純情戦士ミラキュルン




第六話 闇への誘い! ミラキュルンに迫る魔手!



 それから、二時間三十分後。
 エンドロールが終わっても、ヴェアヴォルフはすぐに立てなかった。映像と情報の本流に圧倒されてしまったからだ。 ミラキュルンも似たようなものらしく、シアターが明るくなっても立ち上がらずにぼうっとしていた。爆発に次ぐ爆発、危機に 次ぐ危機、戦闘に次ぐ戦闘。予想通りにエキサイティングだったが、エキサイティングすぎた。大半の客はエンドロールの 最中に出ていったらしく、気付いた頃にはシアターの中は閑散としていた。このまま座っていても埒が明かない、と ヴェアヴォルフが立ち上がると、ミラキュルンもよろけながら起立した。

「地球は救われましたね……」

「ああ……」

 ヴェアヴォルフは生返事を返し、シアターから出てゲートを抜けた。ミラキュルンもそれに続くが、足取りは弱い。

「エイリアンって怖いですね……」

「ああ……」

「黄色いのが可愛かったですね……」

「ああ……」

「正義の味方のくせに凄いことを言っていたな、司令官……」

「ええ……」

「前作でやられたはずのロボットが、さりげなく生き返ってなかったか……?」

「ええ……」

「悪役は引き際が大事だな……」

「ええ……」

 ミラキュルンの相槌もヴェアヴォルフと同様に力がなく、頭の芯まで映画に揺さぶられてしまったようだった。 DVDが出たら買おう、と思いつつ、ヴェアヴォルフはマントを羽織って鑑賞中にずれてしまった軍帽を被り直した。

「それで、この後、どうします?」

 ミラキュルンがヴェアヴォルフに尋ねると、ヴェアヴォルフは手袋をずらして腕時計を見た。

「一時半過ぎか……。そうだな、昼は上映前に食べたからいいとして、決闘まではまだ時間があるな」

「それじゃ、しばらく休みませんか」

「妙案だ」

 ヴェアヴォルフがシネマコンプレックスから出るとミラキュルンはその後を追い掛け、連れ立って歩いた。 だが、今度はあまり距離が離れなかった。どちらも映画に圧倒されて疲れているから、というのが最たる理由だ。 このシネマコンプレックスは大型ショッピングモールの一施設なので、周囲にはずらりと商業施設が並んでいた。 ヴェアヴォルフはしばらく歩き、シネマコンプレックスに入る前に目を付けておいたチェーン店のカフェに向かった。 それは、芽依子との一件があった店と同じチェーン店だった。あれ以来、駅ビル一階の店には入るに入れないが、 別の店舗なら何の問題もないだろう。まさか、客の噂までチェーンするわけではないのだから。

「あ」

 ミラキュルンが足を止めたので、ヴェアヴォルフは立ち止まった。

「なんだ、不服か?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

 ミラキュルンは少し渋っていたが、顔を上げた。

「頑張ります!」

「何をだ」

 ヴェアヴォルフは聞き返したが、ミラキュルンは答えなかった。ガラスドアを掴み、力を込めて引こうとした。 だが、悪の秘密結社ジャール本社での悲劇を思い出したので出来る限り力を抜き、そろりと引っ張って開いた。 すると、今度は上手く開いた。スチール製のドアが折れ曲がったのだから、ガラスでは粉々に砕けてしまうだろう。 ピークは過ぎたものの昼食時なのでカフェの店内には客が多かったが、窓際には二人で座れる席が空いていた。 二人はそれぞれで注文した飲み物を受け取ってから、空いている席に座ったが、今度はマントを外さなかった。 映画館と違い、後ろの座席にそれほど気を遣う必要がないからだ。裾を引き摺ってしまうのは少々気になったが。
 Mサイズのカップに入ったホットのヘーゼルナッツラテを掻き回しつつ、ヴェアヴォルフはミラキュルンを窺った。 チョコバナナのフラペチーノを頼んだミラキュルンは、スプーンでしゃくしゃくと氷を掻き混ぜてから少しずつ食べた。 だが、どちらも言葉を発さなかった。映画の感想は二人ともしこたまあるのだが、話すべき話題はそれではない。 正義と悪の戦いのこと、これから行う決闘のこと。しかし、そうは思っていても気付けば別のことを考えてしまった。 頭を切り換えようとするが、上手くいかない。ヴェアヴォルフは泡が消えてしまったラテのカップを置き、口元を舐めた。

「それで」

「あ、はい」

 ヴェアヴォルフに切り出され、ミラキュルンはスプーンを止めた。

「男の人と二人で映画を見たのは初めてでしたけど、思ったより緊張しませんでした。これなら、明日も大丈夫です。 どうもありがとうございました、ヴェアヴォルフさん」

「それはそれでいいんだが、その」

 ヴェアヴォルフは二口目を飲んでから、先週の決闘後に聞いた彼女の悩みの顛末を尋ねた。

「あの男とはどうなったんだ? ほら、君とメール交換するほど仲良くなったのに女がいた、っていうあいつだ」

「えっ、と……」

 ミラキュルンは冷たいホイップクリームを掬い、バトルマスクの上から食べた。

「どうにもなっていない、っていうか、どうにもしていない、っていうかで……」

「ということは、アラーニャの進言通りに連絡を取っていないんだな?」

「あ、はい。でも、やっぱり、それじゃいけませんよね」

「黙っていた方がいいこともあるが、全てがそうであるとは限らないからな」

 ヴェアヴォルフはヘーゼルナッツラテを啜り、ナッツの香ばしいフレーバーを味わった。

「だが、同級生の男子と映画に行くということは、その男を見限って同級生に乗り換えるつもりなのか?」

「いっ、いえ! そんなとんでもない!」

「だが、その男は年上なんだろう? 歳が離れていると、付き合うことになっても長引かないかもしれないぞ」

「で、でも……」

 ミラキュルンは無意味にフラペチーノを掘り返していたが、多く掬って口に含んだ直後、こめかみを叩いた。 冷たかったらしいが、マスクの上から叩いても一過性の頭痛を緩和する効果はない。防御力が凄まじいからだ。

「決めかねるからといってどっちにもいい顔しても、どっちにも愛想を尽かされるのがオチだぞ」

 アラーニャの受け売りだが、とヴェアヴォルフが付け加えると、ミラキュルンは少しずつフラペチーノを食べた。

「そう見えますか? 私には、そんなつもりはないんですけど」

「そんなつもりがなくても、そう見える時はあるんだ」

 この前の俺みたいに、とヴェアヴォルフは内心で素に戻った。あの時、もっとしっかり説明しておけばよかった。 芽依子の言葉と美花の登場に戸惑い、混乱した挙げ句、説明になっていない説明で美花を混乱させてしまった。 冷静に行動したら、事態は好転したはずだ。だが、それすらも出来ず、結果として美花を困らせてしまったのだ。

「でも、クラスメイトの子とは、もっと仲良くなりたいんです。もちろん、あの人とも!」

 ミラキュルンはフラペチーノからスプーンを抜き、握り締めた。

「私、男友達が出来たのは初めてなんです。だから、頑張ってみたいんです!」

 と、意気込んだ拍子に力が入りすぎてしまい、脆弱なプラスチック製のスプーンは真っ二つにへし折れた。 あっ、とミラキュルンは折れたスプーンを見て困惑したが、このままではフラペチーノを食べるに食べられなくなる。 ヴェアヴォルフに断ってから席を立ったミラキュルンは、カウンターの店員に声を掛けて新しいスプーンをもらった。 また向かいの席に座ったミラキュルンは、次第に溶けかけて柔らかくなってきたフラペチーノの続きを食べ始めた。
 友達は恋人とは違う。ヴェアヴォルフもそれは重々承知しているが、つい先を急いでしまいそうになった。 美花に上手く説明出来なかったのも、きっとそのせいだ。友達から始めたつもりだったのに下心が出てしまった。 彼女なんていない、君が来るべき場所はある、なんてことをあの時の自分は頭の片隅で考えていたに違いない。 けれど、美花の気持ちを何一つ知らないくせに、一足飛びにそんなことを考えてしまうのは自分勝手極まりない。 生まれて初めての恋なのだから、暗中模索なのは当たり前だ。だが、見えないからと言って暴走するのは誤りだ。
 世界征服以上に、事を慎重に進めなければ。




 そして、日曜日。
 鋭太は美花と向かい合って座り、空腹を紛らわすためのハンバーガーを頬張って次の言葉を探っていた。 待ち合わせた。映画を見た。だが、そこから先は考えていなかった。考えようとしても、頭が空回りするばかりだ。 いつも遊び歩いている男子のクラスメイトであれば、考えるまでもなくゲームセンターでも突っ込んでいるだろう。 美花はゲームが全くダメだということは、前回のぎこちないダブルデートで知ったので除外せざるを得なかった。
 まるで、頭の配線が切れたかのようだ。元々底の浅い知識を総動員しても、上手いアイディアが出てこない。 映画を見終え、ショッピングモール内のファーストフードに入って食事をしている間は良いが、その後が問題だ。 何か言いたいことがあったような気がするし、話したいこともあった気がするが、何を言いたいのかが解らない。 二人の周囲では、同じように連んで遊びに出てきた中高生が、下らない話題で大袈裟に騒ぎ立てて笑っていた。 ストロベリーシェイクをゆっくり飲んでいた美花は、少しだけ残ったフライドポテトをつまみながら、鋭太に言った。

「あの」

「んだよ」

 何も思い付かなかった末に悪態が出てしまい、鋭太は意味もなくコーラを啜った。

「映画、面白かったね」

「だな」

「トレーラーのロボットのおもちゃ、売店で売ってたね。銀色の悪い奴のも」

「それがなんだっつーんだよ」

「ちょっと欲しいかも」

「は? つか、ああいうの買っても、野々宮じゃまともに変形出来ねーだろ。マジ無理だし」

「じゃあ、鋭太君は、ああいうのを変形出来るの?」

「たりめーだろ馬鹿」

 と、言ってしまってから、鋭太は即座に後悔した。子供の頃に今回の映画と同シリーズのおもちゃは持っていた。 だが、売店で見たトレーラーのロボットのおもちゃなど足元にも及ばない、一発で変形出来るタイプのものだった。 親が買い与えてくれたロボットの中にはもっと複雑で大きなものもあったが、上手くいかなくて放り投げたのだ。 兄、剣司は鋭太がさじを投げた変形の難しいロボットを器用に変形させていたが、それがやけに面白くなかった。 だから兄貴がウゼェんだよな、と、余計なことまで考えてしまった鋭太は、その場を取り繕うことを忘れてしまった。

「へぇ、凄いね」

 美花は本当に感心したらしく、にこにこしていた。

「私はああいうのは全然解らないけど、なんだか格好良いかも」

「え、あ、あはははは」

 そう思ったのなら、そういうことにしておこう。鋭太は薄っぺらい笑い声を上げ、尻尾を低く振った。

「鋭太君」

 美花は紙ナプキンで手の汚れを拭ってから、鋭太を見上げてきた。

「次、どこに行く?」

「んー、あー、えー……」

 そういえば、考えていなかった。鋭太が無い知恵を振り絞っていると、美花ははにかんだ。

「私、男の子と遊ぶのって初めてだから、結構楽しみなんだ」

「別に大したことしてねーよ」

 笑みを向けられたことが気恥ずかしくて、鋭太は顔を背けた。

「でも、遊ぶだけじゃなくて、色んな話もしたいって思うの」

 美花は少し目線を彷徨わせていたが、鋭太に据えた。

「だって、今まで、男の子の友達が出来たことなかったから」

 ほんの少しの躊躇いと照れが滲む眼差しを注がれ、鋭太は耳が立ってしまった。意味もなく動揺したからだ。 少しの間だったが、周囲の騒音が弱まったような錯覚に陥った。制服ではない美花が、やたらと可愛く見えた。 高校にいる時は俯きがちで七瀬の陰に隠れてばかりなので印象は薄いが、真正面から向き合うと違っていた。 というより、鋭太の中で美花に対する概念が変わったからだ。それまでは、根暗な女子の一人でしかなかった。 だが、意外にも成績は良く、頭の回転も悪くなく、クラスの女子全員と比較すればベスト3に入る可愛らしさだ。 化粧の派手さと言動の荒さが魅力だと勘違いしているギャル集団とは、比較することすら甚だしいとすら思った。
 これは仲良くならなければ。上手くいけば彼女確定だ、と本能に愚直な下心を抱き、鋭太は笑ってしまった。 鋭太から笑みを返されたのかと思ったのか、美花は照れた。所在なげに髪をいじる指先に目が付いてしまう。

「なあ、野々宮」

「なあに?」

「あのさ!」

 鋭太は下心の勢いに任せてしまおうと身を乗り出すと、美花の携帯電話が鳴った。

「あ、ごめんね」

 美花は鋭太に断ってからトートバッグから携帯電話を取り出すと、フリップを開いて手早くボタンを操作した。 話の腰を折られた鋭太は身を戻すと、言えなかった言葉を飲み込んだ。こういうことは、早い方が良いのだが。 美花は携帯電話の液晶画面を熱心に見つめていたが、徐々に頬が緩み、少しだらしない笑顔を浮かべていた。

「誰から?」

 聞くべきではないと思ったが聞かずにはいられず、鋭太が尋ねると、美花は携帯電話から目を上げた。

「大神君から。昨日の夜、メールの返事を出したから、今度はその返事」

「んだよ。馬鹿兄貴に彼女がいるからって、野々宮の方から縁切ったんじゃねーの?」

「切らないよ。だって、やっと友達になれたんだもん」

 美花は液晶画面に並ぶ大神の文章を眺め、薄くグロスを塗った唇を綻ばせた。

「あれから、色々考えたの。七瀬以外の人にも相談してみて、他の意見も聞いてみたんだ。大体が否定意見 だったけど、でも、やっぱり大神君と仲良くなりたいって思ったんだ。それに、芽依子さんっていう彼女がいても、 大神君と友達になることには何の問題もないじゃない? だから」

「あっそ」

「それで、鋭太君は、さっき何を言おうとしたの?」

「なんでもねーよ! つかマジしつけーし!」

「あ、ごめん」

 美花は鋭太に謝ってから、大神にメールを打ち始めた。内容は解らないが傍から見ていても嬉しそうだ。 その表情が自分に向いていないことをこの上なく不愉快に思いながら、鋭太はフライドポテトの残りを口に入れた。
 美花の携帯電話に大神からメールさえ来なければ、必ず言えていただろう。野々宮、俺と付き合ってみねぇ、と。 だが、これでは当分言えそうにない。理由は解らないが、衝動的に言わなければならないような気がしたのだ。 そうすれば、訳の解らない動揺や混乱が落ち着くような気がした。どちらも気に過ぎないが、とにかくそう思った。 メールを打ち終わって大神に送信した美花は、鋭太に再度謝ってから携帯電話を閉じたが、表情は緩んでいた。 それだけで兄への疎ましさが増大したが、鋭太は美花のアドレスを教えてもらっていなかったことを思い出した。 そこで、美花と携帯電話の番号とメールアドレスを交換した鋭太は、またもや訳の解らない感情の波に襲われた。
 何に勝ったのかは一切解らないが、とにかく勝った気分だった。





 


09 7/13