戦も、 あまり乗り気ではなかったようにお見受けいたしましたが」

「あ、まぁな」

 真相は言えないが。ヴェアヴォルフが曖昧に答えると、レピデュルスは感慨深げに頷いた。

「若旦那も御立派になられましたな。暗黒総統に相応しい心意気です」

「だぁよなぁ。ついこの間までは幼稚園児だったくせによ」

 でっかくなりやがって、とパンツァーが乱暴に頭を撫でてきたので、ヴェアヴォルフは目を逸らした。

「そんなの、二十年も前の話じゃないか」

「懐かしいわぁん。若旦那がピカピカのランドセルを背負って本社に来た日のことぉ、よぉく覚えているわぁ」

 アラーニャは足を二本重ねて頬の横に添え、八つの目をとろりと伏せた。

「ふわふわでもふもふの子イヌちゃんでぇ、ぬいぐるみみたいに可愛かったぁん」

「そいつぁ羨ましいことでさぁ、そうと知っていたら俺ももっと早くジャールに入社してやしたぜ」

 ファルコまでもが笑ったので、ヴェアヴォルフは居たたまれなくなった。

「勘弁してくれ……」

 この調子では幼い頃の数々の失敗も暴露されかねず、曲がりなりにも悪の組織の総統なのに立場がない。 ダンゴロンも興味深げに触角を動かしたので、ヴェアヴォルフが睨め付けると、彼はばつが悪そうに身を縮めた。 正社員四天王は、下手をすれば両親よりもヴェアヴォルフを知り尽くしており、知られていないことの方が少ない。 だから、例の女子高生のことは死んでも言うまいと胸に誓った。きっと、それをネタにからかわれてしまうからだ。 四人は頼りになる部下であり家族も同然だが、総統に就任した今もヴェアヴォルフを子供扱いしている節がある。 そのままではいけない、と思っているが、弱みを握られすぎていてあまり強く出られず、現状維持が続いている。

「もう遅いんで、俺、帰ってもいいですか」

 ダンゴロンが壁掛け時計を示すと、ヴェアヴォルフは返した。

「ああ、いいぞ。悪いな、仕事上がりに呼び出してしまって」

「では、失礼します。お疲れ様でした」

 ダンゴロンは立ち上がると工場の作業着などが入ったバッグを担ぎ、ヴェアヴォルフらに一礼して出ていった。 彼の重量のある足音が階段を下りていく気配を感じつつ、ヴェアヴォルフは全身でため息を吐き、立ち上がった。

「俺も上がるよ。明日も早いからな」

「何かあったんですかい、若旦那?」

 コレとか、とファルコが右翼を上げて羽根の一本を立てたので、ヴェアヴォルフは言葉に詰まった。

「えっ」

 言えるわけがない、言ってはいけない。僅かな間の後、ヴェアヴォルフはマントを翻して四天王に背を向けた。

「そんなわけないだろうが! だっ、大体、今やるべきことは世界征服なんだからな!」

「あらぁん、可愛いわねぇん」

 アラーニャが微笑むと、パンツァーが豪快に笑った。

「そうかそうか、若旦那もやっと色気付いたってことか!」

「四代目を拵えるのはお早い方がよろしいかと存じます」

 レピデュルスまでもが軽口を叩いたが、ヴェアヴォルフは言い返さずに乱暴にドアを開けて更衣室に入った。 ドアが歪みそうなほどの力で閉め、ロッカーも荒っぽく開き、総統の衣装を脱ぎながら恥ずかしさを堪えていた。 認めてしまうわけにはいかないし、他の誰にも知られたくない。四天王も部下達にも、そしてあの女子高生にも。 いつの日か好意を示す時が来るかもしれないが、さすがに早すぎる。第一、彼女の名前すら知らないのだから。
 総統としての衣装から私服に着替え、暗黒総統ヴェアヴォルフから大神剣司に戻った大神は更衣室を出た。 応接セットに座ったままの四天王は言葉を交わしながら大神の様子を窺っていたが、大神は彼らを一瞥した。

「また明日な」

 四天王からそれぞれ声を掛けられたが、全て無視して本社を後にし、階段を下りて雑居ビルの屋外に出た。 隣のビルとの隙間に立て掛けておいた自転車を引っ張り出し、鍵を外してから跨ると、ペダルに足を載せた。
 謝ってくれと言いたいわけじゃない。からかわないでくれと怒りたいわけではない。ただ、無性に苛立ってくる。 あの女子高生のことを話したわけでもないし、知られているわけでもないのに、蹂躙されたような気分になる。 どれもこれも独り善がりな感情だと解っているのに、どうしても振り払えず、大神はペダルを踏む力が増した。 彼女への好意を自覚してからというもの、妙な力が湧くのにギアが噛み合わず、空回りばかりしてしまった。 良い方向へ傾けようとしても上手く行かず、振り払おうとしてもまとわりつき、結局は心を支配されてしまった。
 名も知らない少女。知っていることと言えば、顔と、声と、気弱な表情と、ピーチティーを毎日買うことだけだ。 全てが断片で形を成してもいないのに、大神の心を浸食し、染み込んだ部分から拭い去れない感情が溢れる。 この厄介な感情の意味も、名前も、誰に教えられたわけでもないのに、そういうことなのだと自然に悟っていた。
 大神は恋をしている。





 


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