純情戦士ミラキュルン




第六話 闇への誘い! ミラキュルンに迫る魔手!



 その名を聞いて、鋭太は戸惑った。
 まさか、七瀬の胸郭からその名が出るとは思ってもいなかったからだ。鋭太は両耳を立て、七瀬を見返した。 人型テントウムシの女子生徒、天童七瀬の背後では、その友人である野々宮美花がひどく落ち込んでいた。 気弱で悩みがちな美花が落ち込んでいるのはそれほど珍しいことではないが、今回は少し様子が違っている。 泣くのも疲れ果てたかのような憔悴しきった顔で、彼女の周囲だけがどんよりと空気が淀んでいるかのようだ。 教室のざわめきどころか七瀬と鋭太の存在すら感じないらしく、美花の生気を失った目は焦点が合っていない。

「知らないわけないっしょ? メイドのメイコさん」

 七瀬に再度尋ねられ、鋭太は答えた。

「そりゃあな。俺んちの使用人なわけだし」

「今まで気にしたことなかったけど、鋭太んちって金持ちなわけ?」

「つか、マジ金持ちってほど大したことねぇよ。家もでかくねーし。この辺の土地をいくらか持ってるだけだし」

「でも、メイドさんがいるんじゃん。その時点で金持ち判定OKじゃなくね?」

「てか、なんで天童が芽依子のこと知ってんだよ? マジ解んねーし」

 鋭太は太い指先で、三角形の耳を掻いた。七瀬は上右足を上げ、爪を広げる。

「先週、美花と私で駅前のカフェに行ったら、そのメイドのメイコさんが大神君と一緒にいるのを見たんだよね。 それだけっちゃそれだけなんだけど、色々と気になってさ」

「は? つか、なんで?」

「それを知りたいからあんたに聞いてんじゃない、鋭太。モロ関係者だし?」

 七瀬の爪先に指され、鋭太は仕方なしに答えた。

「まぁ、知らねぇわけじゃねぇけどさ、俺、あいつ好きじゃねーんだよ」

「そりゃまたどうして。あんなに礼儀正しくてメイドメイドしてた、美人なメイドさんなのに?」

「天童と野々宮が馬鹿兄貴の知り合いだったからだろ? あいつ、兄貴とか姉貴とかには丁寧なのに、俺には マジぞんざいっつーか、うん、あれだ、シンラツ?」

「ああ、なるほど。メイドのメイコさんも人を見てるわけか」

 納得したと言わんばかりに頷く七瀬に、鋭太は耳を曲げた。

「つーことは何か、俺は御奉仕される資格がねぇってか?」

「おおう、解ってんじゃん」

「天童、てめぇケンカ売ってんのか!」

 鋭太は牙を剥くが、七瀬は怯むどころか可笑しげに笑った。

「自覚があるんなら、まだまともだよ。んで、そのメイコさんって名前はどんな字を書くのさ?」

「えー、っと」

 鋭太は字面は思い出せたが書けなかったので、携帯電話を取り出してメール作成画面に文字を並べた。

「メは草とかの芽だから簡単なんだけど、その次の字がなー……。あ、そうそう、にんべんに衣って書くんだ」

「依り代の依りの字だね」

 今まで黙っていた美花が小声で発言したので、鋭太は先程以上に驚いた。

「あ、まぁ、うん。んで、コは子供の子で、名字のナイトウは普通に内藤な」

「そうか、メイドの芽依子さんか。で、具体的にはどういう人なわけ? 人を見る目があるのは解ったけど」

 七瀬がきちきちと顎を擦り合わせると、鋭太は唸った。 

「天童、てめぇ後でマジ締めるぞ」

「鋭太君、良かったら教えてくれないかな、芽依子さんのこと」

 美花から弱々しい声を掛けられると、鋭太は羞恥心に似た気持ちを感じて勢いを失った。

「そうだな……。料理も掃除も洗濯もマジ上手くて、大抵のことは出来るぜ。メイドだしな。けど、性格はなんだかよく解んねぇ。 俺、あいつとはそんなに喋らねーし。真面目で仕事出来んのは確かだけど」

 半分は怪人だけどな、と言いかけて飲み込んだ。鋭太は、クラスメイトの前では獣人で通しているからだ。 怪人だと白状してしまえば、その流れで家業が世界征服を企む悪の秘密結社だとばれてしまうかもしれない。 それもまた引け目を感じている要因で、このご時世では時代遅れな世界征服を企んでいることが恥ずかしい。 だから、使用人が怪人と人間のハーフだとは言えない。怪人が世間に溶け込んでいても、コンプレックスはある。

「そっか……」

 美花は笑みを作ろうとしたようだが、頬が奇妙に引きつっただけだった。

「おい、鋭太」

 七瀬は上右足で鋭太の首を抱えると、ブラウスに覆われた胸郭に鋭太の耳を押し当てさせて囁いた。

「大神君と芽依子さんって付き合ってたりすんの?」

「は? つか、訳解んねーし」

 鋭太は訳が解らず、片耳を曲げた。女子の胸に顔を半分埋めた状態だが、相手が人型昆虫では色気はない。

「いいから答えろよ」

「つか、そんなの知らねーし。芽依子と馬鹿兄貴は結構仲良かったけど」

「マジで?」

「つか、付き合ってんだったら俺は絶対知ってるっつーの。俺んちのことなんだし」

 つか離せ、と鋭太が七瀬のヘッドロックから逃れると、七瀬は顎を軋ませた。

「そりゃあ、芳しくないなぁ」

 何が、と鋭太は聞き返そうとしたが聞くまでもなかった。美花は落ち込みすぎていて、頭が落ちかけていた。 七瀬は背中を丸めている美花の上体を起こさせて頭を上向かせてから、鋭太を見やり、諦めたように首を竦めた。 仲が良かった、という言葉だけで残り少ない気力が削がれたらしく、美花は二人を視界に入れすらしなかった。 それが、なぜか気に障った。美花の落ち込みようが鼻に突くのもあるが、それとは違う違和感が心中を掻き乱す。 鋭太はひどく不愉快な思いに駆られたが、その感情をどんな言葉で言い表すべきかが解らず、言えなかった。 だが、とにかく面白くない。無意識に尻尾が反応してしまい、低く揺れていた。

「あ、えっと」

 美花は不愉快げに尻尾を揺する鋭太を見上げたが、何を言ったものかと迷った後、謝った。

「なんか、ごめんね」

「何が?」

「うん。まあ、色々と」

 美花は鋭太を見てはいたが、視線を彷徨わせて語気を弱めた。鋭太は、それにまた苛立ちを感じてしまい、 気を遣うぐらいなら落ち込む様を見せるな、と内心で毒突いた。あからさまな空元気を見せられても逆に面倒だが。 しかし、励まそうにも上手い言葉が出てこない。同じクラスとはいえ、美花と初めて話したのは最近なのだから。 大人しくて地味な女子だとは解っていたがそれ以外の情報は何も知らず、七瀬と仲が良い程度しか解らない。 美花がとにかく気弱で及び腰だということは解っても、趣味や嗜好といった細々としたことまでは把握出来ない。 けれど、なぜか美花を放っておきたくない。鋭太は美花を睨むような気持ちで見据えると、美花は身を縮めた。

「あ、あの」

「つか、お前、マジ苛つくわ」

 訳の解らない苛立ちに任せて鋭太が吐き捨てると、美花はますます身を縮めた。

「うん、ごめん……」

「そんなに気にするぐらいなら、さっさと馬鹿兄貴に聞いてみろよ。てか、野々宮って馬鹿じゃね?」

「うん……」

「でも、俺はマジどうでもいいし。馬鹿兄貴が誰と付き合ってようが全然関係ねーし」

 鋭太は美花から顔を背けそうになったが、踏み止まった。面倒だと思う反面、構いたくなったからだ。

「なんだったら、次の日曜にでもまたどこかに遊び行くか? 馬鹿兄貴はハブって」

「ああ、そりゃいいねぇ。でも、私はパス」

 七瀬が爪を横に振ったので、美花が顔を上げた。

「え? なんで?」

「なんでってそりゃ、久々に都合が付いたから。私のダンナと」

 七瀬は制服のポケットから携帯電話を引っ張り出し、ストラップに爪を引っ掛けて振り回した。

「別に何をするってわけでもないけど、たまには一緒にいないとダメじゃん?」

「んだよ、天童、まだ男と別れてねーの? お前みたいな巨大昆虫と付き合うようなヤバすぎな変態なんかとは 会いたいとも思わねぇけど」

「それについては否定する気もないね。ベタベタに依存してるわけじゃないから、案外長持ちするもんだよ」

 鋭太に茶化された七瀬が返すと、美花は二人を見比べた。

「でも、七瀬が一緒じゃないと」

「言った傍から私に依存するんじゃない。いい加減に自立しろっての」

 七瀬に額を小突かれ、美花は怯んだ。

「うぅ」

「じゃ何か、俺と野々宮で行けってのかよ? うわマジ最悪なんだけど」

 苛立ちに混じってむず痒いものが込み上がった鋭太が身震いすると、美花は目を伏せた。

「うん、そうだよね」

「あんたも難儀だねぇ」

 鋭太を見やった七瀬が顎を軋ませたので、鋭太はむっとした。

「んだよ」

「とにかく頑張れよー、青春野郎共」

 予鈴が鳴ったので、七瀬は美花の机から離れた。鋭太も美花の机から離れ、自分の机まで戻っていった。 あまり使い込んでいない教科書やノートを取り出して並べてみるが、やはり美花が気になって目を向けた。 美花は鋭太を目で追っていたらしく、目が合った。急に気まずくなった鋭太は、慌てて美花から目を逸らした。
 七瀬が一緒だと思ったからこそ、あんなことを言った。これ以上、美花に落ち込まれると面倒だからだった。 遊んで気晴らしをすれば、兄と使用人のことなど忘れられるはずだ。そして、少しは割り込めるかもしれない。 何に、と自問自答をしたがすぐには答えが出ず、鋭太はいつにも増して授業に身が入らずに上の空だった。 いつもなら人数合わせとして女子や男子を何人か誘うところだが、今日に限ってそんな気にはならなかった。 最初から最後まで、美花と二人きりであることを想定して考えていた。だが、それではデートではないだろうか。 鋭太は薄っぺらく軽々しい言動をしてはいるが、女子から言い寄られることもなく自分から言い寄ることもなかった。 中学生時代に特に好きでもないクラスメイトの女子から告白されて付き合ってみたが、ただ面倒なだけだった。 相手の女子から好きだ好きだと言われてもその気になれなかったので、いつのまにか自然消滅してしまった。 それ以降、やはり面倒だから女子と付き合うつもりはなかったが、美花が相手となると胸中がざわめいてくる。
 マジヤベェ、つか俺どうすりゃいいんだよ、と鋭太は授業中であるにも関わらず真剣に悩み込んでしまった。 あまりにも上の空だったために教師から当てられ、黒板の前に連れ出されて答えられない問題を解かされた。 訳の解らない記号と変な数字が並んだ計算式と睨み合い、当てずっぽうで答えてみるが、当然間違っていた。 教師から叱責されてクラスメイトから嘲笑混じりの視線を浴びながら机へと戻った鋭太は、苛立ちを募らせた。
 それもこれも、美花のせいだ。




 日曜日、朝の十時半に隣町のシネコンで。
 鋭太からメールが来たのは初めてだ。七瀬は最後まで行かないと言い通したので、結局二人きりになった。 だが、それはもう明日に迫っている。断ろうと思ったが、どうしても言い出せないまま土曜日を迎えてしまった。 兄となら何度となく映画を見に行ったことはあるが、男子と二人きりなど初めてだ。どこをどう見てもデートである。 大神とのことが解決していないのにそんなことをしてもいいのか、と思ってしまうが、大神には彼女がいるのだ。 だから、美花が誰と出かけようと何の問題もないし、それ以前に美花は大神の友人の一人にに過ぎないのだ。 けれど、どうしたらいいか解らない。それ以前に、長時間特定の男子の傍に座っているなど耐えられるだろうか。
 無理だ。そんなことが出来るなら、大神に声を掛けることに苦労しない。彼女がいるかどうかなど尋ねられる。 それが出来ないから美花なのだ。変なことで自負してしまった自分を情けなく思いながら、美花は顔を上げた。
 悪の秘密結社ジャール。駅から徒歩十分の繁華街の一角にある、年季の入った雑居ビルの三階が本社だ。 色合いの濁った壁には若干色褪せた看板が付けられていてエレベーターはなく、細い階段が伸びているだけだ。 深呼吸した美花は階段に足を乗せようとしたが、変身していないことを思い出して慌てて階段から飛び退いた。 ジャールの面々が知っているのは純情戦士ミラキュルンであり、普通の女子高生、野々宮美花ではないのだ。 野々宮美花のまま訪ねても、追い返されるだけだ。美花は雑居ビルから離れて、手近な建物の物陰に入った。

「……変身」

 周囲から見えないように身を屈め、左手首のブレスレットを握って呟くと、美花の体を光が包み、弾けた。

「純情戦士ミラキュルン、以下略!」

 美花、もとい、ミラキュルンは立ち上がったが、頭上にあった都市ガスのメーターに強かに頭をぶつけた。 痛みはないものの強かな振動が訪れて軽く目眩がしてしまい、少々よろけながら建物の陰から歩道に歩み出た。 後頭部の汚れを払い、頭を揺すって目眩を振り払ってから、ミラキュルンは改めてジャールの本社へ足を進めた。 人と擦れ違うのは困難な幅の薄暗い階段を上っていき、三階に辿り着くと、スチール製のドアが待ち構えていた。
 悪の秘密結社ジャール。磨りガラスの下に付けられた社名を確かめたミラキュルンは、そのドアを軽くノックした。 だが、力加減を間違ったらしく、ミラキュルンの裏拳を受けたドアは真ん中から折れ曲がって吹っ飛んでしまった。

「わぁっ!?」

 こんなつもりじゃなかったのに。ミラキュルンが飛び退くと、社内からも悲鳴がした。

「ふおっ!?」

「きゃあんっ!」

「なんでぇどこの組ですかい!」

「全員頭を下げろ、追撃が来るぜ!」

 レピデュルス、アラーニャ、ファルコ、パンツァーの順でそれぞれがそれらしい悲鳴を上げて騒音を巻き起こした。 書類が舞い、ファイルが崩れ、椅子が倒れた。それから数十秒後、ドアの消えた入り口からカブトエビ怪人が現れた。 ばつが悪くなったミラキュルンが身を縮めると、レピデュルスが臨戦態勢の三人へと振り向いた。

「安心したまえ、我らが宿敵の御令嬢だ」

「ご、ごごごごごめんなさいぃっ! ちょ、ちょっとノックしただけなんです、吹っ飛ばすつもりじゃなかったんです!」

 ミラキュルンが力一杯頭を下げると、レピデュルスはミラキュルンを諫めた。

「悪の秘密結社たるもの、いずれ拠点は潰されるというものだ。あまり気に病まれるな」

「で、でも……」

 ミラキュルンは恐る恐るレピデュルスを見上げると、レピデュルスはレイピアを手にしていた。

「しかし、本拠地を叩く時期が少し早急ではなかろうか。せめて、我ら四天王を倒してからにしてくれぬかね?」

「あ、ああ、違う、違うんです! 戦いに来たわけじゃないんです! ちょっと相談したいことがありまして!」

 ミラキュルンが手を横に振ると、毒液の滴る牙を引っ込めたアラーニャが身をくねらせた。

「あらぁん。この前の悩み事、まだ解決してなかったのぉ?」

「あ、はい。でも、それとはまた別のことで……」

 ミラキュルンが俯くと、アラーニャは微笑ましげに笑んだ。

「若いって素敵ねぇ、うふふふふふふぅ」

「そいつぁなんですかい、アラーニャ」

 興味津々のファルコに、砲身を下げたパンツァーは首を横に振った。

「そういうこたぁ聞くもんじゃねぇ。デリカシーのねぇ野郎だな」

「宿敵とはいえ、妙齢の女性なのだ。扱いは丁重にな」

 レピデュルスはファルコに釘を刺してから、ミラキュルンに向き直った。

「それで、本日は四天王にどのような相談をなさるおつもりかな。本日の決闘についての相談かね?」

「決闘はちゃんとします! 今日は用事もありませんし!」

 ミラキュルンが緊張気味に答えると、パンツァーは壁掛け時計を見上げた。

「そういやぁ、もうすぐ朝の九時だな。若旦那も今日はあっちの仕事がねぇっつってたし、そろそろ来るだろうや」

「では、若旦那がいらっしゃる前に相談を伺いましょうかな」

 レピデュルスがミラキュルンに右手を差し伸べると、ミラキュルンは少し躊躇ったが言い切った。

「あの、あの、どなたかデートの練習に付き合って下さい!」

 言い終えてから、ミラキュルンは泣きたくなった。悪の秘密結社にこんなことを頼むのはヒーローではない。 しかし、他に相談出来そうな相手がいなかった。兄の速人に相談したら、即座に断れと言ってくるに違いない。 四天王は面食らってしまったのか、変な沈黙が流れた。当然だろう、デートの行方など戦いには関係ないからだ。 だが、ミラキュルンにとっては重大事件だ。だから、無事に事を済ませるためにも一度練習しておきたかったのだ。
 ミラキュルンと四天王は互いに次は何を言ったものかと空気を探っていると、階段を上る足音が聞こえた。 すると、アラーニャが慌てて電話に飛び付いてどこかに電話を掛けると、階段から軽快な着信音が鳴り響いた。 次に、更衣室に駆け込んだファルコが布の固まりを抱えて窓から飛び出し、雑居ビルの入り口に降りていった。 ミラキュルンは何が起きたのか解らずに突っ立っていると、数分後、少々格好の乱れたヴェアヴォルフが登場した。 余程急いで着替えさせられたらしく、軍帽が右にずれていてマントの合わせ目からは軍服の襟がはみ出していた。 ミラキュルンが挨拶すると、事の次第を理解したヴェアヴォルフも挨拶を返したが物凄く解せない顔をしていた。
 至極当然の反応である。





 


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