おかしなことになったものだ。 応接セットの上座に腰掛けたヴェアヴォルフは、向かい側に座って緑茶を飲むミラキュルンと対峙していた。 マスクを被っているにも関わらず、口元に茶碗を当てて傾けている。量が減っているので、飲めているようだ。 怪人故にバトルスーツの構造は見当も付かないが、ヒーローのマスクが万能であるということは充分理解出来た。 見た目は可愛らしいが耐久力は抜群なのに、マスクを外さずとも飲み食いが出来る仕掛けになっているようだ。 常識で考えたらそんなことは有り得ないのだが、そこはヒーロー体質で融通が利くようになっているらしかった。 ヴェアヴォルフもまた、アラーニャが入れた緑茶を啜った。珍しく土曜日に休めた大神は早々と出社したのだ。 今日も決闘を頑張ろう、と決意を固めながら階段を上ろうとしたその時に、アラーニャが携帯電話に掛けてきた。 ひどく慌てているが声を抑えたアラーニャに、まだ本社に入らない方が良い、と言われて訳も解らずに止まった。 すると、今度は軍服一式を抱えたファルコが飛び降りてきて、強引にヴェアヴォルフに着替えさせてしまった。 何がどうしたと思いながら階段を上ると本社のドアが見事に吹っ飛んでいて、ミラキュルンがいたというわけだ。 「つまり」 熱い緑茶で喉を潤したヴェアヴォルフは、少し濡れた口元の体毛を舐めた。 「貴様はデートの練習をすることで、相手の同級生の男子に気後れしないようになりたいのだな?」 「あ、はい。そんなところです」 ミラキュルンは茶碗を置くと、膝の上で手を揃えた。 「私、こんな性格ですから、男の子と二人きりで遊んだことなんてないんです。だから、その、不安で……」 「だからって、俺達のところに来やすかねぇ?」 ファルコが変な顔をすると、パンツァーが軽く引っぱたいた。 「いちいち余計なことを言うんじゃねぇ」 「うら若き御婦人らしい、実に貞淑な悩みですな」 レピデュルスが感心したように頷いたので、ヴェアヴォルフは片耳を曲げた。 「……そうか?」 今時の女子高生なら、もう少し進んでいそうなものだが。男子とデートに行くぐらいで何を怯えているのだ。 ミラキュルンはヒーローなのだから、まかり間違ってホテルに連れ込まれても相手の男を殴り飛ばせば済む。 それ以前に、彼女に劣情を抱く輩がいるのだろうか。実際、デートに誘われたのだから、一人ぐらいはいるのだろう。 俺は無理だなぁ、と失礼だとは思いながらも内心で呟いたヴェアヴォルフは、茶菓子の最中を囓った。 「ですが、デートの練習に良い怪人がおりますでしょうか?」 レピデュルスが首を捻ったので、ヴェアヴォルフは考え込んだ。 「そうだな……。というか、そんなことが得意な奴なら、うちなんかに就職しないでホストクラブで荒稼ぎするぞ」 「それもそうかもしれませぬが」 レピデュルスが言い淀むと、今度はパンツァーが発言した。 「要するに、その同級生のガキンチョぐれぇに若いのがいいっつうことだろ?」 「だったら、若旦那以外にいやせんでしょうなぁ。他にも若ぇのはいますが、皆、仕事でやすからねぇ」 ファルコがくええと一声上げると、緑茶のお代わりを注いでいたアラーニャが八つの目を瞬きさせた。 「そうねぇ。若旦那だったらぁ、ミラキュルンちゃんとも歳が近いわぁ」 「おいおいおいおいおい」 何を無責任な。ヴェアヴォルフは四天王の意見に頬を引きつらせたが、言い返せる余地は見当たらなかった。 確かに、ヴェアヴォルフとミラキュルンの年代は近い。ヴェアヴォルフは二十三歳で、ミラキュルンは十七歳で、 五歳の年齢差はあるが、他の怪人達に比べればかなり近い。それに、決闘の時間までは通常の仕事をしている 怪人を呼びつけてしまうのは怪人にも派遣先の会社にも悪い。ヴェアヴォルフにも仕事はあることにはあるが、 平日のうちに大半を処理してあるので大して忙しくはない。 「あの……」 ミラキュルンにおずおずと声を掛けられ、ヴェアヴォルフは渋々承諾した。 「仕方ない。今回は貴様に付き合ってやる」 「ありがとうございます、ヴェアヴォルフさん!」 ミラキュルンは立ち上がり、礼をした。ヴェアヴォルフは、最中で乾いた口中を緑茶潤した。 「それで、明日はどんなデートをする予定なんだ?」 「隣町のシネコンに行くんです。でも、どんな映画を見るのかは解らないので」 「シネコンか。妥当だな」 ヴェアヴォルフはそう呟いてから、あんなことがなければ美花と一緒に行きたかった映画を思い返していた。 第一作目がヒットしたSFアクション超大作で、宇宙からやってきた善と悪の機械生命体が暴れるアレである。 美花が第一作目を見ているかどうかは解らないが、少し前に地上波でも放映したので見ていたかもしれない。 「解った。だが、見る映画は俺が決めて良いか?」 「構いません。私の変なお願いを聞いて下さったんですから」 ありがとうございます、と再度礼をしたミラキュルンは座り直し、二杯目の緑茶を啜った。 「あ、頂きます」 ミラキュルンは最中を取ると、やはりマスクの上から囓った。どう考えても、すり抜けているとしか思えない。 どういう仕掛けになっているのか気になってきたが、聞いたところで答えてくれないだろう。ヒーローなのだから。 ヴェアヴォルフはミラキュルンが最中を食べ切る様を見ていたが、見れば見るほど訳が解らなくなってしまった。 考えるのは止そう、と自重したヴェアヴォルフは携帯電話を取り出し、シネマコンプレックスのサイトを開いた。 近隣地区の地名を選択して、明日、ミラキュルンと同級生が向かうシネマコンプレックスの上映時間を調べた。 現在時刻が午前十時過ぎなので、一回目は始まってしまっているが、次の上映開始時間には間に合いそうだ。 「映画の代金、経費で落ちるかな」 ヴェアヴォルフが漏らすと、アラーニャは足先で口元を小突いた。 「そうねぇ、ちょおっと難しいかもしれないわぁ。でもぉ、一応、請求書はもらってきてねぇ」 「余計な経費を使わせてしまって、すみません」 ミラキュルンが気まずげに肩を縮めたので、ヴェアヴォルフは妥協した。 「まあ、いいか。元々行きたかったやつだし、丁度良い」 「それではミラキュルン、我らが若旦那を何卒よろしくお願いいたします」 レピデュルスが胸に手を当てて礼をしたので、ヴェアヴォルフは片耳を曲げた。 「映画を見に行くことぐらい、別に大したことじゃないんだから、そんなに形式張らなくてもいいじゃないか」 「いんやぁ、充分喜ばしいことでさぁ。何せ、若旦那には女っ気がありやせんでしたからなぁ」 ファルコがけたけたと笑うと、パンツァーが肩の砲身を逸らす勢いで笑った。 「そいつぁ違いねぇ! 相手はヒーローだが、女にゃ代わりはねぇからな!」 「え、あ、ヴェアヴォルフさんってそうなんですか?」 ミラキュルンから問われ、ヴェアヴォルフははぐらかそうかと思ったが、適当な言い訳が思いつかなかった。 女性とデートの一つしたことがないことは紛れもない事実だが、ミラキュルンの前で言わなくてもいいじゃないか。 居たたまれなくなったヴェアヴォルフは、応接セットの脇に置いたショルダーバッグから財布と携帯電話を出した。 「上映開始時間にはまだ余裕があるが、行動は早いほうが良い。行くぞ、ミラキュルン!」 軍服のポケットにその二つを押し込めてから、ヴェアヴォルフはマントを翻して歩き出した。 「そうですね、早く行った方が良い席が取れますしね」 ミラキュルンも立ち上がり、足早にドアが消え失せた入り口から出ていくヴェアヴォルフの背を追いかけた。 「お忙しいところを失礼しました。お茶と御菓子、ごちそうさまでした」 入り口から出る前に四天王に一度頭を下げてから、ミラキュルンは足早に狭い階段を下りていく彼を追った。 ヴェアヴォルフは出口で止まり、ミラキュルンが降りてくるまで待っていてくれたので、ミラキュルンはほっとした。 先に行かれてしまっては、追いつけないかもしれないからだ。ヒーローとはいえ、歩幅の違いは狭められない。 ミラキュルンと並んで歩くヴェアヴォルフは、置いていくまいと歩調を合わせようとしたがそれが難しかった。 身長が違うため、当然ながら足の長さも違う。ヴェアヴォルフが普通に歩いていても、ミラキュルンには早い。 時折立ち止まって追いつくのを待ってから歩くが、またしばらく歩けばミラキュルンとの距離が空いてしまった。 やりづらさを感じていたが、蔑ろには出来なかった。相手はヒーローなのだから、下手なことは出来ないのだ。 映画を見終えた後には毎週恒例の怪人との決闘があるのだし、ヴェアヴォルフがやられるわけにはいかない。 現場に総統がいなくても決闘自体は出来るのだが、上司がいなければ悪の秘密結社の締まりがないからだ。 ヴェアヴォルフが見たい映画で、ミラキュルンは喜ぶのだろうか。そう思ったが、すぐに敵なのだと思い直した。 敵を喜ばせたところで一体何になる。ミラキュルンの戦意を削ぐためには、趣味から外れたものが良いはずだ。 しかし、せっかく映画を見るなら見たいものを見るべきだ。二千円近く払うのだから、至極当然の気持ちである。 そうだ、そういうことだ。と、無理矢理自分を納得させたヴェアヴォルフは、ミラキュルンと共に私鉄に乗った。 中途半端な時間なので座席が空いていたので、ごく自然に二人は並んで座り、暇潰しに雑談などしてしまった。 敵同士なのに、思いの外会話は弾んだ。 上映開始までは、まだ余裕があった。 膝の上には折り畳んだマントがあり、膝掛けと化していた。上着なので、座る時は当然脱ぐ必要がある。 ドイツ語で人狼という意味の怪人名に合わせ、ヴェアヴォルフは大戦中のドイツ軍の上位軍人に似せた格好だ。 羽織っているマントも生地が厚く丈夫で、実用性の高い立派な外套だ。だが、日常生活には不要な代物だった。 ベルトに差しているサーベルも座るのに邪魔なので外し、傘のように前の座席の背もたれに立てかけておいた。 スクリーンが見づらいかもしれないが、軍帽だけは外せない。暗黒総統としての立場を守るために必要なのだ。 「お待たせしました」 座席の脇にある階段を上り、ミラキュルンがやってきた。 「あ、私もマント、外そうかな」 ミラキュルンはヴェアヴォルフがマントを外していることに気付くと、両肩のアーマーから引っこ抜いた。 「これで良し」 「そのマント、どうやって留めているんだ?」 ヴェアヴォルフはミラキュルンが引っこ抜いたマントを見上げ、訝った。ストッパーが外れた音はしなかった。 かといって、ボタンを外した様子もない。しかも、ミラキュルンの肩アーマーは薄く、挟んで固定するには弱い。 「そういえばそうですね」 ミラキュルンは今し方引っこ抜いたマントの肩で留める部分を見、首を捻った。 「ボタンもスナップもマジックテープもないみたいですし……。ヒーローって不思議ですね」 「貴様はそのヒーローだろうが」 「ヒーローって言っても、成り立てですから。解らないことの方が多いぐらいです」 ミラキュルンはマントをきちんと折り畳むと、ヴェアヴォルフの隣の席に座って膝の上に載せた。 「すみません。お仕事があるのに、ヴェアヴォルフさんを振り回してしまって」 「いいさ。俺はそんなに忙しくなかったし、この映画は前から見たかったやつだから」 「やっぱり、子供とか家族連れが多いですね。ロボットが出るからでしょうか」 ミラキュルンは顔を上げて、周囲の座席を見回した。土曜日の昼間と言うこともあり、子供の姿が多かった。 親子だけでなく、中高生も連れ立って来ている。中には、売店で買ったらしいフィギュアを持っている子供もいる。 皆が皆、映画に気を取られてヴェアヴォルフとミラキュルンの奇妙な取り合わせには気付いていないようだった。 気付かれたとしても、この変な状況を説明出来ない。それ以前に、説明を求めてくるような人間がいるだろうか。 現代社会に置いてヒーローも怪人も有り触れているのだから、興味を持つ人間がいる方が珍しいと言うべきだ。 「あの」 ミラキュルンが抑えた声で呼び掛けたので、ヴェアヴォルフは振り向いた。 「なんだ」 「この映画に出てくるロボットって、なんかこう、色々と変わりますよね? グゴガガギ、って」 「そういう能力がある種族だからな」 「四天王のパンツァーさんって、映画のロボットみたいに変形出来そうな気がしません? 戦車ですし」 「出来る、とは思うんだが」 パンツァーの姿を思い起こしたヴェアヴォルフは、顎をさすった。彼の能力の一つに可変機能があったはずだ。 両手足にキャタピラが付き、戦車さながらの砲身を肩に備え、破壊兵器の名に相応しい頑強な鉄の体の怪人だ。 だが、パンツァーは可変どころか砲も撃たない。たまに慣らしで空砲を撃つ程度だが、砲弾は絶対に込めない。 子供の頃からの付き合いだが、パンツァーが戦う様と言えば肉弾戦ばかりで、戦車らしい活躍は見たことがない。 けれど、パンツァーは戦車怪人であって戦車そのものではないので、過度に求めすぎるのは酷というものだろう。 あいつもいい歳だからな、と勝手に理由付けをして勝手に納得したヴェアヴォルフはミラキュルンに言葉を返した。 「四天王とはいずれ戦うことになるんだ、その時にでもやってみてもらったらどうだ? 俺から頼むのは変だし」 「そうですね。頑張ります」 ミラキュルンが小さな拳を固めたので、ヴェアヴォルフは口元を引きつらせた。 「出来ることなら、頑張りすぎないでほしいけどな」 「大丈夫です。私、心は全然ですけど、体は結構打たれ強い方ですから。ヒーローですもん」 「いや、そういう意味じゃなくてな……」 苦笑混じりのヴェアヴォルフは表情の見えないマスクを被った少女を見下ろしていたが、室内が暗くなった。 子供達のざわめきも落ち着いて、スクリーンに光が入った。ヴェアヴォルフも前を向き、スクリーンを見つめた。 ミラキュルンもスクリーンに向き、ピンクの外装と赤いハート型のゴーグルに上映前のCM映像を映り込ませた。 暗がりの中でも目の利くヴェアヴォルフはミラキュルンを横目で窺い、せめて美花だったら、と思った。 だが、先日の一件以来、美花とは連絡も取れていない。メールを送っても電話を掛けても、一向に反応がない。 あまりにしつこいと本気で嫌われてしまうので、メールも数通で電話も二回で我慢したものの気になってしまう。 しかし、どうやって芽依子との関係を説明しよう。メイドには違いないのだが、下僕には違いないが、愛はない。 家族の一員であり社員に対する愛情めいたものはあるが、それは断じて恋愛感情ではなく性愛でもなかった。 嫌いではないし、むしろ好意を持っている。三年前に大神家に住み込みで働き始めた時から、芽依子のことは 妹のように思っているがそこから先は考えたこともない。というより、考えたくなかった。血族に対して劣情を抱く ような罪悪感と生理的な不快感に苛まれてしまうからだ。出来れば、その辺りのことまで美花に説明して納得して もらいたいが、当の美花が取り合ってくれないのであれば事態を解決する以前の問題だ。 八方塞がりだ。 09 7/12 |