純情戦士ミラキュルン




第三話 息詰まる戦い! 水面下の攻防!



 バックヤードに入ると、途端に気が抜けた。
 店内ではまだ気を張っていられたが、裏方ではもうダメだ。寝不足と不安に体力が削られすぎたせいだ。 これでは、仕事が上がった後にジャールに行っても仕事にならないだろうが、眠ってしまうわけにはいかない。 休憩時間とはいえ、仕事中には変わりないのだ。大神はペットボトルを傾けて、空調で干涸らびた喉を潤した。

「なんで、今日は来なかったんだろう」

 野々宮さん、と小声で付け加え、大神は肩を落とした。やはり、あれか。昨夜メールを返さなかったからか。 今朝に限って、毎日のようにピーチティーを買いに来る美花が買いに来なかったのは大神が原因に違いない。 友達になって下さい、と言われたのにメールを返さなかったら、愛想を尽かされてしまったのか。二日目で。 だとしたら、先行き不安どころかどん詰まりだ。大神は頭を抱えて両の耳を下げ、太い尻尾も丸めてしまった。

「俺が何かしたか……?」

 いや、していないからこうなっているのだ。メールを送る、という他愛もない作業で悩みすぎたのは明白だ。 メールの下書きはとっくに完了している。何十回、何百回と読み返して誤字脱字も確認した。内容も確かめた。 後は美花に送るだけだ。だが、それがどうしても出来なかった。不甲斐なさのあまり、泣きたくなってしまった。

「大神ー」

 すると、中村が休憩室に入ってきたので、大神は顔を上げた。

「ん、ああ、なんだ?」

「お前さ、あの子に何かしたん?」

「え?」

「ほら、いつも来るじゃん。大人しそうな女子高生。お前のお気に入り」

 美花のことを指しているのだろう、中村がにやにやした。大神は戸惑ったが、言葉を濁した。

「別にそんなんじゃない。ただ、常連ってだけだろ」

「てか、あれだけ毎日来てたのに、来なくなるなんてマジおかしくね?」

「色々あるんだろ、高校生だし」

「にしたって、なんか急すぎね? 原因があるとしたらお前だろ、大神」

「根拠もなしに言うなよ」

 大神は言い返したものの、覇気はなかった。自分が原因だと解り切っているから、反論出来るわけがない。 きっと、愛想のない男だと見限られたに違いない。一息にそこまで考えてしまい、大神はぺたっと耳を伏せた。

「ま、女の子には色々あるもんなー。仲良くなったら俺も呼んでくれよ、たまには清純派ってのもいいしな」

 中村はへらへらと笑いながら、レジへと戻っていった。その背を横目に、大神は伏せた耳を徐々に上げた。 それだけはしてたまるか。美花のような見るからに初な少女を、中村のようなチャラい男と関わらせたくはない。 そんなことをして、まかり間違って妙なことになったらどうする。仲を深めるために遊ぶにしても、中村は除外だ。 だから、早急に事態を進めなくては。美花やその友人達と遊べるような仲になるためにも、一刻も早くメールを。 いつになく意気込んだ大神は携帯電話を取り出したが、案の定メールを送信することが出来ず、深く項垂れた。
 自分の情けなさに腹が立ってきた。




 三日が過ぎても、状況は依然変わらなかった。
 大神、もとい、暗黒総統ヴェアヴォルフは悪の秘密結社ジャール本社の自席に座り、書類を捌いていた。 眠ることは出来るようになり、仕事にも身が入るようになったが、携帯電話はいつも目に付く場所に置いていた。 日が経つに連れてどんどん美花に対する罪悪感は増してきたが、勇気が出る一瞬が訪れることを期待していた。 そんなものに期待を掛けている時点でダメなのだが、その一歩を踏み込むだけの力がないのだから仕方ない。

「若旦那ぁん」

 経理担当のクモ怪人、アラーニャは書類を挟んだファイルをヴェアヴォルフのデスクに置いた。

「これぇ、捺印と署名をお願いするわねぇん。新しい現場との契約書だからぁ。ファルコちゃんからぁ、若旦那に 渡してくれって頼まれたのぉ」

「ああ、解った」

 ヴェアヴォルフはファイルを開き、内容を確かめてから、アラーニャを見上げた。

「あのさ、アラーニャ」

「はぁい、なあに?」

 八つの目が付いた頭を傾げ、アラーニャはしなやかな足を折り曲げた。

「メールってさ、やっぱりすぐに返してほしいものなのか?」

「あらぁん。相手にもよるわぁ。そりゃあ、仲の良い人ならすぐにでも返してほしいけどぉ」

 アラーニャはきちきちと口元を鳴らしながら、神経毒の潜む牙の生えた顔を寄せてきた。

「なあにぃ、若旦那ぁ。新しいお友達でも出来たのぉ?」

「そこまで言う必要はないだろ、俺の個人的なことなんだから」

「うふふぅ、可愛いわぁ」

 艶の含んだ笑みを零したアラーニャは、八つの目を動かしてヴェアヴォルフを覗き込んだ。

「そうねぇん、若旦那のお友達が女の子だと仮定するとぉ、そりゃあすぐにでもメールを返してほしいわぁ。 アドレスを教えてくれた時点でぇ、脈の有り無しは置いておいても興味は持ってくれてるってことだものぉ。だったらぁ、 早く答えるに越したことはないわねぇん」

「だから、そうだとは言ってないだろ」

 ヴェアヴォルフが渋い顔をすると、アラーニャは身をくねらせた。

「あらぁん、仮定の話だって言ったじゃなあい。うふふふふふん」

「だから」

 ヴェアヴォルフは言葉を続けようとしたが、飲み込んだ。これ以上言っても、言い訳にしか聞こえないだろう。 まかり間違って、美花のことを知られたら面倒だ。増して、美花と関わりを持つようになってしまったら大事だ。 社員である怪人達を疎んでいるわけではなく、むしろ誇りに思っているが、美花はあくまでも一般市民なのだ。 下手にこちらの世界に引き摺り込むのは良くないし、ミラキュルンとの戦いに巻き込んでしまうかもしれないのだ。

「若旦那、いらっしゃいますかい?」

 スチールドアがノックされると、ファルコが入ってきた。

「お帰りなさぁい、ファルコちゃん」

「お帰り、ファルコ」

 アラーニャに続いてヴェアヴォルフがファルコに声を掛けると、ファルコは一礼した。

「どうも、戻りました。んで、ですね、次の決闘なんですがね」

 ファルコが身を下げると、魚の怪人が控えていた。

「こいつなんかどうでしょうか」

「失礼します、総統」

 銀色のウロコに覆われた体を折り曲げた魚怪人は、瞼のない目を上げた。

「俺、頑張りますんで、どうかお願いします!」

「こいつぁスナイプって言って、テッポウウオの怪人でね、超高圧の水鉄砲を発射することが出来るんでさぁ」

 ファルコはスナイプの背を押して促し、ヴェアヴォルフの前に連れてきた。

「魚だけに泳ぎも抜群に上手いし、陸でも結構素早いんですぜ」

「水鉄砲の射程距離は?」

 ヴェアヴォルフが尋ねると、スナイプは威勢良く答えた。

「五百メートルは余裕です! 俺、魚っすけど、目はいいんで!」

「どれぐらいまで破壊出来る?」

「乗用車なんか余裕です! 鉄板なんか大穴開けられます!」

「そうか、それは頼もしいな」

 ヴェアヴォルフが頷くと、スナイプは頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「けど、一つだけ条件がありましてね、若旦那」

 ファルコは翼と一体化している腕を挙げ、かぎ爪が生えた手でスナイプを指した。

「スナイプは魚ですから、水がなきゃどうしようもねぇんですよ。駅前広場には噴水はありますが、底が浅くて 潜れたもんじゃありやせん。ですから、川かどこかで決闘しなきゃならねぇんですよ」

「俺、水さえあれば最強ですから!」

 ヒレに似た手を握り、スナイプは拳を固めた。

「丁度良い場所はあるにはあるが、そこまで来てくれるかなぁ、ミラキュルンが」

 ヴェアヴォルフが顎をさすると、アラーニャは長い足先を緩く振った。

「来てくれるわよぉ、あの子、良い子だものぉ」

「……そうかな」

 仮にもヒーローなのだから、あからさまな罠に填るだろうか。ヴェアヴォルフは、首を捻ってしまった。

「俺、頑張りますから! 必ずミラキュルンを倒して、世界征服してみせます!」

 スナイプはヴェアヴォルフに詰め寄り、口をぱくぱくと開閉させた。

「ああ、そうだな」

 ヴェアヴォルフはスナイプの左右に分かれた目を見上げ、頷いた。

「だったら、ミラキュルンを川辺に誘い出す役目は俺達がやろう。その代わり、お前は全力で戦ってくれ」

「了解です!」

「んでは、土曜日までに俺も鍛え直しておきますんで!」

「ああ、期待してるぞ」

 ヴェアヴォルフは口元を広げ、牙を垣間見せた。スナイプは余程意気込んでいるらしく、ヒレを広げていた。 士気が高いのはいいことだ、と思いながら、ファルコとアラーニャから戦闘の指導を受けるスナイプを見やった。
 スナイプは若手の契約社員で、ヴェアヴォルフよりも年下だ。普段は、スーパーの鮮魚売り場で働いている。 本人が魚なので人一倍魚のことが解るからか、魚の善し悪しだけでなく捌き方もかなり優れているのだそうだ。 若さ故に血の気が多いからか、世界征服に対する執念も強く、入社した当初からヒーローと戦いたがっていた。 突進を得意とするブルドーズ、ダンゴロンと、ミラキュルンは真っ向からぶつかってくる怪人としか戦っていない。 だから、水鉄砲による狙撃を行うスナイプのような怪人に対する経験はない。ならば、勝機はあるかもしれない。
 倒せるうちに、倒してしまわなければ。




 とうとう六日が経過した。
 土曜日になろうとも、大神からのメールは来ない。電話もない。アドレスを書いた手紙をきちんと渡したのに。 ドキドキしすぎて期待しすぎて、頭どころか胃も痛い。大神に会うのが気まずいから、コンビニにも行けていない。 会いたいのに、会うのが怖くてどうしようもなかった。メールの催促なんてしたら、もっとウザがられてしまうだろう。 けれど、メールが一通も届いていないのは紛れもない事実だ。美花は泣きたいような怒りたいような気分だった。
 携帯電話を開くが、何度見ても結果は同じだ。美花は液晶画面を睨み付け、唇を曲げて頬を膨らませた。 どうせなら、アドレスの手紙を渡した時に大神のアドレスも聞き出せば良かったが、後悔してもどうにもならない。 だが、今から聞きに行くのもおかしい。それ以前に、こんな時間になってしまうと大神のシフトは終わっている。 美花は携帯電話を閉じ、児童公園の時計を見上げた。午後五時を過ぎていて、二十数分後が決闘の時間だ。

「ああ、もう……」

 こんな時に決闘はしたくない。感情に任せて、ジャールの差し向ける怪人を痛め付けてしまいそうだからだ。 ストレス発散になりそうだとは思うが、基本的に小心者である美花には他人を痛め付けて喜べる嗜好はない。 仮にも正義の味方なのだから、怪人であるからといって、ボコボコに叩きのめすのは間違いだと信じている。 だが、変身してしまえばどうなるだろう。マスクで顔が見えないし、ミラキュルンは美花自身ではないのだから。

「違う違う、私はそういうキャラじゃない!」

 美花は頭を過ぎった邪念を振り払ってから、携帯電話を通学カバンに押し込んだ。

「正義の味方なんだから、正々堂々と戦うのよ!」

 そう言ってから、児童公園に誰もいないことを確かめた。誰かに聞かれていたとしたら、恥ずかしいからだ。 美花は児童公園の隅にある公衆トイレの個室に駆け込むと、左手首に巻いたブレスレットを掲げて声を上げた。

「変身!」

 左手首から溢れ出した光に全身を包まれ、弾けると、ハートモチーフのヒーローが出来上がった。

「純情戦士ミラキュルン、真心届けにただいま参上!」

 誰に見せるでもないポーズを付けたが、伸ばした手が個室の壁に当たり、強かに小指をぶつけた。

「いぁっ!」

 しかも、それが肘の先まで響く痛みだった。美花、もとい、ミラキュルンの苛立ちがじわじわと膨らんだ。 大神からはメールも電話も来ていない。テストの点数が悪かった。速人からは料理の手際の悪さをなじられた。 ここ数日間の細々としたストレスが大神に対する不安と期待に積み重なり、ミラキュルンの胸中で煮え滾った。

「……大神君の馬鹿」

 好かれていないのかもしれない。だけど、それならそれで、一言ぐらいは言うことはあるだろうに。

「もう、知らないっ!」

 ミラキュルンは公衆トイレから出ると、携帯電話の電源を切り、通学カバンを肩に提げて空へと飛び出した。 こうなったら、今日はとことん戦ってやる。大神から振られた腹いせに、差し向けられる怪人を力一杯殴ろう。 出来れば一発で済めばいいが、気が晴れなければ二度三度と殴ってしまうだろう。それぐらい苛々している。 ミラキュルンはマントを靡かせて西日の差し込む街並みを飛びながら、決闘場所である駅前広場に向かった。 決闘が終わったら、ケーキショップでケーキを買おう。甘いものを食べよう。そうでもしないと、気が晴れない。
 恋なんて、するんじゃなかった。





 


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